はてなキーワード: 洋ドラとは
ホモソーシャルってのは、アメリカ人が考えた概念だから、洋ドラとかイメージして考えればいいんだよ。
学校のカースト制度が出てくるようなドラマでな、生来気弱な主人公の少年が友達に「男だろ」とか煽られたせいで、女の子をデートに誘うのを強制される。そんでデートで失敗して女の子を不快な目にあわせるの。
あれがホモソーシャル。
フェミニストは「女の子を不快な目にあわせんな。てか男社会は進んでそれを推奨してるのがクソ。気弱な子は気弱なままのほうがうちらは嬉しいのに」と言った。
ツイフェミの類は、実際の社会に洋ドラ的なホモソーシャルが存在するの確認したこともないのに、さも全ての男がそれに強制されてるかのように話すから、元増田みたいな反感を産む。
今ちょうど「映画のターン」。元々ネトフリ、フールー、アマプラを契約しっぱなしなので毎日仕事が終わってから2本くらい流しっぱなしにしている。知り合いからは「理解できない」って言われがちだけど、個人的に「同じ映画を何回見ても楽しめる派」なので、本数には困らない。
ホラー、アクション、ミステリ、サスペンス何でも見る。日本の映画も海外の映画もチャンポンで見るけど、ネトフリがネトフリ作品っていう「売れた」ってフィルターを取っ払った作品をどんどん流してくれることで「海外でも売れてない作品はあってそのクオリティは正直たいしたことない」ってことを教えてくれた。洋画にもゴミはいっぱいある。買い付けられないだけなんだな。
ただ、売れた邦画と売れた洋画だと圧倒的に売れた洋画のほうがクオリティが高い。もう圧倒的。
その前は『日本のドラマ』のターンが来ていて、日本のドラマをいっぱい見ていた。アマプラとフールーは日本のドラマの取り揃えが結構よくていい。まぁ、日本のドラマだけなら日本の放送局が組んでやってるサブスクがあるのでそっちを契約したほうがいいんだろうけど、「映画のターン」と次の「洋ドラのターン」の時には完全に死んでしまうことを考えるとちょっとね。
これも同じのを何回も見たりする。一話完結であることが好ましい。けっこうながら見をするので全部ちゃんと見てないといけない作品だと途中で「あれ?どうなってたっけか」ってなるから。こういう時に「毎週1話」って形式は悪くないなって思う。次の話が来るまでいろいろ情報を整理する時間があるのは別に悪いこっちゃない。
その前が「洋ドラのターン」。洋ドラをいっぱい見た。洋ドラのいいところは無駄にシーズンがクソ長い作品が多くて毎日毎日続きを見続けられること。個人的にはクリミナルマインドとかクローサーみたいな一話完結モノが好き。恋愛系は正直ちょっと価値観が違いすぎてあんまり……って感じ。ライトゥーミーの第一期はマジで名作だからミステリサスペンス好きは見て。二期はゴミ。
あと、洋ドラを見ると日本のドラマは安っぽすぎて見られないみたいな意見をよく見るけど確かに「金かけてないなー」とか「脚本の質悪いなー」と思うことも多いけど、『お母さんのカレーライス』みたいなもんで作品自体のクオリティは低くても「日本の風土に根付いた作品」ってだけで視聴ストレスが低く、理解が容易いという利点があって、この「安心感」は割と何物にも代えられない。
その前が「無料動画のターン」。具体的には「Youtube」「ニコニコ動画」みたいな、投稿動画ばっかり見る時期。YoutuberからアニメゲームのMAD、Vtuberのまとめ、歯石取り、整体、ゲーム実況、フィットネス、MCバトル、ナショジオ、声優ラジオ、料理等々、マジで何でも見る。あなたにオススメみたいなのの中から面白そうなの順番にザッピングしていく。圧倒的ジャンク感。
ただYoutubeを見てるとニコ動時代と違って「その道のプロが新たなマネタイズの一環としてやってる」動画がめちゃくちゃ増えてるなって感じがする。歯石取りとか整体とかはまさにそうで、これまではテレビの特集とがあったときに稀に見られた、くらいのものが普通に見られてしかもたくさん再生されてる。時代は変わったもんだ。あ、歯石取りは結構グロなので注意してね。
そんな中でもいまだに昔ながらのゲーム実況とかMADを作ってる人もいて、いいぞもっとやれって感じで見てる。ただゲーム実況は昔みたいに大スケールの長編は見れなくなったな。年取ったってことか。
その前が「アニメのターン」。日本のアニメはいいぞ。涼宮ハルヒの憂鬱による「深夜アニメ革命」以降の「アニメが円盤でマネタイズできる」時代の作画クオリティが異常に上昇した後のアニメはやっぱり見ごたえがあるし、前時代的にやってるワンピースみたいな「いかに作画枚数を抑えられるか」みたいなアニメも趣がある。昔のアニメマジで動かないからね。そのセル画何秒スライドするねーんみたいな場面がめっちゃある。息詰まる演出だ。
新旧ちゃんぽんで見ていると気付かされることは多い。昔のアニメのほうが作画も演者も「太い」と感じることが多くて、今のアニメのほうが作画も演者も「繊細」だなと感じることが多い。毛筆習字とペン習字に近い。昔のほうが骨太で個性があるけど荒くて、今のほうが繊細で小回りが効くけど個性は薄い。最近の声優は演技が下手って言う人が多いけど当時のアニメ見返したらわかるけど、今のベテランも新人時代の演技は今の新人に比べたら明らかに雑。雑だけどパワフル。どっちがいいと感じるかは人それぞれ。僕はどっちも好きです。
一番好きなアニメは「アイドルマスターゼノグラシア」ですが、なんとフールーで見られます。
そしてその前が「映画のターン」。これで一周する。テレビがないのでテレビのターンはないです。
だいたいこれが2か月くらいの間隔でローテーションする。そのターン中は基本的にそればっかり見るので、1周してる間に新作が結構溜まってる。やったぜ。
ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。
https://anond.hatelabo.jp/20210223230157
上記を書いた増田だ。変な意味で反響を頂いたので続編を記したいと思う。
まずは前回ありきの内容なので上記をまだ読んでない人は先に読んで欲しい。
映画というフィルターを何十層もかかりまくったコンテンツに触れる事で海外を知ったような気分になり
そんな私は先進的だと錯覚してしまう生態がいる。それが洋画ツイフェミである。
この生態は海外が生みだしたコンテンツを妄信してしまう傾向が強いように思える。(洋ドラマと韓国の映画やドラマも含む)
ハリウッド映画はポリコレ的にもLGBT的にも配慮するようになってきたのは事実ではあるが(とはいえエンドゲームで女性ヒーローだけいきなり集まるシーンは不自然だったと個人的に思う)
それはあくまでも映画内の話であって現実ではまだまだ差別や偏見が強く蔓延っているのは海外ニュースを見ていれば痛感するはずだ。
それでも洋画だけ見てその現実を直視せず海外は先進的だと思い込み、このまま日本は遅れており家父長制だとかホモソだとかの批判を始めてしまう。
これは昔から海外に留学や滞在して「これだから日本は・・・」と帰国してから言い出す症候群のようなものでもはや伝統文化でもあるが
ずっと日本にいて海外に行った事ないのに洋画だけ見てコレダカラ日本ハ症候群を患ってしまうのはちょっと落ち着いて欲しいとは思う。
邦画も嗜む人もいるが基本的に邦画は女性を搾取する要素が多いと(そう思い込んでいて)見下しているのだが
こないだ「テネット」という映画が公開され、俺も観に行ったのだが下手に口するとネタバレになるので超大雑把に言うと悪党が家庭内DVを振るっている場面があった。
これに関して洋画ツイフェミはどう反応したのかというとスルーなのである。スルーした上でテネットの出演者の画像やgifをペタペタ張り付けて尊い…と言って終わりである。
映画好きな人はなんで画像はともかくgifを貼りたがるんだろう?と思いつつ、映画の中でも都合の悪い現実は見ないのだろうかと思い知らされた。
あと女性蔑視に対してはとても敏感なのに映画の中で男性が辛い目にあったり、男性ではならの苦悩に苛まれているシーンに対して「苦しんでいる姿が素敵…」とウットリするのは何とも謎である。
鍛えている男優は多いのでムキムキだと「雄っぱいありがたや…(合掌マーク)」と、もし男が女優のおっぱいありがたや…と言ったら叩くよねそれ?と先進的でありながら性欲に介しては後進的なのも謎である。
ハリウッド業界で活躍する俳優は実力主義の世界で勝ち取り、ルックスもキャリアも素晴らしく自立した人間として完璧でこれ以上のない理想像であるのは間違いない。
しかしその理想像はその俳優の頑張りであってあなたの頑張りではないのだ。それにおんぶ抱っこするのは俳優に対して失礼でもあり
自分を成長する機会も見失ってしまうので俳優の画像を張り付けて満足して終わらないようにしてみてはどうだろうか。
正直言うと難しいのである。どう難しいかと言うと彼女らは間違いなく性的に消費されている立場なのだが
事情が本当に一人一人違うので「わかっててその道を選んだよね?」なんて言葉は言えないのである。
自業自得な人もいれば本当に運がなくてこの道を選んでしまった人もいるからだ。
商売とはいえ客を選べないのが辛い所で様々な男性の嫌な面を見てきて男性嫌悪が悪化してしまうケースは少なくない。
そこは同情もするのだが男性嫌悪が行き過ぎて客からのLINEをTwitterで晒し上げたり客からのプレゼントをそのまま売ってレシートを公開するのは
ストレス発散として多少考慮する所はあるとはいえ、それをTwitter上で行えて特に批難されないというのは女性特権を行使しているともいえる。
客からの指定が来るまでは待機なのでその間にスマホ触る時間が多いからかTwitter上ではとにかく男性嫌悪やフェミニスト的なツイートをRTをしまくってるのだが
正直これもストレス発散であり、思想としてそこまで強い拘りがあるわけでもなくただ男性を叩くツイートをフリスクを食べる感覚でRTしているだけのように思える。
男性を嫌悪しながらその男性を性的に奉仕するという矛盾は精神衛生上よろしくないのは間違いはないし本人の為にもならない。
金銭的に困っていなければ風俗を引退して一人の人間として見てくれる相手を探して欲しいのだが、結局ホストに走ってしまう。
エコーチェンバーについてはググって調べて欲しい。もし俺の口から説明したら矛盾するからだ。
俺が最初に出会ったツイフェミであり、俺がツイフェミを観察しようと思ったきっかけでもある。
そしてTwitterにいるツイフェミの大半はこれなんじゃないかと俺は思う。
恐らく最初は軽い気持ちでフェミニスト関係の人をフォローしたかRTしてきっかけを持ったに過ぎないと思う。
しかしその最初にフォローしたフェミニストが発信する情報の中に別のフェミニストがいてそれに関心を持ち始め、またフォローしていく。
そうして連鎖的に増えて行ってついにはフォローしているフェミニストの割合が3割超えた辺りから、その人はツイフェミと化してしまうのだ。
最初はフェミニストに関心もなかったし、趣味の事で話せたらと始めたはずのTwitterだったのに気が付けばツイフェミと変わり果ててしまった人は少なくはない。
実を言うとこれは他人事ではない。身内が陰謀論に目覚めたとか、反ワクチンやアメリカ大統領選挙の不正などを信仰してしまうように
ネットに触れる事で変わり果ててしまう人は昔から存在しており、今もなお増加しているのだ。
ここで勘違いして欲しくないのがフェミニズムを陰謀論と同じ扱いにしているのではない。情報が偏り過ぎてバイアスが起きてしまっていることに対して警鐘を鳴らしているのである。
ここからは個人的な話になるのだが上記の話は俺のフォロワーでもあった人の経過でもある。最初は趣味を通して知り合ったはずなのだが
気が付けば彼女はツイフェミに変わり果ててしまった。彼女はようやく本当の自分になれた気がしたと呟いたが、趣味を楽しんでいた時が一番貴方らしかったと思う。
趣味の呟き頻度は少なくなり毎日男性に対する攻撃ツイートにRTが続いていき、ついに俺はブロック解除してしまった。彼女は悪くはない。
そうして最初にリストにひっそりといれ、少しずつ増やしていったのが俺の観察の始まりだ。
ひとまずはこれで記すのは以上にしたいと思う。
リストの中でもツイフェミから離れて自分らしさを取り戻せた人はたまにいて
洋ドラ見ててもそんなノリのが多いけどなー
時代が求めてるのは10~25巻ぐらいで終わるコンパクトな漫画。
読み始めた時に小学生だったこと共が普通に成人して働いてるような時間間隔のぶっ壊れた漫画なんてもう求められてないのでは?
せいぜい平成までだよね。
30巻越えたら恥だと思ったほうがいいよ。
それと同じだよね。
馬鹿は話が長いんだよって奴?
アップデートしていけよ。
全てのブームも人気者も2年・3年で賞味期限切れで消える世界によ。
クソ早いのだと1日持たねえそういう時代だ。
その中に生きる覚悟を決めてけ。
いつまでも30年かけて読まねえと行けねえような漫画読んでじゃ駄目だぜ?
5倍計算で考えれば作者の漫画家生命は人間の平均寿命越えてんぜ。
そうなった時点で、死と割り切るべきだ。
でも固執するなら年を取り続けるわけよ。
PPAPなんて完全に消えたろ?
そういう時代だぜ?
Spotifyで2020年に海外で最も再生された日本の楽曲10曲のうち、8曲がアニメのOP
アニメが上位に来るのは外人も「アニメは見てる」ってことを意味してる。
同時に、「ドラマは見てない」ってことだよね。
日本人は洋ドラ見てるけど、外人は日本のドラマは海外ドラマとして全く興味ないってわけ。
そりゃそうだよね。
俳優ネタばっかだし、最近受けてるのは「バブル時代は~」「日本はすごかった~」「最近の若者~」ばっかで日本に住んでなきゃ微塵も面白くない。
そもそも単純な話として日本の実写ってアキラ・クロサワ以外は海外じゃ全く評価されてないから。
オサム・テヅカ、カツヒロ・オオトモ、ハヤオ・ミヤザキとアニメ映画に関しては海外でめっちゃ評価されてる。
でもそりゃそうだよね。
「バブル経済期の日本にいたパワハラ野郎に土下座の強要を倍返ししたらあ」とかそんなん言われて盛り上がるの日本のオッサンだけじゃん。
サウスパークやシンプソンズの日本人が「は?ちょっと今のついてけんかったわ」ってなるシーンだけでドラマの全パート構成した究極の身内ネタよね。
つまる所、日本製の実写は日本人向けの蛸壺の中でしか生きられない訳よ。
そしてその実写文化や日本のテレビ文化に寄生した日本でしか受けない番組群と、アニメ・マンガっていう海外でも生息できるクールジャパン群があるわけ。
その差が如実に出たよね。
別に悪いとは言ってないよ。
実写で海外と真っ向勝負なんてしても、胴長短足の日本人が主役で予算もろくについてないんだから返り討ちにあうだけ。
だから細々と日本人向けの日本でしか受けない作品を作ることで同じ物差しの上に並べられることを回避します。
でもそこに自覚的にはなるべきだと思うわ。
さすがに重すぎないか?
思い入れが強すぎない?
親友とか友達とか恣意的な括りを、グラムやメートル方みたいに、さも一般的な共通概念のように扱うと危険。
冷淡だと思われるかもだけど、増田親友(と増田が思ってた彼女)は私レベルの淡白女だったのかもよ。
私も小学校からつるんでて、今も年に何回か会う友人が3~4人いるが、正直誕生日もうろ覚え。
当然誕プレを交換しあった事もなく、彼氏は紹介したりされたりするが、20代の時ほどお互いの恋愛や結婚に干渉もしない。
旅行に一緒に行くこともあるが、海外でさえ現地集合で、行きたいスポットが別ならお互いに合わせる事すらせず、単独行動してホテルでご飯だけ一緒に食べたり。
結婚はしてても誰も式を挙げてないので、出席もへったくれも無かったし…
趣味も仕事もお互い違うけど、(アニメ、洋画、洋ドラ、スポーツ観戦とか)うっすら互いのジャンルの興味が無くも無いので、趣味や悩みや世の中の話しで、毎度数時間はペチャクチャ喋れてとても楽しい。
今書いてて、こんな薄めな付き合い方だから、30年はつるんでいられるんだなと思った。
そういや、あの人に××してあげた、○○もあげた、みたいな事を思い出そうとしてみたが、できない。
一人マメな子がいて、会うたびにうちの子供に絵本やお土産やら持ってきてくれる。
けど、ありがてーな!!と思って、次会う時にちょっとデカ目のお菓子をお礼に渡したり・・・そんくらいだわ。
みんな氷河期世代で孤独死怖いから、年食ったらお互い近い場所に住んで生存確認とかしよーぜと言ってるけど、まあ死ぬまでこんな薄めの付き合いで行くと思う。
これは私が薄くて増田が情が濃い、ってはなしじゃなくて、増田--友人の関係がモノラル接続だから、そんなに思い入れタップリでツラくなるんじゃないか?
こないだ「依存先を増やして依存の濃度を薄めろ」っていうTweetがバズってたけど、そっちに舵切ってみた方がよくない?
彼氏、
友人(知り合い以上、二人旅行未満)、
同僚(でも趣味の話しできる)、
いやいやこれも違う気がする。
ってこれ凄いな、そんだけやってくれる他の友人がいっぱいいるんよね。
私そこまでの頭数も濃密な関係性も無いわ。
新しい趣味つくるで~くらいの気持ちで卓球部に入ったら、ガチでインターハイを目指してる子がある日突然「なんでみんな真面目に練習しないの!!」って激怒&号泣し、「えっそんなノリだったの!?」と初めて知ってビックリ。
ビーガンとかベジとかみたいに食に倫理を求めるのに近いっちゃ近いよね。
肉を作る過程でどれだけ環境を汚染してて動物が辛い環境に置かれているかは知ってる。それを知った上で、栄養バランスとか家族と食を合わせるためとか金銭のためとか(野菜は高い)利便性とか、もろもろと勘案した結果肉を食べてる。意図的に線を引いている(ビーガンとかベジに異様に拒否感ある人は話通じないと思うのでお帰りください)
最近BLがポリコレじゃないって話もあったりして、意識の高い女オタクは洋画洋ドラとか、あとは百合を嗜んでる人もいるけど、果たして百合はポリコレなのか?とも思う。確かにBLよりは消費してる感とか罪悪感は薄いかもしれないし、百合は創作側にも当事者が多かったりもするけど、マイノリティを消費する点では似てるよね?
ようはどこまで潔癖になるかって話だと思うし、その線引きは食肉に似てる
食ほど重要じゃないので絶てよってのもわかるけど