一時期、具体的にはアメリカでトランプ旋風が巻き起こっていたころ反知性主義という言葉が流行った。
その概念は日本にも輸入され、主にリベラルが格好つけて馬鹿呼ばわりする時に使用した。
しかし反知性主義とは「反知性」主義(すなわち馬鹿)ではなく反「知性主義」(反エリート)というのがホフスタッターの論旨である。
参考:https://cruel.hatenablog.com/entry/2015/08/20/185544
わざわざ格好つけて言おうとした結果誤用にハマる という意味では「すべからく」と同じだ。
むしろ「すべからく」は単に格好つけようとして失敗しているだけだが、
「反知性主義」の場合は他人を馬鹿にしようとして失敗しているという、より恥ずかしい状況だ。
まともな神経だったら二度とこの言葉を使わないくらいには凹むと思う。
ここまでは単に誤用した人が恥ずかしいだけの話なのだが、問題はその時「反知性主義」呼ばわりされた人(被害者)だ
被害者の主観的には「賢しげなリベラルが知性を振りかざして馬鹿にしてきた。」と映るだろうし、実際にそのとおりだろう。
よほど奇特な性格でもない限り、馬鹿にしてきた相手には反感持つのが人間というもの
被害者は多かれ少なかれ「知性主義者」への反感を植え付けられてしまう。