はてなキーワード: エラいとは
そらのやえがみやメガネのあれは
正史として「炎上マーケティング失敗例」みたいに記録されてるけど全然そんなんじゃない。
追及した側もされた側も一致であれは炎上マーケティングだった、ということに「してしまった」だけ。
追及する側がなんでそうしたのかって言うと
そらの一味の悪質さをまとめやすくて宣伝しやすいのがその説明だったから。
そらの一味がなんでその間違ったレッテルを受け入れたかって言うとチャチなプライドで初動を誤ったから。
えがみやめがねを心の無い守銭奴モンスターみたいに言ってる人が結構居たけど実態は全然そんなこと無くて
彼等二人とも「面白い人でありたい」「面白い人として一目置かれたい」みたいな自己実現欲求はすげえ強かった。
彼らがなんとかタイムズで目立ちたがり的アクションをするとき、半分はカネやPV目的でも
もう半分は真面目に「これならどうだ、面白いでしょ」って真面目だった。
でもその度に「くそつまんねえ」「スパムやめろカス」っていう心無い罵倒を浴びて、
「真剣に面白がってもらおうと思って駄目だっただけなんです」とか真面目に釈明するより
「はいそうです金目当ての炎上マーケットですよ!ばれたかー!」って言う方が彼等としてはプライドを守れた。
「ひどい喧嘩でPV稼ぐ」っていう炎上マーケティングの一環として処理されちゃったけど、ちょっと考えて欲しい。
別に悪口じゃないが、フランチェスコさんってそこまで有名人か?
割り切って喧嘩に巻き込んで炎上PV稼ぎするならもっといくらでもネームバリューのある人はいる。
つまりあれは「意図的な炎上狙い」とか「PV狙い」とかじゃなくて
本気でカッとなってああやってただけで、
そらののとこに持ち込んだのも単に引っ込みが付かなくなっての流れの上のこと。
発端やりとりだけ抜き出すと
メガネのフランチェスコへの絡み方が唐突過ぎると言うか脈絡不明すぎて
「喧嘩を売るために喧嘩を売った」ように見られたんだけど、実は全然違う。
あのときフランチェスコは「裏を取るのはライターとして当然(もううろおぼえ)」みたいな自分の仕事関連の呟きをしてたんだけど
メガネはその数日前にソースが無茶苦茶なフカシ記事書いて壮絶に突っ込まれて何回目かのプチ炎上してたのね。
だからメガネの中では数日前から一続きのアクションだったわけあれは。
「わざとクソみたいな記事や内容の無い記事ばっかり書いてる」
みたいに言われてたけど酷い誤解で、
当人はいたって本気で記事を書いてるだけだった。
その証拠に
記事が心無いモヒカンに突っ込まれまくってズタボロプチ炎上するたびに
相手論陣の中で一番頭や口喧嘩の弱そうな相手をtwitterから探し出して
そいつだけを脅したり問い詰めたりして謝らせて
「一勝一敗」みたいな格好を作るのがメガネの恒例行事になってた。
数日前の「ソースでたらめなクソ記事書きやがって」っていう袋叩きの心の傷が癒えてなかった。
だからちょうどソース主義者の中で気や喧嘩が弱そうな奴をtwitterで探してたんだと思う。
パッと見で「女→気が弱い→ちょっと脅せば泣きが入る」っていう雑な計算が組みあがっちゃった。
あのアイコンをよく見ればコワい面構えとか謎の斜め上見ポーズとか、ヤバい相手なのが察知出来ると思うんだけど
彼はそういう細かい神経が絶望的に発達してない人だった、面白くない記事量産からもわかるとおり。
「あれ、これはおかしい」「チョロい女でも若い女でもない」と気付いたっぽい反応をしてて
戦線撤収に動き出す速度は遅くなかったんだけど
彼のフォロワーや友人は「強いメガネさん」という虚像のフォロワーなので
「あの喧嘩広げましょうよ」みたいなストリーム放送出演の誘いを断れなかったんでしょう。
そらのもあんなのがPVになるとの計算でメガネに話振ったんじゃなくて
「付き合いのあるメガネさんが無名の女に生意気な口答えされてるからお手伝いしてポイント稼ごう」ってだけだった。
で、ああなるともう一味全体として、
プライドや虚像を保つためには「PV狙いの炎上マーケットだった」ってストーリーを受け入れるしかなかった。
「小さいプライドのために喧嘩吹っかけて相手間違えてエラい事になりました」はそれよりずっとかっこ悪いから。
http://anond.hatelabo.jp/20120521121033
長くなったけど、
万が一迂遠なそらの一味擁護みたいに機能してもあほらしいと思って当時は書けなかった。
自分から炎上マーケですなんて言うのは大抵プライドや意地で言ってるのばっか。
家入一味だって別に炎上で稼ごうと思ってたわけじゃなくて感情的になってる(or親分をフォローして点数稼ぎしようとしてる)だけ。
声優の明坂聡美さん、一部フォロワーに苦言「一生懸命作った作品を見てない事を返信してくるのはどうかと」 : はちま起稿
http://blog.esuteru.com/archives/5621373.html
畑亜貴さん『アイドルマスター』用に書き下ろした楽曲タイトルをメーカーに勝手に変更され、Twitterで激怒|やらおん!
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-6169.html
最近目に付いた2件。共通するのは「俺(達)の気持ちを考えろ」というクリエイターの怒り。
これらへの反応は賛否両論ある感じだが、興味のない人は反応しないので、反応してるのは大抵信者かアンチ。まともと思われる意見は殆ど見られない。それに加えて一般消費者ではクリエイターの気持ちや事情がわからないため、的を大きく外している言論が殆ど。
まあそのことはどうでもよく、俺が気になっているのは「クリエイターの怒り」について。これは「クリエイターの思い上がり」から来るものではないかと。
クリエイターという職業は「なるのに努力と才能が必要」「なれる人の数が少ない」「信者がつく」などの要素があるためか、「クリエイターは偉い、俺は偉い」と勘違いする人が後を絶たない、気がする。
明坂さんにしても畑さんにしても今回の根本にあるのは「俺らが苦労して作ったものに敬意を払え、気を遣え」という主張である。これは本人達にとってはもちろんその通りであろうが、それをさも当然のこととし公衆に発信してどうすんだよ。非常に大人気ない、頭が悪いと感じる。
お前らが苦労したから尊いのか?違うだろ、価値は受け手が決めるものであり、世間が判断するものだ。クリエイターの自己満なんかはどうでもよく、世の中に需要があるものを作れたかどうかで、仕事が判断されるのだ。
ライブに行かない、作品を見ないというのは人々にとってそれだけの価値がないからだ。注いだ心血は、少なくとも直接的には関係がない。
タイトルが変えられたのはクライアントが元のタイトルに満足しなかったからだ。相手の望みにかなう納品をすることができなかったのだ。
(ちなみに後者については著作者人格権の同一性保持権の存在によりバンナムがアウト、という中途半端な知識による見解がコメントなどで見られるが、通常買い取り契約では「著作者人格権は行使しない」の一文が添えられていることが多く、もしそうであれば改変は法的に問題ない。通達すべきであるというのはまた別の話)
そもそもクリエイターとは通常、娯楽に関する商品を作る人のことである。娯楽とは、それと同じものがなくても死ぬことはない。現代社会において第一次、第二次産業に従事する人の割合は少なく、殆どの人は「生きるのに不要なサービス」を作ったり売ることで生計を立てている。つまり自分の特技を生かして「好きなこと」をして食ってるクリエイターという職業は、世の中の豊かさを享受することで初めて成り立っている余計な職業なのである。偉くなんかない、むしろ世間に食わしてもらっている立場だ。最近話題になった、自炊に反対する漫画家集団なんかもそうだが、お前らが勝手に作ったものがお前らの望み通りに消費されないからと言って、世間に対して堂々と怒るのは可笑しく、恥ずかしいことだ。作った者としては当然の感情だが、開き直ってさらけ出すべきものとは思えない。
クリエイターは自分の狭い視点以外で、自分の仕事についてよく考えてみるべきだと思う。俺自身もクリエイターとしてそう思う。
文筆は本業ではないので、乱文失礼した。
『司会を務めさせていただきます』
『発表させていただきます』
『書かせていただきます』
『販売させていただきます』
『消灯させていただきます』
『発車させていただきます』
『開催させていただきます』
とか、そんなに謙遜してどうするのっていうくらい、オトナのしゃべる語尾に、『させていただきます』が当たり前のようにつくようになって久しい。謙遜というか卑下というか、とにかく自分をおとしめすぎててきもちわるい。これは文法的な話じゃなくて感覚的な話ね。もっとドシッと構えてスマートに振る舞えないのかなってその言葉に触れるたびに思う。
もちろんそれが正しいときもあるよ、『本当はダメだったことを許可を得て』させてもらうときとかね。逆にいえば、そういうニュアンスではないときは使わないほうがスマートだと思うの。
それなのに、たとえば電車のアナウンスで『ドアを閉めさせていただきます』とか、『発車させていただきます』とか。
こっちはただのサービスの享受者なんですよ、サービスの提供者がそうするといったらそれに従うんですよ、どうぞお好きなタイミングで閉めてください、発車してくださいよ、そんなへりくだらないでくださいよ、って思う。
あっちの提供するサービスに対して、それ相応の対価を払ってそれを享受するのがビジネスってもんでしょ。だからこっちは支払った対価以上の質を求めちゃいけないでしょ。ドアを閉めるタイミングとか発車するタイミングとか、そっちが決めることでしょ。こっちはそれに従うのが当たり前でしょ。それをなぜ『お客様が閉めてはいけないとおっしゃるところ私どもの勝手でたいへん申し訳ありませんが閉めさせていただきます』みたいなニュアンスでアナウンスするの。駅員さんはもっとエラくていいはずでしょ。
たとえばブログのエントリの冒頭に『~について書かせていただきます』とか。こっちは読み手なんですよ、書き手は書きたいことを勝手に書いてくださいよ、読む読まないはこっちが勝手にしますから、って思う。読みたいものを読むだけなんだから、書きたいことを書けば良いでしょ。それをなぜ『読者の皆さまがこのような内容は書いてはならぬとお考えなのは承知しておりますがこの件だけは書かせていただきたい』みたいなニュアンスで書きだすの。おかしい。書き手さんはもっとエラくていいはずでしょ。
基本的に『させていただく』っていうのは、冒頭でも書いたけど、
状態で使うべきもので、そうじゃないシーンで無意味に使っても、私はそれをとてもしらじらしく思う。本心でいつも上に書いたような状況だと思っているのならそれはそれで状況の把握ができてなくておかしいし、とりあえずへりくだっておけばいいやみたいな意識の伴わない口癖として出てるだけならそんな余計なポーズはきもちわるくておかしい。必要以上の謙遜とか卑下は滅んでいい。
サービスの提供者がいて、享受者がいる。その間って必ず何らかの等価交換(金銭なり情報なり行為なり)があって、だからそうである以上両者の関係って、少なくとも『対等』のはず。何を間違っても、『享受者のほうがエラい』なんていう関係にはなりえない。
このあたり、どうも『享受者のほうがエラい』思考が、享受者側に蔓延してるような気もするんだよね最近。『お客様は神様だ』って、お客様側が言ってどうするのよっていう話。で、サービスの提供者は提供者で、享受者側のそういう風潮を汲んで、とりあえずへりくだっておけば文句ないだろみたいな空気だすの。なんだかなー。
もうちょっとね、サービスの提供者側はね、もっとエラそうにどしっと構えていいと思いますよ。そして自分が提供者側になったら、『~させていただきます』じゃなくて、『~いたします』ってしゃべりたいですね。
とはいえ、『させていただきます』って言っておかないと怒るエラいひともいるんだろうなーと思う。ポーズだけでも取っておかないとうまくいかないことがあるのが、オトナの世界のいやらしい話。めんどくさいですね。
なんで興味がないかって言うと、「今の日本」では誰が総理大臣になろうが何も変わらんと思っているからです。
なんで「今の日本」っていう言い方してるかというと、私は今の国の状態ってのが別に政治家のせいだとは思ってないからです。
※ ※ ※
私は人間って生き物は基本「自分が一番かわいい生き物」だと思ってます。それは政治家も国民も変わりません。
で、政治家ってのはうかつな言葉を発したり、キャバクラ行ったところをマスコミに写真とられたりしたらめちゃくちゃ叩かれますよね。
要するに揚げ足とられるし、監視されてるしで、非常に不自由なんですねあのエラい人達は。
あなた、自分の言うことすぐ揚げ足とったり、キャバクラいったら文句言うヤツと友達になれますか?
別に法律違反してるわけじゃないのに、ちょっと刺激的なこと言ったらグダグダ言われ、仙人のような行動を強要してくるヤツ。
オレならそんなヤツ絶対友達なれません。むしろ超うぜえと思う。てめえはオレの親かこのボケがってなるよ。
自分らは平民だから何したって何言ったって自由だけど、お前らは国のリーダーなんだから聖人君子でいやがれっていう存在。
当然ヘタな事言ったら揚げ足とられるから言葉を選びまくるよね。だから政治家の会見って「あー」とか「おー」とか言いながら、
なんか当たり障りのないこといって「まことに遺憾であります」とかで終わるのばっかでしょ。
気付いたかな? 政治家がめっちゃ口汚く過激な発言するときって、決まって今やってる不信任案の討論みたいに「対象が特定の
政治家あるいは政党」に限定してるとき、つまり自分らの身内に対してだけなのよ。
すごいでしょ今日の管首相への言い草とか、下町の酒場でこんな言いあいしたら絶対殴り合いになりそうな勢いよ。
ぶっちゃけこの過激な討論そのものが、オレには政治家の世論をえるために自分らをいかにも人間くさくみせるパフォーマンスにしか
見えないのよね。こんだけ身内には罵詈雑言吐けるのにそれ以外ではいつもあーとかうーとか言ってるわけだから。
つまり政治家は国民のためにうんぬんなんて最初から考えちゃいないと思うのよ。
なんで自分のことは棚に上げて要求ばっかりしてくるヤツのために何かしなくちゃならんのよ。あなただったらそんなヤツのために働くか?
だからオレは政治に興味がない。その一番の理由は政治家と国民がお互いにお互いをどうでもよくしちゃってるから。
じゃあどうすりゃよくなるのか。これははっきりいって「国民側」が基本意識を変えなくちゃいけないと思う。
別に過激なこと言ったっていいじゃない、ちゃんと言ったことを実行してくれるなら。
別にキャバクラ行ったっていいじゃない、ちゃんと仕事してくれるなら。
日本をうまく操縦してくれるなら、些細なことはどうだっていい。離陸してまだ安定しないうちからケチつけてすぐ辞職だなんだと騒ぐから、
国はいつまでたっても安定しないんだよ。それはなんちゃない、国民意識がそういう風になっちゃってるからだと思う。
政治家だって人間なんよ。国民と同じ。彼らだってオレら平民と同じように無責任なこと言いたいし、ハメはずして遊びたいんだよ本当は。
オレもお前も 私もあなたも 吾輩も貴様も わらわもそなたも 皆同じ人間なんだってば。
その辺をまず国民が理解した上で、くだらないことにこだわる前に「やるべきことをやっているかどうか」にのみ注目するようになれば、
おのずと政治家も国民に心を開いて政治と国民が本当の意味で一体となって国をよくすることができるでしょう。
そういう態勢が今の日本じゃ望むべくもないから興味がわいてこないってわけなのですね。
今の日本じゃ、本当に変えたいと思ったら自分が超エラくなって自分で国を変える力を持つしかないもの。
でもそんなん無理だから、オレは国に対してなんも求めない。自分で変えようって努力もできねえのに、要求ばっかするのはカッコ悪いと
思うから。もちろん税金たくさんとられたら、「日本め!」とか思うこともあるけど、しょうがないよね国民なんだから。
もし今の国に文句があるならさ、お前が変えてみせれよ。それができねえなら、黙れ。
それもできないなら、国民意識を変えていくために、政治と国民を本当の意味で一体化させるためには何をすればいいか考えようよ。
まあ今回書いたのはあくまでオレ個人がそう思ってるってだけなんで、そんなわけねえだろアホか死ねとかいろいろあると思います。
とりあえず今の政治討論とかいつ見ても劇団ひまわりにしか見えん。
誰かこういうの得意な人、本当の意味で国がよくなるためにはどうすればいいのか語ってくれw
今私は、鬱状態で仕事を休んでいる。フリーランスのアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。
カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。
面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真をphotoshopで10分ほどやっつけでコラした絵をPixivに投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ。
http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg
で、私の意見。
これ、日本の芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。
まずマーケット。
これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるから、お金にしなくちゃいけない。
で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。
そのために役にたつのが権威(power)。カオスラウンジは村上隆と美術手帖がそのicon。
私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。
村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?
本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験の意味は?
美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクストが脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本のマーケットで権威もっちゃったんだから。
僕は90年代に青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。
日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学の先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。
もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。
今自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?
日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…
僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分のフィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。
yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分の意見が先にくるんだよ。
例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。
日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。
全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。
この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。
http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625
端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。
同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。
でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?
例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。
やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。
ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。
で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ。
ネットのオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。
一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。
みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。
世の中の多くの人たちが、文化については保守的。日本をみたら、なんで演歌や歌謡曲が未だに紅白で重要な立ち位置を持っているかということ。
そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通の芸術家でないの?
少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。
あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。
炎上したから?ビジネス・パートナーが予定していた商品をキャンセルしたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?
本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。
この謝罪、カッコワルイよ。
たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。
で、彼らがここまでやってこれたのが、日本の芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。
「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine artの伝統の不在が起因なんだろうけど。
自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?
タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?
酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。
http://anond.hatelabo.jp/20110529233312 からの続きになります。
また、同じ順番の中で、本質的に順位の上下があったり、どこかの順位の人と別の順位の人が入れ替わることもないと言うイメージです。
※たとえば、受験生の間でカリスマとあがめ奉られているような方がいたとして、その方の仰ることが合格者より正しいかというと・・・かなり微妙なのではないでしょうか。
まず、試験委員の先生と採点者の方が、試験のことを教えてくれるはずがありません。
となると、受験生が教えを請うべき相手は、講師の先生か合格者のいずれかとなります。
そして、興味のあること、得意なことばかりをやりたがるようになります。
ですが、残念ながら、試験範囲を決めるのは受験生ではなく、試験委員の先生です。
たとえば私がミニマックス理論だけではなく、マキシマックス理論という(講義では取り上げられていない)手法をどれだけ上手に使いこなせたとしても、本試験では一点もプラスされません。
試験対策としてマキシマックス理論を勉強すべきかどうかを決めるのは試験委員の先生であって、二番目の採点者が何も教えてくれないのですから、講師の先生かその次の合格者の方にアドバイスを求めるしかない。
受験生が自分で勝手にマキシマックス理論を極めるぜ!と意気込んでも時間の無駄です。
何を勉強して、何を勉強すべきではないか。それを受験生自身が勝手に決めるのは危険です。講師の先生に個別に判断を仰ぐのが、現状最も安全な方法です。
少なくとも合格者であれば、深く掘り下げて勉強すべきポイントと、さらっと流すポイント、一切手をつけるべきではないポイントはご存じのはずです(そうでなければ試験をパスできないからです)。
合格者未満の人間は、勉強に費やした時間がどうあれ、「合格したか否か」という点で、合格者の方とは決定的な違いがあって、この違いを乗り越えるためには自分自身も合格者になる以外方法はありません。
ここで問題となるのは、個別論点をピンポイントで取り上げる勉強会のリスク項目です。
二番目のリスクについては、個々人で気付くことができるのでさほどインパクトはありません。
最初のリスクは、講師の先生か、少なくとも合格者の方に判断を仰ぐ必要があります。
最後のリスクは、参加者の間で不公平感を生むと言う意味でもっとも回避すべきリスクと言えます。グループ学習は、特定の参加者に不満が残るような形が一番悪いパターンと言えます。
というわけで、今回のように学習進度が不明な人を巻き込む勉強会では、ざっくばらんなディスカッションを中心にすることがもっとも高い効用を生むと考えられます。
ですが。
初対面の人間とスムーズにディスカッションできるというのは、とんでもなくコミュニケーションスキルの高い人です。
そもそも参加者全員がそのような人であることを前提にするのは合理的ではありません。
ならば、どのように対処すべきか。
一つのアイデアとして、「体験を共有する」という方法があります。
具体的には、前回の案の中では運営管理の問題に取り組むという方向性を提示していますが、問題を解く→答え合わせをする、という体験を共有することで、コミュニケーションを取りやすくするということです。狙いは、限られた時間の中で費用対効果を考慮しつつ「アイスブレーキング」を図ることです。
勉強会を通じて行いたいのは、おおむね以下のようなイメージです。
勉強の思いっきり先に進んでいる人に、その人なりのやり方や工夫を聞いてみるというのも有効かと思います。
最終的には、そのやり方や工夫を自分の中で咀嚼して、講師の先生や合格者の方のアドバイスを元に自分にあった形にアレンジしなければならないのですが。
うーん。
元増田の記事をもっかい読みなおしたが、それ、皮肉なのかなぁ。
そもそもまぁ元増田の文は例文だろうから、不毛な議論だけどさ。
「今日はちょっと感動したなぁ。バスで老人に席を譲ってる幼稚園児を見たんだよね。しっかりしてるよね。」って話は
「私は今日、バスに乗ってる時に、幼稚園児が老人に席を譲っていたのを目撃して感動した。」って話ですよ。
主題は最後の一文の「しっかりしてるよね。」から読み取るに、幼稚園児のような小さい子が社会常識をしっかりもっててエラいね!って話。
なんでこれがわかんないかなぁ。
「幼稚園児ひとりでバスに乗せる親ひどい!」「おまえが譲れアホ」とかでもうんざりするのに、
もうわけわかんないヒトになると
「しっかりしてるかどうかはお前次第。」とか言ってくる。
難解すぎて困る。
え????しっかりしてるって思ったのは私ですけど、対象は幼稚園児ですよ?私次第???
あー、お前がどう思おうがしったこっちゃない。お前がそう思ったならそうなんだろ?ってことかな?
って思ってレスすると
元増田の最初の文章に対するレスが「しっかりしてるかどうかはお前次第。」ってレスで、これって皮肉なの?
おれは多分元増田と同じように「あーこいつ話通じてないわ」って思うわ。
読解力厨はうざいけど、たしかにちょっと読解力に難ありのおかしなやつ多いなぁ。
なんなんだろ。
どんだけ文法崩してもある程度通じるのが日本語のはずなんだけどなぁ。
まず主題が何かってのがさっぱりわかってない。
それさえわかってりゃ答えが間違えててもいいんだけど、それすらわかってない奴が散見される。
「今日はちょっと感動したなぁ。バスで老人に席を譲ってる幼稚園児を見たんだよね。しっかりしてるよね。」って話は
「私は今日、バスに乗ってる時に、幼稚園児が老人に席を譲っていたのを目撃して感動した。」って話ですよ。
主題は最後の一文の「しっかりしてるよね。」から読み取るに、幼稚園児のような小さい子が社会常識をしっかりもっててエラいね!って話。
なんでこれがわかんないかなぁ。
「幼稚園児ひとりでバスに乗せる親ひどい!」「おまえが譲れアホ」とかでもうんざりするのに、
もうわけわかんないヒトになると
「しっかりしてるかどうかはお前次第。」とか言ってくる。
難解すぎて困る。
え????しっかりしてるって思ったのは私ですけど、対象は幼稚園児ですよ?私次第???
あー、お前がどう思おうがしったこっちゃない。お前がそう思ったならそうなんだろ?ってことかな?
って思ってレスすると
「違う。アホ。お前がしっかりしてれば幼稚園児は老人に席を譲らなくてすんだんだよ!」みたいな答え。
わかる?意味わかる?
こういうの多くない?
これ、なんなの?????
神が我々をお試しになられているのでしょうか。
夫の精神状態がヤバイ。
特に原発関連ニュースを見ては「政府は情報を隠してる!」「もうヤバイ、日本終わりだ!」とかぶつぶつ言ってる。
被災地からは遠い地方に住んでるから、もうちょっと落ち着いててもいいような気がするのに、エラい落ち方をしている。
理系脳で普段はもうちょっと数字とかシステムとか客観的に判断出来る人なのに、今回に限り反応がおかしい。
プチパニックになっていて、「ニュースや政府発表なんて全部ウソだ!」といいつつ毎日テレビとネットにかじりつく。
…自分も昔そうだった。
同年代の夫同様、もっとも教育熱心で洗脳熱心だった日教組教師に反核、反戦、反米をたたき込まれた。
原爆関連の映画とか写真とかドキュメントとか見せられまくり、修学旅行ではお決まりの広島。資料館から出てきたときには立派なPTSD(当時そんな言葉しらなかったし、診断されたわけでもないけど)。
ちょうどそのころ地元も原発建設問題で揺れたり、米ソ冷戦で核戦争間近とか言われたりしてたから、無駄に想像力のたくましかった私なんぞ夜中に窓の外が火の海になる悪夢を何度見た事か。小学生時代に不眠症になり。担任の先生にどうやったら眠れるか相談したりした。今考えると矛盾している気もする。
もういい加減大丈夫になったかと思った高校時代に、やっぱりそっち系の社会科教師に原子力爆弾の威力とかのビデオを鑑賞させられ、一人教室で貧血起こしてぶっ倒れて恥ずかしい思いもした。
あの当時こんな事故が起こってたら、本当に恐怖で心を病んでいたかもしれない。
職業柄(医者だ)いつまでも怖い怖いといってられず、勉強して知識もある程度身につけ、仕事で普通に放射線扱うようになって私の場合は「放射能怖い」は自然にある程度は克服されたんだけど。知識が付いた分、そして夫が先にパニクった分、ある程度客観的に情報収集できている気がするけど。
大災害なんてそれが自然災害だろうと人災だろうと防ぎきれるもんじゃない。
孫を抱えて地震倒壊家屋から逃げ出したおばあさんが、向こうから迫り来る津波を絶望的に眺めたのと同様、私達が精神に異常をきたしかねないほどニュースを見て原発の事を心配しても、現時点で私達がそれに対して出来る事なんてほとんどない。何かあったらあったときにその対策を考えるのが関の山で、先回りして心配しても心を病むぐらいで良い事は一つもないんだよ。
バレンタインデーの日の朝、母親がニッコリと笑いながら、「もしチョコをもらったらこの中に入れて帰りなさい」と言って、紙袋を俺に見せた。
俺は「どうせもらえないからいいよ」と母親に言ったが、「◯◯ちゃん(俺の名前)はカッコいいからたくさんもらえるよ!」と言って自信ありげに俺に紙袋を持たせたので、俺は紙袋を持って登校することにした。
やっぱりチョコは一つももらえなかった。
下校時、俺は母親からもらった紙袋を無駄にしてはいけないと思い、家に帰るまでに道端に落ちていたゴミを拾って、紙袋に入れて帰った。
家に帰り着くと、玄関先で母親が笑顔で出迎えてくれた。俺は「もらえなかったよ」と言って、ゴミの入った紙袋を母親に見せた。
すると母親は、「◯◯ちゃんはエラいね。いつかチョコもらえると思うよ」と言うと、涙をポロポロと流し始めた。
俺もその姿を見て泣いてしまった。
それから約20年が経つ。
俺はいまだにチョコをもらったことがない。
成績のいいやつとか、文章が書けるやつが、賢いわけではない。DQN でもヤンキーでも賢いやつはいる。私は大学の教員で、入試の偏差値の低い集団と高い集団を教えてるが、偏差値が高い集団の教えるほうが苦痛だ。個人的な趣味の問題も大きいけど、学校でイイ子ちゃんできる奴の一部はアホであるからイイ子ちゃんできている部分があるように感じる。ようするに鈍感なゆえにイイ子ちゃんだったりする気がする。もちろん、アホだからDQNやっているやつもいるだろう。要は成績がいいとか、文章がかけるとか、そんなもんはアホかどうかの、すくなくとも厳密な指標にはならんだろう。(私もアホなんで、アホの定義なしに、アホについての話をしているわけだが)
私は大学の教員なんかやっていて、偏差値の低い連中にはとっても頭のいい人間と思われているようだが、実は自分の頭の出来についてはコンプレックスの塊だ。私は小学校ではおちこぼれで、中学、高校、大学、大学院のいづれでも、優等生の経験なしに、大学の教員になってしまった。今でも落ちこぼれの研究者だ。教員になれたのは、実績がないのに、なぜかひいきしてくれるエラい人たちにめぐまれたからなのだが、気持としては、教室でイイ子ちゃんしている奴より、DQN のほうに親近感を感じる。
私のように自分の中に DQN を感じているタイプの大学教員はべつに少数でなく、ただ、それのために余計 DQN にきびしくなる人もいたりして、あと、私の場合は、DQN への親近感が逆にDQN的な学生への対応をまずくしている点があったりする。だから、DQN的な学生からはきっと嫌われてんだろうなと思う。
いいたいことは、DQNからみて、「頭のいい人」に見えている人間が、全員あんたらを差別しようとしているわけではなく、なおかつ、うまくやっていこうとしても、うまくやれないことに悩んでたりすることはちょっと知っていてくれるとうれしい。それに免じて、普段、傷つけていることを許してもらえたらとか、甘えたことを思ったりする。
http://anond.hatelabo.jp/20100106225709
>あと、大学って研究機関でもあるんだろうけど、教育機関なんだから、バカを落とすなよ、と、最後に低偏差値低学歴低IQのマスダは思います。
基本的にバカを落すのは本来、バカを賢くするためのものだ。本当にバカなら、落して、もう一度勉強させて、賢くするのが愛情だろう。本音をいえば、もっともっとバカを落したい。
でもそれができないのは、成績バカが人間としてのバカのレッテルになってしまうことだ。勉強ができないことが、納豆が食べられない程度のこととして、社会がうけとめれくれるのなら(実際、その程度のもんだ。勉強なんて)、もっと学生ともフランクに勉強のことが話せるし、純粋に勉強の出来、不出来で成績をつけれる。だが、学生のプライドとか、進路のこととか、気にして成績をつけざるをえない。
世間がDQN をバカにするのは、私にも、元増田にもどうしようもないことだが、お互いに偏差値なんて、本来、人間の価値とは関係ないのだというあたりまえのことをふまえて、つきあえれば、DQN と「頭のいい」人達ももっとうまくつきあえるんじゃないかと、偏差値コンプレックスの大学教員は思うのだ。
いやもう、ただの愚痴ですよ。
仕事あがって、ない時間やりくりして保護者会の会合に参加した帰り間際の雑談での発言
セレブ(笑)「Aさん(わたし)って、エラいわよねぇ。女手1つで2人のお子さん育てながら、昼間は仕事も頑張って」
わたし「はあ、まあわたしが見れないときは実家で面倒看てもらえてますし、職場も理解があるのでなんとか・・・と言うか、働かないと食べていけませんので」
セレブ(笑)「うちなんか、姑が2人目はまだかなんて言ってくるけど、とてもとても」
B美「あら、セレブ(笑)さんところなんて旦那さんの稼ぎも良いし専業主婦だから、まだ2人目どころか3人目だっていけるんじゃない?」
セレブ(笑)「とんでもない、お稽古事の月謝やお受験の準備と私立行ったときの授業料考えたらとてもとても」
大体、普段から年収自慢してるあんたんところで養育費を理由に子育て大変なんて言われた日には、腸煮えくり返って温泉卵が出来るっての
潤沢な生活費があって身体的な問題も無いのに、夫婦2人掛りで1人しか子育て出来ないなんて、どんだけ欠陥品ですかっての?セレブ(笑)が聞いて呆れるね
それ、あまり気にしなくていいと思うよ。
俺(文系の院生)はこの八年、三行以上のメールをもらった記憶がない。
「なんで私にメールを送るの?」は、
なんぼなんでもひどいと思うけれどさ、たぶん、向こうは覚えてもいないよ。
いじめるほどの価値もない。そんなことして得することひとつもないじゃない?
君に必要なのは、ただ四月からバリバリとがんばることよ。
そのためには、今のうちに十分リラックスする、
できれば周到な準備もする、ただそれだけ。
学問の半分は、人様から教わるわけだから、
随所随所でいろいろな人に助けてもらわなきゃいけない。
人に好かれるようになれば、居心地もよくなる。
勉強も大事だけれど、そっちも忘れないでな。
幸運を祈ります。
なんだかすごい反応があってビックリ。匿名ダイアリーに書くのは2回目なんだけど、1回目のネタ系テキストは見向きもされなかったのに。よそでもブログを何百と書いてるのに超ひっそりだっつうの。いったいどうなってんだっつうの。でも初めて認められた気がしてうれしいです。読んでくれたヒトどうもありがとう。
でもちょっと待ってほしい。オレは病気になって、たまたま運良く治っただけ。1回マイナスになった点棒を、イーブンに持ち直しただけのことなんだよ。実は何もしてないのと同じだとは言えないかい?これはアレだな、手の付けられない不良が、実は捨て猫にミルクあげてたってアレだな。「あいつ・・・///」みたいな。みんな騙されちゃいけないぜ。闘病っつったって薬入れてウンウン唸ってただけ。オレWiiFitやるんだけど、あれの身体水平支持180秒。まじ死ねる。アレのほうがよっぽど「闘う」って感じがする。
本当にエラいのは、病気になったヤツを気にかけてくれる君らなんだって。そいつが元気になるように、お見舞いに行ったり、良い感じのメールをしたりするヤツのほうがよっぽどエラいんだって。医者は病気を治すのが仕事だし、患者もおんなじ。でも周囲のヤツは違う。そいつを元気にするために、無償で、進んで、望んで治療に協力してるんだよ。これってけっこうスゴいことだと思うんだぜ。オレなんかお見舞いに来て貰うのは大好きだけど、行く側って正直すごく苦手だもんよ。なんか辛くて。なんだか見舞う側と見舞われる側で、その辺の上下関係つうか力関係が実際のところは逆転しているような気がするな。なんでだろ?
でも調子に乗って言わせてもらえば、オレが病気になったってことは、病気になってないヒトよりアドバンテージがあるんかなって、以前書いたエントリーの反応を見て思ったね。中2的言い方をすれば、オレは「持つ者」。だから「持たざる者」である君達に、その経験を伝える使命があるのかなって。ナルシストは転んでもタダじゃ起きないぜ。
オレの好きなドラマ「木更津キャッツアイ」。病気になって、あのドラマはまさにオレのバイブルになったね。余命宣告されても前のめりに生きる主人公にまじシビレタね。酒も煙草も止めません。オレは病院の中で10年生きるより、外で普通に3年生きたい。
オレの嫌いなドラマ「セカチュウ」。ちょうど入院中に上映してたんだけど、同じ病室のヤツと言ってたよ、「あんな悲しそうなの観れっかっつーの」って。だから実は食わず嫌いなんだけどね。ああいう映画があるから癌にはマキシマムな悲壮感がカモし出されちゃうんだよなあ。そりゃオレだって観たら絶対泣くっつうの。
確かに愛する人と別れるのは辛いし悲しいと思うよ。だけどオレは敢えて言いたい。悲しむなんて行動は、相手が死んでからでも遅くないだろって。相手と過ごす時間が限られているのならば、悲しんでるヒマなんてないでしょ。そんなことより他にもっとやることがあるはずなんだと思うんだよ。
時間は待ってくれないんだぜ?
村崎 ちなみに死因のひとつと噂されている鎮痛剤の過剰摂取なんだけど、マイケルが打っていたデメロールって鎮痛剤、そんなにヤバイ薬なの?
唐沢 モルヒネと同じオピオイド系の薬だね。モルヒネと同等だから確かに鎮痛効果はあるけど、副作用も山のようにある。まあ、これを投与するような症状はもう末期と思っていいほどに危険なクスリだよ。だからマイケルに投与していた医者が訃報が流れてから雲隠れしちゃったじゃない。
村崎 そんなに鎮痛剤中毒みたいな感じだったのかな?
唐沢 もともと痛みに弱い体質で、ペプシコーラのCM出演時に大火傷して以来、完全に痛み止め依存症みたいになっちゃったらしいね。
村崎 麻酔薬や鎮痛剤って、実は覚せい剤やLSDよりヤバイって話もあるよね。分量間違えるとエラいことになるとかさ?
唐沢 分泌系とか、人間の肉体の微妙なバランスは全て交感神経と副交感神経の交替のバランスで成り立っている。ところが鎮痛剤というのはこのバランスを崩して、常に交感神経緊張状態を作りだすことで痛みを緩和するんだよね。短期間ならいいけど、それを一ヶ月以上の期間にわたって持続させると、肉体にありとあらゆる障害が起こってくる。実は知人にセ×ス常用患者がいたけど、こんな大衆薬だからと油断していて、最後には体ががたがたになってしまった。
村崎 「♪痛くなったらすぐセ×ス」っていうけど、痛くなくても買いに来ちゃうんだな、困ったことに(笑)。
唐沢 血管の収縮が普通の状態になるわけだから、全身に栄養が回らない。長生きできるわけがない。
村崎 マイケルの遺体を解剖したら、お腹には溶けた薬があるだけで、消化された食べ物なんてまったく出てこなかったっていうじゃん。
唐沢 太ることを恐れていたから、もともと小食だっていうよね。それで食うもんも食わずに薬ばっか飲んでたら、そりゃ死ぬよ。
村崎 以前オレの周囲にもメシもろくに食わずに栄養剤ばっか大量に飲んでたような不健康な奴らとかいたけどけさ、みんなもう死人か廃人状態だよ。薬って一般的には、身体の不調を治すべきものっていう良いイメージがあるんだけど。
唐沢 でも、副作用のない薬なんか存在しないからね。どんな自然のものから採った漢方薬でも副作用はあるんだから。人間の身体の自然な作用に対して、外部から不自然に矯正していくわけだから、そりゃ影響は出てくるよ。特にマイケルの場合、たたでさえあれだけ人体改造してると、ね。
村崎 いやあ、とにかくオレはあんなに真っ白い黒人は見たことが無いよ! 病気だか整形だか、どんな理由でああなったか知らないけど、あれだけ目まぐるしく顔の色やカタチが変化したスーパースターはいなかったよね?
唐沢 いまの人体改造技術ってすごいからね。こないだ某有名整形外科の院長先生の腹筋の凄さに感心して、その先生の家人に“よっぽど鍛えているんですね”って言ったら、「いえ、あれは腹筋の形にお腹の脂肪を削っているんです」って(笑)。人間フィギュアだね。
村崎 マイケルにもそういう凄いテクを持った整形外科の先生がついていたはずだと思うんだけどさ、ヤバいと気づいた時点で、誰も注意したりしなかったのかな?
唐沢 いや、これだけのセレブになっちゃうと、自分に都合の悪いことをいうような医者はそばに置きたくなくなるのよ。必要なのは“自分が薬がほしいときに、すぐに投与してくれる”都合のいい医者なのよ。オレの知り合いにも、リタリンをすぐに処方してくれる医者ばかり渡り歩いている奴とか、いるもの。
村崎 なるほど、「良い医者」と「自分に都合の良い医者」は完全に別物だと(笑)。そう考えると、どんなに死ななさそうなセレブでも意外にあっさり逝っちゃう理由もわかる気がするな。そういうのとは関係ないけど、プロレスラーの三沢光晴がいきなり死んだのも(★9)オレ的にはかなりショックでガックリきたよ。別にそんなに大好きってほどのファンじゃなかったけど、何であんなに殺しても死なないようなタフで強靱な肉体の持ち主が、ああもあっさり逝っちゃうのかと……。
唐沢 でも、最近の三沢ってお腹がポッコリ出てきて、レスラーの体形じゃなかったからね。あれ、ノアの社長とか、慣れないビジネスとかやらされて可哀相に、ストレス溜まっていたんじゃないかと思うよ。馬場さん以来の伝統で、全日系は団体のトップが社長も兼ねるっていう流れがあるんだけどさ、本来はレスラーはリングの中だけに集中すればいいんであって、面倒なことは脇の背広組に任せりゃいいんだよ。
■「元の文章が駄目だから読めない方がまともでエラい」は彼らもよく述べる
理屈だが、極端な話、どんな駄文からでも最大限筋をとり論理を汲み取るのが
読解力というものだ。どんな駄文だろうと、「駄文。読めない。ハイ終了」は
言った時点で駄目なのだ。
■長文嫌いを文章の質が悪い所為であると主張する事は幼稚園児でも出来る事だ。
これは本質的に反駁不可能な理由である。なぜなら、文章とは元来読みにくい
ものだからだ。
■だからこそ書き手は分かりやすさに工夫を凝らし、読み手は最大限の注意を
払って意味を汲み取らねばならない。これは文章というものに本質的について
回る苦労なのだ。この苦労を厭うた時点で彼は知という営みから自らを追放
している。
■まあそれは本当に極論ではあるが、簡単な話、彼らは一カ所でも論理を展開
させると読めない。前の行を頭に入れて次の行を読むという程度の事も出来ない。
それでいてすべては長文の書き手が分かりにくい文章を書いたから悪いと主張し、
■彼が何をやったのか? 考える事をあきらめただけである。しかしそれが
クリスマスプレゼントにiPodTouch買ってあげた女友達から東方神起だか
ITリテラシとかそんな高そうに見えないしそうじゃなくても
フツーの女の子にフリーソフトとか携帯動画変換君とかあきらかに
敷居高そうだったから適当に
http://www.magnolia.co.jp/products/utility/tnpod/2/index.htm
でも薦めたっていうか代わりに買っといてあげた(ソフトの費用は
向こう持ちだけど渡すときメシ食ってそんときの金出したから
実質そこで相殺かな)。同じシリーズの奴体験版触ったことあったし
わりと使いやすいと思ったし。
こっからがエラい大変だった。うかつに深夜に「ちゃんと使えてる?」とか
するもんじゃないなー
「変換されたはずの動画がどこに置かれてるの?」とか
「おかれた場所のファイル確認するのどうするの?」とか
こっちも動画ファイルの扱いは少しは分かるけどiPod持ってなくてiTunes素人だし
しょうがないからこっちもiTunes弄っていろいろ試したり確認したりして
その都度電話かけなおして結果教えてあげたり。
ムービーをiTunesのライブラリに登録してiPodと同期取らせても転送されないらしく
「何ー!?」とか思って検索して、動画のプロパティ見た上で「オプション」タグの
「メディアの種類」を「ミュージックビデオ」に変更してやり直したら
やっとこさ転送成功。よくわからんがiPod+iTunesで動画転送ってこんなクソめんどい
使用なのかとか愚痴りたくなるCreativeZENユーザの俺。
いやー、エラい疲れた。PCの使い方のレクチャーなんて安請け合いするもんじゃないね。
分かってないはずでもないのにな。
普段はてブブクマ米でとってた「おめーらはみんながみんなPCとかガジェットさわるの
>http://anond.hatelabo.jp/20090325010747
気にすること、無いんちゃう?さらにゆうたら、俺の反応が遅かったんやで。あんたのせいちゃうで。どうや、罵倒でない反応があった気分は。楽しいか?楽しかったら良かったわ。人生、楽しなかったらアカン。
んでな、昨日の続きやけどな、なんやエラいこと解りにくうなったな、あんたの書いてる事。なんや、こうごちゃごちゃっとしてきてな、何が言いたいんか解り難いわ。せやから、ある程度予測で書くで。そいでな、俺はあんたの文は引用しいひんでな。堪忍やで。
まず、命令書の件やな。これが解らんなぁ。w 一番バッターアウトかいな。で、どやねん。被害者の総数推計の600万人、しか知らんのか知ってんのにトボケてんのか。その辺はハッキリさせようや。おっちゃんもな、オボコやないねん。否定論振り回すアンちゃんとはよう話してんねんや。色々な策ひねってきよんねん。かなんやろ?せやから疑り深こうはなっとるねや、な。あんたを安心さす為に、先にネタばらしはしとくわ。被害者総数もな、600万人説以外にも色々あんねん。いっちゃん有名なんはヒルバーグ、ちゅう学者さんの説やな。他にもギルバート、ベンツちゅう人もいてる。みんな結構、細こう出してはんで。国別とかな。詳細に出てるやろ?他にもな、前に書いたヴァンセー会議の件なんかもそうや。結構進んでる思うで?なんで進んでへん、思うてんのか、解らんなぁ。
ガス殺中止命令の件、知らんかったんか。そら難儀やなぁ。いや、実際はな、1年ちゃうよ。「ほど」て書いたやろ?おっちゃんも本片手に書いてるわけちゃうからな、正確さには欠けるでな。要注意や。んで、ガス殺はそんな何年もやってないよ、ホンマのとこ。よういうクレマトリウムの稼動時期なんか何年も無いんちゃうか。それ以前のとたしてもどうなんやろなぁ。そんな無い思うで、実際んとこ。
いうたらな、ガス殺てホロコーストの主役でも無いねん。割と脇役やねん。覚えといてや。
なんや、チクロンは知ってんのかいな。ビックリするわ。あんた、なんでか知らんけど、知識がちょっと歪んでんで。その話はプレサックちゅう人が書いてはった件やな。エライ細かい話やな。全体は知らんのに細かい話は知ってるちゅうことか。みょうな話やでホンマ。wプレサック読んだんやったら知ってるやろ、その顛末。いわゆる政治的、ちゅうやっちゃな。今も昔も役人のやる事は一緒やな。嫌な話や。
ん?ユダヤ人医師なんておれへんで?収容者(罪人ちゃうんやから囚人はやめようや)にめんどうみさしてただけやろ?まぁ、フランクルは医師免許持ってたみたいやけどな。病院の実情はレイヴィー読んで見たらよろし。寝とっただけやで、アレ。wレイヴィー自身も病院に入るちゅう事は殺されるちゅう事やと思うてた節はある。実際は死なんかったけど。彼の知り合いはだーれもいてなかった。
売春宿は収容者の為、ちゅう訳やないんやけどな。誰もが入れたわけや無い、ちゅうのも知ってるんやろ?アレはカポて呼ばれた一部の人ら用の施設やーちゅうことになっとる。詳しくはわかっとらんのや。なんせ証言者もおれへん状況やでな。んで売春宿も知ってるんか。なんやそれ。w
労働収容所と絶滅収容所の話な、あんた答えいうてるやん、自分で。wせや、戦況が悪なって新しい収容者が増えへんなったら使えんヤツ直して使え、てことや。あんな、ガス室で死んだ人ちゅうのは収容されへんかった人が多い、ちゅうのも知ってるんやろ?違うか?ほんでな、ヴァンセー会議のメモ、見てみいや。何て書いてある。労働させて死んだらしゃあないな、てなってるやろ。その通りにやってはるんや。最初からコロシたるわぁ、いうて無いんやな。財政圧迫せんくらいに生かしといて、死んだら知らんてな感じや。解るか?んで、労働もできひんようなヤツは収容せんかったんやな。その手前で始末して。んでこの考えちゅうか政策はな14f13ちゅうてなT4作戦から繋がってるねん。知ってるやろ?T4作戦。これ、ホロコーストと切り離して話するヤツおるけどな、おっちゃんはチガウ思うで。w
なんや、子供か。子供はいてた思うよー。実験用とか、ロマの子供とか。女性も収容されてたんやで、知ってるんやろ?子供生まれたケースもあるでー。すぐに殺されたらしいけどな。ちなみに子供生まれたて話とすぐ殺されたて話は、同じ女性の証言から出たお話や。否定論では生まれたて話だけしか取り上げへんけどな。w
後は細かいお話やな。ガス殺が加害者にも危険やー、とかなんとか。もうええわ、て感じやおっちゃんは。漏れたらどうのー爆発がどうのーやろ?知ってんねん、もう。w後な、教えといたる。皮膚吸収で死んでまう、ちゅう話もあるんや。後な、蒸発温度にナランちゅう話とかな、まだあんで。焼却炉の話もあんねん。燃やされへん、とか骨はどないしたんやーとか。
んでな、最初に話は戻んねんけど、「本読めやー!」て言われんのはな、知らんで語ってるからや思うで。俺が話ししてても、にいちゃんの話、歪んでんもん。なんや、よう解らん所にムリクリ否定論括りつけたようになってんで?一遍な、キチンと歴史の本読んだほうがエエとオレも思うよぉ。それを信じろ、言うてんのとちゃうで。否定する相手を正しく知らんのにキッチリ否定はできひんやろ?て言うてんねやぁ。
んで、だーれも相手してくれへんのはそのあたりを見抜かれてんねや、と思うで。いや、マジで。