はてなキーワード: 大坂とは
それって実質的に国際大会(全選手権大会とでもいうべき?)での後進国締め出しになりそうだけど、それは良いの?
つまりスポーツ内で国籍を無視しても、国(システム)としての国籍が無くなるわけではないだろ。(もしそれまで無くせと言う論ならもっと大規模な議論になるけど…)
そうして出場要件に国籍を無くした場合、皆同じ競技場のスコアという所で出場に足切がかかるだろう。
その中で当然後進国はほとんど出ることが出来ない。なぜなら十分な施設やコーチがそろっていないため、能力(技術)が育たないから。
要はオリンピックの特別出場枠みたいなのは全部廃止だ。国籍がないから、枠を作れないから。
そうなると、興味を持つ人は減って、競技者が増えない、だから施設が作られない、みたいなループがもっと強化されることになるだろうな。
日清食品とテニスの王子様のコラボCMが炎上していて、日清食品のサイトからCMが削除されたらしい。
私個人的には、これを炎上させた側の「偽善」がどうしても解せない。
炎上した理由は、CMに登場した大坂なおみ選手の顔の色が白く描かれていたからである。
そもそも、今まで大坂なおみ選手の人種的なルーツについての言及や、それに対する批判は多くあった。
「彼女は日本人なのだろうか」という問いかけに対して、「肌の色は関係ない。彼女という個人だけを見るべきだ」という批判がそのパターン。
そう、「肌の色は関係ない」のである。私個人的にも、それには賛同する。
ならば日清食品のCMに出てきた大坂選手の肌の色が何色であろうが、「肌の色は関係ない、彼女は彼女だ」という姿勢を貫くべきではないのか。
逆にあのCMを炎上させる側こそ、大坂選手の肌の色に人一倍こだわっていないだろうか。
批判する根拠として、米国のメディアで行われている、黒人を白人のように描く「ホワイトウォッシュ」の手法だというのが批判する側の持論。
https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。
ねとらぼの本キャンペーン記事のブクマでオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシーが舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄がひとつもない完成品。
他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫が天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。
父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたりの少年はどう生き抜くのか。
ブコメでオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。
ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場のキャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どものときに出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。
北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者と情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?
これもブコメから。ホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。
これもブコメより。手塚治虫の自伝的な作品を集めた短編集。悲惨な戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。
特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年はオペラ歌手を目指す美少女と出会う。
戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎も終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿な戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨なものとされているように思う。
そしてラストが特に辛い。仮に――戦争で手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本の漫画界はどうなっていたであろうか。
悲惨な戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。
人類が退化し、代わりに鳥類が惑星の支配者になった世界を描く。その新たな世界で鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンスは鳥人の家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。
短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。
ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンス(ブラック・バード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。
とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。
時は幕末。世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎と女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたりは腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件がきっかけで出世街道を上り、一方の良庵は大坂の適塾を経て江戸の種痘所開設に尽力する。ふたりの青年と、日本の未来はいかに。
うーん、感想の言いにくい作品。面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎を主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。
人生に思い残しがある者は死に場所でしか生きた証を残せない、という話はあって、彼女(名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。
お気に入りのキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。
2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから。火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)
全体的な感想を言えば、俺がおっさんだからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。
大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。
短編のイチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。
今回よんだ中で一番好きなのは『新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。
一番好きなキャラクターは『リボンの騎士』からヘケート。容姿、性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹』からお品さん。
それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。
イコールって言ってもセリーナがトランプの支配するアメリカの象徴って意味ね。
岡田光世 「トランプのアメリカ」で暮らす人たち 全米テニス決勝で吹き出した政治的分断
https://news.infoseek.co.jp/article/20180916jcast20182338771/
反トランプ派
この一連の騒動について反トランプ派は、 「どんな手段を使っても勝ちたいというセリーナは、大統領選の時のトランプと同じだ」、
「気に入らなければ、相手を激しくたたく。まるでトランプだ」、
「セリーナも観客も、同じアメリカ人として恥ずかしい。アメリカ・ファースト。アメリカ人以外の選手には敬意も払わないのか。観客は親トランプ派に違いない」、
親トランプ派
一方で親トランプ派は、まったく逆の捉え方をしている。
米国の政治や社会を紹介するウエブサイト「スペクテーターUSA」には、
「泣き言を言うセリーナ・ウィリアムズはテニス界のヒラリー・クリントンだ(Whining Serena Williams is tennis's Hillary Clinton)」との見出しで論評が掲載された。
「思うように試合が運ばないと審判に怒りを爆発させるセリーナは、2016年大統領選で自らの敗北をさまざまな不正と他人のせいにしたヒラリーと同じだ」と指摘した。
親トランプ派の捉え方は割と珍しい解釈ではなく、オーストラリアの諷刺画はもちろん、
リベラルな立場の人が多いはてぶでも似たような「セリーナ・ウィリアムズ=ポリコレの象徴」解釈だった。
ウィリアムズは暴言、権力に訴えて無理矢理自分の意見を通そうとするナショナリスト。
この解釈に基づくなら、アメリカの反トランプ派にとっては大坂なおみこそが真のポリティカル・コレクトネスの大権現なのか?
てっきり女性差別や人種差別と闘う母であるウィリアムズを下した時点で、
大坂を応援する側がジャパニーズ・ナショナリスト認定されているのかと思っていた。
複雑すぎて良く分からなくなってきたよ?
大坂なおみさんのシャイで謙虚な性格を見てアメリカの人たちの多くがカワイイと言っている。
そして、今まで日本人は謙虚でシャイだからダメなんだというような主張で日本人を批判していたの人たちの一部には、大坂さんのことを性格含めて絶賛している人がいる。
?
やや強引な結論になってしまったことは否めないが、現実というのはテニスラケットの網の目のように絡み合っているということだ。
言い換えれば、現実というのはラケットの網の目のように整然と編み込まれているわけではないということだ。
ムムッ!
では私はトイレットペーパーから綿棒を紡ぎ出す作業がまだ残っており多忙を極めるのでこれにて失礼する。
なお、米国在住の方や旅行・出張等で滞在している方は、フローレンスの被害にくれぐれも気をつけるように!
駒崎ではない!
ではさらばだ!またお会いしよう!
フハハハハハ
?
大坂が日本語喋れないから、なんか日本人って感じしなくて、特に応援とかしてなかったけど、(別に叩いたりもしてないが)
アメリカではスペイン語話者が増えてるとか話あるし、移民が多い地域とかって言語ってあんまり重要視されてないかもしれない。
言語ってどれくらい同じ国の人としての感覚に寄与しているんかな。
ねこひろしの件はクソだと思うので
よー分からんけど、モニタの種類とか本人の認識によって見えている色に違いがあって
本当に白人審判と大坂の肌色が同じように見えている人もいるであろう、ってこと?
「あのドレス」みたいに。
知ってたら長々とごめんだけど、色には色相、明度、彩度の三つの要素がある。
白人審判の肌は、色相は赤みがかっていて明度と彩度が高めの色で、
大坂なおみの肌は黄色がかっていて明度と彩度が低め(白人の絵に比べてね)の色を使ってる。
そうやって肌の色の違いを表現してるんだけど、このイラストは有色系でもベースの肌の明度と彩度がそこまで低くないわけ。
加えて、赤というのは暗く認識される色でもある。黄色と比べると特に。
(イラストでは影色を赤に寄せるだけで彩度はあまり下げず、絵が暗くならないようにするテクニックもある)
だから、明度と彩度を少し下げた黄色(大坂)と、明度と彩度を下げてない赤(白人)が、人によってはあまり差がない印象になるわけ。
また、大坂が画面端にいるのも影響する。
視界の端に行くほど色の認識は薄くなるし、明度も彩度も下がるので脳が明るく補正しがちなのよ。
だから隣の白人審判の色が補正基準になって、画面端の大坂もそれに引きずられた印象になり得る。
これは大きな画面で見るほど勘違いも増えそう。
あとは「差別的」というキーワードを事前に与えられるので、上記との合わせ技で大坂なおみを白人の絵だと認識する人が出てくる、という理屈。
ぶっちゃけ色の表現では絶対避けられない類の、まあよくある勘違いです。
あ、あと大坂の体型が細いのや髪型がストレートっぽいのは意見が分かれるかな。
個人的には加害者セレーナをデカく、被害者大坂を華奢にって程度のニュアンスだと思ったけれど、それを別の意味にとる人もいるかも知れない。
セレーナの絵については微妙。
暴力的だったり短絡的で感情的な人をゴリラとか猿とかチンパンジーとか言ったりするけど、発言者が白人で相手が黒人だと、余計な意味を見出すことも可能だし。
難しいところ。
political correctnessを全面に押し出して日本を非難する報道は知らない(偏見に基づいた日本批判なら知ってる)。この問題を日米代理戦争の道具にしようとしてるのが気分悪いし、大坂の立場考えてもそれはないって思う。
外国由来の思想だとしても日本で主張するのは自由だろ、外国由来の思想は議会制民主主義も何もかも捨てて封建制に戻りたいのかな
(3)そもそも自分はポリコレなんて一言も言ってないからな、藁人形叩き。本心を言うならポリコレの人の正義の棍棒で囲んで叩けな雰囲気も大嫌いなんだが、自分がそれを表明しない権利もある(「アホなポリコレ集団を叩く」さらに大きな囲みにも加わらない)ということを主張している。
普段テニス見てる奴はいい。それ以外は偉大なる日本人に失礼な言動をしたって愛国主義で勝手に自分たちの問題にして怒ってるだけだろう。
ほかのマナーの悪いテニスプレイヤーは批判しないくせに。だったらセリーナを批判しないのも個人の自由だろうが。
だいたい日本人の「悪いことをした人はその場の全員で囲んで叱ってあげよう、それが優しさだ」みたいな発想がおかしいんだよ。マナーやモラルがよくない人間を見ても批判したくなければ批判しない自由が人にはあるんだよ。悪を非難するのは正当だよ。それで正義感に酔うのも自由だ。でもそれに飽き足らず悪を批判しない奴も悪だ、そいつらも非難するぞとやり始めたら明らかにやりすぎなんだよ。
ブーイングは明らかなマナー違反だったと思うよ。でも観客にはセリーナのファンが大量にいるんだよ。大坂自信もそう発言してるし。だったら皆でセリーナを非難しようみたいな流れは強制すべきじゃないだろう。
セリーナが開き直って、ついでにファンやフェミニストが「男子選手ならこんな反則とられないのにずるい」って言ってるのも放っておけよ。この点については議論の余地もあると思う。ルールの運用面での不平等があるかないかという問題だからだ。ルールの条文は絶対だというのは、もしサッカー日本代表に韓国人審判があらゆる細かいファールをとりまくってカード乱発するみたいな事態が起きたときに文句なしに納得できる奴だけが言っていいことだ。