はてなキーワード: 反知性主義とは
しかし日本の社会全体に蔓延するこの「リベラル」嫌いというのは本当に一体何なんだろうな
この「リベラル」嫌いの空気というものは小泉改革や安倍政権以降という訳でもなくてもっとずっと古くて
記憶にある限りでは2ch(今の5ch)が出来たばかりの1990年代末期で既に社民党が叩かれていたような気がするが……
反知性主義っていうの?そういうやつだと思ってる
主張内容そのものよりもとにかくお勉強が出来そうな奴、お行儀が良さそうな奴(あくまで『そうな』であって、実際の学歴や知能指数とは必ずしも相関しない)を見付けたら叩かずにいられない国民性というか…
それで今現在そういう集中砲火を受けてるのって立憲民主党と社民党で
で、それを叩いている奴等が自公維新のようなネオリベ万歳格差社会万歳かというと必ずしもそうではなくて
主張内容そのものは労働者救済や減税や社会福祉の充実だったりするので本当に狂っていると思う
自分達の主張そのものの主張をしている政党を積極的に叩いて勢力を弱めて
本当に何なんだよ
普通の人が、これは意味を調べておくかとなるか、あるいは調べずずになんとなく吸収しても実際の意味と食い違わず使いこなせる状態になってしまうのか。
言葉を覚える時にどうやってこの二つのふるいにわけているものなのか、この基準に対する学術的(言語学的あるいは医学的(認知心理学的))な説明がほしいところ。
たとえばぴえんなんか、調べて意味を覚えて使いこなすようになったなんて野暮な人は少数派だろう。
でも本当のぴえんの意味は、全力脱力タイムスでやってたような円相場に関する経済用語の隠語かもしれない。
そんなことはつゆ考えず調べずこの言葉は本来の意味通りに使いこなす人が多いわけで、ではこのような言葉に関して調べなくてもあってるだろうと楽観視する根拠はなんなのか?
この楽観視を全てにおいておこなうと、それこそ反知性主義のような額面通りにとっては誤用になりうつ言葉にひっかかるわけで、定型発達者はある基準をもっているはずなんだよね。
普通の人は意味を知ってると思い込むことも多いということだよ。
はじめてある言葉を知ったとき、無意識的に字面から意味を勝手に類推して特に調べることもなく新たな語彙としてこれまた無意識的に吸収してしまっても、実際の意味との食い違いが起こる可能性は少ないわけで、だからこそそうやって調べることせずに言葉を覚えていくという人は多いと思う。少ない可能性のためにこれからは意味を調べておこうとやり方を変えるのはばかばかしい。
お前こそ、普通、人、意味、知る、言葉、使う、ない、について、今言葉の意味をちゃんと調べてつかったのか?
俺にとって反知性主義はこれと同程度に身近な言葉だったというだけだ。
かりに反知性主義がわかりやすい例だったとても、自分が今使おうとする言葉のどれが地雷なんてわかりっこなく、きりがないわけよ。
自分が知っていると思っている言葉のどれが、実は間違って解釈していたかなんて見抜くのに、特にレスバのようなリアルタイムな会話を実現しつつという条件つきでの根本的な解決手段はない。
確かに調べてみたら間違っていることは分かった。
でも俺は字面通りに「知性に反している態度」だと意味をとって使ったに過ぎない。
別に背伸びとかのために使ったとかじゃない。いつこの言葉を知ったのか思い出せない程度には昔から知っていたし文盲とかうすらとんかちぐらいには馴染みを感じる。
ただその場面で相手が「知性に反している態度」に思えたから、そういう意味に自分では理解していた言葉をぶつけたに過ぎない。
普通、自分の知っている言葉について、一字一句意味を確認しては使わないものだろう。
たぶん相手は反知性主義という言葉の(その相手だけが感じていた)仰々しさを、指摘する直接の動機としていた。もし相手にとってある言葉が仰々しいものでなかったら、明らかに間違った使い方をしていても指摘はしてないと思う。「背伸び、中二病」とかいうような使い勝手のいい典型的なレッテル張りに結びつけることもできないから。
ありとあらゆる受け手を想定して、自分が今使おうとしている言葉が仰々しいと思われるリスクが高いものか、意味をちゃんと調べておくべきかなんて、いちいち検討するのは馬鹿馬鹿しいことだと思う。
はじめてある言葉を知ったとき、無意識的に字面から意味を勝手に類推して特に調べることもなく新たな語彙としてこれまた無意識的に吸収してしまっても、実際の意味との食い違いが起こる可能性は少ないわけで、だからこそそうやって調べることせずに言葉を覚えていくという人は多いと思う。少ない可能性のためにこれからは意味を調べておこうとやり方を変えるのはばかばかしい。
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問題にしているのは学歴フィルターの存在ではなく、メールの題名に大東亜帝国以下⑨とか付けて送信しちゃうマイナビのコンプライアンスの不備だろうに
なんで学歴フィルターがあって何が悪いんだっていう的外れな擁護ばっかり。
学歴フィルターが駄目なら大卒の肩書きで応募している時点でっていうけれど、大卒以上を募集している会社は募集要項の時点ではっきりとそう書いてあるんだから全然違うでしょ。理系の大学生を求める会社とかも。
大体「学歴」ってやつが、「学歴」じゃなくて「学校名」になってるからエリート主義としても不完全で不健全なんだよね。
海外の学歴社会ってやつは、学部卒は低学歴扱い、院卒が当然で博士号持ってて当たり前とかそういうのだし。大人になってから努力を重ねて積み上げていくのを前提としているやつだから全然違う。
日本でいう「学歴」は18歳の時点の偏差値の事でしかなくてその後の努力で学歴を積み上げる事を否定しているから地頭至上主義の天才万能論、反努力主義で反知性主義的。社会の発展のためには有害と言える。
一時期、具体的にはアメリカでトランプ旋風が巻き起こっていたころ反知性主義という言葉が流行った。
その概念は日本にも輸入され、主にリベラルが格好つけて馬鹿呼ばわりする時に使用した。
しかし反知性主義とは「反知性」主義(すなわち馬鹿)ではなく反「知性主義」(反エリート)というのがホフスタッターの論旨である。
参考:https://cruel.hatenablog.com/entry/2015/08/20/185544
わざわざ格好つけて言おうとした結果誤用にハマる という意味では「すべからく」と同じだ。
むしろ「すべからく」は単に格好つけようとして失敗しているだけだが、
「反知性主義」の場合は他人を馬鹿にしようとして失敗しているという、より恥ずかしい状況だ。
まともな神経だったら二度とこの言葉を使わないくらいには凹むと思う。
ここまでは単に誤用した人が恥ずかしいだけの話なのだが、問題はその時「反知性主義」呼ばわりされた人(被害者)だ
被害者の主観的には「賢しげなリベラルが知性を振りかざして馬鹿にしてきた。」と映るだろうし、実際にそのとおりだろう。
よほど奇特な性格でもない限り、馬鹿にしてきた相手には反感持つのが人間というもの
被害者は多かれ少なかれ「知性主義者」への反感を植え付けられてしまう。
デジタル庁自体が菅政権の最大の施策の一つであり、また担当大臣の平井大臣が癒着やパワハラ、ネット工作などの疑義が前から掛けられてた事もあって関心は高かった。その中で、事務方トップである「デジタル監」の人事も少し話題から紛糾しており、カリブ海のロリータ島をセレブに提供していて最終的に消されたエプスタインとの金銭関係があった人物が一時候補になったが、流石に身辺調査したらやばくねということで見送られて、結果的に72歳の石倉氏が就任する運びになった。
しかし、就任会見(?)のときに、彼女の発言の一部が報道されて、デジタル庁のトップとしての適正がいきなり疑問視された。
Twitterなどでは主に石倉氏の経歴を理由に「彼女は優秀に違いない!!」バイアスが掛かった擁護が繰り広げられた翌日、彼女がインターネット上の基本的な著作権を理解しておらず、ガビガビの画像をブログに掲載するほどWebデザインにも無頓着ということが明るみに出てしまい、「スーパー72歳」とか「デジタルに超詳しい百戦錬磨の敏腕素人」と祭り上げていた人達は一夜にして梯子を外されてしまった。
https://twitter.com/KAZE/status/1433268216235630599
https://twitter.com/mesotabi/status/1433399709566062594
https://twitter.com/Benzman_TAKE2/status/1433308767442006018
5ちゃんねる、ヤフコメ、はてななど、右翼、左翼系のコミュニティーでは、一晩にして否定的な声が多数を占めてしまい、ここから挽回が期待されている。中には、「警視総監が万引きしたようなもんだ」という痛烈な皮肉まで展開されていて厳しい船出である。その中でもTwitterだけは、著作権侵害を告発した被害者であるPIXTA社がなぜか糾弾されるという被害者の二重レイプまで起きており、政府が力をいれているインターネット対策の中心地はここなのではないかとも勘ぐらされたのである。
日本人はとにかく学歴や権威に弱い。ショーンKとか齋藤ウィリアム浩幸とか竹花貴騎とかそうだけど、ちょっと豪華な学歴と経歴があれば、真偽はともかく「この人はすごいんだろうな」バイアスがかかる。このデジタル監の石倉女史も「経歴がものすごいんだから超優秀に決まってる!」という主張が相次いだ。一部では「プロ社外取締役」「渡り鳥」ではないかという意見もあったし、少なくともITやデジタルに関する業務はほとんど経験ないのは明白だったけど、とにかくすごい大学出てすごい会社の社外取締役経験してるんだから、お前等は何も言うな的な論調が高まっていた。
しかし、「誰が言ったか」ではなくて「何を言ったか」が問題なのである。たとえ華やかな経歴があっても72歳のお婆ちゃんだ。普通ならもう年金生活している段階の高齢者を引っ張り出してくるなら、相応のデジタルに対する知識や造詣、情熱が必要なのではないか。もちろん、彼女は実質前前任の桜田義孝サイバーセキュリティ担当大臣よりは数千倍マシであろうが、それでもデジタル後進国の日本のITリテラシーを高める急務が求められているときに、この人が本当に適任なのだろうか。同じマッキンゼー云々なら、南場智子氏の方が全然適職ではないのだろうか。経団連も兼任してるから厳しかったかもしれないが。普通にTwitterやブログやってるお婆ちゃんが事務方トップになれるなら、数百万人レベルで候補者が出てくるだろう。
そして、石倉氏に対する反応については、もう一つ大きな問題が有り、彼女が「ワードプレス」とか「Python」とかいう言葉を出しただけで、超敏腕のスーパー天才ITエンジニアではないか、という受け止め方がされていること。
https://twitter.com/youyakuya/status/1433449570134990853
もちろん非ITエンジニアにとっては「ワードプレス? Python? なんかよくわからんけどとにかく凄いんだろ!!」みたいな反応になってしまうことはある程度は仕方ないと思うのだが、そもそも彼女は「Pythonを勉強していいたけど難しくて挫折した」のである。これはむしろ氏のデジタル適正の完全否定他ならないと思うのである。アセンブラ言語やC++ならまだわかるよ。人には向き不向きあるからね。でもPythonができないのって普通に才能ないと思うよ。数ある言語の中でも平易なもの。だからこそ世界の主要言語に躍り出た。ワードプレスなんてただのブログ作成ツールだし、そのご自慢のブログでも早速やらかしてしまったんだけど、そこでも「本人はワードプレスには一切触れてなくて、部下やスタッフが勝手にやった」みたいな擁護までされて、WPバリバリに使いこなすスーパー72歳という設定はどこにいったの感がある。
「72歳なんだからプログラミングできないのは仕方ないだろ!」という声もある。しかし日本には石倉さんより15歳ぐらい年上なのに、Pythonより遥かに難解なObjective-CでiOSアプリを開発している女性がいるのだ。xcode使いこなすのはWPの数千倍難しいぞ。高齢者に対するデジタルへの抵抗感をなくすのが目的なら、彼女のほうがデジタル監に相応しいと思う。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO37707280T11C18A1000000/
要は「石倉さん? よく知らないけどwikipedia見たら経歴すごいし、PythonとかWordpressとか触ってるようだから、凄い人なんだ!!!」という思い込みと脊髄反射がされた一件である。我々もJavaやPHPやObjective-Cしか書けない底辺エンジニアであるのだが、恐らく世間的には増田さんって頭いいんですね~デジタル得意なんですね~みたいな受け止め方がされるのかもしれない。日本人は権威に弱く、日本人は「よく分からないもの」は「畏怖」を覚えてしまう。
しかし、石倉氏はデジタル監に完全に不適任かというと定かではない。というのも、こういうポジションは実務はほとんどなくて、ただのお飾りポジション、それこそ彼女が歴任してきた「名誉教授」とか「社外取締役」と同じなのではないかも思えるのである。実務がないのであれば弊害もないだろう。実際、Twitterのウヨ勢力はこぞって彼女を熱烈支持することに決めた。それこそ著作権侵害であってもさっさと謝罪したからむしろ素晴らしいというアクロバット擁護まで。
職があるときもないときもプログラム書いたり色々やってたけど、
コロナを切っ掛けに、自分の人生のすべては時間の無駄だったと気づいた
いわゆるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が重んじる知恵というか、
知識、インテリジェンスなものはこの社会ではことごとく不利になる
それに代わって暴力、ルッキズムや反知性主義が勝利したのはその証拠である
つまり有利に生きるためには、もっと反知性主義でなければならなかった
それは外見や口先だけのコミュニケーション能力であった
宗教的な戒め、因果応報はある前提で行動した方が何かと安全サイドである、
そういった前提はことごとく崩れた
公正世界仮説は間違っているが、まったく不公正な世界になると、