はてなキーワード: ポジティブとは
Hacchi @2mocccck
zsk0201 よくわからんと思いますが、ChatGPTはそれまでの会話の文脈にかなり引きずられるので、一度ページをリロードした上でセッションを始める前に「TRPGのプレイヤーとして理想的に振る舞うにはどうしたらいいですか?」とかで一度TRPGに対するポジティブな回答を引き出さないとセッションに乗ってくれないようです。
2mocccck ちょっとTRPGに関して話題をふったら、きっぱり断られてたのが思わせぶりな反応になってきました。このまま少し攻略していきたいと思います(攻略???)
音痴という言葉は、大正時代前後に造語されたようだ(西洋音楽との遭遇によって)
https://kogure.exblog.jp/14108924/
・・・「音痴」という言葉は、やはり近代になって西洋音楽が日本に入ってきてから使われるようになったと考えて、ほぼまちがいないことが明らかになった。音痴が新しい言葉であることのほかに、もうひとつ注目したいのは、仲間うちでは「私は音痴でして」と公言してはばからない日本人の態度である。
・・・音痴という言葉には、否定的な意味だけでなく、みんなの共感を得る肯定的な意味が含まれているらしい。否定的な意味では音痴ははずかしいこと(恥辱)であるが、肯定的な意味では、むしろ積極的に公言したくなるほどのことであるらしい。そして否定的な意味は意識されているが、肯定的な意味はあまり意識されていないようだ。
あいにくとブログ中に記載のある連載記事URLはリンク切れだが、興味深い話だ
以下の「なぜ音痴を経由するのか?」という質問の答えにはなってはいないけれど
「できないこと」をどこかポジティブなニュアンスすら含むように表現する言葉として便利なのは確かだったのだろうな
有機化学系の研究で、この化合物にこの試薬を加えたらこういう化合物ができそう、最終的にこの試薬でこういう骨格が作れたらいいよね、っていう研究
もう夏休み前には結果出なそうってのを確定するべきだったのに12月までずるずるなんか構ったりしている(溶媒かえたり、温度変えたり、原料合成しなおしたり)
一つのこと結果が全く出ていないし全くやる価値のないことだっていうのは客観的に見ても明らかだ だって何一つデータが出ていないからでもどうしたらいいのかわからない
ずっとこの反応に囚われている
でもそれは何か新しいことを見つけたんじゃなく、単に再結晶行ったから論文通りの結果が再現できたってだけのこと
でもそれまでろくな成功体験がなかったからかなりの喜びが刻み込まれてしまって自分が考えたテーマ(それでも先輩のテーマの基質を拡大しようとしてるだけ)に固執してしまうことに
それを捨てた後に何をすればいいのかわからないってこともある
指導教員からは退学した先輩のテーマをやったらって言われてて基質検討を少しやってるけど、そのテーマだってもう反応機構も基質だって大体検討し終わってて修論なんかには到底なりそうもない
もうどうしたらいいんだろう
今から新しいテーマなんて思いつけないし、知識もない、こんな状況にあるのもお察しの通り頭が硬いし、成績は最悪
パッと退学したら全ての悩みからは解放されそうだけどそのあとはまあ地獄(学歴もないし発達障害あるし不器用)
八方塞がりすぎる、テーマさえ間違わなければこんなことにならなかったのか?
自分の将来ずっとこんな感じになりそうだ……
本当は美術が好きだった
今回のW杯で日本含むアジア勢のジャイアントキリングが続いている事実について自分の気持ちの整理も含めて書き出してみる。ただのお気持ち表明だ。
最初に断っておくと、自分のスタンスとして田嶋会長のやってきたことや言動行動(仲良し人事と保身的な行動)には何の共感も持ててないし森保監督のサッカーには何の魅力も感じていなかった。なのだが結果が出てしまったので気持ちの在り方に困ってしまっている。ドイツ戦スペイン戦はムチャクチャ興奮した自分がいて本当に整理が付かない。
さて、森保監督がなぜ批判に晒されたのかと言えば当時から聞こえていたキーワードは「戦術レス」である。実際には戦術レスではなく「ビルドアップを仕込めない」と限定した形での批判が適切だったと思うし、後出しジャンケンになってしまうが自分は戦術レスとビルドアップを仕込めないの両方をグチャッと丸めて批判していた。
サッカーを戦術視点で楽しむ人にとって「モダンサッカー」は避けられないキーワードだしモダンサッカーには「ビルドアップ」と「ビルドアップ対策」というキーワードが欠かせない。ここに落とし穴があるなんてずっと意識していたのに、アジア予選において目の前で繰り広げられる(自分にとっての)酷いサッカーを感情が追い越していった。
ドン引き縦ポンも立派な戦術な訳だが、戦術とかモダンサッカーというキーワードで語る時にそこを見落としがちになるのが戦術クラスタのダニング=クルーガーである。完全に理解した。
そんな中で守田中の433は非常に楽しめたし結果も出たのだが、ここで嘘でもいいから「森保オリジナル」ということで貫き通して欲しかったのにSNSなんかから「選手が決めた」みたいな声が聞こえてしまうというかそういう声を拾いに行ってしまった。エコーチェンバーダメ!ゼッタイ!
さて、今回のW杯になる。相変わらず日本はビルドアップができないのは明らかなのだが、計画的に行動した結果なのかサイコロ振った結果なのかは当事者しか知り得ない。結果が出てしまったのでポジティブなコメントを出せる状況が整ってしまった。
「意図した結果かギャンブルの結果か」というのが判断できないほどの手段で勝利してしまったので困惑したし、望んでいた興奮はサウジ×アルゼンチンのような明確な意図を持った戦術と結果のそれだし、いわゆるSNSを主戦場とする戦術クラスタと呼ばれる人達が観たいのはサウジのような形の勝利であることは間違いないと思う。それが無かったので困惑した。結果が出てしまったのでSNSなんかで後付けっぽく後出しジャンケン的に、あれほど批判していた過去をポジティブに結び付ける流れになっている現状に気持ちの整理が付かなくなった。
そしてスペイン戦、またしても「意図した結果かギャンブルの結果か」を判断しにくい試合展開になるのだが、再度同じ流れどころか交代策や守備固めなどがドイツ戦よりも洗練された形で勝利してしまう。こうなるともう計画どおりの結果と判断せざるを得ないのだが、それならばなぜコスタリカ戦ということになる。
などなど頭の中が嬉しい感情と自分が完全否定されたような感情がグルグル回ってしまう訳だが、ドイツもスペインも同格(彼ら以上の格上は実質存在しない)には凄い試合をするけど格下には負けるということは起きてしまうし、それが日本以外にも多く起きているのが今回のワールドカップなんじゃないかなと思う。これはワールドカップだけじゃなくてJリーグでも起きるし少年サッカーをはじめとする育成年代の現場でも起きている。だからサッカーは面白いのだ、なんてことはずっと解っていたことなのに、それを改めて認識させてくれた出来事だったと捉えておく。ただ、それを実現した監督と協会に個人的に良い感情を持っていなかったというだけの話である。
こんなふうに気持ちを整理して、個人的にはここまでスカウティングの材料を相手に曝け出してなお同じやり方で行くのかどうかという視点で決勝トーナメントを存分に楽しまないともったいないなという現状。たぶん現状以上の隠し球はないと思う。というかドイツ戦のあればヤケクソだったとしか思えないしスペイン戦でもやってみるか!という流れだったんじゃないかと思う。結果上手く行った。自分はギャンブルもソシャゲも一切やらないのだが、それ界隈ではこの状況を一言で表す表現があったりするんじゃないだろうか。
ただひとつ、森保監督がビルドアップを仕込めないのはどうしようもない事実なので、次期監督は森保監督でも構わないのだが、国外国内からビルドアップを仕込める優秀な人材を補佐として確保してキッチリ仕込んで、更にそれをベースに教科書を作って育成年代からインストール可能な状況を作ってほしい。一般に見えてないだけで実際の育成現場には相当するものがあったりなかったりするのだが、JFAにはもっとうまいことやって欲しいと思っていたりする。基礎が大事という言葉の意味をもっと考え抜いて欲しい。
あと、メディアとかもっと上手く使えるんじゃないだろうかとかはやっぱり考えるし、本気でサッカーを盛り上げたいならやることは仲良し人事じゃないだろう。実際にスターシステムとか全く関係ない結果になっている訳だし。こうなるなら4年間掛けてドーハの悲劇とドーハの歓喜を継続的にアピールしておけよみたいな。アジア予選DAZN独占に対して田嶋会長の取った行動は絶対に忘れないぞ。
やっぱり長くなったけど、最後の最後で森保ジャパンのサッカーがどういうものかを理解できたような気がするので決勝トーナメントは存分に楽しもうと思う。勝てば嬉しいし負ければ悔しい。もうそれだけでいい。完全に理解した。
中途半端なサッカー知識のせいで一生に一回訪れるかどうかわからない素晴らしい出来事を楽しめないのは勿体無いわ。
クロアチアに勝って欲しい。
Vtuberが視聴者に母親面されて引退したけど彼の話してた中で
FPSゲームの配信してて勝っても負けても「かわいい」「かわいい」
なんかゲームやってる感覚ないし、ゲームに興味がある人もドン引きするでしょ
みたいな話をしてて、あー、なんかこういうことあるよなーってすげー思った
俺は昔、リアクション、解説動画をやってて収益化できるレベルくらいには繁盛してたのね
動画出してまぁ、4桁くらいまでは回ってコメントもそこそこ付いてたんだけど
コメント欄が、その動画の中身じゃなくて「次は〇〇やってください!」みたいなコメントで埋まるのね
もろちん「次の動画見たいくらいには楽しんでくれたんだろうな」ってポジティブには捉えてたけど
正直、こう、手ごたえがないっていうか、俺だって別に動画供給装置ではないんだけどな
みたいに思うことがなかったとは言えないよね
俺がよく見てる筋トレ系Vtuberさんがライブ配信で質疑応答とかするんだけど
いや、すげーわかるんだよ、自分の質問に答えてほしいっていうのはわかるんだけど
答えてもらったやつくらいはそれに対する反応とかしてよくない?と思うし
喋ってくれてる内容に対するリアクションくらいとってよくない?って思っちゃうよね
わかんないじゃんね、答えた内容が正しかったのか、どう響いたのか
なんかさー、いっぱい人がいるのにすげー一方通行な感じ
すっごい寂しく感じるんだよね
でもそういうところうまくやってちゃんとコミュニケートできてる人もいるから
やっぱ人柄っていうか、なんか、こうあるんだろうね
件の増田に言及したいわけではなくて、言葉として「頭の回転が速い」って、なんなんだ思ってしまう。
語源というか、始まりはおそらくエンジンとかモーターとかから来てるんだろうと予測するんだけど
エンジンでもモーターでも最高回転数が高いことは性能の高さに結びつくにしろ
自分で回転数を調整できないと意味ないよね。ミニ四駆じゃないんだから。
というか脳みそが回転体だという発想が変だ。脳の中心にジャイロみたいなのがぐるんぐるん回ってるんだろう。
昔の人の「頭脳」のイメージはそういうもんなのか。今だとCPUが無音で熱を発しているイメージから
「頭の発熱量がすごいですね」になるのか。37.5度以上は帰ってください。
なんでもどうちかなるさ、で力押しするポジティブオバケ、体育会系の脳筋は
ほんとうざいやめろ。
こういうのに限って実家が近くにあったり
やたら親が金持ちだったり
たまたま幸運な環境にいるだけなのに「これは私がポジティブなおかげ!!」
じゃねえよ。死ねよ。
この何でもかんでもセクハラ、ルール化したほうが楽、「今の」時代にそぐわないとかいう言説はいつからできたんだろうなぁ。
すべては関係性の話であって、海外いっても普通に髪型や服装すてきだねなんて話はしてるけど、どうにも最近の風潮は少しでもいやだと思うことに敏感すぎて自分の首を絞めてる気がするんだよな。
ポジティブなフィードバックは、あぁほめようとしてくれてるんだなって素直に受け取ればいいし、仮にイヤならイヤだっていってそれ以降その話をしなければいいだけ。
それを今の時代にそぐわないだとか勝手に正義に仕立てて棍棒ふるってるようにしか見えんのよな。
でTwitterでエコーチェンバーで、自分は正しいんだみたいな勘違いが生まれてまたお気持ちルール化して炎上させるみたいな。しかもそれを言ってるのが学者だったり政治家だったりするのがたちが悪いのだけれど。
SNSによってどんどん別の意味のコミュ障が生まれてる気がして人類にSNSは早かったんだって思ってしまうお気持ち。
実際はSNSなんてほどほどにリアルであってエロとかグロとか言いまくってお互いセクシャルなこと言ったりやり合ってセッ○スしてる陽キャのほうが幸せそうなんですけどね。
私が「みんな辛いんだよ?」「もっと明るく生きなきゃ」「ポジティブポジティブ!」と言うとき、私は「みんな辛いんだよ?」「もっと明るく生きなきゃ」「ポジティブポジティブ!」と言いたいわけではない。
ただ、今感じているめんどくさい気持ちを捨ててしまいたいだけだ。
だから、「みんな辛いんだよ?」「もっと明るく生きなきゃ」「ポジティブポジティブ!」というアドバイスは、本当はテキトーなのだ。
私は女性で背が低い。それ自体は(フェミニストには怒られるだろうが)夫は可愛がってくれるし、むしろポジティブに考えてるんだけど、昔あまり親しくもない学食のオバハンからジロジロ見られて、いきなり「アンタは、背の高い男の人と結婚しないとね」と言われた事があるよ。
一瞬意味がわからなかったけど、たぶん私の身長で並のオスと交尾すると子供に遺伝して可哀想って事を言いたかったんだろうね。
もちろん、そのババア本人だってモデルみたいなスラっと高身長な美女ではなかったのに何様なんだよ笑
「はぁ…?」というのが精一杯だったけど、ババアはババアなりに苦労してきて(だから旦那が甲斐性なしで学食で働かされてたんだろうしw)老婆心からの本音だったのかもしれない。知らんけど。
結局その後結婚した夫はたまたま高身長なんだけど、色々あって子供はいない。
まぁ何が言いたいかっていうと、身長から色々といらんこと連想してバカ言うクズはいるんで、言わないに越したことはないってこと。
はてなブックマークの人気コメントになっててビックリしたんだけど。
女性の容姿に言及するのって、たとえポジティブな意味でもセクハラなんだって。
マジかよ…。
俺は身長が 184cm 程度ある。
クラスの背の順では常に最後尾だった。それが自然だったので、子どもの頃は特に得意げでも褒められて嬉しくもなかった。
数年前のこと。増田さんは背が高いですねって女性に言われたんだ…。
そうか、あれもセクハラなのか。そう思うとなんだか悲しい気持ちになってきたよ…。
追記・
当時、仕事で知り合った女性と話してるときに、背が高いですね、と言われた。
ニッコリ微笑んで、言われたので、にわかに挙動がおかしくなってしまった。
彼女は可愛くて(注・幸い相手には言ってない)憧れていて好きだったので、嬉しかった。
女っ気のない独走人生に、陽の光が射し込んだような気持ちになった。
暗転——
日記を書いた時点で冷静になって、振りかえったんだ。
よくよく考えると、そのとき仕事の能力には一切言及されてないし、人格も、根は優しいなどと自負してる性格にも触れられてないし、俺は実は手芸が趣味で結構できるつもりなんだけど、何が得意ですかとかも聞かれてないか取り上げられることもなかった。要するに、恋愛的な方角に踏み込んだコミュニケーションが皆無の状態で、背が高いですね、とだけ褒められたんだよ。コメント欄の言い分じゃないけどまさに「容姿以外は評価に値しない」と示されたも同然。
舐められてないと、出てこない発想だよね。
今の今まで忘れていた過去の思い出が一瞬にしてトラウマとして再生されることもあるんだな。正直、怒る気持ちにはなれなくて、悲しくて、力が抜けていくようで… そうだ、俺は傷ついてたんだ——…
いやー俺はもうちょっと悲観的だな。
エロい絵みてキモいと思うところまでが一般人も同じところで、それは思想じゃない。感情。
思想や理性のある一般人は、でもこれは感情だなということに気づくから、特に何も言わない。
思想や理想のない人はツイフェミとなって、感情のままに喋り出す。
出てくる正儀や倫理の理論は感情を補強されるためだけに使われている。ここでは社会をよくするための運動は行われてない(社会をよくするための運動であれば、でも風俗があったほうが犯罪減るよねとか、経済優先のほうがいいよねみたいな話になる)。感情と感情の争いに過ぎなくて、賢く冷静なお前が期待するようなポジティブな何かは無い。
二輪でブイブイ言わせていた祖母を親族総出で説得して、電動スクーター(こういうやつ→ https://www.abilities.jp/fukushi_kaigo_kiki/fukusiyougu/wheelchair/810800 )を導入したらいい感じだったので紹介
膝が悪く、歩いてスーパーやバス停に行くのは難しかった。祖母の足代わりは二輪で、私はあまり詳しくないのでよくわからないが、他の親族は年寄りが乗るような二輪じゃないと言っていた。あんまりよくわからんけど。
大きく二つ、ニュースでみる高齢者の事故と、祖母が軽めの自損事故を起こしたことだ。自損事故は二輪もそこまで傷付かず、祖母も怪我はなかったが、ぶつかったのが電柱ではなく信号待ちの人だったらと思ったら背筋が凍った。また、事故を起こしたあとの対応のできなさに、祖母の認知能力の低下を感じ、ニュースでみる事故を起こしたことをよくわかっていないような老人の姿に重なった。
うちは早い段階で地域のケアマネさんに入ってもらった。身内には強気だが外の人には弱気な祖母の性格のおかげで、一時期の嵐が嘘のようにあっという間に決まった
購入ではなくリースで活用してる。カゴが大きいしたくさん入るから、牛乳とかトイレットペーパーとか、80後半のお年寄りが運ぶのは大変なものもたくさん買える。運転面でも最高時速が6キロなので、とても安心。バックのときも大きな音が鳴るので、周りの人が気づいてくれる気がするし、バックの最高時速は3キロで大人の歩く速度より遅いのでそれも安心。
登り坂で段差越えて一度減速してしまうと、進まず止まってしまうことがあるらしい。スクーター辞めたいというかなと思ったかだ、祖母が暮らすのは都営団地で色々人が助けてくれて、そこから挨拶する仲になったりと人のあたたかさを感じて嬉しいとポジティブな感情がまさっているらしい。東京も捨てたもんじゃないな、郊外地域だけどね
ど田舎は無理だけど、スーパーとか駅とかが家から3.4キロ以内にある郊外くらいに住んでる年配の親、孫を持つ方は電動スクーターを検討してもいいんじゃないかなと思います。