2022-09-02

結局発達障害アスペ境界知能への差別感情って何に由来するの?

よく言われる「昔は、いまでいう発達障害者にも居場所仕事があった」っていう変な擁護論をみて、現状に即してないと思うけどさ

もしそうなんだとしたらじゃあいから差別されるようになったの?

単純にいって、40~50年前までは「発達障害者」も中卒とかで職人やったりオフィスお茶汲みやったり映画寅さんみたいな生活してたり、それで生計立てられて結婚も平気で出来てたとしましょう。

その時は「言われたこしか出来ない」「空気をあまり読めない」「粗暴なところがある」「ぼんやりしている」けど、それがそいつの素朴な性格であって、キモいとかヤバいとかウザいとかそういう感情に直結しなかったと。

もっと生活に密着していうと、「もしも娘が発達障害者と付き合ってたらどうしよう」「もしも職場に入ってきた新人アスペだったら嫌だなあ」「私は夫のせいでカサンドラ!ギャーギャー」みたいな概念そもそも無い訳だ。

今でも、自分の娘や息子や親戚や親友が「知的障害者と付き合ってます。ほら、手帳もあるんだよ」といったら?例え交際自由ちゃん憲法に書いてあっても、自分が健常者だと思ってる連中はどこまで差別心と余計なおせっかい心を持たないでいられるか?

発達障害アスペはその知的障害者と似た様な枠に、それも21世紀になってから急に放り込まれたわけだ。

そしてほとんどの当事者は、社会生活上の尺度から見て、例えばCP人達みたいに「決定的な困難さ」を持っているわけでも無いから、単純な哀れみも受けられない。当事者運動社会への同化がなぜか前提となってるから「青い芝の会」みたいな運動全然起きない。

気が付いたら、用語だけ勝手に広まって、「発達障害者職場に入れないようにするには!」「私の夫がアスペだった!ギャー」「社会の脅威、ケーキ三等分できない境界知能!」みたいな使い方しかされてない訳だ。

医者発達障害と診断されたか普通人生を送るのが困難になったのではなく、社会において普通人生を送るのが困難だから障害と診断されるようになった」と逆転させたことを言う人もいるけど、

じゃあ社会は、癌や糖尿病や、あるいは身近なインフルエンザに対する理解と同じ様に、医療に沿った「正しい発達障害理解」ってのをしてるのか?してないだろ?

日本における発達障害受容の歴史は、エイズ認知と大体時期が同じ(この30~40年)だが、AIDS/HIV患者排除したり差別する人間ほとんどいなくなったけど、発達障害排除はどんどん酷くなってるだろ。

会社発達障害排除性格テストをつかうようになったし、勝手に周囲が変なリスト見て答え合わせして友達はいなくなるし、ネット上ではアスペルガーをキモく扱う話がウケる

言葉イメージが先行するだけして当事者は置いてけぼり。本人の困りを社会ネットがむしろ加速させるようになった。

何が起きたんだよ。進歩じゃなくて逆行だよな。じゃあ一体何なんだ、お前等の考える発達障害って?アスペって?境界知能って?

得体の知れない新人類か。

はいっそ、発達障害者アスペはどんどん職場に入って迷惑を掛けまくって、どんどん「キモい恋愛しまくって、新しい社会を、新しい文化を、発達障害者版「青い芝の会」みたいなものを作っていくべきだと思ってるけどな。

  • 「発達障害者」も中卒とかで職人やったりオフィスのお茶汲みやったり映画の寅さんみたいな生活してたり、それで生計立てられて結婚も平気で出来てた ただの生存バイアスだぞ そう...

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