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はてなキーワード: J-POPとは

2018-04-17

AAA末吉秀太新曲「M.A.K.E」パクリ問題について

J-Pop制作業界の身から出た錆だと思う。

無償のコンペでたくさんのデモをかき集めてれば、パクリ曲も集まるだろう。

Love Smile Music JAPAN関係者には一切の過失はないと声明を出しているが、はたしてそう断言できるのだろうか?

そもそもコンペを企画し、曲を選定したディレクターや、作家事務所の窓口の人間既存曲に似ていることを見抜くことができれば、この事故は起きなかった。

制作に関わる窓口の音楽力や、危機管理能力の無さが問題だと思う。

そういった人間無償のコンペで作家奴隷扱いして曲をかき集めるのだからJ-Pop制作現場はいかに凄惨な状況なことか。

推測に過ぎないが、作曲森大和もコンペに参加しろ圧力をかけられて、ストックとしてパクリ曲を提出したのでは無いかと勘ぐってしまう。

コンペの悪習は決して消えることはないだろうが、これ以上コンペの被害者が出ないように祈りたい。

2018-04-16

anond:20180416182748

着メロMIDIにするお仕事は今でもJ-POPMIDI風にする仕事としてスーパーの総菜売り場とかで大活躍してるだろ! いい加減にしろ

2018-04-12

J-POPから逃げたい

ダメ!!!!私はゆずいきものがかりドリカムも苦手だ!!!!!!!!!!!!

老若男女に囲まれ笑顔合唱してるようなMV!見るから健康的な色彩の超ラフな格好!

需要のない幸せ押し売りされてる気分!

こんなこと世間一般の人には絶対言えないので、今日音楽に疎いふりをする

2018-03-31

一番感傷に浸れる音楽

自分幼稚園児くらいの、幼少期に聴いた音楽だった。

もちろん、自分10代の頃好きだった音楽聴くこともあるし、それで昔を懐かしむこともある。

だけど、いわゆるセンチメンタルな、エモい気分になる音楽自分が幼少期に耳に入っていた音楽なのだ

そして自分にとって、それは90年代初期のマッキーだったり、米米CLUBだったり、ZARDだったりする。彼らのJ-POPを聞いていると、無性に切なくビーイング気持ちになるのだ。

なぜそんな気持ちになるのかをかんがえたのだけど、その答えは、きっと、自分子供だった頃を思い出すのではなく、両親が若かった頃を思い出すからなのだと思う。

あの音楽が流れていた頃、

今老齢期に差し掛かる両親は、今の自分と同じように、社会で一番元気な部分を担っていた。そんな両親の姿に思いを馳せて、エモい夜を過ごすのだ。

音楽が人を惹きつける理由はたくさんあるけれど、自分にとって幼少期に聴いた音楽聴くことは間違いなく気持ちリフレッシュさせてくれる。

そしてそんな人は意外と多いと思っている。

2018-03-23

anond:20180323191010

その酷い歌詞が支持されて、J-POPは震える回数を数えられたりしてた結果だろ

まあ、古いからそれだけで支持されてないというのもあるよね。

ネットショッピングが過剰に持ち上げられて実店舗を過剰に下げる動きと同じで。

anond:20180323190143

同人好きだが、それ知らんぞ。

同人って数がめちゃくちゃ多いから、自分好みのが探せばある。の世界

から同人中の中でも実は好みの曲がぜんぜん違うのもザラ。

J-POPってのは、誰かさんが「これ流行りだよ、みんなも好きだよね!」という同調圧力で成り立ってる世界だが、自分好みじゃないのはそりゃ自分好みじゃない。

そもそも、はやりって、同調圧力で作ってるようなものだと思う。

個人的に思うのはJ-POP馬鹿にされるのは単に歌が下手だからだろと思う。

売れてるだけあって曲そのものはそんな悪くない。ただ歌が下手。

そんでその歌から逃げてインスト作ってる同人勢が持ち上げられてるのを見ると、なんだかなぁと思う

2018-03-16

今後の漫画界で起こるであろう変化

まず、どうあがいても漫画村みたいな問題雨後の筍のように出てくる

法規制でどうにかすることもできないし 

いまだに足並みすら揃わない出版社、国には一ミリも期待できない

 

そうなると

作品クオリティよりも

しろ作者やその取り巻きパーソナリティブランドによって

作品の売れ行きが決まるビジネスモデルになる

 

どこかで見たことがある? そうアイドル

邦画邦ドラ俳優ジャニーズ駆逐されたように

J-POPアイドル握手券に圧倒されたように

憧れの仕事ユーチューバーが載るほどに

 

もはや作品のもの勝負するのはあまり絶望的だ

海賊版だろうとどこでも再現可能デジタル媒体勝負するより

漫画家アイドル売りし、あらゆるイベントや公演を開くしかないだろう

コンテンツより、著作者付加価値商売する時代が来るのだ

 

西野が言っていたことは現実になる

2018-03-04

元彼が病みがちな話

私は元彼とそこそこ仲がいい。

詳細は省くけど、元彼は結構病みやすくて、その度に深夜までかかって励ます生活疲れたので私から別れを切り出した。

こういう所が本当に苦手だ、疲れた、とそう伝えた。すると元彼は気をつけてくれるようになって、以前より病む回数も減った。もともと趣味も合う人だったから、普通に友達として楽しくお話していた。

時折好意を思い出すこともあったけど、またあん生活に戻るのは嫌だったし、付き合えばまたずるずるああいう話に付き合わされるんじゃないかという不安もあった。ただ向こうは私のことがまだ好きなままで、それにつられて感情をこぼしてしまうこともあった。付き合うことはなかったが。

そんなある日、元彼が同期の所謂推し」の話を始めた。私と付き合っていた時にもよく可愛い可愛いと言っていた子で、私も概ね同意見だった。本当に可愛いのだ。そしてもう一つ言うと、誰の目から見ても明らかに私の元彼のことが好きだった。最近聞いた話だけれど、付き合う前から家に呼んだり、二人で少し遠くまで遊びに行っていたりしていたようなのだ

元彼は推しのことが恋愛感情で好きになってしまたかもしれない、と言い出した。

そして私のこともまだ好きなままだと。

まあ何日か経って、結局普通に推し恋愛感情で好きになったと言われた。

私のことも好きだよ、と言われた。正直イラッとした。なんていうか、キープにされてる感が凄かったのだ。散々推し可愛い可愛いと話をしてきて、最後に思い出したように付け足していく。確かに私は元彼に好意を持っているけれど、そんなのは推しに失礼だ。

それからまた、元彼はぐだぐだ病み始めた。可愛い告白したいけど怖い、推しが俺のこと好きだって言う人いるけどあんなに可愛い子が好きになってくれるわけがない。どんな会話をしてても突然その話に飛ぶのである。今はアニメの話だろうが、と思っても奴はペラペラと喋り続けるのだ。うぜえ、と思ったがわりと我慢して励ました。推しには悪いけど、二人が付き合ってくれればこういう話は全部推しに流れて、こんな日々から解放されるはずだ。そう思って励まし続けた。

そしてついに先日、付き合うことになったと報告を受けた。私の胸に広がったのはようやくか、という安堵の気持ちだった。

ようやく終わる。感極まって私は付き合ってくれていたことへの感謝を述べた。祝福した。売れないJ-POPみたいな、恥ずかしい言葉で。今思うと完全に舞い上がっていた。これからも仲良くして欲しい、という元彼の言葉に、私は二つ返事で了承した。

すると元彼は言いやがったのだ。これからも、私には悩んだ時に話を聞いてもらうと。推しには推し幸せになるような話をする、と。

ぐらりとした。本当に目の前がちかちかした。何故。何故だ、元彼。そういうところだぞお前ほんと。それが原因で私に振られたくせに、私が嫌だって言ったのを知っているくせに、なぜそんなことを平気で言えるんだ。なぜ新しい彼女には優しくできるくせに、私にはできないんだ。してくれないんだ。

昨日の夜、椅子の上に体育座りになって、机に半分寄っ掛かりながら、ぼんやり考えた。元彼にとって私ってなんなのか。これから私は、どうしていったらいいのか。そう思ううちに彼から連絡が来た。わかりやすく浮かれていた。彼女が可愛くて可愛くてたまらないのだろう。本人に言えよ、って感じだった。そう言うと、彼女はもう寝てるから、と言われた。よく言うよ。私と付き合っていた頃は深夜2時半に突然何十回も電話をかけて来たくせに。

まあそんでもって適当に話を聞いているうちに、なんでか彼は病み始めた。本当に好きでいてくれるのだろうか、みたいな。うわめんどくさいパターン入ったな、と思った。彼はぐだぐだと喋ったあと、もういい、と言って眠ってしまった。

もういい。私が付き合っていた頃、何十回も聞いて、その度に嫌で嫌でたまらなかった言葉だ。それをもう聞くことはないと思っていたのに、また聞かされるのか。そう思うと、私はなんだかどうしようもなくて、しんどくて、吐きかけたのを抑えて寝た。

なんなんだろうな。私は壁でもツイッターでもないのにな。あほらしいわ。

2018-02-21

昔のオタク

昔、自分学生だった頃、今で言うと陰キャと呼ばれてるような奴らの集いが毎日のように教室でありました。彼らは放課後になると、今で言う陰キャの中心的人物が属するクラス教室に集いました。

当時の作品はよくわかりませんが、いわゆるライトノベル教室に持ち込んでは黙々と読んでいる人間でした。

私は、ガリ勉野郎でしたので勉強をする自分の横で軟派な表紙をチラつかせて読んでいる隣の男達(中にはちゃんとブックカバーをつけている人もいましたが)を気味悪いと感じながら過ごしていました。

自分積極的には関わりませんでしたが、今で言う陽キャと言われるクラスの中心的な人たちは積極的にいじり倒していました。

オタクCDを持ち寄ってきていたのか、今で言う陽キャの集団がそのCDからかい始めました。その時に、今で言う陰キャの中心的人物が、陽キャの集団に対して「J-POPという流行らせたコンテンツに乗っかっているおまえらにはわからんよ」的な事をいっていたのを思い出します。

その時、初めて今で言う陰キャの人たちを理解しました。彼らは別に発心や、満たされない日常を不満に思ってオタクをやっているわけではない。自分無意識価値観を揺さぶられたような経験でした。

彼らは別にオタクになりたくてなったわけではなく、自分が素晴らしいと思った物を突き詰めるにあたりオタクになっただけなのだと。

それは本質的には数学検定必死になる自分となんら変わりなく、あくまでもその対象が外の人から評価されるかされないかだなのだと。(数学検定が外の人から評価されやす資格かはともかく)

 

その後、電車男書籍として販売され、秋葉原にわかテレビ特集が組まれニコニコ動画というコンテンツが生まれて、「オタク」はありふれました。

いやでもオタク文化が目に入り、パソコンを触っていればそこそこそういう知識は分かる程度にまとめられたコンテンツは増え、気がつけば水樹奈々は当たり前のように紅白に出場し、小林幸子は「千本桜」を歌うような時代です。

今のオタクは、言ってしまえば「J-POPという流行りに乗っかっている」当時の今で言う陽キャと変わりないのだと思います

 

私はスマホゲームを良く嗜み、5chのスマホアプリスレ情報収集をしていますが、上記のことをものすごく感じます

必ず「セルラン」「覇権」という言葉がどのスレにも出てきますアニメであれば、「覇権」はよく聞きますよね。私はこの言葉がどうファン達に聞こえるのかわかりませんが、とても無意味ではないかと感じます

なぜなら、オタク流行に乗ってやるものじゃないと最初に話したエピソードで感じているからです。

いまでも語られる名作ゲームとしてデモンズソウルを例にあげます。私はデモンズソウルが大好きなのですが、このゲームはもうすぐオンラインが終了するということで最近またキャラを作っては嵐の祭祀場に通っているのですが、このゲーム覇権でもなんでもないですし、そもそも売上もじわ売れですし、どちらかというとダークソウルから入ってきた人のほうが多いのではないかと感じます覇権でもないゲームなのに、名作として扱われ、ディープファンがいて、ソウルシリーズとして続いていますよね。

だったら、アニメスマホゲームで「覇権」「セルラン(円盤の売上)」という言葉が当たり前のようにでてくる現状ほど、オタクが「流行りモノに飛びつく人間」という意味になってしまっていると感じます

 

同人誌で、簡単に描く作品を変えてしてしま同人作家を「いなご」と言いディスる

おかしものです。オタク自体が「流行りモノ」を追いかけて移動しているのに、同人作家という発表者が流行りモノ(または流行りモノのついていくユーザー)を追うことを咎めるのは。

今でも真実冗談かはさておき「なのは完売」という言葉を見かけますが、これほどオタク象徴する言葉はないと思います。「なのは」という今では覇権でもなんでもないコンテンツが「すぐに売れてしまコンテンツ」だと認識されているのです。

オタクって本来そういう意味ではありませんか。

もちろん、作品を知る機会として「流行り」は重要です。しかし、コンテンツの楽しみ方までもが「流行り」であるようにしか今では感じません。

オワコン」という言葉があるのがまさにコンテンツの楽しみ方が「流行り」であることの証明でもあります

私が学生だった頃、教室に来ていた今で言う陰キャ達がどうなっているかは私にはわかりませんが、彼らは当時そうではなかった。私がみた「昔のオタク」像のせいで「今のオタク」がオタクに見えていないだけなのは重々承知していますが、今のオタクは当時の今で言う陽キャと同じ人種しか見えない。

そして、当時、今で言う陰キャの事を気味悪がってたくせに、アニメやらゲームやらをやっている自分も、ただの「今のオタク」にすぎないのだろう。

2018-02-13

デジタル媒体に完全に乗り遅れたJ-POP

anond:20170603104005

全ては日本レーベルYouTubeに曲を提供していないことが原因だ。

海外アーティストはもう完全にデジタル媒体に移行している。YouTubeで客を集め、定額ストリーミングで金を稼ぐ。客は店に買いに行かずとも曲が聞ける。それで上手くやっている。

J-POPは完全に乗り遅れた。日本レーベルCDを売ることに執着し続けている。自分いちばん儲かるからだ。

http://www.3on3live.biz/hint/cd.htm

high_noteに限らず、違法ダウンロード違法アプリがまかり通っている根源は手軽に聞けるからラジオテレビで曲を聞き、CD屋に駆け込む時代はとっくの昔に終わったのだ。

2018-02-10

音楽系の反差別界隈の特徴

知ってる人は知ってると思う。

反差別というものを語っているのに、物事の考え方が「ダサい」「ダサくない」が基準なのがやばい

ダサい」「ダサくない」で判別するにあたり、そこで絶対的な線引きが出来ていると思っている節があるのだが、まずそんなひどく感覚的で漠然とした基準かつ詰めることも出来なさそうな定義で語ってるのが言論として脆いし危うい。

さらにここが一番大切なのだが、「ダサい」「ダサくない」がかなり差別的ニュアンスを含む価値観だと気付いてないのが一番マズイ。

政治的主張思想的傾向、それらを「ダサい」か「ダサくない」かで語るのが、真摯言論だとは到底思えないが、彼らは「ダサい」「ダサくない」でそれらが語れると思っている。

これは音楽系だからこその特徴がある。

音楽系の反差別界隈、政治的言論界隈の方たちは、ファッション音楽クラブなどの遊びといったもの最先端であることを求め、そこに価値見出している。

かにそれらの趣味問題先進性を求めて、「ダサい」「ダサくない」で語るのは許されるだろう。

しかし、彼らはそれを政治的思想的な主張においても適用してしまう。

たかも、思想にもモードがあり、「ダサい思想と「ダサくない」思想があるという見方物事を見てしまう。

界隈はよく反差別政治フェミニズムなどについて語るのだが、二言目に出てくる言葉は「ダサい」「ダサくない」だ。

よく思考し、言葉を尽くして肯定するなり否定するなりすればいいものを、「ダサいよね」「ダサくないよね」で済ましてしまう。

こんな感覚的でバイアスがかかりまくった基準で主張を切り分けている界隈の言論が真面目に受け取られると思っているのだろうか?

特にこの界隈は海外モードに先端性を求めるため、日本の大多数の一般人は「ダサく」見えている傾向にある。

そういった日本海外のシーンの音楽モードと全く異なる政治的思想モードを同じ価値基準で判定し、「ダサい」「ダサくない」と捉える希薄さ、そこに孕む差別性に無自覚なのだ

彼らにとって、J-POP日本音楽シーンはダサく海外ヒップホップブラックミュージックベースミュージッククラブミュージックがダサくないのと同様に、社会における、高齢者、おじさん、時代遅れ人物オタク特定思想、それらすべてが「ダサい」のである

そしてその感覚的に「ダサいものは「ダサい」ことが理由に拒絶され見下されることになる。

彼らは「日本もっと政治的話題が語られたらいいのに」とも言う。

ダサい」「ダサくない」で主義主張感情バイアスとともに切り捨て、一方に何ら言葉を尽くそうとしない状況で、誰が口を開くと思うのだろうか。

もっと政治的なことを語ろう」と言ったあとに、「○○○(政治的思想的論題)はダサい」と言い出す。それが「語る」ということなのだろうか?とてもそうだとは思えない。

そして、こういった状況だということに、かの界隈の誰一人として気づいてなさそうなのが、一番の特徴である

政治性、思想性を重んじるのは大変結構ではあるが、趣味に用いてきた「ダサい」「ダサくない」という感覚的で漠然とした基準万物の全てに当てはめて全肯定全否定しようとする差別性、攻撃性にはもっと自覚的になってもらいたいものである

私自身、反差別思想リベラルスタンス自体に一切文句はないということには最後に念を押しておきたい。

2018-02-04

anond:20180203104231

J-POPってやたらストリングスが入ってくるけど、あれが雅楽と融合した結果でしょ?(適当)

2018-01-31

好きな音楽ジャンルって年を重ねて変わる?

もう40代半ばになって、学生の頃聞いていた電気グルーヴKen Ishiiの当時の楽曲を改めて良く聴くようになった。

当時を思い出すとかそういうのではなく純粋に聞いていて気持ち良い。

若い頃は「流行ものが嫌い」で、J-POPなど聞かず、比較マイナーな曲を聴いていて、その中で刺さったのがテクノ系だった。

しかし今では「流行ものが嫌い」という感情はなく、カラオケに行けばJ-POPで歌われているランキングTOP10の八割は歌えるし、抵抗はない。

なのに、やっぱりたくさん聴くとなると若いころ聴いていたジャンルが主で、かつ昔聴いていた楽曲で良かったものを良く聴くんだよね。

年を重ねても好きな音楽ジャンルって変わる?変わらない?

anond:20180131010414

芸術日本人にとっておハイソでご高尚な趣味かもしくはホコリかぶったレガシーで非効率的なお飾りでしかない感じすごいもんな。オタク向けというかコアユーザー向けジャンル

よく言えば機能美、本質効率的大量生産によって生み出されたそぎ落とされて平均的なものがより好まれ社会家具しろ服にしろ。ニ●リにユ●クロ。

芸術音楽もそう。J-POP社会

行人路上で奏でる音楽家に興味ないし交響楽団チケットは売れないしそもそも奏でられる場が少ないし団体が少ないしおかげで封建的で閉鎖的で凝り固まった社会のまんまだし大学は高い。

(※ごめんヨーロッパと比べてるから言いすぎなとこはあるかもしれない)

世界史はみんな一応勉強するのに当時の世相のさ中、アクティヴィストとして生きた音楽家画家を知らない。祖国への想いを交響曲や油にのせて綴り銃を持たず戦った芸術家たちの名を作品を知らない。

隆盛を知らないか近代現代芸術にも結びつかない。

勝手に思ってるだけだけどね。

でも単純な話もっと芸術が身近になればいわゆる日本的なギスギスした社会性は多少改善するんじゃないのとか思ったりするけどね。だから国民性と合わないのか。日本人芸術爆発させちゃうしな

2018-01-30

「新しさはいつも否定と拒絶を生む」2.5次元作品について思うこと

2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。

そのことについて思うところがある。

誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。

私は、ペンライトうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイル作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである

作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。

ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。

ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台ミュージカルではないとも思わない。

うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。

客席に降りてきたキャストファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトカラーはすぐに揺らいで、軽率ブロマイドを買ってしまう。

界隈にはよくいるオタクだ。

ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。

あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解共感ができてしまうのである

例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。

なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。


先ほど、この応援スタイル作品は苦手だが、舞台ミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイル出会っていたのが根源にあるのではと思う。

舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感あるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。

例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。

1部と2部で分けられた構成で、似たようなもの存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。

それから四季マンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。

カーテンコール熱狂ぶりは、一度体感して欲しい。

2.5次元作品名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。

劇作家であるピーター・キルター作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。

これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。

ペンライトを持ってくることについて公式からアナウンスがあった)

少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。

歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。

例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。

こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。

ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルコンサートと一体化しているようなものが乱立している。

からとても目立つのだ。

2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。

おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台コンサートイベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るものなのだ

ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。

から舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出ひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。

少々暴力的言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。

要は、酢豚パイナップルなのである

あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。

けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっと要求までされているのものから困惑するのだろう。

どうして、と思う。

そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。

パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店パイナップル入りばかりを提供しているのだ。

こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである

私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。

2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。

パイナップル酢豚しか見つからないなら仕方ない。

回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。

けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画アニメ作品が、うちわを持って応援するスタイル舞台になってしまったら。

楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。

きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。


とにもかくにも、最近このドルステタイプ作品が多いのは紛れもない事実だ。

少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルストレートかといった分類だったように思う。

それを証拠に、ある作品舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。

最近では、うちわは有りなの?なんて言葉をよく見る。

新たなジャンルが生まれているのだなあ、と感じる一端だ。

この新たなジャンルは、確かに舞台作品範疇ではあるが、独特な応援スタイル存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。

2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。

テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?

はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。

そんな始まりだったが、千秋楽の頃には満員御礼

けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。

決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることな3rdシーズン

その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。

今この時代チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。


先日放送されていた情熱大陸松田さんが仰っていた。

映画などとは違い、舞台初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。

当たり前だが、その通りだ。

先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。

実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。

私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。

公演前の宣伝番組で、内容が示唆されていたのかもしれない。

だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。

出演者ではなく作品ファンというなら尚更だ。

少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。

そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。

苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラキャスト応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。

知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元アイドル応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作プロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイル舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま

舞台を観たことがない人を、いか劇場に来させるか。そんなことを、制作から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。

きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである

からそろそろ、この新しいスタイル演劇名前つけませんか。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。

これを当たり前にするために。

オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式市民権を得たミュージカルのように、いつかこスタイル演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。

2.5次元も嗜むしがない舞台ファンからの、ただひとつの願いである。

2018-01-12

anond:20180112212101

J-POPアニソン・邦ヒップホップアイドルあたりの話してると

いかなる場所にも便所蝿のごとく湧いて出るけど

クラシックジャズブルースプログレあたりの話をしてても

寄ってこないあたりたいして音楽知識ないものと思われる

あと低能の奴と同一人物じゃないかと疑ってる

向こうも高尚な議論になってくると借りてきた猫のように押し黙る

追記:

やっぱり俺の見立ては正しかったべ

当初は威勢良くても旗色悪くなると黙りこくる

このまま一生貝のように口を閉ざしてて貰えると助かる

2018-01-05

EXILE音楽がいいから聴いてみ!!

知人から一言

私も知人も、beatmaniaIIDXを始めとする音楽ゲームプレイしていて、その影響でトランステクノといったジャンルを、よく聴く

EDMでは好みもかなり一致していて、新曲が出る度にアレはああで、コレはこう、と言い合う仲だ。

でも、この一言には全く共感できなかった。

EXILEって、個人的ビジュアル系以上に近寄りがたい。

強面な風貌の連中が群れて、強面な表情で私たち見るものを威嚇しているよう。簡単に言えば暴力的

ビジュアル系も派手な見た目で、若干ビビるけど、まだ親しみを感じる。多分、こう言うと怒られそうだけど、ひ弱なイメージがあるからだと思う。暴力的イメージがない。

曲に関しては、CMでよく耳にするメロディを聴いても、「なんかよく聴く名曲」のイメージ範疇を離れない。

それらを説明しても、知人は、曲はいいから!と譲らない。

今度聴いてみるよ、とその場では返答したが、一向に聴いてないし、聴く気にならない。

多分、見た目がああじゃなかったらこの印象も少しは変わっていたんだと思う。

J-POPが嫌いなんじゃない。近年のJ-POPはよくわからないけど、少なくとも2010年代初頭までの流行りにはついていけていたし、その頃の音楽は今でもよく聴く

ダンスパフォーマンス問題じゃない。ボーカルダンサーが混在しているTRFは私の好きなアーティストの一つだ。

どんなに彼らの音楽がいいとしても、なにか、私自身に響くものを持っていたとしても、やはり怖いというイメージがある。

勝手感想だけど、もっといいイメージメディアに出ていれば、聴く機会はあったんじゃないかな。

と、ここまで書いたら、ちょっとだけ聴こうかなという気が起きてきた。

何を聴いたらいいんだろう?

2018-01-01

2018年目標

スタンス

・正直に生きる

・とっかかりに時間がかかりすぎるから軽めに始められるようにする

コミュ障を直すために話しかける(追記 少しでもマシにする)

・考えてもしょうがないことはあんまり考えない(ドツボにはまったら一旦離れる)

習慣

・腹肉をどうにかする→腹筋ローラーを毎日(追記 手軽にできる有酸素運動を調べて実践する)

貯金→Spredsheetで家計簿作った

その他

片思いしてる人に決着をつける(年内目標

・世の中の恋愛小説とか映画とかJ-POP歌詞をよく読んでみる→感想を書く(追記 人の気持ちを察するのが苦手というのもあるけど、初めて恋愛感情自覚のある片思いをして、その手のコンテンツキャラクターシチュエーション台詞、表情などいわゆる表層しか楽しめてなかった、こちらの内面まで伝わってきてないことに思い至った)

追記

マジレスありがとう

年内目標については現在相手都合(体調とそれに伴う金銭面。お互い無責任には付き合えない性格から)で保留。最速で4月感触としてはイケそうなので年内にはカタをつけたい

4/18追記

わーい相手都合なくなったー勝負かけるーがんばろー

2017-12-21

anond:20171221183717

K-POP誕生した頃ってすでにJ-POPは終了していましたよ

K-POPJ-POPどうして差がついたのか・・・慢心、環境の違い

【悲報】K-POPとJ-POPを比較した動画がYouTubeで話題に… : IT速報

サムスンやLGに日本家電メーカーがあっさり追い抜かれたのと同じパターンに見える。

技術力が上だとか、日本市場特別だとかそういう言い訳を続けてる場合じゃないんじゃないの?

クールジャパンも滑ってるようだし、外国人理解してもらう努力が足りないのでは?

2017-12-20

若者の○○離れ』は脱付加価値時代の現われ

人間自分が属するコミュニティ価値観に従って生きている。若いうちはファッションに気を遣い、J-POPを聞いて周囲と共通話題を作る。社会に出れば効果スーツや車、時計といったステータス自分社会人としての価値を高めようとする。『若者の○○離れ』はつまりはこうした構造が働いていない状況に他ならない。その大きな原因はネットの普及だろう。かつて価値基準メディア上司一方的押し付けられるものしかなかった。そこから脱することが不可能なわけではないが、従わなければコミュニティ内での自分価値を損ねかねないリスクがあった。だが現代の人々は、ネットを介して簡単に異なる価値観に触れ、コミュニティに属することができる。「そんなものに金を払うのはバカらしい」と価値基準への否定を共有できるわけだ。

誤解してはならないのは、若者に与えられているのが単なる別の価値観ではなく価値観を選ぶ機会である、ということだ。勿論、ネット上の価値観鵜呑みにする情報弱者存在しないわけではない。だが、ネット上の価値観にはかつての構造のような強制力は無いのだ。早い話が、ユーザは嫌ならコミュニティを去って別のコミュニティを探すことができる。価値観の良し悪しが、そこに従うことで人生が良くなるかにあるとすれば、強制力の無い場こそが価値観の淘汰のために健全であることは疑いようはない。強制力を失うと同時に選ばれなくなったのだとすれば、それはその産業付加価値に甘えて本質的価値提供していなかった産業だと考えるべきだろう。デジタル時計が出ればダサイと言い、携帯電話が普及すれば時計は身だしなみだと言い張る。そんなことはもう通用しないのだ。

とは言え現代社会、あるいは現代社会の行き着く先に完全に価値純化された社会があるとも限らない。むしろ近年、新たに生まれ商売の中には偽りの価値の上に成り立っているものも多く存在するだろう。我々は『若者の○○離れ』を教訓に、自分仕事本質的価値を生み出しているのかを問い続けるべきなのかもしれない。

2017-12-18

俺の最高な彼女の話を聞いてくれ

3つ年上の俺の彼女の話なんだけど、とにかく最高なんだ聞いてくれ。

まずかわいい。顔もかわいい性格めっちゃかわいい

穏やかでおしとやかな感じの性格なんだけど笑い上戸で、俺のくだらない話でもいつもニコニコ笑ってくれるの。

少し天然なところもあって、表情も豊かだし一緒にいて全然飽きないんだ。

それにすごく優しい。付き合ってもうすぐ3年になるけど喧嘩なんて1回もしたことない。

いつも俺のこと気遣ってくれて、自分のことのように心配してくれるのまじ感謝

それでいて結構甘えてくるの。待ち合わせのときとか走って突進してくるし、お別れするときは目が潤むくらい寂しがるの。

かわいいでしょ、かわいすぎない?

あと食事の好みがピッタリなの。大体メニューひらくと同じもの指さすの。

おまけにゲームとかも一緒にやってくれるの、すごく楽しそうにやってくれるの。

他にも映画とか漫画とか、娯楽の趣味もすごい合うの。

野球観戦が好きなんだけど、嫌な顔一つせずついてきてくれるの。

彼女オーケストラとか聞くのが趣味なんだけど、1回連れて行ってもらったらまじすごい。

J-POPしか聞いてなかった俺の趣味を広げてくれたのまじ感謝

基本的になんでも楽しんでくれるからどこに行っても楽しいの。

俺の好みを全部凝縮して形にしたような最高な人なんだ。

聞いてくれてありがとうまじ感謝

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