はてなキーワード: 問題集とは
というのも高校生向けの参考書のガイドブックみたいなやつに、数学の参考書をまとめた部分の書評欄にはオリジナル問題集や黒大数などレベルが高いと名高い本に対してもせいぜい単に「難しい」とまでしか書いてなかったのだが、生物はお医者さんになろうや考える生物100選に対して、とても難しいので取り組むかどうかは担当講師に要相談みたいに書いてあったのだ。
このような評価は一つの塾のみでそうだったのではなく、東進と東大志望向けの小冊子と東大蛍雪会と最低二つの塾でそういう表現をしてるのを確認済みだ。
イメージとしては数学はいうまでもない一方で生物は考える余地のない暗記事項で成り立ってる部分が多いのだからどうやっても問題を難しくするには限りがありそうな気がするんだが…遺伝の問題にしたって解くのに用いるが法則やその適用のシビアさが数学より難解かといえば違うだろうし。
今年、新幹線が止まったり止まらなかったりするやや辺境の地に進学した大学生です。
進学の際に引っ越したが、TOEICの住所登録が前の住所のままだったため、現住所から新幹線に乗っていく距離の場所が試験会場に指定されてしまいました。
幸い日帰りできる程度の距離で、午後試験だったためそのまま受けることにしました。
オンライン試験で前回とほぼ横ばいの点数だったのでショックを受け、試験を受けた足で大学の英語学習補助システムの予約をとり、TOEIC公式問題集を借りて勉強を始めました。テスト1を時間測って一周しました。
旅行のせいで流行りの感染症をもらい、頭が働かなくなったので勉強してません
早く着きすぎたので、ポケモンセンターでぬいぐるみを買おうと思って行ってみたら信じられないくらい混んでおり、整理券を配っていた。店員さんに夜行くと伝えたところ、その時に整理券がまだあるか電話してから来てと言われた。
お昼ご飯は冒険したくなかったので適当な蕎麦屋でとり天そばを頼んだ。
とり天が想像の数倍大きくて多かったので飽きたが、塩などの用意が無く、ついてきた大根おろしをかけたらおいしくいなかったのでいやな気持ちになった。
開場一時間前に会場に向かったが建物に入れなかったので近所のゲーセンで時間をつぶすことにした。座って金フレサイズの本を読んでいる人間がたくさんいた。1曲100円のぼったくりカラオケボックスがあったのでそれで時間をつぶしたり、品詞問題の復習をしたりした。
TOEIC待機っぽい人たちが動き始めたので便乗して移動を始めた。
開場についてからは表のマークシートを埋めたり、周囲の人の卓上を観察したりして時間をつぶした。
試験前のテスト放送のあたりから卓から離れられなくなるので、そのタイミングでラムネを口に含んでおいた。
最後の二問以外はできた
全然聞き取れなかった。
1問30秒を予定。意味問題は勘でやり、品詞系の問題はちゃんとやると決めていたので迷わずできた。終わった時点でちょっと時間には余裕があったはず。
1文章2分を予定。Part5と方針は同じで、文章の穴埋めは最初に思った場所で決め打ってさっさと次の問題に行くと決めていたので、迷わずにできた。時間は遅れはしなかったはず。
文章に含まれる問題1つにつき1分を予定。文章毎に時間を確認して進めたので、時間通りに進んだ。常に1問頭の中に入れた状態で文章を読むことで、読み返しや思い出す手間を省くやり方を初めて試した。これがうまくはまり時間と進歩を照らし合わせて加速したり読み飛ばしたりの判断ができた。終盤、口の中のラムネがなくなったが、なぜか摂れる水分で糖分を補給した。
時計の針を1分進めていたので、1分ほど残して全問終われた。
全問解くためにとにかく次の問題に進むことを意識して受験した。
全問解けたので満点の可能性があり、とてもうれしい気分になったので、住所の登録を現住所に変えておいた。
うれしさのあまり、ポケモンセンターの整理券が終わっていたことも、駅のフードコートに混んでる店と高い店しかなかったことも、新幹線が遅延したせいで混んでいたことも、すべて許せる気持ちになれた。
いつからかわからないが、私は承認欲求モンスターと被害者面モンスターを兼任するガチのメンヘラになっていた。
それに気付いたのが23歳くらいの時で、気付いてない時も地獄だったけど気付いてからはもっと地獄だった。自分は人を傷つけたと思っていたけど本当は傷付けていた側だったこと、手を差し伸べてくれた人の手を叩いていたことなどを認識して人生全部黒歴史じゃんとなる。
その後3年くらいは鬱っぽくて、職場とベッドを往復して合間にネットを見るだけの日々を送っていた。
前のメールアドレス忘れたので貼れないのだけど、ここに「アラサーだけど自分が社不すぎてつらい。どうにかしたいけどどうしたらいいかわからない、何しても空回りする」と書き込むと
「なんでもいいから勉強しろ。誰にも迷惑かけないしお前にとっても悪いことじゃない」みたいなレスをもらった。
何を勉強していいかわからなかったけど、とりあえず「難関 資格」でググって、現実的な中で一番難しい公認会計士試験を受けることにした。
ベッドから這い出て机に長時間座るようになったのだけど、「資格勉強ってメンヘラを治すのにいいかもしれない」と感じた。
・病む暇がないので病まない
起きて食べて勉強して仕事行って帰宅して食べてお風呂入って勉強して寝る、の間に病むが入る隙がない。
多分健康な人は勉強しすぎて病むとか結果が出るか不安で病むとかするんだろうけど、私にとって病むこと自体が辛いので、勉強で病むことはなかった。頭を勉強で埋め尽くすことにより病む頻度が減る→そもそも病みづらくなった。
病気以外では、病むってクセなんだなと思った。病んでるうちに病む状態が居心地良くなってしまうのかもしれないと感じた。
人や物に過度に依存すると何かしら迷惑がかかるし、迷惑を超えて傷つけてしまう場合があるけど、勉強しまくっても誰にも迷惑かけない。
しかも教科書や問題集は努力に応えてくれる。繰り返し問題を解いて知識が自分の血肉になる感覚を私はファンサと呼んでいた。
役に立つかどうかは置いといて、知識は邪魔になることはないので少なくとも自傷行為にはならないので、人生の中で一番自分のためになることをしているという実感があった。
アラサーで身体の機能が落ちたのもあると思うけど、コンビニ飯だけでは長時間の勉強に耐えうる身体が作れないため自炊するようになった。
土日に野菜たっぷりの作り置きをしておいたり玄米食べたりジャンクフード控えたりしてたら体の調子めちゃめちゃ良くなった。
あと勉強中口さみしいから紅茶やらハーブティーやらこまめに飲んでたのもよかったのかもしれない。
…
という感じで、公認会計士試験、メンヘラ緩和にだいぶ役立った。
田舎で高卒で調理師やってるから転職とかできる気がしないけど(というか居心地いいから転職したいわけでもない)、いつか資格を活かせることができればいいなと思う。
目的が目的だから、正直根本的にはあまり変わっていないような気もするけど
僕は音楽に向かないと思って今まで生きてきた。
いつからやっていたのかわからないが、かなり長い間という印象がある。
といっても低学年の頃には通っていた記憶がないので、3年生くらいからはじめたかもしれない。
そう考えると、通っていた期間は1年も満たないかもしれない。
子供の1年は長いのだ。
なんで習い始めたかはわからないが、きっとテレビで見たとか、友達もやっているからとか、そういう軽い興味を母親に話したからだと思う。
母は「興味があるならやったほうがいいと思うよ」と言う感じで了承してくれてすぐに音楽教室に通うようになった。
しかし、通ってすぐにモチベーションは下がっていってしまった。
まず、楽譜の読み方はわかった。鍵盤と楽譜のドレミの位置はわかった。
知っているドの場所とは違う読み方だった。
ト音記号とヘ音記号の違いは何なのかわからなかった。先生に聞けばよかったんだろうが、奥手の自分は質問はなかなかできない。
先生に直された場所に音名を書いて、それの前後から音を類推して暗記しようとした。
しかしそれが今やっているレッスンの何を説明しているのか全くわからなかった
レッスンは聞いてても面白みのない単調なものをずっとひかされて、そして知らない言葉が日々増えてきた。
先生の使う言葉はわからない。当てずっぽうでやっていくしかない。という負の連鎖に陥ってしまった。
教室に向かう途中で台風や事故でも起きて行かなければ済めばいいのにというのをずっと思っていた。
レッスンが済めばとても爽やかな気持ちになった。
もう一週間教室に行かなくていいという安堵感だ。その夜のドラゴンボールZはとても嬉しい気持ちで鑑賞できる。水曜の夜の清々しさは土曜日の夜にもまさった。
だが、月曜が来るとまた水曜が近づくということで憂鬱になる。
その繰り返しだった。
発表会は絶対に失敗できないのでそれは模倣をすることでなんとか乗り切った。
むしろ発表会周辺はいい。レッスンはその曲の練習に割り当てられるので、常に同じことを繰り返すだけだったからだ。
そんなに辛いならやめたいといえばいいのだが、僕はそういうことを言えない性格だった。
自分からやりたいと言ったからと言う負い目も感じていたのかもしれない。
よっぽどのことがない限り学校を休ませてくれない親に育てられたからだからか、途中で放り投げるというのは悪いこととも思っていたからかもしれない。
とにかく、つらい水曜日を送っていた。
そんな僕に転機が訪れた。
引っ越すことになったのだ。
引っ越すときに親に「引っ越した先でも続ける?」と言われたとき僕は何も言えなかったが、伏せ目がちにはぐらかそうとしたのを察知したのか、親は「まあやらなくていいか」といってくれた。
新しい学校への不安や友達とも離れてしまう寂しさもあったが、教室からの自由はそれらに勝っていた。
しかし、この教室に通っていたことはのちの人生に禍根を残すことになった。
まず音楽教室に通う前に親に「小さいときにやっていると、音感が身につくし、ピアノや他の楽器だってすぐにひけるようになる。プロや上手い人はみんな小さいときからやってた。だからやったほうがいい」と言ってくれた。
これは『小さいときにやると、音感やピアノが身につきやすい』という話だがこれを僕は解釈を誤ってしまい『小さいときにやらないと、音感は身につかないし、ピアノや他の楽器は弾けなくなる』とそう思っていた。
でも、あんな苦しい思いをしたんだから今後ピアノや楽器はひけなくてい良い。10歳ごろのころに完全に諦めた。
学校で音楽祭という行事があるのだが、僕はなんの立候補もすることなくリコーダーをした。
ピアノや木琴などは音楽教室に通っている人の特権だと思っていた。
児童館のピアノで猫踏んじゃったなどを弾く女子がいたが、その時おもっていたのは「僕には全然わからなかったことを分かっているすごい人。あんなに弾けるまで音楽教室を続けられている。きっと勉強もできるんだろう」という尊敬の念とともに「僕はああいうふうにでできる人じゃなかった」とも感じていた。
このピアノが弾ける人は小さいときからやっている。小さい時にやりはじめないとピアノは一切弾けないという思いはクラスのピアノうまい子を見るたびに強くしていった。
通っていて何もできないなんてしられたくなかった。だから何も始めなかったことにした。
避けたといっても積極的に行かなければ関わることもないので気にならないようにしていた。
中学くらいになれば色気が出てギターを始める人、バンドに熱中する人も出てくるが、
僕はそこに入る資格はないとおもっていた。なぜなら小さいときに始めることを諦めたからだ。
そして、ギターなどを始めている子たちは小さいときから何かしらやっていたんだろうと思っていた。
そんな誤った認識は結構成長するまで続いたが、高校時代衝撃を受けたことがあった。
保育士の専門学校ではオルガンやピアノの授業があるが、「今までピアノとか触ったことなかったので、弾けるなるようなるまで毎日頑張っている。結構うまくなってきた」とバイトの休憩時間で教えてくれた。
僕は驚いた。小さいときにピアノをやったことないのにやれるのかと。
もう一つ驚いたことがあった。
同級生のあまり親しくない人が先生と雑談しているのを勝手に聞いたのだが、「最近ピアノをはじめた。近所のうちにあるから弾きにいってる。独学だけど結構ひけるようになった。」と。
これもまた衝撃だった。
小さいときに初めてないのにピアノをやっている。そして教室に通わずに自分でやっている。
僕の認識では、ピアノや楽器は小さい時から教室に通い苦しみを乗り越えたもののみが得られるすごいスキルなんだと思っていた。
でも僕はすべての弾くスキルに対してそう思っていた。
ずーっとあの単調なつまらないフレーズを練習してそれをクリアしないときれいな曲を弾く資格を得られないと思っていた。
バイト先の人のおかげで、小さいときからやらなくてもできるということ、同級生のおかげでいつでも自由に楽しむために始められるということを知った。
でも、それを聞いてもすぐには楽器に手を出すことはなかった。
大学受験だ。
そんないい大学を出てはいないが、勉強と問題集での実力の測定のPACDを回して模試での偏差値がグイグイ上がっていくのに熱中した。
おかげで自分が卒業した地元のあまり評判の良くない高校には似つかわしくないくらいの大学には入ることはできた。
これも設計、実装、バグとりのPACDを回して品質を上げていくことに熱中した。
こういった人生経験を積んだおかげだろうか。
新しいことをやるということに恐怖はわかなくなった。
息子が吹奏楽部に入部したので楽しそうと思ったからかもしれない。
ギターを始めるにあたって、CとかFとかはなにか、コードとはなにか、メジャーとはマイナーとはなにかを調べた。
ドレミファソラシドと一般的に言われる音名は英語ではCDEFGABC日本語ではハニホヘトイロハということ
ドレミは階名といって主音にしている音が何かによって相対的に変わるらしいということ。
ハ長調は主音がハで、長調だからドがハになるということらしい。
Cをギターで弾くと、ドミソの音がなっていることに気づいた。
4分の3拍子や4分の4拍子と教室ではずっと言われていてなんのことかわからなかったが、1小節に四分音符が3つ入るか4つ入るかということだということ
泊のとり方もわかった。
長調と短調のこと全然わからなかったがギターではメジャーとマイナーという言葉で帰ってきた。
ここらへんまだ調べきれていないが、長調は全全半全全全半で音が上がっていく音の並びを使い、短調では全半全全半全全で音が順番に上がっていくらしい。
ピアノでミとファ シとドの間に黒鍵がないが、これは半音しか上がっていないということに気づいた。
これピアノはハ長調を弾くときに黒鍵を触らないでも済むようにデザインされているのかもしれない。
こうやって、幼い頃に躓いたあの教室の意味不明だった理論の答え合わせをしている。
いつから始めても構わないし、やりたいときが始め時、やめたいときが止め時だなと思った。
そして、息子が僕と同じ罠にはまらないように、疑問にはなるべく二人で調べるようにして、ちゃんと解決をする道筋を自分で考えることを教えようと思う。
当事者漫画に関するエントリで、理解ある彼くんを得るまでの流れが知りたいと書いてあったので、理解のある夫くんエピも含めて半生を振り返る。
ADHD診断済だがASDの性質もあるので恐らく両方併発している。
特に言語や知能の遅れはなかったが低学年の時遊びに行ったお家で、勝手に引き出しを開けたりして後からその子の親からうちの親に苦言を呈された。
小2→もう少し時と場も考えていこうね
小5→集中して人の話を聞けるようになろう
と書かれているので、騒がしい落ち着きのない子供だったようだ。
空気の読めない発言で、朝一緒に行っていた友達からはぶられる。
空気の読めない発言で、クラスの同じグループの子からはぶられる。
一瞬不登校になりかけるが、家が厳しく、頑張って登校するも昼休みはトイレで2chをして過ごす。
車を追い抜こうとしたら自転車のハンドルがドアミラーとぶつかり弁償沙汰になるかと思いひやひやするが、ディーラーの無償修理のおかげで何とか助かる。
就活で業界を絞り込みすぎて大苦戦、かつ面接が苦手すぎて100社くらいお祈りされる。
また、就活と同時に卒論の研究と運転免許の取得を進めるのが辛すぎて不眠になる。
免許は謎のこだわりでMTで取ったが、修了検定で後ろ見るの忘れて3分で失格になり教習所でがち泣きする。
4回生の時、バイト先のフリーターに告白して付き合う。付き合うまでに手作りのお菓子あげたり2人で水族館行ったりしたのだが、告白すると「気があると思わなかった」とびっくりされる。
新卒の会社で、ミスを連発したりお世辞が言えなくて、先輩(妙齢社歴の長い女性)に
「親の顔が見てみたい」
「〇〇大出ててこんなことも出来ないの?!」
ジーンズの後ろポケットに入れていた携帯を無くしてしまい、フリーターの彼氏との翌週の旅行をキャンセルする。
お互い実家暮らしだったので中間地点でデートするが、家を出るまでの時間が逆算できず、頻繁にデートに遅刻する。
酒が好きなのでデートは大体ラブホ行ってダイニングバーで飲む流れ。
先輩(妙齢社歴の長い女性)から内線がかかってくるたび手が震えるようになり1度目の転職。
2社目では、偉い人に言われた指示をうっかり忘れたり、電話対応でクレーマーにうまく対応できなかったりした。
同居を始めるが、夕飯を作るのが手際が悪く自分にとってストレスになる。
また、2LDKの一部屋が片付けられず物置になったり、畳の部屋の掃除を怠って、部屋の端が埃まみれになったりする。
ようやくこの辺りで自分の異常性に気づきADHDの診断を受ける。
現在に至る。
理解のある夫いわく、
・極度の偏食
・昇進意欲が全くない
あたりを増田が気に留めていなかったことから、増田のやらかしも「お互い様」と思って容認できていたそう。
今も、掃除が大の苦手で特にトイレ掃除などはnヶ月に1回しかやらないが、夫はそもそも不潔なものに触ることができない性質で、生まれてから一度もトイレ掃除したことがなく、代わりに増田がやるだけで恩の字らしい。
その他、仕事で疲弊すると夕食を作れないなどの症状も、一緒にスーパー行ってお惣菜や冷凍食品を買おうと言ってくれ助かっている。
こんな感じかな。
増田が発達障害で困ったのは主に就活や仕事においてで、恋愛ではそんなに(?)困らなかった。
【追記】
みんなが言ってるのはここの部分をしっかり書けってことなんやで・・・
こいつが後の夫であるってことでええんよな?
ごめん、なんかずれてたね……。
しっかりって言っても何を書くべきか迷うけれど……
付き合う前にしたアプローチは
・ミイラ展に誘う
・水族館に誘う
くらいかなぁ。
でも特に脈ありっぽい感じはなかったので意を決して告白したよ!
付き合っている間は、増田の下宿に彼氏が泊まりにきて(下手だけど)手料理振る舞ったり、名古屋旅行行ったり台湾旅行行ったり。
社会人になってからはLINEのやり取りがメインでデートは基本飲みに行く感じ。
そういえば恋愛で困ったこと無いって書いたけど、大学3回生くらいまでは穴モテ?で無警戒に男の人を家にあげて襲われたりとか家にあがって襲われたりとかはした!ちゃんと拒否したけど。
こっちに全く気がなくても向こうはヤる気のときを見極めねばならないことを学んだ。
知った時にはすでに遅かった。
セットでお金稼ぎをしている
キャリカレの教材に関しては
誰が教材の責任者か、第何版で、初版はいつなのか、どこにも書いてない。
実際は
講座を受けないと受講生番号等が発行されないので、そもそも講座を受けないと資格試験にチャレンジできない
ていうか
番号を買わないと、資格試験の申し込みができない。
ただし、
誰でも入れる。
やっつけ仕事すぎて引いた。
キャリカレの講座は
あとは同じ値段で20年。
多種多様すぎて
冷静に考えて不自然
それをお金で売ってる
すごい金額といっても5万とかだけど
それを掲げて仕事してる人に、何を期待していいのだろうか
やる方は信用を買えて、それっぽくできるからいいけど
その人を頼って、客になった人って、2重に騙されてることになるんじゃ?
でも、誰も何も定義していない領域ばかり、資格を量産してるから
嘘でもない
実際、それで人を助けてる人もいるっちゃいるし
困ってる人は相談しにくるし
相談する方も、騙されたから取り返そうって気持ちじゃなく、本当に助けようとしてる人もいる。
JADPとキャリカレにぼったくられたから、俺も客からぼったくろうっていう
そしてそれに気づいたのは本当にさっきで
確かにいいようにとらえることはできる。
困ってる人を助けたいけど、なんでもない人間に急に声をかけるとかはできない。
でも結局やってることって、youtuberがお悩み相談してるのとなんも変わらない
拍をつけるためにそれっぽい資格をお金で売ってる団体にお金を払っただけというか
それこそyoutuberがお金を払って案件逆に取ってきて、信用を得るのと同じわけだ
はぁ
焦らずもっと冷静でいられたらなぁ
「JADP認定メンタル心理カウンセラー」とか書いて商売始めたとして
相談しようか迷ってる人が検索しても、それっぽいサイトが出てくるから
まあ、糞安っぽいサイトだし
テキストに書いてあることは
嘘ではないところ
日本語が怪しいところもあるけど(~という考えを考えたり とか普通にある)
読み物としては面白い
死にたくなるし
少し足してメンタリストDAIGOの本買った方がいい
なんならメンタリストdaigoは資格何も持ってない、独学だし
問題集とかついてて、提出させられるけど
嘘みたいに簡単
ていうか
テキスト丸写し
手抜きなうえに
メンテされてない
もう一個、こういう商売がはびこってるなと思ったのが
例えばカウンセラーのテキストにそれっぽい説明と単語が載ってて
ほんとかこれ? てなったときに
検索をかけると
キャリカレとかとは無関係の、心理学の説明をしたサイトが上に出てくるのね
でも開くと
もう笑うしかないのね
確かに臨床心理学としても間違ってないこと書いてあるわけだけど
何も悪いことしてないし
騙される人がたくさんいるから成り立ってる
ずっと考えてる
ゲームでも作るかな
医学部に入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。
僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部に一般枠で合格した。ちなみに僕の家系に医者はおらず、両親は地元の会社員である。
入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分の人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーションで開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIXや鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。
しかし入学後の部活の新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓はセレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。
とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。
そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年からは解剖学、生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元の公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトでお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味らしかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。
つい最近、W君とCBTに向けてiPadでQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部を受験したのかと問い詰めた。W君は、一言「だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。
「親ガチャ」というセンシティブなワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側の人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。
為せば成る、努力は実を結ぶ、と言った陳腐なスローガンを掲げてきた地元の高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。
息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。
そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日も勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。
アメリカの田舎町で暮らし始めて1ヶ月が経ちました。英語力はほとんど向上していませんが、アメリカ暮らし自体には慣れてきました。そんな前置きはさておき、この1ヶ月で感じたことを色々と書いていきます。
## はじめに
簡単に自己紹介をします。私はノースカロライナ州で交換留学中の高校1年生です。州北部の公立高校で12年生(日本の高3に相当)に所属しています。渡米前の英語力は 英検2級 < 私 < 英検準1級 といった感じです。
### ハードウェア
平屋建てでかなり広いです。また、フットボールやサッカーのコート、巨大な駐車場もあります。土地の使い方が余裕にあふれていて、私が通っていた都心の高校とは対照的です。
### 授業
毎日90分 x 4コマですが、実質45分 x 4コマくらいの密度です。私はアメリカ史と英語、マーチングバンド、ビジュアルデザインをとっています。正直、アメリカ史と英語の授業はあまり理解できていません。が、意外となんとかなっています。
### 課外活動
マーチングバンドに所属しています。楽器はサックスです。9月から11月にかけて、毎週金曜日に開催されるフットボールの試合で演奏します。バンドはある程度人間関係が確立されており、まだあまり馴染めていない感があります。
## 食べ物
### 家での食事
ホストマザーが作る or テイクアウト/外食 (5:1くらい)です。基本的にかなり美味しいです。
### 朝食
どうやらアメリカ人は基本的に朝食を摂らないようですが、私はサンドウィッチと果物を食べています。
### 昼食
高校の給食を食べています。授業の合間にはナッツバーやりんごを食べてます。
### 日本食
味そのものは悪くないことが多く、ジャパニーズディッシュとして食べると納得できます。ただ一つ不満を挙げるとすれば、日本食にはジャポニカ米を使ってほしいといつも思います。
## 暮らし
### 部屋
オランダ人の留学生と同居しており、盛大に軋む二段ベッドで寝ています。部屋は広くないですが、特に困るほど狭くもありません。椅子の座り心地は悪いです。また、全体的に暗いのでデスクライトを購入して取り付けていたりします。
### 洗濯
私のステイ先ではホストマザーがまとめて洗濯してくれます。圧倒的感謝です...!
### 物価
円安の影響もあり、全般的にかなり高いです。この記事を書いている現在、クレジットカードで決済すると ¥150/$1 程度になります。留学費用を負担してくれている両親に圧倒的感謝です...! (コピペ)
## 勉強
### 英語
そもそも単語がわからないので、英単語アプリの mikan を使ってポリポリと勉強しています。また、文法がわからなくなったときは「マーフィーのケンブリッジ英文法」を参照しています。
帰国後、理系に進む予定なので独学で勉強しています。(数3の極限・関数までは独学で勉強する予定です)。Focus Gold は重いですが、1冊あれば解く問題に困らないのでとても便利です。「新数学スタンダード演習」「物理/化学 重要問題集」なども持ってきています。
## 終わりに
宗教の教義内容を問うのではなく、外形的基準で問題集団の危険性を判断するというものです。
ーーカルト対策先進国のフランスは2001年に反セクト法を制定。「ライシテ」と呼ばれる政教分離制度が徹底しているため、宗教の法的定義はなされていないが、問題集団の危険性を見分ける10項目の判断基準を設けている。
⑩国家権力への浸透の企て
1つでも該当すればセクトと認定。反セクト法が定める法令違反で有罪判決が複数回確定した場合、裁判所が解散宣告できると規定している。
カルト対策が進まないのは、政治家と宗教団体が持ちつ持たれつの関係だからです。政治家は集票や選挙中の勤労奉仕を期待し、教団側は所轄庁や税務署との緩衝材の役割をあてにする。
小学生の時から高校卒業の頃まで、こづかいとは別枠で「本代」というこづかいもあった。
通常のこづかいは周りより少ない水準だったが、本代は通常のこづかいより枠が大きい。小学生の時は毎月1,000円の「本代」をもらっていた。
本代を受給するには条件がある。
先月の本代を漫画含む書籍・雑誌に利用したレシートと、余った場合はその金銭を母に提示することだ。これをクリアすれば、また、本代がもらえる。中古書店で買ったものでもいいし、書籍名は伝える必要はない。
増田を見るようなやつには羨ましがられるだろうし、俺も本代をもらい始めて2,3年後には本代から足が出るのは普通のことになっていた。
母には色々と嫌な思いをさせられたが、本代はけだし名案であり、この一点については尊敬している。
漫画も雑誌も可とするのが特に良かった。どうせ、漫画読むやつは飽き足りなくなって漫画ではない本も読む。
この制度のおかげで毎月「金を使うために本屋に行き品定めする」という習慣が身につき、今も積読の山の中で生活している。自分の子供にも本代制度を適用することが楽しみだ。
田舎の人が都会(というか東京23区あたり)の声で嫌味に聞こえるものとして、車への認識が大きいと思う
特に富裕層につま先を濡らしている人の多くは田舎の車文化を毛嫌いする
なので都会にいくほど普通免許の取得率は下がるし車自体を持つことを嫌う傾向にある
かくいう自分も東京で学生やっていたときは免許なんて取らず車も運転する理由がまったくなかった
転勤先の田舎で強制的に取らされ、その後転職して別の田舎で車を必要とする生活をおくることになり今に至る
その過程で思うのは、車に乗らないで済むならそれでいい、ということだ
あえていうけど車やバイクというモータリゼーションが嫌いというわけじゃない
単に車が維持費がバカ高い乗り物なので趣味や余興で手に入れるならまだしも、生活必需品として位置づけられることに違和感があるだけ
これは自動車税、ガソリン代、駐車場代、車検・整備費、などを合わせた額だ
自動車の維持費を落とすことは容易ではないため、田舎では家賃や住宅ローンに車の維持費を月割した額を含めて考えないとあっという間に破産してしまう
これが電車ならば定期代を会社からまるまる出してもらえる可能性もあるのだが、車だとせいぜい通勤経路のガソリン代だけだ
こんなに高いものを支払わないと生活できないとかちょっとおかしい
これが結構大問題で、都会にいた頃は1日1万歩は楽勝だったのに、今は職場の巡回などで稼ぐしかない
しかも田舎は階段の概念が乏しいことが多く、家の中や職場以外では全く階段を上り下りしないことも多い
そうすると運動量が極端に乏しくなる
自分はまるでアルコールを飲まないから良いのだけど、数世紀前の飲み会がまだあった時代は車で居酒屋に行けば帰りは代行運転を頼むかシラフの人に送ってもらって必要があった。自分が飲まないならば飲んだ人を送り届ける必要が出るので、どっちみち手間や時間やお金がかかる。
電車ならば車内で寝ようが本を読もうが自由である。けれど車だと運転に集中する以外にすることがない。どんなに疲れていても自分を移動させるには頑張って運転するしかなく、事故に合わないようにするには自主的に休憩を挟むと必要がある。試験会場に向かう最中に軽く問題集を読み返す、なんて単純なことが車だと難しくなる。なので情報源がラジオなどに偏ってしまい、無駄にラジオCMを覚えるハメになる。過払い金とビックモーターが大嫌いになった。
高齢者の運転事故はなぜ多いのか。車を運転していればわかるけど、ほんのちょっとした集中力の欠けや操作ミスで簡単に事故は発生する。レーンを一定速度で走行する、という基本中の基本ですら疲れや不注意で容易に外れてしまうのだから、運動神経や感覚が鈍っている高齢者が運転すればどうなるかは想像にかたくない。
プリウスミサイルは決して誇張ではないと思う。なぜならあのシフトノブは悪意があるとしか思えないのだ。他の車ならばシフトを最上部に持ってくればパーキングが入りとまることができる。しかしプリウスなどの電子シフトだとパーキングは独立したボタンとなっており、最上部にするとリバース(バック)になってしまう。とっさの判断を強いられる運転において、あろうことか止まるとリバースが同じようなシフト位置にくるのは事故を起こして欲しいという悪意がなければ成立しない。
それになぜかBレンジというバックとも捉えられるシフトが存在するのも謎。しかも足を前に出すとブレーキとアクセルの両方に足が触れるので非常に危ない。
車は他の家電と違って、ないと行動そのものが阻害される。人によっては冷蔵庫がなくても問題ないケースもあるが、車がないと田舎では本当に何もできない。地域社会自体が車を前提に組み込んでおり、徒歩や自転車への扱いが雑だからだ。もちろん徒歩や自転車ですむならそれでいいのだが、それは子供がいなかったり職場がすぐ近くなどのレアケースでしかない。
車自体は面白い。運転は爽快だし多少の荷物があっても自由に移動できる。満員電車に子供を乗せるなんていうリスクを負う必要もない。
けれどやはり生活自体に組み込まないと成立しないのは度し難い。
運転自体が苦手な人でも田舎にいれば強制的に車を持って運転しないといけないのは理不尽だ。
できるならカーシェアの方が気楽なんだけど、田舎ではカーシェアが圧倒的に非効率なのは言うまでもない。お金の学校などでカーシェアを田舎の人に勧めているのだが、それなら引っ越すかタクシー通勤したほうが良い。
とりあえずスーパーの隣の家に住みたい