自分が前から関わっていた人や自分が読んでいるブログから少しずつ奥ゆかしさが失われていくのを見るのが本当に辛い。
特にネットでのそれは顕著に感じる。無数の相手のうちから自分が特に気に入った相手を選べるからこそ、わずかな変化を大きく感じるのだろうか?
たとえばあるブロガーはこの所上から目線で物を書くことが目立つようになってきた。
彼は元々どこかぶっきらぼうな物の書き方をする人だったのだが、それが上から目線でやられるとひどく鼻につくようになった。
手短に言えば彼の文章からにじみ出る人格から奥ゆかしさやしなやかさが明らかに失われてしまっていたのだ。
昔は「こうなればいいなぁ」とか「そう思った」と言っていた彼が最近は「どうしてこうならなかったんだ?俺は前から警告していたぞ」とか「俺はこうなった方が絶対にいいはずだと考えている」といった物言いをするようになった。話の締めくくり方だけが過剰になったのではなく文章全体がそういった「俺の考えは正しく。それを理解できない馬鹿が多すぎる」になってしまった。
前からそういう変化は少しずつしていたように感じたが、振り返ってみるとその積み重ねが余りにも大きくて前とは違う人間になったしまったとしか言いようがなかった。
前からこういった事がネットではよく起きた。現実でも何度かあった。
そういう時「いつか彼も戻ってくれるだろう」といつも思ってきたが、少しすると彼の回りにいる人間、特に彼が今特に仲良くしている人間が今の彼と同じ考えの持ち主ばかりになっている事に気づき「彼が少し前に戻っても、周りの人間からくる影響がそれ以上の勢いで彼を変えてしまうのだろう」と思って諦める事になってきた。
実際、一度性格の変わった人が元に戻ることはなかった。
どうして人間はだんだんと考え方が凝り固まって、凝り固まった考えの者同士でつるみ合うようになってしまうのだろう。そして少しずつ違う価値観の持ち主に対する理解や、自分がいましていることへの客観性を失ってしまうのだろう。
語弊があるが 「正直者は馬鹿をみる」に近い おまえの言う「しなやかさ」とやらを保持していて得られるメリットが無いんだね
「あぁ~。そういうのあるある」って思うけど、それは読み手や他者のイメージの押し付けじゃないだろうか?
俺は自分がそうなったという自覚があるぜw てかネット上には殺したいと思ってる奴が無数にいるが 俺をぶちきれさせた奴だけは唯一完全に私怨で殺したいと思ってるなあ 他の奴はえ...