はてなキーワード: バイアスとは
この前ホットエントリで美大生の7割が女性なのに教員はほとんど男性だって記事が上がってたのでググってみると
だそうですよ?バイアス抜きでninic(ニニック)に反対しているイラストレーターの7割程度は女性と予想できる。
他にもtwitterのフェミニズム系啓発マンガや女性向け同人作家のお気持ち表明やら、
ハテブにいたら素朴なフェミニズムを実践している創作系の女性はたくさん観測できるので割合はもっと高いかも。
つまり↓はフェミニストかつイラストレーターが騒いでいる可能性高くない?
・発達障害やアスペルガーは人間の新しい形式であるということを周知する。
・近年の「発達障害」という概念の広まりは発達障害者を救うものではなく、社会における差別やレッテル張りを加速させるものにしかなっていなかった。
・診断がつくようになり本人の困りに説明が付く、のではなく、社会による忌避の手段に「あいつは発達障害だから、アスペだから」というレッテル張りが追加された。
・発達障害と言う用語を、特に「障害」を、別の意味に取り換えることを議論する。(現状、この記事では以後も発達障害としておく)
・定型発達と言う用語については、「定型」妄想障害とすること。自分達の生活やコミュニケーションの方法が常に正常であるという広範な傲慢さは妄想の上にしか成り立っていないので。(以後、定型妄想障害とする。これは我々を取り巻く社会とほぼ≒であろう。)
・運動の先例として、CP者による「青い芝の会」による運動は大いに参考になる。無論、全てを教条的に引き継いだり無批判で参考にするものでは無いが、障害当事者の抵抗活動として大いに研究に値する物である。
・手足の自由が利かないCP者にとって、バス闘争は体一つで示せる、かつ命がけの抵抗活動だった。発達障害者は社会に浸透し定型妄想障害者の一方的なコミュニケーションバイアス、矯正、同一化に歯向かっていくことが同様の手段となるだろう。
・実力の抵抗も究極的に排除しない。発達障害手帳の効力が低く、交渉も拒まれるなら、役所のロビーを占拠しマスコミを呼び込みプロテストするなど。
・発達障害者、アスペルガー、境界知能者らは、定型妄想障害者の社会に盛んに乗り込むこと。何か特別な意気込みは不要。即ち、学校・職場・恋愛関係などあらゆる場所で発達障害者として社会に同化しないコミュニケーションを行う。
・発達障害者は、定型妄想障害者の支配する職場や学校などにおいて「挨拶や謝罪の形式といった社会的マナーや文化が備わってない」などと攻撃されてきた。では、定型妄想障害者の「正しい社会的マナーや文化」はどこから来たのか?
・今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」「発達し」作られた瞬間が存在する。にも関わらず、現代の発達障害者らのコミュニケーションのみが問題視され、矯正対象とされるのは差別である。(そもそも、近代以前の社会では社会の一部領域を発達障害者が担っていた)
・一方で我々は科学などを否定することはない。我々はポルポトやルイセンコではないので、科学的手法を排除する必要はない。あくまで「科学」を自身の妄想に利用してきた社会を攻撃する。黒人が、白人の作った武器で植民地政府に抵抗するのと変わらない。
・医療機関などにおける発達障害の認定を、より明確な基準に置き換える。また、グレーゾーンや、引きこもり等潜在的な人々に対する救済策を講じさせる。
・投薬治療に疑問を持つ。社会に順応させられる手段としての投薬を拒否する。治療されるべきは定型妄想障害の社会であるという前提を持つ。
・障害者のみがコンサータやストラテラなどを飲まされるのではなく、水道や給食などに混ぜ込んで定型妄想障害にも平等に投与し、その異様な効力を自覚させる、などの手法も考えられる。
・社会への同化を目的とした「自助グループ」を拒否する。発達障害と見なされる児童への「療育」を拒否する。定型妄想障害社会への、「教育」による同化を拒否する。
・これらは現代の「インディアン寄宿舎」である。発達障害による文化(その創造)を一方的に奪う方策である。これを指摘する研究や書物は、ほとんどない。
・就職活動などにおいて受けさせられる「性格診断キット」「性格テスト」などに関し、近年では明確に発達障害者らを選別・排除する意向を隠さないものも存在する。これらを廃止させる。
・男女を問わず「カサンドラ症候群」などという定型妄想障害者の詐病を徹底的に糾弾すること。発達障害者とのコミュニケーションにのみ「症候群」を発生させるのは傲慢な差別であるということを周知させる。
・フェミニズムやあるいはマッチョイズムといった物は、当運動では関係しない。また運動に取り込むべきではない。これらは発達障害者を敵と見なしてきたものである。
・前述の「青い芝の会」で例えるならば、フェミニズム運動は優性運動に加担し障害者をまさに先天的に排除しようとしていた。現代ではフェミニズムは定型妄想障害に加担している。
・このマニフェストが究極的に目指すところは、定型妄想障害者の社会を発達障害者が完全に塗り替えることである(前述したが、発達障害という言葉はその時には別の言葉に変わっているだろう)。
・硬直化した社会は消滅し、発達障害者によるイノベーションが日々行われる。コミュニケーションの形式は軛から放たれ、自然な発達と自身の自由な表現、他者との健全な切磋琢磨が初めて実現する。
・政党政治は消滅する。早期にインターネット回線による直接民主制政治に切り替えられる。
・海外にも発達障害の抵抗を伝播させる。(定型妄想障害に捉われている確率が低い、各国の障害者団体や先住民社会との連帯などが考えられる。)
パワハラを通報したところで人事と法務がタッグを組んで会社を守りにくる。パワハラ野郎が法律違反をしていないか訴訟されて負けないかといった点を評価する。現状の法律では暴言を吐くなどよほどの明白なパワハラでない限りはパワハラ野郎が勝つようになっている。陰湿なネチネチしたパワハラほどパワハラ野郎に有利だ。訴訟で白黒付けるのは金も時間もかかる。敵はそれを知っているので訴訟されないと踏んでくる。報復人事もされるし良いことがひとつもない。ネットに書き込んでも名誉毀損だと脅してくる。バカだのボケだの言うと侮辱罪だと言われる。殺すぞと言うと脅迫罪だと言う。実際に殺してしまったら殺人罪になる。放火をしても捕まるし爆破をしても捕まる。転職活動でもパワハラされたとは主張しにくい。何でもパワハラだという面倒な奴だと思われる可能性があるからだ。人間のバイアスは恐ろしい。パワハラはされた時点で負けだ。
お恥ずかしい話なのですが、私の地域はよく言えば下町、悪く言えば治安の悪い田舎なので体の悪い60代シングル親を持っている友人は多いです。
配偶者が死んでるパターンは少ないですが、元配偶者と関わりを持たずに暮らしている親というのが珍しいという感覚はありません。
これについては、友人たちにLINEなどで、あまり重くならない感じでどれくらいの頻度で会ってるのかをヒアリングした結果でした。
得た情報源はあくまで私の身の回りの友人なので、バイアスの掛かった情報であるとも今気づきました。
なので、ここら辺を平均かどうか図ることはほとんど不可能なのかもしれません。
そう考えると「個々による」としか言いようがないので、増田さんのおっしゃるように旦那の好きにしてもらうしかないかもしれませんね。
年越しの件で折れてくれたのは、二人きりで過ごせるのは多く見積もってあと2回という少なさというのが旦那側の決め手になったようでした。
子どもができたら旦那一人で一族旅行に行くもよし、情勢によりますが私と子も一緒に行くもよしで、子が出来てからはいくらでも行ってきてねという落とし所です。
30年ずっと欠かさず行ってきた一族の年末年始旅行と、新婚で子がいない状態の夫婦ですごす残り2回の年末年始、どちらの方が経験としてレアなのかを天秤にかけて、後者を旦那が選んだ、選んでくれました。(お互い普段は休みがほとんど合わないのも判断材料になったかと思います。)
就職予定だった好きな職種を諦めてまで7年間、20代の全てを母親を養うために働いた息子と無職の母親という状態を、依存した関係性というのは言い過ぎなのでしょうか?
夢だった職業を諦めていたところを、生活費は私がほとんど出すからもう一度挑戦してみようよ、このままじゃ人生楽しくないよ、と後押しして一緒に暮らしている私の状態は「旦那を支えていない」と言えるのでしょうか?
そもそも、両親の不仲から発生した父親の自殺を息子である旦那がここまで負担を負う状態にあることが不自然に感じるのです。
ただ、義母の場合は20代も全て頼りきり、さらにこれ以降も息子を頼っていくのかと思うと親として情けない状態にあるように見えます。
お恥ずかしい話なのですが、私の地域はよく言えば下町、悪く言えば治安の悪い田舎なので体の悪い60代シングル親を持っている友人は多いです。
配偶者が死んでるパターンは少ないですが、元配偶者と関わりを持たずに暮らしている親というのが珍しいという感覚はありません。
これについては、友人たちにLINEなどで、あまり重くならない感じでどれくらいの頻度で会ってるのかをヒアリングした結果でした。
得た情報源はあくまで私の身の回りの友人なので、バイアスの掛かった情報であるとも今気づきました。
なので、ここら辺を平均かどうか図ることはほとんど不可能なのかもしれません。
そう考えると「個々による」としか言いようがないので、増田さんのおっしゃるように旦那の好きにしてもらうしかないかもしれませんね。
年越しの件で折れてくれたのは、二人きりで過ごせるのは多く見積もってあと2回という少なさというのが旦那側の決め手になったようでした。
子どもができたら旦那一人で一族旅行に行くもよし、情勢によりますが私と子も一緒に行くもよしで、子が出来てからはいくらでも行ってきてねという落とし所です。
30年ずっと欠かさず行ってきた一族の年末年始旅行と、新婚で子がいない状態の夫婦ですごす残り2回の年末年始、どちらの方が経験としてレアなのかを天秤にかけて、後者を旦那が選んだ、選んでくれました。(お互い普段は休みがほとんど合わないのも判断材料になったかと思います。)
就職予定だった好きな職種を諦めてまで7年間、20代の全てを母親を養うために働いた息子と無職の母親という状態を、依存した関係性というのは言い過ぎなのでしょうか?
夢だった職業を諦めていたところを、生活費は私がほとんど出すからもう一度挑戦してみようよ、このままじゃ人生楽しくないよ、と後押しして一緒に暮らしている私の状態は「旦那を支えていない」と言えるのでしょうか?
そもそも、両親の不仲から発生した父親の自殺を息子である旦那がここまで負担を負う状態にあることが不自然に感じるのです。
ただ、義母の場合は20代も全て頼りきり、さらにこれ以降も息子を頼っていくのかと思うと親として情けない状態にあるように見えます。
平均ってことはど真ん中なのでそれはザ普通であって普通以下ではないぞ。
あと母集団平均なのか標本平均なのかによっても話は異なる。恐らく標本平均だと思う。その友達は社会的地位の高い人が多くなるサンプリングバイアスを持っているだろうから標本平均は恐らく母集団平均に比べて極めて大きいことが予想される。それが真であるならば君は母集団の中では普通以下でもザ普通でもなく普通以上だ。ただその友達の平均=普通の基準が高いだけ。
GAFAMに入るために必要なのは基本的には基礎的なアルゴリズムとデータ構造の知識、それらを応用したコーディング能力、システムデザイン知識です。ほぼ全部受験勉強のように体系化されているし対策も出回っているので実際に凄いシステムを作り上げなければならないとか四六時中コーディングしているような人でないと受からないといったことはありません。受験勉強と同じですね。もちろん土日も勉強したりするような技術大好きオタクな人もたくさんいますがそうでなくても入ることは可能です。
基本的にこれらの大企業に入りたい人というのは高学歴の金目当ての人間です。普段からアンテナを張って技術を追いかけているような人は半分もいないでしょう。
ITエンジニアは業務外でも常に勉強し続けなければならないなどという人達は負け組です。もちろん勉強をしたいならすれば良いですがそれは趣味ですよね。業務に必要な知識の吸収は業務中に行う。要領の良い人達は皆そうしています。業務外で勉強するオタク気質な人であっても業務とあまり関係のない勉強をすることの方が多いでしょう。
業務外で勉強を続けなければならないと思い込んで業界の裾野を狭めるような負け組のITエンジニアの人達には黙っていてもらいたいものです。
ふつうのエンジニアは世間一般ではかなり勉強している
実は、ふつうのエンジニアは一般的にはかなり勉強している方にあたる。土日にコードを書いたり技術書を読んだり、仕事終わりに技術書を読むとか、そういうことは上澄みのエンジニアじゃなくてもしているというのが当然なので、当然みんなしているものだと思っている。とても怠けている人でもやっているのでそういうもんだと思っている。それに未経験エンジニアの中にはあまり技術に興味がない人も多く、働き方や収入などの面に惹かれているように見える。
エンジニアはわざわざ自分の休みをつかって学習する行為をべつに地獄だとは思っていないし、身の回りの人はみんなやっているから「誰でもやっているふつうのこと」だと思っている。認識に大きなズレがある。
「勉強を勉強と思っていないだけだ」という人が多いですが間違えています。この発言の裏にはみんな土日も勉強をしているという思い込みがあります。それがそもそもの間違いなのです。土日も技術的な勉強をしている人は多くないです。する必要がないからです。もちろんする人もいますが多数派ではないです。
「オレの知っているGAFAMエンジニアはみんな常に勉強している」と言う人も多いですが、それはあなたの知っている人達が日本人しかいないが故のサンプリングバイアスです。日本は割と最近までIT技術者は高給な職と見なされていませんでした。そんな業界には物好きなオタクしか集まりません。日本人技術者にはオタクしかいないので、そういう人達が技術の勉強が好きなのは当然ですね。一方、IT技術者が高給とされる社会ではオタク以外も集まります。金目当ての高学歴ですね。こういうオタクでない人達が普段から業務に関係のない技術の勉強をするかというとしない人も多いわけです。日本で高給とされる業界にいる人達のことを考えてみると分かりやすいかもしれないですね。
尖った能力を持って生まれる代償として社会性を失ってる連中がいて、その中で生き残って大成した奴だけがエピソードを開陳する機会を得る。
社会性を犠牲にして尖った能力を持って生まれたけど大成しなかった奴もいるし、尖った能力は無いけど社会性も持って生まれることができなかった奴もいる。
凡人は社会性に特化するしか生き残る方法が無いから、尖った能力を持っててもそれで一点突破できなかった奴は無理矢理にでも社会性を身に着けて凡人として生きるしかない。
本事件を要素ごとに分解して怨恨とテロいずれに該当するかをマトリクス形式で分析すると次のようになる。
要素 | 怨恨 | 本事件(山上) | テロ |
動機 | 怨恨 | > 怨恨 | 政治(多)・大義(多)・怨恨(少)等 |
目的 | 報復 | = 報復 | 社会的影響(多)・報復(多)等 |
標的 | 個人(多)・集団(少)・組織(少) | < 組織 | 個人(少)・集団(多)・組織(多) |
手段 | 斬撃(多)・銃撃(少)等 | < 銃撃 | 爆破(多)・銃撃(多)等 |
結果 | 傷害・殺害等 | = 殺害 | 破壊・殺害等 |
影響 | 個人(多)・社会(少) | < 社会 | 社会 |
このように本事件は標的・手段・影響においてテロの特徴を持つものの標的と手段は怨恨の域を逸脱しておらず、国際テロに匹敵する多大な影響も本来の目的でないものが偶発的かつ結果的に生じたものである。また各要素の組み合わせの類型的に見ても単独犯の怨恨によるテロは銃乱射のような無差別殺傷事件が主であり本事件のように報復の原因となる行為の主犯格から順に正確に標的を定めてこれのみを狙撃する事例は単独犯の怨恨によるテロの一般的形態と一致しない。加えて組織を標的とした銃撃はテロを連想させる目立つ特徴であるが怨恨殺人においても発生しうる共通項であり、にもかかわらず不確かな全体的印象からテロとみなす認識はテロに類似した一部の目立つ特徴のみに囚われた代表性ヒューリスティックのバイアスによるものと考えられる。したがって本事件をテロとする認識は組織を報復対象とする怨恨殺人との類似性に基づく誤認であり、各要素の比較分析評価から本事件は怨恨殺人事件に該当すると評価するのが妥当である。
元増田には
としか書いてないので、だから俺は「姫」を「特に組織運営の面では有能じゃないけど、周りが全部やってくれる言わばカリスマ型のリーダー」と解釈して、そうじゃない例としてちはやふるを挙げた。
その上で、そういう千早をも「姫」と定義するならできるとも思うけど、そこまで攻めるならルフィ船長も十分に「姫」に該当するようになるでしょ、という意味でこう書いた。
このたび完結したちはやふるは、部活の規模だけど組織や人のマネジメントするリーダー描写ある。これを「姫」とするならルフィも姫だと思う。
で、返事がこれかよ。
一瞬納得しかけたけどルフィが「姫」はやっぱりないわ。腐女子的な目線で見るとルフィは総受け愛され船長に見えなくもないけど、太一的な理解ある頼れるルフィの事大好きな異性の副官居ないじゃんあの一味。
組織のリーダーとして面倒くさいことを描写していたとしても、主人公大好きな頼れる異性の副官がいれば「姫」! いなければ違う! って、話が全然変わっとるやん。
そしてダイ君が戦いに専念できる様にバックアップやってくれる理解ある彼女ちゃんことレオナ姫との整合くらい取れよ。ドラゴンボールのブルマとかも番にならなかっただけで基本このポジションやぞ。
ジェンダーバイアスと、ついでに言えば少女漫画に対するバイアス(偏見)が育ってるのはお前。そしてそのバイアスが間違ってない「という事にしたい」から後から彼氏限定とか言い出すお前は、主人公が正々堂々と戦う少年漫画ももっと読め。