はてなキーワード: 2ちゃんとは
俺の書き方が悪かったが、ネット世間が2ちゃんのマネ全盛だったのは
1フロアに100人ぐらい働いてる少し大きめのIT企業に出向してたが
IT企業なら20~30代社員は職場内の日常会話で平然と2ちゃん用語使うし
インプレスやアスキーなんかがやってた建前上は真面目なネットニュースも
隙あらば平然と2ちゃん用語やAAを織りまぜて内輪ウケを狙ってたし
ネタなんだから引っかかる方がバカと言う方が頭がよい人みたいな空気だった
ここまで2ちゃん万歳一切無批判みたいな空気はさすがに変じゃないかと思ったよ
別に2ちゃん自体がどうのこうのというより、ネット世論の中心が1つの媒体に
固定されてて、SNSがまだ多種多様化してなかったゆえの息苦しさだ
街中でそういう人見ても恥ずかしい人たちだなとしか思わなかった
人間であれば誰でも参加できる男女論を、簡単に接続できるインターネットでやってるんだから話なんてまあ通じない。
知らない相手の情報なんていちいち見てらんないから話してる相手のことなんて男か女かくらいかしかわからん。がんばっても性的指向とかフェミか規制反対派かとかそんくらい。それも別に本当かどうかわからんし。
悩んでる人が何か発信するのには拡散力に於いて向いてるのかもしれないけど、属性に分かれて議論なんかして何か結論が出ることとかあるのかな?
15年以上前の2ちゃんにも男女板ってのがあって、いろいろと議論してたけどまぁ平行線だった。
男女板を見つけたときは「こうして多くの議論が交わされ理解が深まり世界はより良くなる」とか思ったけど普通にそん時とおんなじようなことをこうして別の場所で別の人間だと思われる人たちが議論している。
そんなことより知り合いの人に優しくしたり会話してみたり思ってることを伝えてみたりしたほうがその持論が活かされるのではないかと思っている。
登山興味あるんだよなあ……
神々の山嶺とかデイリーポータルの登山記事とか読んで、ぼんやり憧れる状況が続いてる
たぶん富士登山とかやったら相当満足するだろうとは思うんだけど、遠い・体力ない・時間ない・そこまで熱意ないの四重苦で一生行くことはなさそう
ビバークとかが必要なほどガチの登山は流石にやりたいとすら思わないけど、山小屋でひと休みみたいなのには憧れるんだよな 山に行かずに山小屋でひと休みできんかな…
有名だし、いっぺんくらい行ってみたい!
最初知ったときは結構「知る人ぞ知る秘境」みたいな感じで紹介されてた記憶があるんだけど、いまやスッカリ有名になってしまった…っていうのがそもそも認識違いでかつてより有名だった気もするな
でも遠いしな…第二外国語スペイン語だしボリビアにも興味はあるんだけど富士ですら遠いのに南米は遠すぎる 一生行かぬであろう
ハワイとかにあるリゾートビーチ、海にせり出した木製の桟橋があるイメージがあって、アレに憧れてる
べつにそこで何をしたいってわけでもないんだが、歩いたり見たりしたい
でもこれもなかなか厳しそうだなあ 沖縄くらい行けばもしかしてあるのか?でも桟橋見るためだけに桟橋のある場所を探して行くほどの気力はないんだよな 偶然行ったビーチにあれば見られるかもしれない 分の悪い賭け
でも基本的に酒飲めないんだよな テキーラなんて飲んだら絶対翌日寝込むし…と思うと弱い酒しか頼めない
かといって自分でボトルを買うほどの興味も勇気もない うまいのかなテキーラ うまいとかいう感じのものでもないのか?
うまそう!食いたい!と思う一方で「所詮チェーン店だし県外からわざわざ来て並んで食うようなもんじゃない」という県民の声に深く納得させられもしてしまう
正直食いたいんだけど、たぶん静岡に行っても「わざわざ食うものじゃ…」ってのが頭の中をリフレインしてスルーしてしまうんじゃなかろうか 行列ができてたら自意識的に1発アウトだな 静岡に行ったときさわやかに行列ができてませんように!
ガキのころ爬虫類が好きでかなり憧れてた
でもバカデカくなるって話だし絶対飼えないんだよな まあそれはいい
問題はたぶん触れることすらなく俺は死ぬということ 動物園にふれあいコーナーとかあってもガキばっかだから遠慮してしまうし、そもそも動物園じたい全然行かないし…
その辺にケヅメリクガメ散歩させてるオッサンとかいねえかなあ 話しかけるのも迷惑かなあ
大学時代、サークルの合宿で何回かやったんだけど俺的にはあれはBBQじゃなかったんだよな
後輩に肉焼かせてばっかじゃ悪い!しかし俺ばっか焼いてると逆に気を遣わせる!みたいなのをずっと気にしないといけないのが嫌だった
2ちゃんのバーベキューコピペみたいなノリで、大量に肉焼いて好きなだけ食いてえよ
でも仲間がいない これはまあ一人でやりゃいいといえばいいんだが、場所がない これもまあどっか借りればいいのかもしれんが、虚しすぎる ひとりでバーベキュー場借りてひとりで焼いてひとりで食ってひとりで片付けしてひとりで帰ってたらどっかのタイミングで泣き出しちゃいそうなんだよな 俺ってこんなに弱かったのか
まず海が遠いんだよな 最寄り大阪湾だし、なんなショボい湾に何を叫ぶねん、という気持ちはある
できたら広さ的に太平洋がいいんだけど、太平洋って東にあるから陽が沈まなそう
まあその辺の好みは置いといても、夕方に海に行く・人目を気にせず叫ぶ の2点を達成するのは俺には無理な気がする
バカヤローッ!とか言いてえなあ
夜景の見えるレストラン、彼女がロウソクを吹き消すと同時に東京タワーのライトもOFF!みたいなのやりたい
真面目にやりたいというよりは、絶対あまりの面白さに笑い転げてしまうだろうからやりたい
彼女じゃなくて俺が吹き消すんでもいい
なんならレストランじゃなくていいし、ケーキじゃなくてもいい ロウソクだけあればいい
東京都内の公園にでも出かけて、タイミング見計らってやればいいのかな キモ…
ハート型のストローが二本刺さったデカいジュースを、机を挟んだ2人で飲むやつやりたい
自分はその発端になったツイートは見ていないが、トレンドになる程度には話題になって物議を醸した。
その話題に対してオタクが大喜利のように茶化して、また叩かれたりもした。
よく見る光景といえばよく見る光景である。しかし正直私はこの一連の流れに辟易としている。
が、まぁ今はそういう時代なんだろうなとも思う。
私は古いオタクである。ツイッターがまだRTを実装していないような時代に1つ目のアカウントを作った。
ユーザは元々インターネットにどっぷり浸かっているようなオタクばかり。
2ちゃんやら個人ブログ個人サイトやらの延長で初めた人ばかりだっただろう。
初めはRTも画像投稿もない時代、本当に独り言を横から勝手に見るサービスでしかなかった。
非公式RTなるコピペでRTする方々も存在していたが、それにしても拡散性は低く、フォロワーのフォロワーに届くくらいなものだった。
画像も公式で投稿はできないので、イラストや写真も外部サイトに投稿してそのリンクをコピペ、というのが一般的だった。
その時代私はまだガラケーだった。スマホもまだ市場に出たばかり。
家にいるときはパソコンで見ていたが、日中タイムラインを取得するのは『メールを利用してタイムラインを取得する』クライアントを使っていた。
今のようなリアルタイム制もあんまりない。なくても全然情報が追える時代だった。
むしろ夜だけパソコンの前にいるのでツイートがやたら多くて、公式に規制されるからと、複数アカウント持ってるやつもいっぱいいた。
この時代のTwitterはSNSではなかった。SNSとはWikipediaさんいわく
『ソーシャル・ネットワーキング・サービス(social networking service, SNS)とは、Web上で社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築可能にするサービスである』
だそうだ。この時代のTwitterは少なくとも社会的ネットワークなんて構築できてなかったと思う。
この時代のツイッターはオタクの遊び場だった。チラ裏を実際に書くところだった。
2009年には公式RT機能が追加され、2011年には公式で画像をサポートし、他のSNSと同じ程度の機能を有することになった。
とはいえこの頃にはまだガラケーユーザーも多く、2012年にはまだ過半数がwebからのアクセス(=PCユーザ)だったようだ。
Twitterがオタク以外への広がりを見せたのは、ここ近年、スマホ普及に伴うSNSの活発化だろう。
2015年くらいまでは当たり前のように使われていた「なう」も気付いたらいなくなっていたし、「ふろりだ」「ほかいま」「●REC」は過去の遺物であり、伝わるのはごく一部。
Twitterって何?って言うような人は今どきもう爺さん婆さんくらいだと思うし、何なら爺さん婆さんすらTwitterをやる時代である。
TwitterはSNSになってしまった。オタクの遊び場ではなくなってしまった。
さてこの時代において、前時代の思考のままのオタクがツイッターを使ったらどうなるか。
『独り言を横から覗き見るサービスだと思っている人間が』である。
それが冒頭の話につながる。
公式でRT機能あるし、トレンドなんてものもあるし、なんなら公式は『他の人がいいねしました』とか言いながら流してくる。
Twitterに限らず、如何に選択させないかを基準にUI/UX構築するのが主流になってきつつもある時代である。
RTボタンを生み出した開発者のクリス・ウェザレル氏は「弾丸を込めた銃を4歳児に手渡してしまったのかも知れない」と言っていたらしい。
これがオタクの遊び場、まだ身内ノリの通じる時代のTwitterであったならばよかった。
けれど今やオタクの言う一般人、ノリの違う、住む世界の違うような人間との共有空間、公共の場になってしまった。
数少ないフォロワーにだけ話しかけた、もしくは独り言のつもりが、世界中の人に届き、討論を呼ぶ時代である。
度々起こる炎上挙げ句の個人特定なんてのも、結局これが根本の理由なのである。
フォロワーというのは一般的にはある程度住む世界の近い、考え方の近い他人だ(有名人とかのフォロワーは除く)。
そういう相手であれば、身内ノリで不謹慎な話題を話したところで、はいはい、で済まされただろう。
けれど今はそれが外に届く。届いてしまう。
Twitterに限らずインターネット全般がそういうものに変わるくらい普及した。
身内ノリでふざけた自分の安易なツイートが炎上しないとは限らないし、フォロワーに向けたエロ画像は未成年を含む全世界に公開される。
有名人の画像やイラスト漫画を使ったコラ画像は本人に届いて、叩かれることもあれば公認になることもある。
ツイッターを見ていたらTLに『中年童貞』という漫画の数ページが流れてきた。
買って読んだわけじゃないから詳しい内容はわからないけど、テンプレ的な「ネトウヨ」像をテーマにしたエピソードがあるらしい。
なるほど世界的に見れば孤立した中年はナショナリズムに走りやすいという傾向はある。
だが単純にそれが日本に当てはまるわけでもなく、これを見て自分は違和感しかない。その違和感について書いていきたい。
この話をするうえで、「中年」と「ネトウヨ」の概念が重要だが、ルポ漫画という割にはその点が雑なように見える。
1つ1つ追っていきたい。
「中年」についての明確な定義はないが、ウィキペディアによれば、NHK放送文化研究所のアンケートでは40歳から、内閣府が中高年層を対象にした調査では40歳以上を対象していたことから、世間一般では40歳からという認識があると考えられる。
一方でこの漫画では、「30歳を超えて性交未経験の『中年童貞』」と言っているように、30歳以上が中年の定義のようだ。世間一般のイメージからすると若干若い。
たった10歳差で誤差みたいなもの、と思うかもしれないが、この後の話をするうえでこの10歳差は大きい。
ネトウヨの定義も明確でなく、「ネット上で活動する保守思想・右翼思想の者」くらいの定義から、人格否定めいた要素までくわえられた定義もあるが、多くの人がイメージするうえで下の2つの要素があるのではないだろうか。
しかし、実際に話を聞いていると、こと2つを兼ね備えた人というのは意外に少ない。
わかりやすい例が、「習近平国賓問題」で、排外主義ネトウヨは「国賓なんてありえない!粗末に扱え!」と主張する。一方で安倍支持ネトウヨは「10年国賓扱いしてこなかった元首や要人は国賓扱いするのが慣例だ」と擁護する。
コロナ対策にしても前者は「さっさと中国人を入国拒否すればよかったんだ」と批判し、後者は「根拠のない入国拒否はできない」と主張する。
(どちらが正しいかとかはここで話す話題じゃないのでスルーします。)
このように前者は安倍総理を盲目的に支持しているわけではなくむしろ批判的であり、後者はルールを曲げてまでの排外主義をしようとしない安倍総理を擁護すれば必然的に強硬な排外的な主張は取れない。
なぜこのような違いが生まれるかといえば、「年齢」だ。
ネトウヨの存在と切っても切り離せない2ちゃんねるの全盛期がいつであるかというのは、それだけでいくらでも語れる話題だろうが、ここはひとまず「ドラマ版電車男」が放映された2005年としよう。(実際はもうちょっと後だと思うが。)
この2005年時点で30歳だった人が現在の45歳、20歳だった人が現在の35歳だ。つまり前者は完全に中年の域に入った世代で、後者は一般的な中年のイメージからすると若干若い(若干だけどね!)。
前者がどういう世代かといえば、いわゆる就職氷河期世代で、就職もうまくいかない、経済的に安定しないから結婚も難しい。
そういう時に出会った(出会ってしまった)のが2ちゃんねるとネトウヨ思想というわけだ。
そういう状況に置かれると、自己の存在価値を高めるためにナショナリズムに走りやすいというのは日本だけでなく世界共通の傾向だ。
ただし自民党を支持しているかといわれると必ずしもそうではない。
自分たちが就職できなかったのは90年代の自民党政権が見捨てられたからだ、と認識しているからだ。
GOTOによってコロナが広まることを心配してるのかと思いきや、「就職氷河期世代を見捨てたのに、なんで観光は救うのか」だそうだ。
こういうタイプは排外主義ネトウヨに染まりやすい。結果として桜井誠や一周して山本太郎、もしくは共産党あたりを支持する。
実際にこの2人もこの世代を取り込む戦略をとってるように見えるし、この前の都知事選でも他の世代よりこの2者への投票率が高いのがこの世代の特徴だ。
良くも悪くも社会に対する不満が思想を先鋭化させているだけで、右に転ぶか左に転ぶかは結果論でしかない。
後者はどういう世代だったかといえば、学生時代に2ちゃん、ネトウヨ思想に出会った人間ということになる。
そこまで追い詰められた状態でもないから、そこまで思想と自己の尊厳が直結していない。
就職も第一次安倍政権の2006年ごろは景気も安定しており、前者に比べれば基本的に余裕があった。
これがずっと楽勝なら勘違いしてしまうかもしれないが、リーマンショック・民主党政権時代は厳しかった。
「あの優秀な○○先輩が内定1つもないの?!」という時代もあった。
しかし、第2次安倍政権で就職状況も改善した。○○先輩も「手遅れ」になる前にちゃんとした会社に就職できた。
だからこの世代は安倍総理に対して好感を持っている人が多くて、不当に安倍総理が叩かれていると感じたらむしろ過剰な擁護になりやすい傾向がある。
よって、排外主義ネトウヨになりやすいのか、安倍総理支持ネトウヨになりやすいのかは世代、就職のタイミングによる違いが大きい。
流れてきた画像を見る限り、モデルになってる「中年」はかなり先鋭化したネトウヨに見える。排外主義的ネトウヨだろう。
ただネトウヨだからこうなった、というよりはたまたまそっち側に転んだだけで、逆方向に発露していれば強烈な反政府活動をしている人もいる。
そしてそこまで就職に苦労していない下の年代のネトウヨもいる。