はてなキーワード: 無責任とは
付き合ってる男の影響でうっかり政治的発言をしてしまったきゃりーぱみゅぱみゅだが、
芸能人が一度政治的発言をしてしまうと、今後もずっと政治ネタで絡まれ続けるのだということをわかっていないのだろう
今後も同じような政治ネタはネット上で繰り返し繰り返し炎上するのは目に見えているが、
その度は、あれはどうなんですか?これはどう思いますか?とアンチからも政治オタクからも絡まれ続けるのである
無反応を貫くと、やっぱり一時の気分で流されてただけのバカなんですねと言われ、
反応しても、間違った理解を示すとやっぱり芸能人だから勉強ができないバカなんですね。と言われるのだ。
商売上悪影響が大きすぎるのだ。
せっかく子供が出来にくいんだから、それを機に立ち止まって考えりゃいいだろ なんで高え金かけて何年も苦労してまで苦しむ人間を生み出そうとするのか本当に理解できない
ベーシック・インカム制度があって基本働かなくていい世界なんだったらわかるよ子供作るのも それでも人生に全く苦しみがないってことはないだろうけど、いざとなればずっと寝て過ごしたって衣食住心配がないんだったら人に強制したってそこまで罪はない
でも現実はどうだ よっぽど親に財力がない限り、遅くても26歳くらいからは週5(以上)で8時間(以上)働かないといけなくなる 働きたくて生まれて来たんじゃないなんて言い訳は一切通用せず、社会から強制的に与えられた「恩」に報いよと言われる
生まれさえしなければ何もする必要はないんだ あらゆる努力をしなければならない原因は100%親にある
そのわりに世の親は態度がデカいよな 自分の子が怠惰だからといって叱っていいと思うのはマジで理解不能 「穀潰しを養えない」って何?じゃあ生むなよ 「子犬さんかわいい❤️」つって買ったあとデカくなったら捨てるクソ飼い主と何が違うんだ?
親という人種、覚悟を全く持たず小学校低学年のガキみたいな発想で子供を産んだあと突然偉そうになって威張り始めて最悪ってイメージしかない
てめえの都合で子供に人生を押しつけておいて、その子供が何も生み出さなかったら怒り出すっていう無責任さをほぼ全ての親が持ってる気がするんだけどどうなんでしょう
俺は何かの間違いで資産が10億円とかになったり、ベーシックインカム制度ができたりするまで絶対に子供は作るまいと思ってるぞ 彼女とも話はつける…つけられるはず……
まあでもな 彼女に「子供作ってくれないなら別れる!」とか言われるとぐらついてしまうかもしれん 所詮子供つっても他人だしな いくら苦しもうと俺には関係ないわけだし 子供の人生ひとつ分の苦しみより俺がフラれる苦しみのほうが俺には大事だ
そういうことか そんな感じの無関心さで子は作られるんだろうな
別になんでもいいんだけど、踏み絵になってるみたいで嫌だなぁ。
反対すれば左翼、賛成すれば右翼、答えなければ無責任・無関心。
こういうのめっちゃ多い。
これで、反対票を入れた有名人に、ファンだったけどやめますとか言うと、お前は真のファンではない、とか言われる。
岡村にしたってそう、降板署名に賛成するのが正義だ vs 叩きすぎ批判されて当然だろ
どっちもどっち。なのに、これの意見だけでフェミ・アンチフェミ認定される。
そんな事ないって思ってるかも知れないけど、そんなことあるよ、マジで。
そういうのって反面で、わかりやすくていいけど、レッテルは良くないって言うじゃん。
ほんとに世の中踏み絵だらけ。
史上最高のイギリス映画と煽られていて、公開当初から気になっていたが、
見る機会がなかった。なぜか日本版映像メディアは入手困難だったりするし。
80年代当時のイギリスの社会背景について肌感覚で理解できている人、
サッチャーによる緊縮経済と、移民に向かう憎悪、暴力的な労働者階級右翼スキンズが持つ不満
自分も知識がない訳ではないが、当時のイギリスで暮らしてた訳でもないし、そこまで入れ込めなかった
逆に当時イギリスで暮らしてた人とかは、凄いリアリティを感じて面白がれるのかもな
とはいえ、コロナ直前ぐらいの日本は、政府による緊縮政策で高まる経済的苦境、貧困階級で蔓延する国粋主義的右翼思想への共感、
移民への排斥感情と、かなーり近しいものがあるのではとも思わされた。
ストーリーはリアリティがある一方で、リアリティを追求するあまり映画的には伏線の回収が甘く不満だった。
彼は主人公ショーンをグループに引き込み、母親とも面倒を見るという対話を行いながら、
コンボの行いに対して能動的なリアクションを何も行わないままフェードアウトする。結構無責任男じゃないかと思った。
またコンボの失恋のくだりも、結構あっさり引きさがってて、この設定いる?と消化不良感があった
主人公ショーンも、典型的な巻き込まれ型主人公で、監督の実体験ベース+子供であることを考慮すると、
リアルなのかもしれんが、ウディに誘われてスキンズ入り、コンボに誘われて暴力的犯罪行為を行う、
最後はコンボの暴走に傷ついて終わる。というお前勝手に周囲に振り回されとるだけやんけという不満を感じざるを得なかった。
当時のスキンズの生態をしっかり捉えたという点は褒められるのかな?自分には判断を下す自身はない。
映画的にはあんまり盛り上がらんし、ストーリーの構築感も低い。5点満点で3点てとこだな。
これで英国史上最高の青春映画は言い過ぎだと思うぞ。トレインスポッティングの方がまだ面白い。終わり。
炎上させる側になるにはアルファな連中に届けるのが大事だけど、自分にはそんなフォロワーも無く影響力が無い
Togetterで燃えそうな新着記事をブクマしておけば、はてな経由で新着に乗る確率を上げて着火の火種になった気分
「ジェンダー関係の人は無責任なことを言うけど、現実問題として男性の役割から降りるとジリ貧だよ。だから弱者男性のみんなは頑張って踏みとどまったほうがいいんじゃないの?」ということです
・男性の役割から降りたら貧乏になるとかでなく、そも今現在貧乏なのでは?
・元増田は、弱者男性は男性の役割に踏み止まった方が良いと言うけど、踏み止まったとして、それでどうなるの?弱者男性は低年収で能力もないんだから踏み止まろうがどの道役割は果たせないし何も得られないわけで、それこそジリ貧なのでは?
・「弱者男性でも年収で競い合う世界にとりあえずいれば女を獲得できる可能性も0ではないから、男性の役割に踏み止まった方がいい」には明確に反対したい。そも頑張っても女を獲得出来ないから弱者男性なんでしょ。頑張れば可能性は0ではないなんて只の精神論だし、そのために年収や彼女の数でマウント取り合う男世界に、勝てる見込みがほぼないのに残れなんていうのはおかしい。
・どの道男性の役割に拘ったところで弱者男性は何も得られないんだから、さっさと男性の役割に見切りをつけて、つまり年収で競い合って食った女の数を自慢し合うみたいな男の世界から抜けて、友達と楽しくゲームするとかそれぞれの人生の楽しみ方を見つけようよ、みたいなのが、いわゆるジェンダー関係者の言う「男性の役割を降りる」なんだけど、これ正しくない?意味なく男性の役割にしがみつくよりずっといいじゃん
正直最初の文章読んだ時は世を拗ねた女をあてがえ系インセルだと思ってた
とりあえず賃金は低くても元増田が生きやすい職場を見つけられた事は良かったって思う
で、元増田は男性社会から降りたいと願うと同時に男性性から降りざるを得ない立場だったけど
男性社会の競争が男の生き辛さの根にある物だから男女差別を解消しないと生き辛いけど
男性の役割から解放されようとしても貧困に襲われる袋小路だから降りるか迷ってる人には踏み留まって欲しいって事でしょ
自分も恋愛欲求はほとんど無いけど元増田と似た境遇で障がい者雇用で働いた結果貧困になったからよくわかる
自分はお金と引き換えに男性社会の競争から解放されたから結果的に良かったと思ってるけど将来への不安もあるし他人に、増してや絶望してる増田に同じような境遇で満足しろとは言えない
何で無理矢理参加させられた望まない競争から逃れたいだけでこんなに苦しまなきゃならないんだろうな
だれにも見つかりませんように、わたしのことを愛さない無責任な人たちに見つかりませんように
ほうっておいてね
そういうの逆にしんどかったの
いまはもうなんにも感じないけど一応メモだよ
「役割から降りる」と、「障害者になる」が結びつかない人がめちゃくちゃ多くて、マジかって思ってる。
ひとまずこの増田の価値観を採用するとして、自らを障害者と認めるには、間違いなく男性性から降りなければならない。男性性とはマウンティングの取り合いであるとしているからだ。障害者なんてマウンティング外の別枠の何かでしかない。だから、自らを障害者として認めるというのは、完全に男性性から降りることに他ならないからだ。つまりは男性性から降りる=障害者として認める、そこから始まっているのがこの増田。
これを理解した上で読んでほしい。これすら理解せずに因果が逆だだの何だの言っているやつは、典型的マウンティングゴリラ。もちろんこの認識が歪んでるだの何だのはいくらでも言える。何を言ってるかを理解せずに、ただただお前がおかしいだの水に落ちた犬だの言ってる奴は、増田以下の昭和レベルマウンティングゴリラ。
増田に関しては、まあお金は資本主義の競争社会である以上ある程度仕方ないと思ってほしいところ。後は昭和男社会マウンティングゴリラ的な価値観の内面化を解消できれば、諦めがつくんじゃないかな。それがゲロ吐くほど辛いことであり、きついことで、それだけで死にかけることだってあり得るんだけど。
コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブや匿名掲示板等でぶっ叩かれている。
Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードでトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。
今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。
個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間の問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。
でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまうものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。
実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会や自分の生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。
先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。
もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会の人間のほとんどは衝動的で非論理的な判断をし、「失敗」するものだからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアルな100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりといったたぐいの「失敗」だ。
でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政や社会システムは存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政が運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。
また、「失敗」がある種意図的なものであったり、他の人の人権を侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。
「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。
こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素を大気に排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球の生態系がまだ大量絶滅を経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。
はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて、本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたがいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。
ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。
考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政の役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?
その「目的」は、はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。
私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政の対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。
この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離は行政の仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体、感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも「日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?
こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。
この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活の補償・保障なく自粛を「要請」されるという構造の欺瞞に気づくことができない。
愚かな我々を、救済にしろ罰則にしろ本来受け止めるかべきバッファが機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人の問題に還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。
それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。
私は持つことができない。
社会の中から「オロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者を為政者として選出し、その愚か者に扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまたリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。
ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。
それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。
その「みんな避ける」というのがどれくらいの確度なのか、どんなシチュエーションでも他人の反射的行動任せで安全な距離が保てると言えるのか。
例えばすれ違いざまに唐突に咳き込んだ時、対面で会話せざるを得ない時、呼気を他人にぶつけない自信があるのか。
そもそも回避行動を他人に丸投げする無責任さは、同じ戦略の人と遭遇してしまい感染させられた場合に怒りに変わるのではないか。
日本の教職員が元々超ブラックな職場だってことをコロッと忘れてるやつが多くてビビる。
要するにただの理想論者なんだよな。
あと4ヶ月で9月。
この短期間に、現場の教師に合計何時間の事務作業が発生すると想定してるんだ?今でさえ休校周りの対応してるんだぞ?
まあ、これから8月の終わりまで、学校が丸々休みで通常業務ゼロだったら、まだなんとかなるかもしれない。教育委員会がちゃん動けばだけど。