はてなキーワード: マイノリティとは
https://anond.hatelabo.jp/20240831042256
これ読んでて思ったんだが、単純に性欲強すぎないか?
ノンケの人だって性欲はあるけどだいたいの人はオナニーしたりして我慢するじゃん。
若い時にたくさんセックスしたいとかはもちろんあるけど、飲み会とかで知り合ってその日の夜にお持ち帰りでエッチしたとか、さらに端折ったとしてもマッチングで出会ってその日にとか、最低限の段取りはあるよね。
風俗通い詰めるほどハマる人っていうのもいなくはないけど、そこまで性に貪欲なのはどちらかというと少数派ではないかと思う。
恐らくハッテン場というのは元々大っぴらにしづらいセクシャリティを持つ人たちが、どうやって出会いを求めるのかというとこにあったんだと思うけど、
2丁目界隈だとかある程度メジャーなゲイの人たちが集まれる場というのもあるはあるし、そういうとこにすら顔を出せない人はやっぱ普段はオナニーで我慢すればいいと思うんだよ。
だって普通の男だってセックスはしたいけどほとんどの場合オナニーして寝て終わらせるじゃん。
なんでそれができないのか不思議でならない。
公共のトイレでささっと性欲処理し合える相手を見つけてするとか、やっぱ性欲が異常なの?って思ってしまうんだがどうなんだろう。
もう少し踏み込んで考えてみると、ひょっとしたらこれは身体的な話なのかもしれない。
メンタル面やマイノリティーというのを置いていて身体面だけにフォーカスしてみると、
お互い男ということであれば一定の刺激によって射精したらスッキリするというとても分かりやすい性欲になる。
なのでかなりスポーツ感覚でお互いの性欲を満たすことが可能で、これは確かに男女間でのセックスやなんらかの性的行為に比べて面倒くさい事が圧倒的にすくないのかもしれない。
その結果、ちょっとした場所でもすぐに性欲処理できて、しかもそれがWin-Winで行えるから流行ってしまう、みたいなことがあるのか。
借金返せなくなり親に返済してもらった前科持ちで稼いだ金全部ギャンブルに使うから仕事に行く金がなくなる程度のコミュ障陰キャの底辺ギャンブル中毒のド田舎子供部屋おじさん【ここ割と重要なポイントです皆さん覚えておいてください】なんだけど、ギャンブル中毒ってマジで治す方法がないんだなってなってる。
大体そういう事いうと精神科行け病院いけってワンパな話されるんだけど、そもそもギャンブル中毒治療やってる病院ってマジ少ない。県のギャンブル中毒対策みたいなホームページ(お国が配布するテンプレがあってコピペで作ってんのかってくらい内容は同じなんだよな)に乗ってるので二つくらいしかない。
そんなわけないだろ、と思って調べてもない。そもそも俺が住んでる県も地方に属する方なので精神科すら少ないし俺はその中でも田舎の方に住んでるのでメンタルクリニックなるものもない。その数少ない精神科でもギャンブル中毒とかやってるのはない。
でギャンブル中毒やってますよと掲げてる病院に両親の支払いで強制連行されたら一時間2時間待たされる。正直周りにいてほしくないタイプの基地外から普通層に見える基地外までそろってるなか1時間以上待たされる。俺も頭いかれた基地外の一人なんや。みんな気を狂わせながら普通な顔して暮らしてるんだろうか、とか思いながらすげぇ待たされる。
で待たされた結果として
という事を言われて終わった。
正確に言えば抗酒薬の話とか最近治療したゲーム中毒の高校生の話とかされた。まじ興味ないしギャンブル中毒だって患者にアルコール中毒は薬があるがギャンブル中毒には薬がなくて、とかいう話するのが金をとるほどの治療とは思えないんだけど、治療やってますとか掲げてるところが一時間待たせてなにもできないとか言って金とって追い返したらそりゃただの詐欺だし。
適当なこと言ってごまかすしかないわな。と納得した。俺の支払いじゃないから納得できたことであって、両親はたぶん納得してない。なので二度目三度目の強制連行は今のところないし、いまじゃギャンブル中毒がどうこうすら言ってない。下手したら治ったと勘違いしてるまである。
なんか通院治療と入院治療と自助グループがとかいう話もされたけど、通院治療と入院治療はなんかやってないといわれたらしい。
意味がよくわからんがそもそも金払ってるのは両親であり俺は強制連行されただけなので俺に選択肢もやる気もない。
なので病院からの連絡は両親に行くし病院も客は俺じゃなくて両親と思っているので俺は存在しなくても関係ないくらいの扱い。
精神科というのは本人のために行くんじゃなくて社会のアリバイ作りなんだな。「私たちは努力しました。ですから」を証明するためのサービスでもあるんだな、そういう場合は本人の意見や意志はむしろ邪魔だから話すら振らない方がいいよな、と思ったりもした。
ギャンブル中毒治療をやる病院が少ないわけだよ。やることがないんだから基地外でも金にならなねぇ基地外だ。なら抗酒薬でもだしときゃ金になるアル中をやるわ
知らない人は、薬中アル中が共同生活して生活を改善し中毒からの脱出を目指そう、とかいう生活保護前提の有料保育園か刑務所だと思え
俺ですらダルクは薬中アル中の自助グループだろ、と知ってるのになぜ病院がダルクを紹介したのか俺もよく知らないが、まぁ親は俺のギャンブル中毒の治療より俺をどうにかして追い出したいだろうし、その意図をくみ取った病院の「治療」なんだろう。もしかすると紹介ですらないのかもしれん。とにかく一度、ということで行った。
なおギャンブル中毒は俺以外に一人だけいるそうだ。なので基本的にアル中薬中の話が主軸だし、みんなで通う自助グループも薬中アル中の集まりでありでギャンブル中毒の自助グループではない。
制御がきかない中毒者を単独行動させるわけがないし、マイノリティが割を食うのはどこも同じ
まともな社会生活を送ってたのにあるきっかけで薬物にはまり落ちぶれた、それがダルクと出会い治療を開始し
ギャンブル中毒の俺が薬物中毒者が薬物中毒になる過程を聞かされて、同意や納得や共感できるわけがないじゃん。
薬中の奇行とかメンタルいった薬中ばばぁの悲壮とかドン引きしかない
友達から勧められて違法な薬物やるのと一人でスマホで際限なく合法なギャンブルやって金をなくして人生摘むのは全然違うだろう。
と思ったg、そんなこと言ったら厄介なギャンブル中毒をどこに押し付けるべきかという話になってくから、だれも考えないことにしてるんだろうと思う。
陰キャコミュ障の俺が共同生活とかストレスで死ぬ、しかも共通点が「中毒者」しかなく、興味もない運動だ趣味のなんとか薬物中毒の話とかを毎日やるのは発狂して死ぬ。そんなのが目に見えていたので執拗に進める親を死ぬ気で固辞した
これはダルクに限らず、「依存症対策の取り組み。本人たちの証言」的な物全般に言えるが、
「もともとマトモだった人間が中毒になって人生崩壊。なので治療をすることで社会生活を取り戻しかつての人生を取り戻す」
的なテンプレに従ったような話がならぶ。
たぶんこういった話を採取整理公開する治療をしたり推奨する側の目標とする成功例というか、理想のモデルがこれなんだろう。
なので
「最初からマトモではない人間が中毒になってもっとカスになった。せめて多少マシなカスに戻りたい」
という俺は大変共感しにくいというか、門前払い食らってる感がある。
まぁ治療してもカスでしかないなら、マンパワーは多少マシになる奴につぎ込みたいわな。
(その点中毒者の家族の体験談は俺のように強制的に連行され全然治療がすすまない、やる気がない、なんでも借金をする、金を盗む、犯罪する、というマジモンのカスがたくさん出てくる。家族の場合「縁切りサイコー、みんなも共倒れになる前にさっさと縁を切ろう!カスは見捨てたほうが本人のためになる!!」みたいな話が理想モデルなので、中毒者のカスっぷりが際立てば際立つほど良いんだろう)
精神科に行ってもやることがない。集団生活とか絶対無理、人と話すのすら無理という俺みたいなコミュ障はダルクとか自助グループに行く気にもなれないし、そもそも地方だから自助グループ自体片道一時間2時間かけていく場所にしかない。底辺だからそんなことしてたら金が尽きるしそんな金があればギャンブルに使っちゃう。そもそも友達もいなければ親と死ぬほど仲が悪い子供部屋おじさんなんか無理にでも治療させようという話にならないから、本人に相当強固な意志とやる気がないと無理。そんなのがあればこうなってない
とまぁ、底辺のギャンブル中毒の治療方法ってマジでないんだなとなりながら、日々稼いだ金を全部ギャンブルにつぎ込んで壊れた携帯を買い換える金もガソリン代もない状態に今なってる、
金がなさ過ぎて昔増田で書いたネタを焼き直した日記を書いて暇をつぶした。ギャンブルがやりたい。再投稿は甘え。闇金にでも申し込むか。でも日雇い労働者の俺に金かしてくれる闇金なんかあるのかね
やっぱ欧米人は凄いわ。
Amazonプライム・ビデオで見れるから(ステマじゃないぞ)
「マイ・レディ・ジェーン」
評価もめっちゃ高い。4.1 世界中で絶賛されているし、日本人のレビューも高評価。
おバカで幼稚なネトウヨ共は左翼を見習って早く真人間になりなさい。
昭和天皇なんて戦争犯罪人なんだがらゲイにして黒人にして身体障害者にしても全然問題ないだろ?
ネトウヨお得意の
「じゃあイギリスの国王をゲイの黒人にしてみろよwwww」←はい、しましたが、何か?
自分らが世界から遅れた知恵遅れであることが理解できましたか?
ネトウヨさんwwwww
「トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的に攻撃されることがあります。これは、言論の自由や学問の自由を脅かし、健全な社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくします。異なる視点や議論の余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会の多様性や寛容さを損なうものです。」
→むしろミスジェンダリングなどのトランスジェンダーの存在や尊厳を無視するような内容を含む「議論」はトランスジェンダー当事者に対する排除的圧力として働き、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくする。これはあらゆるマイノリティに関して同様であり、同じ理由で「女性には理性が足りない可能性」「黒人は生物学的に知能が低い可能性」などは民主主義的な自由な言論における健全な意見とは見なされない。
「トランス女性が女性専用の空間にアクセスする権利を強く主張することが挙げられます。」
→基本的に主張していない。主張されているのは主に「これまで通りトランスジェンダーの人々が各々の移行状況やパス度に合わせて各種の設備を利用できる状況を維持するようにし、『トランスジェンダーの使用を禁じる』のような過剰反応による排除をしないこと」である。要するに、「いま使っていない者を入れろ」ではなく、「いま使っている者を追い出すな、攻撃するな」である。トランスの人権を求める側が望んでいるのは基本的に現状維持+ジェンダーレストイレの増設くらいのものだろう。
「トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別は無意味である」といった主張は、多くの科学的研究によって否定されています。性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。」
→もちろんひとによって意見は異なりうるが、大抵の場合そのような主張はしていない。生物学的な特徴も無意味ではない。そのことを誰よりわかっているからトランスはホルモン治療などを重視する(すなわち、生物学的、生理学的レベルでの介入を求めている)。ジェンダーが完全に社会的に構築されるという主張も、せいぜい少数派である。むしろマネーの実験の失敗や、割り当てられた性別への適合を望みながら失敗した過去から、「ジェンダーは社会からの要請によって決定されない」という主張をする者のほうが多いだろう。実際、トランス当事者にはホルモンシャワー説などを採用し、脳における生物学的基盤に自身の性自認の根拠を求める者も多い(それはそれである種の本質主義ではないかという批判はありうる)。
医学に関しては、トランスの人々が求めるのは自分の身体とメンタルに適した医療的ケアを受けることである。その際、ホルモン治療などにより典型的な男性でも典型的な女性でもない身体になっているトランスの場合には、その非典型的な身体状態に合わせたケアが必要になるが、生物学的決定論的な男女二元論の元では、そうした非典型的な身体に適したケアが難しいため、より繊細な扱いが必要となる。
また、科学的研究は多くのトランスが求めるところのものである。むしろジェンダー肯定医療などに関する査読付き医学論文や専門家によるレビューを無視し、手法に問題のある疑似科学的論文や非専門家によるセンセーショナルな問題含みの本ばかり取沙汰す非科学的な態度に批判的な者が多い。トランスの身体的、メンタル的ケアのために科学的/医学的なエビデンスに基づいた手順が求められている。
「一部のトランス活動家は、過激なレトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激なアプローチは、トランスジェンダーの権利の正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解や共感を得ることを困難にします。」
→これに関してはそういう人も中にはいるかもしれない。他方でトランスへの危惧を表明する側にも、「トランス女性は男性」などの攻撃的なレトリックを用いたり、トランスジェンダーを性的な加害者かそれに類似した存在のように語り社会の「敵」であるかのように扱うなど、分断を深める言説が多く見られる。両者がそうしたレトリックをやめ、トランスジェンダー当事者の実際のニーズを聞きながら、合理的な社会的調整を目指すべきだろう。
ところで、1点目で「意見の多様性」を語る一方で、こちらでは「過激なレトリック」の排除を求めるというのは、整合性が怪しいという点は意識すべきだ。トランス側にどうしても耳に入れたくないような意見も否定されず聞かせるようにしたいのであれば、自らも「過激なレトリック」と感じる言葉に耳を傾けるべきであるし、「過激なレトリック」が対話にとって問題だと考えるなら、相手が「過激なレトリック」と見なすような意見表明を控えるべきである。両者が思うがままに語ることを求めるか、両者が節度を持つことを求めるかのいずれかが合理的なのであり、そうでない立場はダブルスタンダードである。
これらに関して、「それはリベラルやフェミの特徴では」という疑問の声が上がるのは理に適っている。というのも、トランスに怯える者の「トランス活動家」への見方は、表現の自由が危ういと怯える者の「フェミ」や「リベラル」への、治安の悪化を恐れるものの移民やその権利をサポートする者への見方と相似形となるためだ。まさに、「フェミ」や「リベラル」のようなことを言うのが「トランス活動家」なのである。実際、トランスの権利を擁護する層とフェミニスト、リベラルは大きく重なっている。トランスの権利を擁護する者はほとんどフェミニストでリベラル、ないしは左翼である。またトランスの権利を擁護してきた主要な層のひとつはフェミニストである(むろん、フェミニスト内部でのトランス排除の問題はあったが)。
ところで、「トランス活動家」の運動に懸念を抱く者は、それが具体的に誰を指し、その人のどの記事、本を念頭に置いているのかを意識してみてもいいだろう。Xなどでは成りすましも含めた有象無象が好き勝手なことを語っているし、ウェブメディアは信頼性が担保できていないものも多い。率直に言って、実際のトランスのことも、アクティビストのことも、運動のことも、すでに一定の知識があるのでなければそれらで調べてもまずわからないだろう。基本的には社会的に信頼されている出版社からの書籍、査読付きで一定の評価のある学術ジャーナルを中心に、その中で言及されているアクティビストや運動に目を向けるべきだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20240821144508
5~6歳の頃、親といっしょにNHK特集でガンの番組を見ていた時に、フツフツと死への恐怖心が湧き上がってきた。
親に「死んだら僕はどうなるの?」と泣きながら訴え困らせた記憶がある。
今でも覚えているけれども、これは死というわからないことへの闇雲な恐怖ではなく、芽生えてきた自己の喪失というしっかりとした形ある恐怖であった。
以来、忘れたふりをしているけれども死への恐怖はヒタヒタと自分の背後をつけてきており、50近くになっても死は怖いという思いは変わらない。 ※関係ないがヒタヒタに死が隠れてるのおもろいね
しかしブコメなどを見ると死の恐怖は忘れるものなのか、受け入れて当然なのか、大人が死を怖いというのは恥ずかしいみたいな空気になっていて草。
タナトフォビアはマイノリティなのか、そうかそうか。
本当に???
忘れたふりしたり怖くないふりしているだけでしょ?本当は怖いでしょ???
まあ僕は言いますよ、死ぬのは怖い。アイデンティティの喪失は未だに怖い。
話は変わるんだけど、若い頃、性欲が無くなるのは全く想像がつかなかった。
年を取ると、性欲があってもちんちんが立たなくてショック、という事になるのかと思ったのだが(もちろんそういう人もたくさんいるとは思う)加齢による性欲の減退はもっと違った形でもやってくるようで。
つまり性欲ギラギラの状態が空腹状態だとすると、年と取ると腹6分みたいな状態の時期が結構多くなってくる。
時々はめっちゃ空腹になるけれども、まあ食わなくても大丈夫かみたいな時期が増えてきて、この先どんどんとそういう時間が増えてくるんだろうなと想像している。
以前は毎日のように性欲に振り回されていたのだけれども、そういう昔を振り返るとアラアラどうしたのそんなにという感じで、
同じように若い頃と比べて、死を怖がり方もまあ変わっては来ていて、仕方ないのかなという諦めに近い気持ちにはなっている。
この先年を取るに連れ、性欲と同じく生に執着する気持ちもなだらかに減退していくのでは?という淡い期待はある。 ※関係ないが執着するものが生と性なのおもろいね
運良く80、90と年を重ね、それでもまだ生に執着する気持ちがあるとしたら、ソレはそれだけこの世が素晴らしかったので名残惜しいという気持ちで納得するしか無いなぁ。
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5~6歳の頃、親といっしょにNHK特集でガンの番組を見ていた時に、フツフツと死への恐怖心が湧き上がってきた。
親に「死んだら僕はどうなるの?」と泣きながら訴え困らせた記憶がある。
今でも覚えているけれども、これは死というわからないことへの闇雲な恐怖ではなく、芽生えてきた自己の喪失というしっかりとした形ある恐怖であった。
以来、忘れたふりをしているけれども死への恐怖はヒタヒタと自分の背後をつけてきており、50近くになっても死は怖いという思いは変わらない。 ※関係ないがヒタヒタに死が隠れてるのおもろいね
しかしブコメなどを見ると死の恐怖は忘れるものなのか、受け入れて当然なのか、大人が死を怖いというのは恥ずかしいみたいな空気になっていて草。
タナトフォビアはマイノリティなのか、そうかそうか。
本当に???
忘れたふりしたり怖くないふりしているだけでしょ?本当は怖いでしょ???
まあ僕は言いますよ、死ぬのは怖い。アイデンティティの喪失は未だに怖い。
話は変わるんだけど、若い頃、性欲が無くなるのは全く想像がつかなかった。
年を取ると、性欲があってもちんちんが立たなくてショック、という事になるのかと思ったのだが(もちろんそういう人もたくさんいるとは思う)加齢による性欲の減退はもっと違った形でもやってくるようで。
つまり性欲ギラギラの状態が空腹状態だとすると、年と取ると腹6分みたいな状態の時期が結構多くなってくる。
時々はめっちゃ空腹になるけれども、まあ食わなくても大丈夫かみたいな時期が増えてきて、この先どんどんとそういう時間が増えてくるんだろうなと想像している。
以前は毎日のように性欲に振り回されていたのだけれども、そういう昔を振り返るとアラアラどうしたのそんなにという感じで、
同じように若い頃と比べて、死を怖がり方もまあ変わっては来ていて、仕方ないのかなという諦めに近い気持ちにはなっている。
この先年を取るに連れ、性欲と同じく生に執着する気持ちもなだらかに減退していくのでは?という淡い期待はある。 ※関係ないが執着するものが生と性なのおもろいね
運良く80、90と年を重ね、それでもまだ生に執着する気持ちがあるとしたら、ソレはそれだけこの世が素晴らしかったので名残惜しいという気持ちで納得するしか無いなぁ。