はてなキーワード: 松岡修造とは
- 自分に言葉や社会のルール、基本的な道徳観を教えてくれのはだれか?
と考えると、遺伝因子、環境因子の両方の影響を両親から受けていたと、思うよ。
ヘレンケラー女史に、サリバン先生がいたみたいに、自分を良く理解した上で適切な方法で根気よく導いてくれる人がいるって大切なことだよね。
だけど、アスペルガーだと、人との関わりが上手くいかないし、ADHDで、感情のコントロールも苦手だったりだと、人から理解されずらいし。
なんだろう、人の助けを得ようにも、得ることが上手く出来ないから、そもそも、困っている。
『人は、支え合って生きているんだよ』という基本的なことであっても、僕も、僕の親も、知らずに育ったように、思うよ。
父親は、僕の祖父へ助けを求めることや、会社の人や学生時代の恩師に助けを求めることが出来なかった。
母親も、父親を支えきれなかった。
両親自体が、彼、彼女らの境遇を受け容れきれていなかったように思うよ。
自分自身の性格・気質・能力について、折り合いをつけることが出来ないでいた。
つまり、元増田が言うように、「頭がくらくらする」為に、どうしていいのか、わからん状態が、一生続くかと思うと、絶望してしまう。
砂に水を注いでいるようで、何も自分には蓄積していないように、感じる。
また、ある程度、落ち着いて来た時に、親は愛情を注いでくれたつもりでも、自分では素直に受け取ることが出来なかった面があったようにも、思えるようになりつつあるのかな。。。
普通の人と同じ努力をしても、報われないのだから、やる気もなくなるべ。
そもそも、僕は、自分の失敗から学ぶということが、苦手だったよ。
短期記憶の能力・認知能力が低いとか。同時並行で、処理をすると頭が固まるとかさ。
これらは、直しようがないわ。
いくら、タメになる自己啓発本(w)とかを読んでも、理解の仕方が一般の人とは異なるし、アウトプットで、いつもつまづく。
相手の立場や理解度に合わせて、表現を選んでいくと言うことが、苦手だったりするよね。
単純なペーパーテストでも、ケアレスミスがあったりで、分かっているのに、点数に結びつかずに、意味が無いってのがあるよな。
増田に何かを書いて、ブクマがついて、スターがついて、文章力が褒められるだけでも、マシになったかとも、僕の場合は、思うよ。
作家とか、プログラマー出身のブロガーとか、コンサルタント的な人の中には、どう考えても、発達障害です、ありがとうございました、
という人も、ちらりほらり、いるし。
長島茂雄の子供(一茂も三奈)なんかは、タレントとしては、空気を読める人たちに思うから、
環境によって変わることも、大きいのだろうね。
奥さんが、定型なのかな。
羽鳥慎吾、ホンジャマカの恵なんかを始めとする優秀な司会者は、定型の代表者だと思う。
多くの人の感情を読み取り、適切な言葉で表現することが、上手いから。
一方で、リアクション芸人とか、特殊な分野で一芸に秀でているタイプの人は、
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)やらADHDでも、やっぱし成功しているように思う。
極端な例になるが、
松岡修造とか、家庭生活では、イマイチな話を聞いたことがあるし。
アスペルガー症候群って今は、自閉症スペクトラムって呼び方に変わって来ているようだよね。
最近、NHK教育テレビで見て参考になったTEDがあるので、リンクを貼ります。
子供の頃に自閉症と診断されたテンプル・グランディンが、彼女の脳の働き方について話します。彼女の“絵で考える”能力が、一般的な脳が見落としがちな問題の解決に役立つと言います。世界は、自閉症の領域にあるとされる人たち-視覚型思考者、パターン型思考者、言語型思考者や全ての風変わりな天才達-を必要としていると訴えます。
http://www.ted.com/talks/temple_grandin_the_world_needs_all_kinds_of_minds?language=ja
普通(?)死にたい人のイメージは「疲れた…もう死にたい…」みたいな生気を失って生きる気力すらないという状態なんだけど、たまに「ああもう死にたい!!!!もう死ぬぞ!!」ぐらいの松岡修造並みのテンション高い死にたいが出るときあるんだけどこれはなんなんだろう。
心がそわそわしてもうじっとしてるのが我慢できない、今すぐに死にに行きたい!くらいの勢い。
特にその衝動に理由はなくて、ただもうここから高いところに行って飛び降りないといけないという衝動だけ。
悲しい感じは一切なくて、むしろ表情はギラギラしてると思う。躁状態?
最初に書いた前者みたいな死にたいもよくあるんだけど、その時は悲壮感というかもう何もかもダメなんじゃないかとかそういう不安が寄り添ってくる感じで全然違う。
衝動というよりはもうそれしかないよな、みたいな諦めに似た感じ。涙もボロボロ出る。
まだ生きてるということでどちらも実行に移したことはないんだけど、我ながら対応に困る。
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野々村議員のMADを見ていると「朝鮮飲みwwww」とか「在日確定」というようなコメントがついていて、それを見るたびにゲンナリしてしまう。
なんだよ、朝鮮飲みって。手で口元を隠しただけで在日認定かよ。日本人だって食事の時に口元を隠したりするじゃんか。くだらない。
こっちは新手のバカを見て楽しむために動画を見てんだよ。ツマラン政治ネタはよそでやってくれ。ニコ厨が全員右翼ってわけじゃないんだよ。
もちろん自分のやっているのが趣味の悪いことだってくらいわかっている。もし自分が野々村議員だったとして、日本中の縁もゆかりもない人々からよってたかっておもちゃにされたら傷つくに決まっている。
でも別に誰かを差別したり政治的主張のネタにしたいわけではない。少なくとも俺は。でもそんなふうに扱いたがるヤツラが結構いるらしい。
俺はそういうヤツラよりマシだ、と言いたいわけじゃない。ただそういうヤツラを見ても面白くない。全然面白くない。ユーモアのかけらも感じられない。
そもそもMADというのは「著作権なんかクソ喰らえ」っていう、よく言えばアナーキーな、悪く言えば単なるバカな文化だったと思っていたのだが、MADを見てるやつが「朝鮮人は国に帰れ」みたいなことを言うのってなんかおかしくないか。いや、そもそもMADを作るヤツも見てるヤツもおかしいやつだってことは前提として。
作家と批評家を区別する意味は分かるが、しかしそのことに大きな意義はないだろう。なぜなら、すべての表現は必ず過去の作品と繋がっていて、たとえば、ある音楽の影響で新曲という作品が生まれるか、評論という作品が生まれるかの違いでしかないからだ。
作家がゼロからオリジナルの作品を生みだす存在で、批評家は先行する何らかの対象あって成り立つ存在と考えるのは、あまりにも素朴と言える。そもそも作家だって批評家同様に、先行する作品があるから新作を作れるのだ(すべての創作は、必ず模倣から始まる)。そして批評家も「評論」という作品を生む作家であり、その評論が批評対象(作品)の価値を超える例や、また評論が新たに音楽や小説などの作品を生み出す例はいくらでもある(さらにすべての作家もその作品を通して批評家の役割を果たしているとも言える)。
批評家を厭う発言をする人は、評論という表現ジャンルに興味が無いことを表明しているにすぎない。もちろん、その価値観・その趣味自体に問題はない。しかしそのことはきちんと自覚しておくべきだろう。世の中にはくだらない評論が多いように感じるかもしれないが、それを言うなら、同じようにくだらない作品も多いのだから。
簡単にいえば、批評家と作家の違いは、料理を食べてその味に関してコメントをするか、こうすればさらに美味しくなると考えてキッチンに立つか。そういう違いだ。そこで食いしん坊は「おれは料理の感想や説明など求めていない。そんなものはいらない。とにかくもっとうまいメシを食わせろ!料理人以外はひっこんでろ!」と叫ぶし、まあその気持ちもわからなくもないが、しかしどちらも未来の料理に繋がってるのは確かだ。そして、いつもうまいものを食べて腹を満たすことばかり考えている食いしん坊は、時に「あらあら、卑しいわねえ(クスクス)」と笑われる、ということだ。つまり「くいしん坊!万歳」と声高に叫ぶのは、松岡修造のような選ばれし才人に任せておくべき、ということだ。
けど、仕事というのは時には痛いところも突かなきゃ行けないし、
相手に嫌われるような事も(それが正しいのなら)言わなきゃいけないんだよ。
「そういう姿を見てると「もっと本心出せよ!」と、松岡修造ばりに説教したくなるが、逆ギレされそうだから言えない。」って言う奴が同じ口でこんな事言うのかよw自虐か?
読み終わった。
松岡修造「もっと本気出せよ全力になれよ。その先に見えるものはある。必ず!」
・もの凄く端的に言ってしまうと↑こういうお話。
・「あの丘の向こう」って↑こういう意味合いでしょ? 違うの?
正直、この物語の中では外連味程度にしか機能してないと思うし。
・結果的に本気出すのが、生まれついての才能持ちばかりなので、反発沸くのは分かる。でも英雄譚ってそういうものでしょ?
・行動に対して必ず何らかの価値ある結果が出るって羨ましいよね、と訳知り顔の俺がいた。鏡見ろ。
・すごく面白いライトノベル。ここで重要なのはライトなノベルであるということ。
ここまでライトな英雄譚は今まで無かった。だから受けるんだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。
・長い長いと言われてるけど、ここまで短くできたことにこそ驚くべき。
・多彩な設定破綻と多彩な力業での誤魔化しは驚嘆すべき。超豪腕。誤魔化し方が非常に巧い。
その豪腕頼りが多彩な破綻を産んだとも言えるので、ただ賞賛するだけなのもどうかと思うけど。
・いろいろ言いたいことはあるけど、総括すると面白かった。