2021-11-15

自分語り 〜友人の結婚に際して〜

こんど、友人の挙式に参加することになったのだが、興味半分劣等感半分で若干辛い方に寄っている。

まあそもそも出来ないという現実は置いとくとしても、オレは挙式をしたくないと思ってる人間だ。呼べる過去の友人がいないし、基本プライベートは隠したいので披露宴で生い立ちを振り返られる演出されると死ぬ

多分写真は取って、両家揃ってのこぢんまりとした会食やって二次会もなしに終わりって感じかなあ。挙式それ自体はやっても良いけど披露宴はしたくない。披露するだけの身の丈を自分は持ち合わせていないからだ。そういう妄想結婚という概念に抱いている。

それなりに飢えを感じずに生きてはこれたが、親の離婚経験し、血の繋がっていない父親自分勝手なことして勝手に消えてって、結局片親のまま今に至る。一人暮らしもせず、貯金も無く、ただただぼうっと生きている。

これを恵まれてないとは言わない。もっと辛い境遇を生きた人など掃いて捨てるほどいる。ただ、現実の辛さから目を逸らして生き続けてきたオレだからこそ、結婚には程遠い人間になってしまったのは言うまでもない。

これを後悔と断定する人間とは付き合いうまくいかなそうだとは思ってる。後悔は今のところ無い。こう生きるしかなかった。それがオレの人生であり、結果だ。

世の中は結婚を、子を成すことを善としている。少子化が叫ばれるだけ叫ばれて久しい。そんな世界にあって、結婚人間ステータス判断されるのは正しい。というかヒト科の生物本能として種を存続させなければならないのだから、それは自然の摂理とも言える。

対してオレはどうだ。社会常識を疑い、当たり前を嫌い、人付き合いをめんどくさがり、体脂肪率基準値を大きく超えて肥えている。健康診断が怖くてたまらない。結果を見ようともしない。その結果が、今このオレ自身なんだ。

そうだ。どうせ早死にする身で何を遺すというんだ。死んだところでオレを構成する肉塊と、片付けることもせず部屋に溜めるだけ溜めたガラクタしか無い。

死後の世界など無く、死ねばそこでオシマイ。悲しむだけムダだ。どうせ数年経てばオレの顔を覚えている者は片手の指くらいになる。意識的写真に写らないように生きてきたのだから。死んだ後の世界で死を悼まれてもオレには何の得もない。

こんなこと言って自殺でもするのかと言われても、別にそんなことをする気はない。そうするだけの勇気が無いし、理由もない。ただ、己の身体が死に至る時に死ぬだけなのだ。それが、年金をもらうより早いだろうというだけの、なんでもない話なのだ

友人の挙式に行くこと自体は(次の機会なんて無いと思うので)人生経験として行きたいと思ってはいる。そこまでの縁を感じてもいるし。ただ、二次会かには参加せずとっとと帰るがね。それくらいのワガママはさせてもらうよ。

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