はてなキーワード: 野菜炒めとは
パン1個(30g程度)
キュウリ半分
ミニトマト1個
卵1個
果物少し
コーヒー1杯
平日
弁当上段
冷食肉系orソーセージ50g
弁当下段
米0.5合弱
冷蔵庫の余り物消費(肉野菜炒め/肉野菜煮込み/謎パスタ/謎おじや/謎サンドイッチ)
おやつ(体調調整)
牛乳消費レシピ(杏仁豆腐/ミルクカン/プリン/カフェオレゼリー)なし〜80g
チョコ系 なし〜20g
コーヒー1杯
夜(ノルマ)
(使う肉の選定→肉料理の選定→肉に合わせる野菜の選定→要消費食品の処遇検討→ノルマの不足を補う副菜選定→全体調整)
米0.5合強
肉(+魚)80g以上
緑担当野菜(ほうれん草/小松菜/ブロッコリー/いんげんまめ)50g〜100g
Apex、カジュアルを楽しむ、なんだかんだ言っても、このモードが一番楽しい
FF14、あと少しで紅蓮編が終る、あまり評判がよくないけど、かなり好きなシナリオだった。
帝国支配される二つの国に焦点を当て、英雄と民衆が帝国を追っ払う熱いストーリ
蒼天編もよかたけど、好みとしたら完全に紅蓮編に軍配が上がる
FF11 、セール期間中なので試しにフリートライアル版をインストールしてみた
なかなか起動しないので3度ほどインストールしなおした、さすがに古いゲームだ
公式サイトで配ってる最新インストーラー使えば簡単に設定できる、フリートライアル版はなぜか旧式インストーラーなので設定が面倒になる
ゲーム自体は今となっては極悪操作性な昔よくあった3Dアクションゲームだった、ゲーム楽しむどころじゃない操作性だ
昼食
夜
オモコロの記事に触発されて作った豚キムチがちょっとビックリするくらいうまい
油揚げを入れる、っつう知見を記事で得たので、真似しようとしたらいい感じの揚げが売り切れてて、そこで目に入った松山揚げを入れてみたんだけど、これが良かったっぽい
材料は
・豚肉(切り落とし) 400gくらい
・キムチ(こくうま) 1パック
・野菜炒めパック(もやしがメインにいろいろ入ってるやつ) 1袋
・ニラ 1束
・松山揚げ 1袋
・コチュジャン 少々
・塩胡椒 少々
・シャンタン 少々
ニラを最後に入れて、ほぼ余熱でしか加熱しない、ってメソッドを取り入れてるくらい
これすげーうまいよ
松山揚げがかなりイイ
なんかこう、甘いっつうか、優しいんだよな
ニンニクとか加えてもうまいだろうけど、いまはこの優しさから離れたくない!!
超うまいよ
今手元にフラインググースのシリチャー・チリソースがあるんだけども
チリソースのこと甘く見てた
癖のある味付いてんだろとか偏見持ってた
スマン
他のメーカーのチリソースは知らんけど、シリチャー・チリソースは素直な味付けですごい使いやすい
酸味が欲しい時はケチャップ使った方がいいけど単純な味ならチリソースの方が美味い
チキンナゲットをチンしてホカホカの状態にチリソースかけて食うとマジ美味い
油との相性が最高
辛味も油と結びつくとマイルドになる
唐辛子にしかない旨味があるって言ってた人がいたけど、俺も信じる
例えば野菜炒めに隠し味で使ってもいい
チャーハンに使ってもいい
使いすぎたらそりゃ辛くてダメだけども、お好みの分量程度ならいい仕事してくれる
ガーリックが入ってるのでガーリックを入れたい料理、入ってもおかしくない料理はだいたいチリソースOKだ
これがマジ美味い
チャーハンについてくるスープ、おいしいよね。チャーハンだけじゃなくて町中華の中華丼や各種定食には必ず付いてくるあれだ。あれを家でも飲みたい。
醤油ラーメンのスープに何かで酸味を少々加えてネギを入れただけだ。でもあれが家では飲めない。
おかずが焼き魚とか和食系だったらもちろん味噌汁が欲しいが、おかずが野菜炒めみたいな中華系ならやはりチャーハンスープが飲みたい。
インスタントラーメンや生ラーメンのスープを使えば良い、という意見もあるかもしれないが、余った麺が勿体ない。ウスターソースをかけて焼きそばにするのも何だかなぁ
スーパーやコンビニでインスタントスープを探すと、「わかめスープ」「卵スープ」「春雨スープ」「オニオンコンソメ」などがあるが、どれも違う!!
インスタント醤油ラーメンのスープの味と量を微調整したインスタントのチャーハンスープを発売してほしい。具はネギだけで良いから安価になるはず。絶対に売れるぞ。俺が言うんだから間違いない!
(味の素なんて洒落たもんじゃなくて、業務スーパーで1kg400円くらいで売ってたやつ)
と塩をかけて食べたらめっちゃ美味かった
騙されたと思って試してみて
他にも何にでもかけると美味しくなるから料理の革命と言っていいレベルだねこれは
野菜炒めや煮物、チャーハン、パスタ、漬物、etc…料理になら何にでも合う
しかも塩や砂糖なんかと違って味を感じる飽和料が決まっているから入れすぎて味が濃くなりすぎるなんて心配もない
もはや敗北を知りたいと思うくらいの万能選手だよこれは
過去にはうま味調味料は化学物質から作られていたと噂される怪しげな情報も流布されいたけど
現代ではサトウキビやなんかの天然由来の成分から作られているから安心安全
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親父・・・俺の親父。教師と剣道一筋の人生を送る。昨年還暦を迎えたため自由な時間ができ、いろいろやっている。剣道が強い。
俺・・・親父の息子。親父のことが苦手。わけあって一年時間ができたため地元に帰省し、いろいろやっている。剣道のセンスは普通になかった。残念。
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GW真っただ中の5月3日。晴天だが風が強く吹いている。雲の動きも速い。時計の針は二時少しを指している。大気が不安定な一日になるそうです、と気象予報士はニュースで述べていた。焼肉を想定している夕方には天気も崩れるだろう。どうせやらないことになると高を括り、曖昧な返事をした後に自室にこもる。
適当に動画を見ているうちに眠っていたらしい。電気がついていない部屋は薄暗い。目をこすって携帯で時間を確認すると、午後5時過ぎ。軽く飯でも食べて筋トレに向かうか、少し寝ぼけながら階段を下る。少し煙臭い。マジか。外に出ると風が少しあるものの、空の青と日の赤さが入り混じる、気持ちのいい夕暮れ時だった。
親父は木炭をくべていた。ちらりと俺に目を向け、すぐに火に目をうつす。俺は観念して焼肉の準備をする。台所には分厚い肉が大量に用意されていた。筋トレ行きたいのに胸焼けしそうだなと思う。野菜は玉ねぎともやしのみ。もやしどうやって焼くんだろう。あと大ぶりのエビ。それらをまとめて庭へ運ぶ。
「父さん、飲み物なんか飲む?」
「いや、いらない」
会話が終わる。適当に飲み物を飲みながら、2人で火を囲む。木炭に火が付くのをじっと待つ。手持ち無沙汰が極まり親父の姿に目を向ける。大学の四年間会わなかっただけで、随分昔とは雰囲気が変わったように思える。
親父、白髪だらけだけど案外髪の毛は残ってるんだな。猫背なのは相変わらず。案外身長低いんだよな。そういえば結構やせたよな。高校の時は全然俺より大きかったのにな。いつから俺のほうが身体大きくなったんだろう。色々、想う。けど言葉には出さない。言葉が心の中で反響し、消えていく。
BBQってこんなに会話が無いもんだっけ?と自嘲気味に笑う。正直気まずい。そもそも親父とあんま面と向かって会話したことなかったな。子どもの時の思い出を振り返る。
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とにかく厳しい人だった。高校で指導教員として、入学したての浮ついた学生を「君たちはもう子供じゃない」とか言って震え上がらせるタイプの人。夏休み前の全校集会で薬物の危険性とかを語る人。お前の父ちゃんって武士みたいだよなとか言われる人。
「子供を預かる教師として、自分の子どもがだらしなかったら生徒の親に顔向けができない」という信念を抱いていたため、自分の子どもに厳しいのは大変理にかなっていた。
小学校の俺はいつもおばあちゃんが作った野菜炒めを残していた。これでもかというくらい大きいぶなしめじが大量に入り、ピーマンを筆頭ににんじんやら白菜やらパプリカやら、とにかく子供が嫌いがちな野菜一色で作られていた。当然、食べることができない。
豆電球の下で親父が無言で腕を組んでこっちを見ている。食べきるまで席を立つことは許されない。泣きながらきのこを咀嚼せず飲み込む。きのこを食べているという事実だけで吐きそうになる。嗚咽が止まらない。思わずもどしてしまう。
「洗って食え」
絶望する。台所に向かい、泣きながらきのこを洗う。親父はじっとこっちを見ている。それが怖くてもう一度、泣く。
ーーー
まじで怖かったなあ。当時を思い出して苦笑する。今でこそ面と向かって食事を一緒に囲めるけど、俺が高校生になるまで食事の時間は緊張しっぱなしだった。食事中のテレビは厳禁だったから、もう黙々とご飯を食べるほかなかった。ご飯を速く食べる癖は案外ここから来ているのかもしれないな、と気付く。
親父はずっと剣道をしているせいかとにかく体がでかくて、何をしても抵抗できない雰囲気を身にまとっていた。よく食べ、よく呑み、よく眠る。毎晩22時前には寝て、朝は5時に起きる。町内を何キロも走って、庭で素振りをする。当時50歳過ぎでそれだもん、中坊のガキが勝てるわけねえよな。
でも、高校生になって直後くらいに親父に反旗を翻したことがある。コテンパンにやられたわけなんだけど。今思うとだいぶささやかだけど、でも当時16の俺にとっては十分すぎる抵抗だった。
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高校生くらいの時に「親父」とか「おふくろ」って呼び方にあこがれる時期あるよね。もれなく俺もそうだった。高校生になり、「父さん」「母さん」呼びは少し恥ずかしいと感じるようになった。同級生が「親父がさ~」と喋るのを羨ましく思ったし、なんだかイケてるようにさえ感じた。
思うに「親父」という言葉には、青年期を迎える僕たちにとっていつまでも親の庇護下ではない、甘えていた関係から自立した存在になる、みたいな印象があった。言い方自体はぶっきらぼうに聞こえるけど、青年期に正しい親子らしい関係性を、親に対して人間としての尊敬を含んだ、そんな印象を「親父」という言葉に抱いていた。
高校生になって数か月たったある日、夜22時を大幅に超えて帰宅してしまった。明確に門限というのは定まっていなかったが、遅くても21時台に帰宅することが暗黙の了解としてあった。仲の良かった先輩が、「もう高校生だぞ?少しくらい大丈夫だって。」というのを真に受けてしまった。
事実、周りの友達や先輩は門限なんて存在しないどころか、よく互いの家に泊まり合っていた。「今日お前ん家泊まるわ」とか「今日疲れたし、このまま朝までいていい?」とか、そんなことがうちは許されるわけがない。もし泊まるにしても、数週間前には事前に泊まるという報告をし、親から親に連絡を行い、「泊まりに行ってきます」の掛け声とともに家をでなければならない。
そんなのおかしい、俺だってもっともっと友達と遊んでいたい。そうした思いが積もり積もって、禁忌「門限破り」を犯す。
先ほどまでの気の大きさはなんのその、家に着いたころにはビビりまくっていた。しかし家の中の電気が付いていたのもあってか、もう高校生だし大丈夫か、と妙に安心する。ドアを開けようとする。鍵が閉まっていて開かない。庭に回る。リビングにいた妹に開けるように頼む。すると妹が「お兄ちゃん帰ってきたよ」と大きな影に向かって言った。
いつもだったら21時過ぎに寝ている父さんが起きていた。どすどすどすと大きな足音を立て玄関に向かう。俺は庭で恐怖に震えていた。
「何時だと思ってるんだぁぁぁぁぁ」
ドアを開けるとともに区域全体、少なくとも両隣三軒には響くくらいの声で突進してきた。そのままの勢いで俺を思い切りぶん殴る。庭にたたきつけられる俺。その上に馬乗りになって殴り続ける。
「どんだけっ!心配したとっ!思ってるんだっ!」
単語の区切り、呼吸の合間に殴ってくる。俺はどっかのボクサーばりに顔面を守ることしか出来なかった。躾の一環として色々殴られたことはあった。でもまるで昭和の家族ドラマみたいに殴られたことはなかった。俺は怖くて少し泣きながら、これから親父と呼ぼう、となぜか思った。
ーーー
この反抗?を経て、面と向かって「親父」とはさすがに言えないけど、俺も友達の前では「親父」呼びをするようになった。すると少しずつ親への恐怖感みたいのは薄れていった。家で極力顔を合わせないようにした。塾に通い、意図的に家に遅く帰るようになった。「塾で勉強してるし、遅くなっちゃうのはしょうがないよね」みたいな。すると自然と会話が無くなる。そもそものコミュニケーション自体が無いため、ごく自然な流れでそうなった。
もちろん色々お世話になった。高校最後の大会の前は、親父直々に稽古をつけてくれた。ライバル校の先生である親父が、ライバル校の生徒である俺を教えることはどうなんだとは思うけど、とにかくお世話になったのは事実だ。結果東北大会に出場できた。ポンコツ剣道野郎にとっては十分すぎる結果だ。
俺もさすがに知ってる。親父が不器用だってことは。俺ももちろん不器用だけど、俺も親父も素直に想いを伝えられない。家では全く会話のない俺たちも、どっちも家以外ではお喋りなのが笑っちゃうよな。
大学の同期が実家に泊まりに来てビックリしてた。「お前マジで親の前では性格変わっておとなしいよな」って。母親もよく言う。「父さんはほんとはお喋り好きで、飲み会ではみんなを盛り上げてるんだからね」って。
親父は俺に対して、何かを介さないとコミュニケーションを取れない。
俺も親父に対して、素直に想いをぶちまけることができない。
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俺もう成長期じゃないし、こんなに肉食えないよ。しかもこれから筋トレ行きたいし、あんま胃がもたれるようなの食いたくないんだよね。親父も連日肉ばっか食ってない?もう年なんだしお酒も控えて、少しは健康を意識してくれよな。
ちょっと暗くなってきたね。電気つけよっか。目が悪いっぽいね。そういえば車運転するときもっと気を付けて。車間距離近すぎ、あとよそ見しすぎ。前の車が急ブレーキしても止まれるくらいじゃないとだめだよ。
これ肉焦げてない?いいよ俺食うよ。マジで美味しいよ、親父ありがとう。
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「旨いか?」
「うん」