はてなキーワード: グリム童話とは
むかしむかし、とっても美しい(※注1)けれど、心の美しさについては評価が分かれることもある、王のパートナーの方(※注2)がいました。王のパートナーの方は魔法(※注3)のカガミを持っていて、いつも魔法のカガミにたずねます。
「ルッキズムのような形で受けとられるのは本意ではなく、あくまで主観的な一意見として申し上げるということを前提といたしますが、あなたが一番美しい(※注1)です」
と、答えたのです。
王のパートナーの方は、レインボーパーソンの2度目の保護者(※注6)です。王のパートナーの方は強い遺憾の意を表して、レインボーパーソンをある特定の職業の方(※注7)に処理を委託しようと(※注8)しました。でも心の優しいある特定の職業の方はレインボーパーソンをそっと森の中に隠し(※注9)て、王のパートナーの方にはレインボーパーソンを適切に処理したとうそ(※注10)をついたのです。
レインボーパーソン(※注5)は、山間部に在住の七名の方(※注11)たちと暮らす事になりました。そして山間部に在住の七名の方たちとシナジーを生み出して、サステナブルなグローバル社会をアジェンダとするオポチュニティにコミットしたり、ごはんを作ったりして(※注12)毎日を楽しく過ごしました。
「レインボーパーソン、わたしたちが仕事に行っている間、誰も家に入れちゃいけない(※注13)よ。あの見方によっては威圧感があると評価する声もある王のパートナーの方(※注2)に、ここが知られてしまうからね」
と、いつも山間部に在住の七名の方たちは言うのでした。
ところがある日、「カガミよカガミよ、この世で一番美しい(※注1)のはだれ?」
「山を越えたその向こう、山間部に在住の七名の方(※注11)たちの家にいるレインボーパーソン(※注5)です」
と、答えたのです。
「なんですって!! あのある特定の職業の方(※注7)、裏切った(※注10)ね! よし、こうなれば」
自分でレインボーパーソンを処理しよう(※注8)と考えた王のパートナーの方は、小売業の方(※注14)のご高齢の方(※注15)に化ける(※注3)と、毒のある赤色の果実のようなもの(※注16)を手に七つの山を越えて山間部に在住の七名の方の家に行きました。そして、窓を叩いて言いました。
「美しい(※注1)娘さんに、おくり物だよ」(※注17)
「まあ、何てきれいな赤色の果実のようなもの。ご高齢の方、ありがとう」
けれど、その赤色の果実のようなものを一口(※注18)かじるなりレインボーパーソン(※注5)はバタリと倒れ(※注9)て、二度と目を開きませんでした。
レインボーパーソンが目を開かない(※注8)事を知った山間部に在住の七名の方(※注11)たちは悲しみ、せめて美しい(※注1)レインボーパーソンがいつでも(※注19)見られる様にと、ガラスのひつぎの中にレインボーパーソンを寝かせて森の中に置き(※注9)ました。
そしてある日、1人の王位継承権のある若年の方(※注20)が森で、レインボーパーソンのひつぎを見つけたのです。
「何てきれい(※注1)なパーソン(※注5)なんだ。まるで眠っているようだ(※注21)」
王位継承権のある若年の方は思わず、ひつぎの中のレインボーパーソンに挨拶しました。(※注22)
すると挨拶(※注22)したはずみで、毒のある赤色の果実のようなもの(※注16)のかけらがレインボーパーソンののどから飛び出したのです。(※注3)
目を開けたレインボーパーソンは、
「わたしは、どこにいるのでしょうか?」(※注23)
と、王位継承権のある若年の方に尋ねました。
「ずっと、わたしと一緒にいることも選択肢にありますが、すべてを自由にあなたが選択すること、そしてそれを実現する社会こそが我々全員の目標です。パーソン」(※注24)王位継承権のある若年の方と結婚(※注25)したレインボーパーソンは、ずっと幸せに暮らしました。(※注19)
底本:「白雪姫 グリム童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>」 令和3年8月24日閲覧
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/04/23.htm
(※注1:これはあくまで主観的な語り手個人としての感想で、画一化された「美」の基準を強制するものではありません)
(※注2:「おきさき」は王の属人的な表現であり、またジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、一部表現を修正しています)
(※注3:当時の価値観・科学技術に立脚した記述であることをご了承ください)
(※注4:あくまで戸籍上の関係を示唆するもので、個人の人格その他が親族の所有物であるという意図はありません)
(※注5:「白雪姫」との呼称については「雪のような白=美しい」という比喩が人種差別的であること、また多様性とSDGsへの賛同を表す我々のステートメントのために、一部表現を修正しています。また、「姫」という表現もジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、性別を限定しない表現に修正しています)
(※注6:本作においては※注4同様、あくまで戸籍上の関係を示唆するもので、個人の人格その他が親族の所有物であるという意図はありません。また、「お母さん」という表現についても、ジェンダーロールの固定化および女性の職場進出に対して差別的な役割を抱かせないため、一部表現を変更しています)
(※注7:文脈上、「猟師」への職業差別に繋がる恐れのある表現のため、具体的な職業名を伏せる形に一部表現を修正しています)
(※注8:「殺人」「死」などの猟奇的・残酷な表現を一部修正しました)
(※注9:専門家の指導のもと、スタッフの監督下において安全な方法で実施しました)
(※注10:王のパートナーの方との契約に違反する行為ですが、契約内容自体に嘱託殺人罪に繋がる恐れのある行為が含まれるため法律行為の要素に錯誤があるものと判断され、契約行為そのものが無効であると考えられます)
(※注11:「森に住む七人の小人」は門地および容姿に対する明確な差別表現であり、あまりに不適切であるため、一部表現を修正しています)
(※注12:「小人たちが山に働きに行っている間、掃除や洗濯や針仕事をしたり、ごはんを作ったりして」はジェンダーロールを固定化する非常に前時代的な価値観を押し付けるものであり、また小人に対する職業イメージの差別表現でもあるため、現代的な表現に一部修正を行っています)
(※注13:特定の人物・人種および主義主張、信条および団体等を排外する意図はありません)
(※注14:「物売り」は行商の方、小売業の方にたいする差別的な表現のため、一部表現を修正しています)
(※注15:「おばあさん」は高齢者への差別的表現、およびジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、一部表現を修正しています)
(※注16:「毒リンゴ」はリンゴ農家の方などへの風評被害防止の為、具体的な果物名を伏せる形に一部表現を修正しています)
(※注17:この場合、姿を変えているものの継母から娘に食品を与えたにすぎないため、果物の価額は不明ですが令和3年4月1日現在法令等においては贈与税の課税対象にはあたらない財産(下記出典より「例外2:夫婦や親子、兄弟姉妹などの扶養義務者から生活費や教育費に充てるために取得した財産で、通常必要と認められるもの」)と考えられます
出典:国税庁HP「No.4405 贈与税がかからない場合」https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/zoyo/4405.htm 令和3年8月24日閲覧)
(※注18:およそ5〜10gと推定されます。内容には個人差があり、若干変動しますことをご了承ください)
(※注19:令和3年8月24日現在の記載となります。今後サービス内容は予告なく変更される場合があります)
(※注20:「王子」は王の属人的な表現であり、またジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、この場合意図されて表現されているかは不明ですが王位継承権を持ちながらも立太子礼を受けていない方と想定し、一部表現を修正しています)
(※注22:「ひつぎの中の白雪姫にキスをしました」との表現については、見ず知らずの女性に対して昏睡状態にあることを理由に性的な行為を迫る大変卑劣な犯行であり、準強姦罪に問われる可能性があります。あまりに不適切であるため、一部表現を修正しています)
(※注23:「わたしは、どこにいるのかしら?」は語尾等の特徴から性別を識別させる性差別な表現であるため、中立的な表現に修正しています)
(※注24:「ずっと、わたしと一緒にいるのですよ。姫」は個人の権利を著しく侵害する絶対にあってはならない行為であり、ジェンダーロールの固定化および女性の職場進出に対して差別的な役割を抱かせないため、一部表現を変更しています)
(※注25:この場合、各自治体等におけるパートナーシップ条例等に基づくものも含めて「すべての他人を除外した2人の人物の合法的な連合」を意味し、法的な届出による効力を伴う契約の有無を問わないものとします)
この点を踏まえれば、子供向けの絵本にありがちな表現でも、継母がシンデレラをいじめる表現が引っかかりそう。ひたすら掃除させるみたいなやつ。
グリム童話のほうが怖いとかどうとかは正直関係ない話では。個人的には原作が残虐なせいで話がずれやすいシンデレラをわざわざ例に出したのが良くないと思う。
愛想が尽きるというか、「こうなっちゃった」というのを割り切った状態で、お互い介護し合うのがいいとおもう。
こんなエピソードがある
うちの母親も例にもれずパソコンが全然できなかったしラインもできなかった。けど車椅子にのったままでも父親はそれ全部できてる。昔からコンピューター好きだった(そんなに上手ではない)。
父親が先に死んじゃうかもしれないからデジカメ写真のブログアップロード作業とかを
早めに教えてもらおうとして何度もトライしたんだけど
この「先に死んじゃうかもしれないから」をとうとう本人のまえではっきりいうようになったところはとても残酷だとおもうし
そこにいたっても不得意を補いあうことが習性だからと教えオタクでいちゃつこうっていうところが可愛げもあってもうどうつきあっていいのかよくわからん。
子供の立場から見ると『本当は怖いグリム童話」読んでるみたい。この人たちなんでこんなに地雷踏み合って生活してんの、普通だったら3段階前に怒って自分で本読むだろって感じ。
おい真面目にやれよ!って怒りたくなるけど、2人で1人の補いあった生活してきたんだもんなぁ。
2人で1人前の精神だけは昔のままでも、事実は2人で半人前まで能力低下してる。
今フラットな介護認定者から見たら単なる要支援のよくいる老人という状態が事実だとおもう。
その事実が恋愛してきたとかお金の使い方を一緒にきめて生活してきたとか介護したされたとか、そういう心の引け目というか柵によって
2人のどちらかだけにのしかからないように気をつけてあげて欲しい。
-50%分おぎなうために24時間150%のちからを出し続けるのは若くても無理。
あと子供世代の大事な役割として「おまえは後期高齢者=老人。おまえは要介護。」って何回もいってやろう。
やさしい世の中では「おじいさんおばあさん」が数少ない孫持ちのための勲章みたいになってるから本人が本当に老いた弱い人であるということをなかなかのみこめない。
なんならはやくひ孫を世話したいとかいいだす。世話されるのはおまえだ。
二次創作めちゃくちゃ憎んでる人いるけどそこまで憎む理由親が死んだくらいしか思いあたらんなあ。
自分が好きな作品やキャラのイメージが悪くなったっていうのも、二次創作じゃなくてただの感想や批評でもそういうことは起こるしなあ。他人の作品をダシにして金稼ぐのが憎いっていうのも、そんな人ほんの一握りどころか一つまみだしそういう人は一次も書いてたりするしなあ。納得いかんなあ。
何にころされたんだろうなあ。
一昔前の格ゲーのキャラとか?これは名前やモーション差し替えられたやついたけどね。
それともディズニーの「シンデレラ」とか「アナと雪の女王」とか?
そもそもグリム童話なんかも元の昔話から書き換えが入ってたりするからなあ、グリム童話に親ころされた人もいるのかな。
「新約聖書」とか「コーラン」とかもいそうだなあ。かなり長いこと西洋画家は聖書とかギリシャ神話の絵描いてたからそれに親ころされた人もいそう。
あー。この記事とこの記事おなじだ。どっちもアンダーマイニング効果だ。グリム童話みたい。
ワイの推しVTuberはファンアートのハッシュタグを巡回してほぼすべてFavって行くのだが、絵が描けない自分にはハッシュタグに投げられるものがない。
ファンアート常連絵師らはFavをもらえることが当たり前の最低ラインになっていて、もはや慣れてそのことにあまり感動しなくなってるなーって印象を観測してるんで元増田と全く同じだなって思った。
ワイはというと、ネタツイやファンアート以外の企画などを事あるごとにがんばってひねり出しているが、1年半くらい推し続けているが貰えたFavは合計3つくらいかな。魂のステージが違うんですよね(低見の見物)(下から目線)
ああああああああああああああああああFavRTほしいよおおおおおお
ワイが持ってるグリム童話では国中の若い美しい娘全員バージョンやな
Es begab sich aber, dass der Koenig ein Fest anstelle, das drei Tage dauern sollte, und wozu alle schoenen Jungfrauen im Lande angeladen wurden, damit sich sein Sohn eine Braut aussuchen moechte.
追記、
>さて、あるとき、王さまがパーティを、みっかかん、ひらくことになりました。そして、パーティにきたひとのなかから、王子さまははなよめをえらぶということでした。ふたりの姉は、パーティにしょうたいされました。
※ 架空の映画『ネトフェミ』の内容に触れています。また、当然のことながら、あくまで個人の感想文にすぎないものです。
この映画の主人公であるMはツイッターでキズナアイや真空パックAV叩きで細々と承認欲求を満たし、福祉の補助なども受けながら子供の世話をしている中年の女性だ。彼女が彼がこのたびの「ネトフェミ」、今まで何バージョンものキャラクターが提示されてきた伝説のヴィランの最新バージョンである。
彼女が住むのはもちろんツイッターランド。バッドガイのいる、あの町だ。すなわち、中世ジャップランドのように大きな都市でありながら閉塞した田舎のような空気をも漂わせ、オタクたちは精神病院にぶちこまれる(そしてひょいひょい脱出する)、例の町である。
のちに「ネトフェミ」になる主役の生活は貧しい。しかし、それほど激しい貧困状態ではない。ありふれた、なんなら「ちょっとした貧しさ」にすぎない。これはとても大切なことだから、先に述べておきたい。『ネトフェミ』は理不尽な男女差別に苦しむ女性が蜂起する映画ではない。映画の前半では、Mの貧しさ、Mの病気、Mの不運が描かれる。そしてそれらはすべて「ありふれている」。
たとえば、Mの子供は保育園に落ちる。だから彼女は増田で日本死ねと叫んで人々から不気味がられる。だから彼女はカードを持っている。男だったら垢BAN必死の発言でも「トーンポリシング」のカードを渡すことで批判を封殺できる、ラミネート加工したカードを。「女性が汚い言葉を使うのは表現の自由です」そう、これはいい手だ。M、適応しているじゃないか、と観客である私は思った。世の中には不随意でtwitterで男の金玉をつぶそうとつぶやいてしまう病気があるし、言動が尋常でなくなる病気もあるが、それらのためにtwitterを自粛しろというのは無茶苦茶な話で、それらを抱えてtwitterで男に向かって暴言を吐き続けるのは当然の権利だ。不随意の発言や、尋常でない外見を不気味がるのは無知によるものである。不気味がるほうが悪い。私も若い時分に脳器質の病気でネトフェミになり、自分でも「こりゃあすげえな」と思ったが、しかし一方でこうも思った。「とはいえ、これくらいの怪物性を帯びたネトフェミは、ありふれてもいるけどね」。
たとえば、Mの生活はつましい。お金の余裕はぜんぜんなさそうである。そもそも、ツイッターランドでは、成人してだいぶ経つ女性が親と住んでいる段階で「お金ないんだな」感が出る。しかも彼女は文筆家としてもまったく売れていない。映画評論ピエロの仕事もたくさんもらっているようには思われない。心の貧しい人である。
しかしそれは「(文筆家)という夢を追う女性」としては標準的といってもよい貧しさだと私は思う。カネの入りにくい職業をめざしているのなら、副業や何かで収入をサポートするのは当然のことだ。ピエロの仕事だけでは食えないなんて当たり前のことである。ピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディの舞台に立ったらいい。そんな人はジャップランドにはたくさんいる。
さあ、おわかりいただけただろうか。Mは貧しく不運だからネトフェミになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜMが、Mだけが、ネトフェミになったのか。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
これがMをしてネトフェミに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というその思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。
彼女らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネットで文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。私は最初、その怒りの意味がまったくわからなかったのだけれど、何人かと遭遇して理解した。彼らはこう言っていたのだ。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない、それは本来おれ(わたし)に向けられるべき賞賛だ」。
ネトフェミは金持ちの父親の夢を見る。Mは映画の中でずっと、手を変え品を変え金持ちの父親の夢を見ている。貴種流離譚的な夢だ。お金持ちの、人格者の、有名人の、素晴らしい男が、私を迎えに来る。そういう夢である。Mははじめから、いわゆる「信頼できない語り手」だが、それは彼女の性格からして当然というか、「Mは金持ちの父親から生まれてテレビで賞賛されるのが自分の本来の姿だと思っていた」という、それだけのことである。そう、Mは自分を王女さまだと思っているのだ。王女さまのはずなのに王さまのパパがいないから気も狂わんばかりにそれを求めつづけているのだ。
昔話の王子さまは冒険の旅に出るが、Mはその点、昔話のお姫さま的に動かない。簡単に言うと、すてきなパパの夢を見ながら、「金持ちの男が自分に恋をする」とも思っている。だからといって具体的に男を口説くことはしない。まるで王子さまを待つ白雪姫である。グリム童話の白雪姫は家出して七人のこびとと仲良くなって家事などしていたからMよりぜんぜんマシだ。Mは家出もしない。りんご食って寝てるだけの白雪姫、完全無欠の受動態である。
狂を発して「M」から「ネトフェミ」になるときでさえ、彼女は「与えられる」側でなければ気が済まないのだ。りんご食って寝てるんだ。永遠に家出をしない白雪姫なんだ。
さあ、おわかりいただけだたろうか。Mの怪物性がいかなるものであるかを。Mはなぜネトフェミになったか。Mは貧しかったからネトフェミになったのではない。Mは不運だったからネトフェミになったのではない。Mは「自分は大金持ちの有名人の子に生まれてテレビでスポットライトを浴びて子どもたちに大人気のコメディスターであるはずなのに、そうじゃなかった」からネトフェミになったのだ。Mは、自分は無限の賞賛を浴びて当然の人物だと(無根拠に!)思い上がっていたから、ネトフェミになったのだ。
私にはそういう映画にしか思われなかった。だから本作を観たあと、映画通の友人に「怖いね」と言った。「Mみたいな人、増えてるもんね、なんかこう、無限の賞賛を求める系の人。主演がMを魅力的に演じすぎていて、まるで時代のヒーローみたいに見えて、よろしくないよ、あの映画はだから、私は支持できないよ」。