はてなキーワード: 音楽業界とは
前から思ってるけど、CDに「~応募券」とか付けて販売する奴らって、音楽業界から消えて欲しい。
おまけで付いてくる景品欲しさで商品を購入する、一時期問題になったと思うんだけど、消える事がない。
こんなやり方でしか商売をする気が無いなら、アーティストだのミュージシャンだのを名乗って欲しくない。
そんなくだらない商売をしている奴らを支えているのは、元増田の友人の様な奴らだ。
そいつらは、アイドルの活動を支えている以上に、アイドルを喰い物として扱っている、
アイドル周りの商売人達を支えている事の方が大きいとしか考えられない。
(手短にいえば、アイドル周りの商売人達に餌を与えるのを止めてくれと言う事だよ。)
こんなことを嘆いてみたところで、元増田の友人は、貢ぐことを止めないだろうけど。
ま、「お前の勝手な意見なんてどうでもいい話だろ、お前にめーわく掛けてねーんだから横からちゃちゃ入れんな」、
で終わってしまう話なんだけどね。
私は月1000円程度で音楽の定額配信サービスを利用しているが毎日聴いているとさすがに飽きる。聴く曲は大体決まっているし知らない曲をランダムに流しても感動は得られない。音楽業界が衰退した理由がなんとなくわかる気がした。
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html
の記事に対して否定的なコメントをツイートしたら落合氏本人からレスがついた。
せっかくなので補足をしてみようと思う。
①サッカーのたとえについて
サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。
「このオケはマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカーとクラシック両方に対するリテラシーがいる。
「神奈川フィルは地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルスは構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシーが必要なはずだ。
そこを「感覚」というあいまいな言葉で接続するのは無理がある。
このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカーもクラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBもリンキンパークも聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。
この対談は日フィルが落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。
・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ
まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史や楽典に精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界の音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲の構造分析や演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係ないか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタは保守的でもない。先日の渋谷慶一郎の科学未来館のロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。
対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系が西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代に流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。
私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーがチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。
あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段から囲まれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授。
完全な後出しじゃんけん。
一通り騒動が沈静化したみたいなので初めて歌詞を見たが、軍歌かといわれると違うという結論に自分はなった。
なぜなら、軍歌によくある「愛国心」と「自己犠牲」のうち「愛国心」しか歌ってないから。
「典型的な排外思想の国粋主義者がよく使う文言が使われているから」だろう。
この歌で多分狙って使われているその手の言葉に、多分狙った通りに反応してしまったんだろう。
これを軍歌だというのは流石に行きすぎだと思う。
大ヒットを飛ばしたアーティストでもこんなコスい興味乞食しなきゃ今時音楽業界ではやっていけないのか、という意味で残念だった。
そこまで音楽業界が追い詰められているという現状がただただ残念だった。
ただ国を愛することを今歌いたいなら、ああいう言葉にはならない。
ギリギリを攻めた言葉をわざわざ選んで書かれた歌だと自分には思えた。
当人たちの主義思想はよく知らないけど、ほかの歌もちょっとは聞いたことあるだけの自分には
HINOMARUの歌詞がRADWIMPSの作詞担当の人から自然と出てきたようには思えなかった。
それが何らかの問題への反発心から来たものなのか、もともとの思想をずっと隠してきたのかも分からないが
この一件だけで彼らを嫌ったりはしない。
ただ、何がきっかけでこの歌を生み出したのかは後ででもいいので明らかになるといいなと思う。
「単に国を愛する思いを歌にしただけだ」と言い張るのなら、それでもいいけど。
どうせこんな妄言でしかない日記が注目される事もまずないだろう。
リーチサイト規制や情報の受け手側が犯罪になってしまうDL規制に静止画も含め更に拡大する等についても危惧する点は非常に多くあるが、
これ等を取り上げると範囲が更に広がってしまうためここでは取り上げないこととする。
また私個人の考えとしてブロッキングについては今回一番悪いのはまともな法的処理すら通さず、議事録すら非公開にした政府であると言う考えである事も理解して頂ければありがたい。
恐らくこれに関しては反対している人なども共通した考えであろう。
そしてブロッキングの何が問題なのかもここでは詳しくは取り上げない。
この手の問題点はもう多くのニュースサイトや私よりも詳しい人が多く取り上げており、それらのサイトを見て貰った方が早いからだ。
ようはブロッキングと言うもの自体、簡単に言えば中国の金盾の親戚みたいなものだと言う認識で良い。
付け加えるとすれば、今回児童ポルノから著作権まで範囲が広げられてしまうと政府や業界に都合の悪い情報は全て遮断してしまって良いと言う前例が出来てしまい、
今後拡大解釈され続ける危険性が非常に高くなってしまう点、更に今回法律を通さず、あくまで政府がISPにお願いするだけと言う形をとるため、
何か問題が起こった時には政府は一切問題を取らず、責任は全てISP側に来るなどの問題点も今回の事例には新たに追加されてしまっている。
ブロッキングの問題点については以上の記述位としておく事にする。
それと敢えてここで一部の創作物コンテンツに関連している方々を指す単語として意図してオタクと言う言葉を使わない様に意識する事にする。
オタクと言う単語自体そのものが余りにも広域な範囲の対象を指す言葉であり、ここで使うのは余りにも不適切な単語であるからだ。
(※オタクと言うのはあくまでそう言う趣味嗜好を持つ人々を指すだけの言葉であり、オタクと一言で言っても色々なジャンルはあるし、
そう呼ばれる人達も創作物コンテンツに関連しない仕事の人々や例えばそれこそ医師や弁護士や公務員等の様々な方々もいる。
そういう意味においても今回はオタクと言う単語自体使用する事は今事象においては余りにも的外れであると考えたからだ。)
また何よりもオタクと言う言葉自体非難や罵倒としての逃げの口実、或いは免罪符として機能しているからだ。
実際、自身の責任から逃れたい一心で責任転嫁するためだけにオタクと言う言葉を使っている例も多く見受けられる。
それに今回感情的に反対している人たちを罵倒等をしているのはツイッター等を見る限り、その人間の本質がオタクと言う広域の言葉で指す人々よりも
もっと狭い範囲である、同人、プロ問わず、その関連、または業界の無理解な一部の創作物コンテンツに関連した方々が多い様に見受けられたからだ。
だからこそあえて一部の創作物コンテンツに関連している方々と言う言葉を使わせて頂くのだ。
(※あくまでも一部の創作物コンテンツに関連している方々である。
何度でも言うが一部の創作物コンテンツに関連している方々である。
この言葉には何もここで指すのはアニメ、漫画や出版業界だけではない、別の何かも含まれると言う意味合いもある。
別の何かについてはブロッキングの件を少し調べたら判ると思うので、色々察してほしい。
それに元々作家さんでも表現の自由や言論の自由に詳しく、危惧して動いていた方も少なからずおられる。
なので、同人、プロ問わず、表現の自由の観点から懸念を持つ作家さんや関係者の方々が、決して少なくない数がいる事も付け加えておく。
例えば今回もちばてつやさん等はブロッキングに対して懸念した発言をされておられ、元々個人的にも尊敬している点も多かったりする。)
そしてこれから書く事はあくまで愚痴や恨み節の類であり、俗に言う俺は詳しいんだ、知っているんだ的なノリの頭の悪い稚拙な文章でしかないので、
運悪くこんな記事を見てしまった人は軽く聞き流して頂いて構わない。
私がこれから書くこの様な内容の文章も過去多数出ており、実際私自身も何度か見かけているが、それでも敢えて匿名の卑怯者としてこのような文章を書かせて頂く事を許して欲しい。
この様な文章は書く事はないと思っていたがどうやら私の番が回ってきてしまったようだ(苦笑)
ついでに私自体、もはや規制に対し、反対する気力もなく、その反対する人々を罵倒する一部の創作物コンテンツに関連した方々に対し、
何の期待もしておらず、説得する気も皆無である点も読む際に考慮して頂けると助かる。
まず件の著作権のブロッキング拡大報道について、一部の創作物コンテンツに関連している方々が今回の報道でブロッキングに対し危惧し、
その問題点を指摘している一般人には勿論の事、実際弁護士や法学者、また長年創作物関係での規制に危惧し動いている
本来一部の創作物コンテンツに関連している方々にとっても味方であるであろう青少年健全育成条例や児童ポルノ禁止法で反対していた方々や
反対活動で精力的に動いていた団体にすら石を投げているのを見かけ、ああこいつら進歩ないな、この先創作物コンテンツが、
滅亡してもこいつらは懲りないし、学習もしないだろうなと言う感想を抱いた。
何故このような感想を抱いたかと言うと過去青少年育成健全条例や児童ポルノ禁止法等でも同じような構図を見かけたからである。
今回に関しては個人的にはもはや怒りではなく、彼ら一部の創作物コンテンツに関連している方々に対して、失望や絶望と言う様な感情しか湧いてこない。
君等一部の創作物コンテンツに関連している人間が安易に感情論から匿名掲示板のノリで揚げ足取りや罵倒するのは構わない。
どうせ実際この記事をもし君等一部の創作物コンテンツに関連している人間が見つけた場合には必死に罵倒や揚げ足取りを行う事もあるのだろう。
君等一部の創作物コンテンツに関連している人間の行動は容易に予測できる。
きっとブーメランとかも言い出す事だろう。
だが、その都度味方は減り、敵は増え続けるのだ。
その一部の創作物コンテンツに関連している人間は創作分野以外の事柄には興味がなく視野が狭い癖に妙にプライドだけは高く、
人の話を全く聞かないくせに自身に対する非難をスルーする事が出来ない人間も非常に多いのだ。
更に図星をつかれると非常に怒り出す。
だからこそこの手の一部の創作物コンテンツに関連している方々は、ブロッキングの件に関連して指摘された件でまだ反論が容易であろう、
ブロッキングに懐疑的な他者から出版はブロッキングでなく、まず検索サイトに対しての行動や法務の方を動かせよとか
出版業界のそのもの不備の指摘や逆に何故今まで逆に現在違法サイトが行っているようなサービスを公式でしなかったのか?
そもそも著作権の規制を進めた所で過去の事例から見て売り上げが回復していないだろうとか
出版は新古書店や図書館の件も反論されて言い返せなかった件についてはどうなの?
と等言うような指摘に対しても何故か真向な論理でなく、何故か作家が食えなくなってもいいの?等と言う感情論で怒り狂い出していたのだ。
なので、ブロッキングに対してもまともな返答等出来るわけがない。
反対や慎重的意見としてブロッキングは効果や薄い事や通信の秘密だけでなく、表現の自由や言論の自由でひいては自身の首を絞める事にもなりかねないと
私が見た限り、ブロッキングに懐疑的で反対意思を持つ方々は見た限り、非常に論理的に指摘されているにもかかわらず、
それに対し、一部の創作物コンテンツに関連している方々はブロッキングは必要悪だとか論理のすり替え等的外れな発言ばかり行っていたのを見かけた。
これだけならまだ良い。
やはり挙句の果てにその反対している人間に対して人格的な罵倒等の俗に言われる叩き等の行為を行っていたのだ。
これを未だ一般人に対してだけならまだしも学者等のお偉いさんや実際表現規制に反対され動いている人に対しても行っていたのだから唯々呆れる他なかった。
だが、ただまず一部の創作物関係に関連する人間はこれだけは判っておいた方が良い。
青少年健全育成条例や青少年健全育成基本法案の時でも児童ポルノ禁止法の時でもTPPの時でもそうだが、
別段漫画やアニメ、音楽や映画等の創作物に対する表現の自由や言論の自由が損なわれるから反対している人たちばかりではないと言う事だ。
規制関係では創作物方面ではなく、通信、インターネットの情報関連の視点から強く問題視して反対している方や
その改正によって逆に児童の権利が奪われる点を強く問題視している方や他の法律の兼ね合い等から問題視されている方や
改正により一般人が逆に不当に逮捕される等の不具合が生れるから反対している方等本当に様々な視点から反対している人々がいる事を実際にみてきた。
それに著作権ブロッキングの話題に関しては何も今始まった話ではなく、過去音楽業界や映画業界等が様々な圧力をかけて行おうとしてきた。
また私自身今回に関してもあくまで矢面に立っているのが出版と言うだけで、この件でも音楽業界や映画業界もかなり圧力をかけていたのではないのか?と言う懸念を持っている。
それに対して一般人だけではなく、通信方面や法学者等から懸念する声も当時から多く、反対され続けてきた事実も認識すべきだ。
実際児童ポルノ関連でのブロッキングに対しても様々な懸念する声があがっていたほどだ。
だからこそ漫画アニメの利益が損なわれたから、過去反対してきた人達が今回はブロッキングに賛成に回ると言うバカな話はあり得ない事位は理解すべきだ。
ブロッキングの何が悪いのか判ってないのに君ら一部の創作物コンテンツに関連している人間は短絡的に感情論でそれら反対している方々に対し、
こんな事だから当時匿名掲示板等で肉屋を支持する豚だとか罵倒されたのだ。
しかし一部の創作物コンテンツに関連している方々の行動をみていると何故オタク(と世間では一括りにされてみられてしまう)が嫌われるのか良く判る。
なお、それでも思い込みや感情論からその方々に対して嫌味を言い罵倒するのならばそれも結構だ。
だが、そう言う行動を行う度に他分野の側面から反対していた方々は一部創作物コンテンツに関連している人間に対して、
そんな連中しかいないと思われその人達は呆れ、そしてこの先何か問題があった場合でもあいつらだから別に良いかと扱いが軽んじられる可能性があるのも十分に考慮すべきだ。
またこの手の規制に対し危惧し反対する活動は実入りは全くなく、寧ろマイナスであり、時間的にも資金的にも負担が大きい。
更に言えば初めはどう活動すれば良いかすら皆判らず、手探りで行っていた位である。
また反対している人同士でも考えの相違で、精神的肉体的にもかなり摩耗するし、それで最後には潰れてしまい活動を停止せざる得ない位、追い詰められる人も実際に見かけている。
過去に聞いた話では実生活すらまともに送れなくなってしまう人間もいる程だ。
なので、実際今でも長年活動している人々の精神的負担はかなりのものだろう。
更にここに合わさりいつも通り俗に言う味方から石を投げられる構図が加わるのだ。
正直たまったものではないし、これが実は一番心的ダメージが大きい。
(※また青健法の件で話はずれてしまうし、この記事自体事実かどうか判らないが、
少し前に
「マンガの人たち」の信用は地に堕ちている──青少年健全育成基本法案の本当の問題点
出版業界自体が一部のオタクが騒いでいるだけ、その時が過ぎればフェードアウトする等と言う
まるで過去どこかの政治家がしたと言う発言と全く同じ様な考えをもっていると言う記事をみて個人的には呆れ返った。
記者があの記者だし、誇張も非常に多いだろうが、これが事実だとしたら、余りに一般人やそれこそ少しでも活動した事があった読者に対しても喧嘩を売っているとしか思えない。
もし読者が出版社がこんな独善的な考えを持っていると知る事になれば、失望し、場合によっては以降漫画を買わなくなる様な事も十分に起こりえるだろう。
また私の記憶では当時出版はほぼ目立った活動をしておらず、実際に活動していたのはその手探りで行動を行っていたオタクやとある団体であった事を記憶している。
そしてそれで精神的肉体的に限界をきたし、潰れてしまった人も多かったのだ。
個人的には出版にそこまで嫌悪感は今まで抱いていなかったのだが、流石にこの記事と昨今のブロッキングの件で一気に出版に対する嫌悪感を持つに至った。
多分一部の創作物コンテンツに関連している方々もこう言った類の考えなのだろうと個人的には思ったくらいだ。
またこの件が事実ならばこんな事を言われては実際長年継続して今も行動をし続けているとある団体の彼らに対しても非常に失礼であると私は考える。)
君等一部の創作物コンテンツに関連している人間はせいぜい好きな様にブロッキングに反対している法学者や弁護士、
規制問題で実際に危惧、反対をし、ロビー活動をしてくれている方々に石を投げ続ければ良いだろう。
だがその度に彼らは君ら(全ての)創作物コンテンツに関係した人間に対して、法学者や弁護士等の有識者は呆れ果ててしまう事になるだろう。
またロビー活動してくれている好意的な人間の精神は摩耗し続け疲弊し、モチベーションを保てなくなり、
そして最後にはこんな奴らのためにと言う思いを抱き、挙句の果てには活動を停止せざるえない位にまで精神的肉体的に追い詰められ、
君等創作物コンテンツに関係した人間を見捨てる格好になるのだ。
その結果もし君等一部の創作物コンテンツに関連している方々が本当の意味で困った事態に陥った所で、その時は誰も救いの手を差し伸べてくれる事はなくなるだろう。
でもその時が来ても一部の創作物コンテンツに関連した君達の事だ。
今回の著作権ブロッキングでの件でもそうだったが、当時も青健法や児童ポルノ禁止法等の時にも反対し味方してくれたであろう人々に対して石を投げ続けた君達はいつもみたくこう言うのだろう?
「あの時は彼らが勝手に反対していただけ、誰もその時に助けてくれなんて言っていない。」
「オタクはその時だけしか騒がない。その時が過ぎれば何もしない薄情な連中」
と。
漫画村について思っていることをつらつらと。
漫画村の利用者は、倫理的に問題があるが、完全に合法だと考えている。
完全に合法だという根拠は、著作権法第119条3項。いわゆる「映画・音楽を、違法にアップロードされたと知りながらダウンロードするのは違法」という奴で、「映画・音楽」以外のデジタルコンテンツを違法にアップロードされたと知りながらダウンロードするのは、この条文を適用して違法とはいえないし、他の条文も当てはまらない、と考えている。なので漫画村で漫画や週刊誌等のコンテンツを読むのは完全に合法だろう、という考え。
そもそも著作権法に上記の修正が入ったのは結構最近で、改正が2009年、施行は2010年。映画業界と音楽業界のロビー活動によってデジタルコンテンツダウンロードの悪質さが認知され、映画と音楽については「違法にアップロードされたと知りながらダウンロードするのは違法」という形に落ち着いた。
その際に出版業界がなぜ枠組みに入らなかったのかについて、まずひとつは業界団体の危機感の薄さが挙げられる。デジタルコンテンツに関する理解が2009年代に出来ておらず、それ故に政治的な取り組みをしなかったのは業界団体の落ち度である。
もう一つは、法律の考え方として、できるだけ既存権利を規制しない方向での改正を目指す、というものがある。法律によって今まで合法だった商売が急に違法になる、というような、権力による民間への介入は許されるべきではない。なので明確な悪事のみを規制する方向で改正するのが基本であり、業界団体等のアピールがなければそもそも絶対に改正しない。映画業界と音楽業界のみを規制対象にする文言として「録音され、又は録画された著作物」という表現が法律で用いられているが、本来であればただ「著作物」としても良いところを、無駄に対象を広くしないように気を使っている。その結果、出版業界が省かれ、結果明確に合法になったといえる。
倫理的問題というのは、映像・音楽のダウンロードが明確に悪質であるから規制対象になったにも関わらず、書籍のダウンロードが悪質でない、と考えるのは難しく、業界団体が正当に悪質性を表明していれば書籍のダウンロードも違法になっていたであろう、と個人的に考えていて、悪質であるのに合法なので行為するというのは倫理的に問題のある行為だ、という論理の帰着による。所詮倫理観の問題なので、個人個人の倫理観次第だと思うから他人を批判するつもりはないが、自分では使わない、というだけの話だ。ただ、もしこの論理において別の解釈があり、同じ前提に立った上で別の解釈によって倫理的に問題がない、という結論に帰着できる方がいれば、好奇心としてぜひ教えて欲しい。
なお、積極的に利用している人を非難する立場ではない、というのは書いた通りだが、出版業界の業界団体については積極的に非難したい。結果として出版業界にダメージを与えていて、著者を含む立場の弱い人達を苦しめているのは、出版業界の業界団体の怠慢に帰する可能性が高いと考えている。自分が著者ならば裁判したいくらいだ。