低次機能で説明可能な場合、高次機能を仮定しない。これが心理学のオッカムの剃刀と言われる。
女が「清潔感がー」と話し始めてムカついたことは?清潔感を気にする行為を「何らかの知性が関係する」とか「人格が関係する」と考えるのは仮定を複雑化させている。
ところで、リポ多糖という毒素を人に投与して人工的に熱を出させて風邪をひいた状態にさせて、その人の体臭を別の健康な人に嗅がせるとそのにおいを避けるという研究がある。動物的な本能として、病気の体臭を発している個体に近づかないのだ。
つまり清潔感とは「動物的な本能として病気を避ける習性」と仮定したほうがよっぽどシンプルで、説明性が高いのだ。
この原則を適用した場合、例えば嫌いな(or 好きな)アノ人があんな行動をするその理由について「これは高次要因じゃなく、低次要因では?」と自然に仮説を立てることができる。
その時に「アノ人は性格がー」とか説明しちゃう人もいるが、あまり科学的に信憑性が高い仮説とは言えないと俺は思う。
性格で説明するよりは、環境・刺激・反応というセットで考えたほうが信憑性はあると思う。
アノ人がツイッターであんなことを言うのも人格のせいばかりではない。
「ツイッターという環境が利潤最大化を目的として意図的な刺激を与えているから」というのが大きいし、実際にそれが「行動デザイン」などと呼ばれているのだ。
確かに、刺激に対する反応の仕方には個性があるだろう。しかしその個性もまた「低次機能」から来ている可能性が高く「高次機能」は仮定が複雑化してしまうのだ。
仮に誰かが数式をツイートしたり、数学用語をツイートしたとしても「高次機能」が原因でツイートしたのではない。
きっと「社会的欲求」といった低次機能が関係しているに違いないだろう。なにせ数式を書くだけなら、ノートに書いておけば良いだけの話だからな。