はてなキーワード: オッパイとは
俺は41歳なんだけど、初体験を16歳ですましてから今までに13人ぐらいの女の子とsexしたわけよ。
それで女の子の名前はもちろん顔やオッパイなんか全然覚えてないんだよね。
頑張って7人までは思い出したんだがそれ以外は断片的な記憶しかないわけよ。
これってめちゃくちゃ損してない?
ブラジャー外したりパンツに手を突っ込んだりめちゃくちゃ興奮した記憶はあるんだが、sex中の相手の顔がでてこないんですよね。
最近は必死になって今までの女のFacebookなんかをチェックしたりするんだが名前が変わってたりSNS自体をやってなかったりで全然出てこない。
一人は最近になって連絡とりあってsexしたわけなんだが、全然懐かしい感じもしなかったし、13年ぶりぐらいなんだが全く久しぶり感がなかったんだよね。
相手は主婦になっててアラフォーで乳首なんかはこんなに黒かったけ?って冷静に観察したり楽しめなかったー
今までの6人ぐらいはハメ撮りなんかした記憶があったので久しぶりに昔のHDDを引っ張り出して見たんだが2人は拡張子がなんたらで再生できなくて、
あとは性器ばっかりのアップの写真しか残ってなかった、俺はマジでアホだな!!感じてる相手の顔をなぜ残さない。性器なんか結局は一緒なんだよ。
だから若い奴に言いたい!こんな体験を忘れるわけないなんて思ってても歳とれば思い出せないぞ。だからメモとるなりハメ撮りするなり残しとくべきなんだよ。
まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。
ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。
小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。
きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。
そのときぼくは思ったよ。
「あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。
もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。
しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ。
それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。
自慢じゃないがぼくのいた公立高校は男子童貞率96%、つまり非童貞はクラスに一人くらいしかいなくて、
しかも在学中に処女童貞を失った場合の浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲=正義だったんだ。
もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。
受験勉強の甲斐あってぼくは現役で大学に合格し、その喜びもつかの間、片想いの女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大に合格して大学生になったことを知った。
当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分の大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。
「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。
ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。
向かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか。
だからぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。
今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。
京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。
しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。
ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。
しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。
秋になって、いろんな大学の学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大の学園祭に出かけた。
高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。
実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから。
N女子大学の模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。
「あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。
そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。
とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。
でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。
だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。
N女子大の学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。
普通のカップルのように彼女と学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。
しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャルな領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。
その理由は簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。
手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。
そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣に住吉大社に出かけ、そこから阪堺線のチンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。
潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。
あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。
そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。
しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。
どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。
まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。
もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。
ぼくは免許を取り、中古車でいすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。
Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬のおもちゃみたいなケーブルカーに乗った。
汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。
ぼくは赤面した。
キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか。
まだぼくは胸を見たこともないのに・・・・
いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為のさらに先に位置するものであるはずだ。
ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら
先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である。
もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。
つまり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要な法則をそのときに発見したのだ。
ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。
ぼくはその真理をここに理解したのだった。
その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。
ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。
当時はまだ原付にヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。
ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会で聖書を見たいとは思わなかった。
僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要な書物であった。
「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。
ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。
そのとききみはブラウスのボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。
そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠の憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい?
163cm、B98、W60、H88という、それが真実ならば経験したことのないスリーサイズが書いてあった。
もちろん、こちらもバカではない。それが本当の数字でないことは知っているし、文句を言うこともない。
いつもならタイミングを見て、今度、行ったとき写真でも見てみようと思う程度なのだが、この日は特別だった。
これはもしかしたら最初で最後のチャンスかもと思い、タクシーを飛ばして、目指すべき店舗まで向かった。
このお店、どちらかと言えば、比較的、中から下の金額だと思う。だからスタイルが良ければ顔が悪いし、顔が良ければ態度が良くない。
こちらとしては、顔が良くて、おっぱいが大きければ、サービスが良くなくてもいいと考えている。
つまり、顔が可愛くないのは想定済み。スタイル抜群で、サービスが良ければ、まあいいかと思って、お顔会わせ。
正直、驚いた。。
率直に言うと、芸能人で言えば中村ア○。しかも、スタイルはウエストが気持ち大きめだが、完全に許容範囲。
19時から勤務ということもあり、お昼後の素人感満載。サービスの順番もたどたどしい。
これぞダイヤモンド。。
さて、こんばんはからはじめ、まずはシャワーに。タオルを取ると、Gカップの大きなおっぱいが。
そして慣れない姿がとても初々しい。
シャワーを済ませ、お部屋へ。
すぐに覆いかぶさり、まずは攻めてみる。
おっぱいがメチャクチャ柔らかい。脂肪って、こんなに柔らかいのかって思うくらい柔らかい。
積極的に攻めまくると、あれ、本気で感じてる??
「濡れやすいの。。」
この時点で盛り上がりマックス。
攻守交代。
「気持ち良くないの?」
って。
いや、気持ち良すぎるよ。。
それから彼女を上に連れて来て、オッパイがぶら下がる中、キスをしまくり、あそこをアソコにすりつける。
そしてすりつける。
そしてとても濡れている。。
彼女が上にのかっている体制から、こたらは体を起き上がらせ、キス連発。あれスリスリどころか、半分入ってない??
と言われながらも、こちらも
「分かってるよ、分かってるよ」
と、繰り返し。
でも、少しずつ進んでないか?
結局、そのままズルズル進み、騎乗位から、オッパイをもみまくり、あまりに我慢できないので、正常位に。
もちろんGをつけていなかったので、外でフィニッシュ。
夢のような時間。
その後、何度かホームページを見るものの、出勤することはなく、サイトからも消えてしまった彼女。
もう一度でいいから、会いたい。
「この世界の片隅で」
戦争モノなんだよね? で、最後に原爆落ちるって観客が知りながら見るんだよね?
武蔵とか青葉とか、つけ麺屋っぽい軍艦が寄港するんだよね、そうそう呉。
呉と広島って距離的に結構離れているから、のんちゃんも原爆とはあんまり関係ないって感じになるんだよね?
予告編見たけど、こりゃ泣くわ~と思った。いかにも泣きそうな感じ。やっぱ見に行くのやめとくわー。
「君の名は。」
これ分かんないんだけど、彗星が出てくるんだよね?72年に一度の。
小林聡美がオッパイ出してた映画のアニメ版って解釈で合ってる?
男と女が入れ替わったら、当然「あれ、チンポがない!」ってシーンも出てくるんだろうね。
そのあたりはコミカルなの?泣けるのかなあ?
あと。すごく絵が良いらしいねえ。いやあ正直、アニメ知らないから比べようがないんだけどw
「シン・ゴジラ」
見たほうがいいってみんな言うよねー。京急壊すんだよね?
そんで羽田空港あたりから立川あたりまで歩くんだよね、ゴジラが。
あ、ゴジラじゃなくてガッジーラ?
会議のシーンの描写が細かいんだよね確か。オタクが会議やるらしいじゃん。
ていうかほとんど会議のシーンばかりで寝ちゃうっていうのもホント?
http://b.hatena.ne.jp/entry/spotlight-media.jp/article/332136371516457023
「女性目線で見る「巨乳VS貧乳」それぞれのオッパイの利点~」
これに対して、ブコメで女子だけじゃなくて男子もいろいろ、コメントをしている。
そのコメントについて、ちょっと思うところがあるので、書きました。
===
>スマホは本当に楽に綺麗に拭けるんだよ……/ところで汚い言葉使うけど、これそれぞれの利点を挙げたもので個々人の嗜好を問うものではないので男性諸氏が勝ち負け付けてるのマジうざいです。性的魅力の話ではない。
===
ほんとこれ。ほんとこれなんよ。
元記事は女同士で「あるある」話をしているだけで楽しいのだけど
なぜ、突然横から入ってきて
こっちが圧勝だの
勝つの負けるの
・・・当然のように「男にとっての性的魅力」の話に収束させる(また、そう語られるのが当然とする)人々が、ちょこちょこ、けっこう、いるのか。
いや、ついしちゃうのはわかる。楽しいのもわかる、男子がおっぱいの話して楽しいのは、そらそうだ。
でもこれちゃうねん。大きいとこうだよー小さいとこうだよーって
===
>貧乳の人の絵が泣いてる時点で貧乳の方は巨乳のネタありきの自虐ネタなわけじゃん。そこに「性的魅力の話ではない!」とかドヤ顔されてもですねぇ・・・。
「胸がある方がカッコよく見える服が着れない…」「赤ちゃんできたとき授乳どうなるの・・・」というような貧乳悩みもあるわけで、
実は女子は男子が思ってるほど胸を「男性に向けた性的魅力をもったコンテンツ」とは考えていないと思います。
これね、ただの自分の体なんです。男性向けコンテンツ、じゃないんです。
===
例えば、私は胸が小さくて、また自分でも「ない方がいい」と思っていて、
(細身が合う服が好き&いろいろらくちん等)
たいへん快適に、しあわせに、過ごしている。
なので、自分の身体としては「ない」方が圧勝(?)なのだけど・・・
なんか突然「性的な魅力」のモノサシを持って入られて
胸のない女は、可哀想、魅力がない、つらい
・・・って、なんじゃ。なんなんだこれ。
戸惑うし、貶められて、腹もたつ。
(昔この手のこと対面で言われたこともあった・・・
男的には多少太ってるくらいがいいのになんで女ってダイエットすんの・・・
って、そりゃその肉体が男のためだけに存在しているわけではないからですよ!?)
よい例えじゃないかもしれないけど、これ、こんな感じじゃないかと思うんです。
といろんな職の人がいて、うちはココいい、うちはこうだね
って話をしているところに突然
「年収」のモノサシを持った女が入ってきて
って突然言い始めるのと同じだと思うんですよ。
ってなんないですか。
そんなかんじでは、ないでしょうか・・・
そう、女子の見た目の序列話をついつい無邪気に批評しちゃう男子は
えーそういう女やだ・・・!って思ったら、やめよう!
えーみんなそうやってるし、楽しいからする!っていうなら、知らない!
おわり
(俺はおっきいのが好きです!とか、でいいのにね!なんで勝ち負けにするんだろね!)
(評価遊びしたいなら、せめて同性しかいない酒の席でとかね!)
(でも私はこういうのいやだーーと思うから、どこであっても、しない!!)
『君の名は。』を観てきた。
まず瀧と三葉の身体が入れ替わって、瀧が真っ先にしたことは何か?
そして、この「オッパイ揉み」は、瀧と三葉が入れ替わるたびの恒例行事となる。
「1日だけ女の子になって、女の子の身体にあんなことやこんなことをしてみたい」――これは健全な性欲を持った男の子には、非常によくある願望なのである。男の子の願望が至る所で丸出しになっている映画、それが『君の名は。』だ。
次に、「口噛み酒」だ。シナリオによれば、巫女が米を口に含み、それに唾液を含ませまた吐き出して発酵させるという「日本最古の酒造方法」らしい。
好きな女の子の唾液を飲みたい――それもまた、健全な性欲を持った男子によくある願望なのだ。
そして、黒寺先輩とのデートだ。
男子はこんな願望も持っているはずだ。
女性を口説き落とす面倒な手間を全部省いておいしいところ(=デート)だけをすることはできないか――と。
それを実現してくれるのが三葉なのだ。
女性の心を熟知した三葉が(そりゃそうだ、女の子なんだから)黒寺先輩といい関係を作ってくれる。
そしていざデート当日、三葉と瀧の身体はなぜか入れ替わらず、瀧は瀧のままでデートに行くのだ。
タイムリープしたり世界線がふたつ存在したり、良くできた演出にはなっているが、あの「隕石が落ちてくる糸守町の住民を助ける」というのは、瀧が「女の子の命を救いたい」という願望を叶えるためのシナリオなのだ。
そもそも、なぜ瀧と三葉は惹かれあうのか?
ストーリーの設定によれば、突如して「入れ替わり」が起こるまではふたりは赤の他人だったはずである。
ただ「身体が入れ替わった」というだけで、あそこまで熱烈な恋愛感情を持つものだろうか?
女の子の身体に生で手を触れたり(しかも合法的に)、部屋を覗いたりしている内に、好きになってしまう、というのも男の子の行動パターンだ。
そして、自分が好きになった相手もまた、自分を好きになってくれる――これがエロゲでなくてなんだろうか?
そこで、ふたりは重要な情報交換をほとんどせずに、なぜか他愛もない雑談を始める。
そしてお互いの手のひらにマジックで名前を書こうとした瞬間、時間切れになって、お互いがお互いの目の前から消えてしまう。
今後のことを考えるならば、何を差し置いても作戦会議と名前の交換をするべきではないだろうか?
瀧は三葉の手のひらにマジックで文字を書くことに成功するのだが、そこに書かれたのは名前ではなく「すきだ」の告白の文字。
「男は理屈でものを言う、女は感情でものを言う」とか言ったのは誰ですか?
重要なシーンで理屈ではなく感情で行動を取ったのは瀧のほうではないですか?
しかし、お互いがお互いの名前を忘れるからこそ、最後のシーンが成立するのである。
「君の名は。」