「増上慢」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 増上慢とは

2024-01-24

自由値打ちがわからel-condorさんへ

ブコメ欄で私宛の当て擦りとおぼしきブックマークがあったので

必要な文量を書けるこちらで返信する。

  

  

価値観アップデート」の広まり

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240123211048

tune2011

個人に根差すべき価値観上下新旧あると思ってるのがグロいし、

Windowsみたいにどっかから配布されてくるイメージグロい。

あの言葉肯定的に使えるぐらい知能が低い奴はそういう配布物を求めてるんだろうけど。

2024/01/23

el-condor

価値観アップデートグロいとか言ってる人は、

いつまでも毎日武士に切り捨て御免されないか怯える生活をしていたらいいと思う。

間違っても人権とか主張しないでほしい。 hoge

2024/01/24

el-condorさんへつっ込みたいところが2点ある。

    

   

あのさあ、俺がここで書いてるのは

価値観アップデートという言葉」及びそれを人に向けて使える人間グロさであって、

人類社会が何かしら変化し続けること」については何の評価も書いてないわけ。

   

更に、あんたが言ってるのは価値観ではなく法規じゃねーか。

法規は個々人には根差さねーし、配布されてくるよそれは。

そこは個々人バラバラだったら成り立たないだろ。国内や州内では統一しねえとさ。

     

もうここまででもすげえというか

ようもここまで話の噛み合わない頓珍漢な反論が書けるよな。

   

(たぶん「価値観」とか「法規」とかい抽象概念一つ一つについて

 そのコンテンツの把握や区別あんまり出来ないんだと思う。

 ボヤボヤの思考で善を目指して自分を善人と考えていて、

 善と思ってるものに反対されるとキーッ!ってなる)

   

       

いわゆる切捨御免は斬られる側に相当アグレッシブ故意の「無礼」があって、

かつ斬った側が届出の際にそれを証明出来ないと処罰されちゃうんだよね。

  

幡随院長兵衛みたいな気合の入ったオラつき町奴じゃねえなら

町人が「今日突然無礼討ちで死ぬかも」なんて心配するような制度ではない。

   

el-condorさんてたぶんだけどそれなりの歳のパイセン

いわゆる階級闘争史観世代かそれに毒された世代でしょ。

武士特権ハチャメチャに誇張された江戸時代像を持ってる人の世代

 

「抑圧された民衆」の例として北斗の拳みたいな切捨御免イメージを振り回す左派の人って昔からいるけど

令和6年にまだやってるのは不勉強の感が拭えない。  

  

価値観アップデートしなくていいと思うけど、ドヤ顔で突き出すための歴史雑学はちょくちょくアップデートしたほうがよくねえか。

江戸しぐさとか言ってるウヨと違いが判らん

   

   

法規というのは~、

将軍国王の思惑であるとか~、

有権者代表である議会であるとかが~、

既に決定した結論を「おめーらこれ守れよ、守らないと処罰!」って配布するものなわけよ。

  

Windowsアップデートもこれだよな。

ビルゲイツ将軍の思惑による変なファイル勝手に配布されて押し付けられてるわけ。

   

   

一方で価値観と言うのは~、

個人に根差すものであって、可能な限り自由が保たれるべきものであるわけよ。

 

民主主義下では価値観が集まって法規を新たに作ったり変えたりすることはあるけど、

あくま価値観選挙議会法規なわけ。  

 

まりい、

価値観とは押し付けられてよいものではなく、

まして一律に配布・更新などされてよいものでは断じてない」

ってこと。 

 

価値観を誰かが配布して従わせちゃったらもう民主主義でも何でもねえだろ。

  

 

価値観法律みてえに配布して「アップデート」させたいという

知能があんま順調でない一部の人々の欲望って

それこそ人権とか自由とかの価値を全く解してないというか

これで少しでも左派とかリベラルのつもりだったらマジどうかしてんだよな。

 

「間違っても人権とか主張しないでほしい」はこっちのセリフだわ。 

価値観を配布して更新させるという幼児じみた傲慢さに違和感もたない人って

そもそも民主主義だの人権だのを尊重以前に理解すら出来てないわけ。

 

あんたのような人が人権概念恩恵に浴してるのは本当にたまたまのことで、

その幸運あんたのような人が社会的地位や影響力を持たないでいてくれたからつうだけなんだよな。

  

俺はあんたと維新あたりの増上慢どもとの区別がつかないというか、付ける必要性がわからん

だって維新の連中って「間違って出世してしまったel-condorさん」じゃん。

あいつらも個人自由に感じたり考えたり抗ったりすることに滅茶苦茶イラついてると思うよ。

気が合うんじゃね?

    

   

el-condorさんからel-condorさん以外の有志からも再反論は歓迎する。

はてブ増田あんちゃんと見てないから俺が気付いてなかったらコールしてくれると親切だ。

俺のブクマページにブクマするとコール飛ぶみたい。

2023-11-20

anond:20231120190301

最初の鍵かっこ「いや…それは思い上がりというほどではないのでは?」とかやらないとただのどっちにしても増上慢な人じゃん

2022-11-16

試験ラップ

拙策のエイジズム せっかくの芸沈む

笑うな老人 That's the way you're going

お前の気円斬 トカゲも切れんやん


俺は教育者 文科省の言うとおり

おめーな、その言い草 文句あるっしょ、ゆとり

これはそう戦 ゴングなるとVictory

永劫に迷走 弊校も閉口

適当に静聴 並行し瞑想 

丁重に警告 定刻にKO


増上慢に 行動監視

校長さんも 教頭さんも

紅潮マンに 相当アンチ

「もう降参しい」 投降勧試


もういいっちゅうの 効率厨

日中に 公立中へ

https://anond.hatelabo.jp/20221116090608

2022-08-11

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じるメタアイドルサバイバルアニメの傑作だ!

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。(続く)

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じるメタアイドルサバイバルアニメの傑作だ!

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じる

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じる

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

2022-08-06

リコリス・リコイルキモいところ

前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。

アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。

まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。

 

追記

いやーほんとブクマカとかトラバしてくるやつはアホしかおらんな。抽象的に考えることができないばかりか俺が書いてることも全く理解できてない。

ようはリアリティラインをどこに置くか(物語の中のどのライン整合性を取るか)っつー問題なんよ。死人が出ない設定ならこのままでいいの。リコリスが使ってるのは鎮圧弾で、テロリスト犯罪者からの銃撃に対しては特殊な訓練を受けてるから殺されることはない、とかね。だけどリコリスバンバン殺されていく。なのに大人側は対処する能力がないのかそのつもりがないのか何もしないし、なんなら何も感じてなさそうですらある。さすがに薄気味悪くね? って話なんよ。似た構造を持つ鬼滅の刃問題なかったのは、少年兵基本的に鬼に肉親を殺されているアベンジャーであることと、頭領である屋敷当主自身が業を背負っていて悲惨な死に方をすることが運命づけられている&死んでいった鬼殺隊全員を記憶するという肉体的にも精神的にも「責任を負う側」の人間からだよ。ガンスリ責任を負うというより報いを受けるって感じだが、物語的に帳尻合わせをしてあるという点においては同様。

リコリス・リコイルはそのへん完全にガバガバだよね。少女死体を積み上げてまであん治安の維持の仕方をする必要あんの? しかも別段特殊能力があるわけでもないただの孤児ってだけで戦場行きだぜ? エグくね? いや大人は軒並み揃って外道でそういうディストピアを描いてるだけなんです、って話なら最初からそういう顔しとけよ。

少年兵もいましたね残念www」みたいな馬鹿コメントをしてるアホがいるけど、子ども大人から搾取されてる構造を描いておきながらそこに完全に無頓着という意味では何も変わらんのよ。ヘタに男女で分けてると、それ分ける意味どこにあんの? って話になってくるわけ。男女混合でもなんでも能力の高い順に部隊分けして事件難易度に応じて投入する部隊を編成する方が理にかなってるし、そもそも少年少女に戦わさせる必要ある? 大人で良くね? って話になってくるので、なんなのこの世界ってことになるんよ。

少女が銃バンバンやって百合やれば撮れ高高いよねという話は普通にわかるけど、作ってる側があまりにそれ以外がガバでも萌え豚ブヒブヒ鳴くよねって態度なんでクソだなコイツラって話なん。

ここまで書けば理解できる? アンダスタン?

 

現代日本だと女子高生が最も警戒されないからなどという理由で押し通せると思うのはアホ

2020-12-20

リべサヨ「なぜただの質問喧嘩腰?」

todomadrid 企業からだけでなく、消費者からアクション起こせるというすでにいろんな国でも見られる実例だし、単に商売上の付加価値問題

店側も「わかりません」「対応ありません」でもいいのになぜただの質問喧嘩腰?

また始まった。

「ただの質問」。

自分達が批判を受けだしたら毎度この物言い

献血ポスターやらなんやらと同じ。

 

現場に問い合わせ殺到を呼び掛けて、

そのアクションによって圧を掛ける意図があり、

圧によって相手の行動が変わることを想定してそう明言してニタニタしていたくせに、

非難を受けたらそれら全部しまって「ただの質問」。

この手の奴等はマジで毎度こうなんだよね。

 

 

1.誤魔化しはやめよう 

トラウデンさんが推奨していたのは「ただの質問」ではありません。

https://getnews.jp/img/archives/2020/12/NHK1217.jpg

買い物をする際

店員

環境配慮した商品ですか」

と尋ねることで

店側の意識も変わっていく

はい

店側の意識を変える啓蒙手段として言っています。少なくともこの内容で報道されました。

目先の利とタスクに追われる小売業従業員どもに、啓蒙目的でこういう質問をして、社会を変えていくんだって言う話ですよね。

 

ミリも「ただの質問」じゃねえんだよ。   

まずそこを誤魔化すのはやめよう?

お前等はなんで毎度毎度、自分側が非難される流れになったとたんそうやって

言ってたこと・やってたことを割り引いて「普通のことをしただけなのに叩かれた…」っていう誤魔化しやウソをやりたがるの? 

 

立ち話の口喧嘩ならそうやって自分の言ってたことを後から変えていくカス戦法が成功することもあるけどさ、

ログが残るとこでやっても「あ、こいつらカスだなー」って思われるのがオチじゃん。

 

 

2.質問啓蒙・教導の問題

じゃあそもそもトラウデンさんの御発案にはどのような問題があるのか。

大きく3つあるんだよ。 

 

1つめ、そもそも末端店員がそんな啓蒙目的の御質問を頂いてなんで困るのかというと

仕入経営意思決定してるのがそいつじゃないから。

啓蒙していただいたり、圧をかけていただいたりしても、どうしようもないわけ。

社員ですらねえ非正規雇用バイトだって多いよね。

 

意識を変える」じゃねえんだよ。

トラウデン様のそのご下問対応あい店員が何考えてるか教えてやろうか。 

(お貴族様のオナニーに付き合わされて疲れるなあ)

(このつかみどころのない質問対応あいレジに入れなくて他のスタッフ負担が増えちゃうなあ)

って思ってるんだわ。

 

2つめ、もっと失礼で本質的炎上要因はこっちだと思うけどさ、

小売り末端の奴等を対等扱いも人間扱いもしてないんじゃん。

なんだ質問意識を変えていくって。

 

啓蒙目的アプローチならさ、もうストレートに、ちゃんと、

「勤務中すみません、少しだけ話を聞いてください。」って言って自分環境への考えや活動説明したらいいだろ。

 

もちろんこれだって迷惑行為だし叩く奴もいるだろう。

でも俺はこれなら少しも叩かないよ。

何故か?

これは正直に自分目的を伝えて、目の前のいる人間とフェアなやり取りをしてるから

相手と向き合うってそういうことだろ。

カスタマーとしての質問の振りしながら対応負荷をかけて「意識を変える」とかほざいてるのとは全然違うよ。

相手もそれなら断ることも出来るし、逆に環境についての自分意見を述べることだってできる。

質問することで啓蒙する」とかい増上慢とどっちが人間同士のやり取りとしてまともよ。

  

3つめ、

そもそも環境配慮した商品ですか?」という質問あいまいさ、定量性の無さ、非科学性ったらないよな。

「回答に当たっての判断基準を述べよ」って聞き返したくなるわ。

頭悪い奴等の独り善がりな想定では「環境配慮した商品ですか?」で万事上手くいくんだろうな。 

こういうバカどもにKPIとか立てられたくないもんだ。 

 

 

3.トラウデンさんとルッキズム問題

別にこういうトラウデン様のようなお貴族様が環境のこと考えてくださること自体には1ミリ文句ねえよ?

そういう活動こそノブレスブリージュ、暇と余裕のある方々が取り組んでくださってこそのことであり、それへの取り組みは賞賛されるべきことだよ。

でもそれが忙しい小売業店員捕まえて頓珍漢なアプローチすることなんですか?

バカちゃんにもほどがあるだろ。

トラウデンさんて21歳なんだよ。

あれかなり若いな。

そりゃ確かにまだ子供みたいなもんだわ。

 

こういう人をさあ、品のありそうな美人からってだけで旗頭にすんなよ。

ミスコンに反対してるような馬鹿どもはこっちの方を咎めろよ。

 

大学ミスコンなんてなんも問題ねえんだよ。あれは最初から美貌で戦うコロシアムじゃん。

レギュレーションも「女子アナ風味」と決まってて、尖った顔の美人や孤高の美人は落ちて丸顔で可愛い感じの顎小さいつまんない顔した社交力と出世欲のあるやつが勝つって決まってるわけ。

みんなが分かってるルールの中で容姿+αを競ってるだけ。

あれの優勝者はそういう競技の勝者であるにすぎない。

100メートル走の勝者と何も変わらない。

 

でも

トラウデンさんみたいな成人したての美人社会的な啓蒙やらせる、価値観象徴として立たせる、

これこそルッキズムだろ。

ダメなのってまさにこういうのだろうが。

 

「美」を物事の正誤性とか、倫理的優劣とか、そういうことと混同させて利用しようとしてるじゃん。

ブスやブ男にとって一番キツいルッキズムってそれだぜ?

「美」をいち競技いちステータスにしておかず、正しさとか賢さとか人格かに絡められてしまう、それこそルッキズムダメなとこじゃん。

(このトラウデンさん担ぎが上手くいっちゃってたら、「異を唱えてるのはいけてないブスと不細工と老人www」になってただろ間違いなく。)

 

美人が言ってることなら正しいのか?違うだろうが。

環境問題にどう取り組むか、消費者一人一人がどんな行動するといいかって言う話なら、

ちゃん環境の専門の学者のそれなりのキャリアと学識のおばちゃんが出てきて言わなきゃいけないことだろうが。

ここで美人大学生トラウデンさんが顔になってることに「おかしくない?」って言える瞬発力がルッキズム反対ってことだろうが。

 

 

4.議論レベルの耐えられない低さ

学者のおばちゃんなら言ってることに反論されても再反論するだろ。

美人大学生のふわふわした共感ベース発言は反発食らったときに何も言えない。

擁護も「トラウデンちゃん可哀想」「女だから叩いてるミソジニー」「ただの質問なのに」とかバカみたいな次元しか言えない。

こんなのが環境問題についての議論だっていうの、お粗末すぎだろ。

  

トラウデンさんの今回の発言は、大学生がサークル内で何となくいいこと言おうとしたレベルなら叩かれるほどのこと言うてないし、

トラウデンさんこんなんで炎上してむしろ被害者じゃん。

トラウデンさんがいま可哀想立場に立ってるのも担ぎ上げた奴等のルッキズムのせいなんだよ。 

それでいまトラウデンさんを担いでる奴等(ネットそっち系なり今回のハフィントンポストなり)ってなーんか、

普段大学ミスコンに反対してるような、左派リベラル陣営じゃない?

     

こいつらとにかく頭が悪いから、「差別反対」唱えてもやれてないし、「ルッキズム反対」唱えてもやれてないんだよな。

差別って何か、ルッキズムって何か、とことん考えたことがない。

口でフワフワッと言ってるだけ、その概念を旗にしてけしからんかにみんなで投石して気持ちよくなりたいだけだから

 

もちろん環境問題についても「愚民啓蒙しながら呆れるカシコイ自分」に興味あるだけで、環境問題自体意見知識もない。

グレタさんの時だってグレタさんを石投げに利用したけど、グレタさんの言ってることは全然興味ない。

グレタさんを持ち上げながら反原発かいハチャメチャでも平気。論理性皆無。

 

非難されるべきクズはトラウデンさんではなくこいつらなんだよ。あとガースー。

 

 

5.おまえらリべサヨとして大丈夫なの? 

トラウデンさん呼んだのガースーだぜ。

炭素社会の実現に向けて真面目な科学議論をすべき全国フォーラム

美人慶大生(FIT入試官邸に呼んでふわふわした啓蒙発案させて公開してるの政府なんだわ。

 

ガースーのポピュリズム科学軽視そのものみたいな事案じゃねーか。

でも「女」であるトラウデンさんが、「環境保護」という方向性発言し、「愚民啓蒙」という趣味性が香ってるため、

ネットリベラル左翼はこれを擁護する側に立っちゃうわけだ。

  

こいつらの陣営決めがいかに非論理非科学的で、表層的な党派シグナルで決定されてるかがよくわかるよな。

絵に飛びついて交尾しようとするカエルと変わらん。

もう本当に、絶望的に、頭が悪いの。

 

環境省の広報大使を務めるタレント武井壮さんや、モデルトラウデン直美さんらがメンバーに選ばれた。政府側は小泉進次郎環境相、梶山弘志経済産業相関係閣僚が参加した。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFS171CP0X11C20A2000000

この時点でこの座組の方を叩くのがまともなリべサヨなんじゃあないですかね?

トラウデンさんガースーの真横の席で草生えるわ。

そこは首相と一番活発にやりとりするべき専門家が座る方がいい席じゃねえのかパンケーキ野郎www

 

これ見た瞬間「そこはわからんちんの美人じゃなく専門家を」って言えないおまえら馬鹿リべサヨも所詮ガースーの凡庸さの掌上のレベルであって

台湾オードリータンをうらやましがる資格なんか1ミリもねえんだよ。

 

まとめ

お前等レベルバカはさあ、

社会や天下国家を語る前に自分の頭をマシにすることに取り組んでくれよ。頼むから

お前等ごとき啓蒙できる相手なんかこの世に居ねーよ。

お前等が最下層のバカなんだから

 

トラウデンさんはまだ成人したてなのに美人からって凡愚宰相フォーラムに招かれて

大衆専門家より上品美人さんの話の方を聞くよねっていう凡庸な計略(外れてはいない)に利用されてつまんないこと言っただけ。 

 

でもお前等は?下手すりゃトラウデンさんの倍近くかそれ以上を生きながら、

トラウデンさんと同レベル議論に終始するお前ら。

ガースーを見下しながらガースーの繰り出す凡庸な悪に踊りまくるお前ら。

 

今回ガースーの舐め腐った美人計を破ったのは誰だったか

普段ガースー批判科学軽視批判ルッキズム批判を口癖にしてるリべサヨではなく

しろそういうリべサヨを嫌ってるような側から多くの批判が出ていたと。

なんだこれ。

 

お前等が大衆啓蒙・教導なんかできるレベルだと思う?  

バカが思い上がってんじゃねーよ。

2020-07-05

【2000件突破記念】これまでに投稿された「今日知った言葉」の一覧 (2/2)

anond:20200705020553 の続きから

カドショ, シンデレラフィット, 会計年度任用職員, すり混ぜる, 闇営業, ごちロス, カショーホケンチ, くもわ, FIRST, 蟻浴, 光営業, ソカタ, ファーストバイト, 会話泥棒, ビニ傘の「APO」, あまえんぼ言, ヴァンプ女優, 雲上御三家, サンダーストームムーン, シリーシーズン, エアプランツ, ライトヴィラン, ビハインド・ザ・シート, ドラゴンボールAF, ガキ犯, ロナルド・オーパス, ビトウィーン・ザ・シーツ, 殯, ウガリ, ワンワンライス, Nullius in verba, 獅子狗巻, セクシータイム, Joy-Conドリフト, 拝承, 寄り弁, 瀑布, バチャ豚, 羊毛党, タウマゼイン, ディーラーダッシュ, 血迷い言, ちんちんかく, 念仏講, 釘宮三連, ビルピット臭気, ビザンチン将軍問題, KP, 石女, ウェット&メッシー, ヤバタイ, TL, パニックハンドル, ラ米, cuckold, Nagasakied, ブロ解, 冷蔵庫の女, ビーストモード, ソルトランプ, 推しマ, へそ天, セルラン, マダックス, ナーロッパ, 推しごと, バールストンギャンビット, ギロチンマンション, 醜態成, シャークトレード, 箱推し, スピン報道, LINE@, #なちゅぞら, ラプンツェル症候群, 絵畜生, 天然独, 9152バイトの男, ガクチカ, プレグナンツの法則, スト高, awsl, ドグソとSPA, すみれコード, トリプルクラウナー, エコラリア, モレホイ, フリーグスキャム, アンドを取る, ニュル, 太郎系, 石鹸枠, シーステッド構想, クライシスアクター, 3T, ASMR, マミフィケーション, おかる, センテナリアン, カスイチ, ケンチャナヨ, テガイチ, 事后诸葛亮(事後諸葛亮), ディープフリガナ, WWⅠ(Web War Ⅰ), パンダ声優, ヨーヨークラブ, イカリング, ルーターシューター, TMD, Nattou, ロリカ・セグメンタタ, ケイジャン料理ホーリートリニティ, satoshi, フードホール, マラネロ, ブルペンデー, woke, エコサイド, グローサラント, Shipfu, リブラ, グッドイナフ, オドメトリ, スピュー, レシートマシュマロ, ピルピル, プルキニェ現象, マクンバ, マンハッタンヘンジ, マックロード, 万歳三唱令, アグレット, おねガキ, おもちゃワード, ジェネリック, ビーフケーキ, タンバリン, ジクロフェナク, ノンバイナリー, 知恵多ければ憤り多し, メイプルソープ事件, ポトラッチ, ジェンダーフルイド, カーディストリー, カワイイメタル, かみなり汁, 奈良漬, 爆アド, 増上慢, ショッパー, 鞣す, ゼッペケ, ローターアクトクラブ, ピンズド, 裏巻き寿司, 三角様, 定食パッチ, ケトション, リープフロッグ現象, 吉川線, CGDCT, ストリートネイム, キモオタブルー, 置き配, CSF, 尻馬サーファー, 夫源病, ペタロイド形状, イカニモ系, ネロナンブル, ヒットエンドラン, UI, ヒンメリ, 産婆術, グルーチョ眼鏡, 麻薬覚せい剤乱用防止運動, ちんちんもがもが, 山の神, 高見え, チョンガー, プッシャー, プラー, チュンカ, 偸盗, 空気録音, マイオナ, オンライン抑制効果, アストロターフィング/人工芝運動, 太平洋ごぼうを洗う, 背中関数, サーフェスウェブ, 絶望ステップ, フロスダンス, 承知しました, ジギリ, 反社会的勢力, トニー!トニー!トニー!, タラノア, AAタイトル, 七福丼, ビビビ婚, チェリー・ピッキング, でんでん現象, アンビャ・フアンビャ, ファーリー, MEP, MEPs, 瞬瞬必生, るるぶ, ポカホンタス女, ルルブ, ルドルフ, ファントム・バイブレーション・シンドローム, ショールーミング, インポスターシンドローム, 回転窓, デジタルツイン, アンタ, T9(ティーナイン), シス, 時渡り, パフィーニップル, ウィンドラス現象, 推死(おし), ぺごくん, ヒカセン, フェアリージャパン, スクリーンドア効果, 巴板額, 温顔, いっちょかみ, 肉盗み, 桃色筋肉, ペイペイ痴漢, バニラ(ゲーム用語), メリバ, しわしわネーム, 紙しばく, RTFM, YY, ててご, カース・マルツゥ, バイロニック・ヒーロー, デンタルダム, スーパーコンパニオン, サグパニール, トレモ, スノピ, Hindsight is 20/20, DARVO, ヤカ車, 五毛ちゃんねる, マジックラウンドアバウト, レモン市場, パイスー, 世界四大ミュージカル, 医産複合体, 2019-nCoVSARS-CoV-2, 新コロ, リキッドバイオプシー, ワッパ, アテンションシーカー, ニボラー, スーパーアプリ, レポーティングバイアス, 盤寿, シーライオニング, インフォデミック, シーライオニング, シャウティング効果, バシがけ, ことりベージュ, 2.5Dカラー, ファンチ, 純ジャパ, 人差し指シフト, 切り抜き, five eyes, ピークハント, chimney, bean-to-barチョコレート, ゴーレム効果, 赤文字系青文字系, ハーフアニバーサリー, チョンセ, キャンセルカルチャー, おしがま, テンプラ, トモアスキップ, 実力の若林, モザイク破壊, 横浜三塔, FSC, ミソる, グロタンディーク素数, イネイブラー, こする, カーニズム, ミートパラドックス, 違法マイク, 見て!○○が踊っているよ, ベターハーフ, 引く手あまった, ピーナッツ母子, ヴィブラスラップ, シャクティン, コロンブス交換, ミングる, ミングル, ソーバーキュリアス, マッドプライド, AK朝ドラ/BK朝ドラ, コロハラ, ドアマットヒロイン, インペ, 光落ち, コネティングルーム, 血管迷走神経反射, ロゴスリー, グレイ・リノ, オキラ, ココセ, パンデモニアム, コヨーテタイム, エダ, チャンピオンシップチョーク, ハイジ男子, マルーン, ANTA, 百目蝋燭, ワンカベリカ, チー牛, バウムクーヘンエンド, メザリアンス, ロックタウン, ノー3密, ひんがら目, コビディオット, 天爵、人爵, アラン・メリル, スナイプ, 集・近・閉(シュウキンペイ), タレット, レジャシ, Avoid the "Three Cs"!, 金華糖, 〇〇line, スキール音, 監視資本主義, フェムドム, 卒花, ピンコロ, セーフワード, 花筏, プロシージャ, コンジット, おっぱい, 景照, かみかみ, エライオソーム, 白鷴, 女牆, 徙崖, アンツーカー, ガブ, 梨割, シーヤ派/スンナ派, Tofu on fire, moetron, クルル, 隠亡, 細引, 筆先, 和讃, はらたいらに3000点, 赤新聞, スペニット, ドロ系ラーメン, しぶり腹, 猫毛雨, 紫の州, くくり猿, お染の七役, 天勝, 技癢, アクキー, ションベン, ライスワーク, 蝋型電胎法, タイポリセミア, 育フェ, ココ電, トピアリー, ムッシュムラムラ, バカ、アホ, vegetative state, テンセグリティ, ギグワーカー, 横紙破り, とせがら, あのね商法、あのねされる, クロスモーダル現象, bf大学, "moxibustion, moxa", NL, ヒロイックエンジニアストーリー, ガンブー, 法論味噌, ギドラ入り, Windows2000, カリン (マメ科), シャコアゲ, 最終回発情期, 自粛テロ, ブリーチパラドックス, 闊葉樹(かつようじゅ), 更紗模様, 椋鳥, 雲母紙, ケンジントン・セキュリティー・スロット, りひか, 待合茶屋, 昼間線, スネークウッド, いちご世代, エア炎上, イシモチ, ヒロピン, 羅宇屋, イロチ, オイモスポイ, CC, ままごと, ゴルディロックス原理, ペンギン夫婦, ディオプトリ, コロナハイ, アンジャッシュ, I HATEBU, 日の神論争, 要介護ハンター, 端綱, ヘレクスル、鹿石, [Linux]コマンドラインインターフェイス, チャフ, 換地、替地, 新都市基盤整備法, 剔抉, フレア兵器の), トゥキディデスの罠, 代位弁済、代価弁済, 大規模修繕、大規模の修繕, ブッチホン, 生存放棄症候群あきら症候群), その他、その他の, フィルハーモニー, cowgirl, コメデザ, コンフォートフード, どんこ, アガベ, フィジオセラピー, マクラメ, マリーシア, テイラー柱, ムカデ砲, クルクルチャーン, photoshopping, パーレイ, オーバーロット, べったー, 青焼き, Dolcett, 地雷メイク, オバタリアン, シルヘル, ピチューン(ピチュン), バタ男, 暑さ忘れて陰忘る, トランジスタグラマー, ミステロイド, YMYL, ファントムセンス, ぴえんアイ, A.C.A.B., ウェビナー, クッキードゥ, 肉トロ, ツイ盛り, 推ししか勝たん, vore, トーストサンドイッチ, アネクドータル, tldr, フトモモ科, ツェーマン, ナーロッパ, 不夜城, トレモロバイバイ, ホッブズ問題, ワンレングス, 退蔵益, 事実陳列罪, TT, サンクション, ズンパス

詳細はこちからhttps://anond.hatelabo.jp/c/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89

2020-06-26

id:kincityが付けたタグ一覧

b:id:kincity

1年は続くと予測 (1)

3.31から来る様になった (1)

BunkerBoy (1)

FYI (2)

Fuck off (1)

JC佐々木紀 (1)

a.k.a.卑怯者 (1)

↑↓お前等に (1)

↑↓ルサンチマン念仏 (1)

複数idとかないですが (1)

↓下に見本が居る (1)

事実じゃん (1)

◯んでくれマジで (1)

「主に二次」は余計 (1)

あたまがわるい (2)

あとで読む (573)

あなたコロナは (1)

あの変化は皆さん (1)

あの手この手増田 (1)

あほくさ (6)

あほの国 (1)

あらあらまあまあ (1)

ありがとう (1)

いいよキモいから (1)

いい時も悪い時もある (1)

いくら貰える記事かな (1)

いつもの増田と推測 (1)

うわぁ… (1)

ままごと政権 (1)

おもしろ (5)

お前の目は節穴か? (1)

お前は物忌してろ (1)

お前も大衆なんだよ (1)

お前も銭出せば? (1)

お前らだけです (1)

お前等にうんざり (1)

お前等幼児なんよ (1)

お金だけじゃないよね (1)

お金だけの話 (1)

面子馬鹿 (1)

かなり酷くなったのに (1)

から日本を取り戻す (1)

がんば (2)

がんばれ (4)

きっつー (1)

くっさ (1)

こいつの悪は (1)

こころもわるい (1)

こっちにも書いとくわ (1)

こっち見ないでね (1)

この話とはズレるが (1)

こやつめ (1)

こりゃダメだ (2)

これが厨二病か (1)

これ同調圧力なの? (1)

こんな奴ばかり (1)

こんな時だけ (1)

ごめん (1)

冗談を (1)

ご愁傷様 (1)

ご自愛ください (6)

ご苦労様 (1)

ざんねんな生物図鑑 (1)

しかも舎弟も盆暗 (1)

じゃねーよ (1)

すみません (2)

せめて人殺しの顔を (1)

そういうとこやぞ (1)

そういう所ですよ (1)

そしてまたガン無視w (1)

そして真っ先に (1)

その幼稚な選民意識 (1)

そもそもおもろくねぇ (1)

それ「誠実」なの? (1)

それってなに棒? (1)

それ江戸時代の (1)

そんなに難しい? (1)

だいじょうぶ? (3)

だぞ (1)

ちくわクオリティ (1)

っこ (1)

つかれるわ (1)

とは (2)

とはそういうこと (1)

どの口が言う (1)

なに目線だ (1)

なんだこれ (3)

の違い (1)

はい2度と (1)

はいかしこい (9)

はてブの「技術者」 (1)

ひとたち (1)

びっくり人間ショー (3)

まさに虫 (1)

まずは隗より (1)

まず保険証を捨てよう (1)

まだ釣られてんの? (1)

まだ電車乗ってるの? (1)

まっくろくろすけ (1)

まともな日本に (1)

まるで中国ですね (1)

もっと頭使って (1)

もないよね (2)

やだダサい (1)

やっぱ幼児やん (1)

やはり賢くない (1)

やる事が常に卑怯 (1)

よかったね (1)

よく訓練された何か (2)

わからん (2)

わかりやすい (1)

わかりやすく (1)

をした訳でもない (1)

アカウンタビリティ (2)

アクセス乞食かな? (1)

アナーキストなの? (1)

アングラでやれ (1)

イキりかっぺさん (1)

ウンザリする (2)

タコトかよ (1)

キの字 (1)

キモい (1)

コレじゃない (1)

コロコロ変える (1)

コンテキストわかる? (1)

ゴールは何処ですか? (1)

ザッツ噴飯物 (1)

ジェンダーセックス (1)

スルーなのね (1)

スーダン映画だった (1)

ソレ妄想だよ⭐︎ (1)

タグつけ妖怪 (1)

ダサ (1)

チョロい人々 (1)

デジタル瓦版 (1)

ドネーションでやれ (1)

ドンキホーテかよ (1)

ナンダッテー (1)

ネット弁慶 (1)

ハハハ (1)

ハマケン大好き (1)

バカなの? (2)

バカなんですか? (1)

バーカ (3)

ブコメ幼児 (1)

ブコメ無能の見本市 (1)

プライドすらない (1)

プロパガンダだよね? (1)

プロ政商の凄み (1)

ホモソ遊びしたいと (1)

ホラー (3)

ポンプは肘で押そう (1)

マウント結構です… (1)

マジで何なん? (1)

ミンクオイルは駄目 (1)

モノ言いはOK (1)

ヤクザと一緒 (1)

ヤクザ思想 (1)

ルサンチマン念仏 (1)

レスポンシビリティ (2)

ローコスト政治 (1)

ロードマップあるの? (1)

ワッショイ (1)

ワレまだ (1)

一事が万事 (1)

上念司 (1)

からマウント目線 (1)

下がるのですね (1)

下の下の品性 (1)

不正腐敗は不要 (1)

主体を持ちたくない (1)

互助会とは? (1)

井の中のアレ (1)

井上トシユキ (1)

人生時代から知ってる (1)

人間と言うより虫 (1)

今度からそうします (1)

今日オタク戦争ご (1)

仮想敵だけお好き (1)

何で1 issueで (1)

何も考えてないマン (1)

何処が無辜だよ (1)

何回目だこれ (1)

信頼を毀損する (1)

個人の感想ですかー (1)

党派性の申し子君たち (1)

全てが運否天賦ですぇ (1)

全ては嫌がらせの為に (1)

共産党労働党 (1)

出会い系だけ (1)

初めてのお使いかよ (2)

利用出来るものと (1)

削除すれば良い? (1)

加害者被害者意識 (1)

勘違い増上慢 (1)

医療関係者には感謝 (1)

匿名マウントゴリラ (1)

卑怯煮凝りマン (1)

単語修正しました (1)

反論…? (1)

口を開けばカネ (2)

口を開けばカネの話 (1)

可哀想な子 (12)

吐き気がする低俗 (1)

哀しい生物 (1)

嗚呼からない (1)

嘘つき政権宦官 (1)

国難政権 (5)

基準は常にゼニカネ (1)

夜郎自大言いえて妙 (1)

女の味方面の皆様 (1)

女の春=男の命だよ (1)

子供に手を出すのは (1)

安倍内閣お前のこと (1)

宗教だよね (1)

宗教観の問題 (1)

実際は安倍にもある (1)

宦官ムーブが (1)

寄らば大樹だ (1)

寄らば大樹でモラルも (1)

密すぎワロタ (1)

山口敬之 (2)

差別ファースト (1)

幸福なオツム構造 (1)

幻聴等出るのですが (1)

幼稚 of 幼稚 (1)

弱いなら吠えるな (1)

当然手も洗うし (1)

から敬称つけなくて (1)

目出たき人々 (1)

微温的日本 (1)

忖度マシーン (1)

性にだけ知能指数が (1)

恥ずかしい (1)

恥を知ってどうぞ (1)

恥を知れよ (1)

意識バイトリーダー (1)

愛せない人々 (1)

成人して受験自慢…? (1)

或は地回りヤクザ (1)

戦争ごっこウンザリ (3)

戻したいだけ (1)

批判なき美しい国 (1)

指摘も多様性だろ (1)

播州はどの国? (1)

教養主義の敗北 (1)

既知の外のひと (1)

日本人にも (1)

日本国は人権がお嫌い (1)

日本語に失礼 (1)

早く人間になって (2)

早速ネトウヨが (1)

星なくても書くが? (1)

星付けてるでしょ (1)

星付けてる面々… (1)

時事通信 (1)

黒島ニッポン (1)

書き換えました (1)

最後しますね (1)

最近じゃない (1)

本当ウケるよね (1)

本日の1bit脳はこちら (1)

本題には反対 (1)

楽しみにどうぞ (1)

楽だからね (1)

権威からの (1)

まらない (1)

正義関係ねぇー (1)

此は藁人形じゃないん (1)

此方にも書いとくね (1)

歴博みんぱくもよろ (1)

歴史勉強してね (1)

死ぬダサい (1)

殴られ飽きたわ (1)

毎度毎度ウンザリ (1)

江戸時代近世だよ (1)

浅いサブカルの (1)

無視すんなよ? (1)

特攻隊は基本 (1)

少年政権 (3)

猿山からの脱却 (1)

猿山の住人 (1)

猿山マウントマン (1)

猿山党派性の鬼 (1)

生きてるの? (1)

生きて戻らないので… (1)

生きとったんか↓ (1)

男は自浄作用ないの? (1)

男も同じ傾向 (1)

皆で育てた増上慢 (2)

皮肉かな? (1)

皮肉じゃないからね (1)

盆暗の見本 (1)

くそ鼻くそです (1)

知能()コンプのひと (1)

知能()自慢とは? (1)

石の裏のアレ (1)

石の裏へお帰り (1)

確定申告したくねぇ (1)

私はハマケン派 (1)

私もバカは嫌いです (1)

理系なんですけどね (1)

秒速非表示にw (1)

税金も要らんやろ (1)

笑わせてくれて (1)

素直に言えば? (1)

終わってないですよ (1)

終わる終わる詐欺 (1)

絶対いけないのは前提 (1)

美貌じゃないけど (1)

脊髄反射マン (1)

脳味噌詰まってる? (1)

腹いたい (1)

臍で茶が沸きそう (4)

自己紹介かな? (1)

自民党ヤクザ世界 (1)

自治体あたりの例です (1)

自浄作用どうぞ (1)

興味ないでしょ? (1)

舐めてるねぇ (1)

良いところがない (1)

茶番 (1)

表層的なのは誰なのか (1)

補償はしてあげて (1)

西村更迭で (1)

見本市 (1)

視野狭いスよ (1)

言ってんだよ? (1)

言論弾圧ムーブ (1)

訂正しました (2)

認知の歪み() (1)

読んでない (4)

誰だよコイツ (1)

謎 (1)

警戒は必須だが (1)

貴方ほどでは (1)

足立康史 (1)

軽蔑できないと (1)

農民にも言える? (1)

追記しました (1)

追記だせぇ (1)

退職されてるそうです (1)

逆ギレしか出来ない (1)

都合が悪いとガン無視 (3)

鈍さ自慢にウンザリ (1)

しか見ない人々 (1)

闘う彼女は美しい (1)

防犯意識差別 (1)

防疫より (1)

面の皮1mありそう (1)

韓国何の関係が? (1)

頭の悪さは天井知らず (5)

馬鹿なんだろうな (1)

馬鹿過去に生きる (1)

駆けつけてくる (1)

鰹は人間じゃないよ (1)

黙ってろ (1)

から? (1)

(こりゃダメだ) (2)

(すごい(すごい)) (1)

??? (1)

????? (1)

2020-06-07

pixivで2000ブクマを超えた

絵をちゃんと描くようになって5年、最新の投稿で2000以上のブクマを貰うことができた。もちろんブクマ数がイコール絵の良さというわけではないし、pixivも人が増えたため2000ブクマ程度では数字価値も無いとは思うが、5年前と比べれば格段の進歩だと思うので、備忘録もかねてこの5年の間にしたことを書いていくこととする。

描き始めた当初は右も左もわからず、高校日本史で習った秘伝口授かなんかかと色々悩みもしたし、いろいろと回り道もあった。最近では絵の上手い人が増え、しかも様々な講座や動画が容易にみられるようになったため価値はないかもしれないが、当時の僕と同様右も左もわからず喘いでいる人の参考になれば幸いです。

描き始め当初及びそれ以前

描き始めた年齢は26歳と遅い。尤も高校時代からオタクであったし、落書き程度なら頻繁にしていたため、絵を描けるようになりたいという欲求は以前から強くあった。しか高校時代にintuos4を買ったものの全く使いこなせず挫折したこと大学受験大学生活の諸々で忙殺されたこから自分で描くということを次第に諦めるようになってしまっていた。だが、その後性癖を拗らせた結果自分の趣向に合うイラストが少なすぎることに欲求不満を感じるようになり、友人がAmazonでintuos5がセール中だぞと言ってきたことをきっかけに、再度挑戦することにした。

最初にやったこ

高校時代挫折したのは、intuos4を使いこなせなかった、すなわち思うように線が引けなかったためである。なので、まずはその克服のため、板タブで線を引くことになれることにした。その際最も意識したのは、tablet driver をしっかり設定すること。多くの人にとっては当たり前のことかもしれないが、高校時代の僕はその意識が欠けていたため、ドライバが反応していないのにそのまま描こうとするなどして結果失敗したのである。なのでその轍を踏まないよう、tablet driverには気を付けるようにした。

そのうえで、とにもかくにも線を引くことに慣れるために、下手でも雑でもたくさん絵を描くことにした。絵をたくさん描くにはしかモチベーション必要である。誰にも見せず描き溜めるのも良いが、やはり公開したほうが達成感がある。そこでイラストサイトといえばpixivということで、どんどん投稿していった。この時期はいいね10とかでも評価されると嬉しかった記憶がある。コメントではなくタグで体の構造おかしさなどを指摘するような嫌味な人もいたが、反応があるというのは励みになるものだ。

ただ、そのうち自分イラストpixiv投稿するにはふさわしくないのでは、という感覚が芽生えるようになった。やはりpixivに上げるには塗りまでしっかり終わらせた、完成されたイラストが望ましい気がした(もちろん塗っていなくても素晴らしいイラストはたくさんあるが、力量も無く手間もかけていない自分のような屑がいていいのかという思い)。しか自分計画では塗りは「まだ」である。そこで次に目をつけたのがTwitterだった。twitterならごみのような落書きを上げても流れていくだけだから許される気がした。しかtwitterには tegaki.dt http://www.kannagi.net/TEGAKI/ というツールがある。tegakiはまさに落書きのためのツールであり、しか手ぶれ補正がないので線の練習にはうってつけだ。僕は毎朝起きたらtegakiをし、帰宅したら寝るまでtegakiをするようになった。

この時期は自分の絵の下手さに鈍感であり(雑だけどきちんと仕上げれば結構いけるんじゃね?という傲慢な思い)、描き散らし公開することになんの躊躇もなかった。そしてその増上慢の鼻っ面をさらにつけあがらせるようなできごとも起きた。先ほど自分が再び絵を描こうと思ったきっかけは性癖をこじらせたためと書いたが、そのようなニッチ性癖をしていると、自ずと世間は狭くなるものらしく、なんと界隈の大御所である方にフォロー&コメントしてもらえるようになったのだ。やはり憧れの人から反応されるというのは嬉しさも格別である最近も「以前から見ているけどかなり上達しましたね」「塗りもかなりきれいになった」等など言ってもらえて大変ありがたいかぎりでした。

何事につけ初めのうちは褒められてこそ伸びるものだと思う。「天才は叱って伸ばし、秀才は褒めて伸ばす」のような言葉があるが、友人がこれについて言ったことがまさしく目から鱗だった。曰く、「天才とか秀才とかではなく、初めのうちは指導してもその意味が分からないことが多いので、とにかく褒めてモチベーションを上げることが大切。そうして慣れてきたら自分でも不満点が見つかるようになるので、欠点を指摘する「叱る指導」が有用になる」。全くその通りだと思う。はじめのうちは細かい技術的な指摘をすることに何の意味も無い。自分でも描いたもの違和感を覚えるようになってから、そしてそのことに悩むようになってから欠点の指摘が意味を持つようになるのだ。なので、今思えば恥ずかしい僕の落書きたちに、いろいろと不満もあったろうに褒めてくださったことは本当に感謝しかない。そしてその恩恵に与れたのはニッチ性癖のお陰である。これこそまさに「狭き門より入れ」というやつであろうか。

中期

只管tegakiする毎日を通じて思うように線を引けるようになった(ちなみに一時期滑らないからと板タブの上に紙を置いていたことがあるが、効果のほどはよくわからない)。そこで次はちゃんとしたイラストステップを踏むことにした。多少とも書けるようになるとやはりtegakiだと物足りなくなるのだ。もはやお前は用済みだ。

ちゃんとしたイラストを描くにはちゃんとしたイラストソフトを使うべきである。僕はとりあえずSAIしました(安いから)。その後クリスタも購入したが、諸事情により最近に至るまでろくに使えなかった。SAIの良いところはとにかく動作が軽いことである。糞スペックPCしか持っていない人はこれ一択でしょう。それから線が描きやすいというメリットも良く言われるが、個人的にはあまり差がわからない。

さて、イラストを描く手順には色々とあるが、やはり一番オーソドックスなのはラフ→線画処理→塗りであろう。線画処理はラフの透明度をさげるなどしたものに線を引いていくのが一般的方法だと思う。で、僕はこの工程が一番嫌いである。ラフは描いていて楽しい。塗りも難しいけど力の見せ所な気がする。一方で線画処理は単なる作業に感じてしまう。自動彩色ツールより自動線画ツールのほうが欲しい。面倒なことはやりたくない、どうしよう。

そこで僕は、ラフの段階で線画としてある程度完成したものを描くことにした。ラフラフで無くすれば線画処理とかいう面倒な作業はいらなくなるのだ。そしてそれはtegakiに慣れていればそこまで困難ではないことだった。面倒くさい線画処理をすっ飛ばすことにより、僕はイラストを量産するようになった。そしてこの時期退職し、こどおじのフリーターになった。

現在まで

たくさん描くようになると、次第に自分の絵のダメなところが見えてくるようになった。僕の絵は①構図に迫力がない②微妙バランスおかしかったりする(し、パースがとれていない)③塗りが雑だし別デバイスで見ると変な色をしている。これらのうち③を改善するきっかけは、板タブが壊れたことにより訪れた。板タブの修理にも結構な値段がかかると分かり(新品を買った方がマシ)、いっそのこと液タブを買おうと決めた僕は、当時使っていたPCにおさらばし、新品のPCも買うことにした。上でクリスタをろくに使えなかったと書いたが、その理由は以前のPCメモリが8GBしかなかったためである。(逆に言えばSAIは8GBでも使える。)こどおじになり家のスペースが広くなったこともあり、思い切ってハイスペックデスクトップPCを買った。実は以前のPCはなぜか彩度が低く表示されており、その結果僕の描くイラスト彩度が高すぎる色彩になっていたのだが、新しいPCのおかげでそのおかしさを理解できた。そして他の方の作品もきれいに表示されるようになり、色塗りの際の参考にできるようになった。今でもまだまだ塗りは未熟だが、上手い人の塗りを研究することで多少はマシになったと思う。

で、①と②の欠点は上で述べたラフの描き方のせいだと思う。つまり最初から綺麗な線を引こうとするあまり、細部にばかり注目してしまい、全体を俯瞰できていなかったせいである。そのことに気づいたので、ラフラフで描く、とりわけ最初カラーラフを描くようにした。カラーラフラフの段階で大雑把に色を塗ったものだが、それをすることで背景も含め全体の感覚をつかめるし、構図のおかしさにも気づきやすくなるというメリットがある。そうなると線画が面倒くさいけれど、液タブに変えたことでかなりやりやすくなった。もはや板タブには戻れないというか、液タブだとtegakiもかなり楽になるんですね。板タブでシコシコ描いていた自分馬鹿みたいだ。液タブの不満点は液晶に手垢がつきまくること

そうして描く環境を整えてからブクマ1000超えは普通になり、2000も超えることができました。なので、今の段階で僕が絵を描く際に大事だと思うのは

  1. ハイスペックPCと液タブを買う
  2. 部屋を明るくして画面から離れて描く(絵全体を俯瞰するため。細部にこだわりすぎてると色々嫌気もさしてくるしね)

になります。以上

2019-11-06

[]増上慢

仏教で、まだ悟らないのに、悟ったと思って、おごり高ぶること。転じて一般に、十分な力が無いのに、自信の強いこと。

2019-09-05

anond:20190905202026

個人個人として自らの意志自由に生きる事はもちろん当然の事だし、憲法はそれをはっきりと明示しているが、

その一方で我々の国がかつて熱に浮かされて愚かしい戦争に走ったという事実真摯に受け止めるべきだろ

フランス個人主義を無意識的なのかどうか知らんが口にするあたり、お前は自分こそが真のリベラルですよと主張したいように見えるね

似非リベラルよりも自分の方がリベラリズム理解してますよという増上慢

はてサとやらの一角としては真のリベラリズムなど知った事かよと思います

ネトウヨの類がダブスタ連呼するのもてめーは現実主義だと声高に主張したいからだろ?

2019-08-13

自由になりたいから私は孤独

長らくネットを見すぎたせいか、なんで社会を語ろうとする、運動をしようとするとことごとく他人への批判意識正義感攻撃的な言葉遣いをするような男女問わずある意味男らしいマッチョイズム全開な人達が集うのは一体何事なのかずっと不思議なんだ。

もっと優しくなるために自分欲望しから始めたい

私は増上慢

2019-06-27

筋トレ始めてから明らかに性格が悪くなった」が逆ステマ根拠

筋トレ始めてから2年、見た目にも強そうになったしベンチプレスもMAX100kg越えたんだけど

自覚出来るくらい性格が悪くなった

電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり

道でぶつかった奴を追いかけ回して土下座させたり

住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある

このままだと前科者になりかねないと頭ではわかってるんだけど自分に向けられたストレスを一切我慢できなくて、自分でも些細と思うようなことでめちゃくちゃにキレるようになってしまった

どうしたらいいんだろう

anond:20190626175620

結論から申し上げて、

これは筋トレなんかしてない人による筋トレ逆ステマだと思います

これから根拠を述べていきます


1.ベンチ100kgという数字意味

筋トレ始めてから2年、見た目にも強そうになったしベンチプレスもMAX100kg越えたんだけど

自覚出来るくらい性格が悪くなった

まずこのベンチプレスMAX100kgというところでも、経験者なら「あっ(察し)」となります

なぜならこれは、やったことない人が思う”凄い”の基準から


ベンチプレス100kgというのはまあ初心者ではない。

ギリギリ初心者か違うかな?のレベルだけど。

これはウエイトトレーニングしてる人の中ではすごくない。全然雑魚と言われるレベル


2.未経験者と経験者の感覚の違い

100kg挙がるぐらいまでやった脱初心者なら、「上には上がうんざりするほどいる」ということは気付く。

1人でやってても雑誌youtubeウエイト板見てるだけで気付いてしまうし、

多くの人はジムスポーツクラブでやるので、扱う重量も体も自分とくらべものにならない人を必ず目にする。

しろ自分って全然ショボいな」という感覚になる。


からほんとにトレーニングしてる人で、ベンチがMAX100kgなら、恥ずかしそうに申告するんです。

あなた達の周囲にベンチプレス100kgだという人がいたとして、

気まずそうに100kgだと認める人は本当にやってる人で、100kg挙がる人です。

得意げに100kgだと申告する人はやってない人で、100kgも挙がりません。

これは絶対法則から興味あれば覚えておいてください。


まとめます

ベンチプレス100kgごときですごいと思うトレーニーはいない。(それをすごいと思うのは明かにやってない人の感覚

自分が初めて100kg到達してもそれで増長することも不可能。(何の趣味でもやりはじめるとより上の領域が目に入る)

ウエイトやり始めると美的感覚が変わり、ベンチプレス100kg程度の体は「強そう」ではなく「細い」「クソガリ」と感じるようになる。

 パワーリフターみたいな身体を「強そう」「かっこいい」と感じるようになる。同性にも異性にも筋肉で太いケツや脚を求めるようになる。


3.そもそもベンチプレスでは強くも強そうにもならない

以上のあらゆる観点から元増田にはトレーニングしてる人の臭いしません。

トレーニングについてのディテールもなさ過ぎるし。いきなりポンとベンチプレス100kgっていうでしょ?

どういうフォームなのか何もなし。ビッグ3の他の種目はどうなのかもなにもなし。

更に言えば喧嘩やぶつかり合いで強くなるのに必要なのはデッドリフトスクワットで、

ベンチプレスは胸板が厚くなること以外は実用的には何の役にもたたないし。

そして100kg程度じゃ胸板なんかいくらも厚くならないし。「見た目も強そうになった」とか笑わせないでほしい。

電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり

道でぶつかった奴を追いかけ回して土下座させたり

住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある

こんなの本当に妄想だとわかるのが、

ベンチ100kg程度の一般人と変わらない体でこんなことしたって

イキったおっさんも騒いでる大学生も余裕で「あ?」って向かってくるから


100kgなんて準備運動の私にすらつっかかってくるおっさんがいるんです。

体つきで彼我の強さがわからない、あまり気にせずに突っかかる人間は実は結構いる。

ましてMAX100kgぐらいのクソガリがそんな傍若無人に振舞えるわけが無いでしょう。



4.スクワットデッドリフトはいいぞ!

そしてウエイトトレーニングに興味ある人の為にも書いておきます

ウエイトトレーニング精神作用について、テストステロンが出るとか活力が出るとか凶暴になるとか言われるああい効果を得たいなら、

それもやはりベンチプレスではなくスクワットデッドリフトです。

何故か?

ベンチプレスより遥かに使う筋肉が多くて大きくて、キツいからです。

スクワット限界チャレンジしてるとき、顔がジャックハンマーみたいになります

あそこまで血管は浮き出ませんが、目が釣りあがり目が据わり恐ろしい顔つきになります自分で鏡にビビます

変なホルモンが出ています


スクワットベンチプレス限界に挑戦していると日常生活でも活力が出ます

変なホルモンが出ています

ベンチプレスでは変なホルモン出ません。少なくとも100kgなんて領域では出ません。


5.趣味に取り組むと自分の未熟に気付く

私はベンチプレスならストリクトフォームノンブリッジノンベルトで140kg上がります

でもこんなの全然すごくありません。上には上がうんざりするほどいます

そもそも身近にいる私の先生が200kg上がるから増上慢など不可能です。

ていうか女性ですら私より挙がる人が山ほどいるんです。

体重たった52kgの白川カオリさんが私と同じ140kgです。

ね?「自分がすごい」なんて感じる隙どこにもないでしょ?

知れば知るほどそうなるんです。



フィクションなんかでよく「格闘技ちょっとかじった人間がイキる」という描写が出てきます

あれもちゃん格闘技やったことある人ならリアリティがないとわかります

何故か?

ちゃんと始めてみれば、教室道場で繰り返し「自分が一番雑魚」「すごい人は山ほどいる」「自分程度がイキったらすごい人達が黙ってない」「そもそも自分程度では誰にも自慢できない」というのを肌で感じるからです。

教室道場や人の集まりにはそういう作用がある。

格闘技とかでイキってる人間がいるとすればそれはその道場トップ人間です。

残念ながらそうなってしまうようなトップもいる。

始めて2年で実力もキャリアもないという人は絶対に身の程をわきまえて謙虚ものです。


6.何故筋トレ逆ステマなどというものがあるのか

何故なのかはっきりはわかりませんが、筋トレに対して敵意を顕にする人がネット結構ます

話題フリー掲示板トレーニングスレ立てて歓談してると喧嘩腰で入って来たり。

彼等は筋肉に対する変な意識過剰、コンプレックスや恐怖心があるのではないかと思います


元増田の嘘話の異常な乱行

電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり

道でぶつかった奴を追いかけ回して土下座させたり

住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある

も、

筋肉のある人間に対する恐怖や嫌悪イメージが膨れ上がったものではないでしょうか。

あいつらこんなことやってるに違いない」みたいな。

でも電車とかで暴れてる人は単にストレスで頭が狂ってるだけで、体は普通だったりすることが多い。


実際の所はトレーニングしてる人間は大体みんなオタク傾向で寡黙で礼儀正しいです。頑固な人は多いかな。

ジムでイキりがちなのはフィジーク系の人たちです。

イキってるといってもチンピラ的なノリではなくナルシスト的なノリです。

彼等はスクワットが嫌いで脚がほっそいので喧嘩は弱いです。

基本はウェーイな仲良しで、でもそのうちその輪の中で弱い誰かをじんわりはぶってるみたいな。全員大して挙がらんくせに。


筋肉を恐れて妄想逆ステマしてるぐらいなら、興味はあるんでしょうからジムに飛び込んでみて体で体験した方がいいと思います

コンプレックスは未経験ゆえに生じるものですが筋トレはすぐ体験できるのだからコンプレックスの中では解消しやすい部類です。



追記

macos9-02 フィジークへの偏見がありますね。

2019/06/27

うんごめん

ぶっちゃけ近くのジムでよく見かける駄サイクルフィジークサ-クルが嫌いなだけ

フィジークでもちゃんとした人やいい人がいるのは知ってるよ

前にジムにいたフィジーク頑張ってる若者は重量も挙がるし真摯だった 

サークル避けてよそ行っちゃったけど

2019-05-23

anond:20190523191146

あのさあ、

俺はそもそもヴィーガンに興味が無いので俺に聞かれても困る

ただ社会活動家っていうのは結局人の生活に介入して嫌がらせすることに快感を感じる変態集団にすぎないことが大半なので

ヴィーガンを早めにぶちのめしておこうっていう反発する人達動機もわかる

さすがに雑すぎない?

返信すんのやめようかなってなっちゃったけど一応やるわ

てめえがそれを実践することには殆ど人間干渉しないよ

でもヴィーガンは非ヴィーガンに注文をつけてるから言い返されてるわけじゃん?

「加担したくないと言ってるだけ」ってのは嘘だね

自分らの行動に責任を持とうよ

加害行動に加担したくないし、加害を減らそうぜ、って言ってんの

あんたは猫とか子供いじめる奴にやめろって言わないのか?

あのな、俺は上座部仏教徒なんだよ

てめえがそのひ弱なお気持ちをひねり出すずっと前から不殺生戒を守ってるんだ

俺はこのツリー不殺生という価値観について一度も否定してないからな

けどそれすら気づかずに不殺生について説教を垂れてくるわけだ

われわれ仏教徒はお前等の「なんとなく可哀想」なんてふわふわお気持ちとは隔絶したビシッとした理論不殺生です

肉なんて食ってねえよばーか

そりゃまあよかったわ、これからもがんばってよ

いや、「肉を食べることが善い人生だって奴と何一つ共有する気が無い」なんていうからさ、あんたが肉食うの大好きなんだと思ったわ

俺はお前等の倫理戒律中途半端な頭の悪さや無様さ、

そのくせして他人にまでお節介やこうとする増上慢

それでいて反発された途端被害者ぶるひ弱さ、

そういうものを笑ってるだけなの

お前の頭の何が弱いって

相手の話もきちんと読めないことだよ

よくヴィーガンとき新興宗教不殺生について俺達に説教垂れようとか思い上がれたなw

俺達にその件で説教できるのはジャイナ教徒ぐらいなんだわ






馬鹿相手から何度でも繰り返すけど

俺はお前等のだらしない議論姿勢や、倫理戒律の不洗練、どうしようもない頭の悪さを非難してるだけ

増上慢かいうのはさすが仏教徒感あるよね、ググっちゃったよ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E4%B8%8A%E6%85%A2

なるほどね

別にそこまで自分の頭がいいと思ってるわけじゃないか否定はしないけどさ

あんまり相手の方が馬鹿とか連呼しない方がいいんじゃないの?

あとヴィーガン宗教ってわけじゃないんだよね。宗教っぽくなっちゃってる人もいるけど、基本的には思想実践があるだけだからさ。

なんか別に対立してないっぽいし、もうちょっと普通に話してほしいよ。

anond:20190523180817

>お前のお気持ちに基づく倫理になんか他人は興味ないかアウトプット戒律)だけを吟味してるんだろ

倫理お気持ちに基づくのは確かかもしれんけど、アウトプット戒律)に意味はないよ

いや他人にとって意味あるのはアウトプットから

その背後のお気持ちを力説されても(しか後出しで)相手にしないよ

つまんない漫画読まされて「つまんないですね」って評価して、「いやこの作品を描いた背景の気持ちを共有しろよ!」って始められたら困るだろ

目的倫理を共有してもらうことであって、そのアウトプットまり実践は人それぞれだと俺は思ってるし

そんなの無理だと思うけど一旦可能だとして、

じゃあ最初から倫理の話をしたら?

すでに色々と威力で持って他人生活制限かけようとしてるんだから倫理の話だ」じゃないでしょう

>納得してまとまってから他人圧力かけろや…

マジかよ、ちょっと待って、そんなに圧力感じてんの?

正直ヴィーガン活動で実害受けたことってある?

俺はそもそもヴィーガンに興味が無いので俺に聞かれても困る

ただ社会活動家っていうのは結局人の生活に介入して嫌がらせすることに快感を感じる変態集団にすぎないことが大半なので

ヴィーガンを早めにぶちのめしておこうっていう反発する人達動機もわかる

>肉を食べることが善い人生だって奴と何一つ共有する気が無いくせによくそ一方的被害者ヅラ出来るよな


>とにかくお前らは性格頭脳もひ弱で、そのひ弱さは何からまれるかというとその常に被害者ヅラして拗ねて逃げ出す習性だよ

自身の肉体と頭脳性格がひ弱であることは否定できないけど、自分被害者であると主張はしてないぞ。俺はあくまで、家畜たちを犠牲にし続ける活動に加担したくないと言ってるんだ。

てめえがそれを実践することには殆ど人間干渉しないよ

でもヴィーガンは非ヴィーガンに注文をつけてるから言い返されてるわけじゃん?

「加担したくないと言ってるだけ」ってのは嘘だね

自分らの行動に責任を持とうよ

あと肉を食べて美味しいと思うこと自体は良い人生だと思うよ、その瞬間はね?

でもさ、例えば人を騙してゲットした金でうまいもん食うことがいいとは思えないだろ?

肉は美味いよ、でも肉を食うには殺さなきゃいけないだろ?

もう生きてるやつを食べるために殺すことを(俺は)否定しないけど、食肉産業でやってることは、殺すためにバンバン産ませることをやってるわけじゃん?そこまでする?

あのな、俺は上座部仏教徒なんだよ

てめえがそのひ弱なお気持ちをひねり出すずっと前から不殺生戒を守ってるんだ

俺はお前等の倫理戒律中途半端な頭の悪さや無様さ、

そのくせして他人にまでお節介やこうとする増上慢

それでいて反発された途端被害者ぶるひ弱さ、

そういうものを笑ってるだけなの


お前の頭の何が弱いって

相手の話もきちんと読めないことだよ

俺はこのツリー不殺生という価値観について一度も否定してないからな

けどそれすら気づかずに不殺生について説教を垂れてくるわけだ

相手の話を理解しないか

自分お気持ちだけで生きてるから


われわれ仏教徒はお前等の「なんとなく可哀想」なんてふわふわお気持ちとは隔絶したビシッとした理論不殺生です

よくヴィーガンとき新興宗教不殺生について俺達に説教垂れようとか思い上がれたなw

俺達にその件で説教できるのはジャイナ教徒ぐらいなんだわ


馬鹿相手から何度でも繰り返すけど

俺はお前等のだらしない議論姿勢や、倫理戒律の不洗練、どうしようもない頭の悪さを非難してるだけ

肉なんて食ってねえよばーか

2018-10-24

anond:20181023215918

なんならきみが、瞑想についていい人間ピックアップしてその理由を教えてくれると嬉しい。

自分海外上座部仏教のお坊さんの本ばっかり。特にメソッドとしてはマハーシ長老系列のね。

読み比べて全然こっちがいいなとなった。

そもそも日本のお坊さんに対する信頼感が低いんだけど

小池龍之介のようなスター坊さんにしても俗っぽさが強めに感じる。

マインドフルネスも、確かに科学的な検証を進めていくことは大事だと思うんだけど、

仏教中途半端にちぎって美味しいところだけ食い逃げしたつもりで実は重要なこと沢山取りこぼして超劣化バージョンになってるような感じがあって。

瞑想仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想科学検証なんて無い時代に生まれもの

たぶんここが我々の考え方の決定的に違う部分だ。

自分認識では仏教釈迦と言う天才一代の完璧アイデアであって宗教ではないし詰め合わせではない。

釈迦智慧現代科学を上回っている。

瞑想による心の観察は現代科学なんか全然追いつかないことは瞑想してる人なら同意すると思う。

(追いついていくための科学検証はもちろん悪くないことだとおもう)

これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩創価臭いのがあれだが、、、。

そういうのも典型的な、智慧ではなく情というか、嫌な意味での日本仏教臭さが敬遠したくなる

自分仏教を好むのはその逆の性質の部分だから

と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプ霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体うごめいている。

正直、もう今の時代本だけでいいと思う。瞑想を取り巻く団体の胡散臭さを考えれば本だけがいい。

ここは全く同感

から科学文献を根拠にしているこの本を出した。

ここはその姿勢尊重するけど非同感

前述のとおり釈迦アイデアは現状では科学よりずっと先にいるか

科学キャッチアップした部分だけで瞑想するのは重要エッセンスの取りこぼしが激しいと思う

自分でもこの立場非科学的であり常識的に言えばヤバみがあるのはわかっている

 あなたの態度の方が常識的かつ慎重で本来好ましくあらゆる場面でベースとなるべき態度)

ただ、上記「慢の感情自体科学的な扱われ方がされていない。まだ仏教という宗教の中にいる。

瞑想との関連した科学検証までされているかといえばほぼされていないから、上記の2者も一緒にあげた。

慢の感情にきちんと触れているから。慢の感情承認欲求と結びつき現代社会において非常に陥り、苦しみやすい。

「慢の感情」が現代的な課題なのはそうだと思うけど

結局無我ということをおさえていく道のバリエーションしかくそこを特別大事にする感じはない

増上慢卑下慢同等慢という考え方とか聞いた時には面白いけどそれで面白がらせてもしょうがないというか

2者とも実際苦しんで悟った人間からな。

え、その2人は悟ったと自称公言してるの?

もしそうなら思ったよりヤバい人達だな…

ただちょっと食わず嫌いもあったかもしれないから紹介してくれた人の本を改めて読んでみる

久賀谷亮とか見た瞬間はいはいって思って1冊も読んでないからね



はてな瞑想の話をちゃんと出来たの初めてでうれしかった

自分場合実はかなり前に増田瞑想の本を勧められてそこから始まったんだよね

2018-10-10

anond:20181010195636

俺もその意見に100%賛成だけど同じようなことをTwitterでいったら「絵が書ける人の増上慢」とか「見てるしかできない人の才能の無さを傷つけた」とか炎上したぞ。

2017-12-04

anond:20171204120438

他人中国格差を知らないだろうと馬鹿にする増上慢もすごいけど

何の変哲もない議論からいきなり同一人物認定をしはじめるあたり

明らかに他人に対する感覚おかしいのでプリントアウトおすすめする。

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161025041237

ブッダ運動野菜睡眠を勧めてはいない。食事に関しては、お布施されたものは何でも食べろと言っており、肉食も禁止していない。

後、瞑想(厳密に言うと瞑想仏教禅定は違うが、面倒なのでここでは同じものとしておく)しろとは言っているが、それだけを熱心にやっていても悟れるとは言っていない。それどころか仏教では修行の結果、自分が優れた人物だと「勘違い」した状態を「増上慢」と呼び、きっぱりとそれを否定している。

仏教説話を見ていると、須梨槃特や慧能のように瞑想に執着せずとも悟れた僧侶の例がいくつか出て来る(もちろん摩訶迦葉のように修行に熱心だった人も仏教では否定されるわけではない)。

よってb:id:xevraさんははブッダ的でもなければ仏教的でもない。こんな冗談みたいな記事マジレスするのが馬鹿馬鹿しいと我ながら思うが、一応指摘しておく。

また仏教とは関係なく、b:id:xevraさんの瞑想への執着は却って本人のメンタリティに悪影響を与えているのではないかと推察される。瞑想手段であって目的ではない。一度、適切な指導者の下で瞑想なり禅定なりを行うことを勧めたい。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん