はてなキーワード: オサレとは
現ユーザー。
まあ増田のいうことはその通り。
都心部(飯田橋とか)でも故障して2か月放置だし、たいして清掃していないし。
・たくさん数がある
山手線内ムッチャ店舗ある。その結果、あんまり混まないorこんでいるときには隣の店舗にあるけばいい
・着替えなくていい
これが最大のメリット。5分だけやって出るってのが気軽にできる。
今クッソ暑いので、2種類筋トレしてストレッチして、次の店舗まで歩く、というウォーキングが捗る
誰ともしゃべらなくていい。いやほんとコレ凄い。
・負荷がムッチャ軽い
HIITが効くことはわかったが、クッソしんどいこと続けられないよ。
筋肉全くない状態で超軽量から始めて、軽量15回1セットを週4回している。
10か月で今まで一回もできなかった懸垂が3回できるようになった。ビビる。
継続は力なり。
筋トレ ガチ勢の言うこと聞くと100の効果があって 軽負荷だったら10しか筋肉つかないかもしれない。でも0よりははるかにいいんだよ。
チョコザップはフィットネスジムではない。クーラー効いた公園筋トレと考えたほうがいいぞ。公園汚れていてもそれほど気にならんだろ
とりあえず椎名町を通過する定期持っているのなら入るべき。
チョコザップ←→五色湯(オサレ銭湯、外気浴)、妙法湯(炭酸泉)の組み合わせが最強
麻布十番も
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
ポリコレ叩いてる連中って映画見てもいないし下手すりゃ公開前から叩いてるから
叩かれるかどうかにオサレかどうかなんか一切関係なく、ただ(そういう連中が存在知ってて話題に出すくらいの)話題作かどうかってだけだと思うよ
アマプラで配信されてるグッド・オーメンズってドラマを見てるんだけど
このドラマって主要人物に黒人や中年女性がかなり多かったり、女性同士の同性愛が何の説明もなくごく普通に出てきたり
神の声も女性だったりして、かなり「ポリコレ」に寄った作品ではあるんだよね
(天使や悪魔に関しては性別がないって設定らしいけれど、それでも見た目の人種や性別はかなり多様)
こう思うのって全体の雰囲気がオサレだからかなー、と思う。このドラマはファッションや背景美術、音楽、台詞運びなどがとにかくオサレ。
太った白人女性とドレッドの黒人女性のカップルも、悪魔がグラサンしてたり天使が蝶ネクタイだったりするのと同じように単なるキャラデザのバリエーションとしか思わなくて
ディズニー映画のストレンジ・ワールドはポリコレって言われて叩かれていたけれど(映画自体は観てない)、
特に意味もない「ポリコレ」でも、全体的な雰囲気がオサレにまとまっていればそういう世界観として違和感なく楽しめる気がする。
・天候が抜群にいい
私の地元の長野市は新潟から雪雲が山を越えてきて結構雪が多い(雨も)
上田から東の東信地域はそこからさらに高い山が一つ壁になっていて雨雲を防いでくれる
雪は降ってもほとんど積もらない みんなスタッドレスはいてるけど場合によっては要らない年もあるくらい
夏も日陰はまあ涼しいし夜も涼しく少し窓を開けていればエアコンいらず(全県共通)
・文化
これは異論
町全体が文化でできているといっても過言ではない
・その他上田市について
いい病院が少ない、教育レベルは低そう、関西方面へはアクセス悪い、渋滞に悩まされることがあまりない(他二都市比)
三つ住んだ自分としては年取ったらちょうどいい都市だと感じている
所々圧を感じた
・BLドラマCDのご先祖様のBLドラマカセットテープを生で見れて感動した
・JUNEが今のBL文化の始祖とか角川が0年代BLブイブイやってたのは認識していたがどういう流れでそうなったのか知れてほぇ〜ってなった
雑誌JUNEでやってた中島梓さんの投稿小説添削コーナが人気だったから本出そうってなったけどJUNE出版社は雑誌の書籍化しない会社だったから中島梓さんが他社に作家さんを紹介して他社で本を出すってなってその中でも特に意欲的だったのが角川+一社あって
角川はスニーカー文庫から出してたけど後にルビー文庫としてレーベルができたと
しかし指揮者とコンダクターがバチバチだと周りの演奏者気まずい 昔のやおいは今のコンプラ・価値観で見たらアッってなるところがあるんじゃ しかし好き
・関係者様のJUNEから学園ものへの移り変わりへのインタビュー、面白かった 耽美は芸術でそこから芸術減らしてエンタメ比重多くしたのがBLみたいなやつも
・コミケジャンル変遷グラフ動画、ジャンル諸行無常の風情を感じた 同人女の萌と感情を燃料に回り続けるエンジンや しかし令和にスラダンが流行ジャンルになったりこれだからやめられねえぜ
やおいレディ達の話す「同人から商業移行した作家あるある」とか
50代位のマダムのが話してた「昔は漫画大好きで読んでたけど思春期になると段々表立って好きなものについて意思表示するのが恥ずかしくなった 当時クラスに表立ってオタクやってる子達はいて少しあれだったけど今みると彼女たちは好きなものを楽しくやってて素敵なことだったんだろうな」という話とか60か70代のマダムの「小学校の頃にパタリロ読んでた」とか
展覧会しゃないけど本棚プロジェクションマッピングもオサレでよかった 本燃やす演出で「え、ええんか!?」ってなったけど「ま、まあ大切なのは物質自体の本ではなく本を読んだ人が受け取ったメッセージだから…!」と切り消えて楽しませて頂いた
建物でっけえ!
・ネット情報から「このババア、ナニかある!」(cv立木文彦)って聞いてたからライフイズビューティフルの皮を被ったヤバいマダムを乗せちまったタクシードライバーサスペンスを期待してたらストレートなライフイズビューティフルものだった…
・ライフ(DV夫のナニは焼きムショに入れら息子は生育環境から戦場カメラマンになり亡くなる)やった
・マダム、もっと裏社会のドンだった的なヤバさを期待していたが真っ当なフェミニズムマダムだった
・要所要所の音楽がとてもいい
特にOPのトランペットメインの音楽良すぎて「音楽映画か?」ってなった 良すぎてブルージャイアント思い出した
・ひねくれてるから「老人ホームに入るって悲観的やけどこんな入居費高そうな個室オサレ老人ホームに入れるって相当やんけ…」ってなった これは創作物に出てくる老人ホームに対して思いがち感想
・ハートフルで普通にいい話だしなんだかんだ泣いたけどたまに倫理観の違いで「…?」ってなる時があった(一通の道で車停めて後ろの車をせき止めるとことかあのディナーシーンでドライバーが飲んでるのは…ノンアル…だよね…?とか)
・最強のふたりでもみた警察検閲をスルーするやつだ!あの警察のお姉さんと二人だけで会話させてのシーン、「ついに裏社会のドンの凄みをチラつかせるシーンか…?!」と思ってたけど違った
・駐在先の10代の少女に手を出し孕まして帰国して山のように手紙に一通だけ「結婚したわ」の兵隊さんクズすぎやろ
いやでもそういう時代やったんやろうしマダムのなかでいい思い出としてしまってあるならまあ…
確実に泣かせにくる