はてなキーワード: 健康診断とは
HSP だけどまず先に、
医学用語ではないので HSP とか全然気にしなくていいし簡易診断を判断材料にしてはいけない。ネットで病気について調べるのは止めた方がいい。ちょっと調べたくらいで把握できる類型ではないし、そもそも精神的な症状と診断するには「身体に異常が無いのに」が前提となる。
なんか気になったらすぐ病院。抵抗があれば、健康診断の医師による診察の際に質問してみよう。普段は行っていないのに行くのは難しいと思うので、半年に一回くらい、自費で血液検査とかすると良いかも。健康診断より丁寧に解説してもらえるし、自分の状態を継続して診ている人がいるのは大事。
前置き長くなった割に本題は主観で申し訳ない。感情を大きく動かすのってストレスがかかるので、防御機構としてのブレーキがうまく働いているのでは。別のストレス処理を身につける時だと思う。
ストレス解消ってアクティブな人による言説が多くて、調べて見つかるものって参考にならないよね。没頭する系がいいと思う。編み物とかプラモとか電子工作とか。
その上で自分の場合は、感情が大きく動いた後で落ち着く訓練をしているうちに、どんなに深く悲しんでも戻って来られるという自信がついて、また泣けるようになったよ。趣味は身につけたけれどやっぱり泣くの気持ちいいし、今まで泣いて処理していたから泣けると安心するんだよね。コントロールできるものだと思っていれば仕事中には感情への影響が抑えられるし。
どちらも身に付くまでに時間がかかるので、なんかつらいかもと思ったら、まずはあたたかい飲み物をのんでね。出先でも手に入りやすいし。落ち着いた状態への条件付けにもなるし。あと感情が動くと単純に冷える、というか冷えていたことに気付くし。
食の栄養素の面から見ると、副菜含めて複数のメニューがある状態にした方がいいと思う。
たぶん、あなたのおうちは子どもはおらず、夫婦2人ともまだ若く、健康診断結果も良好なのでは?そういう感じだと、毎食のこだわりとか、栄養バランスを考える必要性がないから、ワンプレート、ワンメニューでいいや、という考え方でも成立する(してしまう)。
しかし、それはずっとは続かない。先のことを見越すと、栄養バランスを考慮しやすい副菜含めたメニュー構成が望ましい、に行き着くと思う。
そんな感じで、夫婦間で話し合えると良いと思う。うちも同様の状態があったが、結局は「色んな味が楽しめる、かつ栄養を考慮しやすい、苦手なメニューを避けることもできる」等のメリットで、複数メニュー制が採用される運びとなった。
(性加害の話を含みます)
兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在でしかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。
小さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画やCDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。
ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学を留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。
もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分の洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館で時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラでバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。
大学を卒業し、社会人になり、私は自分の人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい。物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。
兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家をバリアフリーに改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。
電車で20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性が20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分は看護や介護の知識がないからその類の行為はプロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかわからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。
兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ、引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪のニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもりの中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。
クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通に仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通の有給をとることにした。1日だけ。
兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通にコミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。
それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分の人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分の心のケアを第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。
補足)
これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族の問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人に相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護の情報にアクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関や支援があります。あなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます。
来週健康診断。
転職したばかりで驚いたけど、
検診センターに行かなくても、職場で健康診断が受けられるらしい!!
それはすごい!!!
さらに驚いたのが、
私は、これまでバリウム検査してきたから、なんとも思ってなかったけど
「1回やったけど、無理。」「最悪」「地獄」
ぐるぐるまわったり、逆さにされたり、
そりゃ、私も地獄だと思うけど、
よだれめっちゃ出る。
我慢してって言われたゲップもいっぱい出る。
「被ばくする」
するの??するの??
放射線量そんなに?
「ふつーのレントゲンでもヤバイのに、バリウム検査だとずっと放射線当たってるから!」って。
そんな事考えた事なかった。
え?そうなの?
交互にやるといいって聞いた。マンモ・超音波・マンモ・高音波。
なんか聞いた事ある。
そうなのかー。医者は自覚症状出たら胃カメラする系なのかな。知りたい。
あーだこーだ!言う信念もなくて、
「はいはい!健康診断ですかー!バリウムね!やりますよー!」なスタンスでやってきたので、
受けたくなかったら受けなきゃいいけど、受けない理由もないしなー。
死にたくて死にたくてしかたない。
生きる希望をみつけたくて、ヒルティ、アラン、シューペンハウエルの幸福論を読んだ。そこには理屈が書いてあった。しかし自分が死にたいのは理屈のせいではないと思う。もちろん病院にも言っている。メンタル系の病院で大量の薬を処方されている。リモートワークで仕事もしている。それなりの給料ももらっていた。けれど健康診断で異常な結果が出て、精密検査を受けた結果、高額な手術を受けて入院しなければならないことが明らかになってきた。
手術して2週間入院すると、その間の日割分の月給の収入を失うことも踏まえると、恐ろしく高額だと思う。もちろんいままでちゃんと働いてきていてついこないだまではまとまった貯金があった。しかし老後2000万円必要になることを考えると、資産運用するしかないと思って投資をはじめた。そのとたんにコロナショックがやってきたり、急にSaaS銘柄があがらなくなって海運株と半導体株の時代がきたかと思うと、FRBパウエル議長再任で金利が爆上げしてまたすべてが飛んでいった。そう気がついたら、お金がぜんぜんなくなっていた。そして体調不良のためスキルを発揮できず、収入も約半分ぐらいに減らされてしまった。それぞれは小さなことだった。けれど、ひとつひとつと増えていく重しによって、もともと希死念慮が強かった俺のメンタルは、本当の限界をむかえつつあるような気がしている。
友達もいない。彼女もいない。食欲もない。飯は一日一度の冷凍食品。タバコは吸わないが、酒は500mlで170円の安酒を飲む。ストロングゼロではない。もっとアルコールの低いやつだ。オタクみたいな顏してるかもしれないがオタク知識さえなく、チー牛みたいな顏してるがチー牛を頼む金もない。趣味もない。何をやっても、虚しくなる。疲れてしまう。そして死にたくなる。こんな人生になることを、若いうちに気づいていればよかった。気づいていたのかもしれない。気づいたとしても、できることはなにもなかったのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/33d70052cc2d5dfb56ff79e0501805304d8270a6
アメリカのバイデン大統領が腸の検査を受け、麻酔がかかる間、一時的に大統領権限がハリス副大統領に受け渡されました。女性が大統領権限を持ったのはアメリカ史上初めてです。
バイデン大統領は19日、大統領に就任して以来、初めてとなる健康診断を受けるため、メリーランド州の病院に入りました。ホワイトハウスによりますと、今回の健康診断は定期的なもので、腸の内視鏡検査で麻酔がかかる間、1時間25分にわたって大統領権限がハリス副大統領に受け渡されたということです。一時的ではあるものの、女性が大統領権限を持ったのはアメリカ史上初めてです。
このことはもっと注目されても良い。
先に言っておくが、犬はとても元気だ。
1日3回食事の催促をして、
そんな犬でも寄る年波には勝てないらしく、
少しずつ、少しずつ、眠っている時間が長くなっている。
膝に乗せると直立不動のままで居心地が悪そうで、すぐに膝から降りたがる。
犬がわかりやすく甘えるのは、
人間が床に広げた新聞を読んでいると新聞紙の上にわざと座ったり、
こちらに背中を向けて座り「撫でて」と催促する時ぐらいだった。
飼い主としては、膝の上で眠る愛犬の図に憧れていたので少し残念だった。
眠る時間が長くなる中でも、飼い主とのコミュニケーションを取ろうとしているのだろうか。
今、犬は人間がソファに座っているとソファに両前脚をかけて「乗せて」と甘えてくる。
嬉しい反面、犬とのお別れが刻一刻と近づいているのを実感して余計に寂しくなる。
こんど、友人の挙式に参加することになったのだが、興味半分劣等感半分で若干辛い方に寄っている。
まあそもそも出来ないという現実は置いとくとしても、オレは挙式をしたくないと思ってる人間だ。呼べる過去の友人がいないし、基本プライベートは隠したいので披露宴で生い立ちを振り返られる演出されると死ぬ。
多分写真は取って、両家揃ってのこぢんまりとした会食やって二次会もなしに終わりって感じかなあ。挙式それ自体はやっても良いけど披露宴はしたくない。披露するだけの身の丈を自分は持ち合わせていないからだ。そういう妄想を結婚という概念に抱いている。
それなりに飢えを感じずに生きてはこれたが、親の離婚を経験し、血の繋がっていない父親が自分勝手なことして勝手に消えてって、結局片親のまま今に至る。一人暮らしもせず、貯金も無く、ただただぼうっと生きている。
これを恵まれてないとは言わない。もっと辛い境遇を生きた人など掃いて捨てるほどいる。ただ、現実の辛さから目を逸らして生き続けてきたオレだからこそ、結婚には程遠い人間になってしまったのは言うまでもない。
これを後悔と断定する人間とは付き合いうまくいかなそうだとは思ってる。後悔は今のところ無い。こう生きるしかなかった。それがオレの人生であり、結果だ。
世の中は結婚を、子を成すことを善としている。少子化が叫ばれるだけ叫ばれて久しい。そんな世界にあって、結婚が人間のステータスと判断されるのは正しい。というかヒト科の生物の本能として種を存続させなければならないのだから、それは自然の摂理とも言える。
対してオレはどうだ。社会の常識を疑い、当たり前を嫌い、人付き合いをめんどくさがり、体脂肪率は基準値を大きく超えて肥えている。健康診断が怖くてたまらない。結果を見ようともしない。その結果が、今このオレ自身なんだ。
そうだ。どうせ早死にする身で何を遺すというんだ。死んだところでオレを構成する肉塊と、片付けることもせず部屋に溜めるだけ溜めたガラクタしか無い。
死後の世界など無く、死ねばそこでオシマイ。悲しむだけムダだ。どうせ数年経てばオレの顔を覚えている者は片手の指くらいになる。意識的に写真に写らないように生きてきたのだから。死んだ後の世界で死を悼まれてもオレには何の得もない。
こんなこと言って自殺でもするのかと言われても、別にそんなことをする気はない。そうするだけの勇気が無いし、理由もない。ただ、己の身体が死に至る時に死ぬだけなのだ。それが、年金をもらうより早いだろうというだけの、なんでもない話なのだ。
友人の挙式に行くこと自体は(次の機会なんて無いと思うので)人生経験として行きたいと思ってはいる。そこまでの縁を感じてもいるし。ただ、二次会とかには参加せずとっとと帰るがね。それくらいのワガママはさせてもらうよ。
私が大好きな呪術廻戦の五条悟と同じ生まれ年。まだ三十代になったばかりだ。
「若いから大丈夫」と繰り返され治療に励んだけれど、先月、残存が見つかった。
来週、大きな手術を受ける。
私はまだ、旦那と一緒に生きていきたい。
「なぜ旦那が」何度も思った。
旦那が入院して、一人で過ごした間、それまで気が張り詰めて泣けなかった分、たくさん泣いた。
話は変わるけれど、私の旦那は、普段はおとなしいけれど内には仕事に誇りを持った熱い人だ。
「こんなことをして社会に役立ちたい」「これができれば、もっと良い世の中になるはず」
結婚前、お酒を飲んで泣きながら語ってくれたことは今でも覚えている。
そんな熱も、闘病生活のなかですこし変わってしまったみたいだけれど、私は旦那のことが世界で一番大好き。
一方で普段、特に仕事をしていると、ひどい言葉を浴びせてくる人に出会う。
「金返せ」「誰のおかげで仕事ができていると思っている」「騙された」とか、そのほとんどは理不尽なものだ。
最近はそんな傍若無人な人を見るたび、「なぜこの人達が健康で、私の旦那は、」と思ってしまう。
でもその度に「こんなことを思うのは悪いことだ。悪いことばかり考えていると罰が当たって、手術が成功しないかもしれない」と思って怖くなる。
そして怖くなるたびに旦那に「絶対治るよね」「治ったら、●●に旅行に行こうね」と言ってしまう。
自分に言い聞かせるために付き合わせているようなものなので、この行為自体が旦那のストレスになっていたらどうしようと思う。
手術まであと数日。
この間にも癌が進行しているのでは、手に負えない状態になっていたらどうしよう、そんなことを考えながらも仕事をしていると気が狂いそうで、思わずここに吐き出してしまった。
取り留めのない内容で、ごめんなさい。
今回もそうだった。