はてなキーワード: 三十路とは
女友達が何人かいて普通に飯食いに行ったり遊びに出かけたり、互いの部屋で映画見たりシーシャ吸ったりして喋りながらダラダラ過ごしたり、そんな事してると何人かから恋愛感情的な好意を寄せられる事がある。
俺は本当に同性の友人と遜色なく異性の友人を大事にしているので、正直恋愛感情を持ったことが無かった。同性の友達に恋愛感情が湧かないように、異性の友達に対しても恋愛感情が湧かなかった。
告白されるたびに、「友達としてとても大事に思ってるし、これからも仲良くしてくれると嬉しい」と伝えるが、俺に恋愛感情がないのを解かると離れていった友人も居た。
その後普通に友達として付き合い続けてくれて、別の人と結婚したあとも友達として付き合い続けてくれる友人も居る。
職場に入社してからずっと良くしてくれる仲の良い女性の先輩がいて、金曜の夜に二人でご飯食べてから帰らないかと誘われたのでご飯を食べて、その帰りに丁度新月で星がとても綺麗に見える日だったので、先輩の明日の予定を聞いて、空いていたのでそのままレンタカーを借りて星を見に行ったことがある。(過去に同性異性問わず何度も一緒に行ってる所なので、個人的にはカラオケに行くノリに近い)
この間、去年職場を去った同僚と二人で飲みに出かけた時に「増田さ、昔〇〇さん(先輩)と星見に行ってじゃん?〇〇さん満点の星空みたの始めてだったみたいで本当に楽しそうにその話しててさ、お前の『彼女いたことないですー』みたいな事言っといて平気でそういう事しちゃう所、ほんと嫌いだわー」と呑みながら笑ってた。
「別に〇〇さんだけ特別に連れてったとかじゃなくて、××さん(別会社の男性社員で天体写真が趣味)とも二人で言ってるし、お前も興味あんなら予定あれば普通に連れてくけど」と返すと「はー、やば。ねえ恋愛感情ってあんの?その気質、いつか絶対恨まれる時くるかんね」と半笑いで言い放たれた。
ここまでが前置き、俺は彼女いない歴年齢で恋愛感情ってのを多分一度も抱いたことがない。「あー、この人話ててすごい楽だなぁ」と思う異性に、彼氏が欲しいと言われた時は、良さそうな友達を紹介しようとしてたし、「この人好きだな」って思う人は沢山いるけど、皆に幸せになって欲しいと思ってる。自分に良くしてくれる人にはみんな幸せになって欲しい。(それは俺以外の人も皆そう思ってることだと思うが)そしてそこに独占欲は微塵もない。まあいつか俺も誰かを欲するときが来るんだろうと思い過ごしていたら三十路を迎えてしまった。とても精神年齢が低い男なのだ。
同性と話してると「この間連れてた子、もう抱いたん?」とか聞かれる事がある。そういうときに、一般的な男と俺との感性にとえも乖離を感じる。たぶん俺が色々欠けてるんだろう。
正直性的マイノリティーについてあんまり詳しくないのだけれども、アセクシャルっていうのに分類されるんだろうか。
正直、悩んでるか悩んでないかと聞かれば悩んでない。けれども、周りの不思議そうな反応にどう説明すればいいのかわからなくなる時が未だにある。
「女の恋は上書き保存」などと言われるが、私はこれまで好きになった人たちの誕生日すら忘れていない。
30年間で12人。片思いや失恋がほとんどだが全て良い思い出だ。
今更誰かに話せるようなものでもないが、自分の中だけに留めておくのも勿体無いのでここに放流しておく。
幼稚園年中〜年長のころ
一人称が「オレ」なのがかっこよくて好きだった。
小学校に上がる際、親の転勤でどこかへ行ってしまい、好きと伝えることはなかった。
小学校1年生〜4年生のころ
顔がかっこよくてスポーツ万能で、いわゆるカースト上位の男の子だった。
小学校2年生の頃に仲良しの女の子に彼のことが好きだと内緒の恋バナをしたところ、翌日には本人にバラされてしまいとても嫌だった思い出がある。
そのときは「もう好きじゃない」などと言って誤魔化したが、結局クラス替えで離れるまでずっと好きだった。
小学校5年生のころ
クラスで1番可愛い女の子も彼のことが好きで、どうやら両思いのようだったのでそのまま好きでいることがつらかった。
このころ、自作のホームページに彼をキャラクター化した絵を載せていた黒歴史がある。
小学校6年生のころ
ガキ大将タイプで少し粗暴な、学内カーストトップの男の子だった。
小学生なのに「女子」ではなく「女の子」と言うところが好きだった。
このクラスではくじ引きで席替えをしていたのだが、先生のくじの作り方のクセを見抜き毎回必ず隣の席か同じ班になるようにしていた。しかしそれで仲が深まるということは特になかった。
高校生の頃、風の噂で彼が薬物か何かで少年鑑別所に入ったことを知り、少し切ない気持ちになった。
中学1年生〜2年生のころ
ある日廊下であくびをしている姿を見かけた時にキュンと来て好きになった。人生で唯一の一目惚れだった。
とにかく人望があり良い話ばかりを耳にするので、その度にどんどん好きになっていったが、ほとんど会話をすることもできないまま「憧れの人」で終わった。
高校1年生〜3年生のころ
同級生とは違う大人の落ち着きや優しさに惹かれて好きになった。
先生に気に入られたい一心で毎日勉強をして、定期テストや模試は常に学年トップだった。
勿論この恋が成就することはなかったが、たいして進学校でもないのに難関大学に合格することができたので、人生を変えてくれた恩人だと思っている。
大学1年生〜4年生のころ
サークルの同期。
とにかく話が面白く、顔が筋肉痛になるほどずっと笑わせてくれる人だった。
趣味も合いとても仲が良かったが、友達以上になる方法が分からず、彼氏がいる期間を除いてぼんやりとずっと片思いをしていた。
大学4年生の頃、クリスマスとバレンタインを二人で過ごせたにも関わらず何もすることが出来ずに終わり、ようやく諦めがついた。
大学2年生のころ
はじめてできた彼氏だった。
付き合って4回目のデートでTシャツから胸毛と背毛がはみ出ているのを見て、さーっと冷めてしまい別れた。
当時は「未成年の女子大生を狙う社会人男なんて気持ち悪いし別れてよかったよね!」などと思い体毛ごときで冷めた自分を正当化していたものの、4回デートしてもキスすらしなかったのでそれなりに誠実な人だったんだろうなと今となっては思う。
大学2年生〜3年生のころ
この人には私がいないとダメだ、と思わせるようなところが好きだった。
1年間付き合ったものの、色々なことがうまく噛み合わずお互いに疲れてしまい別れることになった。
納得して別れたつもりだったが、かなり引きずった。食事がほとんど喉を通らず、風呂も入らず、歯も磨かず、毎日泣いていた記憶がある。半年ほどで落ち着いたが、未だにほんのり未練がある。
今ならもう少し上手く付き合えただろうなあなどと思ってしまう日がたまにある。
社会人1年目のころ
会社の同僚。
かなり変わった人だったので告白をされてから少し悩んだものの、見た目が良かったのと猛アタックしてくれるのが嬉しくて付き合った。
愛情表現をたくさんしてくれるので私も出来る限り尽くしていたものの、日々重くなる愛に辟易し1年と経たずに別れた。
その後少ししてからメンタルを病んでしまったらしく、長期休職後に退職していた。私も原因のひとつだったのかもしれないと思いやや責任を感じている。
社会人1年目〜3年目のころ
会社の同僚。
頭が良く明るいので会話が楽しく、一緒にいて居心地が良かったので好きになった。
付き合ってから徐々に相手の気持ちが離れていくのを感じ、それを繋ぎ止めるのに必死だった。
結局1年ちょっとで振られたものの諦めがつかず、その後も1年ほどセフレの座に甘んじていた。
本気で婚活をしようと思い立ったタイミングでようやく断つことができた。
社会人4年目〜今
婚活を始めてからは「恋愛」よりも「結婚のための条件」に重きを置いて出会いを求めていたが、結局好きになってしまったのでふつうに恋愛をした。
同棲するとなったときにお互いの個人情報を共有したところ、仮に「結婚のための条件」だけで相手を選んだ場合でもきっと夫を選んでいただろうと思うくらいの人だと分かった。大好きな人にオマケで好条件までついてきて、私は大変運が良かったと思う。
ここからもう増えることはないと思う。
当方三十路すぎだが「まあ、50ccの原付きしか乗れないよりも125cc乗れたほうが便利そうだな、まあ原付きものらんけど、どのタイミングで役立つかわからんしな」
ぐらいの感覚で取ってきた。
バイク好きな友人に「こんど原付二種とろうかまよってんだよね」といったら口揃えて「普通二輪にしとけ」といわれたので、素直にそうした。
教習でバイクに乗る感覚に楽しさを感じるかといえば微妙なとこで「直線路40km超えるとキモティー😁」ぐらいの感想しかわかなかった。
普通免許もちでも、一時限だけ学科を受けるんだが、その時の教官に「免許とったらどんなバイクに乗るんだ」と聞かれた。
俺以外のもう一人の教習生は「忍者のどうたら」とかいっていて、俺は「今のところは特に予定ないです」と答えた。「なんで取ろうとしたん?」と不思議そうな顔で見られた。
教官がそういう反応だったってことは俺ってよっぽどレアケースで、みんな乗りたいバイクがあって、それに乗るために取りに行く感じなのかな?
免許だけ取ったけど結局一度も乗ってないって人いる?
わざわざ国家資格も高い金を出して取得したが、今はもう全く別の仕事をしている。
辞める原因の1つとなった、「職場内の糞みたいな3流人間ドラマ」を延々と見せつけられるのはうんざりした。
下記に見聞き体験したドラマの筋書きを残すので暇な人は見てくれ。
入職して5日目に中途採用者(女)の歓迎飲み会が行われた。弊部署は飲み会の多さと激しさでは院内で有名であった。女の話を聞いてると「私は彼氏がいるし近々同棲するかもしれない」と言っていた。しかし飲み会が始まって1時間くらいするとナント中途の女があらゆる男とイチャイチャしだした。年上年下関係なく手をつないだり抱き着いたりしていたが、男ばかりの弊部署では誰も注意などしなかった。飲み会が終わるころ、終電がないから帰れないと言いだす女。見かねた先輩A・B(男)が、元々Aの家にBを泊める予定だったため一緒に女も泊まるかと提案する。女はすぐに快諾し3人でAの家へ向かう。Aがシャワーに行ったため部屋内にはBと女が2人きりとなった。するとBはイキナリ女にキスをして女の右手をBのイチモツへと引導した。B「おれ、子供ができてから2年間嫁としとらんっちゃ・・・」女「まぁまぁまぁ(苦笑い)」B「これAには秘密にしとって(笑)」と間違いは起きずに済んだらしい。彼氏持ちの女に仕掛ける所帯持ちの先輩のラブロマンス・・・。吐き気がする。
ちなみに何故私がこの話を知っているかというと私とその女がセフレ関係だっため聞き得た情報である。
透析室の勤務の看護士にかなり性格がどぎつい看護士Aがいた。とにかく気分屋で平気で無視やイジメを行う。噂だと離婚しているし原因はその看護師Aにある。かなり男好きで子供もいるのに夜な夜な遊んでいると。
ある日、透析業務が終わり片づけと明日のセッティング取り掛かっていた。その日は雨でその看護師は休みだった。18時ごろ突然病院の裏口から透析室にびしょ濡れの女子中学生が現れた。その子は泣きながら「あのすみません、〇〇〇(A)って看護士は今日来てますか?」 と言うのだ。Aは休みだし謎の女子中学生は何者だ?その子にどうしたのと聞くと「母(A)が帰ってこないし家も鍵が閉まってて入れない。今日は休みだと聞いてるのに連絡もつかないから来た」というのだ。すぐにAと同期の看護士がAの携帯に電話をする。Aは楽しそうに電話に出た。「あんたいまどこおんの?娘さんが来とるばい」「ごめーん!☆ちょっと友達と遊んでた~」その声のトーンや空間の雑音から察するに新しい彼氏とイチャイチャしてたと思われる。娘さんはお家に帰ったとさ。
弊部署内に体重120キロを超える10年目の巨漢先輩がいた。明らかに不健康そうであり眼もどこか焦点が合ってない気がするやつだった。仕事ぶりはとにかく働かないことで有名で俺は仕事やってるのに上司が俺のことが嫌いだから認めてくれないが口ぐせっだった。そんな巨漢さんはかなりイジメられていた。無能だからではなくなんかムカつくからだと思う。上司にアレコレを監視されていてちょっとでも間違えると注意という名のイビリを受けていた。そのイジメ方は半端なくて牛乳を投げつけたりするくらいだった。当然周りも委縮するしみんなで巨漢さんを下に見ていた。巨漢さんは転職先を探しているとこっそり私に教えてくれたが見つからないとのこと(たぶん本気で探してない)。そんな中、過去に辞めていった後輩から他院の求人があると巨漢さんに連絡があった。話は端折るがそこから内定をもらうことができた巨漢さんは上司に仕事を辞める旨を伝えた。私ももうイジメを見なくて済むと思うとほっとした。次の職場では是非イジメられず活躍してもらいたい。辞める当日に最後のあいさつで巨漢さんが涙ながら10年間勤めあげたこの病院の思い出を語っていた。にこやかに病院を去り、次の病院は他県なので数名で新幹線まで見送りに行った。それから4か月後に巨漢さんが次の病院でイジメられて退職したのを聞いた。がっかりした。
弊部署には女が2人いた。そのうち1人は35歳未婚1児の母先輩(勤続10年目)だった。父親が誰かはみな知らないふりをしていたし本人も語りたくない風だった。なぜなら父親は弊部署の主任(33歳・所帯持ち2児の父)だったからだ。不倫は明らかだし主任の子だとも確実だったが、なぜか公にはせずにシングルマザーとして育てていく道を選んでいた。それは別にいいのだが少し気になるのがそのシンママがとにかく馬鹿なとこだ。会話は要点を得ないし、仕事もできない。ビジネス系の本を読みホリエモンやひろゆきの話をよく私に熱心にしてくれた。とにかく詐欺とかあいそうだし一生苦労するなと思った。そんなシンママ先輩もいじめられて辞めていった。直接的にいじめを受けるというより閑職扱いで未来に希望が持てず辞めていったというかんじだ。次の病院ではうまくやってるかなぁ。
以上の内容は実話であり、読む人によっては分かる内容です。これ以外にもたくさんウィットに富んだエピソードがありますが、ここらへんで終わります。
あと、とにかく彼氏持ちの看護士が浮気してました。しかもコンドームをつけずに浮気相手とセックスに励んでました。なので私は看護士とは結婚できません。
俺は高卒で働いたりニートしたりしながら生活してる三十路の男だ。
昔から人の話が頭に残らないのがすごい悩みになっていて、小学校の頃から校内放送を聞いても聞いた直後は「ああなるほど」とはなるんだけど、ものの数秒で「……どういうことだったっけ?」となる。
この特性は社会に出てからも続いていて、頭に残らない故に発生する捉え間違えや聞き間違いがアホみたいに多い。「メモ取ればいいじゃん」っていう意見がある。わかる。俺も同じこと言われたらそう返す。しかし、話を聞いてメモを取ろうとしても、メモを取る段階で話が頭から抜け落ちてるのだ。
俺は頭が悪すぎてそもそも聞いた話が理解できていない説を考えた。ひょっとしたら、知的障害があるんじゃないだろうか。学生時代授業を受けても、板書を移すだけでいっぱいいっぱいだった。
精神科でWAIS3を受けたが、知能差に凹凸はなく、平均IQ110の健常者だった。ただ、医者に「話の捉え違いが目立つ」と言われた。健常者の俺に解決策はなかった。
人と話さない工場なら働けると思ったが、手先が不器用なのと、大きな音が酷くストレスなのと、仕事の説明が頭に残らないので重度のポンコツとして扱われ、夜寝てるときに体が水平に回転している感覚と工場内で流れる注意喚起の音楽の音が頭に流れてきて、俺は2週間で仕事を辞めた。
データ入力の派遣社員は一番肌にあっていたが、入力ミスの多さに苦言を呈されたのと、将来性がない仕事だったので辞めた。
ADHDの友人に、「絶対発達障害だよお前。話してるときに意識飛んでるときあるよね。人が話してるとき焦点別の所いってるもん。私と全く同じ人お前ぐらいだからそういうのすごい目につくんだよね」と言われた。
セカンドオピニオンでまたWAISを受けたが健常者だった。「一つ一つゆっくり丁寧にこなしましょう」といわれた。僕もそんな職場に行きたい。
今はブルーカラーの職場で勤続3年働いてるが、口頭伝達のコミュニケーションが多くて年々慣れるどころが辛くなってくる一方だ。
幸い休みが多いが、仕事の前日になると克己心の湧かない恐怖心や怯えが出てきて気が滅入ってくる。
俺が人並に生きるにはどうすればいいんだろう。
仕事が終わっても酷く苦しい。
同じような人がいたら教えてくれ。助けてくれ。
わたしは知命をとうに過ぎた会社員です。3才年下の妻とは、学生時代に当時の趣味を通じて知り合い、それなりの紆余曲折を経て三十路前に結婚しました。彼女はある事情で、わたしとの結婚前に当時の職場を退職していたので、結婚と同時に専業主婦となりました。
わたしも妻も子供ができにくい体質で、わたしは子供にあまり執着がなかったのですが、妻は子供を欲しました。夫婦で数年間不妊治療に励み、その後子宝に恵まれました。当時まだ珍しかった育休を取得し、職場の近くに居を移したわたしは、専業主婦だった妻をできる限りサポートして、妻と力を合わせて一人娘を育ててきました。
40の声を聞くころから、妻は夜の生活を拒否するようになりました。面と向かって理由を聞いたことはありませんが、あるとき「そういう気分じゃない。その気になったらこちらからいうから」と苦笑交じりに拒絶されたことをよく覚えています。以来、今日に至るまで、妻との性交渉はありません。
同じころ、妻はMLMに嵌まり、その関係者と出歩くようになりました。時を同じくして、アロマセラピーやハンドマッサージなどの資格取得を始め、当時の当家の貯金の8割ほどを使い込みました。
事態が明るみに出たのは娘が中学に上がるころでした。説得が功を奏しMLMから足を洗った妻ですが、他に収入を確保する術はなく、使い込んだ金銭を返済することは叶いませんでした。わたしにできたのは、以来現在に至るまで、家計の一切を自分で管理することだけです。
妻は反省したそうです。MLMの仲間とは絶縁し、アロマやハンドマッサージは趣味の範囲(自分ができるパートの給与でまかなえる範囲)で今も続けています。特段の職業的スキルを持たない妻が稼げる給与はたかがしれており、彼女が自分の収入を家に入れたことはありません。
10年ほど前、仕事のストレスが原因でうつ病を発症しました。1年と少しの休職を含む長い通院を経て、先ごろやっと服薬を卒業しました。3年ほど前から始めた趣味を通じて、友人が増えました。自分の半分ほどの年頃から同年代まで、さまざまな人がいる、緩いつながりの集まりです。
そんなメンバーのひとりに恋をしました。利発で機転が利き、素敵な発想を披露する、だれにでも明るく優しく接する彼女を、本来の趣味の活動とは離れて、個人的に遊びに誘うようになりました。最初はダメ元だったのです。わたしのようなおじさんの誘いに応じてくれるはずがない、そう思っていました。ですが彼女は快く提案を受け入れてくれ、一緒に遊ぶのが楽しいと喜んでくれました。以来、個人的な付き合いが続いています。もちろん肉体的な関係などあろうはずもありません。博物館、展覧会、夕食会、日帰りの小旅行。手を繋ぐことさえ叶わない、中学生の初恋のような他愛のない付き合いです。それでもわたしは舞い上がりました。もしかしたらその人はわたしに特別な感情を抱いてくれているのかもしれない。
わかっています。そんなはずはありません。親子ほども年の離れた、さしたる魅力もない中年、いや老人がばかなことを考えるな。自分でもそう思います。今の、親子のような、友人のようなふんわりした関係を、できるだけ長く続けることが、わたしにとっての最良の選択なのです。所詮は邪な、実らぬ恋です。
夫婦仲は悪くありません。ですが、わたしは妻を恨んでいます。10年以上、貞操義務を盾にわたしの性生活を奪い、台無しにした妻を、わたしは許すことができない。わたしが自分より二回りも年下の女性を、己の恋する人物として妻に紹介したら。妻はどんな顔で、わたしになにを言うだろうか。そのときわたしは、この積年の恨みを晴らすことができるのだろうか。もちろんそんなことをできるはずはない。わかっています。