はてなキーワード: 緊急事態とは
欧米みたいなロックダウンはできないし、他国のような戦時体制的なものもない
だから「会食すんな」「帰省すんな」といくら口で言ったところで、具体的に抑止する方法がない
要するに結局さあ、みんな自粛警察というか同調圧力に頼るしかないんでしょ?
変なことした奴や変なこと言った奴を囲んで殴って燃やして土下座させる以外に、お望みの結果を実現させる手段なんかねえってことでしょ?
自粛警察批判を偉そうに繰り広げていた奴、この際ちゃんと謝ろうね
では緊急事態宣言が出ていた頃に比べてなぜ今自粛警察に元気がないのか、その理由はいくつか考えられる
前述の通り彼らに対する反発やバッシングはかなりあったし、彼ら自身もまたいい加減終わらぬ戦いに疲れているのかもしれない
あとは感染者数が過去にないほど増加しているにも関わらず、あの頃に比べるとストレスを感じていない可能性もある
スポーツやイベントが次々中止になり、そんな中できることを必死で模索するしかなかったあの頃と違って、今は「対策をきちんとした」という言い訳さえすれば、興行もドラマの新作も一応供給はされるからだ
「俺は必死で我慢してるのになんであいつらだけ」みたいな感情があまり盛り上がらないのは、つまりそういうことなのだろう
政治家や専門家や医師の皆さんがいくらお願いしたり煽ったりしても、無関心な奴には響かない
感染者数がヤバいといっても自分や知り合いが罹患するまでは所詮数字の上でのことでしかないし、医療がヤバいと言われても自分たちが割を食う側に回るまでは他人事でしかない
人の行動を今止めるものがあるとすれば、それは自粛警察の復権、同調圧力の再強化しかない
わかったら早くごめんなさいしようね?
今春、東海道新幹線のニューステロップが廃止されるという報を聞いたときには、少なからぬショックを受けた。というのも、もう10年以上前の話だが、あの文字ニュースを書く仕事を担当していたことがあるからだ。
新幹線のニューステロップというのは、車両前方、ドアのすぐ上に据え付けられた電光掲示板に流れていく、50文字程度のあれである。当時はまだ、社会人となって日が浅かったことと、もともと鉄道が好きだったこととがあり、地味な仕事ではあるのだが、担当できていることがとても嬉しかったのをよく覚えている。業務の内実についてはあまり書けないが、それなりに長くなった社会人生活の中で、今でも思い出深い仕事の1つであることは事実だ。そうか、あの仕事はもう無くなるのかと思うと、ほんのりと寂しさがあった。
無くなる前に、最後にもう一度だけ、この目に焼き付けておきたいと思った。発表があったのが2月21日で、廃止は3月13日。1か月もない。そしてこの頃は、ちょうど新型コロナウイルスが徐々に国内でも広がり始めていた時期で、旅行に行こうという気分になれるものでもなかった。やめておこうかどうしようかと随分迷ったが、会社に午後だけ有給を取り、平日日中帯の比較的人が少ない時間帯で、東京から名古屋まで日帰りで往復することにした。他県にお邪魔することすら憚られたので、滞在は1時間程度の弾丸日程だ。もう少し遅い時期であれば緊急事態宣言のさなかであり、さすがの私も旅を躊躇したかもしれない。そう思うと、ギリギリの時期であった。
決行したのは廃止の直前にあたる平日だった。午前だけ出勤して、午後に新幹線に飛び乗るつもりでいたが、なかなか仕事の切りがつかず、本当に「飛び乗る」勢いで乗り込んだ。ニューステロップはまだそこに、きちんと流れていた。名古屋までは1時間半程度。往復するので3時間はある。食事がまだだったので、息を整えてから崎陽軒の弁当を開けた。弁当を食べるのにせいぜい15分。その後まだ悠々と時間はある。ニューステロップをただ眺めるだけの目的にしては、ずいぶんと贅沢な時間で、贅沢なお金の使い方をしたものだなと、このときになって初めて思いながら、筍を頬張った。
車内はそれほど人が多くはなかった。平日日中ならば、という見込みは当たったようだった。もうあと数日で廃止になる、というタイミングだったので、1人ぐらい同好の士が乗り合わせていないものかと、あたりを少し伺ったが、ニューステロップを凝視するような人はさすがに見当たらなかったし、この時間に乗るビジネスマンは、そんなものに興味もあまりなさそうではあった。そもそも、あのニュースが無くなることを寂しがる人というのは、どれだけいたのだろうか。インターネットを眺めていれば、そういう声は自ずと可視化されるものではあるが、多くの人にとっては大きな関心を呼ぶものでもないのだろう。緩やかに、少しずつ、静かに人々の記憶から消えていくだけなのだろう。そのことが特段むなしいというわけでもなかった。すでに私の手を離れた仕事に対して、むなしさを覚えてしまうこと自体がおこがましいとも思うし、メディアの仕事というのはインフラと同義であり、まるで空気のような存在であるということも自覚していた。いや、その「空気」が不要だ、ゴミだと強く批判されていた時期もあったか。最近はそういった批判も一時期よりは落ち着いたように感じているが、実際のところメディアが多くの「街の風景」を作ってもいるということに、自覚的な人はあまりいないのかもしれない。
名古屋に近づくと、中日新聞のニュースが流れるようになる。大相撲の本場所があれば、取り組み結果が流れることもあるし、プロ野球もまた同様だ。代わり映えのないように見えて、実は時や土地の影響をある程度受けるものであるのだが、そういったことにもあまり気付かれてはいないのかもしれない。このときはそういった定期的な変化のほかに、赤く毒々しい文字が定期的に踊っていた。新型コロナウイルス感染症に対する注意喚起である。新聞社が配信するニュースではなく、JRが独自に流しているメッセージだ。これはこれで特別感があってよかったのだが、ニューステロップが流れる数が減ってしまうではないかと、ウイルスに対して少しだけ、妙な怒りを向けた。
時間は当然のように余った。幾度かカメラを向けて,静止画と動画で撮らせてはもらったが、さすがにずっと撮り続けているのも不審者じみている。3時間の旅のうち、ほとんどの時間はただテロップを眺めたり、車窓を眺めたりして過ごしていた。ニューステロップの流れる新幹線旅はこれが最後であると思うと、それをただ普段通りに満喫したいという思いが、乗っているうちに徐々に強くなっていた。名古屋で降り、予定通り1時間ほど滞在し、折り返す。名古屋駅周辺を少しだけ歩いたが、まだ感染症に対するアンテナはそれほど高くないようで、思っていた以上に多くの人が街を行き交っていて、少々面食らった。あまり人混みの中にいるのもよろしくなかろうと引き返し、駅直結の百貨店地下で、妻へホワイトデーのプレゼントとして地元の洋菓子を買い、あとは駅の待合室で過ごし、予定通りの上り新幹線で引き返した。
帰りの車内にも、当然ながらテロップは流れていた。テロップのない新幹線というのはどういうものだろうか。もちろん、普段からずっと見ていたわけでもないのだが、ふとしたときに目を上げると、そこにニュースが流れていることが、新幹線における「自然」であった。それがなくなったとき、上げた目には何が映ることになるのだろうか。ニューステロップ廃止後のことについては、そういえば把握をしておらず、想像ができなかった。そしてこのとき以来、感染症予防のこともあって、新幹線には乗っていない。テロップが流れていない新幹線というものを、私はまだ知らない。私の頭の中では、まだあのテロップが流れ続けている。また大手を振って新幹線に乗ろうと思える日が来ることが待ち遠しくもあるし、どことなく、まだ来てほしくないような気もしている。
知り合いが誰一人もいない東京に転職で今年の初めから住み始めた
最初は、知り合い居ないし不安だったけど、今までの地方の人間関係に嫌気が刺してきたのもあり、転職と同時にメールアドレスは変更した
転職先も東京に行く事も親しかった人達には一切伝えず、地方を飛び出した
電話番号は、変えたら面倒なのでしなかった
今年は転職そうそうコロナでどうなるのかと思ったけど、案外やれてて今年も終わろうとしてる
知り合いが居なくたって何とかなるもんだな
37.7度。普段35.8度くらいなのでまぁまぁ高熱。
悪寒と倦怠感。あと、左胸の先も痛いので乳腺炎の疑惑もあるけど、熱があるから、かかりつけの母乳外来にいけない(熱があると入れない)。詰んだ…。
倦怠感すごいから横になって休みたいけど、離乳食と哺乳瓶拒否の乳児の面倒をだれがみるんだ…。60代の義母召喚という手も、もし新型コロナだったら悲劇を生みかねない。詰んだ…。
あと私は死んでもいいので、子にうつりませんように。
⬛︎追加(2020/12/21 18:08p.m.)
ありがとう。胸の痛みは授乳したら落ち着いたんでヤバめ。大阪なんで保健所は当てにならない気がする…。このくらいで頼っていいのかもわからない。緊急事態宣言下で新生児を育児し、初孫を見せに帰省もせず、友達にも会わず、支援センターにも行かず、買い物も週1でしか行かず、それ以外の散歩も週2,3だけだったのにな…。もはや運だな
絶対的に正しいなんて言ってないよ
つまり全体で見たら確実に裕福になれるって考え方
勿論スマホが普及したけど、使い方が分からないのにガラケー廃れた爺婆みたいについてこれない少数派は常にいる
https://anond.hatelabo.jp/20201207220950
数日前に朝日新聞社が「急造ワクチン」と言う表記を使ってネット上で医療関係者に酷く叩かれていおり、割と問題ないと言う一方的な流れになっていたので再び自分の意見を投下したい。量産エンジニアの視点から見るとやはりリスクがあると。
初めに断っておきたいのは、私は承認プロセスやワクチンの効き目自体は信頼していると言うことです。ワープスピード作戦のことも知っている。その上で懸念があるのはあくまでも量産体制。
ワクチンの承認をすでに英米で得ているファイザー製薬が年内に出荷すると言っている数量は5000万回分、だけどあと10日で2020年が終わるんだが公約している数量の生産は間に合うんだろうか?
いや、間に合わない(断言)
報道ベースで数量を追いかけていくと、治験でワクチンを投与した対象者は5万人。
アメリカですでにワクチンを接種された人が先週1週間で55万人。
現在ワクチン承認を得て量産を進めているファイザー及びバイオンテック、モデルナ、それに承認間近なアストラゼネカは全て欧米の企業。欧米のキリスト教文化圏の会社は12/19(土)からクリスマス休暇に入っています。緊急事態なので休み返上で生産しているだろうと言う声もあるでしょうが、製薬会社だけが営業していれば製造は進むと言うわけではない。原料となる薬液や、検査用の試薬、製造装置のメンテナンス。これらのサービスを提供する会社も全てフルで営業していないと生産スピードは早くならない。果たして欧米の文化圏の国でワクチン製造に必要な全てのサプライヤーが不眠不休で今現在仕事をしているだろうか?しかも欧米ではコロナが絶賛大流行中である。原料のサプライヤーや物流施設で集団感染が起こると、量産ペースはさらに低下する。
それだけではない。年間10億回とかのオーダーで作ろうと思うと、前回も言ったように物理的に単一の会社で製造仕切るにはキャパが足りなさすぎるので協力会社にライセンスして委託製造するしかない。(例えば日本のように製薬産業が一定のレベルにある国の分は自国で作ってもらう等)だが、別工場で製品を作る限り完全に同じものは作れないのである。ジェネリック医薬品が原料が同じでも完全に同等にならないように。その安全性はしっかり担保できるのだろうか?最悪の場合、最近睡眠薬の混入で問題になった小林化工のように医療事故が起きることになる。
ネット上の議論を見ていると、量産の話を無視して薔薇色の将来予想ばかり聞こえてくるので気になって再度書いてしまった。皆さんの考えはいかほどだろうか?
コロナ対策ではなくて、あえてコロナ政策と書く。それが相応しいと思う話なので。
3月中旬くらいの話のようだ。西浦博「新型コロナからいのちを守れ!」P.131から
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「大阪府の政治家の戦略は、この後、対策をして乗り切ったら、そんな流行は起こらなかったじゃないかと君を責めた上で、いろんな自粛要請などを緩めていくということだからね」
実際、自粛に後ろ向きな大阪の政治家は、緊急事態宣言後の経済的ダメージの話をそらすためにも、僕をターゲットにして宣言が本当に必要だったのか、かなり執拗に(でもチープな質で)責め立ててくるようになります。
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そういう舐めた態度の結果が今の感染爆発。
ちゃんと調べて書いてないのでこれ投稿した時点で鬼滅が興収1位になってたら笑い話だがまあ聞いてほしい。
先日、千と千尋の神隠しの興行収入が上方修正されて「ゴールが逃げた」だの「そこまでして負けたくないのか」だの色々言われていたが、私的には今年のジブリ再上映は実質鬼滅の刃外伝でジブリ4作品は柱の一角だと思っているという話である。
このタイミングに興収修正が入ったのは当然水差しではないし、「お前はもっとやれるはずだ、俺たちを越えていけ」的な熱い展開だといえるんじゃないかと思ってこの文章を書かせてもらう。
鬼滅の刃は史上最速の勢いで興収100億達成して、現在も破竹の勢いだ。
一年間を振り返ってみれば今年は鬼滅の刃一色の年だったんじゃないかと思えるぐらいだ。
実際1位こそ「密」だったものの、今年の漢字の10位以内に「鬼」「滅」両方がランクインしていたまさに鬼滅な年であったといえるだろう。
でも待ってほしい、映画の公開自体は10月中旬からであり、それ以前にもブームがあったとはいえこの驚異的な勢いは一年が四分の三終わってからのことなのだ(勿論だからこそとんでもないブームなのだが)。
ではそれ以前に何があったか?
本当に映画館が苦しんでいたのは今年の上半期、特に緊急事態宣言前後の時期であったといっていいはずだ。あの頃は本当に街に人が居なかった。
新作映画も続々と公開延期となり、映画関係者が途方に暮れていたその時、6月26日に彼らは現れた。
「俺が来るまでよく堪えた 後は任せろ」
厳密にはジブリ作品ではないスタジオジブリの原点、大冒険感は四柱の中でも最高
鴎柱「風の谷のナウシカ」
壮大な自然と音響の美しさ、何よりあの静寂の凄まじさは劇場だからこそ味わえた
怪柱「もののけ姫」
見るもの聞くもの全てが情報の塊、魔導書を脳みそに直接ぶち込まれるような感覚を味わえる怪作
湯柱「千と千尋の神隠し」
矢鱈と歩くシーンが多くて唐突に歌うけど、独特の雰囲気と情景の美しさは俺好きだよ
歌柱「ゲド戦記」
四人の柱が立ち上がり、命を賭して映画館を守ってくれたからこそ劇場の命脈は繋がり、無限列車編で見事な復活を果たすのだ。
どう考えてもこれ立ちふさがった壁とか逃げたゴールじゃなくて柱だろ。
興収8億プラスですらより高く飛び立てるように滑走路が伸びたとかそういう風に思えてきたわ。
本編で語られない過去編外伝の主人公の活躍が間接的に本編ラスボスの撃破に影響してるみたいな熱さである。
しかもこいつらコロナ禍を反映して、全作品に呪いや胞子や祟りやら疫病めいた要素が登場するからな。
まるで異変発生初期に投入された対疫病用特殊部隊の厳しい戦いを描いた鬼滅の刃外伝じゃないか。
私はジブ柱全部見ました。劇場で見れて本当に良かった。一生の思い出でございます。
というわけで、ジブリは柱。QED.照明終了。
ちなみにジブリのリバイバル上映は8月までやっていたので、厳密にはジブリと鬼滅の間に中継ぎ的な柱がおそらく存在しています。
公開時期的に竜柱「のび太の新恐竜」とか突柱「今日から俺は!!」とかが柱の一角なんじゃないかと思うがその辺はほかの人に任せます。以上。
「日本では厳しい行動制限を伴うロックダウンは憲法上無理」と4月には結論が出ていたと思うのだが
未だに二言目には「ロックダウン」という言葉が出てくる人の思考はどうなっているんだろう。
(4)憲法とか細かいことはいいからとにかく超法規的にロックダウンしてほしいと思っている。
(5)「リア充爆発しろ」みたいなもので、願望を言ってるだけで、実現するとは思ってない。
可能性としてはこんなもんか?
やっぱり(2)が多いのかな?
最初に言っとくけど俺はGoToトラベル続けろって言いたいわけじゃないよ
ただ観光業とその周辺産業を守るために他にどんな方法があったのかなあってよく考えるんだよね
観光業、特に地方の温泉街なんてのはこの状況においては絶対的な弱者なわけだけど
コロナ禍という緊急事態なので弱者は助けられません、死んで下さい
ってのは絶対間違ってると思うんだよね
ましてや地方の温泉街で働く人たちって決して裕福とは言えないシングルマザーみたいなただでさえ福祉の助けが必要な人たちが結構いるわけだしさ
でもやっぱ旅行ガンガンして下さいっては感染拡大防止のためには真逆の方針だし
かといって苦しんでる観光関連の事業者や従業員全てに充分な金ばらまくってのも現実的じゃない
(例えば観光地で売ってるお土産の箱を製造している会社が観光関連業かというと俺にはわからない)
そういう意味でGoToトラベルってまあまあ悪くない案だと思うんだよね
一緒に旅行する関係ってもともと日常的に濃厚接触する関係の場合が多いと思うし
事業者としてもばら撒きじゃなくて、通常業務の中で金が入ってくるわけだしさ
でも結果的にGoToトラベルキャンペーンは一時停止になるわけだからやっぱ良くなかったってことだよなあ
俺にはこれ以上いい案が浮かばないんだけど、このコロナ禍の中観光関連業とその従業員という弱者を救うためには何が正解だったのかな
わからない