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2023-01-15

言語モデル頭脳関係があるのか

お前は人工知能より頭がいいのか?研究によると、パラメータの大きな言語モデルプログラム人間の知性を凌駕する可能性があることがわかっている。

Generative Pre-trained Transformer 3が、知能を測る一連の推論テストにおいて平均的な大学生を上回っていることが発見されている。例えばN-gram LMsはカウントベースマルコフモデルパラメータフィッティングを用いるが、GPT3はより巨大なパラメータを持つ。入力に対して人間のようなテキスト、つまり確率の高いものを出力する。GPT3はOpenAIが生み出した技術で、言語翻訳チャットボットなどのアプリケーションテキスト生成など、さまざまな用途がある。

1750億のパラメータを持つ、最大かつ最も強力な言語処理AIモデルひとつだ。

ではGPT-3は「天才」なのか?研究では、一般知識SAT試験スコアIQという3つの重要な要素において、プログラム人間匹敵する能力を持つかどうかを調べられた。プレプリントサーバーarXiv」で公開された結果によると、AI言語モデルは3つのカテゴリーすべてにおいて、人間よりも高いパーセンタイルでゴールしていることがわかっている。

実際のIQテストでのGPT-3の成績はどうか?平均的な大学受験生を相手に、様々な言語モデル分析的推論問題でどのような結果を出したかについての調査結果を発表された。AIが明らかに勝者となった。とのこと https://twitter.com/AiBreakfast/status/1607594052785930240

"GPT-3は、抽象的なパターン誘導に驚くほど強い能力を示し、ほとんどの場面で人間能力と一致するか、あるいはそれを上回ることが分かりました。我々の結果は、GPT-3のような大規模言語モデルが、広範な類推問題に対するゼロショット解を見つけるための創発能力を獲得したことを示しています"と研究者は言う。

同チームは、GPT-3が「明示的に訓練されていないにもかかわらず、生物学的知性がとるのとは根本的に異なる経路を経て、人間類推の基礎と考えられているものと同様のメカニズムを開発することを余儀なくされた」ことを付け加えている。

GPT-3は、すべての問題タイプにおいて、生成精度...および多肢選択精度ともに、人間参加者を上回った 。https://twitter.com/AiBreakfast/status/1607594057735278592

この研究によると、ほとんどの質問に答え、人の代わりに論文の下書きまでできるAIプログラムは、問題ゼロから解かなければならないときや、多肢選択式のテストから選択するとき人間を上回ったそうだ。

AI専門家作家アラン・D・トンプソン博士は、GPT-3が120以上のIQを示すことを示唆している。

結論: ということで、GPT所詮IQ120程度ってことだな。

anond:20230115221217

2023-01-04

2021年に読んだ本

1月12冊)

前半では美術知的にとらえようとした。後半は生物学テーマ

2月10冊)

脳科学生物学が中心。小説ゼロ

3月12冊)

SFと平安文学

4月12冊)

平安文学マイブームが続き、続いて神林長平ヴォネガットを読み始める。

5月17冊)

英国貴族執事メイドテーマ。なぜか田中啓文も読みだす。疲れたので脱力系を。

6月10冊)

空想法律読本シリーズ経済学、それと奇妙な味短編集。

7月(16冊)

シオドア・スタージョン一角獣・多角獣」

奇妙な味シリーズがしばらく続く。たまに古いSFが読みたくなる。

8月(7冊)

ブラウン神父シリーズは途中で飽きる。「聊斎志異」を読みだす。

冊数が少ないのは、中島敦全集がぶ厚いからだ。ページ数では一冊で実質三冊ほど読んでいる勘定だ。

9月(9冊)

ひたすら中国古典を読む。物語としては読みやすいが、脚注について調べていると意外と時間がとられる。

中島敦全集手紙手帳メモ書きまで収録。

10月(10冊)

アーネスト・サトウを除いて中国文学が続く。明治維新が一日単位で記録されていると見落としていた事実が多いとわかるし、刻一刻と情勢が変わっていったのも感じられる。。

11月12冊)

歴史に関心が移る。アイヌ民族について知りたくなる。

12月(13冊)

アイヌ民族から琉球視点を移す。

漫画(19冊)

やっと森薫を読み始める。ハルタコミックス(旧fellows!)ばっかり。

美術展など

コロナで回数は少なめ。

映画

プーと大人になった僕

パディントン

「イェスタディ

JUNK HEAD」★★

「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」★★★

雑感

生物学脳科学歴史SF海外文学が多い傾向は昨年から変わっていない。

一方で、日本古典文学にも少し手を出した。

また、「聊斎志異」「西遊記」「三国志演義」と長めの中国古典に取り組めたのは良かった。

2022年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2022-11-19

筒状の容器に生き物が入ってボコボコ泡が出るやつ

治療ポッドとか、培養液とか言われるやつ。

 

覚えてるもので一番古いのは、火の鳥未来編に出てくる人工生物を作ろうとしてる博士のやつだ。

次にドラゴンボールフリーザ編で悟空ベジータ治療のために使うのがあった。円筒状ではなかったがボコボコはしてたはず。

うそう、ドラゴンボールセル培養に筒状のボコボコ出てきたよね。

映画版バイオブロリーにもボコボコあったし、ドラゴンボールボコボコ好きだな。

あとロトの紋章アランが異魔神に体乗っ取られて昏睡状態になった時治療ボコボコしてたよね。

FF6の魔導研究所にも幻獣から力を抽出する奴があった。

FFといえばFF7に出てくる、人間を魔晄漬けにしてモンスターにする装置もこれに該当する。

ワンピースにもジェルマのクローン兵を作るのにボコボコしてた。

ハンターハンターにも暗黒大陸犠牲者ボコボコしてるのあったね。ナニカに潰された死体かな?

 

他に何をボコボコしてただろう。

ていうかあれの元ネタはなんなんだろう。

2022-11-01

anond:20221101170856

なるほどお得意様プログラムか。

https://www.microsoft.com/ja-jp/workplace-discount-program/employer-resources

従業員法人顧客向け職場割引プログラムの割引価格で購入するには、有効会社メール アドレスおよび有効Microsoft アカウント保有しており、所属組織が次の条件のうち 1 つを満たしている必要があります

 

適格な Office アプリケーションに対する有効ソフトウェア アシュアラン契約を締結していること。

Microsoft 365、Microsoft 365 E3 または E5 をソフトウェア アシュアランスで使用していること。

Microsoft 365 E3 か E5 のどちらかまたは両方のライセンスを 2,000 以上購入している、法人および政府機関

対象となる Power BI、OfficeSurface デバイスアクセサリWindowsEnterprise Mobility に対して、過去 12 か月間に $250,000 USD 以上支払っている、法人および政府機関

教育機関および非営利団体

2022-10-23

サイレント改悪ゲームノア宇宙戦記」の話

ノア宇宙戦記というアプリゲー(の運営)がひどいので話を聞いてほしい。

先週末、ポイントサイトに、一定日数内にノアの3-12クリアする、という案件があった。ポイントサイトを経由してアプリダウンロードし、該当ステージクリアすると1500円相当のポイントがもらえる、いわゆる「ポイ活」の「ゲーム案件」というやつだ。

ゲーム案件自体ポイントサイトにはまあまあ出る案件ではある。よってポイ活民もゲーム案件クリアには手慣れていて、最低限の課金でさっさとクリアする人間が出てきた。今回は最速だと5日間で初回課金160円出してクリアできたらしかった。

しかった、というのは、クリアする人間がある程度出てきたところで、運営半日以上の長時間メンテをして、該当地点のボスをめちゃくちゃ強くしたからだ。メンテ直前に3-12にたどりついていた人がいて、明らかにから受けるダメージが増えていたこから発覚した。また、この調整で、3-12以降の敵が3-12よりも格段に弱い、という、ゲームとしておかしバランスになった。

もちろんこんなことはポイ活に関係ないゲームでも聞いたことがない。条件の緩和対応を発表したポイントサイトがあるが、その補填もだいぶしょぼく、焼け石に水レベル

ノア運営に直接ステージの異常な強化を聞いても、「仕様です」の一点張りしか返ってこなかったらしい。

その後、超強化された敵をなんとかクリアした人がいたが、3-12の敵はサイレントで告知なしに強化され続けている。当然、ここ数日、ノアはポイ活界隈の中でプチ炎上状態になっている。ちなみにこの異常な強化は、ポイ活に関係なくゲームを楽しんでいたプレイヤーも巻き込まれている。

ノア運営がなんでこんなことをするかというと、クリアした人間が少なければ少ないほど、ポイントサイト広告費を払わなくて済むからだ。冒頭で書いた1500円分はノア運営広告費として払う仕組みになっている。つまりノア運営は初回課金分だけ集金して、該当地点の敵を異常に強化して、広告費を払わずに逃げ切ろうとしている。

週明けには残りのポイントサイト対応を発表するだろうが、すでに出ている緩和条件を考えると、あまり期待できるものではない。

twitterでは消費者ホットライン相談する話も出ている。

暇な人間がいたら、ぜひ3-12の敵の異常な強さを体感しにいってほしい。

10/31追記

やっと読まれるようになったので、ノア運営インゲーム悪事色々追加

・ストアレビュー不正操作

最新順にレビュー並べ替えると、星5の評価が集中している時期と、星1の評価が集中している時期がはっきりわかる。そんなレビュー操作している暇はあるのに、ゲームバランス修正する暇はないんですね?????

ちなみにこのゲーム4gamer記事によると事前登録者10万人を超え、ストアランキング1位にも入ったらしい。

ゲーム内強化アイテムドロップ率を異常に絞る

ドロップ率25%表記だが、周回しても表記以下のドロップ率だという報告が続々。しかも、難易度が高いステージほどドロップ率を絞っている模様。

ゲームハロウィンイベントを最新サーバー実施しない

最新鯖にいる人は大方ポイ活勢なので、そちら対策可能性が濃厚。

最新鯖の人が問い合わせたが、「他イベント実施中のための仕様」ということらしい。ちなみにこの論理は、他鯖で該当のイベントハロウィンイベントを同時に行っているため、完全に破綻している。

・最新作ゲームリリース日のサイレント延期

gamewithや4gamerではプレスリリース11/10となっているが、ストアでは11/30リリースサイレント延期。

リリースに合わせて公式垢のフォロー&RTアマギフやiPhoneが当たるプレゼントキャンペーンを行っているが、当選者が出るかどうかはお察しといったところ。こちらも事前登録者10万人を超えたらしい。

消費者センターに行った人がいたが、相談自身課金をしていなかったことなどから、めちゃくちゃ問題になるとかいうわけではないらしい。


ちなみに株式会社インゲーム、元々エステ美容業界社長をやっていた中国人間が片手間に立ち上げたオンラインゲーム事業らしい。過去には中途社員100%という記録もあったようで、現在求人サイトには大量の募集がある。(追記ここまで)

2022-10-09

anond:20221008230050

というか5chでもよく言われてるがそんなに急いで消化する必要ないんだよ

暇人でも消化しきれない勢いでコンテンツが追加されてるが、次バージョンが来るまでの間に今バージョンの内容やっとかなきゃみたいな意識でいたんじゃないか

それで収集苦痛に感じて愛でることすらできないような(別にレベル上げなくても愛でれるとは思うが)感覚に襲われるし

サブクエ通してさっさと地下エリアとか開放しないとストレスかのように感じてしまう、それでままならなさを感じて燃え尽きちゃうんだろう

でもさ、もっとオフゲー的に付き合っていいと思うんだよ

急ぐ必要あるのは時限のイベントだけだし、それも期間の8割サボってても余裕で挽回できる作りになってるのは、このゲームではよくあるソシャゲみたいにせかせかしてほしくないからだろう

螺旋みたいなエンドコンテンツですら今後この手のは実装しないとインタビューで言ったくらい、プレイヤーに育成プレッシャーをかけたくないという考えがあるようだ

そういう思惑を汲んだわけじゃないが暇人の俺でもアランナラ後日談クエどころか万葉の伝説任務すら未着手だけど気にしてないし、新キャラ育成も以前ほど急いではしなくなった

全部やろうとせずに自分趣味に合うこと、やりやすいことに優先順位つけてじわじわ進めていくのもゲームのうちだと思うけどな

素材はいいんだから楽しめるメンタルでやらんと勿体ない、それこそ嫌気がさしたらしばらく離れてても問題ないよねと思えるくらい懐は広い作りだと思うし

2022-10-07

[] そのよんひゃくよんじゅうさん

ルートヴィヒヴァンーッス

 

本日日本においては長崎くんちの前日、盗難防止の日、エドガーアランポーが亡くなった日にちなんでミステリー記念日、となっております

さて、不安定気候もようやく涼しく、肌寒くなって参りましたね。

季節の変わり目は体調を崩しやすくなるそうなので、体調には気を付けて過ごしましょうね。

 

ということで本日は【体調管理いか】でいきたいと思います

体調管理いか!体調管理ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-10-02

anond:20220926044355

アラン機関だろうがリリベルだろうが掘り下げたところで「だからどうした?」にしかならんし、しかもその分たきちさの時間が減る

というか、お前が望んでる才能は果たして今の時代が望んでる才能なのか?

2022-09-28

はてブさん、流石に偏りすぎてませんか?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/nekokatz/status/1574713492212285440

nekokatz on Twitter: "ひるおびに出てたらしい、統一教会ペンダントの人、これっすな。

これに対するブコメが上位から「真偽は不明だが」と留保をつけつつ(それもカッコ悪いが)「動員はあってもおかしくないよねー」というものが並んでいる。

stragon 実際そうかどうか不明だけど、当然動員はかかってるでしょう。「ひるおび」はこの女性インタビューした経緯を確認して報じるといいのではないか。元々仕込んでたのか彼女アピールしてきたのか https://bit.ly/3SyWYl0

x988 平日の真っ昼間にあれほど集まる事自体が異様だからね、統一だけでなく大規模な動員があってもおかしくない

yarukimedesuyarukimedesu 確証はないけど、「アベノミクス就職できました。両親ときました」と言ってた人も怪しかった。就職してんなら、火曜日有給とったはずだが…。 芸能

ustamustam え、これってアランチルドレンじゃないの? それはさておき、3kmの行列のうち統一教会が何千人混ざっていたかよなあ。/さっき報ステに出てたおばちゃんも似たようなペンダント着けてた…。

で、結論はというとデマ可能性が極めて高い。

https://twitter.com/kitakaze_iw/status/1574740818971496450?t=XMk1GvL8RemyAzmzfjmZIg&s=19

彼女ペンダントヘッド「統一教会 ペンダント」で調べても、この画像のどれでもないっぽいけれど…。

ソース…誰か!ソースsourceを下さい!

加えて、実際に動員してマスコミと組んでたのは国葬反対派ではないか?というオチ

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20220927/1000085280.html

国会前で開かれたデモに参加した福田香子さん(28)は第2次安倍政権の2015年からよくとしにかけて、「SEALDs」のメンバーとして安全保障関連法の廃止などを訴えました。

https://twitter.com/tanikiri17/status/1574706514396585984?t=5Lv17AzNOOvZzBs9Q3d16g&s=19

インタビュー受けているシールズ(笑)福田香子さん、この後も #NHK と共にベッタリと一緒に行動しているわけだが、一般参加者みたいに報じるのはどうなんですかねww

#ニュース7

2022-09-27

anond:20220926044355

俺は現状リコリス・リコイルは今年度オリジナルアニメで1番面白かったと思っている。

主人公女性2人(千束、たきな)とそのモデルケースにもなりえる男性2人(吉松ミカ)の関係について完璧ものが見れたので一切文句が無い。(主人公2人だけだと最後描写が軽くなる)

もしアラン機関テロリストの真島、DA存在について尺を割いた代わりに主要人物の描写希薄になってしまっていたら、主役が可愛いまあまあ面白アニメとだけ記憶していただろう。

こういった取捨選択ができていることからむし制作陣に拍手を送りたい。

次回作も期待しています

2022-09-26

anond:20220926085411

なんていうかDAアラン機関っていう主人公と相対する組織を2つ作ってしまったのが終盤とっ散らかった原因なのかなとは。

anond:20220926044355

>また、作中で出てきたアラン機関男の子リコリスであるリリベル、等々散りばめられた要素は何一つこう作中で明らかにならないまま回収される事もなく終わり、なんなんだろうと何の為に出てきたのかわからないままで腑に落ちません。

なんで最近オタクって劇中に出てきたことは全部伏線だ!説明されなきゃいけない!って考えるようになったんだろう。

リコリス最後まで見たけどアニメ業界作家性の劣化を感じた

いやまあリコリス・リコイル最後まで見たんですがね、それなり楽しめたんですが、明らかに人気がでたか作品の完成度よりも、続編への欲を丸出しな最後にガッカリしたんですよ。

リコリス・リコイルは名作になり損ねた

別に商業的な合理性否定してるわけじゃないんですが、でも作品としての完成度を意識してほしいなとは思って見てたんですね。

ただ、見終わって納得できなかったのは、少女達の青春犠牲を強いて国家治安を維持しようとするDAには明らかな加害性があるわけですよね、やってる事は戦中の軍部国家の為と称して若いパイロット達に特攻させて彼らの青春無茶苦茶にした事と変わらないんですよ。にも関わらずリコリス犠牲を強いていた側の人間は何一つ断罪されないどころか何の加害性すら示されなかった。

一応、作中でテロリストの真島はDAの加害性に触れてはいますが今一つセリフの一つ一つが軽薄で生半可な感じは脚本の練り上げの足りなさを感じずにはいられませんでした。

また、作中で出てきたアラン機関男の子リコリスであるリリベル、等々散りばめられた要素は何一つこう作中で明らかにならないまま回収される事もなく終わり、なんなんだろうと何の為に出てきたのかわからないままで腑に落ちません。明らかにこれらの要素は続編で回収するから期待してね、といった下心丸出しでうげーとなりました。

結局作品としての完成度よりも人気が出たから続編を出すことを優先したんだなといった印象は拭えず、テーマをほっぽりだすような作家性のなさには10年後も記憶に残るような作品よりも、作品が続く限り儲かればいいといったガッカリ意識しか読み取れませんでした。扱っているテーマ演出の素晴らしさは名作になり得ただけに残念です。まあこれは私の期待しすぎと言われればそれまでですが。

アニメ業界作家性が明らかに劣化している

90年代から00年代くらいまでのアニメにはテーマ性で明らかに上の世代を超えてやるぞ!といった意気込みは感じられたのですが、ここ近年話題になったアニメにはそういった意欲を受けとれません。

事実最近話題になるアニメ鬼滅の刃呪術廻戦、無職転生等々漫画やなろう系原作作品が目立ち、アニメ制作者側に作家性よりも制作技術が求められるケースが多く、アニメ業界でこれは才能を発見したなといった事が無くなってきています

リコリスコイルは久々に話題になったオリジナルアニメでしたのでわくわくしながら見ていたのですが、菓子パン砂糖を振り撒いたような糖分の中毒性で誤魔化した内容で期待はずれでした。作家性を忌避する事が現代社会の歪さの表れかもしれませんが、日本アニメ業界から才能が生まれる事はないのかと思うと寂しく思っております

追記コメントへの返信書いた

追記:リコリス最後まで見たけどアニメ業界作家性の劣化を感じた

https://anond.hatelabo.jp/20220927035238

2022-09-25

リコリコの感想

個人的には面白かった

で、他の人はどうだったかなと調べたら設定ふわふわストーリーガバガバ微妙評価だった

言われてみれば、と思ったので思ったことを書き出してみる

DAという組織

犯罪隠蔽するといった機能を考えると、そもそもこの大前提から無理がある

目撃者どうすんねん問題

情報操作が当たり前すぎてお前らが犯罪組織感)

ここに違和感を抱いた人はまずこの作品を見ないであろう、てか見てないよね?

なので、この組織に関しては真面目に考えずにファンタジーであるという認識を持った方がいい

最終回前に、銃を持って犯罪者を粛清するリコリス存在全国ネット(暫定)で公開され、その誤魔化し方にアニメ視聴者かギョッとした

最もその後、全ての人々がガバガバ工作を信用しているわけではないという描写が成されたが、DAという組織が隠れて治安を維持するという設定そのものミラクルであることを考えると、そういう世界なんだろうな、という理解に落ち着くのが無難かもしれない

要するにつっこんだら負け、なのだが、どんでん返しを期待する視聴者側としては肩透かしを食らったのも同然なので、もうすこしなにかいい案はなかったのですかと思わなくもない

アラン機関

全貌が明らかにされていない組

ミシュランの星つけるみたいに、才能ある人にペンダントを送る、ある種の慈善活動をしているような印象がある

才能に対して支援するアラン機関犯罪組織イコールではないが、現在テロリストとして活動する真島を支援している背景もあるので何がしたいのか謎

……ではあるが、それはそれとして、組織全体としては犯罪組織ではないと思われる

判断材料が少ないのでこれ以上話を広げられない)

今回の延空木の1件は、エージェントである吉松によるもので、そこだけを見れば彼は立派な犯罪である

じゃあ彼は何をしたかったの?という疑問の答えは「自分が才能を見出し少女が思い通りに成長しなかったから解らせに来た」だろう

殺人の才能を生かすことでどんなメリットが得られるかなどについても言及はない模様

舞台装置として認識してるので、理由はさておき、ばやっとした理念理解出来ればいいか認識している

あるいは今後の話の展開のために敢えて何も語っていないのかもしれないが、そもそもメインとなる話はリコリスであるから、続編があったとしてもアラン機関が登場する理由はないだろう

千束ペンダント捨てたし

・真島

ぽっと出じゃなかった髪がすごい人

弱者の味方と語るが、強者蹂躙することで弱者の味方になるという認識なのだろうか

所謂ラスボスポジションで、尽く千束に絡んでくるある意味人間味のあるテロリスト

バランスを取るためにテロを起こすのは割高ではないかと思われるが、広く世間弱者ににアピールするために事を大きくしている……のかもしれない

自分なりの美学があるらしく、破壊の限りを尽くすと言うより、何かしらの爪痕を残すことを目指している?

で、結局最終的には千束と命のやり取りがしたいと語るあたり、バランスとは何だったのか

およそ美学に基づいてテロを起こすという点においてはヒールとして興味深い

とはいえ、結局何がしたかったのこの人V2であることには変わらない

大衆リコリス存在認知させることで、日本の闇を暴いたのだとして、それがどうバランスを取ることに繋がるのか不明

美学のもとに世間をさわがすテロリスト」くらいの認識落ち着け特に何も思わない

・たきな

DAに戻りたいという左遷されたリコリス

結果、DA支部にて感情かになり、命令無視するような狂犬と化した

しばしば話の展開が早いと語られるが、千束心臓の件もそうだろう

個人的にはたきなが千束に情を抱き始めているのはよく分かったので、戸惑うところまでは理解出来る

しかし、いくら感情かになったとはいえ、理性を失うほど突っ走るキャラだったのだろうかという疑問は残る

命のやり取りしてるんだから必死になって当然!とは思うけれど、突然好感度が50が5000くらいにぶち上がった印象で、ちょっとびっくりしてしまった

吊り橋効果かもしれない

あと単純に疑問なのですが、命令無視しまくった結果左遷続行ということなのですよね?

左遷先の方が伸び伸び過ごせそうなあたり、楠木さんどうなんですか?

とまあ主に後半戦の疑問をまとめた

カッチリしたバトルものというより、女子メインの日常ガンアクションもの、という認識だったので、ふわふわした設定はさほど気にならなかった

キャラの掛け合いというか、場面の切り取り方がアニメというよりドラマというか、そっちを彷彿とさせたので会話劇が気に入った結果かもしれない

当然キャラが合わない人は合わないだろうし、ストーリーおもんなって人は何度見てもおもんな、って思うだろう

色んな設定が他作品を模したコピーアニメって評価も見たが、この令和のご時世、見たことも無いオリジナリティ溢れる作品の方が珍しい気もするんだがなあ

まあ、面白かったと言ってる人間でも、こんな不満は感じてるというメモ

2022-09-18

今週のリコリス・リコイルもつまらなかった

猛犬たきなは良かった、1話では左遷されて牙を抜かれた状態だったかもしれないがもっと早く覚醒させるべきだった。

女子高生社会悪を未然に抹消するというディストピア描写から始まった本作だが、結局この作品が描きたいのはアラン組織あるいは日本社会のような巨大な悪との戦いなのか、その悪に利用されまた逆に利用して自らの望みを叶えようとする駒(ちさと、真島)の哲学なのか12話になってもはっきりしない。

銃撃の中継は誤魔化す内容に差し替えられたが、11話ですでに街中で紙袋に入った銃とリコリスによる抑止(射撃)が発生しておりパニックが発生していた。

そもそも日本一般市民が拾った銃を即座に発砲をできるという描写は雑すぎて正視に絶えない。

リコリコメバーを際立たせるためにフキさくらモブリコリスは地味なキャラデザになっているようだが、物語全体の方向性が見えない中でこの子たちの出番も不必要に多すぎてかえって悪目立ちしている。

それならロリハッカー婚活メガネマスターの出番をもっと増やして掘り下げた方がリコリコメバーの絆を強く感じられる。

やっぱり犯罪者容赦なくぶっ殺していくメジャークサナギスタイル正義なのですね

2022-08-17

カナダ安楽死羨まし過ぎる

安楽死を選ぶ人が多い国は? カナダで急増』

https://news.yahoo.co.jp/articles/1d740e7b5773f340874fde833a58538ab9a2cf14

カナダでは先ごろ、61歳で生涯を終えたアランニコルズのケースが注目を集めている。うつ病を患い、

自殺願望があるとされていたニコルズは、安楽死許可申請した。ただ、同国では現時点では

精神疾患のみ」を抱えている人の安楽死は認められておらず、ニコルズは理由となり得る

慢性的身体苦痛」として、「重度の難聴」を申告した。』


難聴じゃあITの発達した現代では生きるのもそう難しくないだろうし通ったのが意外なんだが

本当にカナダ安楽死基準てゆるいんだろうな

羨ましいなー

安楽死が認められてそれを選ぶ人がどんどん増えてるって物凄く羨ましいし

これこそ「海外すごい。それに比べて日本は…」と思い切り海外age日本sageしてもいい話題だと思うのに

いわゆる出羽守と言われるリベラル系の人達殆ど安楽死の話はしないのはどうしてなんだ

2022-08-14

リコリコ』の最終回

千束アラン機関・真島を潰すために実弾を使おうとする→たきなが止める

千束喫茶店から出て旅に出る

・たきなに店の後輩ができる

あたりがありそうな気がしてる。

2022-08-13

https://anond.hatelabo.jp/20220811134200

存在自体が秘匿された秘密警察暗殺みたいなことする必要がないんだよね。

「殺しの天才」たちを見つけてくる機関があるなら普通に警察採用して犯罪は処理が出来る。

ただたんに「世界一安全な国、日本」を謳えることにどれほどの意味があるのやら。

アラン機関はそんなことにこだわってる偏執狂ってだけですかね。

2022-08-11

anond:20220811134111

これは、『天気の子』や『リコリコ』のテーマに直接的につながる主張であることのように思えます


 また、SF作家のアーシェラ・K・ル・グィンはこのエピソードを踏まえた上で(彼女によれば書いているとき意識していなかったということですが)、「オメラスから歩み去る人々」という寓話的な短編を書いています(『風の十二方位』収録)。


 これは、あらゆることが完璧に成立した理想都市オメラスの物語なのですが、じつはオメラスには恐ろしい欺瞞があって、ある小さな穴倉にひとりの子供が精霊への生け贄として閉じ込められているのです。


 この子供はその暗い牢獄のなかであらゆる権利剥奪され、虐待され、自分自身の糞尿の上に寝そべって暮らしているのですが、オメラスの住人のだれひとりとしてこの子供に優しい言葉ひとつかけてやろうとはしません。


 というのは、精霊との契約により、もしこの子供を救ったらオメラスそのもの崩壊することになっているからです。オメラスの大半の住人はこの事実を知ったときショックを受けますが、そのうち忘れてしまます


 ただ、ごく少数の人々はそのことを忘れられず、ただオメラスを壊してしまうこともできなくて、ただ、ひとり静かにオメラスを歩み去るのです。


 『天気の子』を観た人なら、この作品がこの「イワンテーマ」、あるいは「オメラスのテーマ」に対してひとつの答えを出していることがわかるでしょう。この映画はまさに「欺瞞理想都市オメラスから歩み去るのではなく、それを崩壊させる」物語なのです。


 そしてまた、オメラスが崩れても、それでも人は生きていくという物語でもある。これは少なくとも公開当時としては決定的に新しい決断だった。


 たったひとりの子供を犠牲にして成り立つ平和繁栄があるとしたら、その子供ひとりを救うためにでもその平和繁栄は亡んでしまってかまわない。そういう倫理的判断がその背景にあるように思えます


 一方の『リコリコ』では、リコリスたちの犠牲を背景にして成り立つ「オメラス」としての東京、あるいは日本社会は必ずしも否定的に描かれてはいません。そのことを批判的に告発することはできるでしょう。


 しかし、ぼくはあきらかにリコリコ』はその批判をも織り込み済みで、意図して「現在日本社会現実」を描出していると考えます。したがって、単になぞの組織DA」や「アラン機関」の悪を批判告発するだけではこの作品を正しく批評したことにはならない。


 『リコリコ』が語っているのは、ぼくたちが依拠しているこの「平和日本社会」そのものひとつ欺瞞理想社会オメラスなのであり、少数の人間たち(それも子供たち)の犠牲の上で成り立っているという現実なのです。


 いい換えるなら、『リコリコ』はぼくたちに対して「ほんとうにわずかな子供たちを救うためにこの平和を崩しますか? 理想平和崩壊させますか?」と問いかけて来ているといっても良い。


 『カラマーゾフの兄弟』のイワンル・グィンの描く「オメラスから歩み去る人々」のように、ただ欺瞞ユートピアを拒絶するだけならためらわない人も多いでしょう。しかし、『天気の子』のようにそれを崩壊させてしま選択を選ぶことがほんとうに「絶対正義」でしょうか?


 リコリスたちは、だまされ、利用され、搾取されているかもしれないとはいえ、一面では誇りをもって戦っているというのに?


 まだ物語は途中で、放送は続いているので確定的なことは書けませんが、ぼくは『リコリコ』は『天気の子』のように欺瞞告発し、欺瞞ユートピアとしての「日本社会≒オメラス」を崩壊させて終わるような結末にはならないと思う。


 DAリコリスによって維持される日本平和醜悪なまでに欺瞞的ですが、それでも平和には違いないのであって、一概に否定して終わることができるものではないのです。


 ここら辺の「必要悪としてのディストピアユートピア」の描写アニメPSYCHO-PASS』に通じるものがあるといって良いでしょう。


 『PSYCHO-PASS』の世界でも、欺瞞的な平和が続いているわけですが、それは必ずしも「悪」として告発すれば良いというものではなく、それを倫理的に乗り越えるためには「より良い社会モデル」を提示するしかないわけなのです。


 そして『PSYCHO-PASS』はそういうSF的にマクロテーマを扱う方向に進んでいるけれど、『リコリコ』はたぶんそういう物語にはならないんじゃないか


 ここまで書いて来たことを踏まえた上で、『リコリコ』が決定的に新しいといえるのは、その欺瞞、その偽善、その矛盾にもかかわらず、作品トーンが非常にあかるいことでしょう。前出のインタビューを読む限り、このあかるさも意図して選択されたものであることがわかります


 しかし、それはただ「暗いとウケないからあかるくしてみた」といった次元の話ではない。『リコリコ』は表面的なあかるさと裏面の深刻な暗さが奇跡的なほどのバランスで成立していて、それがおそらくは人気のもとになっている。


 匿名ダイアリー批判されているように、ただ百合百合女の子たちにガンアクションやらせれば人気が出るなんてことは、じっさいにはありません。エンターテインメントはそんな甘いものじゃない。


 『リコリコ』の人気は、この「天国ユートピア)のようでもあり地獄ディストピア)のようでもある過酷欺瞞社会」を「当然の前提」として受け入れつつ、なおかつ「突き抜けたあかるさ」で描くその斬新さの帰結です。


 べつの見方をすれば、『リコリコ』は日本アニメ歴史のなかで延々と語られてきた『新世紀エヴァンゲリオン』、『輪るピングドラム』、『進撃の巨人』、『BANANA FISH』、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』といった「孤児たちのサバイバル」を描く物語の最新バージョンともいえる。


 いいかげん長くなったのでこれらの作品の内実については触れませんが、つまりはこれらの凄愴な物語ではごくシリアスに語られていたことが、『リコリコ』では一見ライトコミカルに語られている。


 しかし、それは搾取問題が消えてなくなったことを意味していない。そうではなく、その残酷な(新自由主義的な?)構造を生まれながらにある所与の前提として受け止めている新世代が出て来ているということ。


 それが『リコリコ』の「新しさ」であり「面白さ」だというのがこの記事結論です。『リコリコ』と最も同時代的な作品は、いま「ジャンプ+」で連載されている『チェンソーマン』の第二部とかじゃないかな。


 以上! こういったことを批判的に踏まえてより高次な議論ができれば良いと思っています。でわでわ。

anond:20220811134111

これは、『天気の子』や『リコリコ』のテーマに直接的につながる主張であることのように思えます


 また、SF作家のアーシェラ・K・ル・グィンはこのエピソードを踏まえた上で(彼女によれば書いているとき意識していなかったということですが)、「オメラスから歩み去る人々」という寓話的な短編を書いています(『風の十二方位』収録)。


 これは、あらゆることが完璧に成立した理想都市オメラスの物語なのですが、じつはオメラスには恐ろしい欺瞞があって、ある小さな穴倉にひとりの子供が精霊への生け贄として閉じ込められているのです。


 この子供はその暗い牢獄のなかであらゆる権利剥奪され、虐待され、自分自身の糞尿の上に寝そべって暮らしているのですが、オメラスの住人のだれひとりとしてこの子供に優しい言葉ひとつかけてやろうとはしません。


 というのは、精霊との契約により、もしこの子供を救ったらオメラスそのもの崩壊することになっているからです。オメラスの大半の住人はこの事実を知ったときショックを受けますが、そのうち忘れてしまます


 ただ、ごく少数の人々はそのことを忘れられず、ただオメラスを壊してしまうこともできなくて、ただ、ひとり静かにオメラスを歩み去るのです。


 『天気の子』を観た人なら、この作品がこの「イワンテーマ」、あるいは「オメラスのテーマ」に対してひとつの答えを出していることがわかるでしょう。この映画はまさに「欺瞞理想都市オメラスから歩み去るのではなく、それを崩壊させる」物語なのです。


 そしてまた、オメラスが崩れても、それでも人は生きていくという物語でもある。これは少なくとも公開当時としては決定的に新しい決断だった。


 たったひとりの子供を犠牲にして成り立つ平和繁栄があるとしたら、その子供ひとりを救うためにでもその平和繁栄は亡んでしまってかまわない。そういう倫理的判断がその背景にあるように思えます


 一方の『リコリコ』では、リコリスたちの犠牲を背景にして成り立つ「オメラス」としての東京、あるいは日本社会は必ずしも否定的に描かれてはいません。そのことを批判的に告発することはできるでしょう。


 しかし、ぼくはあきらかにリコリコ』はその批判をも織り込み済みで、意図して「現在日本社会現実」を描出していると考えます。したがって、単になぞの組織DA」や「アラン機関」の悪を批判告発するだけではこの作品を正しく批評したことにはならない。


 『リコリコ』が語っているのは、ぼくたちが依拠しているこの「平和日本社会」そのものひとつ欺瞞理想社会オメラスなのであり、少数の人間たち(それも子供たち)の犠牲の上で成り立っているという現実なのです。


 いい換えるなら、『リコリコ』はぼくたちに対して「ほんとうにわずかな子供たちを救うためにこの平和を崩しますか? 理想平和崩壊させますか?」と問いかけて来ているといっても良い。


 『カラマーゾフの兄弟』のイワンル・グィンの描く「オメラスから歩み去る人々」のように、ただ欺瞞ユートピアを拒絶するだけならためらわない人も多いでしょう。しかし、『天気の子』のようにそれを崩壊させてしま選択を選ぶことがほんとうに「絶対正義」でしょうか?


 リコリスたちは、だまされ、利用され、搾取されているかもしれないとはいえ、一面では誇りをもって戦っているというのに?


 まだ物語は途中で、放送は続いているので確定的なことは書けませんが、ぼくは『リコリコ』は『天気の子』のように欺瞞告発し、欺瞞ユートピアとしての「日本社会≒オメラス」を崩壊させて終わるような結末にはならないと思う。


 DAリコリスによって維持される日本平和醜悪なまでに欺瞞的ですが、それでも平和には違いないのであって、一概に否定して終わることができるものではないのです。


 ここら辺の「必要悪としてのディストピアユートピア」の描写アニメPSYCHO-PASS』に通じるものがあるといって良いでしょう。


 『PSYCHO-PASS』の世界でも、欺瞞的な平和が続いているわけですが、それは必ずしも「悪」として告発すれば良いというものではなく、それを倫理的に乗り越えるためには「より良い社会モデル」を提示するしかないわけなのです。


 そして『PSYCHO-PASS』はそういうSF的にマクロテーマを扱う方向に進んでいるけれど、『リコリコ』はたぶんそういう物語にはならないんじゃないか


 ここまで書いて来たことを踏まえた上で、『リコリコ』が決定的に新しいといえるのは、その欺瞞、その偽善、その矛盾にもかかわらず、作品トーンが非常にあかるいことでしょう。前出のインタビューを読む限り、このあかるさも意図して選択されたものであることがわかります


 しかし、それはただ「暗いとウケないからあかるくしてみた」といった次元の話ではない。『リコリコ』は表面的なあかるさと裏面の深刻な暗さが奇跡的なほどのバランスで成立していて、それがおそらくは人気のもとになっている。


 匿名ダイアリー批判されているように、ただ百合百合女の子たちにガンアクションやらせれば人気が出るなんてことは、じっさいにはありません。エンターテインメントはそんな甘いものじゃない。


 『リコリコ』の人気は、この「天国ユートピア)のようでもあり地獄ディストピア)のようでもある過酷欺瞞社会」を「当然の前提」として受け入れつつ、なおかつ「突き抜けたあかるさ」で描くその斬新さの帰結です。


 べつの見方をすれば、『リコリコ』は日本アニメ歴史のなかで延々と語られてきた『新世紀エヴァンゲリオン』、『輪るピングドラム』、『進撃の巨人』、『BANANA FISH』、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』といった「孤児たちのサバイバル」を描く物語の最新バージョンともいえる。


 いいかげん長くなったのでこれらの作品の内実については触れませんが、つまりはこれらの凄愴な物語ではごくシリアスに語られていたことが、『リコリコ』では一見ライトコミカルに語られている。


 しかし、それは搾取問題が消えてなくなったことを意味していない。そうではなく、その残酷な(新自由主義的な?)構造を生まれながらにある所与の前提として受け止めている新世代が出て来ているということ。


 それが『リコリコ』の「新しさ」であり「面白さ」だというのがこの記事結論です。『リコリコ』と最も同時代的な作品は、いま「ジャンプ+」で連載されている『チェンソーマン』の第二部とかじゃないかな。


 以上! こういったことを踏まえてより高次な議論ができれば良いと思っています。でわでわ。

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じるメタアイドルサバイバルアニメの傑作だ!

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

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