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「週刊少年ジャンプ」4号分、「ジャンプSQ.」「最強ジャンプ」を期間限定無料公開|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト
週刊少年ジャンプが4週分。掲載作はご存知『呪術廻戦』『ヒロアカ』『ワンピ』『逃げ若』『アオのハコ』『SAKAMOTO DAYS』『僕とロボコ』『あかね噺』『アンデッドアンラック』など。
2/14からは『青の祓魔師』『るろ剣 北海道編』『ダークギャザリング』などが載るジャンプSQ.や最強ジャンプも公開。
週刊少年マガジン6号~9号・別冊少年マガジン2月号を無料公開 | 週刊少年マガジン公式サイト
週刊少年マガジンが4週分。『ブルーロック』『カッコウの許嫁』『女神のカフェテラス』『黙示録の四騎士』『シャングリラフロンティア』。『ブルーロック エピ凪』『アルスラーン戦記』などの月刊少年マガジンも。
マガポケアプリで2/29まで。
令和6年能登半島地震に伴う「週刊少年チャンピオン」無料公開のお知らせ | 秋田書店
週刊少年チャンピオンが5週分。『弱虫ペダル』『刃牙らへん』『SHY』『あっぱれ!浦安鉄筋家族』『魔入りました!入間くん』『木曜日のフルット』など。
【令和6年能登半島地震災害支援】子ども向け電子書籍サービス『学研マナビスタライブラリー』無料公開のお知らせ - Gakken
絵本やまんがでよくわかるシリーズ『mRNAのひみつ』『Wi-Fiのひみつ』『SDGsのひみつ』『石川県のひみつ』『白い恋人のしごと』、『マンガ動物最強王』など。
『花咲くいろは』全26話+劇場版が本日(1/12)18時より一挙プレミア公開。配信収益で作品の舞台である石川県・湯涌温泉を通じて被災地を支援 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com
令和6年能登半島地震で被災された皆様へのお見舞い | News | TVアニメ「君は放課後インソムニア」公式サイト
https://kimisomu-anime.com/news/post-64
『コウノドリ』《災害医療編》無料公開 2月3日~3月3日 - コミックDAYS-編集部ブログ-
災害派遣医療チームDMATの仕事、クラッシュ症候群、エコノミークラス症候群、地震ごっこ、地方の医療などが適度にまとまってて読みやすかった。
日本の場合、社会保障が削られるのはコスパを求められているからではなく
官僚と政治家らで血税をガメつつ宗主国アメリカ様の要求を達成するためにやってるだけ
税金が身内に還流するスキームを構築できたとこにしか金を出さないのが政府と官僚であり、あいつら身内へ回る金額しか考えてない
政府と官僚が全体を見て将来に渡るコスパまで考えて行動してたらここまで支持率下がってないと思うんだ
政府と官僚が身内の利益しか見てないんだから国民もそりゃ全体なんて見ないよね
コスパ厨に見える一般国民は実はコスパなんて全く考えてなくて叩けるところを叩いて気持ちよくなってるだけだと思うよ
もう既にこれ実践されてるよな
巨大資本による政治家買収だとか、youtubeやXのようなメディアを使ってSDGsだのポリコレだのなんだのゴリゴリ押し付けてきよる
陰謀論と笑われるかもしれないがガザ関連での各国の挙動や西側メディアを見ているとユダ金に支配されてるんだなって確認できるわ
物は言いよう、ということで日々しょうもない言い訳しながら生きている。
ボトムスを着ずにボクサーパンツで部屋の中をうろうろしている時。
(イギリス貴族の子供は半ズボンを履いているので……なお増田はいい年したおっさんである)
散々着たおしてボロボロになってきた服をまだまだ着ようとしている時。
「足で稼いだ高級品やで」
(GUについては、割と値下げされるまで待ってから買いに行くことが多い)
「店主の言い値で買った」
ワークマンで物を買った時。
(ワークマンは基本的に定価販売なので……なお価格交渉なんて最初から存在していない)
「店主が『ここだけの特別品』言うて値引きしてくれた」
(なお、やはり価格交渉なんて最初から存在していないのである)
「ブランド物やで」
量販店で購入した靴について。
(アディダス等のスニーカーなので「スポーツ」ブランドなのは間違いない)
「追熟してた」
「舶来品や」
ドンキで購入したちょっとあやしい値引き品の中国・韓国産の加工食品について。
業務スーパーで購入したMokateのルイボスティーについて。
(寒くてこたつにもぐりこんでいる)
(なお、うだうだしてるうちに梅雨入りする模様)
(なお、うだうだしてるうちに冬になる模様)
コスパ論は排除の論理である。そしてコスパ・排除論者に言いたいのは、君らミクロしか見えてなくてマクロで物を考えるってことが全然できてないってことだ。その結果、社会全体やひいては世界を亡ぼす。部分最適の総和は全体最適にならない、なんてことはもう一世紀以上前から常識だ。君らの論は、放置すると以下のような言説になる。
……
その結果、人は障碍を得たり年をとったり社会的に弱い立場に立っただけで簡単に人権を失い、強者が権力を振りかざす、安全・安心からほど遠いディストピアに住むことになるんだけど、それがコスパの果てに待つ社会だということを「コスパコスパ」唱える連中は理解もしない。自分がそういう主張をしているということを認めないばかりか、「そんなのはほかの誰かが対策すること」で「自分たちは目の前の問題についてだけ冷静に意見を言ってる」と思っている。その結果、20世紀から21世紀の現在、どういう社会が訪れたか、
コスパと排除の論理を突き詰めれば、すぐそこまで行く。歴史や世界情勢を見れば、一目瞭然である。
だから、コスパ論者は、自分に全体を見る目がないという認識があるならせめて黙っていた方がいい。とはいえ、自分の理解の及ばないことについては沈黙する、というのは意外と高い知性が必要な行為なので、人類そこまで頭良くない、っていうのも悲しい現実だ。その結果やがて、そういう「普通の人々」からの人気を当て込んで極論を振りかざすデマゴーグが現れて、多くの人が進んでその養分になり、社会や国家は破滅的な被害を受ける。なのに、喜んで養分になった人々は、全てが終わった後口をそろえて「知らなかった、騙されていた」と言い出して、自分には非がないと言い立てる。そうして数十年後、また同じことを繰り返す。世界のあちこちで。
人間の一員として生きるということは、そういう愚かさと共に歩む覚悟をもつということでもある。言い換えれば、その愚かさと共に歩む覚悟がない者は、政治についても社会についても何も実のあることを語ることができない。理念だけのリベラルが常にデマゴーグに敗北する理由がこれだ(それは数や勢力というだけの意味でなく、リベラル寄りの思想の持主もまた、たやすくコスパ論にからめとられて排除論者に闇落ちするということでもある)。
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さて、以下は、上記を踏まえた愚考である。ぶっちゃけ読まなくていい。けど、少し暇があり、与太話に付き合ってもいいというなら、読んでいただければ幸いだ。
民主主義には「少数意見の尊重」という、コスパ論に堕しないための重要な楔が打たれているのに、民主主義を標榜しながら人は安易に「多数決」を持ち出して、少数意見を無効化しようとする。少数意見を顧みず議論も廃した「多数決」は、現実主義でなく単なる数の暴力なのだが、近視眼的なコスパ論者にはその違いが分からない。そうして、コスパ論者、すなわち民主主義者と自認する「多数による独裁」主義者は、「諸外国の脅威に対抗するため」「緊急事態に対応するため」などの言い訳をつけて、やがて民主主義を独裁主義で蚕食しようとし始める。「その方がコスパいいと思う」から。
人間の脳のバグ、たとえば、動物的に振舞いたいというバグは、2000~3000年前ごろから「宗教・道徳」というパッチが発明されたことで世界的にデバッグが進んだ。結果、社会や文化は大きく進展した。宗教や道徳が整えば、人と人、国と国の協力が可能になり、交通が利便に、経済が発達し、国はうるおい文化が発達する。しきりに法が作られたのも、こうした理由である。道徳や法が国を栄えさせるという実例を見て、またほかの国もそれを真似るようになる。こうして急速にパッチは普及した。
だがその後、宗教パッチを当てると人は神秘主義に陥り、ある一定のレベルで文化の発達が止まるという新たなバグが見えてくるようになった。それに対して一般に「科学・哲学」パッチが発明され適用されるようになったのは、割と最近のことだ。科学が宗教に優越する地位を占めるようになったのは、近世になってからのことだ。科学は実証によって宗教に優越する効果を示した。ただ、同時に道徳を破壊することになる危険性についても、パッチ適用当初から危惧されてはいた。ただし、宗教パッチの害悪の方が重くなっていた当時の時代から見れば、それはまだ些細な問題に過ぎなかった。「科学・哲学」パッチによって、停滞していた文化は学問となって更に発展し、国の規模は拡大して強大な国家が生まれた。人は世界の果てまで到達し、文化の発達を謳歌した。
ところがその先に生まれたのが、狭くなった世界における衝突と排除の論理である。特に、宗教パッチの効果を低下させたことによる道徳性低下の影響はやはり無視できなかった。文化の発達によって世界は狭くなり、道徳性の低い強者がより一層大きくなることで、弱者が「合理的」に使い潰される状況が起きてきた。道徳性が高いと思われる者でさえ、「善意」と「合理性」により、異文化を侵略・排除する帝国主義が世界を支配した。つまり、コスパ論の時代である。
これに対し20世紀後半になってようやく、これではまずいという判断の下、「民主主義・人権」パッチが発明され普及を始めた。そのために人類は、数度にわたる世界大戦という苦い代償を払うことになったが、その教訓とともに適用されたパッチで、世界大戦の脅威をいくらか遠ざけることができるようになった。だが、何度もこれを無視した戦争が引き起こされ止まらないように、依然としてこのパッチは十分適用されていない。劣化版のパッチ(ポリコレ棒)やパッチに対抗する新たなウィルス(多数決万能論)さえ出てくる始末であり、パッチの普及にも暗雲が垂れ込めている。
それだけではない。狭くなった世界、拡大を続ける資本主義の下(拡大し続けることは資本主義の仕組自体の問題で、本質的には解消不能である)、環境問題といった新たに別のパッチが必要な問題が生まれてきた。それに対する「SDGsパッチ」はまだ発明されたばかりで、その有効性も不透明だ(このパッチ自体にバグがある可能性もまだ否定できない)。これが21世紀の現状である。
これらのデバッグが完了し、人類が「戦争」と「環境問題」という2つの危機を乗り越えるのは、一体いつになるのか。いや、そもそも乗り越えられるのか。優秀なデバッガーや啓蒙家の数がどれほどになれば、人類は生き延びられるのだろうか。
持続可能な社会にするために、例えば化石燃料に1000%の税金をかけたりすれば、社会はより持続可能に近づくのかもしれないけれど、そうすれば貧乏人が大量に死ぬよね。SDGsはそんな世の中にして、あとは市場原理にまかせて弱者が間引かれればいいと考えるのだろうか?
それとも人の自由を大幅に制限して、例えば戦中の食糧配給制みたいに化石燃料を配給制にして、世界政府が人々の行動を監視して制限するつもりなのだろうか? まあこっちの案でも貧乏人が大量に死ぬと思うけどね。
それとも人類の発展や存続に繋がらないような質の低い人間をテストなどであぶり出して、積極的に「間引き」するつもりなのだろうか?