はてなキーワード: ときとは
結婚して約2年。色々口喧嘩もしたけど、基本的には夫婦仲良く暮らせてると思う。うちは俺が主に稼いで嫁さんが専業主婦という家庭なんだけど、よく聞く専業主婦とは名ばかりで何もする気がないという感じではない。家事はしっかりやってくれるし、体調を崩しがちな自分のために食事にかなり気を使ってくれるし、職業柄肩が凝りがちな自分のためにマッサージをしてくれたりもする。リモートワークなので仕事は全部家なんだけど、昼食や夕食のタイミングもきっちり考慮してくれてるしね。
それと、こっちの方が重要だけど、とにかく人を悪くいうことをあまりよしとしない。俺の方がときどき口が悪くて注意されることがあるくらい。ともあれ、とてもいい嫁さんだと思うし大事にしていきたいと思っている。
ただ、結婚前からそういう傾向があったのだけど、喧嘩したりあるいはちょっと気まずくなったくらいのことで、彼女が責任を全部自分で引き受けてしまおうとするのが見てて辛い。それもちょっとショボンとするくらいならどこにでもあることなのかもしれないけど、俺が気分を害したわけでもないこと(たとえばだけど、生理中に体調が悪くて料理ができなかったとか)に対して、私が失敗したと気に病んで自室(夫婦で部屋をわけているので)でいつも反省会してしまうような感じ。
もちろん、彼女自身もその傾向(他者に怒りを向けられなくて、全部自己嫌悪になってしまう)は自覚していて、結構前から心療内科&カウンセリングに通っているんだけど、かなり特殊な例でなかなか難しいらしい。俺が変なことを言わなければしんどさも減るんじゃない?って一度聞いてみたこともあるんだけど、「あなたに我慢させてしまう」のがしんどいとのこと。別に言うほど我慢してるつもりはないんだけど、彼女としては「我慢させてる」と思うのがなんか嫌みたい。思春期くらいには自分が存在していい理由がわからなくなっていたらしいので、結婚して2年の俺が何もできるわけじゃないけど(それでもちゃんと一人暮らしのときに働いてマンション買ってローン完済できたのは凄いと思う)
どうしたら彼女の苦しみを軽減してあげられるんだろうなあと最近よく思う。よく言われるのは「話し合う」なんだけど、十分すぎるほど話し合った結果が「私がどうしようもないことはわかってる。自己嫌悪から逃れたいんだけどね」だから手の打ちようがない。ささやかながら最近はこちらから彼女のマッサージをしてみたり、日ごろのお返しにプレゼントをしてみたりと、できることを色々やってみてるけど、先はながいなあ……
水都くらわんか花火大会ってなに?っていう人いそうなので説明しておくと、大阪の枚方・高槻方面で開催されてる地方の花火大会。今年は9月15日(日)開催。
前身のなんとか花火大会も含めれば十数年の歴史があるらしい……けど、それはどうでもよくて。一昨年初めて行ったら音楽含めてとてもいい感じだったので、妻と二人で夏の思い出にということで有料席 * 2を買って見に行ってきたんだ。無料席もあるんだけど、場所とりとか一昨年色々大変だったから今年は多少お金出して楽しようと。
ロケーションとか音楽は凄く良かった。晴れた河川敷で、どこか郷愁を感じさせる音楽が流れてて、夏ももう終わりだな……って感じさせられるものだった。花火も思わずスマホで動画撮ってしまうくらいには綺麗だった。でも、席に座って花火を待つ3時間くらいの間、主催者の男性(40半ばくらい?)が30分おきに金せびってくるのが本当に嫌だった。花火大会運営するのも大変だろうから、募金のお願いするのは構わないと思う。問題はその言い方で。
具体的に言うと「皆さんが募金してくれないと来年は花火大会がなくなるかもしれません。それでいいんですか?子供たちに恥ずかしくないんですか?」て感じの脅迫めいた言い方。既に募金を済ませていた自分たちみたいな人たちに一言「すでに募金を済ませた方はありがとうございます」の一言もなし。よほどお金が足りないらしく「無料席の人。このままでいいんですか?来年お祭りなくなりますよ?今からでも有料席を買いましょう」とか、すごい高圧的な言い方をしてくる。それなら最初から無料席を限定しておけばいいのにと思うし、だいたい有料席にいる自分たちにも延々とそれをいうのはどうなんだって感じ。これが30分おきに続くものだから、夫婦揃ってげんなりで、付近の人も「なんで俺たちお金払って、説教されなあかんの?」ってぼやいてた。
地元愛と子どもへの愛が強いのは伝わってくるんだけど、地域の未来・子どもの未来のためにお金出して当然ってのをすごく全面に出してくる。さらには「もし来年花火大会が開催されなかったら、引っ越さなければいけないかもしれません。子どもたちのためにもそれは避けたいです」とか、何故か自分の子どもを盾にした金せびりまでやってくる始末。
色々イベントには参加してきたけど、主催者がここまでひどいのは初めてだったのでほんと堪えた。言い添えておくと、主催者の金せびりとスピーチ「以外」は総じて良かった。スタッフも親切だったし、女性の方が募金のアナウンスするときはちゃんとした言い方で好感もてた。でも、なんで主催者はあんなに客に不愉快な言い方をできるんだろうかとほんとに不思議になった。他のスタッフはまともな言い方できてること考えると、あんまり当日スピーチについて連携取れてなかったんだろうか。ともかく、来年もこんなんだったらかなわないので、フィードバックにはややきつめのことを書いて送ったけどどうなることか。来年はせめてあの人が表に出てこないといいなあ。
同感です。
私もこの件はステルシングであり、性暴力だと言われるまでイマイチピンときてなかったとはいえ、増田が悪いとまで思ってなかったので、はてなの傾向には驚きます。
皆、どう考えますか?
気になる。
ピル服用停止を打ち明けなかったら、ステルシング(性暴力・生殖的強制の一種だそう)になるのかどうか。
将来的に男性用のピルができたとき、服薬停止を打ち明けず女性が妊娠したら、ステルシング扱いになりそうな気がする。
やはり、増田はステルシングという性暴力の被害者と考えるのが妥当なのか。
教えてほしい。
<追記>
『パートナーの避妊具に穴を開けた女性 性的強要で有罪 ドイツ』
https://www.huffingtonpost.jp/entry/stealthing-germany_jp_62787718e4b009a811c53794
私は平日にOSのアップデートとかすると何かあったときにバタバタするからやめておく。
と、思ってたんだけどやっぱり待ちきれなくてアップデートしちゃった。
ただいま、うちのiPhoneくんがながーい時間を掛けて新しく生まれ変わってる最中。
ほんとはね、万が一文鎮とかになったら困るから週末の連休までイジらないほうがいいんだけどねえ。
だってさ、やっとさAndroidみたいにアイコンを自由に並べれるようになるんだよ。
ほんとさ、なんでこんなことをもったいぶって何年もやらないのかがわからないよね、Appleって?
ちょっとアホなのかな?
相変わらず指でロックを開くのも出来ない。
そういうのなんでチャッチャとやらないのかな?
やればすぐ出来ることをいつまで経ってもほったらかしにしてやらないってどういうことなの?
よくわからん人らだわ。
既成事実期待してたんだろうね
保険証なんか間違えて捨てちゃったんだよな
市役所に再発行いかなきゃダルと思ってたところ、なんか耳が痛い
何でこんなときに
台風の気圧か?
肌荒れもひどくて皮膚科にも行くべきか迷う
届くまであと1ヶ月くらいかかる
市役所行くなら仕事上ノートパソコン持ち歩く必要があるのがダルい
MacBook重すぎるんだよな
あれ担いで自転車30分近く乗らなきゃと思うと鬱
体調すこぶる悪いしもう全てがめんどい
神前藩は江戸初期に消滅してしまった藩なので、あまり名が知られていない。
神前藩の産業は、筆と墨の生産で、台湾との貿易もさかんに行われており、港はいつでも喧騒に包まれていた。
ところが藩の奉行たちが強欲だった
貿易には輸出租庸調がかかるうえ、年貢額も毎年割高になり、職人たちの扶持は下がる一方だった
毎年、年貢の申告日が近づくと、職人たちは親戚の通夜にきたかのようにしんみりしており、いまにも泣き出しそうな顔もあった。
一方、藩奉行たちの扶持は、事実上、毎年上がってゆき、そのことで越後藩の呉服屋が、毎年着物販売祭りを開催するほどになった
これには、巧妙な絡繰りがあった
藩奉行たちは、奉行所の一部を徐々に民営化してゆき、そこに天下れば、同じ仕事でも奉行所よりも扶持が多く貰えるのである
もちろんその民営奉行所には、奉行所の補助扶持が、たっぷり降りるのである
こうした偉い奉行たちの顔ぶれと政策がずっと変わらないので、毎年、奉行志願者が増えていった
あまりに筆墨の生徒が減ったので、お白洲の御沙汰文書には、筆墨技術科講習が、刑罰として書かれるようになった
職業の自由はこのように強引に奪われたが、それでも職人たちの人口減少は止めることができなかった
職人たちは少ない人数でもしばしば一揆をおこしたので、斬首、晒し首もしばしば行われた。
これは人から馬にも感染するコレラだったため、商人たちは物資を運ぶのに、隣藩から運送屋を借りなければならなかったが、
隣藩も貸し渋るのももっともで、運送料の高騰による物価高も起きた。
幕府は藩主家を摂り潰し、幕府直轄領とし、疫病に感染していないと思われる者は藩外に転居させた。
食料不足はときどき幕府によって補われたものの、餓死する者も多かった
馬コレラ対策がようやく出来たのは、藩主家のお取り潰しから10年後だった
追記:
誤字等訂正追加したよ
希望者だけにすると親が金ケチって行かせてもらえず、大人になるまで県外に出たことないという人間が一定数出てしまう。増田にとっていい思い出ではなかったのは残念だったけど、それも含めて経験と思うしか… 祖母が痴呆になり、老人ホーム見舞いに行くたび昔話を何度も繰り返した。いつも最後は「女学校のとき、修学旅行に自分だけ行けなかった。お金がなくて、それだけが悔しい」と。増田もそうなっていたかもよ
ユング心理学の概念の1つに「影(シャドウ)」というものがあります。
簡単に言うと、自分自身について認めがたい部分、その人の人生において生きてこられなかった側面を表すものとされます。それは現実にいる他者(同性)に投影されて、自分の目の前に立ち現れるときに特にはっきりとします。
たとえば、Aさんが「Bさんって人に頼ってばっかりでずるい。甘えすぎて自分でなにもしてないところが嫌いだわ!」と思う場合があるとします。それは、そう感じるAさんが普段人に甘えたい・依存したいという気持ちを抑え込んで生きているのに、現実にBさんがそのようにふるまって生きているので、自分の抑え込んでいる部分がチクチクと刺激されてどうにも気になってしまうのだというように考えるのです。
当時、俺はリモートワークをしていた。
朝9時からパソコンに向かって黙々と作業してたんだけど、気づいたら既に時計の針が11時を指してた。
朝入れたコーヒーがまだ残ってて、でももうすっかり冷めちゃってる。ああ、これ温めなきゃなって思って、立ち上がってキッチンへ向かったんだ。
で、このあとの作業どうしよう。さっきの部分少し修正しなきゃ駄目かな。なんて考えながらコーヒーカップを電子レンジに入れて、時間を適当にセットしてスイッチを押したんだ。
ブーンって電子レンジが動き出して、いつも通りの平日の昼前。…そう思ってた、その瞬間。
なんだか妙な胸騒ぎがしたんだ。あれ、そういえば、うちの猫、朝から見てないな…
でも室内飼いだし、外に出ることもないし、きっとどこかで寝てるんだろう。
そう思いつつも、心に引っかかる何かがあった。そしたらその時――
「ふぎゃああああ!」っていう聞き覚えのある叫び声が響いたんだ。
一瞬で頭の中が真っ白になった。音が聞こえた方に慌てて目をやると…見たんだ、電子レンジだよ。まさか、そんな…まさかね、って。
心臓がバクバクしてる中、体は勝手に動いてて、レンジの中を見たんだ。そしたら…うちの猫の影が、中に見えた。
暖かいからか、たまに開けっぱなしにしておくと、入り込んでそこで居心地良さそうにしてた。
でも、でも…まさか。そんなことあるわけない。絶対にそんなことがあるはずがない。けど、そこにいたんだ。
「うそだ…!」って思いながら慌ててレンジを止めて扉を開けたんだけど、もう遅かった。
愛猫は息絶え、そこには彼の姿さえも残っていなかった。まるで、何もなかったかのように。
俺はその場で膝から崩れ落ちて、何が起きたのか理解しようとするんだけど、混乱して、全然追いつかない。悲劇だよ、こんなことがあっていいのか…俺は愛猫を、自分の不手際で殺してしまったんだ。
その日はもう、仕事なんてできなかった。
自責の念で胸がいっぱいで、何もする気になれない。
あいつは俺にとって、ただのペットじゃなくて、家族だったんだよ。
だけどさ、それは次の日から始まったんだ。
最初に気づいたのは、真夜中だった。
俺がベッドで眠ってると、リビングからカタカタって物音が聞こえてきたんだ。
なんだろうと思って見に行くと、青白い幻影を見た。猫の姿じゃない。でも、何か異様な感じがしてた。
そこからなんだよ、あれが現れたのは。
ほんのかすかな物音だったんだ。夜中の2時過ぎ、俺がベッドでぼんやりと天井を見つめていた時に、リビングから微かな音が聞こえてきた。
パチン、パチン、とまるで骨が擦れ合うような音。もちろん、猫がもういないことは分かってた。だから音の原因なんてないはずだったのに、確かに聞こえるんだ。
一度は無視しようとしたけど、心がざわざわして、足が勝手に動いてしまった。気づけばリビングのドアをそっと開けていた。そこに見えたのは、骨だけの影。俺の愛猫の、骨の姿が淡い光の中に揺らめいていた。
顔もなければ毛皮もない。ただ、骨だけが、静かにそこに佇んでいた。
うそだろ…って思って、息を呑んだ。
感覚としては、恐ろしいものを見ているはずなのに、その光景には奇妙な安らぎがあったんだ。
そこに立っているのは、俺が知っている猫の骨格だった。
まるで愛猫が、生きていた時の動作を再現するかのように、その姿は少しずつ動き回っていた。
その動きが妙に生き生きとしていて、俺はその姿を見ていると、自分が夢を見ているんじゃないかって思うほどだった。
でも次第に、その幻影が昼間にも現れるようになった。
ある日の夕食時、リビングの椅子に座って、俺は食事をとっていた。
ふと視線を上げると、またあの骨の姿が見えた。
何度見ても慣れることなんてない。だけど、今度は違ってた。
目の前で、骨が何かをしている。まるで、もう一度生まれ変わるかのように、骨がゆっくりと何かをまとい始めているように見えたんだ。
最初に現れたのは皮膚だった。
透明な膜のようなものが骨にじわじわと張り付き、それが次第に肉となって猫の姿を形作っていく。
筋肉がその骨に巻きつき、内臓が形を成し、最後に毛が現れて、まるで時間を逆に巻き戻しているかのように、愛猫が目の前に蘇っていった。
その瞬間、俺は息をするのも忘れて、ただ、呆然と見つめるしかなかった。
どうやっても現実では説明できないような光景が、目の前で起こっていたんだ。
ああ…まるで神の降臨を目撃したかのように、俺はその光景に圧倒された。
あの、俺が知っている猫だ。ただそこに、彼は静かに座っていた。
そのとき俺は悟ったんだ。
神は存在した。
そして、それは猫だったのだと。
離婚騒動のときの週刊誌のゴシップ記事で「真田は家に帰っても若手役者らと演技論に耽るなど演技の話しかせず、それが家庭不和の理由」みたいに書かれてて、ゴシップが仕事一辺倒って話題しかないのどこまでクソ真面目なのかと
既に亡くなって久しい日本人指揮者が、英語圏の某国のオーケストラを振ったときに経験した話。
あるときの演目で、オケのパートとしてピアノが加わる曲があり、その練習でエキストラのピアニストが参加した。
なお、そのピアニストは今で言うところのLGBTに当たる属性が、その国の音楽業界では有名だったそうな。
それで、ピアニストは元々用意されたパート譜の書き方に不満があるとかで、自筆のパート譜だけを現場に持参してきた。
しかし間抜けなことに、この自作パート譜の内容に思いっきり不備があり、曲の途中から演奏開始するタイミングで、必ず指揮者のスコアを覗きに来る始末。
ちなみにプロオケの練習は通称リハーサルというのだが、内容的には練習というより「申し合わせ」に近く、しかも基本一回のみ実施。
その一回の時間も限られているので、とにかく一分一秒が惜しいのだ。
だからこそ、件のエキストラの下手というか、時間の浪費でしかないアホ過ぎる言動に、指揮者はもちろんオケも苛立ちを募らせていったと。
そんな中リハが進んだところで、とうとう指揮者がキレた。
"I don't know how about your part!!!"
途端にオケ全員がワァーーーーッ!!!と大歓声を上げて拍手喝采、大爆笑の大ウケになってしまった。
その後ピアニストは妙にシュンとなってしまい、実に大人しくなったと。
なお日本人である指揮者が、なぜそこまで自身の叱責がオケにウケたかを知ったのはリハ後の楽屋(個室)で、コンマスだか誰だかが代表して来室し事情を説明してからだったとのことで、英語の難しさを痛感したらしい。
ということで、読者諸兄はなぜ現場がこんな大盛り上がりになってしまったか、おわかりいただけただろうか??
結論から言うと、間抜けな楽譜についてオケの気持ちを代弁した叱責を行い、かつ彼の性的指向をからかう、ネイティブだったら天才的な洒落になってしまったというわけ。
「お前のチ◯コのことなんか知るか!」
それで問いたいんだけど、今だったらこの発言は、日本人であっても許されない暴言扱いになるのかな?
読者の皆さんのご意見をぜひ伺いたいです。
同期は私よりあとに部門に来たのだが、部長の下支えを別部門のときからしていたらしく、異動してからも重宝されている。
そして私は閑古鳥だ。
友情を仕事に持ち込まれたらもう勝てないのよ。いや同期は仕事は普通にできるし、めちゃめちゃイエスマンだから重宝される理由もわかる。
かくいう私は行動力でブイブイ引っ張るタイプだが、何をしてもフルシカト(成果は残してるし、評価もされているが、新しい面白そうな仕事は全部同期に振られる。振られすぎて溜めてるけど更にふられてる)
別に嫌われているわけでもない。ただ当然のようにスルーなのだ。
もう疲れたから転職するんですが、給料も友人も多かったので悔しい。
でもこのままだとキャリアアップもできないし、異動も席が空かないと動かせないから
さようなら、私がいなくなっても仲良くやるんだろうな。チクショー!
テレンス・タオ(英: Terence Tao、1975年7月17日 - )は、オーストラリアの数学者。カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授。漢名は陶 哲軒(とう てつけん)。
多分、お前の真意がみんなに伝わってない。
とりあえずメモして、時間が空いたときに、レポートとしてまとめよう。
漫画でとんでもねえエモいシーン考えるとき、描くとき、漫画家ってどういう情緒でやってるんだろうか?
例えば「ムジナ」のサジ奮戦〜怒涛の終盤あたりとか。
自身もキャラの表情になって涙でグチャグチャになりながらネーム切ってんのかな。
それとも「ここをこうすれば読者はこう感じるだろう」みたいな冷静な計算を重ねながらひたすらカリカリカリカリ......って作ってるのか?
そんなことを考えたのは、さっきチャリ乗ってて短編小説のストーリーが頭からケツまで完パケで降ってきたのだ。そしてその話のあまりの悲しさにグスグス涙ぐんでしまった。
これは傑作ってことなのだろうか。
俺がおかしいだけか。
風俗ってのはな、おいそれと素人が足を踏み入れていい場所じゃねぇんだよ。
童貞だろうがなんだろうが、そこでいい目に合うかどうかに必要なのは、たゆまない努力と研究と真偽を見抜く眼力なんだよ。
歌舞伎町だの池袋で、酔った勢いでキャッチに捕まっていい思いが出来るわけがないんだよ。
一時の性欲に負けて風俗に行くのではなく、自分がどういう欲望を抱え、どのようにそれを昇華させたいのか?
それを強くイメージする事が重要。何度も言うが酔った勢いでなんてもってのほかだ。
自分の性欲と向き合ったら、それをどのような店で昇華できるか、その店の情報を得る。
最初は難しいかもしれんが、今はインターネットという便利な道具があり、いくらでも情報は得られる。
それで自分が思い描いたイメージと合致する風俗、店、そして嬢を探すんだ。
なかなか最初は難しいかもしれねぇ。けどな、ここで得た情報は無駄にはならねぇんだ。
だから時間をかけて情報を得て、そしてそれを研究する事が必要だ。
途中でくじけるかもしれない。
その気持ちはわかる。だがな、そんなときは一度立ち止まってみろ。立ち止まってオナニーをしろ。
そしたら不思議と心が落ちつく。一時の性欲の迷いで選んだ店で、貴重な金と時間と性欲を無駄にする事は回避できる筈だ。
けどな、これだけは言っておく。風俗に対する欲望ってのはな、オナニーごときじゃ蹴散らせない。