はてなキーワード: 立ち飲みとは
ティンカーベルが弱って飛べなくなって仮死状態になる、正直どんなAVよりも興奮する
あと自分の場合は「普通」になりたくて当初は男性と関係を持ってみたけど、男体がどうしても苦手で、具合が悪くなってしまってダメだったな…上半身も見るの辛いから上は着衣でお願いした(ごめんなさい)
で、吹っ切れて女性と関係持ったらしっくり来て、自分はやっぱり同性愛者だったんだなあ〜って実感したよ
週末に身綺麗にして新宿2丁目のビアンバー(クラブっぽい立ち飲みのところがオススメ)行ったら、1人なら大体イキリ系の誰かしらに声かけられるから、一度持ち帰られて経験してみれば良いと思う
あの界隈はセクシュアリティ迷子も多いから、意気投合できる人もいるんじゃないかな
きのう何たべた?でもそんな話あったけど、自分がうっかり結婚してから同性愛者だって気づいてたら、家族を裏切って同性と不倫してたかもな…って考えるとゾッとするよ
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。
試験会場で酒を飲むぞ
近所にバーと立ち飲みの中間のような店があるのでたまに行くのだが、最近珍しく20代半ばの男を時々見かける。話していても悪い奴ではないのだが、酒が入ると学歴や勤務会社の話が矢鱈と出てくる。確かにかなりスペックは良いものの、自分より若い奴でそういうアピールスタンスの人間がまだ実在していることに驚いている。そういうの今30代後半くらいの世代で絶滅したんじゃなかったのか。
優しいので誰も何も言わないが、お前が半分タメ口で話しているおっさん2人は会社経営者だし、「プログラム書くだけじゃないっすかw」とお前が煽っているそのSEの兄ちゃんは確かにプログラマーだが誰もが知る企業かつスーパバイザー的な立ち位置だ。いつも片隅で静かに飲んでるおっさんはフランスだかなんだかの文学の博士号持ちだ。お前が口説こうとしている女性は「OLです」としか確かに言ってなかったとは思うが海外企業と化学のプラントだかなんだか作ってる専門営業職の上澄みみたいな子だし、その前「へー!俺とおんなじくらいのレベルの大学じゃん!頭いいね!」と盛り上がっていたバイトの女の子はお前の大学とネームバリューは同じくらいなのかもしれないがその子は医学部なんだ。
俺は残念ながらただのおっさんだが、別に自分のスペックに自信を持って行動すること自体は悪いことじゃないとは思う。昔と違って今は誰も怒らないからこういう奴はずっと勘違いして生きていくんだろうかと思いながらぼんやり眺めている。こいつはいつ気づくんだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20210824003850
同様に参加されていた増田氏がまとめてるのを見て、自分も素直に感じたことを残しておくほうがよいのではと思い書いてみました。
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すぐワクチン接種できたのは幸運、さすがに1回も打ってなかったら参加してなかったと思う。
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前述の増田氏と同じ意見も多く、それ以外でなにかあるかなといったことを中心に。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/ce93abb96530fc03b596e24bcb568c328bf804b4
今日、入場者数が公表されていたが、例年の4分の1ぐらいじゃないかなあの感覚どおりだった。
参加経験者向けにいうなら金曜の11時ぐらいが人手ピークといった感じだろうか。
フェスになじみがない方向けに補足だけすると、入場券は「3日通し」「前2日」「後2日」「当日のみ」がある。
のべ人数のため、ユニークに3万5千人が来場したわけではなく、かつ通し券利用者が多いフェスのため、ユニークだと2万人前後だろうか。
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歴史があるゆえに近年は中年層がぶ厚いフェスだが、例年よりも20代が多く感じた。というよりも30~40代が少なかったのかな?
おそらく年齢的に小さい子供がいるなどの理由で断念 or キャンセルした層がここら辺なのではと推測(実際に周りでもいた)
日本人アーティストのみというのも微妙に影響してそうな気はする。
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参加経験者以外には伝わりづらいかもしれないが、コロナ対策の一環と思われる変更がかなり加えられていた。
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駐車場と連結してるスペースにあった物販&飲食店はなくなり、抗体検査可能な場所を設置、これまでよりずいぶん前方にある入場ゲートにてアプリ確認などが実施される。
それによって飲食店舗は、すべて入場確認後の場所のみに設置されていた。
ようは運営が会場と位置付けている外の部分では、人が集まるような場所を提供しない形に変更していた。
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従来は比較的大きいスペースには喫煙所が準備されていたが、今回だった広い会場内で3か所だけ。
(経験者向け補足;ホワイト~ヘブンの間にひとつ、旧オレンジ~アバロン間に1つ、あとは従来の入場ゲートから外に出てちょっといったところに1か所)
かつ入口には必ずスタッフがおり、入場人数も20~40人に制限していた。時代ゆえ、喫煙所は年々減少傾向だったが、今年はさらに密対策として減らしたのかなと。
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ゴミ箱の設置場所は明らかに多かった。トイレも増えてた気がするけど、もしかしたら勘違いの可能性もあるかも。
近年のゴミ箱はむしろスタッフを設置しないで、分別などを自主性に任せるいう面白い試みをしていて若干逆効果だったが
今年は捨てれる場所を増やす&ごみを放置しないを徹底のためか、常にスタッフが配置されていた。またスタッフが絶対にごみを手渡しでは受け取らないも徹底されていた。
溢れているゴミ箱は一度も見なかったりなど、スタッフの方々へはこの場を借りてお礼をいわせていただきたい。ありがとう。
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外で立ち飲みや、酒の写真投稿などが話題になっているのは見たが、事実として可能な状況だった。
一度会場外に出て、駐車場スペースまたはキャンプ場スペースへ戻り、そこで飲酒することはできる。
実際にキャンピングカーでの来場者がお酒を並べていたのも1組だが目撃したし、上記の酒投稿もああ駐車場スペースだなとわかった。
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主催者がどこまで管理するべきなのか、大小とわず会場外での行動まで制限するのは不可能であり、難しい話だと思う。
今回のケースであれば若いボランティアスタッフが注意するのは困難だろうから、せめてある程度の責任者が直接注意するまでできなかっただろうか。
ただ、そこまでやっていたかもしれないし、怒られた客がさすがにそれをネットで書くほど馬鹿ではないと思うので真実はわからない。
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会場"内"での飲酒については、見た範囲ではいなかった。また隠れ飲酒できそうな水筒持ち、クーラーボックス持ちも見かけなかった。が、見なかったといなかったは違うので、これ以上は僕にはわからない。
なお会場内ではノンアルコールビールなどは販売しており、会場で酒を飲んでるやつを映像で見た!というのは見分けもつくわけもなくデマでしょう。
ご存じの方も多いとおり、入場時にアプリによる本人確認は必須。さらに現地ではOSが古いなどアプリ利用不可の場合は入場ゲートで都度紙に書かされる仕組みを準備していた。
ここまではよいが、多少事前登録がガバで、PCR検査が実施済み確認は選択式なだけで写真などの証明は不要のため、虚偽報告で検査してなくても入場可能であった。
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会場での抗体検査場の設置、事前にも再三の検査実施のお願いなどがんばったのであれば、ここはもう一歩踏み込むとよかったのではないだろうか。
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比較的ここまで淡々と書かせていただきましたが、あとはいろいろと自分が思ったりしたことです。
議論しても発展的な話にはあまりならないと思いますので、あくまで一個人の意見として読み飛ばすぐらいでいただけると助かります。
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「国・自治体が主催であるオリンピックと、一企業が主催のイベントを同列に比較するのはどうなの?」派です。
これまで国からのお願いベースでの感染対策中心にどうにかごまかしてきた中で、イベンター側にできることは「ガイドラインを満たす」そのうえでやれることを知恵出してやる、ここまでじゃないでしょうか。
そのうえでの論理的な批判であれば、真摯に受け止めるべきだと考えるし、その一助になればと思い上記の現地レポを書かせていただきました。
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正直ね、どうでもいいんすよ。よくフジロックと政治を絡めてごちゃごちゃ盛り上がってるけど、参加者の99%ぐらいは興味ないですよ。だって音楽聴きにきてるんだから。
フジロックの政治ネタで一番盛り上がってるのは、「フジロックに参加してないひと」たちです。まあ多くの人はわかってて、スルーしてるだけだと思いますが。
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本当に様々な反応があった。
参加見送り、開催前に長文で意志表明、選曲によるメッセージ性、ストレートに思いを伝えるMC、逆に深くは触れずただ楽しいフジロックが返ってくることだけを望むMC、etc
サンボマスターがわかりやすく選曲からMCまで含めコロナ過への思いを伝えれば、META FIVEは逆にキャンセルした某オリンピック絡みの人への彼らの想いを選曲や使用楽器だけで伝えた。
ただ熱い想いをストレートにすべてされけだすのも、あえて言葉にせずに音楽だけで伝えようとしたのも、どちらもカッコいいなと僕は感じた。
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ほんとコロナウィルスって恐ろしいよね。潜伏期間や感染力、重症度の微妙な低さ、自重するしないことによる感染リスクの有無、これまであいまいにしててもそれほど問題にならずに生きてこれたことを、ぜんぶ白日にさらす。
それにより分断の加速と、その加速速度をさらに上げるSNSの普及率。ただ、あれだけはやめてほしいよね、あの勝手なカテゴライズして「フェスいくやつなんて全員〇〇なやつらだから」みたいなやつ。
そういうのほど★なりいいね集めるのはわかるけどさ、いいねした側された側の承認欲求が満たされる以外なんかが生まれるのかね?
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今回いちばん見たかったアーティストだったが、それを差し引いても演奏力、演出力ともに突出していて、「海外のヘッドライナーかな?」ってレベルのライブで度肝抜かれた。
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おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
去年みたいなロックダウンに近い閉店要請出して人の出を減らして短期決戦するか、全部自由にして無理やり耐性つけて死ぬ人には死んでもらうかしかないやろ。
後者は正直病床の問題もあると思うからあんまり良くはないと思うけど。
今みたいな飲食店は8時まで〜とかそんな中途半端な事されても人の出は減らんし、仕事終わったらスーツで路上飲みしてる人いっぱい居るし、居酒屋だけいじめて何になるってんだ。
俺はサービス業だから9時とか10時に仕事が終わることが多くて、自炊する元気ない時はちょっと立ち飲みしたり、牛丼なんか食って帰ってたんだけど牛丼屋すらしまってるやん。1人で牛丼食ってるだけでどうやって感染するって言うん?テイクアウトはやってるって言うけどプラゴミとか捨てるのめんどくさいねん。
今が堪えどころって一年近く言われとんねん。
やるならやる、やらんならやらんでバシッとしてくれや。
匿名で自分のログを世の中に浮遊させ、そして拾って頂けるのは楽しかったです。
長く続けるとバカなので何処かで絶対にボロが出る。なのに書きたくなってしまった。
再投稿です。きちんと上がらなかったように見えたので、消してしまって、もうええかと思ってしまったのだけど、
見たかったというコメントを見て、少し修正して上げることにしました。こんな駄文にありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20210130001953
https://anond.hatelabo.jp/20210131035752
これらの続きです。
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前回のエントリでずっと4GBのメモリとともに作業していたと書いたが4GB以下が正しい。
最初の現場は128MBだった。あと、盾を鉾と書いていた。この誤字脱字と誤用の多さで私のプログラマとしての質の低さもなんとなく察して頂けるだろう。
◯結婚した話◯
何故か結婚の話が書かれていないという書き込みが幾つかあったので結婚の話から。
30歳を越えてから趣味が充実していた事もあって周囲には煩く言われるものの、結婚を考える事はあまりなかったし、結婚の分岐に入ることが必ずしも幸福につながる選択肢とは限らないと考えていた。
この考えは今も変わらないが私は運良く幸福につながるほうへ入ったようだ。すまんな。
何せ30歳を越えてからは同じ趣味のおっさんの友人たちと焼き鳥屋であーだこーだいいながら企画を練り、イベントを立てたりするのが楽しくて仕方がなかった。
20代があまりにも労働をしすぎた。22歳から28歳までの6年間、年俸制なので一円も残業代が出ないのに月300時間勤務を2年半はやったと思う。最初のうちはISDN接続のテレホタイムでのネトゲが自分のゴールデンタイムであり、息抜きの時間だった。
時代が今なら渋谷凛か風野灯織に貢いでいたことだろう。長い労働時間は人生の搾取だ。
嫁は異業種の人で、友人のボカロPのファンだった。彼のライブに通ううちに顔なじみになり、少しだけ会話をするようになった。
ある時行ったライブが月曜夜の開催ということもあって若い人が多く、ライブハウスの中でスーツを着た客が私と嫁しか居なかったので思い切って「今日はスーツ、我々だけですね」と話しかけ、そこから色々な話をしたのを覚えている。いやらしい。
ボカロPのライブでの出会い、つまり私が結婚出来たのは初音ミクさんのおかげだ。
30歳になったあたりからようやくIT業界に過残業を何とかしようという機運がやってきた事、そして定時で上がる精神的な胆力がついた事で音楽を作る時間的精神的な余裕が出来、人との交流が生まれ、ライブに行く機会が出来たから私のような人間でも結婚出来たのかもしれない。しらんけど。
国勢調査によると35歳を過ぎてから結婚した男性は約3%らしい。私は一生分の運をこれで使った。(正しくは6.8%だと何処かの教授が言っていたが)
自分が居た現場の雑感だと、同じシステム開発現場でも大手SI や 大手SI子会社のほうが結婚している人が多かったように思う。多重派遣はやはり収入面で結婚に対してネガティブな意見を聞くことも少なくは無かった。
若い頃は親にも親戚にも「そろそろ結婚も考えないといけないだろうから派遣社員辞めないとね」と言われたことを思い出した。SESの増田は一度は言われたことがあるだろう。
世間一般的には技術職というイメージよりも派遣社員というメージが強く、収入面も相まって世の中の反応厳しい。
普通の一般派遣と請負の派遣の人が混在している現場が多いと思うが、前者は1人でも派遣が出来、上位会社の現場のリーダーが直接指示をすることが出来るので最近はその方が多いように思う。
ところが、一般の派遣会社として登録するには資本金が多くないとダメで、派遣法が改正されたあたりで資本金が少ない会社は請負の道を選ぶしかない。
そうすると複数人で現場に行き、自社のリーダーに仕事の指示をされる形になる。ただ、コレは守られていない現場が多い。
さらに、大手や大手子会社と取引を直接行うのにも資本金の大きさ・設立してから何年等の条件があったりもする。
資本が少ない会社は資本金の多い「別な会社を迂回して」契約する。そこに多重派遣ができる仕組みの1つがある。上位請負の営業が◯◯社経由しろという場合、利権・癒着の場合もあるのだろう。
新人の時、パワハラの教育担当に私が毎日何度も怒鳴られているのが流石にプロジェクト内で目に余るようになったらしく、私はドキュメント整理という新たな仕事を貰う事になる。
炎上プロジェクトの為、全く作られて無かったクラス図をソース等からRational Roseで自動生成し、体裁を整えて他の設計書も含め印刷をした。同じものを2部作るのだが、何故か同一性保持という理由で一部はコピーで制作。分厚いバインダーに綴じた。
印刷とコピーで休憩もせず毎日終電の生活をしていた時、PMに「広島の二番バッターみたいだなおまえ」と言われたのを覚えている。コツコツやるけど面白みがない人間だと言われたのだ。
要領の悪い私に休憩のタイミングなんて解らなかった。ましてやパワハラマンに使えないと毎日散々どやされ続けた後なので尚更である。
その経験から私は同じプロジェクトに居る若手に「そろそろ1回休んだら?」「いつまで働いているの?増田がそろそろ帰れって言ったって言ってもいいよ」となるべく声をかけるようにしていた。モテそう(モテなかった)
この時、たまたま席が空いているという理由で隣に座っていた方が、のちに難易度が高い事で有名な銀行統合の現場の某SIのトップになっていた。プロジェクトの雰囲気は良くなかったが、いつもにこやかで私のような末端にも優しかったのを覚えている。出来る人は余裕がある。
印刷業務が終わった後、入社してからずっとテストだけをやらされていた1年上の先輩のアベさんと、とうとうプログラムの修行に出してもらえる事になった。
新規開発のプロジェクトである。プログラムも一杯書けてラッキーなのではと思っていたのだが、自社の人間はアベさんと私だけで、あとは上位会社のPMと、更なる下請けで構成されていた。
現場のリーダーも下請けの人で、この人が私とアベさんの教育係という事になった。
自社の営業が初日に来て「この子達よろしくね」とリーダーに伝えた所、「任せてください!」と良い返事をしていたが、自社営業が居なくなった翌日から面白いくらい態度が一変することになる。
何を聞いても露骨な悪態をつき教えてくれず、技術的な質問も一切受け付けない。
流石にアベさんと自社の営業に伝えたのだが、翌日朝私のところにやってきて「チクったな」「自社の人間でも無いお前らに教える余裕はない」と言われてしまうだけで特に事態の改善はされなかった。パワハラ上司の次はこれだ。駅のホームドアは大事なので全駅に付けて欲しい。
救われたのはインターネットが使える現場だった事だ。とはいえ、なんせソースレビューも私とアベさんで互に行うので、技術的な進歩がまるで無い。
ある時、私が書いたプログラムがメモリを使いすぎてフリーズするようになり、問題になってしまった。他にも技術的に問題のあるプログラムを書いてしまった事が続いたのと、リーダーに対してハッキリとモノを言うことも災いし、PMの判断で半年でプロジェクトを出ることになってしまった。
もっとうまく立ち回る事も出来たように思う。しかし、若造は人生の経験値が足りなかった。
多重派遣の大きな問題として、現場ガチャにより環境が大きく変わるというのがあるだろう。2~3年も我慢すれば大抵の場合次の現場に行けるのかもしれないが、短い人生の2~3年は少ない数字ではない。
請負ではなく一般派遣扱いで来る技術者の中には新人なのに1人で派遣されてくる人も多い。そんなのは新人教育とは言えないと思うのだが、どこの会社の募集要項にも新人教育はバッチリと書いてある。
その「新人教育」とやらの実態というのは大抵の場合、外部で行われる初心者研修と、自社の営業が「この子よろしくね」と現場に伝える程度の事でしかない。
社会人としての新生活での不安、技術的な不安、誰が教えてくれるのかも解らない不安、定時になっても誰も帰らない・帰って良いとも言われない、作ったものの品質の不安、数多くの不安を抱えて過ごさなければならない。ちゃんと相談出来る人も現場に居ないのである。
技術的な所は勿論、精神的なケアも必要な時期だと思うのだが、このような体験を20代前半でしないといけないのはどうも無駄な苦労をしているようにしか私には思えない。
ただ、新人が伸びる為に必要なのは「経験者によるソースレビューによる指摘」が必要不可欠だと私は思う。レビューを先輩・上司が行い、新人が書いたコードの信頼性の担保が出来ないと、余計なバグを生み、可読性・メンテナンス性も落ちるだろう。
なによりバグを出してリーダー・PM・顧客に「こいつ大丈夫か?」と思われるストレスの大きさと自信喪失感は長く忘れられない。
余談だが、最初の教育担当のパワハラ先輩とはその後別な現場で一緒になった。しかも彼は会社の倒産後、上位請の会社に転職していたので私に仕事を振る立場として現れたのだ。全く知らなかったので顔を見た時は「ヤバい現場に来た」と焦ったのだが、「あの時は俺の頭がどうかしていた。申し訳ない」とまず謝られてしまった。驚くほど柔和な性格になっていて棘が全て抜け落ちていた。その後一緒のプロジェクトの間はたまに昼飯を一緒に行くまでになった。
約1年一緒に働いたが一度もドヤられる事は無かった。許せるか許せないかは別として、パワハラをするほうにも何かしらの事情や背景があるのだなと一つ学んだ。
社会人1年目の忘年会はゲイのショーパブの観劇だった。そこでアベさんはダウンタウン浜田の高校(全寮制男子校)の同級生というママに唇を「むちゅーーー!!」と音が聞こえるような熱烈な口づけをされ、人生のファーストキスを奪われていた。私は隣でただ震えるしかなかった。
知人もなく上京してきた為、他の社員と交流する帰社日をそこそこ楽しみにしていた私は怒りのあまり社内報に若気の至りで”ボロクソ”に書いた所、社長の目にとまり、翌年から忘年会の幹事を任されることになってしまった。なにせショーパブの観劇は社長の要望だったのだ。
そして、普通の居酒屋で特に弾まない会話をして終了をする忘年会を2年繰り返した。
自社の忘年会を面倒に思うベテラン社員は多く、各現場に電話で来てくださいねと念を押して来て貰ったのに参加者が全然楽しそうではないのだ。
普段それぞれが別の現場に居る人なのでそれほど同僚感も無く、特に仲も良い訳でもないので会話が弾まないためだ。良かれと思って2時間半飲み放題にしたが、本当に盛り上がらない。
「なるほど、これで会話をしなくて良いイベント(且つ社長の趣味)がブッキングされたのか・・・」と理解した。
その経験があり、”自社”に缶ビール等の各種アルコール・ノンアルコール飲料とテイクアウトの料理を用意し、16時開始、17時から随時帰りたい人は帰る。という方式に変えた所、立食(椅子も勿論ある)で仲の良い人の所に居て彼らとだけ話すことも出来るし、色々な人と交流することも可能になった。時間が短いために会話のネタに困ら無い事も功を奏し、思った以上に盛り上がる事が出来た。
子供が出来た今ようやく思うに至ったが、子育て世代も延長保育やパートナーにお願いすることもなく早めに帰れて良かったはず。殆どは17時から続々と退社していたが、以前は無かった有志の二次会組もいくつかあったようだ。参加者にも総務部長にも「毎年これで良いね」と言われ、ほっとしたのを覚えている。
何が正解かは解らないが、業務時間内で終わる自社での短い時間の立ち飲み(椅子席あり)は好評だったので、幹事をやらされがちなSES増田は参考になれば良いなと思う。
基盤まわりの仕事をしていた時、あまりにもプロジェクトでメモリの初期化漏れが頻発して問題となり、プロジェクトのお偉いさんが捻り出したアイデアが「”物理”メモリ全部を定期的に端から終端まで0で埋める」というものだった。
そしてそれをどう実現するか?という会議に呼ばれたのだ。
指を使い「物理メモリを”端から””端まで”全部、プログラムが動かない時間に定期的に一回ゼロで埋めればいいじゃない?」との説明があった。
これは良いアイデアだとご満悦の上役と、違和感を覚えない他のベテランの参加者達。
「まず、仮にこれが実現出来たとして、サーバーが立ち上がった時点でOSやミドルがメモリを利用していますが、どうしますか?OSもミドルも当然落ちます。」
「メモリですが、皆さんが普段変数宣言やmallocで受け取っているメモリの番地ですが、全て仮想メモリのアドレスなのはご存知ですか?」
「我々のような庶民は直接物理メモリアドレスに仕組み上アクセス出来ません」
「物理メモリにアクセスするにはカーネルのプログラミングが必要になります」
「メモリにはユーザープログラミングで触れる事が出来る層と、カーネル層という仕切り、さらに仮想メモリ・物理メモリという仕切りがある為に、堅牢性を保持している云々」
ここまで伝えても皆ピンときていない。文章にすればまだ解るが所為オタクの早口の説明なので当然、私の話術にも大いに問題はある。
もしかして自分が間違っているのか?このままだと私がこの対応をやらされる羽目になる。
私は交渉事でうまく立ち回れる技を持っては居なかった。なので、最後の手段に出た。
「だからこんな方法は絶っっ対 実現できないんですよ!!!」と突然のブチギレ。いや、出来るのかもしれんけど。
一同ポカーン。突然のメガンテを使った私に皆パルプンテ状態になり、
「増田がココまで言うのなら出来ないんだろう」という事になった。
正直、高い技術も必要ない汎用的なシステムの開発現場のなんてこんなものだ。AWSもGitHubも触ったことのない私があえていおう。
最初のエントリーに業務時間内に勉強させろと書いたが、目的が無ければおそらく時間があっても、「私は完全に仕事をしています」という顔をしながらviで青空文庫やアマチュアの小説を読んでいた時間の方が長かったのではないかと思う。