はてなキーワード: 上前とは
80年代あたりから90年代にヒット作を出して作品が映像化もされてるけど、そこまで大ヒットというわけじゃない。
作家になれなかったら自殺するというくらいだから、本業があって作家は副業ってわけじゃないよな。
どうやって生活してるんだろう。
ちょっと前に吾妻ひでおが、某ベテラン漫画家の名前をだして「〇〇くんがバイトをしてるコンビニに行ったら~」と言っていてショックを受けたわ。
その漫画家も、大ヒット作はないけど、けっこう有名だと思うんだけど。
漫画家のほうはツイッターで見るけど、作家のほうはネットで検索した限りでは消息不明。HPも更新が10年以上前に途切れてる。
高校生でつきあって、大学、就職と、楽しいことも辛いことも一緒に経験してきた。
今では同棲していて、自分も相手もまわりもそのうち結婚するだろうと思っている。
彼女のことはとても大事だと思ってるし、彼女以外と結婚も考えられない。
その子は気が強く大人びていて、学級委員になるような優等生タイプだった。図書館に通いよく本を読んでいた。自分のあまり知らない世界をたくさん知ってる彼女にとても教養を感じていた。自分でも本を書いていたようで、それを見つけてからかったら、今までにないほどにらまれたこともあった。
男子人気はあったと思うんだけど、気が強く男子ともよくケンカしてたから、「あいつはいいや〜、こえ〜し」みたいな感じで少し敬遠されてる節もあった。
自分はその子のことが好きだったけど、好きだから付き合うなんて発想もまだなく、ただその子のことを意識していただけだ。
中学進学。
その子は結構裕福な家庭で頭も良かったので中高一貫の私立にいってしまった。
それっきりだ。
お別れだっていうのは前々から言葉ではわかっていた。でも実際に中学生になって、本当にあの子とすれ違うことすらなくなってしまった。
あの子が好きだったのだ。
あの子は、自分の知らない私立中高一貫の世界で、自分の知らない人たちと、自分の知らない経験をしてる。
かたや自分はというと、あの子がいない、ぽっかり穴の空いた世界で毎日を過ごしてる。
会いに行くなんて勇気はなかった。
ただの小学の同級生が会いたいから会いにきた、なんてキモいに決まってる。
だからただ、その子の家の近くを通るたびにすれ違いを期待していた。
高校に進学しても、ずっと思い焦がれていた。
同じ街に住んでいれば、いつか会うこともあるかもしれないと思っていたけど、結局ただの一度もなかった。
中学3年間まるまる会わなかったのに、いきなり会いに行くなんて不自然だ。そんな勇気は自分にはなかった。
大学生になって、県外の大学に進学した。もう万が一にもすれ違うことはないと思うと、この思いはますます強くなった。
恐る恐る検索をかけると、でてきた。
会いに行けるんじゃないか?
彼女を思う度にそう考えたけど、結局、会いに行くことはなかった。
そんな勇気はなかった。
ひとつ、チャンスだとおもっていることがあった。
成人式だ。
会えなくなった中学生のときから、このタイミングだけは絶対あえると楽しみにしていた。
その子は遅れてやってきた。
一目見たときドキッとした。
いる。
やっと会えた。
でも結局、なにも言えなかった。話しかけることすらできなかった。
何年も待ちわびた成人式で、昔と同じように何も出来なかった。
そこから、この思いはこじれた。
好きだった、でも良い。
気持ちが大きくなりすぎて、別に付き合いたいわけじゃなく、この気持ちを吐き出したかった。
それくらい辛かった。
よく夢を見るようになった。
その子がでてくる夢。
いつも偶然の再会から始まる。
決まったパターンだ。
勇気を出して話しかけてみると、自分のことを覚えてくれている。
「あの頃好きだったんたんだよね」
ずっと言いたかったことが言えた。すごい満足感、充足感を覚える。
すると、はにかみながら、
「あたしもだったよ」
そう返ってくる。
その瞬間の幸せさったらない。
なのに半年に一度、一年に一度その夢を見るたびに、その子のことを引きずってるんだってことを意識させられる。
もう自分はリアルな彼女の姿をまったく知らない。どんな性格になっているのか、なにやってるのかもわからない。
自分の中の理想通りに成長した、存在しない幻想の彼女がいつもいっときの幸福と、莫大な虚無感を運んでくる。
そんな女は存在しないし、実際会えたとしてもなにもかもが違うだろう。
歳を重ねるほどに、袋小路に迷い込んでいる。
どうやったって今更なこの気持ち。
どうして忘れた頃に、またこんな夢を見せるんだ。
もう疲れた。
あの夢を見ながら、死にたかった。
[追記]
思った以上に反響いただいていて嬉しいです。
実はこれ一カ月以上前に書いたものなんですがさすがにキモいかなと思ったのと、冷静じゃなかったんで寝かしておいたものです。
一カ月たってみてもなおキモいですが、まぁそのときの本当の気持ちだし埋もれさせとくのももったいないなと思って投稿しました。
本当に普段は全然未練なんてなくて、彼女ともうまくいっているし、とても大切に思っています。この件も「自分が好きだと言えなかったから叶わなかった初恋」として、良い思い出に昇華できてると思います。
でも、この夢を見るタイミングだけ、猛烈に上に書いたような気持ちに襲われるんです。
きっともうどうやっても叶わないことがわかっているからなんでしょうね。
これさすがにキモいって自覚はあるので誰にも話したことなかったんですけど、こういう気持ちを吐き出せて、さらに反応まで返ってくる、ここって良いところだなと思います。
みなさん本当にありがとうございます。
ただ、夢を見ないように祈るばかりです。
骨がもろくなるのを防ぎ、骨や歯の発育を促す。
15錠(成人1日量)で645mgのカルシウムがとれる。
発売されたのは、百年以上前の1911(明治44)年。現在のワダカルシウム製薬の前身であり、大阪・道修町に1856(安政3)年に
創業した和漢薬問屋、和田卯助商店の三代目和田卯助が開発した、日本で最初のカルシウム錠剤でした。
現在では骨を丈夫に保つだけではなく、筋肉や血管の収縮に関与し、神経伝達を安定させるなど人間の生命維持に不可欠な
ミネラルとして知られているカルシウムですが、開発当時は一部の先見の明のある人間にしか注目されていなかったのです。
自分が生まれる前から我が家で元気に動いてる電子レンジがついに壊れた。ググってみたら、1976年製っぽいので、自分が生まれる10年以上前から台所で頑張ってるなかなかスゴい奴。愛着も物凄くあるだけに、壊れると悲しい……。それにしても40年も動き続けるなんて、本当に頑丈だな。
という話を、この前会社の飲み会で上司に話したら、40年以上動き続けた、というところではなく「1976年でもう家に電子レンジがあったのか!?」というところに驚かれた。え?電子レンジなんて昔からあるもんじゃないの?と思ってたけども、話を聞いていると、どうも上司の家に電子レンジが始めてやってきたのは、1990年代に入った辺りだったとか。
帰ってからググってみると、普及率のページ(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2280.html)があった。見てみると、電子レンジは1976年の段階では普及率は約20%、1990年でもまだ約70%で、90%を超えたのは1997年辺り。
てっきり洗濯機や冷蔵庫辺りと一緒に普及したと思ってたけども、時期が全然違ったのか(この2つは1970年代前半で90%越え)。
いや、本当にビックリした。デジタル家電でもなく、ないと食生活がものすごく不便になる生活家電なのに。なんでここまで普及が遅かったんだろ。
ブラーくんも、毎度ナントカさんに振り回されつつも、そのノリに慣れてきた……どころか心地よくなりつつあった。
???「たのもー!」
そんな二人の間に、今日は珍客の来訪。
その髪の色に見合ったドギツい声色で有名な同級生で、みんな親しみをこめて「ヤイノちゃん」と呼んでいる。
しかし、この国の、この学校の文化に馴染めていないブラーくんは、彼女を頭のおかしい人と認識していた。
ブラーくん「仮入部ですけど……」
ヤイノちゃん「え、まさかカントカ部に入ったの!? 頭おかしいんじゃないの」
ブラーくん「仮入部ですって。それに頭おかしい人に、『頭おかしい』って言われたくない」
ヤイノちゃん「失礼なヤツね……ふん、でも一人増えたところで事態は変わらないわ。さっさと教室を明け渡しなさい。部員の少ないクラブに、勝手に空いた教室を使わせるわけにはいかないのよ」
ナントカさん「だから、ヤイノちゃんにそんな権限ないでしょ。先生にも許可は貰っているし、空いた教室を他に使う予定もないのだから、やいのやいの言われる筋合いはありません」
理由は分からないが、ヤイノちゃんはナントカさんを目の敵にしているらしく、時たまこうやって部室に押しかけてくるらしい。
ナントカさん「はあ、小学生の頃はあんなに大人しくて可愛らしかったのに、どうして今はこんな風になっちゃんでしょう」
二人の関係は数年以上前から続いており、いわゆる幼馴染ってやつだ。
きっと浅くて深い因縁があるのだろう。
ナントカさん「残念ながら、今日はヤイノちゃんと遊んでいる暇はないんです。なんてたって今日は、カントカ製造工場の見学に行くんですから!」
ブラーくん「え、初耳なんだけど」
ヤイノちゃん「そういって逃げるつもりなんでしょ。そうは問屋が卸さないわ!」
ブラーくん「まさかジャポンの、しかもこんな都会のド真ん中にあるなんて……」
工場案内人「今回、工場を案内させていただくサスタと申します」
ヤイノちゃん「本日は急な見学に応じていただき、まことにありがとうございます」
ブラーくん「さっきあんなこと言っておいて、よくそんな対応が出来るなあ」
ヤイノちゃんは外面だけは良かった。
ヤイノちゃん:ピンクツインテールがキマッている。ナントカさんの幼馴染。最近は疎遠になっていたが、ブラーくんを巻き込むナントカさんを止めるという名目で、ことある事にやいのやいの言う。だが、最終的にはカントカに満更でもない感情を抱く。一応はツンデレ属性ということになっている。
お前の幼少期は30年以上前だろ
スポーツオーソリティーに野球道具を見に行ったついでに、通りがかったゴルフコーナーでクラブを手に取り、握り心地を確かめたりしていると、売場担当の中年男性が近づいて来た。
「やらないんだったら触らないでよ。」
ぶっきらぼうにそんな台詞を吐かれて、あまりにも予想外な事態に僕は混乱してしまい、無言でクラブを置き立ち去った。
店を出ると同時に吐き気がするほど不快な気分になり、それ以来二度とスポーツオーソリティーには入らないようにしている。
今でも看板を見るだけでこのことを思い出す。
スポーツオーソリティーが経営不振に陥っているらしいが、僕からしたら至極当然な結果である。
早く潰れろ。
同じような思いを抱えて氷河期と言われる時代、なんとかちょいブラックなところに引っかかった私に言わせてくれ。
就活は散々で思い出したくもないが、残念ながら人との関わりはずっと続く。
就活が終わった後もだ。
コミュ力に問題があってもすんなり決まるような、抜きん出た能力が無いならばなおさらだ。
「そこそこの大学」であるならば、この売り手市場、まだワンチャンあるはず。
「そこそこの大学」ならリクナビマイナビより精度の高い情報があるのでは。
自分の学部学科の過去の入社実績とか、学校に来てる求人票とか、これから開催予定の説明会とか見ながら
「ランク低め」「聞いたこともないところ」そういった会社をひたすら見つけてみよう。
そういったところを調べることで、今まで目につけてなかった業界とかもわかるし。
相手コミュ障だろうが何だろうが、尻尾振りながらいろいろ話すぞ。そんな会社いくらでもあるはず。
「高い学費を払ってくれた親に申し訳が立たない。」という意味じゃフリーターも無名会社も同等なんだろうが
とりあえず内定取っとく、とりあえず社員として働く、によって増える選択肢は出てくるはず。
フリーターやるのは、やれること全部やり尽くしてからでも遅くない。
以上、自分自身の就活時希望業界全滅後、時期的にももう後がない、となった際の気の持ち方と立ち回りの思い出話な。
10年以上前の話だから現在においては何の役にも立たないだろうし、
私自身こんな大人になってしまっているので最適解ではなかったのは間違いないが。
悩んで立ち止まるよりは、とりあえず今可能なことに飛び込んで状況に身をまかせる方が
結果、物事が先に進んでいった気がする。
>人の話を聞くのは嫌いじゃないし、むしろ好きなくらい
仕事は嫌でも人と関わる。
自分の伝え方が拙くても、相手に対する好意を持ち続けていれば、
多くはないが中には助けてくれる人はいる。
こちらが問い合わせすると先回りして言い訳をしてくる店員が多い。
私「キャンセルは何日前までですか?」
店員「一週間前までとなっておりまして…今繁忙期なので…急にキャンセルされるとこちらとしても…申し訳ありません…」
私「オプションのサプライズプレートには◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯って書いてもらえますか?」
店員「いやちょっと文字数が多すぎますね…うちはケーキ屋さんじゃないので…そんなに書けませんね」
できないなら「できません」「一週間以上前ならキャンセルできます」「◯文字以内なら書けます」とだけ言ってくれればいいし、全く謝る必要なんてないんだけど
一ヵ月以上前になるが、友人と『Ready Player One』を鑑賞。
各種ネタを懐かしんだりキャラ探ししたりと、おっさんとして普通に楽しんだ。
楽しんだのだが… エンドロール途中から涙が出て止まらなくなった。
作品に感動して涙が出たのではない。
でもきっかけ分かっていた。
ある登場人物の『このゲームを楽しんでくれてありがとう』といった内容のセリフ。
自分はゲーム開発者。経験は20年以上になる。ビッグタイトルに関わったこともあるが、それも過去の話。
直近まで開発してたタイトルは… コストや業界の流れ、その他もろもろの理由で開発中止になった。
その前は初ディレクターとなるものの、プロデューサーと合わず開発凍結(実質中止)。
その前はチーム内のごたごたで、当初予定と異なる不本意な形でリリース。
楽しい 面白い そう言われるものを作りたい。でもここ6-7年はうまくいってない。
トラブルには慣れっこ、気にしてませーん って振る舞っていたけど、心の奥底では悔しかったし、思った以上に疲弊していたみたい。
多分前出のセリフにその辺の感情を刺激されたんだと、今になって思う。
50歳手前のおっさんが人前・友人の前で泣いて、映画館を出ても涙がとまらず。
なれたんだけど… だけど。
さて、どうしたもんかねぇ。
オレはガンダムでは行かない。
もう10年以上前の話だ。某上場企業でエンジニアとして働いていた。
その自分が所属する開発部門に担当部長という役職のおっさんがいた。
そいつが絵に書いたようなクズで、下の人間には偉そうにし、上にはヘコヘコごまをするような奴。
毎日下の人間をいじめていたのだが、自分は特にいじめられていた。
当然みんなから嫌われていた。でも超ごますり豚野郎なんで、そいつよりさらに上の役職の人はそいつを気に入っていた。
40にもなろうというおっさんが毎週月曜日は少年ジャンプを片手に出社してくるようなクッソキモいゴミ人間のくせに、自分がデザインの本を読んでいたときがあって、なんでエンジニアのおまえがそんな本読んでるんだ?おまえは何になりたいんだよ?とバカにされた。
自己啓発系の本を読んでいれば、そんな本読んでるからおまえは駄目だんだよと馬鹿にしてくる始末。
こいつのパワハラは日に日にエスカレートし、自分はひどいうつ病を発症し休職し、復帰後も体調が優れず退職することになった。
そして人事からはそのパワハラはもみ消され自分が勝手に体調崩して自己都合で休職したことにされた。この会社、潰れろ。
今日その会社の話題がふと出たので、調べてみたら人事異動についての告知があり、そいつは支社長ポジションまでいつの間にか出世しており、さらに今回の異動で統括部門副部長にまでなっていた。
自分が当時慕っていた優秀な人達の名前は全然見当たらない。他にも人の手柄を自分のものにすることが得意なやつも、立派な肩書をもらっていた。
ちなみにヘコヘコ媚を売られていたそいつの上司だった人はかなり前から副社長になっていた。
なんで日本企業ってそういった政治力にすら劣るごますりパワハラ豚野郎が出世するんだ?
>おかげさんで直通網も整備されたり、人口も減ったりで6ドア車もほとんど廃止されて、
>若干余裕ができたおかげで元増田の有料ライナーの流れができるようになったわけですわ。
東京メトロ東西線のワイドドア車というウサギ小屋・人権無視車両は逆に増発されているけどね。
元増田の文章の本題は、関西には30年以上前から料金不要の転換クロス車両が当たり前のように走っていることだから、今更有料ライナーを作って満足している関東人の成熟の無さを自慢されても・・・。
>それにそのパクリ元となったJR東のライナーシリーズは特急車両の有効活用が目的だから30年来転クロなんだがね。
>まあとりあえず増田はんがこっちきて電車乗ってないことはよおわかりましたわ。
へー、JR東日本のホームライナーは、神戸線や京都線の快速や新快速のように、始発から終発まで約10分間隔の高頻度運転ができるものなのか。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6285036
「関西人はケチだから有料グリーン車に金を出さない」じゃあ、ないんだよ。
この記事の作者は、おそらく関西の鉄道を利用したことが無いのだろう。
JR神戸線の大阪~三宮間を走る新快速や快速は、3扉の転換クロスシート車両で運行されている。
特別料金なしで、グリーン車並みの座席を利用できるのだから、関西では有料グリーン車は定着しない。
新快速や快速は12両・8両編成で、約10分間隔で運行しているので、いつ乗っても空いているのがいいよね。
しかも、新快速は大阪~三宮間を約25分、大阪~京都間を約40分で結んでいる。
JR西日本のアーバンネットワークは、何でも東京一極集中の東京圏と違って、それほど通勤の混雑は激しくない。