はてなキーワード: SDGSとは
日本の場合、社会保障が削られるのはコスパを求められているからではなく
官僚と政治家らで血税をガメつつ宗主国アメリカ様の要求を達成するためにやってるだけ
税金が身内に還流するスキームを構築できたとこにしか金を出さないのが政府と官僚であり、あいつら身内へ回る金額しか考えてない
政府と官僚が全体を見て将来に渡るコスパまで考えて行動してたらここまで支持率下がってないと思うんだ
政府と官僚が身内の利益しか見てないんだから国民もそりゃ全体なんて見ないよね
コスパ厨に見える一般国民は実はコスパなんて全く考えてなくて叩けるところを叩いて気持ちよくなってるだけだと思うよ
もう既にこれ実践されてるよな
巨大資本による政治家買収だとか、youtubeやXのようなメディアを使ってSDGsだのポリコレだのなんだのゴリゴリ押し付けてきよる
陰謀論と笑われるかもしれないがガザ関連での各国の挙動や西側メディアを見ているとユダ金に支配されてるんだなって確認できるわ
物は言いよう、ということで日々しょうもない言い訳しながら生きている。
ボトムスを着ずにボクサーパンツで部屋の中をうろうろしている時。
(イギリス貴族の子供は半ズボンを履いているので……なお増田はいい年したおっさんである)
散々着たおしてボロボロになってきた服をまだまだ着ようとしている時。
「足で稼いだ高級品やで」
(GUについては、割と値下げされるまで待ってから買いに行くことが多い)
「店主の言い値で買った」
ワークマンで物を買った時。
(ワークマンは基本的に定価販売なので……なお価格交渉なんて最初から存在していない)
「店主が『ここだけの特別品』言うて値引きしてくれた」
(なお、やはり価格交渉なんて最初から存在していないのである)
「ブランド物やで」
量販店で購入した靴について。
(アディダス等のスニーカーなので「スポーツ」ブランドなのは間違いない)
「追熟してた」
「舶来品や」
ドンキで購入したちょっとあやしい値引き品の中国・韓国産の加工食品について。
業務スーパーで購入したMokateのルイボスティーについて。
(寒くてこたつにもぐりこんでいる)
(なお、うだうだしてるうちに梅雨入りする模様)
(なお、うだうだしてるうちに冬になる模様)
コスパ論は排除の論理である。そしてコスパ・排除論者に言いたいのは、君らミクロしか見えてなくてマクロで物を考えるってことが全然できてないってことだ。その結果、社会全体やひいては世界を亡ぼす。部分最適の総和は全体最適にならない、なんてことはもう一世紀以上前から常識だ。君らの論は、放置すると以下のような言説になる。
……
その結果、人は障碍を得たり年をとったり社会的に弱い立場に立っただけで簡単に人権を失い、強者が権力を振りかざす、安全・安心からほど遠いディストピアに住むことになるんだけど、それがコスパの果てに待つ社会だということを「コスパコスパ」唱える連中は理解もしない。自分がそういう主張をしているということを認めないばかりか、「そんなのはほかの誰かが対策すること」で「自分たちは目の前の問題についてだけ冷静に意見を言ってる」と思っている。その結果、20世紀から21世紀の現在、どういう社会が訪れたか、
コスパと排除の論理を突き詰めれば、すぐそこまで行く。歴史や世界情勢を見れば、一目瞭然である。
だから、コスパ論者は、自分に全体を見る目がないという認識があるならせめて黙っていた方がいい。とはいえ、自分の理解の及ばないことについては沈黙する、というのは意外と高い知性が必要な行為なので、人類そこまで頭良くない、っていうのも悲しい現実だ。その結果やがて、そういう「普通の人々」からの人気を当て込んで極論を振りかざすデマゴーグが現れて、多くの人が進んでその養分になり、社会や国家は破滅的な被害を受ける。なのに、喜んで養分になった人々は、全てが終わった後口をそろえて「知らなかった、騙されていた」と言い出して、自分には非がないと言い立てる。そうして数十年後、また同じことを繰り返す。世界のあちこちで。
人間の一員として生きるということは、そういう愚かさと共に歩む覚悟をもつということでもある。言い換えれば、その愚かさと共に歩む覚悟がない者は、政治についても社会についても何も実のあることを語ることができない。理念だけのリベラルが常にデマゴーグに敗北する理由がこれだ(それは数や勢力というだけの意味でなく、リベラル寄りの思想の持主もまた、たやすくコスパ論にからめとられて排除論者に闇落ちするということでもある)。
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さて、以下は、上記を踏まえた愚考である。ぶっちゃけ読まなくていい。けど、少し暇があり、与太話に付き合ってもいいというなら、読んでいただければ幸いだ。
民主主義には「少数意見の尊重」という、コスパ論に堕しないための重要な楔が打たれているのに、民主主義を標榜しながら人は安易に「多数決」を持ち出して、少数意見を無効化しようとする。少数意見を顧みず議論も廃した「多数決」は、現実主義でなく単なる数の暴力なのだが、近視眼的なコスパ論者にはその違いが分からない。そうして、コスパ論者、すなわち民主主義者と自認する「多数による独裁」主義者は、「諸外国の脅威に対抗するため」「緊急事態に対応するため」などの言い訳をつけて、やがて民主主義を独裁主義で蚕食しようとし始める。「その方がコスパいいと思う」から。
人間の脳のバグ、たとえば、動物的に振舞いたいというバグは、2000~3000年前ごろから「宗教・道徳」というパッチが発明されたことで世界的にデバッグが進んだ。結果、社会や文化は大きく進展した。宗教や道徳が整えば、人と人、国と国の協力が可能になり、交通が利便に、経済が発達し、国はうるおい文化が発達する。しきりに法が作られたのも、こうした理由である。道徳や法が国を栄えさせるという実例を見て、またほかの国もそれを真似るようになる。こうして急速にパッチは普及した。
だがその後、宗教パッチを当てると人は神秘主義に陥り、ある一定のレベルで文化の発達が止まるという新たなバグが見えてくるようになった。それに対して一般に「科学・哲学」パッチが発明され適用されるようになったのは、割と最近のことだ。科学が宗教に優越する地位を占めるようになったのは、近世になってからのことだ。科学は実証によって宗教に優越する効果を示した。ただ、同時に道徳を破壊することになる危険性についても、パッチ適用当初から危惧されてはいた。ただし、宗教パッチの害悪の方が重くなっていた当時の時代から見れば、それはまだ些細な問題に過ぎなかった。「科学・哲学」パッチによって、停滞していた文化は学問となって更に発展し、国の規模は拡大して強大な国家が生まれた。人は世界の果てまで到達し、文化の発達を謳歌した。
ところがその先に生まれたのが、狭くなった世界における衝突と排除の論理である。特に、宗教パッチの効果を低下させたことによる道徳性低下の影響はやはり無視できなかった。文化の発達によって世界は狭くなり、道徳性の低い強者がより一層大きくなることで、弱者が「合理的」に使い潰される状況が起きてきた。道徳性が高いと思われる者でさえ、「善意」と「合理性」により、異文化を侵略・排除する帝国主義が世界を支配した。つまり、コスパ論の時代である。
これに対し20世紀後半になってようやく、これではまずいという判断の下、「民主主義・人権」パッチが発明され普及を始めた。そのために人類は、数度にわたる世界大戦という苦い代償を払うことになったが、その教訓とともに適用されたパッチで、世界大戦の脅威をいくらか遠ざけることができるようになった。だが、何度もこれを無視した戦争が引き起こされ止まらないように、依然としてこのパッチは十分適用されていない。劣化版のパッチ(ポリコレ棒)やパッチに対抗する新たなウィルス(多数決万能論)さえ出てくる始末であり、パッチの普及にも暗雲が垂れ込めている。
それだけではない。狭くなった世界、拡大を続ける資本主義の下(拡大し続けることは資本主義の仕組自体の問題で、本質的には解消不能である)、環境問題といった新たに別のパッチが必要な問題が生まれてきた。それに対する「SDGsパッチ」はまだ発明されたばかりで、その有効性も不透明だ(このパッチ自体にバグがある可能性もまだ否定できない)。これが21世紀の現状である。
これらのデバッグが完了し、人類が「戦争」と「環境問題」という2つの危機を乗り越えるのは、一体いつになるのか。いや、そもそも乗り越えられるのか。優秀なデバッガーや啓蒙家の数がどれほどになれば、人類は生き延びられるのだろうか。
持続可能な社会にするために、例えば化石燃料に1000%の税金をかけたりすれば、社会はより持続可能に近づくのかもしれないけれど、そうすれば貧乏人が大量に死ぬよね。SDGsはそんな世の中にして、あとは市場原理にまかせて弱者が間引かれればいいと考えるのだろうか?
それとも人の自由を大幅に制限して、例えば戦中の食糧配給制みたいに化石燃料を配給制にして、世界政府が人々の行動を監視して制限するつもりなのだろうか? まあこっちの案でも貧乏人が大量に死ぬと思うけどね。
それとも人類の発展や存続に繋がらないような質の低い人間をテストなどであぶり出して、積極的に「間引き」するつもりなのだろうか?
今は学校でも地域の素晴らしい景観発見など景観学習が行われている。
日本の景観を良くする方法を調べてみた。人からの受け売りが多いがこういうアイデアはどうだろう。
1 【地域ごとの歴史的・文化的建造物のデザインを整理し推奨デザインを整理する。】
気候風土適応住宅に県のガイドラインがあることがありこれに近い形で推奨デザインを地域ごとに策定する。
もちろん気候風土適応住宅を流用しても構わないが推奨デザインはあくまでも見た目の話である。
例えば気候風土適応住宅では木材を使用しなければいけないところの場合、木材のように見えたら木材でなくとも構わない。
日本で景観で強制力を持たせるには景観計画が必要なのだが景観計画策定が進んでいない問題があると思う。
2 【木材を推進する】
「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」という法律がそれだ。
ここで木材利用を「SDGs」(エコ)と「伝統建築工匠の技」と「木育」と関連付け必要性を宣伝する
ここで木材とは言ったが木材は必須ではない。木材によらない景観改善も考えられる。それが先の1である。
3 【無電柱化】
4 【観光立国推進】(追加)
母とばあちゃん、特にばあちゃんから「味噌汁を作る時は昆布、鰹節、煮干しのどれかを必ず使え」と幼少の頃から教わってきた。
上京してからもその教えを律儀に守り、お金の無い時にはばあちゃんが昆布、、鰹節、煮干しを大量に送ってくれたのは懐かしい思い出。当時はそれ以外の物が入っていなくて絶望したが。
そのおかげで美味しい味噌汁を作り続けているわけだが、出涸らしは再利用している。
昆布と鰹節は合わせて使うことが多いので、フライパンで炒めて醤油をかけてふりかけにして、煮干しはそのままヒョイと食べている。
それを見た今の彼女が「うわっ。貧乏くさいからやめなよ」とちゃんと引かれたが、「いやいや!お前SDGsとか環境がどうだとか言ってるじゃん!」と言わなかったけどその言葉で一気に気持ちが冷めてしまった。
「この子節約とかできなさそうだな」と将来一緒になる事への不安要素が大きかった。
チケ○トボ○ド、概念がわかりにく過ぎる。申込者? 同行者? チケットの分配? わかんねーーよクソが!!!!!!!!!!
電子チケットの有用性はわかるよ、絶対定価以上の売買起きないし。定価トレードシステムがあるからチケットが基本的に余らない・席も空かないで基本的には興行者も客もWin-Winでしょ
いや注意事項をよく読めという話ではあるのだがせっかくクレカ持ってない親に代わってチケット買ってあげようとしたのに全部パーーーや。全部だめ
「親クレカ持ってないから親名義で予約したら支払いできないよな……仕方ない私名義で申し込んでみるか!」と勝手に脳内で勘違いしたのが運の尽き
本当に親に申し訳なさすぎる
確かに「申込者の変更はいかなる場合でも不可」と注意事項に書いてある。でもじゃあ申込者って何だよどこかに定義がちゃんと書いてあんのかよ。
「申込者=公演に実際に参加する人」とは限らないだろ、それなら最初から申込者とかアホみたいな名称じゃなくて「公演に行く人」とか誤認しない言い方いくらでもあるだろ
そういうわかりにくい概念にするなら申込みフォームのUIでその辺解決しろよ。初見殺しみたいな手続きフローにしてんじゃねえよ
自分がポンコツなのを棚に上げてこんなこと言ってごめん。でもわかりにく過ぎる……読んで理解できない注意事項は注意事項じゃねーーだろ、消費者庁動けや
「こういう規約なんです」わかる、わかるよ、それはそうだ、そのとおりだ、ルールに沿って対応しないとクソクレーマーが沸いてくるだろう
でもあまりにもそのルールが面倒くさ過ぎるわかりにく過ぎる、納得がいかねえ、納得がいかねえから行政に介入してほしい、わかりにく過ぎる売買契約は悪やわ
あと本人申込必須なら、クレカしか決済方法ないのはだめだろ。一定以上の年齢だとクレカ持ってない人だって普通にいるだろ。せめて銀行振込ぐらい許容しろよ、
何なんだよそのストライクゾーンの狭さは
ふざんけんじゃねーーよ
SDGsに真っ向反してるよ
本筋じゃないけど「購入したチケットはいかなる理由があろうと変更・キャンセルはできません」っていうチケット売買契約はありなのかな
他に購入方法がないのに一方的に不利な売買契約を強いるのはおかしいだろ、公序良俗違反じゃないのか(まあ違うんだろうな法的には)
勘違いしたお前が悪い。おわり。
でもさ、でも、でも、でも。でも。でもが無限に出てくる。納得がいかねえ
電子チケットは、ライブに何度も行っていて相当に慣れた人向けだと思う。少なくとも私はもうライブに二度と行きたくないと思ってしまった。
私は向いてない、次回もこんな惨めな思いするかもしれないと思うと電子チケットに恐怖心が生まれてしまった。電子チケットこわい
もうやだよ、なんでこんな思いしなきゃいけねーんだよ。譲る先は家族なんだからチケット融通するのおかしくないだろ、何とかしてその辺ルール緩めてくれよ、クソだよ
普段はそこそこの企業で働いてるんだけどこの一件で自分の文章読解能力にメチャクチャ自信なくしてしまった。こんなに理解できねー概念があんのかよ……怒り通り越して泣きたくなってくる
親、ごめんね。これまでいっぱいお世話になってきたのにね。
「ちょっとチケットミスっちゃったかも……」って謝ったら『全然! まあしょうがないよ〜』って笑顔で流してくれてうっかり親の目の前で泣きそうになった(泣いてない)。仏か。親すごい。本当にごめんね
今後もう少しきちんと謝ろうと思う。そして肩でも揉んであげよう
音楽関係者、特にアーティスト本人に伝えたい。確かに電子チケットは都合がいいだろう。でも私のこの悔しさをほんの一部でもいいから理解してほしい
もっと全員にとって好ましい形のチケット販売方法があるはずだ。頼む。考え出してくれ。ライブで収入得てるんだからこういうファンが直面する一番の障壁に真摯になってほしい
「俺らは音楽に集中したい」とかいう言い訳はしてほしくない。ライブで食ってるならこーいうことにも責任があるはずだ
儲かればいい・利便性があるからいいじゃなくて、私みたいなこんなポンコツに少しでも優しい仕組みを考え出してほしい
唯一の救いはインフォメーションセンターのお姉さんがすごく丁寧に説明して、すごく上手に同情してくれたこと。あれなかったらもっと自暴自棄になってたと思う
すごくいい人だったな、
あのお姉さんに幸あれ