はてなキーワード: 貪欲とは
みんなよくがんばれるなあ…
俺は、ただ、なんとなく友達が欲しいとか、就活ダルいとかそんなことをつらつらと書きたいと思って「ブログ サイト」やら「ブログ 書き方」やらでググったのに、「ブログで稼ぐ」とか、「最強の副業術」とかいっぱい出てきた。
世の中、会社にぶら下がった生き方がもはや難しいから、副業でも稼いで、あわよくば本業にしよう!みたいな流れが前々からどんよりと押し寄せている気がする。
就活を通して気が付いたけれど、みんな変にくそ真面目過ぎる気がする。
先週、一次選考の集団面接で、くそ真面目そうな、くたびれた面接官に「入社1年目で、年収はいくらほしいですか?」と質問された。
周りの学生のほとんどが、「私は、年収はいくらでも構いません。まず何よりも先に技術が欲しいです」みたいなことをガチガチに緊張しながら答えていた。
内定をもらうために、くそ真面目なことをくそ真面目な面接官にくそ真面目な態度で答える。なんだか吹き出しそうだった。
嘘つき大会だとか、人狼とか、素直に答えたら評価されるとか、色々な就活論を目にするけど、結局自分が何やりたいか、何が欲しいかが重要で、人の目とか変に気にしすぎるとうまく力出せない気がする。
みんなくそ真面目だ。なんでそこまでして周りをキョロキョロするのだろうか。幼いころから、教員である両親に、不幸な人生を歩んでほしくないと、優等生みたいな生き方を押し付けられてきたけれど、不幸な人生ってなんだ?
お金がないと生きていけないとか、結婚できないとか、マイホーム買えないとか、よく言われるけど、正直どうでもいいんだよなあ…。
自分の幸せの在り方を人に言うとあまり理解してもらえない。かわいそうな無欲な奴とか言われたり、世間体がどうたらとか親に叱られて、正直めんどくさい。ネットに逃げても、若いうちは死ぬほど働けおけおじさんや、○○は止めとけおじさんが腐るほど目に付く。
私はアラサーの女なんだけど「あまちゃん」で薬師丸ひろ子の歌を初めてまじめに聴いてものすごい衝撃を受けて
もちろんそれまでも演技をしてる彼女は知ってはいたしごく普通に好きだったんだけど
歌聴いて初めてこんなすごい人がいたんだ!ってその姿が急にすごく鮮明になってそれからファンになった
昔の歌も掘り起こして聴いたり昔の写真集も買ってみたり色々してて(角川映画で活躍してた頃もほんとめっちゃくちゃかわいいのね)
昔のアイドル時代の薬師丸さんもすごいすてきだけど、今の彼女の方が1000倍10000倍くらいすてきだと思う
「寒椿、 咲いた」って曲なんか特に今の薬師丸さんが歌うことで
逆に曲の中の若い張りつめた世界が鮮明になってる感じとか静かな凄みがあってなんてかっこいいんだと思う
歌ってる時の薬師丸さんがとてもいいなと思う 歌も曲も詩も舞台の演出も全部すばらしいんだけど何より声そのものの魅力がでかくて
なんか夜そのものみたいな声っていうか暗いんじゃなくてしーんと澄みきっててもうちょっとで明けてくるその直前の一番深い夜っぽさっていうか
円山応挙の「氷図屏風」って日本画があるんだけどのあの絵にある空気感を声そのものに感じたりとにかくちょっと唯一無二だと思う
ただきれいというだけでは全然なくて若くも歳をとってもいなくて誰でもない声だけが確かにそこにある感じで
もちろんご本人が表現する部分の大きさやこちら側では知る由もないだろう練習量あってこそのそれなんだと思うけど、
それを凌駕していく圧倒的な声そのものの存在感がすごくてそれをただただ貪欲に受け取り続けたいって気持ちがすごくてこんなの初めてで
「アイドル」っていうもののその感じとかニュアンスとか存在みたいなものを身をもってひしひしとこの数年感じ続けてる
「元アイドル」という受け止められ方の今でもとてもすてきに活躍してる40代50代の女性はたくさんいるけど
何年か前に新卒採用をもらってサラリーマンになったのだが、向いていなかったと判断したので今夜上司に辞表を出すことを連絡しようと思う。実名のブログに赤裸々に書くと親が哀しむのでここに書く。
理由は「いい加減睡眠7時間の生活にケリをつけて休みたい」とか「思ったより金がない」とか「掲示板で論争がヒートアップしたあと明け方までバトルを続けられる生活に戻りたい」とかもあるのだが、根本は「生きていくのは好きだけど仕事をするために生きるのは好きじゃない」ということに尽きる。
俺は自分の部屋に閉じこもるのが好きで、子供のころから股間を掻いていた。小説だったり漫画だったり、RPGツクール製のでリョナゲーでシコったり形態は様々だ。シコり終わったらウェブを回ったり友達とスカイプしたりはしていたが、特に勉強をするつもりもなく、余った時間は寝ていた。そんなある日、気まぐれに新卒採用にでも送ってみようかと考えて就活した結果、まさかの内定獲得。いつの間にか社会人になっていた。
その後卒論を書いたものが幸い卒業になり、嬉しいようなものもあれば嬉しくないものもありという感じで生きてきたのだが、最近自分の限界を感じるというか、会社に向かうのが本当に苦痛になってきてしまった。
社会人デビューすると、学生のように自由に生きることはできない。億り人やスーパーハカーくらいの大御所になれば生きたい人生を生きたいように生きれるのかもしれないが(でも億り人も市場の変動にはやきもきすると言っていたっけ)、俺クラスの新卒だとそうはいかない。こちらが非常識と思ったものを強要されることもあるし、ときにはまるで違う報告書に魔改造されることもある。こちらが全く誠実と思えない上司の方便を入れないと判子を押さないと言われることもあるし、そうやって無理やり通したたものが無事にすめばまだいいが、本社による調査で二週間詰められたりりする。もちろん嘘を交えての問題先送りはサヴァイヴにて必要なプロセスだし、正直に書いたものが承認を通らないのは俺の実力不足のせいだが、一方でこういう生活を続けていて社会人を続けていく理由がよくわからなくなってきた。
よくビジネスマン向けの自己啓発として「お前は仕事がしたいのか、給料が貰いたいのか」というものがあり、「仕事がしたい」人のほうが社会に向いていると言われるが、俺は逆だと思う。「給料をもらいたい、社会的地位を手に入れたい」という人のほうが、社会人をするにははるかに向いている。彼らは上司の意見をきちんと取り入れ、報告内容を忖度し、顧客との接待飲みすらエンジョイし、貪欲に生き残り続ける。そうやっているうちに強固な人脈を持つ社会人に化けたりする。俺のように「自己実現をしたい」だけの人間はそういうモチベーションがないので、自分が正しくないと感じる方向に改竄をしてまで資料を出すという動機がない。やりたい事をやって生きていられればいいのだがこれは天才戦略で、凡人がやると居場所を失って死ぬ。そしてただの凡人だった俺は、社会人として死ぬのだ。
というわけでこれから上司に順次連絡してこのエントリを見せようと思う。これからはネトゲにでも一日の大半を使って、だらだら貯金を使い尽くして死のうと思う。両親には謝りたい
箱入り娘だった嫁。
増田と結婚してから、性に結構開放的になり、性の会話や物事を興味津々に何事も貪欲に吸収するようになった。
それは決して尻軽になったという意味でなく、知的好奇心を満たしているという感覚なんだろうとおもう。
とある時には、キャバクラに私も行きたいと言いだし、キャバクラに夫婦で行き、嬢と嫁と増田の三人で飯食ったり買い物行ったりするぐらい仲良しになったり。
とある熟パブにも夫婦で行って、人生相談してたり一人で行ってカラオケで豪遊したりと、結構自由奔放に夜のお仕事の人たちと遊んだりしていた。元々コミュニケーション能力は高いのは知っていたがアグレシッブである。
そんな中、とある繁華街を通過する際におっパブがあり、ネオン輝く煌びやかで怪しい建物に興味津々になった嫁。
あれって、エッチなお店ぽいけど何するとこなの?と聞くので、正直に話すと
マジか!おっパブ行きたいんだけど、増田も一緒に行こう!女も行って平気だよね?そのかわりムラムラしても、女の子は襲っちゃダメだよと言い出す。
ZOZOの100万円をRTしてるやつは資本主義の「し」も知らない階層で、そんなことするより前澤がなぜ資本を独占しお前らが困窮に喘いでいるのか考えたほうがいい。みたいなツイート見てね。
一瞬同意しかけたんだけど、でもRTしてるやつの中にはとっくにそんなこと考えて行動して、なおかつ貪欲に棚ぼたを狙いに行くやつもいるだろうしなあと思って。宝くじ並みの確率とはいえだってノーコストで参加できるのは確かにお得だ。
俺の経験上、そういうものにスピーディーにバカ正直に反応できるやつは強い。失敗も多いけどヒットを打つ。運がよけりゃホームランも打つ。俺はその真逆だからよくわかる
たぶん、ZOZOの100万キャンペーンに参加してる一を見下して参加しないやつは二流だ。ちなみに俺もそう。尊大な羞恥心が邪魔をして結局今もリツイートできない。たかだかツイッターキャンペーンごときにまた自尊心が下がってもやもやするんで吐き出し。
毎晩、寝る前に自分が遊戯王で一番好きなカード「D-HERO ダイヤモンドガイ」と相性が良いカードを頭の中で作ってはVジャンプに基本紹介的に書かれるようなコンボをレビューしている。
わからない人に説明すると、遊戯王カードの「通常魔法カード」という他のゲームでいう呪文(スペル)とかインスタンスとかいうもので、基本的には「コスト」を払って「効果」を得る。(もちろんノーコストのものもある。)
ダイヤモンドガイはこの「コスト」を踏み倒して「効果」だけを得るぶっ壊れカードで、これに魅せられた私は、遊戯王をすでにやっていないにも関わらず、遊戯王Wikiで通常魔法カードだけをみてダイヤモンドガイが確実に出来ることが増えるのを楽しみにしている。
でも、物足りない。
「D-HERO ダイヤモンドガイ」というのは、2006年だったかに出た。その時の主人公のライバルとして出てきたエド・フェニックス(CV:石田彰)が使うモンスターとして出てきたのが「D-HERO ダイヤモンドガイ」だ。
当時の友達は「D-HERO ダイヤモンドガイってなんて馬鹿げたカードなんだ。普通に使えばいい魔法カードをわざわざ1ターン後に使う意味がない。」という意見だった。
しかし、当時の遊戯王プレイヤーは違った。自分は景品のカードが欲しくて小さいおもちゃ屋の遊戯王の大会に毎週通っていた。
そこでその店のTCGオタクの長である高校生のYさん(遊戯王カードのことを聞いたら何でも教えてくれる)に「D-HERO ダイヤモンドガイ」はどう使えば良いのか?というのを聞いた。
そうして、天啓を得て、少年は「D-HERO ダイヤモンドガイ」に執着するようになる。
だが、仲間内では遊戯王の公式ルールをあまり把握していないものも多く、正式な「D-HERO ダイヤモンドガイ」は増田の勝手な解釈として封じられることになる。
そうして、中学校にあがり部活に勤しむことで実際のカードを買ったり、アニメを見なくなった。
それでも、毎日のように「D-HERO ダイヤモンドガイ」のことは忘れなかった。
毎日毎日、寝る前に必ず「D-HERO ダイヤモンドガイ」はどうすればもっと活躍できるかを考える。
考えるパターンは主に3つだ。
1.「コスト」がおもすぎるかわりに「効果」が大きい通常魔法カード
これは単純に「D-HERO ダイヤモンドガイ」がコストを踏み倒せることに注目したカードである。これが5割を占める。
2.「D-HERO ダイヤモンドガイ」の発動をサポートするカード
つまり「デッキの一番上を操作する」カードであったり、相手のターンを限定的にスキップして即時的に効果を得るカードである。これはバランスブレイカーになりやすいので考える事はかなり多いが採用率は1割に満たない。
遊戯王はシリーズを重ねる度に新しい召喚方法が出るのが遊戯王5d'sというアニメからお約束らしいので、その召喚方法に合ったダイヤモンドガイを作る。これが4割。
このカードが召喚に成功した時、デッキの上からカードを3枚確認する。
確認したカードの中に儀式モンスターまたは儀式魔法カードがあった場合、
その1枚を相手に見せて手札に加える事ができる。
本当にびびった。実際考えていたのは戦士族で同じカテゴリーのD-HEROという名前をもたせたいたが、効果にいたっては
「このカードが召喚に成功した時、デッキの上からカードを3枚確認する。
という感じで儀式関係が全く抜けているがほぼそのまんまだった。3枚というのも一致している。詳しくは省くが3枚はダイヤモンドガイにとって丁度いいのだ。
《終まりの始まり/The Beginning of the End》
通常魔法
自分の墓地に闇属性モンスターが7体以上存在する場合に発動する事ができる。
当時は、「デステニー・ドロー」というカードがあり、そのカードで2枚ドローするというのが「D-HERO ダイヤモンドガイ」の主な使い方だったのだが、
3枚ドローできれば流石にみんな使うんじゃないかと思い、物凄く重いコストで、3枚ドローを何個も考えた。
そのうち一つが「終わりの始まり」にそこそこ近く、考えていたのは「墓地の5枚のD-HEROをデッキに戻して3ドロー」という「墓地を参照して墓地コストで3ドロー」効果だった。これは貪欲な壺というカードのD-HERO限定版だから3ドローしてもいいだろうという判断だったが、後にこういう効果にすると「墓地の5枚のD-HEROをデッキに戻し」はコストではない判定になるので無理だということを知ることになる。
オタクってのは今も昔もアンテナが高いものだけれど、少なくとも俺の世代のサブカル情報収集元はサブカル系雑誌かTVかラジオだったねぇ
アンテナの高いオタクが自ら情報を探しに行けば、得られる情報量は昔よりも断然に多い
面白いサブカル作品により多く触れられて、面白くない過激なフェミニズムにより多く触れる
オタクは楽しさに貪欲だからフェミニズムが面白ければ支持するさ
最高じゃないか世の中楽しさでいっぱいだ
人をぶん殴る楽しさにオタクが生み出す楽しさが負けるとでも?
どっちのほうがファンを生むかなんて明白だし、人をぶん殴る楽しさにオタクが生み出す楽しさが負けたときは日本のサブカルが終わったときだ
俺たちの使命は人をぶん殴る楽しさ以上の楽しさを生産し続けること
勝負したら良いじゃん
どっちのほうが「楽しさ」に貪欲か見せつけてやれよ
1990年代から2000年代で世代交代が起きているから、10年堪える必要があるんじゃないかな?と思ってる
いわゆるツイフェミの台頭は2015年辺りからだから2020年を皮切りにまた何らかの世代交代が起きるはず
具体的には現在のオタク中高生が社会人になって、オタク文化を引っ張る主力になるわけだ
良いかい?これだけはしっかり覚えておかないといけないよ?
現在のオタクの主力であるお前たちは、少なくとも次に控えるオタク中高生たちへ楽しさと憧れを与え続けている、それは今もずっと
お前たちが過激なフェミニズム支持者へ対して反論を続けている姿を次の世代はずっと見て育っている
当のフェミニズム支持者はオタク中高生へ対して何らかの楽しさや憧れを与えただろうか?
オタク中高生が楽しみ憧れるサブカル作品へ対して悪意を振りまき叩き続ける過激なフェミニズムを、世代交代した新しいオタク社会人が支持するかどうか見ものだよ
俺は世代交代を待っている
これは政治学よりも経済学の「価格弾力性」の理論で説明したほうがいいね。
人間は欲深い事に好きな子と会話ができたら、今度は二人っきりになりたがる。より密着したがりからだに触れられるようになると官能的な魅力に求める。その次、その次と求めていくと、1度提供されたその子との繋がりが魅力的に感じなくなくなる。
こういうことってよくあるよね。地元スーパーの安売りにありがたみを感じなくなったり、何度も聞いていた音楽が魅力的に感じなくなくなったり…。要するに「慣れ」や「飽き」が来ちゃうんです。
より強い刺激を反日デモに植え付けなければ、「反日」というコンテンツは面白くなくなる。だから、車をひっくり返したり、日本企業を襲撃したニュースが流れ、今回のようにしまいには関係ない国の企業まで襲撃される。
日本人よりも損得に敏感で貪欲な中国人なら、なおさら強い刺激を求める。「価格の弾力性」はどんどん小さくなる。コンテンツは飽きられてしまうのだから、飽きがこないように日々違う刺激を与え続ける必要がある。