2009-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20090526185151

■「元の文章が駄目だから読めない方がまともでエラい」は彼らもよく述べる

理屈だが、極端な話、どんな駄文からでも最大限筋をとり論理を汲み取るのが

読解力というものだ。どんな駄文だろうと、「駄文。読めない。ハイ終了」は

言った時点で駄目なのだ。

■長文嫌いを文章の質が悪い所為であると主張する事は幼稚園児でも出来る事だ。

これは本質的に反駁不可能な理由である。なぜなら、文章とは元来読みにくい

ものだからだ。

■だからこそ書き手は分かりやすさに工夫を凝らし、読み手は最大限の注意を

払って意味を汲み取らねばならない。これは文章というものに本質的について

回る苦労なのだ。この苦労を厭うた時点で彼は知という営みから自らを追放

している。

■まあそれは本当に極論ではあるが、簡単な話、彼らは一カ所でも論理を展開

させると読めない。前の行を頭に入れて次の行を読むという程度の事も出来ない。

それでいてすべては長文の書き手が分かりにくい文章を書いたから悪いと主張し、

読めない自分をさも真実を見知ったもののように誇るのだ。

■彼が何をやったのか? 考える事をあきらめただけである。しかしそれが

知的な行いであると信じている。不思議だ。

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