はてなキーワード: 気象庁とは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ダーウィン
・04 レスリング
・05 ひこにゃん
・06 [人物]ひき肉 ひきにく
・07 [すべて]アイオワ州 アイダホ州 イリノイ州 インディアナ州
・08 『怪獣8号』
・09 坂本龍一 さかもとりゅういち
・13 10億
・15 ハッブル
・16 [どれ]ホーチミン
・18 ピーター・ドラッカー
・27 [3択]1 7年
・28 しぎ(焼き
・29 ヤバイTシャツ屋さん
・30 ラトビア
・31 [角度]180(度
・34e [どちら]筋肉
俺は気象予報士試験は一般は通って専門は15問中一問分ボーダーに届かなくて落ちた経験がある人間だが、そんな人間が気象大学校の学生が教材として使ってる気象庁ホームページで公開されてるテキストの理解を試みてみたところ、さっぱり分からないという始末になった。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/expert/pdf/textbook_meso_v2.1.pdf
これの14ページ(資料下に印字されてるページ番号としては8ページ) なのだが
dVc/dt=αVsという式が成り立ってて、この式は気圧傾度力が考慮されてるとも書いてあるが、まず一体どういう力の作用の構図を想定してるのかが分からない。
左辺はただの時間変化を微分として表現したもので、右辺もまた中層風と下層風の単なる速度差だから、これが気圧傾度力が考慮されてる式だとしたら、αの一文字が気圧傾度力を表してるって自動的に解釈されるというか、それ以外に解釈の余地が見当たらない。
一方、傾度風や地衡風について立式するとき速度(ベクトル)にコリオリパラメータを掛けそれに気圧傾度力(と遠心力)を足し引きしたような方程式になるわけで、そうなる理由も予報士試験の参考書に力の作用関係の図示付きで書いてあったし理解してるつもりなのだが、だからこそなぜベクトルに「掛けてる」のが気圧傾度力でそれが速度の時間変化に等しくなるのか全くぴんと来ない。
そもそも左辺が速度の微分なのに右辺も速度の定数倍になってるのも理解が追いつかない。なぜ加速度でないのか?
Vc=aVl+bVmについて大気の密度が小さくなると速度が大きくなるのでa+b>1となるとも書いてるが速度が大きくなることからどうその不等式が成立することが導かれるのかもわからない。もっといえばなぜ密度が小さくなると速度が大きくなるのか…ときりがない。
おそらくこちらにとっては天下り式で説明が足りてないように見えるテキストも、気象大学校に入れる学生から見ればあれだけの情報から私が分からないと言った理由も十分読み取れるのだろう。
それはなんというか、少なくとも高校までの履修内容の理解の完成度が全く質的に違うことがこのような差をもたらしてるんだと思う。
たとえば逆に俺でも先に成立する理由が分からないと言った微分方程式が正しいことを前提としてなら、その下に書かれているのがそれを解いた式であることは納得できる。俺でも高校のうちに初歩的な変数分離法は身に付けてるからだが、人によっては同じ理系でも化学系の学部に入る人とかで大学入試を終えた直後の段階で大学レベルの教養数学を学んだ経験が皆無な状態だとただの変数分離で解かれた式にすらぴんと来ないってことはあるかもしれない。
そして気象大学校に入る人たちはこんなのよりもさらに奥深くまで見通しよく高校までの内容を理解してるのだろう。うまいたとえかわからないが、数学の白黄チャートしかやってこなかった人間が赤チャートを見たら同じ単元でも全く別物の内容を学んでいるんじゃないかってぐらいのものに感じるような感じだろうか。気象大学校の入学者も高校段階の知識でもはや私とは全く異なるような理解を持っているのだと思う。彼らから見れば私が分からないと言ってることは変数分離が分からないことが不思議になるぐらい当たり前のことなのだろう。
ただ5chの気象予報士試験対策スレで質問しても、独学で合格したけどここで聞くより予備校で聞いた方がいいぐらいさっぱり分からないと言われた。
気象予報士だって合格したら割と誇れる資格なのにそういう人でもさっぱり分からないって、もう気象大学校の学生は私や予報士とは住む世界が違うような頭の良さを持ってるんだと思う。
そういう人たちでやっと気象災害の対策に責任持てる仕事をする資格が持てるんだなーとある種納得と途方のない挫折感。
地震が起こると毎度同程度の地震が数週間起こる可能性があるとか同じようなこと言ってるなあろか馬鹿のしてる場合じゃなかった。
なんか二重投稿になったから消したら跡が残ってやがる。めったに書かねえから増田よく分からん。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
もちろん「俺の赤は絶対正義!」なんて思っちゃいないけどよ。
俺は社員じゃなく孫請けの弱小フリーだからさ(ブコメで大手の正社員様だと勘違いされてるのは笑った)、そもそも信頼されてねえんだ。「明らかな誤脱以外は極力入れるな」ってな。
決定権を持ってるのは大前提として、著者や編集が言いたいのは「余計な仕事を作るな」って訳だよ。
別にそいつらが傲慢な訳じゃねえ。ちょいと特殊な現場で、俺も校正者の指摘を採用するかどうかの判断を任せられたことがあるけど、ありゃあ結構精神的にクるぜ。
決断には脳のリソースが必要って話だが、それをずーーっと一日中、どっちでもいい言い回しの変更やクソどうでもいい指摘を見せられては赤字で消してると、イライライライラしてくる。
そうそう。「指摘を入れない美学」と「入れる美学」はベテランの間でも結構対立しててよ。酒の席で喧嘩になってんのを見たことがあるぜ。
俺か? 俺は……怒られなきゃどっちでもいいな。ただ、「自分はこんな細かいことに気づけたぜ」ってオナニーにはならないようにはしてえな。
この仕事はいつだって、誰のためにやってるのか分かりゃしねえ。著者の側に立つのか、読者の側に立つのか、作品の側に立つのか……人が嫌いでこの仕事を始めたのに、どうしてこんな三つ巴の中間管理職みたいなことしなきゃなんねえんだ。
指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。
そうかな。俺はアホだから、意見の否定を人間性の否定だと受け取りがちだぜ。
そうでなくたって、魂込めて書かれたものに「こうするともっと良くなりませんか?」って鉛筆入れるのは結構怖いことだし、そこは肝に銘じなきゃいけないと思う。
ただこれは、俺がその昔あるライターに「お前、その指摘本気で書いたのか?」って詰められたのをまだ引きずってるだけかもな。この文章は口が悪いが、よく吠える犬はビビってるだけなんだよ。情けない話だな。
ああそうだ、指摘はバンバンやってくれ、多けりゃ多いほど助かるって現場ももちろんあるけどな。どっちが良いって話じゃねえが、こっちの方が気はラクだ。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
それは本当に俺もそう思う。生涯勉強だよな。テニスプレイヤーの話も良かったぜ、聞かせてくれてありがとな。
俺がこの仕事に就こうとした理由のひとつに、「一生勉強せざるを得ないから」ってのがある。別に勉強が嫌いって訳じゃねえんだが、俺は怠惰な人間だから、学ばなきゃ飯が食えない状況したかったんだ。
でも結局、今も休みの日はずっと布団から起き上がれねえ。脳が腐っていく音がする。そのうち飯も食えなくなるんだろうさ。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
GoogleMapの件はたまたまだ。近くにある別の店の情報を調べてたら、前の店は調べ済みだけどどうにも食い違ってそうだぞ、って気づけただけだ。いちいち調べるほど、俺は殊勝な人間じゃない。
「こんな単価で真面目に調べしてるんじゃねえ」「時間かけていいなら良い仕事なんて誰でもできるんだ」、よく言われたよ。
増田のとこは、校正に金と人をかけられる、いいとこなんだろうな。
この仕事の質は、自分の時間と気力や、会社の金とトレードオフだ。まあ、どんな仕事でもそうなのかもしれんが、あいにく俺は校正しか知らねえ。
雨の話で思い出したが、あったじゃねえか。「小説のウン年前のその日は月が出ていたか」って指摘がネットでバズったこと。
業界入ったばかりの俺はキャッキャ喜びながら「この指摘すごいっすね!」って先輩に言ったんだよ。そしたら難しい顔されてな。先輩に言わせりゃよ、「こんなの、たまたまOKだったから美談になってるだけだ」ってさ。
もしその日が大雨だったとしたら? 新月だったら? そんな指摘を著者に入れてどうなるんだ。
「俺の世界じゃその日は月が出ているんだ」って突き返されるか、その美しい描写がまるまる消えるか。いったいこの指摘、誰が得するんだ?
増田さんアンタは、ニュースやノンフィクションの現場なのかい? だったら細かい指摘は大事だ、厳密であれば厳密であるほど良い。
俺は一応どっちもやるけど、文芸は何が地雷になるか分からん。分からん程度の腕しかないから、俺にはあんまり依頼が来ねえ。憧れの作家うんぬんは、本当にたまたまだ。
冥福と仏教信仰の話はまるで発想になかった。毎回調べることは俺にはできないが、覚えとけばいつか役に立ちそうな視点だ。ありがとう、勉強になった。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
そうだな。
別に俺もこの仕事が嫌いじゃねえ、というかこの仕事以外で食える気がしねえ。賎業とは書いたし実際本気でそう思ってるが、校正がなければ俺は野垂れ死んでる。
お互い、何とかやってこうぜ。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。
当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断を校正者は担わない、自分はそう考えながら校正の仕事をしている。
元増田の投稿をうんうんと頷きながら読んだ。でもどうしてもここだけが気になった。
この間『プロフェッショナル 仕事の流儀』の大西寿男さんの回で、「(校正は)報われない仕事だ」と嘆くのを観た。正直、そう思う。
良いフィードバックなんてまずもらえない。間違いがあったときだけ一斉送信での連絡が届く。
指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。
筆者や編集者にそう認識されていると感じることは少ないけれど、校正者も「良いものをつくりたい」という同じ目標を心にもっている。
先輩校正者から、校正段階の記事で、あるテニスプレイヤーの写真が反転していたことがあった、という話を聞いたことがある。
もともとその選手が左利きだという知識があって、写真を見て校正時に気がついたそうだ。
今ではスマートフォンの写真は左右反転になることも多いし、そんなことどうだっていいじゃないかと感じる人もいると思う。
それでも写真の反転は基本的には禁忌とされることだ。自分はその話を聞いたとき、夢のある仕事だ!と本当に感動した。
校正・校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。
わからないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。
公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田は絶対に良い校正者だ。
自分もYouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁のHPで調べたりしてる。
「冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教を信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……
まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。
とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正の仕事がこの世界にずっとあるといいな。
気象庁の発表する「気温」って昔は百葉箱の中の温度って言われてたけど、
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq11.html
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/chijyou/surf.html
南向き/北向き情報付き空調無しで、戸建ての部屋の中の温度とか、
同集合住宅の中の温度とかそういうの発表してもらえないもんかね?
東京、暑過ぎる。
「昔はこんなに暑くなかった」というがここで1995年の気温を見てみましょう「32度で猛暑」「エアコンを使わなくても生きていけた」 - Togetter
この記事が思いのほか盛り上がったわけだけど。
東京都民が「昔はこんなに暑くなかった」と感じてる体験そのものは事実だとしても、その原因は2つある。
で、日本各地の10年ごとの7-8月の最高気温の日数の分布を示したヒートマップがこちら。場所は地理的特性を考慮して適当に選んだ。文字が細かくてすまん。
https://f.hatena.ne.jp/Knoa/20230718212550
地球全体の長期的な温暖化は確かにあるんだけど、日本人が「昔はこんなに暑くなかった」と感じる気持ちの多くは、ヒートアイランドに起因する部分のほうが大きいんじゃないかな?
熱波と噂のヨーロッパとかでも分析してみたらおもしろいかもしれないね。
◆
この時期になるとずっと気象庁の気温ランキングを眺めて「今日も暑いなー」って見てるんだが
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/rank_daily/data00.html
このページの「観測値」が昔からずっとバグっててめっちゃ気になってる
「35.9 ]」っていう感じで、「]」が入ってる
もうバグの原因はほぼほぼ目に見えてて、ここはJSONで「 [ 34.0, 34.5, 35.0, 35.9 ]」っていう値が入ってて
それをJSON.parseするんじゃなくてsplit()とか使ってしかもlength-1とかで最新値を取ってる
なので後ろの括弧がそのまま入ってしまってる
こんなのめちゃくちゃわかりやすいバグだし、多分気象庁側も把握してるんだろうけど
多分発注しないとダメとかテストが必要だとかでずっと放置されてる
そもそも「警報が2つなら休み」とか「台風が向かってきてたら」とかの判断って適当だな、という気がする
暴風警報なのに通学させるとかありえるんかな
こういうのを気象に関しては素人の学校教員が判断するんじゃなく
大阪の謎ルールの一つとして「大雨警報では休校にならない」というのがある
洪水警報、暴風警報の場合は休校になるが大雨警報では休校にならない
例えばこれが波浪警報なら分かる
船で通学している人がいない限りは波浪警報は関係ないので休校にしなくてよい
理由として、「河川の氾濫や暴風の場合は危険」という規定があり、それに照らし合わせると大雨というのは特に危険がない、という認識らしい
昔、テレビで街頭インタビューなどでアンケートしていたことがあるのだが
「大雨でも通学はできるでしょ」
という声が意外に多かったことを覚えている
「大雨警報でも通学できる」
と考えているのだと思う
はてなーは維新が嫌いだが、これは維新がどうこうではなく昔からそうなっているのである
では「大雨警報」はどういう状況なのかと言うと気象庁として下記のように規定してある
大雨警報は、大雨による重大な土砂災害や浸水害が発生するおそれがあると予想したときに発表します。特に警戒すべき事項を標題に明示して「大雨警報(土砂災害)」、「大雨警報(浸水害)」又は「大雨警報(土砂災害、浸水害)」のように発表します。雨が止んでも重大な土砂災害等のおそれが残っている場合には発表を継続します。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/warning_kind.html
つまり、大雨警報が出ている状況では土砂災害と浸水害が発生する可能性が高い
土砂災害があれば当然ながら通学中の児童・生徒の生命に危険が生じる可能性があるだろう
また浸水害があれば地下道などで同様に生命に危険が生じる可能性がある
浸水していて段差に気付かず転倒する、などいくらでも危険な状況は考えられる
「通学できるから行ってこい」
と通学させているのだ
大雨(程度)だったら通学できるだろう、という風に
ちなみに誤解されやすいのなら名前を変えればいいじゃないか、という人がいるかもしれないが、気象庁では上記の用に既に「大雨(土砂災害)」「大雨(浸水害)」という名前に変更しているし、テレビでもそう報道している
猛烈な雨(80mm以上):息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる
法解釈の例
第17条:気象庁以外の者が気象(中略)の予報をの業務(以下「予報業務」という。)を行おうとする場合は、気象庁長官の許可を受けなければならない。
→うん
第19条の3:第17の規定のにより許可を受けた者は、当該予報業務のうち現象の予想については、気象予報士に行わせなければならない
→つまり民間企業事業者とかがする(使用する)予報の予想の部分は例外なく予報士がしたものじゃなきゃダメなのね
第58回学科一般問12(c):リゾート会社との契約によりスキー場の運営に用いる気象の予報を提供する業務について許可を受けている者が、予報業務の目的を変更して新たに一般向けの気象庁の予報をインターネットで提供する業務を始めようとする場合は、気象庁長官の認可を受けなければならない(正)
→つまり「気象庁の予報」を提供することが予報業務の目的の変更にあたるということのなる。それはつまり、気象庁の予報の提供が第17条に該当する予報業務だということになる。
(もしそうでなければ、問題文は目的の変更ではなく第22条に基づく予報業務の休廃止になるはずだ)
→つまり、提供にする「気象庁の予報」も、第17条に基づき予報士が行ったものでなければならないことになる。
言ってる意味が全くわからない。特に民間等で予報士に予報させるのは予報業務許可事業者だろ
例えばウェザーニュースライブで予報士に予報させてるのは予報業務許可事業者であるウェザーニューズになる
1問正解に過ぎない問題の解釈が他人と違うならその問題は自分の解釈でやって違うなら抗議するかネットでキャンペーンでも張ったらいいのでは?
↑予報資料は予報士がしたものを使わなけならないのかという論点が全然見えてない
気象庁の発表をインターネットで伝えるのに認可が必要なんですか?
じゃあテレビ局が気象庁の発表文を放送で流したり、事後にwebに見逃し配信するのも認可いる?
(煽るつもりはなく、率直な疑問)
↑うん。だからさ、どこがどう勝手なのか、逐条的に「お前の推論はこの部分でこの条文のこの記述に矛盾してる」という形できっちり示してみせてよ。できないからそんなふわふわしたレスしかしてこないんだろ?
https://harenote.com/58rd-test-general/4
↑じゃあこれ誤植?
もっともそれでも一つ片付いただけで予報士の欠員への対処に関する解釈はいまだ謎
まあ0人はだめと言うのを丸暗記で問題には正解できるんだろうがその先の話として無自覚でも違法なことはしたくないからなあ
そもそも気象庁以外の者は業務上の予想を予報士に「行わせなければならない」っていわれても気象庁の職員と民間事業者で指揮系統つながってるわけないのにどうやって「させる」んだろうね?
たとえばその日たまたま自社所属の予報士の調子が全員悪くてまともに予想ができてないという場合、友人の事業者から誼で無料で業務に使えと気象の予想をもらった場合、これに基づく予報をするのは違法にあたるのかね?
指揮系統がないという点では気象庁の場合と同じだけど。「させようがない」場合は条文の適用外だとするなら、こういう場合も違法じゃないことにならないと整合性が取れないような気がする。