はてなキーワード: 自営業とは
正社員経験たくさんあるけど一年持ったことないから、全部自営業でライターやってたことにして面接受けてる。実際はブログ書いてるだけだけどな(笑)
それでも全く未経験の映画館とか販売、電話サポート、システム開発とか簡単に受かっちゃうわ。ちないま35歳な。
世間でいう30過ぎたら終わりってのは一体なんのことなのか謎だわ。
自営でやってることを自分の中で過大評価して、普通の会社員より責任重いけどずっと続けてるアピールすればいいんだよ。まずは平気で嘘つけるように練習することだな。
職歴はほぼアルバイト。
そんな30代が中途採用面接に行き、当たり前のように不採用となった。
とどめに、対人恐怖症の気がある。
目の前に座る採用担当者の圧を押し返す材料などひとつもなく、こっぱみじんに潰される始末。
純粋にその会社の事業が魅力的で、そこで仕事をしてみたかったから。
なんとなくクリアしているような気になって、履歴書と職務経歴書を揃えて、のこのこと行ってきた。
けれど純粋なやる気が評価されるのは、せいぜい20代前半まで。
そんなの分かってたのに。
行かなきゃ良かった。
大恥をかきに行っただけだった。
「この年齢まで正規雇用歴がありませんが、何か理由があったんですか?」
特に何もありません。
「良いものを作るために、時には辛い立場になることもありますよ」
「正社員経験がない方は、基本的なところで信頼に欠けるというか」
……おっしゃるとおり。
もし自分が採用担当者で、私のようなヤツがきたら絶対に採らないわ。
こんなにもなにもない人間になってしまったなんてと、愕然とする。
なにもない。
せめて、初対面の相手に敬語も使えない無礼なババアにならないように、本当にそこだけは。
しっかりとキャリアを積み重ねて、いわゆる日々戦ってる系の女性って、顔つきが張り詰めている。
美人で、社会に対して武装できていて、戦える姿勢を常に持ってる人。
そういう人には、だいたい好かれない。
今回の件で、やっぱり誰とも会わずにできる自営業をし続けたいと、思い直した。
でも情報を取り入れたくなるし、社会や人と関わりたくなってしまう。
中途半端に社会に出ようとすると、メタメタのボコボコにやられてしまう。
クソババアにだけは、なりたくない。
せめて客観性だけは、捨てたくない。
だけどその客観性に囚われ過ぎて、たまに立ち直れなくなる。
他人の目を気にして身動きが取れなくて、だけどその壁を破りたくてたまらなくなって、行動して、失敗する。
バランス良く生きるって、どーやるの?
普通の家ってなんだろう。
私は自分の家を普通の家だと思っていた。むしろ、大学まで行かせてもらって、その上生活費も出してもらっていたのだから、すごくいい家庭である。憎まれるほどいい家庭だ。
子供に暴力をふるうことはなかったが、父は母を叩いて殴って蹴って踏んで罵倒していた。母は金切り声の叫び声をあげてわんわん泣いていた。物心ついたときから家はこの状態だった。
記憶してるなかで一番はじめの夫婦喧嘩は、3歳くらいの、まだ市営住宅に住んでいたときだ。
夜遅く、母は洗濯物を畳んでいて、私は母のそばでテレビを見ていたと思う。車の音がして父が帰ってきた。母が玄関まで鍵を開けに行くと、酔っ払った父が家の中に入ってきた。私はなぜかすぐにコタツの中に潜って隠れた。父と顔を合わせたくなかったんだと思う。あと、酔っ払うと絶対に喧嘩になることを知っていたからかもしれない。私は真っ暗なコタツの中で息をひそめていた。しだいに口論になっていくと、突然父が怒鳴り声を上げる。いつもここでびっくりしてしまう。本当に突然大きな声で怒鳴るのだ。そしてバシッと叩く音が聞こえる。何度も叩く。母はその度に「もう!やめて!やめてよ!!」と甲高い声で泣きながら叫ぶ。ドカドカと殴る音になると「やめてーーーー!」と母の絶叫が聞こえる。私はコタツの中でずっと震えていた。隠れているのが見つかったら私も同じ目にあってしまうと思っていた。喧嘩が終わると、まだ興奮がおさまっていない父の口から漏れるシーシーという息と、母のすすり泣く声に変わる。怒鳴り声か金切り声はだんだん慣れていくが、すすり泣きの声だけはいつまで経っても心臓がぎゅっと掴まれるような痛みを感じる。
両親はほとんど毎日喧嘩していた。父がいない日は心からホッとした。母が私を寝かしつけたあとに父が酔っ払って帰ってくると、ドスドスという足音とひどい喧嘩で起こされた。それでも布団にもぐって怯えながら寝たフリを続けなければならなかった。母をかばったことは、たぶんなかった。
次に記憶があるのは、小学校の高学年のときだと思う。父は自営業を始め、母は事務を手伝っていた。工場に隣接されるように建てた一軒家には自分の部屋がつくられた。
仕事は忙しく、夕飯はいつも11時くらいに食べていた。共に自営業を始めたことで、喧嘩のレパートリーが増える。母も気が強い方なので、父に対して仕事の意見を言うが、父は「口出すな」「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」「黙っとけ」と応戦する。「くらすぞ!!」と拳を振り上げ、しだいに喧嘩はヒートアップする。プロポーズだと笑われてる九州の方言だけど、聞くと少し複雑になる聞きなれた言葉。
また始まった...と呆れながらテレビを見続けた。うしろで行われる喧嘩が聞こえてないようにじっとテレビを楽しむふりをしていた。怒鳴り声で音なんか聞こえないのに、ずっとその場に固まったままテレビを見続けた。喧嘩が始まると、その場から動いちゃいけないという気になるのだ。トイレに行きたくても、立ったその瞬間に「聞こえてません知りません」のフリは解けてしまうと思っていた。自分の部屋に戻りたかったけど、その場から逃げることはなんだか卑怯だと思っていた。母を助けないくせに。
怒鳴りながら暴力をふるう父と、泣きながらやめていたいと泣き叫ぶ母と、テレビから目を離さない子供。今考えると異常な光景だった。すぐうしろで母が泣き叫んでるというのに、見ないふりをしていた。
その日はなかなか喧嘩がおさまらなくて、近所迷惑だなと呑気に考えていた。その時、怒り狂った父がとうとう台所から包丁を持ってきた。この時の光景はずっと忘れないと思う。父は「ころすぞ!」と怒鳴りながら泣きじゃくる母に向けて包丁を何度も振りかざすまねをしていた。母がその時やめてと叫んでいたのか、刺せばいいでしょと反抗していたのかはもう覚えていないけど、ただ包丁を母に向ける父の姿から目が離せなかった。
頭の中で「終わった...」と考えていた。父が母を殺して、両親をどっちも失うことになって、どうやって暮らしていけばいいんだとまで考えていた。その喧嘩はなんとか父が冷静を取り戻して終わったが、ずっとこの喧嘩のことは忘れないだろう。
父は交友関係が広い人だった。外に出ると、何度も友人や知人に明るく挨拶をする姿を目にする。外での父はとてもいい人だった。明るくて面白くて輪の中心にいるような人だ。私に対しても優しくて少し甘い普通の父親だった。だからこそ、その二面性がこわくて気持ち悪かった。
父の友人は私に「いいお父さんでしょ?」とにこにこしながら聞いてくる。私はいつもなんと言っていいかわからなかった。
やがて反抗期に入った私は父とまったくしゃべらなくなっていた。そこまでは良い。よくあることだ。しかし、私は母に対してひどい態度をとるようになってしまった。母を小バカにするような口はまるで父のようだった。私の中で無意識に「母にはひどい態度をとっていい」という意識が生まれていた。今考えると、父の母に対する態度の影響が出ていた。
大学に入って地元を離れることになった。簡単には両親と会えない距離だ。そこで私は一人暮らしのあまりの快適さに感動してしまう。怒鳴り声も暴力もない、近所迷惑も考えなくて良い生活は本当に心地よいものだった。
そして、両親が今まで不自由なく育ててくれたことに自然と感謝できるようになった。夫婦喧嘩の記憶もだんだんと忘れていった。
でも、正月や盆に帰るたびに夫婦喧嘩は日常的に行われていた。私は理由をつけて帰らないようになっていった。
大学にいる間、たびたび友人間で両親の話題をするようになる。もちろん良い部分だけを話した。そうすると友人の中でうちの両親のイメージは「優しくて天然なお母さん」「面白くてちょっと寂しがり屋なお父さん」という理想的な両親になる。私も誇らしかった。「私の両親は良い人なんだ」と思うことができた。久しぶりに帰ると、そのイメージは壊され、やるせなかった。
うちは普通の家庭である、と思っていた。喧嘩が少し多いだけの、普通の家庭だ。でも、親元を離れて暮らす中で、あれは普通ではなかったかもしれないと気づいていく。夫婦喧嘩で包丁は振らないし、「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」なんて言葉は出てこないらしい。
大学を卒業して地元に戻ってきた私は、いまだ喧嘩を続ける両親に向かって言った。「夫婦喧嘩がほんとに嫌だった、辛かった。喧嘩するのもうやめてほしい」と伝えた。父は笑って「どこの家もこんなもん。だいたい喧嘩じゃなくてじゃれてるだけ」と言った。情けなくて、もう何も言いたくなくなった。
夫婦喧嘩について調べていく中で、「面前DV」という言葉があることを知った。直接子供に暴力を向けなくても、夫婦喧嘩で子供に精神的DVを与えるというものだ。たしかに辛かったが、私はあんまり精神的DVを受けたとは思っていない。なぜならいつも知らないふりをしていたからだ。母がどんなに泣き叫んでも庇わなかった。でも面前DVを受けたという話の子供はほとんど母を庇っていた。怖かったとはいえ、自分が情けなくてたまらなかった。
今では大人になり、父の言い分も母の言い分も理解できるようになった。仲裁に入るようになった。ずっと離れていたためか、暴力をふるう姿はあまり目の当たりにすることはなくなった。母方の祖父と共に暮らしているため、怒鳴り合いだけに抑えているのかもしれない。職場では、従業員の前でも怒鳴り合いの喧嘩をしている。人のいないところでまだ暴力をふるってるのかもしれない。
そういえば、病気で目が見えづらくなってきたのに配達に行かせるのよ、と母にこの前愚痴られた。なんでもないただの愚痴のように言われた。一歩間違えば事故を起こすというのに、「父は昔からそんな人だったのか」と改めてショックを受けた。
仲裁をしていく中で、私の意見なら父はちゃんと聞いてくれるということがわかった。母も「あなたの言うことならちゃんと聞く耳持つのよ」「あなたから言ってよ」と言うようになった。
私が言わなければならないということはわかっているし、母を庇おうとしなかった負い目もあるため私から話をすることが増えた。しかし口論になって、怒りを滲ませた父の表情を見ると、恐ろしいと思ってしまう。白目のところが赤くなっていくのだ。次には拳が飛んでくるのではないかという考えがよぎる。
離れたら穏やかに暮らせると思う。だけど、私がいない間の両親の喧嘩を想像すると苦しい。いつかどちらかが殺してしまうのではないかとずっと思っている。
私に対しては優しい父への接し方がいまだにわからない。
さて、フリーター歴早3年強!
将来の夢と言える時代は過ぎて、
すぐ先の目標!ってとこまで近付いてしまった、幼い頃から唯一つ見つめ続けて居た夢の話。
そろそろ結果を出さなければいけない!
親からの扶養もそろそろ外されちゃうし、年金やら健康保険やらなんやらと、
だらだらと数時間のバイトで払えなくなってきてしまうまで、あとちょっと!ちゃんと半日働いて、
お金を稼いで、親からの自立をしましょう!って言われそうなのをギリギリ回避!時々回避できなくてオーバーキル!!
夢を叶える!オア!デッド!!
小学生の頃から夢見てきた、とある職業、自営業!夢がある仕事!
中学生で、やっと本気で考え始めて、高校生はそのまま並行、結果は思わしくない!
ちょっとずつは前進しているようだけど、まだスタート地点には立てて居ないのです!亀より鈍い!ナメクジかな???!
私は頭が悪いので、中学生!私立高校しか合格できなかったら死のう。しかし私立以外に合格!ヤッタァ!
高校生!漫画やアニメ、フィクションだと高校生とはもう大人で、親に反抗できて、それもなんだかんだ許してくれて、
一人の人間だと認めてくれるはず!と思って居たけど、そんなことはなく!中学生の延長!ワァオ!私に反抗は許されない!
頭は変わらず悪かったので、進級できなかったら死のう。留年したら死のう。そう思って居たのに、
高校在学中に、自傷行為がバレて親からの当たりが少しやわらぎ、少しだけ精神衛生が良くなるよ!
専門学校!夢は夢だと諦める時、今までで結果が出なかったし、これから生きるために、仕事につけるようにならないと。
そう思い、夢に関連してるけど、勝率は夢より高い就職先に就くための専門へ進学!
しかしなんと、ここでも頭が悪く、物覚えが悪く、そして、癖のある講師に嫌われる!呆れられて見下されるのがわかっちゃう!ワァオ!
夢を本気で追いますので、フリーター許してください、とりあえず数年。と!
ちょっとは進歩したけど、まだスタート地点につけて居ない!ごみ!
でも、私がいつでも死ねるぞって空気を時々わざと匂わせるせいで強くは言われない!
そしてまぁ、私が普通に頑張ってるって感じ取ってくれてるのもある!
見込みゼロではないけど、どうなるかわからない完全博打中!人生楽しいね!!!!!
でも先ほどにも述べたように、今年いっぱいでもう少し結果を出さないと先がない!
そして先でも申したように、メンヘラスーサイド願望を永遠と抱き続けてきた、学生時代の遺産!
私は生きることに執着はない!
ということで!私が生き残るには、夢を叶えなければならない!
夢を叶えられないなら私は生きる意味がない!生きたいとも思えて居ないっていうのが本音!
むしろ、夢が叶うかもしれない!って希望だけが、いまの私を生かしてる!
好きな漫画も小説もアニメもドラマも、何もかも、私がこの先、苦しんで生きていかなければ、続きが見れないのだぞ!と言われても、
その娯楽を生きる糧にできない!続きが楽しみだし、この先の展開も知りたい。それでも
私が苦しんで生きるのを対価にしてまで、手に入れたいものではない。
それでも、私を引き止める材料にはない。
私の命綱は、すでに、幼い頃から抱き続けた夢だけになっているのです!
命の重さ?命の尊さ?お前を育ててきた親に対して悪気はないのか?
私が親に媚びへつらってニコニコ這いつくばっているのは、私が一番生きやすいようにしている、最良の行為である。
親に見放されれば、夢は一瞬で絶たれる。
一人で生きていく能力はない。それなら一番近くにいる親に頼るしかないのである!
ニコニコ機嫌をとって入れば衣食住は完璧に守られているのだもの!!!!!
それでも、本当に、後、多分、今年いっぱい。結果が出なければ、
そして、私がフリーターを辞める時!それは私の夢の終わり!そして人生の終わり!!!
30万貯めてレッツスーサイド!30万で私の死体を燃やしてね!!!!!!!
私はもう少し夢を見続けているよ!!!!!
義実家は接客系自営業なんだが、みんなお客さんにはすごく愛想がいい
義母なんかは度が過ぎるくらいに親切だし
まぁお客さんあっての自営業だから当たり前っちゃ当たり前なんだけど
ただ、その反動なのか家族間での会話が刺々しいったらありゃしない
日ごろ理不尽なお客さんにもニコニコペコペコしなきゃいけないストレスもあるんだろうけど、それにしても思いやりがなさすぎる
そもそも、いくら仕事のために外ヅラ良く生きてても、家族がこんなんじゃ元も子もなくない?とサラリーマン家庭から嫁いだ自営業トーシロの私は思うんだけど
せめて「怒って言わなくてもいいことは普通に言う」くらいしてくれたら、それだけでもだいぶ違うんだけどなぁ
自分が意地悪されてるとかは全くないけど、同居しててすごくつらい
ネット見てると「ヤバい姑」ってだいたい嫁いびりとか毒親とかモンペとかそういうのばっかりだけど、うちの義母はそういうのとはちょっとタイプが違うヤバさだから晒してみたら結構おもしろいかもなと思い立って書いてみるよ
皆さんは、結婚相手自体にはめちゃくちゃ満足してるけどその家族にちょっと「んっ?」と思ったら、結婚を諦めますか?
私が最初に義母に対して違和感を抱いたのは、今思えば付き合い始めて意外と間もない頃だったような気がする
夫が「彼女できたよ結婚も視野に入れてるからそのうち連れてくね」的な報告をした数日後のこと、彼の元に義母からメールが来たらしい
内容はというと「占いによるとあんた(夫)が努力すれば良い関係になるとのことなのでがんばってね」みたいな感じ
それを聞いた時は「ふーん、そうなんだ」としか返せなかったけど、後から(え?どゆこと?)となってきて…
いや、占いって何?
一応聞いてみたけど当然違うと言われ
かといってめちゃくちゃ占いに凝ってるとかいうわけでもないらしい
じゃあなんでわざわざ私らの相性なんか調べてそれを息子に送ってきたの…
今思えばそれを私に話す夫も夫だけど…
上手く言えないけど、なんかすごくモヤモヤする!
ちなみに、どうでもいい話だが夫が「それ何の占い?」と聞いたら「細木〇子です」と返ってきたそうな…
さて、そんなこんなで結婚の段取りが決まり、入籍する1年前の話
夫の実家は自営業で、私は見学の意味も込めて繁忙期にお手伝いに行くことになった
お手伝い最終日、仕事が全部終わった後、全員で反省会をすることになった
と言ってもそんな大それたものではなく、嫁さんもやってくることだしこれを機に今までのやり方を見直して、良くできるところは良くしていこうみたいな感じだった
義父が「私さんからも何かあればどんどん言って!第三者目線で!」と言ってくれたので、意見を出すところまではさすがにしなかったが、義父や夫の意見で賛同できるものには「それいいですね!」とか「じゃあ来年やってみましょうか」とかコメントしてたんだけど、なぜか義母がずっと黙ってる
どうしたんだろうとは思いつつ触れるわけにもいかないのでスルーして話を続けてたら、突然義母が声を荒らげた
「私やっぱり我慢できない!」
なになに?どうした?と騒然とする私たち
聞いてみれば、義父や夫の出す改革案に私がホイホイ賛同するのが、自分のこれまでの働きを軽んじられているようで許せないとのこと
えーーーそんなつもりないんですけどーーー
はっきり言って被害妄想だと思いました、えぇ
とはいえ、自分にそのつもりがなくても相手を不快にさせてしまったのなら、それについては謝らなければならない
そこはそれでいいんだけど、まだ籍も入れてない、言ってみればゲストである私に対して、義母がこのタイミングでブチ切れたことに正直ドン引き
その後私が謝罪しその場は何とか収まったものの、結婚後もこの義母の被害妄想によって私は難癖をつけられることになるのである…
とりあえず今日のところはこんなもんで
続きなり別エピソードなり書くかどうかは私の気分次第ですが、え、なに?
婚約解消は考えなかったのかって?
義母を理由に別れるには惜しいくらい夫はパートナーとして相性が良かったんですよ…
それに、この程度のことで婚約解消を申し出るほどの勇気もなかったんですよ…
基本的に義母はめんどくさいし性格が歪んでいるところはあるけど、決して悪人ではないので…(意図的に誰かを傷つけたり貶めたりということは絶対にしない)
趣味としてやりたい事がたくさんある。
でも、将来的に子どもは欲しい。
子どもは欲しいんだけど、「お母さん」という存在になるというと
少し怖いと思ってしまう。
趣味が何も無かった。今でも無い。
甘やかされて育った結果、「誰かやってくれるかな」とか「面倒だな」という
腐った考え方を持つようになってしまった。断じてお母さんのせいではないけど。
「食器洗ってくれてもいいんだけどな」と思うことがあったり。
子供が居ない今でも、自分の時間はしっかりと欲しいと思ってしまう。
そんな自分が子供を育てるとして、自分の時間はほぼゼロになると言っても良い。
1度しかない人生で、自分の時間ゼロを何年過ごさないといけないんだろう。
でも、後片付け等が嫌いなんだよね。あと、根っこの部分に「誰かやってくれないかな」って思いもあったりする。
そういった色んなことをまとめると
将来「お母さん」になるのがとても不安。