はてなキーワード: 左派とは
理想的と言っても良いほどのクソコメがあったので紹介しておきますね。
nobori_lupin そちらのことは知りませんけどムーブをしたら規制されても文句言えないじゃん。オタクがオタクだったころは、ゾーニングして社会に迷惑をかけないようにするので許容してほしいって方針のオタクも多かった記憶。
xnikki 倫理を無視すると宣言した以上、もう萌えを始めとしたオタク系表現は社会悪としてバッサリ切るべき。ネットはもはや公共物。オタク表現の居場所を作ってはいけない
フェミさんの勘違いをこの上なくわかりやすく表現してくれている奇跡のコメント。
・そちらとはどちら?
・規制するのは誰?
・オタクがオタクだったころも意味不明。じゃあ今のオタクは何なのか?
「全然わからない、俺たちは雰囲気でオタクを殴ってる」を地でいってる。
私がこの文章でオタクが従わなくても良いと言っているのは「フェミさんの主張する倫理」だけ。
「オタクがフェミさんの主張する倫理をすべて受け入れる必要がどこにあるんですか?」ということ。
社会的な倫理や行政の定めたルールはどうでもいい、ということは一言も言ってない。
「フェミさんの主張する倫理」と「社会の求める倫理」が一致しているなら、あるいはフェミさん自身が何らかの権力を持っているなら従う。
今回zとqの二人はそれを認めさせて、その態度が倫理的じゃないとマウントかけようとした。
これに対して、「強者のいうことにだけ従うという態度が倫理的ではない」
ということを認めさせたところでなんか意味ある?というのが前回の増田で書いたこと。
>nobori_lupin、xnikki
の2名はまずこれが全く読み取れてない。
「支離滅裂なことを言ってるフェミ」については「知りませんけどムーブ」をかましても行政は規制しない。
フェミがまともなことを言ってて、行政が「せやな」って思っていれば話は別だが、
第二波の頃ならともかく最近のフェミはそのような存在だと受け取られていない。
支離滅裂なことを言ってるのに、いまだに無条件で自分が行政と一体化してると勘違いしてるフェミが多すぎる。
「フェミのいうことに従わない」と「行政によって規制される」が頭の中で同一になってるやつが多すぎる。
そんな我こそが規制する権力者と一体化した存在と思い込んでるフェミ、この人に限らずはてなにはたくさん見かける。
いままでさんざんそう指摘されてるのに知らんぷりしてたけど、
xnikkiさんやnobori_lupinさんのおかげでこういう認識の人が本当にいることがよくわかっただろ?
こういう勘違いに陥ってるフェミがやるべきことはいい加減自他の区別をつけること。
自分たちの主張がオタク憎しで先鋭化しすぎており、社会の標準から大きく逸脱しているということをわかれ。
自分たちの主張が社会から認められる落としどころを見つけて、フェミが社会から認められればオタクは自然ということを聞くから。
今の時点でも十分認められてると思ってるんだったら大間違いだから。
その努力を一切せずフェミ独特の論理を押し付けようとしているから嫌われてる。
急がば回れ、自分たちの尖った社会に請けいられるように着実に社会とすり合わせを行っていきましょうね、といってる。
nobori_lupin、xnikki のように「やっぱりオタクはフェミのいうことを聞かない!→だから社会的に抹殺しよう」といっても
「フェミのいうことを聞かない罪」なんてものは法律で定められてないってことにいい加減気づきましょう。
Arturo_Ui オタクの対立項が「フェミ」という時点で、認知が極端に歪んでいる。二次創作とかエロ同人に関わってるオタクに対立する勢力としては、真っ先に「警察」を挙げるべき。法的規制に関する認識がナイーヴ過ぎないか?
警察が敵ではないとは言ってないじゃん。敵だとしても警察はフェミと違って会話ができるし、行政にはできる限り逆らわないのがオタクだっていってんじゃん?むしろその話するなら、警察とは現時点で敵対勢力だとしてもうまく落としどころを見つけてやってるのにフェミはいつになったら落としどころを見つけようとする動きに落ち着くのってこっちが聞きたいよ。
マジレスってのはちゃんと文章を読んだうえで答えることだと思ってたんだけど。ちゃんと読んだつもりのレスがこれだとしたらやべーやつ。やり直し(@^^)/~~~
z1h4784 yujimi-daifuku-2222氏の言うとおり、オタク(の一部である反フェミ勢)は自分より上のヒエラルキーに属しているとみなした相手には盾突かない権威主義者なわけ。それを揶揄されているということが伝わっていないようだ
文章読めてねー。フェミがそれを揶揄してるのはわかってるけど揶揄して何の意味があるの?ってのがスタート地点なんですがー。こういう「お前らが俺の意見に納得しないのはお前らが俺の真意を理解してないからだ。真意さえ理解すればお前は俺に従うはず」って考えの人おるよね。こういう人のおかげで話題が無限ループするの勘弁してほしい(@^^)/~~~
death_yasude 石原都政の表現規制案も過去の話になったのかな2次元表現を規制したいって動きは常にあるんだから次はフェミが賛同するだけで規制されるんだが右派の持ち出した規制案に左派が反対して今の状況が維持できてるんです
この勘違いしてる人もいるよね。フェミ=左派=立件民主党・共産党、みたいなやつ。オタクやアンチフェミ=右派=自民党・公明党、みたいなやつ。気に入らないオタクにネトウヨって言葉浴びせかける人多いしね。議論にならないので(@^^)/~~~
tvxqqqq 内閣府男女共同参画局から公的広報ガイドラインが出てて概ねフェミの言うことと同じだと思うよ。 https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/012/720/kouhoutebiki.pdf
この人はなかなか賢い。文意を取れば当然こういう返しが出るはず。この人だけが会話できる余地がある。公的広報についてはこの基準で話すのは良いことだと思う。宇崎ちゃんの時もこれをベースに話をしてる人わずかながらいたよね。そういう人とだけ会話したいのであってそれ以外の人は無能な勤勉&会話の邪魔でしかないんだよね。
一つ一つの政策について賛成するか反対するか、それだけの話である。
「原発は安全だと思うか?」これにいや、危険だと答えれば左派になる?おかしな話だ。
原発の安全性は科学の話だ。何%の確率で何が起きるか計算する。その値から、安全か危険かを主観に基づいて判断する。そこに右も左もない。
選択的夫婦別姓を支持しても、同性婚は支持しない、そんな人だっているだろう。
右か左かどちらかに当てはめて何になる。
表現に関しては超保守的で、女性の権利には革新的なフェミもいれば
表現に関してはリバタリアンと言っていいほどの自由を主張しながら、少子化解消のために男尊女卑回帰しろというオタクもいる。
結局のところ、皆自分の都合に合わせて適当な理念を引っ張り出しているに過ぎない。
与党支持者、野党支持者であることをアイデンティティとして、与(野)党の言うことを全肯定するような機械のような人間もいるが、頭がおかしくなったのだとしか思えない。
だだ、
日本における「表現の自由」の規制(表現規制)に反対する者のうち、その他の人権はおろか、他者の「表現の自由」すら蔑ろにしていると思われる人たち、およびそのような人物を支持する人たちへの皮肉。青少年健全育成基本法や児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児ポ法)には激しく反対するが、特定秘密保護法案等の、表現の自由への制限が懸念される法案には特に反対の意を示さないように見受けられる人たちに用いられる。
の、「青少年健全育成基本法や児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児ポ法)には激しく反対するが、」ってよくフェミニストが基準にするものをの並べるあたり、やはりフェミニズムとのかかわりはかなり高いと思うけどね。
私が中国のウイグル問題や周辺国への侵略的行為など問題視し批判しはじめてから早十数年の歳月が過ぎました。
他国、とりわけ中国と韓国を批判する人間是全てネトウヨ也と息巻かれていた御仁方、本日もお元気にされてますでしょうか。
さて、私達の出逢いと致しましては、私が中国の脅威を口にすればネトウヨの妄言だの中国脅威論()だのと小馬鹿にされたところからでした。ネトウヨは低所得層の中年が中国や韓国の目覚ましい経済発展に嫉妬してるだけと言ううんこがなぜか定説となったり、本当に輝かしい良き時代でしたね。
ですがそれがここ数年、世界的に中国の悪事が問題視されてしまうと言う情勢となりまして、大変嘆かわしい事に御仁方はすっかり変わられてしまいました。
今日にはもはや中国の脅威を批判するだけの人間をネトウヨと罵る御仁は居ないばかりか、左派は昔から中国を批判しているとアリバイ作りさながら鞍替えされる様や、何故だかネトウヨと言う人間は『トランプ元大統領と安倍元総理を盲信するあまり彼らが行いたかった独裁政治を実現させている中国を嫉妬で叩いているだけの存在』とよくわからない時空を超えた糞ニッチ集団をネトウヨとされる様が見られ、散々ネトウヨと認定して頂けた私と致しましてはそのブレ様、大変遺憾に思います。
過去のネトウヨの定義ではネトウヨを叩けなくなったからと言ってフレキシブルに且つセレクティブにネトウヨの定義を変え、過去ネトウヨとした人間を一方的に見棄てるのはあまりに身勝手ではないでしょうか。
確かに御仁方がネトウヨを批判すると言う芯だけは強く感じられますが、文言そのままに解釈を変えて運用すると言うどこかで聞いた悪事に御仁方も手を染められてしまったのでしょうか。
どうか昔のように中国批判はネトウヨと息巻いてくださいませんでしょうか。
あの頃のように世界が息巻く中国脅威論をネトウヨと見下してくださいませんでしょうか。
どうか糞ニッチ集団と心中なされる前に、ご再考をよろしくお願い申し上げます。
コロナ禍ではありますが、これが明けた際には上手い酒でも酌み交わしましょう
親愛なるネトウヨより
たぶん公正さや公共性に対する意識が低いのだろうけど、これはどうしようもない。
一応自分も左翼で、過労自殺とか技能実習生とかコンビニ問題とかヘイトスピーチとか、そういう問題に対する怒りはかなり強いけど、モリカケ、桜を見る会、総務省接待問題などにはあまり興味が沸かない。かつての天下りや談合とかにしても、むしろバッシングされている官僚や地方土建の人たちに同情した。
もちろん悪いことはわかるし、頭ではわかっているつもりだけど、同じ左派の人たちが菅政権の問題で連日怒気に満ちたツイートをしているのを見ると、逆に引いてしまう。世論を喚起するための運動の一貫してやっているつもりだとしたら、自分のようなタイプの人間には明らかに逆効果だと伝えたい。
パソナ関連のことは自分も非常に腹が立つけど、あくまで公務員を削減して非正規労働者に入れ替えている(さらには竹中平蔵がそれを「経済学」で正当化している)からであって、働いている人がこれまでの公務員と同等の待遇だったら怒りも大して沸いてないと思う。
最近になってドラッカーの「マネジメント基本と原則」という定番本を読む機会があったので。
この本、冒頭に「左翼は時代遅れ」と書いてある。その理由は明確には書かれていないが、あちこちに左翼はマネジメントが出来ないという意味の文章がちりばめられている。
マネジメントの基本である「未来を見る」ことが出来ている左派政党は皆無だ。せいぜい現在のことしか頭になく、基本的には過去に対する咎め事しかやってない。この点、未来を見て動いている自民や維新とは根本的に異なっている。
だから大多数の日本国民は左派政党を支持しない。未来を見ておらず、政権を変えることが目的になっている人達についていっても何のメリットもなく、下手したら「日本が無くなる」リスクがあるからだ。
たぶん公正さや公共性に対する意識が低いのだろうけど、これはどうしようもない。
一応自分も左翼で、過労自殺とか技能実習生とかコンビニ問題とかヘイトスピーチとか、そういう問題に対する怒りはかなり強いけど、モリカケ、桜を見る会、総務省接待問題などにはあまり興味が沸かない。かつての天下りや談合とかにしても、むしろバッシングされている官僚や地方土建の人たちに同情した。
もちろん悪いことはわかるし、頭ではわかっているつもりだけど、同じ左派の人たちが菅政権の問題で連日怒気に満ちたツイートをしているのを見ると、逆に引いてしまう。世論を喚起するための運動の一貫してやっているつもりだとしたら、自分のようなタイプの人間には明らかに逆効果だと伝えたい。
パソナ関連のことは自分も非常に腹が立つけど、あくまで公務員を削減して非正規労働者に入れ替えている(さらには竹中平蔵がそれを「経済学」で正当化している)からであって、働いている人がこれまでの公務員と同等の待遇だったら怒りも大して沸いてないと思う。
はてなではよく、「お前らはこの間はこう主張したのに、今回の件では矛盾しているじゃないか!」という指摘が発生している。
しかし、ある集団が頭の上から足の先まで統一した意見を持っているという前提が普通は成り立つものではない。
つまり、上記の指摘はそもそも指摘した側が何らかの幻影を見ているということになる。
たまたま、そうであるように生まれたというだけだ。意見を統一する必要など微塵もない。
「あの国の人間(※ここでは政府の話ではなくただの国民の意味。政府の話は後述)は前と言ってることが違う」という指摘を見たことがあるが、
おそらく日本人が多いであろう君たちは、この狭い日本の中ですら意見の分断があることを知っているのでは?
たまたま前の人が何か意見を発したら皆それに準じなければならないとしたら、これほどの理不尽はないだろう。
こういった属性は先程とは違い、少なくとも自分で選びとった属性ではあるし、特定の趣味嗜好に基づいているという点で共通性は見られるかもしれない。
しかし共通性が見られるということと、内部で意見を統一すべきということはイコールではない。
あくまであるサービスに魅力を感じて継続利用することに決めたというだけの関係であって、思想の全てを迎合させることに同意したわけではないし、そうすべきあらゆる理由もない。
よく「はてなーダブスタ論」が挙がるたびに疑問に思っているのだが、「自分もはてなユーザーである」という事実をどう処理しているのだろう?
「自分というはてなユーザー」と「自分以外のはてなー」という属性があって、「自分以外のはてなー」全員が「自分」のために意見を統一すべきと思っているのだろうか?(自分はそうしないのに?)
これはその人が会社の人間として発信しているのか、一人の人間として発信しているのかで事情が違う。
会社として発信しているのであれば、それはその人個人の思想とは完全に分離した「会社という法人の言葉」を単に代弁しているに過ぎないので、今論ずる対象ではない(後で論ずる)。
構成員個人の発信である場合は、会社と正反対の意見を述べようが責められる謂れはない。
法人と雇用契約を締結しただけの一人間がその思想まで同化させられたら、労働を遥かに越えた人権侵害だろう。
これは思想によって呼び分けられた集団だから、当然思想は同じであるべきと考える人もいるかもしれない。
ところがこれらの集団の人間も別に意見を統一する必要はないのだ。
各人の思想が便宜上近しいもので纏められているだけで、詳細まで同じであるとは限らない。
また、ある点(たとえばある政策の是非)でたまたま同じ意見を表明した人間同士が別の点でも同じ意見とは限らない。
同じものが好きな人同士でも、その好きになった理由は全然違うかもしれない。アニメだったら、ある人はシナリオ、ある人は絵、ある人は声優みたいに。
たまたま好きなアニメが被った見知らぬ誰かが犯罪者だからといって、自分まで犯罪者扱いされたら君たちも反論するだろう?極端だがそれと同じことだ。
ただ、それは国家間の条約や協定を覆さないという意味合いであり、ダブスタ云々というよりも「契約を守りましょう」という話に整理される。
その原則が守られている限り、たとえば政府の意見や見解といったものは、その国の中で過去から未来に渡って常に統一しておく必要というものはない。
なぜなら政権交代に伴って必然的に政府の意見は変わるものだし、変わるべきだからである。
それが許されないのであれば政権交代の意味も、ひいては選挙自体の意味もなくなってしまう。
アメリカの大統領がトランプになった後、米政府としての考え方は180度転換したが、これは当然のことであってそうでなければ変わった意味がない。
これは流石に統一した意見を持て、と言いたい人も多いだろうが、基本的には上記の議論が全てそのまま通じる。
一組織に属しているからといってあらゆる全ての見解を統一しなければならないまでの義務を負っているとは考えにくいし、組織トップが交代すれば見解も変わる。
逆に、組織と異なる意見は常に封殺され、どれだけトップが変わってもいつまでも見解が変わらないような自浄作用のない組織であれば、それこそ恐ろしい組織ではないだろうか?
組織としての契約や約束事をその設定期限まできちんと守りきれるのであれば、それ以外の意見や見解は変わりうるし、変わるべきなのだ。
ここまで考えていけば、究極的には一個人の意見や見解ですら、変わりうるし変わるべきだという結論にたどり着くだろう。
それは脳内で天使と悪魔なり自分会議なりマギシステムなりを開催しているところを思い浮かべてもいいし、単純に十年前の自分が今と同じ考えだったかと自問してもいい。
そもそものところ、主張の妥当性というものは、発言者に関係なく、主張そのものから判定すべきというのが大原則のはずだ。
発言者の過去の発言という外部変数を取り入れなければ成立しない「ダブルスタンダード」という概念自体がその原則に反している。
ダブルスタンダードであることが良くないのは、「一つの議論の中で同時に矛盾した主張を挙げ、その両方を論拠にした何らかの主張をした場合」に限られるのだ。
(そのような場合は、そもそも論理が矛盾を含んでいるのだから単にそう指摘すれば良いのだ)