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はてなキーワード: ハッピーとは

2018-09-21

anond:20180915084454

「贅沢だから」という理由結婚できない人がいるとしたら、この地球上でも貧しい部類の人間に入ると思います。そんな理由で子作りも結婚もできなければ、遠からずその集団は滅びるんだから

私の最初のこの書き込みにおいて、文章構造は倒置しています。つまり、この文章趣旨は「子作り結婚ができない集団は遠からず滅びるだろう」したがって、「『贅沢だから』という理由結婚できない人がいる」ような集団は「地上で最も貧しい集団である」、という所にあります。「子作り結婚ができない集団は遠からず滅びる」というのは前提となるただの事実であって、私の主張ではありません。そもそも私は「子作り結婚ができない集団は滅びる(から結婚しろ)」などということは全く主張していません。


私の主張の趣旨は、当該の男性の「日本人として生まれただけでハッピー」「この上結婚や子作りを望むのは贅沢」という奇妙な論理が、そもそも矛盾していることの指摘にあります。もし男性の言うとおり「日本人として生まれた」ことが世界でもまれ幸運であれば、結婚や子作りを望む程度のことが贅沢であるけがなく、またもし現代日本結婚や子作りを望むのが本当に贅沢なら、「日本人として生まれた」ことは世界でもまれな不幸でなくてはなりません。両者は明らかに矛盾している、ということを私は言っているのです。

以上を受けて、文章後半では、私は、このような明らかにから出任せに近い言い訳を滔々としたり顔で述べて結婚から逃げ回る男は信頼に値しないと述べています。昨今、一行以上の複雑な文章意図を解しない人が増加しているのは事実ですが、少なくとも複数の文を操って意見を述べたあなたがそういう人間ではないことを私は望んでいます

anond:20180920163719

団塊世代は1人残らず苦労知らずでひたすらハッピー脳天気で夢見がちだった

そんなこと、言ってないんだよなぁ…。強迫神経症かな?お薬出しておきますね。

あと、黒沢とか野村芳太郎は、彼ら自身団塊の世代なわけではないので彼らの作ったもの団塊の世代目線ではないのでは?とお返ししておきます

二人とも戦時体験があるわけでさ。

2018-09-20

anond:20180920121033

団塊世代が読んだであろう本(吉本隆明高橋和巳三島由紀夫、等々)は読んだけど、団塊世代人生経験自体は書いてねえぞw

それよか、黒澤明とか野村芳太郎とかの1960年代現代劇映画観てると、当時の世相が反映されてる、劇中に汚い貧乏ごろごろ出てくるね

いっとくが、ウルトラマンとかはあえて未来的な風景を強調してるから

あと加山雄三植木等映画はわざとハッピーで明るい享楽的作風意識して作ってる

本を読めとか勉強しろとかうるさいけど、貴殿が言う、団塊世代は1人残らず苦労知らずでひたすらハッピー脳天気で夢見がちだったということを裏づける、具体的な作品名を挙げて欲しい

学生運動批判的に描いた作品(たとえば1960年代に書かれた倉橋由美子現代小説とか)では、全共闘学生いかにも脳天気甘ったれのように描かれている、その手の描写はよく見た

しかし、俺は最初から団塊の大多数は高卒中卒・農家とか工場労働者とか」と述べている

それら非大卒まで一切、苦労知らずでひたすらハッピー脳天気で夢見がちだったということを裏づける、具体的な資料作品名とか作家名とか挙げて欲しい

2018-09-19

anond:20180919202310

「はず」と書いてるのは、当時の自分はまだ幼稚園程度だからあえて断言せず遠慮してるだけ

状況証拠的には「はず」ではなく、そういう人間は「いた」と断言していい

逆に「はず」と書いた部分を「一切なかった」と断言できるのか

言っとくけど1960~70年代団塊世代は1人残らず貧乏で苦労したって言いたいんじゃないですよ、そらハッピーな人も多数おったろうが

当時の実際の事件やら社会世相を拾っていけば苦労した者も多数おったろう、て話

そんな「全か無か」的なことじゃない

現実には戦前人間も1人残らず大日本帝国万歳軍国主義者ではなかったし、バブル時代だって土建屋不動産株式投資してた奴以外なら貧乏人は多数いた、そういう人間想像力問題

anond:20180919141828

1945~1950年まれ団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ

昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた

核戦争題材の映画渚にて1959年公開

フランキー堺主演の『世界大戦争1961年公開

当時の超有名作品から観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう

このころはしょっちゅう地上や離島核実験やってたか死の灰も降ってた

公害問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年

そのころ団塊世代高校生から大学生

オイルショック1973年)に直面した時期に団塊世代20代前半

下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる

連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊20代前半の時期

「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊20代1970年代には

日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論流行

環境汚染核戦争人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった

いっけん関係いかも知れないけど、団塊世代10代の1960年代には

幼児誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか

女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年

在日韓国人差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件1968年

極貧少年永山則夫による連続射殺事件1968年

などなどが起きてる

団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです

そもそも当時は現代比較すればGDPはずっと低い

兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった

団塊世代10前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年テレビ普及率は50%以下

テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず

だんだん普及していく過程では「お前ん家まだテレビねえの~」っていじめもあったろう

現代人と比較して何から何まですべて幸福だったとはとても思えんぞ

anond:20180919011427

団塊世代高卒中卒が現代人よりも一貫してハッピー経験しかしなかった苦労知らずのように一方的に決めつけるのは、さすがに後世の人間高慢を感じる……

そういう側面もあろうが、そりゃ団塊ちゃんたちが能天気に見えるのはしゃーない。

そもそも増田には世代論や社会論を誰かに伝えるための知識ボキャブラリーが欠けているとも感じる。

団塊世代が後の世代と比べて異なる点は、単に数が多いだけではなく、「未来はただ明るく希望に満ちている」と思える時期に若者だったという点だ。

団塊世代戦争を知らない世代でもあり、朝鮮戦争特需のころに子供時代を過ごし、生活が「どんどん良く変わっていく」ことを実感して育った世代

一方でそんな都合のいい景気成長が続くわけでもなく、また、社会が豊かになるにつれて入ってくる情報量自体も増えるから耳触りの悪い情報も増えてく。

なので、団塊世代以降は、成長する日本恩恵と同時に公害やら高齢化やらオイルショックやら冷戦やらなんやかんやの事件社会情勢を見ながら、未来は必ずしも明るいと限ったわけでもないと感じて育ってきた(らしい。自分の親がそんなことを言ってた)。

この辺は自分戦後史と戦後風俗の年表でも作ってみたら。年表に団塊世代の年齢とその後の「シラケ世代」とか言われたりしてる世代の年齢をあてはめたりすると実感しやすくなるよ。彼らが14歳の時に、17歳の時に何が起こったかと見ていくと面白いし、少しはマシなことを考えるための材料にはなる。ついでに自分の年齢も現代史年表にあてはめてみてみると面白いよ。

anond:20180919004859

1970年代なんかはまだ完全雇用状態だったようだ

これは了解したが

いか転職先がすぐ見つかりやすかったとはいえ産業構造の急変で失職となれば、前職の経験がまったく生かせない異質な職種転職せざるを得なかった例も多かったであろう(九州筑豊には再就職できなかった炭鉱労働者老いたなれの果てがごろごろいる)

そもそも自分がこんな話をしだしたのは

貴殿とは別人の書き込みかも知れないけれど

https://anond.hatelabo.jp/20180919004859

>この世代高卒中卒は、今の世代高卒中卒と比べたら悲壮感まったく薄い

これはさすがに言い過ぎだと思ったか

団塊世代高卒中卒が現代人よりも一貫してハッピー経験しかしなかった苦労知らずのように一方的に決めつけるのは、さすがに後世の人間高慢を感じる……

(まあ、これはもはや実証性ではなく、確実に自分らより貧乏青年期を送ったであろう年長者への敬意の問題なのだが)

anond:20180919002239

何が差別じゃ!?

上記文章高度経済成長期を真に支えた高卒中卒工場労働者が、そのあと味わった悲惨への同情の念を書いとるんやぞ

じゃあ彼らは一切苦労しなかった一貫してハッピーだったと書いて彼らの世代が味わった暗部に目をつぶるのが差別のない政治的に正しい表現なのか?

2018-09-17

映画愛しのアイリーン

原作知らなかったけど面白かったよ。

http://irene-movie.jp

性的暴力的描写あるので見る人選ぶ

そもそもハッピーな話じゃないので後半特に辛い

・でもこれは傑作であると断言してる人多いし、これは傑作

2018-09-16

デレステクレイジーコミュ しきフレを見て

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージより

 結構面白かったので

コミュ2話


 ポイント1

志希「じゃあ、まずは幸せ定義づけから始めよっかー!」

フレデリカ幸せは、みんながハッピーなことだよー♪」

フレデリカ「(間を挟まず)それでー? シキちゃんがここに来たかったのって――(以下略)」

 間を挟まなかったのは、友人との論争を避けるためだろうか?

 宮本フレデリカにはもうある答え、一ノ瀬志希にはまだない答え。

 志希には「愛に生き続ける」「一瞬で愛に死ぬ」「楽しく生き続ける」「一瞬で楽しく死ぬ選択肢があるのではないか

 どれもこれも魅力があり、しかし全ては選べない。迷っているのだ。

 「秘密のトワレ」なんて歌いながら、Pへの深い愛情を持ちながら、絶対に行動に移さな理由だろう。

 志希は「他に迷惑を掛けても、自分のしたい事はする」と考えているが、フレデリカは迷うことなく「みんなハッピー

 …書いていて思ったが、フレデリカは志希が致命的な事を起こす前に「娯楽」を提供しているのでは?

 考え過ぎだろうか。


 ポイント2

志希「(父親デスク家族写真を見つけた後)……ん? 隣にもう一枚、隠してある……?」

フレデリカ「(嬉しそうに)シキちゃん、だね。 アイドルの……お仕事の、写真

志希「(少し考え込む)…………。」

志希「こっちの写真は、あたしがもらってこっかなー。」

フレデリカ人間の目が前についてるのは、未来を見るためだからねー♪」

志希「フレちゃんときどき、いいこと言うよねー。」


 これは面白かった。

 志希と父親関係、志希とフレデリカ関係が見える。

 フレデリカの「未来を見ないと」という発言同調する志希。

 つまり父親にとって「今の志希」を見つめるのは「過去に縋る行為」の可能性がある。

 もう再婚とかしているのか?

 いや、それなら家族写真は何故OK? 娘の反対を押し切って再婚しかし上手く行かず離婚

 そして、この時の志希の発言は暗くない。 父親悪感情を抱いている訳では無いようだ。

 もう一つ、フレデリカ発言を見るに

 「フレデリカは志希の過去を知っている」「志希の”ときどきいいこと言う”発言

 これが気になった。

 Pには言わず、フレデリカには言える過去

 しかし、フレデリカへの信頼がPより上かどうかは謎。

 フレデリカは「みんなハッピー」なので志希が嫌がれば口を噤む。

 だがPは”志希が納得している”事実があっても「可哀想だ!」というかも知れない。Pが事あるごとにその過去をを持ちだせば志希はウンザリするだろう。

 これは「Pを理解する」まではおあずけ。

 後に奏から「海の向こうはどうだった?」と聞かれ「何も無かった」と志希は答えている。

 話したくなければ「この話はまた今度」と言うはずなので、本当に「ケリがついた事」なのだろう。

 そして「ときどきいいこと言う」

 志希は普段から人の発言をしっかり聞き、それを評価している事が分かった。

 最も親しいと思われるフレデリカさえそうなら、志希が「誰かに依存する、身をゆだねる」事は無いのでは?

 感情のまま生きる志希、だがいつも理性を手放さない。

 矛盾はしていない。「理性の反応ライン」が広いのだ。

コミュ3話


 ポイント1

志希「わかんないことが怖いなんて、あたしにはぜんぜん共感できなーい! なんでなんでーっ!」

奏「あのね、志希。これは一般論だけど…普通、分からない事は怖いわよ(以下、一般論は要約)」

奏「人は怖いから分かり合うために努力する、だが完全には分かり合えない だから自身矮小化し分かり易く記号化する」 

志希、フレデリカ、少し茶化す

奏「ちょっと。せっかく人が真面目に話したのに、台無しじゃない」

フレデリカ「でもさー。退屈になってくだけなら、『本当の自分』とか『理解』なんて、いらないのにね」

フレデリカ「それよりは、みーんなが楽しくなれる『ウソ』のほうが、ハッピーハッピーだと思うんだ♪」

~ここで桃華の発言が挟まり話題が切り替わる~


 まず、奏は志希へ「分からいかも知れないけど、教えてあげる」

 そしてフレデリカが茶化し、志希も続く。

 そして、フレデリカも奏へ意見を述べる。

 「みんなハッピー」が好きなフレデリカが何故「真面目な話」を率先して茶化したか

 当然「みんなハッピー」のためだ。

 ここで茶化さなければ、奏は志希へ「理解できたか」聞くだろう。

 そして志希は真面目に返す。「理解した」「理解できない」「途中までは理解している」

 意見が奏と重ならなかった場合「誤魔化しをを好まない」志希では以前の心理テストの焼き増しになるかも知れない。

 フレデリカが警戒するのも当然。

 そして、奏とフレデリカと志希のスタンス

 奏は「僅かでも理解し合う事」を大事ものだと考え、だから志希にも解説した。

 フレデリカあくま理解より「ハッピー」優先。

 話が切り替わったので意見は述べていないが、志希も持論は持っているだろう。

 例えば…「もっと頑張って理解しないの?」

 この後、志希は桃華に「分からないと言えるのは良い事だよ、半端に分かった気になるより、ずっとね(要約)」

 こう発言しているので、二人とも違う上記の予想となった。

 ……いつかもう一度「LiPPS」コミュが来た時は「Trinity Field」並みだと、私は期待している。

 ここまでバラバラなのだから


 ポイント2

桃華「(二人のアイドルとしての姿勢に疑問を持ちながら)あなたたちはいったい、なにがしたいんですの?」

志希「(少し勿体ぶって)あたしはね、あたしがしたいことをしたいの。それ以外は、どーでもいー」

フレデリカ「フレちゃんは、みんながハッピーになることをしたいなー♪」

~フレデリカ、ここで「あとはお楽しみ、ご期待あれ」と言って会話を切る~


 また答えを待たず切ったなコイツ

 だが嫌いじゃないぞ絶対自分信条を曲げないスタイル

 ここで大事、というか再確認

 周囲からは「いつもふざけていて何がしたいかからない」

 だが二人はしっかり”軸”がある。

 志希は「自分がしたい事をやる」

 誰でもそう、と思うだろうか? だがそれならわざわざ口に出す必要も無い。

 これは恐らく「自分に噓はつかない」と言っているのだろう。

 相手を気にして自分意見を出さない…何とも「家族関係がこじれそう」とは思わないだろうか。

 これは志希の「過去経験から来ていると思われる。

 対してフレデリカはブレない。

 「みんなと楽しく」こそが目的。 そのためならば嘘も厭わない。

 いつかこじれそうですなあ。


 ポイント3

フレデリカちょっとだけ、そろそろ真面目にやろっかー」

志希「……ふぅん?」

フレデリカ「なんだかさー、嫌だったんだー。シキちゃんのこと、勝手にわかられたみたいで」

     「『本当は寂しがり屋の可愛いオンナノコ』なんてさ、すっごくわかりやすくて、つまんないでしょ?」

     「カナデちゃんはそれが普通だって言ってたけど……、だーれも楽しくならない、退屈なだけのホントウなんて、アタシたちに       くっつけてほしくないの(口調は明るい)」

志希「(笑顔になって)その退屈なものが、本当に真実(ホントウ)だったとしても?」

フレデリカ「だったら、ウソをついてもらおっかなー♪」

志希「……ふふ」

フレデリカ「それに、シキちゃんは、誰かに理解させてあげられるほど、簡単じゃないでしょ?」

志希「……ねーねーフレちゃん。フレちゃんはさ、あたしのこと、怖い?」

フレデリカ「ぜーんぜん、怖くなーい♪」

志希「(笑い声を上げて)いいねいいねいいね! やっぱり、フレちゃん、すっごく面白い!」

  「うん、いいよ。興味湧いてきた。フレちゃんとなら、あたしは何ができるのか。あたしたちの実験を、始めよっか」

以下略


 長い。ひたすらに長い。

 でも面白いぞ。今回のコミュの山場だ。

 ちょっとまとめる。

 フレデリカが「アタシたちを舐めないで、そんなに退屈な存在じゃない」と言う

 志希は「いや、実際はそんなものだよね」

 (今回のSR2枚中、志希だけ「自身は退屈な部分も有る」と発言しているので、これは志希の事)

 フレデリカは「だったら嘘をつけばいい」志希はこの答えに思わずクスリと笑う

 そのまま続けて「それに、シキちゃん理解できる人いないよね」

 そして志希から自分が怖いか」との問いか

 フレデリカは「怖くない」と返しそれを聞いた志希は堪えきれず、といった感じに笑い声を上げる

 志希は「やっぱりフレちゃん面白いね いいよ、興味湧いたし付き合ってあげる」


 ……フレデリカから志希への評価が高い!

 そして志希は自己評価が低い! 「自分は他より少しは頭が回るだけ」とか思ってたりするのだろうか?

 ここでフレデリカは「だったら嘘をつけばいい」

 話を伏せても誤魔化すことは無かった志希に「嘘をつけばいい」!

 真意は恐らく(でも、その必要はないよね)(でも、そんな事しないでしょ?)こんなところ。

 それが分かるから志希は笑う。

 そして追い打ちに「それに、理解できる人いないよね」

 これは、志希へのメッセージ

 志希にとっては志希は単純な存在。でも「客観的」に見れば志希はとんでもなく難しい。

 ねえ、そうでしょう? だと。

 最後に志希から自分が怖いか

 フレデリカは「全然怖くない」と返す。

 そして志希は笑い、フレデリカに付き合う、と言った。

 志希が笑ったのも納得だ。

 フレデリカが怖いかどうかは「わからない」のだから

 嘘をついても「幸せ」を大事にするフレデリカ。なら、恐怖を隠しているのか?

 志希が「簡単ではない」事を知るフレデリカ。なら、口では「簡単じゃない」と言いつつ自分は志希を理解しているのか?

 本当に怖くないか、本当は怖いのか。

 わからない。そして志希にとって「分からない事は面白い」!

 そんなフレデリカからこそ、志希は本気になったのだ!

 まあ、多分。


コミュ5話


 ポイント

 ここは短い。

 志希とフレデリカからメッセージ

 「私たちをわからなくても、それでいい」

 「でも、理解する努力は止めないで」

 これだけだが…Pとしては大事だろう。

 書いとく。



 後は…蛇足だろうから止めよう。

 ここらで失礼致します。

 ああ楽しかった。 デレステに幸あれ。

2018-09-14

ハヤテのごとく!エンディングの変遷を知ってるか?

anond:20180911232226

漫画家バックステージ情報うろ覚えなんだが、漫画の人気が出たことによって

10打ち切りエンド(1巻ラスト)→途中打ち切りエンド1(4巻1話)→途中打ち切りエンド2(ナギ母親墓参りの話)→12月のトゥルーエンド

という変化を辿ったはず。

さらトゥルーエンドの初期案では、ハヤテナギを守って死亡するという衝撃的なストーリーになるはずだったんだけど、結局ハヤテは生き残り、代わりにナギハヤテはそれぞれお嬢様執事を辞め普通日常を送ることになった。

どんな形にせよ、きっちりエンディングらしいエンディングやることは最初から規定事項。


もし打ち切り場合はいままでの関係が続いて永遠に続いていくように見えるけどそれってどうなのかな。元増田の主張は最終回を迎えるより打ち切られたほうがよかったという主張と同義だ。サンデー編集部方針変更で最後は若干最終回を急かされたっぽいけど、結局予定としていた1年を完走できてしまったので物語にはなんらかの決定的な終止符が打たれることが決まった。ハヤテは死か執事を辞める二択を迫られ、なんとか後者ハッピーエンドを迎えることができた。だからこれは「ハッピーエンド」なのであって、いつまでも今までの生活が続いてくっていうのは「ハッピーノットエンド」に過ぎないと思うんだ。

2018-09-13

anond:20180911232226

ハヤテのごとく!最初期が一番笑えるけど、その頃は登場人物にとってはそんな楽しい話ばかりじゃないんだけどな。

ナギは両親を亡くして寂しい女の子として描かれているし、ハヤテもよく泣くし。


いろいろ設定がぶっ飛んでアニメチックなのは作者がオタクで、ほかのアニメ世界名作劇場に染まった世界観を持ってたからだと思う。

オタク的な書きたいものを夢中で出しまくる一方で連載が終わるんじゃないかという悲壮感も表明していたり。当時の「漫画家バックステージ」は読み応えがある。


その後に続くのが単行本ブームになって念願のアニメ化も叶ってとにかくハッピーな時期。一番盛り上がったころで、高揚感もあったと思う。ただ連載が忙しくてアニメを見たりゲームをやる時間がないと作者が嘆くことも増えていく。


作者がオタクなのが売りの漫画だったのに作者自身漫画を描くためにオタクでなくなっていく。漫画のために全てを尽くしているけど最初のものすごい熱量は維持しようがない。

後期になるとブームも去る。作者は元オタク職業漫画家に。おそらく重要プロット情熱があった頃に考え尽くしてしまっていて限られた漫画のページ数に落とし込み頑張って消化していく作業になる。

ナギ西沢さんにはモデルがいるなんて話もあるけれど(ラブコメメインヒロインに明確なモデルがいるとかなかなかいろいろすごい話。)

作者は昔夢見たようなヒロインとは全く別のタイプの人を好きになり結婚を決める。


畑先生にずいぶん失礼な文章を書いたけどこんな印象を持っているし、人は成長して変わっていくものナギハヤテに関しても全てが正しく終わったなと思う。

記事感想には全く賛同しないけど、夢物語という呼び方は好き。大きな夢もいつかは覚める。




ちなみにこういう現実への適応という形での成長を最終的に拒否したケースが思い当たらないわけでもなくて涼宮ハルヒの憂鬱シリーズは作者が筆を折るという形で完全に時間が止まっており、そういうことなんだろうなと勝手解釈している。

2018-09-10

いちご

ハッピーシュガーライフ漫画を読んでいたとき、さとうの台詞はいちごちゃんで声で脳内再生されていた。

声優が花澤香奈と発表されたときふつうすぎるなあとなんだか残念に思って、結局アニメを観るつもりにはなれないままでいた。

でも、観てみようかなあという気持ちになった。

2018-09-09

anond:20180909153630

ハッピーシュガーライフがかなり面白いのに、同じ原作ありのはねバドと比べても全然話題にならないのは何でなんだろう。

あんまり人気ないのかな。

あとはあそびあそばせ、はねバド、レヴュースタァライトあたりを見ておけばいいと思う。

ハッピーシュガーライフヒロインについて思ったこと。

彼女はかつてほとんどかまったく喜びのない生活を送っていたようだが、

なぜふつう活動でき、それどころか人に好かれやすいように振る舞えたのか?

(喜びがまったくなかったら、衰弱死するか、それに近い状態になるようにも思えた。)

すぐに思い浮かんだのは、苦痛を避けることが動機かもって考え。

しばらくして思い浮かんだのは「王子様を探す」みたいに作中で表現されていた、

いつか喜びを得られるかもしれないっていう期待が動機になってるって考え。

彼女特定人物について思ったり、その人物感覚したり、

その人物と関わったりするときに得られる強い喜びを甘いと表現することが多い。

彼女は甘い食べ物から強い喜びを得たことがあるのだろうか?

話の外から考えるなら、タイトルとかけた表現だろう。

たんに慣用的な表現で、彼女は甘い食べ物から強い喜びは得られないのかもしれない。

もし得られるなら、スイーツ大好きさとうさんのようなタイトル作品ヒロインになるだろう。

2018-09-04

anond:20180903215027

ちょっとおしゃれでうまい食べ物屋巡りとかしてみれば

普段からうまい物食べてハッピーだし万が一彼女が出来た時にも役立つ

機動戦士】刺さるコンテンツの神髄 ※【汎用人型】

機動戦士ガンダム』……『新世紀エヴァンゲリオン』……

 魔法少女悪堕ちする円環アニメ……奇行種……

 単に『売れる』ではなく『刺さる』コンテンツにはある共通点がある。

 まず『暇があって可処分所得が増加モードに入った感じやす年代』つまり学生対象であること。

 次に、彼らの暇とお金と旺盛な知的好奇心を吸い上げられるだけの『多層的な設定』がなされていること。

 最後に、これが一番重要な要素だが……『悲壮であること』。

 こういう作品群を、私は【学徒出陣もの】と呼んでいる。

 少年少女が否応なしに戦いに巻きこまれていくパターンであり、それを狙って失敗した作品もたくさんあるだろうが当たれば大きい。

 そしてここからが本題だが……私は【学徒出陣もの】への抜き差しならない支持が、この国の活力を削いでいると考える。

学徒出陣自体が先の敗戦とひとくくりに捉えていいような悲しい出来事なのだ

 悲壮を尊ぶ精神風土はこの国の弱点、いわば【敗戦気質】だろう。

 どんなに悲痛なトーンで描かれていても、それらが快美な娯楽として消費される限り【マイルド悲壮】にすぎない。

 手の込んだ倒錯であり、ゆがみだ。

悲壮ポル…】という言い方はどぎついので、しないけれど。

 悲壮ぶること、つまり悲壮がり】。

 この【悲壮がり】こそがこの国の足を最低150年は引っぱり続けてきた。

 例えば会津の『白虎隊』。

 例えば薩摩の『私学校』。

 特に白虎隊悲劇は端的に痛ましい事件で、そこに美を感じるのは間違っている。

 時代は違うし主人公おっちゃんたちだが……『忠臣蔵』も【悲壮がり】な話だ。

 あの時代になんJがあったら『くっさ』の一言で済まされかねない。

 では、どうあるべきか?

 白いモビルスーツにはルパンを乗せるべきだ。

 コブラを乗せるべきだ。

 デビルメイクライダンテを乗せるべきだ。

おっさんやん!』というのなら、じゃりん子のチエちゃんをもうちょい成長させて乗せるべきだ。

 本当は鑑別所時代テツを乗せたいところだが。

 全然違うアニメになる?

 全然違うアニメになるべきだ。

悲壮がったら負け】なのだ旧日本軍のように。

 なのにこの国で刺さるコンテンツは【悲壮がり】だらけ。しかもそれで勝ったり生き延びたり、挙げ句ただようハッピーエンド感。

 名づけるなら【悲壮ハッピー】。

 これ系のフィクションを喜んでるうちはなかなか……人間色々としんどいんじゃないだろうか。

 くり返しになるが、現実悲壮になった時点でほぼ負け確なのだから

2018-09-03

anond:20180829102605

アニメ見てる。原作未読。アニメの後半辺りからサイコホラーみたいになってて、おいおいって思った。ハッピーシュガーライフかよ。原作は違う感じなの?

2018-09-02

ブタドン

北海道で食った豚丼は美味かったな。

ビール飲んで豚丼かっこむ。

少しハッピーだった。

2018-09-01

anond:20180901162040

ホントいつも思うけど、日本語ありがとうコスパ良すぎ。

この一言だけで多くの人をハッピーにできる。

からわずにいられない。

2018-08-29

anond:20180829173000

実際さっくりできる友達がいるととても人生ハッピーになるよ。

2018-08-28

匿名の場では匿名グループとしてバランスとるべきだと思う

anond:20180827202104

 不謹慎話題しろハッピー話題しろケチつける話題しろ

匿名の場で(匿名じゃなくてもネットは気をつけるべきな気がするが)

同じ意見で埋まったら強烈な流れになるけど

 

果たしてそこまで強烈に感情が動いているかというとそれも嘘くさい

せいぜい俺は個人的にはこんな考えもあるよ程度じゃないか

それが10も集まると何にしても気持ち悪い感情の渦になる

 

オリジナリティを出そうと周りと同じうがった意見を書き込むくらいなら

それまでの意見をきちんと読み込んでバランスを調整する書き込みをした方がいいと思う

と思うのは如何に俺は個性的な考えをもっているぜ風なおんなじ意見をよく見るからかな

そんな滑稽な書き込みするくらいなら如何に一般人ぽい書き込みをする方がまだマシだろう

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