今は流行りではないかもしれないが、文章の書き方を示すいわゆる文章読本というジャンルがあった。
図書館でそういったものを漁っても80年代とかのが主になってしまっているから廃れているのだろう。
それらをひもといてみると、「一文が長すぎる」とか「助詞の使い方が間違っている」「主語と述語の間でねじれが起こっている」みたいな文例がてんこもりに載せられている。
(もちろん誤字脱字みたいなのはちょくちょく見るが、知識不足によるミスは少ないと思う)
こういう本の文例は昔隆盛だったカルチャースクールとか文章教室みたいなところの中高年の生徒から採られる。
今ネットに書き込んでいるような人間との相違点は、文章をカルチャースクールで教わる気があるような世代ではない、当時中高年だった人間ではない、ということだろう。
昔は大学進学率が低かったことと関係するのだろうか。今ネットに書くような人間は大学で最低限の作文のリテラシーを身に着けてしまっている人が多いのかもしれない。
またカルチャースクールでは「最近感じた季節の変化について雑感を書け」「身近で見つけた人の優しさについて書け」みたいなお題に沿って文章が「生産」されるものだが、ネットではそんなものはない。
背伸びする意思もなく肩肘張るつもりもなくただ書きたいことを話すように書き捨てるだけだ。
そういう態度で書かれた文には、文芸的に書こうと意気込まれた文と違って文法や、読みやすさへの配慮に関する理解不足が顕在化しないのかもしれない。話すように書いてるだけだから。くっちゃべってるときに助詞を間違える日本人なんていないでしょう。
キーボードやフリック入力によって言語がコモディティ化されたってことでしょうね
まあ実際入力装置というか画面で編集できるようになったことで校正のコストは圧倒的に低くなった。
本来5つ以上の単文であるようなものを接続詞でつなげて重文にするような行為は変換機能では防げなくない? でも音声入力で書いてるぽい人を除きそういう人も見かけづらくなってる。