はてなキーワード: 物言いとは
http://anond.hatelabo.jp/20131218115145
元増田です。
ひっそりお返事します。
・男性でも同調圧力ありまくり、というのは見ていてなんとなくだけどわかる。
それが出世とか社内での地位とかにもかかわるかのような物言いをする人も多いよね。
年配の人だけでなく、若い人でも、最近2人目が産まれたとか家買ったとかそういうタイミングでなんかテンション上がってるのかしらんけど、周りの後輩に「やっぱりこれでこそ男は一人前だってわかったわ!」みたいな感じで言いたがる人いるよね。完全に冗談とかネタで通じるキャラならまだしも、半ば本気で言ってる場合、あれはとても見ていてつらい。確かにそれなりの責任感は否応なしに芽生えるんだろうが、一人身だろうが子どもがいようがいまいが自分の生活にかけてはみんな自分が一番責任を負って日々がんばってんだよそれは人それぞれだろ、と。自分女でまだよかったわと心底思う瞬間。
・すいません。結婚する予定、と書きましたが婚姻届とか披露宴とかそういうのの具体的な話を進めている段階ではまだありません。
彼氏は、わたしが子どもを欲しがってないということは知っています。
これからも話し合いを続けていくことにはなるけれど、たぶん結論としては、わたしは子どもを産むと思う。
実はわたしは子どもを教える仕事をしていて、机上の教育論についてはそれなりの知識はあるし、よそさまのお子さんであればどんな子でも大抵の子と信頼関係を築く自信はある。肝心の我が子とそれがうまくいくかどうかが最大の問題なのだけれども。
わたしの抱える問題を彼がなるべく正確に把握できるように努め、それでもやはりわたしとの子どもが欲しいと彼が思えばわたしの子どもを産む。
でなければ、養子を迎える。
その結論を出すのは結婚までの間にやっておくべきことだと思っている。
超少子化のこのご時世に何を言っているのだ、ってこと?
・女性には、やはり年配に「子供産まないなんてありえない」という反応をする人が多い。
知り合いのおばさんに、養子をとることも考えている、と話したら「産める身体があるのにバカなことを言うんじゃない!」と怒られたこともある。
こんなこと言うとクズっぽいし、それこそ「ない人の気持ちを考えてください」って話になるのだけど、子宮のありがたみなんて生まれてこの方一度も感じたことがない。もしわたしが子宮がんになって子宮を全摘出しなければならないとしたらどう思うだろう、と考えたことが人生の節目節目で何度かある。思春期は、恐怖を感じた。自分が自分でなくなるように思えた。しかしその恐怖も年を取るごとに薄らいだ。今はほとんどない。ていうか、ない。
でもおっぱいは、できればなくしたくはないな。楽しみが減るから。いろいろと。
ちなみにわたしの両親も、わたしが子どもを産みたくないということを知っていて、それについてはかなり理解を示している方だと思う。
家庭環境が大きな要因の一つなので、まあさすがにそうだろうね、というふうに思っているようだ。
弟一家がすでに子どもを産んでいて、孫の顔も見られたことだしね。
・こんなクズが子どもを産むということについては疑問を禁じ得ないのだけれども、たぶん、彼とこれからもいろいろ話をして、わたしはいずれ母親になると思います。他人事みたいに書いていますが、他人事とは思っていません。仕事でへんなお母さんたちをたくさん見てきたので、そうはならないように、子どもに自然な愛情を自然に注ぐことのできる母親になることが目標です。
天野はおそらく一昨年に死んだんだと思う。おそらくというのは家族を名乗る人のそういう報告をインターネットで見ただけで、自分は天野の下の名前も実家の住所も果たして天野が本名だったのかも知らないんで、確かめようがないからだ。
天野のことは8年くらい前に、当時付き合っていた優子に紹介されて知った。テキストサイトと呼ぶべきかよくわかんないけど、そういうシンプルな web サイトを運営していて、優子は天野のことを彼は頭が良くて面白いし、彼の書くコードは綺麗なんだ。そう紹介した。確かに天野の書く html や css は当時めちゃくちゃな装飾で溢れていた素人の web サイトの中で明確な秩序を保って美しく存在していた。ように思う。無駄に頭の回転が早くて、ニヒリズムの塊みたいな天野の知識量はどのジャンルにおいてもだいたい自分を上回っていて、優子と天野の MSN メッセンジャーの会話を横から見るのは素直に面白かった。
天野も自分もクラブミュージックが好きだったので、音楽の話を少しした。テクノが好きだと言う天野に最近 Squarepusher を聞いていると言ったら珍しく知らないと言うのでえっおまえ Squarepusher 知らないの。まじかよ絶対知ってると思ったのにとかなんとか言って手持ちのアルバムの mp3 を送ったら、かっこいいと言って喜んでいた。お返しに自分の知らなかった WEG の mp3 を送ってくれた。こいつは無駄に口が悪いけどどうやら相手が嫌いでそういう態度をとっているわけではないらしい、ということがわかった。まあ別に自分は好かれていたわけでもないだろうけど。
天野はいわゆるメンヘラクズだった。被虐待家から出る気もなくてきとーにバイトしてはネトゲをしその日暮らしを続けている、それなりに頭の良いボンクラだった。優子は天野の能力を買って有償でコーディングだかなんだかの仕事をふったりしていたが、天野は仕事を受ける時はそれなりにやる気のあるようなそぶりを見せるのに、作業を開始すると途端にだるみの境地に達してしまうらしく、締め切りや納品の約束が守られるようなことはなかった。らしい。まあよくいるよね、そういう人。というわけで天野は、能力はある、ように見える、残念なクズだった。そんな自分は更に人のことをとやかく言う資格のないアホなクズだが、アホから見ても天野の頭の回転は素晴らしかったので、これがたまに聞く「生き辛い人」というもんだろーかと思った。
天野には2回会った気がする。一度目は数人で集まって飲みに行った。二度目は優子と3人で飲んだあとオールでカラオケに行ったような気がする。天野は実際に会うとネットの中の攻撃的な物言いが全く想像できないくらい物腰柔らかで、長身で、声がよくて歌がうまくて、手が綺麗だった。これって典型的ギャップモテっつーやつじゃね?なんつーかこいつずりーなと思った。
そんな天野に女神が現れた。聞けば横浜に住んでいてネトゲだがネトゲの実況をするねとらじだかで知り合った年上のお姉さんだそうだ。もっと聞いたら天野という年下のネット弁慶で会うと物腰柔らかで長身で声が良くて歌がうまくて手がきれいなメンヘラニヒリストを「私が救ってあげるの!」と使命感に燃える赤縁メガネをかけた面の皮の厚い地雷感満載のアラサーお姉さんだそうだ。自分と優子は天野の機嫌を損ねないようにねえねえ天野くん、赤縁メガネはあかんくないか?赤縁メガネはあかんくないか?とヘラヘラ冗談を交えて忠告したが、天野は聞く耳を持たなかった。天野は日本国民に共通する「惚気けは恥ずかしいから適当に自虐ネタや相方卑下ネタでお茶を濁す」などという技は全く繰り出さず、女神がいかに素晴らしく自分が女神をどれほど愛し女神のために生きるかということしか語らなくなりクソつまらないので話すのをやめた。腹いせに天野の知らない女神の日常ブログなどを見つけしばらくヲチしたりしていたが、更新頻度は低いし、そもそも自分は自他共に認めるロリコンなので、すぐ飽きて見るのをやめた。赤縁メガネの BBA に興味はない。
そんな女神はなんのかんの理由をつけてネトゲ内で天野という彼氏がいることは伏せていたらしい。まあなんか、ネトゲとかねとらじとかいうのはいろいろ事情もあるらしいですからねっと思っていたが、女神は女神にゾッコンでありながらもなんだかんだ言ってクズいその日暮らしを抜け出さない天野にだんだん飽きてきたらしく、天野をキープしながらネトゲ周辺で堂々と男漁りをするようになったらしい。そして程なくして天野は捨てられた。自分はほれみたことかと思いつつ、坂を転がり落ちるように不安定になっていく天野のメンタルが心配ではあった。あとから知るところによると、女神や女神の周辺の Twitter アカウントに、定期的に嫌がらせじみた Reply を送ったりもしていたらしい。今まで嫌なことがあるとすぐ諦めて、人に執着しなかったはずの天野の行動とは思えなかった。しかし同時に自分も優子と仕事とその他と絶賛修羅場っていたので天野のことは次第に忘れていった。
翌年の秋の終わりに、 Maltine Records っていうナウでヤングでカリスマ~なネットレーベルが主催するイベントに友人知人の荒川智則が集まって楽しいことをするというのでいそいそと出かけていった。財布が厳しいから今回はパスするわといっていた友人に「今日来なかったやつバカ」と SMS を送って楽しく荒川智則した。朝、ガラガラの電車内で Twitter を開くと、「富士そばステッカーをSさんに貰った」という post が RT で回ってきていた。天野だった。生きてた。ついでに来てた。なんだよかったな。そのまま寝落ちして電車を乗り過ごした。
クズなりに大人としての責務を果たすべく忙しくしていた翌年の夏、もうすっかり優子のことも天野のことも忘れていた頃、また件の Maltine Records がイベントをするよっ☆彡っていう告知がまわってきた。絶対行くだろjkと何人が思っただろうか。自分も思った。思うと同時にふと天野のことを思い出した。あの状態の中で見つけ出す自信は正直ないけれど、もし会ったら?そもそも行くんだろうか?行くよな普通に考えて。行くとか行かないとか、何か Twitter で反応してるかな。
天野の Twitter ID をブラウザに打ち込むと、天野のアカウントは消えていた。ユーザーネームを変えたのかと思って検索したけれど、違った。同じように「あれ?きぐりーさん消えた…?」と戸惑っている人が数人いることが確認できた。みんな知らないってことは、本当に消えたんだろう。そうか。でもまたすぐ戻ってくるだろ。あいつがインターネットを止められるわけがないんだから。
その時のイベント「やけサマ」には、出発の直前にだるみに襲われて、行かなかった。前から決まってた予定に限って、よくあるよね。
年が明けた冬、魔が差して優子の Twitter を見た。元気かなとか、そういう特になんということのないきっかけで。なんということのない可愛い日常を遡っていくと、天野の訃報が書かれていた。天野はやっぱりインターネットを止められていなかった。メインアカウントが消えた後の新しい天野の Twitter アカウントにリンクが貼られていて、弟さんを名乗る人が訃報を書き込んでいると書いてあった。あわててリンクを辿ると、確かに天野の弟を名乗り、葬儀を終えたこと、本人の遺志によりこのアカウントのログは消さないことなどが書かれていた。その前には、年が明ける前の秋に、女神のことを引きずり続けた天野がゆっくりと絶望し衰弱し、最後の食事を買い、所持金が無くなり、恐らくどこか人に見つかりにくいところに行って、そして post が途切れる様子が記録されていた。
優子はこのアカウントをずっと見ていたのだろうか。別れたあとも天野と交流があったのかどうかわからない。どうでもいいことだけど、天野の行動が Twitter のログの通りだったなら、おそらく天野が死んだ日かその翌日くらいに自分は優子とは別の人と婚姻届を提出した。ような気がする。本当にどうでもいいことだけど。
ログをさかのぼり「やけサマ」が開催された8月21日の post を確認すると、「やけサマ」をめいっぱい楽しむ天野の様子が書かれていた。おまえはしゃぎすぎだろというくらい。そうかやっぱり行ってたのか。そんなに楽しかったなら自分も行けば良かったな。あの中で見つけられるとは思わないし、見つけられたところで「あ、どうも。お久しぶりです」とかなんとか、こっちが拍子抜けするくらい物腰柔らかで当たり障りの無い対応しか返ってこなかっただろうけど。
たまにふと、やっぱ生きてるだろという気になって検索してみる、と誰かがどこかに書いていた。それは自分も同じだ。別にあのとき行って探して、止めていればとかは全然思わない。2回しか会ったことないし。ちょっとインターネットで話しただけだし。ただなんかずっと気になっていた。そういうわけで、明日はまた Maltine のイベント、今度は「山」だ。多分行くと思う。同時に天野のことも思い出した。のでこれを書いた。多分しばらくしたら消すと思う。
ずっと気になっていると言えば結果的に優子から借りパクすることになってしまった本やゲームが数点あって、気にしながら数年持っていたんだけれども、この間引っ越す機会に思い切って処分した。もしそんな機会が訪れたとしてももう物を返されても困るだろうし、あのときは迷惑かけましたと少し包むくらいが大人というものではないかと思ったからだ。けれど多分そんな機会は、やっぱり訪れない気がする。
と尋ねられたので、
と答えた。
模範回答は「挨拶することは良いこと(倫理的)だから」だろう。
しかしこれは建前であって実際は違う。
また、「なぜ良いことなのか?」という質問を反復しているだけで回答にもなっていない。
就活生や新入社員は、挨拶を含むマナーや礼節を身体に叩きこむわけだが、中には「そうした振る舞いが倫理的に求められるから」とベタに信じている人もいるだろう。
しかし、社交辞令は倫理と関係ないばかりか、時に倫理と対立する。
目的達成のために相手をヨイショしたり、へりくだったりすることはいくらだってある。
自分が前から関わっていた人や自分が読んでいるブログから少しずつ奥ゆかしさが失われていくのを見るのが本当に辛い。
特にネットでのそれは顕著に感じる。無数の相手のうちから自分が特に気に入った相手を選べるからこそ、わずかな変化を大きく感じるのだろうか?
たとえばあるブロガーはこの所上から目線で物を書くことが目立つようになってきた。
彼は元々どこかぶっきらぼうな物の書き方をする人だったのだが、それが上から目線でやられるとひどく鼻につくようになった。
手短に言えば彼の文章からにじみ出る人格から奥ゆかしさやしなやかさが明らかに失われてしまっていたのだ。
昔は「こうなればいいなぁ」とか「そう思った」と言っていた彼が最近は「どうしてこうならなかったんだ?俺は前から警告していたぞ」とか「俺はこうなった方が絶対にいいはずだと考えている」といった物言いをするようになった。話の締めくくり方だけが過剰になったのではなく文章全体がそういった「俺の考えは正しく。それを理解できない馬鹿が多すぎる」になってしまった。
前からそういう変化は少しずつしていたように感じたが、振り返ってみるとその積み重ねが余りにも大きくて前とは違う人間になったしまったとしか言いようがなかった。
前からこういった事がネットではよく起きた。現実でも何度かあった。
そういう時「いつか彼も戻ってくれるだろう」といつも思ってきたが、少しすると彼の回りにいる人間、特に彼が今特に仲良くしている人間が今の彼と同じ考えの持ち主ばかりになっている事に気づき「彼が少し前に戻っても、周りの人間からくる影響がそれ以上の勢いで彼を変えてしまうのだろう」と思って諦める事になってきた。
実際、一度性格の変わった人が元に戻ることはなかった。
どうして人間はだんだんと考え方が凝り固まって、凝り固まった考えの者同士でつるみ合うようになってしまうのだろう。そして少しずつ違う価値観の持ち主に対する理解や、自分がいましていることへの客観性を失ってしまうのだろう。
お前の言いたい事はわかる。
大人の建前というか言い回しの汚さにいらだつ気持ちもわかる。
だがな、黒柳徹子さんは"個人"だ。"団体"ではない。
汚いが間違いではない。
この辺の大人の言い回しというとそれはそれで嫌だが、セールストークというものを許容しなきゃ話にならん。
更に言うとだ。
これは教えてほしいのだが、どこで「手数料を引くことなく募金する」と書いているんだ?
俺が見つけた言い回しは以下だった
薬なり食料なりの物資に交換し、輸送される。
交換も輸送もお金がかかる。そのお金の「募金」から消費される。
まず、100%全く減損せずに現地に届くかのような物言いはやめろ。
その物言いは
「日本ユニセフ協会はユニセフの為に日本で募金出来る唯一の団体です。」
俺はその日本ユニセフを叩いている側のその「言い回しの汚さ」にも嫌な気持ちになっている。
この時点で双方どちらの言い分もある程度汚い。
そして、これも俺はしらないが、ユニセフ本体は何%現地に拠出できているんだ?
叩くからには間違いなく81%より高い数字を出せているんだろうな?
「ソースも確認できない」というからには、もちろん調べてあるんだろ?
もっといえば、日本ユニセフはユニセフ本体の規約から逸脱した行為をしているのか?
おまえの擁護する黒柳徹子さんなりユニセフ本体なりが決めた規約を日本ユニセフが破っているのか?
守ればいいというものではないが基準よりも優良な状態のものを叩くのは果たして正しい行いか?
なぜ相手が擁護しているのかという理由を考えない限り、おまえの思考はそこまでだ。真実にたどり着けない。
ネットで見つけた真実を伝家の宝刀だと思ってふりまわしてると自分がけがするぞ。
ソースも確認できないバカに擁護される日本ユニセフってのも、可愛そうだな。
今回問題になっているのは、アグネスが
「日本ユニセフ協会はユニセフの為に日本で募金出来る唯一の団体です。」
http://www.agneschan.gr.jp/blog/?p=7324
実際には唯一ではない。
このエントリを何度か読んだ。
玄人ヅラして言いたい放題の一部の外野に苛ついて書いたエントリなんだろうけど。全方位に理論立てて書いた結果
全方位を刺しちゃってるように感じる。特に、
『アイテム課金に対するdisはたいていの場合「お前が遊びたいようなゲームはお前の求めるような値段では遊べない」で反論が終了してしまう。』
これが凄いイヤな物言い。言いたいことは判るがそれは下手くそな課金手法の免罪符にはならない。
パワプロ2013に至ってはもはやパワプロではないので課金手法以前の問題だし。
それに対して課金がなきゃ立ち行かねぇよ、というのはズレてるよ。
課金はできる限り許容するけどそっちはそっちで許容し易い方法を考えてくれよ。
今んとこソシャゲの方法論そのままでスライドしたようなものばっかじゃん。
頼みますよ。ほんとに。
「以前の日本はこんなにすごかった」とか
一般の方々だけでなく、国家運営に携わる人たちもだ。
A級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝することに関する議論は様々ある。
某東アジア諸国らの物言いは限度を超えたものではあろうが、その主張には理解できるところだってある。
最近も死者の埋葬ができない云々でニュースになっていたけど、戦争責任は明確であり、現政府とは明確に区別されている。
当時の「ナチス」が戦争の責任をとるものであるとして、現在でもナチスに対する厳格な法令が存在している。(ハイルヒトラーのポーズをすれば逮捕)
清算が済んでいるからこそ、今のイタリアやドイツに対して「謝罪と賠償を」だなんていうことはないわけだ。
A級戦犯だといいつつも、国家の代表(近年は自粛もあるが)だけでなく、公務員である議員らが公務として参拝しているという事実だったり、
当時の軍部が象徴としていた旭日期をサッカーなどの国際試合で使用していたり…という状況である。
これでは、戦争責任がどこにあるのか、明確ではない。
いつも思うんだけど、ボッチ系で、人の心がわからない、上から目線で、嫌なやつ、
そんな俺のほうが、おまえらより、いいやつじゃね?
他人様に、あなたは人の心がわからない、なんていっちゃうやつは実はDQNなんじゃね?って最近思う。
あの人は嫌なやつだ!と、言いふらしているヤツのほうが、もっと嫌なやつなんじゃね?
ちょっと前にも、ニュースでどこぞのアイドルグループのファンが、人の心がわからないって言い方をしたけど、DQNなニュースということでFAだったよね。
俺は決していいやつではないけど、オマイラ人の批判をする前に、コミュニケーション取ってるよね?
ご自由にと書いてないものを、貸してくださいも言わずに、借りたら、文句言われるの当然じゃね?
あらためて、あごめんなさい。お借りしてもいいですか? 費用はお支払いします。100円ぐらいでいいですか?でいいんじゃね?
常識的な店なら、あ、じゃぁいいですよって言うんじゃね?
いや、増田こそスカイプがアレば、全世界で放送して現行大学と同じ教育ができると思うのか?できるわけないだろ?
言われたことじゃなくて、3手先を読んで話をしてくれよ。
放送で大学教育をといったら、今すぐに、放送で大学教育と同じことが出来なかったら無意味なのか?
ちがうだろ。
常識的に考えて、放送だけで大学と同じ教育ができるわけ無いだろ?常識ないのか?
できるわけないんだから、そんなこと相手が言ってるわけ無いだろ。
これから、どうしたら良いかを研究していかなければならないからまず、放送からやっているというのは、方法論として大前提なのでは?
1つ1つやってみて、失敗して、対策を考えて、次の時代に技術研究していくのは、常套手段だろうに。
大変申し訳無いが、その物言いは失礼だ。
そんなに大きな罪じゃないと思う。
あのまとめのコメント欄をながめてもはてブのコメントを眺めても全然建設的な議論になってない。
まあこれは程度問題で白か黒かで結論が出る話だとも思わなかったけど、それでも佐々木さんの発言はひどかったとおもう。
「吹聴するのがなんでいけないの?」
「そんな事を気にするくらいならなぜ中国野菜を使った弁当を食べられるの?」
他にもっと悪い事があるからこっちはええやん、という言い方は理性的ではないし反感も招くのは当然。
こういう言い方を変えれば話の流れも少しはかわったのに、と思ってます。
実際佐々木さんに否定的な意見をもったひとでも、あのアイスクリームをまちがえて食べたからって健康に影響が出るとか、
そういうふうに考えてる人は少ないと思うし、言いたかったのはそこじゃないと思う。
Togetterのコメントでも多かったけど、「俺も昔は悪かった、若いときはみんなそうだろう、通過儀礼じゃないか、なぜ寛容になれないんだ」
的な物言いに反感を抱いた人がいたんじゃないだろうか。
自分もそんな偉そうなことを言えるような倫理的な人間じゃないけど、でも能動的に人の迷惑をかけるような行動はしてこなかったつもり。
だからといってむかしバカやった人の事を責めてるんじゃなくて、でも過去の自分のバカを少しは反省してるようでないとこっちはイラつく、てのが正直なところ。
昔バカやった人が今一丁前の大人になって分別ありげに「こんな息苦しい社会じゃだめだ、寛容さはどこへ行った」ていうのは簡単だけどね、
その「バカ」「ヤンチャ」のかげで汗を流している人のことは忘れたらいけないと思う。
「ウェーイ」て居酒屋で騒いでグラス割ったりこぼしたり駅でゲロ吐いたり、どんだけいい思い出か知らないが、それを陰で片付けてる人は必ずいる。
壁にかかれた落書きのスプレーを必死で消してる人もいるだろう。チャリンコ盗まれて困った思いをしてる人も多いだろう。
佐々木さんの一連のツイートからはそっち方面への想像力が感じられなかったなぁ。
「昨今の倫理を過剰に求めすぎる社会は」とか、悦に入って論じてるひと、言葉だけ聞けばそれは全く正論だけど、倫理や規範は厳然としてあるんだよ、
そこをふまえた上ではじめて、「ゆるそうや、固い事いうなよ」、ていう話が出てくるんじゃないの?逸脱する為にはその元となる規範がいると思う。
実際に「社会」を成り立たせてるのは、黙々と道のタバコのポイ捨てを拾ってる人とか、理不尽に客に絡まれる駅員さんとか、そういう地道な人の営みなんじゃないの?
そこに目を向けずに「昨今の社会は」とか能書きたれられてる様な気がして、その「寛容」論は、違うやろう。という気になる。
で、そういう人の営みに敬意も何も抱いてないから、ああいう写真をアップする輩が出るんでしょう?
彼らは別に冷蔵庫に入る事が主目的じゃないよね、SNSにアップして注目を浴びたい、承認欲求を満たしたいからでしょう?
これは別に今に始まった事じゃなくて、海水浴場で監視員の制止を振り切って高い岩場から飛び込む若者とか、ある種普遍的な事ですよね。
そしてそれを自らネット上にあげる。それを見かけた我々がそれに対して「否。」ということがそんなに悪い事だとは思わないんだけど。
時にはそれがすごい数の否定が突きつけられるかもしれない、でもそれが社会的に間違った行為なら、それを指摘するのは間違っているとは、おもえない。
そこで悪い事を悪いと言わない事が寛容さでは、ないと思う。そしてそれは、「その店の関係者でも直接的な客でもないのに言う資格がない」
という話でもないと思う。だって彼らはアイスやピザを汚して、客に売りつけようとしてやった行為ではないのだから。
もっと普遍的な、人の仕事の、社会の営みの重さを知らずに、いちびりが賞賛を得られると思って世に吹聴する、という行為を目の当たりにして、
それは違うと意見表明するのはそのコンビニやピザ屋の客であるかどうかは、さして重要ではないのでは?
だってかれらは、SNSを通じて、我々の目に届けてしまったのだから。そして我々もそのコンビニに行かずとも、意見を表明する場を得てしまったのだから。
ネットにあげられる前なら、その店の上司が、社内規定をまげて温情で彼らをゆるす、ていうのはあるだろう。
そういうのは今までも、現在もよくある話なんだと思う。それを否定する気は全然ない。
その上司なりが自分の責任の範囲において規範をちょっと逸脱させて部下を許す、そういうのが「寛容さ」ではないのかな。
ただ彼らはいきなりそれをネットにあげてしまって、ローカルな問題をグローバルな問題にしてしまった。
ローカルでは逸脱できる規範も、グローバルではそういう訳にもいかない。規範をすべて壊してしまう訳にはいかないから。
ルーターがサブネットマスクを設定するように、身内と世間でルールを使い分ける、こういうタテマエ論が社会の規範を守ってきたのではないのかな。
今までは一つの出来事でドミノが一つ倒れるだけだったのが、今では一気に100個も1000個も倒れちゃう時代なんだと思う。
佐々木さんは最初のドミノを倒す人の事は放っておいて、末端のドミノに踏ん張れ、倒れるな、って言ってる印象なんだよなあ。
こういう事件があった時、我々はその商品を買う消費者であり、事件を起こした企業の一員であり、同時にネット上の傍観者であり得る。
無責任にならない為には、いろんな立場を考えて行動、発言しないといけないとは思うけど、事件を引き起こした彼らの立場は、いちばん共感し難い位置にあるのは確か。それに対して「俺も若いときは悪かった」てな事で共感はできないし、それができる人間にも共感したくない。
彼らの事をネット上で非難する人達は、決して安全なところから暇つぶしに言ってるんじゃなくて、
消費者としての自分、当事者の企業の一員になった自分を想像するからこそ、否定的な意見が出るんだと思う。
もちろんそれでネットによる過剰な叩きを肯定するわけにはいかないんだけど、でもやっぱり「悪い事は悪い」。
や、
というか少しさかのぼって悪いんだけど、「思考が支離滅裂」(http://anond.hatelabo.jp/20130803204639)もあなたが書いたの?これなんかはもうはっきり侮辱で、もしこれをあなたが書いたのなら測定した人を馬鹿にするつもりはなかった、なんて言葉はとてもじゃないけど信じられない。
これは違うが、先ほどのものについてはもし元増田が真剣に悩んでるのなら今は少し反省してます。
ただまあ、真剣なお悩み相談の場でもないし、この手の話はいくら出てきても人の話を聞かない人しか居ないから、多少は物言いたくなる、とね。
あの馬鹿なトラバツリーはあまりひどいので、まとめて書き直します。
元増田が少しは考えの足しにしてくれればいいと思うんですが。
安易な値引きに応じなかったという点では元増田は正しいよ。安くすれば誰だってモノは売れるけど、ぎりぎりまで値崩しを防いで適正利潤を維持するのも営業の重要な仕事。
ただ、ルートセールスで廻ってる得意先との取引をロストしかねないような物言いをしてしまって先方の機嫌を損ねたのは、結果的には明らかな「失敗」だよね。どんなに義が自分の側にあっても、数字を落としたら営業はダメだから。
そもそもルートセールスというのは相手からは単なるルーティーンワークに見え、こちらの日頃の苦労には麻痺してくるものなんだよ。相手の購買担当者も「仕事してる」感を出すために、定期的に取引先セールスを価格交渉したり、その他の部分でより有利な条件を求めてかけあってくるのがむしろ当たり前。ルート営業ならほとんどの業種で起こりうる事態だよ。
その「当たり前のこと」に備える予防線を張ったり、いざその事態が起きたときに丸く収めるトークスクリプトを持っていなかった、という時点で、元増田は営業として弱かった。【いつ戦場になるかわからないところを、いつも巡回してて特に身の危険を感じなかったからという理由だけで、武器も防具も持たないまま漫然とうろついていた】のと同じだよ。
の両立で、必要なのはそのためのトークスキルだった。元増田がその場でやった反論はロジカルではあるけど、それはやり方としては決定的にうまくない。ロジカルな反論はそのまま「あなたの言っていることは非論理的だ」というふうに、相手の否定、相手のバカさや図々しさの指摘になってしまうから。そりゃ相手も立腹します。
そうならないために、営業の拒否トークは基本的に「無罰的」か「自罰的」でないといけない。あなたは悪くない、私も悪くない、でもあなたの望むような変化は不可抗力によって起こらない、という落とし所を見据えて話さないといけない。
事態をアドリブで丸め込むスキルに自信がないなら、「御社が弊社にとって重要な上得意先であること」「それゆえに、すでに破格の値引き額を提示していること」「現在のギリギリの設定価格を割り込むような決裁権は自分にないこと」「一旦持ち帰って上司決裁を仰がなければならないこと」までを、決して相手を責めずに、もっともらしく、スムーズに話してやればいい。
先方がどれだけ大事な得意先であるか、特別扱いされているか、ということを交えながら話せば相手も悪い気はしないし、こちらの上司をひっぱりだすほど大きな話になってしまうと、軽い気持ちでつっかけてみた相手はびびる。価格とは別の次元で、相手に満足感を与えてやったり、心理的負担を感じさせたりしてやることで、顧客を操作するわけ。