はてなキーワード: 東出昌大とは
凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…
みたいな。
中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマを理解してなかった。
なんか変態的でショッキングな作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。
まあ青春の当事者は青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。
若さを大事にしろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。
何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。
でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。
読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。
この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。
もちろんその結論が大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。
それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。
スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期の自意識というテーマからちょっとズレる。
普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活や凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?
美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間の自己弁護だが?
でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にないから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?
つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。
そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。
ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。
まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。
ただ、中年の危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。
ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?
今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。
フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイサヨナラと決別できるものではないっぽい。
押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。
これは邪推だけど、思春期の延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。
何かしらの納得という重しもなく雰囲気でふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。
まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。
例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。
これはジュブナイル作品の主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生のリアリティがありましたと。
あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。
私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズに愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。
そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。
それが社会性ってもんなので。
なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。
ラストシーン、映画部の底辺オタクな神木隆之介とイケてるグループの東出昌大の会話がとても良かった。
8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有の早口で嬉しそうに説明する神木。
カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木。
予算も撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画。
きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。
フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。
「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。
素敵な作品だなと思いました。
言ったら自己満足の趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。
それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。
思春期の自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。
あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。
でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。
だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。
古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。
でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。
ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいね。クソムシでなく。
まあホントは今でも全然草野マサムネや志村正彦みたいに思春期のイノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~
某事務所タレントがドアップで叫んだり大根役者がボソボソ喋るブロッコリー映画では世界の覇権はほぼ絶対到底ムリ!
侍が生きた時代の旧き日本の原風景+いぶし銀の時代劇役者にしか出せない雰囲気。
とにかくチャンバラシーンをCGフル活用してアニメ顔負けの演出とかにしてド派手にする(お姉ちゃんは出さなくていい)。
定番フォーマットの勧善懲悪から一捻りして陰のありつつも憎めない業を背負う悪役を出す(鬼滅のパクりね)。
主人公はもちろん転生したことにする。転生元はカリフォルニアのヴィーガン。山火事で焼け死んだと思ったが目を開けたら江戸の町娘に看病されている。
海外でウケるために禅の思想みたいのをそこかしこに取り入れる(公式ヨガマット発売)。
どや!
(追記)
やっぱ握りてーよな。覇権!。
ラストサムライやゴーストオブツシマみたいに海外制作のほうがってブコメがあるけど、いやいやそれハリウッド映画やん!!
ハリウッド映画が圧倒的なスタッフ層と莫大な予算にモノをいわせればそこそこのレベルになるのは約束されてるんだからそれで勝っても当たり前ってもんでしょ。
そんなんで得た勝利じゃ、ぜんぜん握ってないよ!握ったことになんないなんない(覇権)。
まあ、そんないうてもワイが握ることになったら(メガホン📢)、NEVADAに広大なセットを組んでみたいなのはやるかもしれん。金出してくれるかな?イーロン。
主演はもう決まってんのよ。はてなーも満場一致で納得のあの俳優。まあわかると思うけど。
そう、
鈴木亮平。
まず主人公の中身はカリフォルニアのヴィーガンだから英語ペラができることは絶対条件。そして演技がバチュギュンにウメェことが絶対条件(2回目)。
ベイエリアと江戸とのギャップに揺れ動く主人公の内面を深く描き切る必要があるからね。
亮平ならワイがいちいち五月蠅くしなくてもやってくれるでしょ。まあそこは心配してない。
そして陰のありつつ深き業を背負いし憎めないライバルなんだけど、これは悩むところじゃん?
まあこれはね、普通に考えて。
山田孝之。
とか、思うやん?
ぶっぶー!ですわ!!
そこはさ、やっぱホラ、
東出昌大。
あり得そうやん?
ちょっと業が深すぎたね。
いやー悩むわ。
今度こそ本当に発表するで?
いくぞ?
小松菜奈!
うん。
そうなんだわ。
ここで女性を投入というね!
菜奈の演技力、スタイル、眼力、どこをどう見ても陰のありつつ深き業を背負いし憎めない美しく悲しき業を深く背負った剣豪の魂を宿すにふさわしい器だと確信したね(会ったこと無いけど)。
記事の冒頭で引用した田丸昇九段のブログのほかに、野月浩貴八段と藤森哲也五段も言及している。いずれも対局に命をすり減らす生き様を肯定的に捉えているので、棋士の間では人気の(?)豆知識になっているとも言える。(将棋界にとって「耳の痛い話」ではないのかもしれない)
ギズモのつれづれ将棋ブログ ドキュメント電王戦 その時、人は何を考えたのか <前編> (2013年)
野月「(プロ棋士は)ステージをより上げないといけないと考えています。(中略) 実際に、現代でも棋士の寿命は、平均寿命と比べると、圧倒的に短いんですよ。そう考えれば、もっと自分を律し、負けたらすべてを失う覚悟で対局しないと。」
東出昌大さん、藤森哲也四段を自宅に招いて将棋。杏さんも一緒にいてたまに指す | 将棋ワンストップ・ニュース (2016年)
双子ベビーカーのバス乗車拒否で話題になってた大山加奈っててっきりシンママかと思っていたら
それなら夫婦で一人ずつ面倒みればよくない?なんで一人で双子を連れ歩くんだろうか?
東出昌大と別れてからの杏なんかは双子に加えて三人目を一人で子育てしていて大変だなーと思うけどさ
普通に夫婦揃ってる二人親家庭で双子の子育てって別に普通じゃない?
この人以外でも、日本社会はベビーカーや子連れに冷たいと騒ぐ人達って、自分が見た限りだと大体みんな夫婦揃ってる家庭ばっかりなんだよね
シンママやシンパパだったら確かに子育ては大変だろうなーと思うけどさ
夫婦二人いるなら協力しあってどうにでもなるじゃん
https://news.yahoo.co.jp/articles/59ce23cedf6178151dc714f8d4efa02e10e409b2
東出昌大、3人の子供の養育費は「1人あたり月1万円」 杏も大ショック
コメント欄では
いや待てよ。
養育費は子供のためのお金であって、離婚の原因がなんであろうと、育てる側に支払うものだ。
仕事干された上にコロナ禍でフリーター並みの収入しかない男になんで金をもらおうとする?
これ男女逆だったら絶対こんなことにならんよ。
たとえば年収1000万の夫がいる専業主婦が不倫して離婚、親権は夫側がもつことになったケース。
まず女は養育費を払わない。が、世間的にはそれでも何の問題にならない。
「女」だから。「男」の方が稼いでるから。親権を手放したから。
みたいなことを言い訳にまかり通る。
東出は不倫した。
だがその報いは受けたはずだ。
世間から猛烈に叩かれ、仕事も失って、家も子供も失った。違約金4億の借金もある。
それで十分だろ。
少ない年収から少なくない養育費を払おうというのに、(年収200万で月3万養育費払うのは地獄)なおそれでも少ないと叩かれる。
それが「男の甲斐性」か?
ふざけるよほんと。
週末のテレビやラジオでも芸能人の厳しいコメントが相次ぎ、司会者も当人を犯罪者のように扱う。
そりゃ毎日顔合わせれば異性として見れなくなっていくのは普通のことでしょ。家族になっていくんだから、
たまには他の異性を見ていいなって思うでしょう。
おかしな事言ってるかな?
もっと寛容になってほしい。結婚したら一生、1人の相手のことだけを考えて生きていかないと叩かれる。
特に顔が広い人は大変だ。
だって別れるんだよ?一生の愛を誓いあったのに。
見ず知らずの炎上した人に、そうやって見えないところからコソコソ石を投げて、冷や水ぶっかけて喜んでいるんだ。そっちのがよっぽど卑怯で汚いと思うけどね。
自分のことに集中してればいいじゃない。
下品だよ。
だよね。常識的に考えて。
楽太郎はあくまで落語家なので、顧客(ファン層)はおっさんが多いし、割とクズエピソードも結構ある業界なので人となりよりも芸事が重視されるような文化だから、
顧客もそれは受け入れているから癇に障る方はそう多くは無かったわけで。(類義語:桂文枝)
対して、渡部さんの活躍となると、ここ10年で王様のブランチ、ヒルナンデス、相場マナブみたいなどいわゆるF層をターゲットにした露出があまりにも目立つようになった上に、
有名人と結婚して仲良し夫婦アピールまでする営業なんかしてたもんだから、そら顧客に対しての裏切りは楽太郎のそれとは全然違うよね、と。(類義語:東出昌大)
まだF層狙いなんかせずに黙々とコントやり続けたり、有吉にイジられ続けてキレるだけの芸人的な活動だったら傷は浅かっただろうに。
特にコントなんかはアンジャッシュっていうジャンルが確立されつつあるくらいの完成度の高いレベルにあった訳だからまあ勿体ない。
割と常連だった笑点もこれで出られなくなるのかな。笑点に出てるアンジャッシュ結構好きだったんだけどな。
ちなみに毛色がちょっと違うけどナイナイ岡村はスキャンダルで、チコちゃんに釣られたF層には激しく嫌われたと思われるが、
騒動の発端となったラジオ自体が岡村の陰キャっぷりに共感して20年も応援し続けた陰キャ男子のたまり場だった上に
まず
俺は30過ぎの男。嫁あり子なし。セックスレスは1年くらい。600万くらい。
どうしようもないから、聞いてくれ。2年前くらいに同僚が気になりはじめた。はじめは気にかけている、くらいだった。ちょっと気になるなぁって。いずれは気にならなくなるだろうとたかを括っていた。恋愛みたいな気持ちは、一時的なものだろうと。
甘かった。
2年くらいたった今でも、ずっと胸に残ってちくちくしている。少し前からカウンセリングも受けはじめた。誰にも相談できない。上京をしてきたから、仕事関係の人間関係しかない。プロに相談するしかない。カウンセラーは、丁寧にその気持ちを確認していこうとアドバイスをしてくれた。そうやっていこうと思っていた。
それでも、日頃から考えているのは同僚のことで、妻のことではない。あまりに不誠実だし、こんな自分には耐えられないから離婚も考えている。しかし、妻は精神的に不安定なところがある。新しく仕事をはじめて、頑張っている。応援をしたいという気持ちはある。仕事が軌道にのるまで、1年くらいは離婚できないなとも思っている。
3月くらいに「1年後に離婚をしよう」と自分で期限を設定してみた。
そのうちに、自分の気持ちが良い方に変わってくれれば、と淡い期待を残している。
先日、好きな同僚が、別の同僚(男)と帰るのをみてしまった。
この土日は天気も悪く、落ち込みやすさもあったが、併せてしんどすぎる。
妻にも申し訳なさすぎる。
週明けたら、好きな同僚にこの気持ちの相談を持ちかけようかと思っている。話して、キッパリ拒否してもらえたら楽になる。
おそらく、俺は好きな同僚と付き合いたいわけでもない。むしろ、幸せになって欲しいと思っている。迷惑を掛けたくないと思っている。相談というか告白的なことが迷惑を掛けてしまうこともわかっている。
でも、この気持ちはどうしようもない。
話すことや、書くことは終わりに向かうために必要な手順だ。
いずれにせよ、妻に対しては不誠実だ。
東出昌大が不倫の時に、はっきり妻を好きと言わなかったことはとても印象的だ。自分の気持ちに嘘をつくことは、同時に相手を傷つける可能性を高く孕んでいる。
30もすぎて、こんな胸が締め付けられるような気持ちになるなんてこれまでよっぽどイージーな恋愛しかしてこなかったんだと、ふりかえってしまう。
文字にしてみたら少し楽になった気がする。
今回も岡村がやらかしたせいで、なんかこの台詞聞く事が多くなった。
ボーっと生きてる岡村を擁護する気は一切無いのだが、この論理はどうしても好けない。
例えば「岡村の属性」でクズを語るなら、「男」でも「芸人」でも「日本人」でも何でもいいはずだ。
わざわざその中から一つの属性をピックアップする、具体的な説明がない。
では試しに「男って皆クズ」と言ってみよう、すると善良な男性や、善良な男性を知る女性から必ず反論が来る。
そもそも志村けんを最近好き放題ageた口で言うのはやはりおかしい。志村けんも独身のはずだ。
という疑問。
素敵な奥さん、可愛い不倫相手、女運は劇的に良い。でも特大のクズだった。
要は①と内容は同じになるけど、既婚者にもクズはいるし、独身のクズもいる。
身の回りでも成人式の時点でもう結婚してたDQNとか、良い奴なのに結婚運がまるでない人、いません?
結婚してるかどうかは関係ない、そいつがクズであって、そうじゃないだけでは?
発言者の大まかな分類
〇〇歳になっても結婚できない奴は、コミュ力がないか、あるいは最後の一押しの所で陰キャだからです。
芸能人みたいに一見陽だったり、遊んでたりはするのに出来ない人も、最後の最後で「ちょっと……」と一旦引いてしまう恋愛陰キャだからです。
あ、「できない奴」の話であって「選択的にしない事にしてる奴」はまた違うけど。
報道されている内容は、不倫があったという事実を裏付けるのに証拠不十分ではないのか、という投稿です。
今件に対して報道された内容は、主に以下の通りです。
基本的にこの投稿内では、画像の存在するものを、証拠として取り上げて考察します。
東出・唐田が共演していた映画「寝ても覚めても」の収録内で撮影されていたものとのこと。
唐田は撮影中、オフショット撮影をフィルムカメラで行っていました。のちにそのオフショットは、映画の企画として写真展が行われました。今回文春がリークした写真は写真展の中では利用されていませんでしたが、撮影後仲間内に配ったものであるという報道からも、先述の写真展向けに撮られたスナップの内の一枚であることが考えられます。
背後の空き缶などの本数、また、撮影構図から見ても、二人きりの状態ではないと考えられます。
唐田のインスタグラム上で、ベッドの上でくつろぐなどプライベートな様子の東出の写真が公開されていました。
これも一部で匂わせなどと報じられていたようですが、これは映画の企画として行われた写真展内でも展示されたものです。
https://natalie.mu/eiga/news/296224
ちなみに映画の原作小説内で、唐田演じたヒロインは、写真が趣味という設定がありました。映画内ではその設定は採用されませんでしたが、唐田演じたヒロインが美術館に写真展を見に行く場面があるなど、「写真」は作品そのものに関わる小道具でもありました。
これをプライベートな「匂わせ」であるとは言い切るのはナンセンスです。
声明は、報道された内容はほぼ事実であると、認めるものでした。
ですが私はこれに対し、いわゆる「強要された自白」程度の証拠能力であると考えています。
なぜならば、この状況下で報道内容を否定したほうが印象や状況は悪化します。両事務所からの声明は、この時点での最善の振舞いとして選ばれたものでしょう。
よって、不倫関係が存在したことを裏付けるには、証拠能力不十分です。
唐田から東出に対する好意は感じられる投稿でしたが、具体的にどういった関係であるかを示す内容はありませんでした。
また、2ショットすら公開されていません。
あくまでも大学時代の写真・エピソードであり、今現在の状況を直接証拠づけるものではありません。
具体的に何をどうしたのかという自白はありませんでした。
主に題材として取り上げられていたのは以下3点。
それ以外での新規取材や新規内容は殆どなかったように記憶しています。
1年半以上前からネット上に公開されていた内容に対して今更であり、内容はどれも憶測レベルのコメントでした。
唐田のインスタグラムについては、先述の写真展の件もあり、完全にプライベートなものであると扱うのは不自然です。
自称関係者は殆ど名や立場も明かされておらず、証拠写真の一つも添えられていません。
そもそも東出側関係者からの、唐田との関係を示すような内容は、殆ど見かけられませんでした。
東出の翌週に文春が掴んだ鈴木杏樹の件は、2ショット現場が二度に渡って押さえられており、ラブホテルに入っていく写真もありました。
一方で東出の件では、上記のとおり、文春以外のメディアは碌に取材もしておらず、文春であっても、はっきりと裏付けるような証拠を出していません。