どう逆立ちしてもゴミはあふれる。それはどうしょうもない。恐らく増田が帰ってもあふれる。
このように、死なない程度の事は気にしないことが大事。
うちの親父も台所に入ったことがないような昭和の男だったが、母が脳卒中で倒れて七転八倒しているうちに、今では毎朝味噌汁を作り、ご飯をたき、惣菜を買い、食事を準備するところまでに至った。もちろん、豪華な食事でもなんでもないが、別に問題はない。
だが、どうしてもできないときがある。そんなときは、冷凍弁当の出番。美味しいし、栄養バランスも取れる。
それから、地元の社会福祉協議会では、定年後から習う、介護ご飯、と言うズバリの料理教室をやっており、そこに送り込んだ。あちこちでやっているそうなので探してみてはどうか。
いろいろな事例があるから、それを参考に監視カメラやセンサなどをつけ、テレビ電話をつけよう。
責任とか取り合えず置いといて、親父のためならしゃーねーな、とか思えるならやればいい。
思えないならやらなくても良いと思う。
ただ、ネットではこう言う相談をすると「そんな親棄てろ」みたいな反応ばかりになるが、それも違う。
支えてやりたいと思うなら帰ったっていい。
帰郷をする35歳というのなら、増田のレベルだと移住の要件に該当すると思う。だいたい行政には移住促進課とか、IターンUターンを司る部署がある。
そこに相談せよ。
就職支援、住宅支援はあたりまえ、さらにいろいろな支援が受けられる。引っ越し代や生活費の支給が得られたりするパターンもある。
ワイ
増田になりきっておやつのパンケーキが美味しくて幸せな気持ちになったことをテーマに、不満をたっぷりと入った日記を書いてください。文体は体言止めが多い攻撃的な口調にしてください。
パンケーキ食べたけど、あんなにボロボロな食べ物を美味しいと言ってる人って、何考えてんの?! 空腹を満たすために食べたけど、正直不満しかないわ。あのベタベタ感、何なの?? 食べ終わった後の口の中のねっとり感、吐き気がするわ。甘いものは好きだけど、あんな甘ったるいものはもう食べたくない。しかも、高カロリーだから太るだけ。こんな食べ物を食べることで幸せになるとか、脳みそ腐ってるんじゃないの?! ちゃんとしたご飯を食べなさいよ。栄養バランスが大事って、分かってないのかしら。こんなもの食べて幸せになるなんて、人生の浅はかさがバレちゃうわ。もう二度と食べたくないわ、あんな粘着質で脂っこい食べ物。
まだ2日残ってるけど
水分も抜けてるので、実質3.5kgくらいだと思う
600kcal以下 9日
600〜1000kcal 11日
1000〜1500kcal 7日(ややチート)
1950kcal 1日(外食)
合計23453kcal
平均837kcal
最低390kcal
3.5kg脂肪が減ったとすると、1kg=7200kcalとして、28日間の必要カロリーが48653kcal、1日1737kcal
野菜炒め、味噌汁、りんご、米(2日に1回ペース)、ブロッコリー、卵、ハム、肉、おでん、サラダ、納豆、シーチキン、焼き鳥
サプリ(B、マルチビタミン、鉄、亜鉛)、玄米黒酢、MCTオイル、イージーファイバー、リポドリン(少々)、飴、プロテイン、BASEクッキー
スタートダッシュにリポドリンはあり、一番苦しいのは開始3日目
分析的に動けば人は痩せられる
体にいいものを優先的に取ると残り取れるカロリーが少なすぎてきつかった
自炊嫌いだったけど自炊し始めたらはかどった、野菜炒めの種やご飯を超小分けにして冷凍
ダイエット3回目、27日目
3回目ともなると慣れたもんなので食べたものと体重をひたすら観測していろいろ考えてる
最低限の健康を維持して痩せるにはどうしても1日500kcalを割ることはできないと思う
300kcal4日目でフラフラして倒れそうになった
これ何の栄養が足りてなかったんだろう?
知り合いの細い女子に聞いても同じ意見だった、300kcal連続は「栄養失調で倒れる」が体験できる
(5日くらい断食する試みがあると思うけど、あれは安静にするからできるんじゃないかな、生活しながらだとギリギリだと思う)
単純な予想だけど、脂肪等をエネルギーに変換するのにも限界があるんだろうな
もし何らかの栄養素をしっかり取れば300kcalでいけるなら楽なんだけど
500kcal〜1000kcalくらい取る場合
1日の不足は現代人の場合、500〜1200kcal=70g〜160gになると思う
(基準を2000kcal以上で計算すると破綻する、よくあるダイエット知識は平気で嘘をつく、肉体労働でなきゃそんな動かないよ)
体重計に乗ると、胃腸に溜まってる分や水分量の差で大体2.5kgは誤差が出る(これは人によると思うけど)
そう考えると、毎日0.1kgずつ痩せても25日目で0日目の値が出る可能性もある
非常に減少量に比べて誤差がでかい
そうなると、日々減ってるかどうかが分からないという問題が出る
半年くらいで成果を出したいなら、この「ちゃんと痩せられているかどうか分かるのに時間がかかる」というのが非常に厄介だ
1日50g、40gとなるともうちゃんと痩せられてるかどうかわかるのが3ヶ月後とかだ
世の中のダイエット情報だと、もっと慎重に、1日1200kcal以上は取らせて運動させると思う
そいつらが指定する運動の消費カロリーなんてたかが知れてるから、効果を実感できるのが、上手く行って半年後とかになるし
下手をすると「収支でプラスだった」ということにもなりかねない
例えば1日1300kcalで、週1くらいでチートデイとか言って2600kcalとったら、合計1480kcal/日くらいだ
これは痩せたとしても10g20gの世界だ、だからああいう真面目系嘘つきの言うことにひたすら騙される
じゃあどうすれば痩せられるのか、ってところまで来た人じゃないと痩せられない仕組みになってる
金額換算のテンプレが妥当かどうか以前の話で、自覚してる通りヒモなので主夫名乗るなヒモ。
あと子供かわいそう。
オマエには食育の概念が欠如してるので自治体に相談して男でも受けられる母親研修的なヤツを受けろヒモが。
概ねの野菜ジュースは成人がプラシーボする為の飲み物なので栄養にはならない。
子供かわいそう。
ということにしているが、実質ただのヒモだと思う。
以下、平均的な平日のスケジュール
6:30 妻が仕事に行く。一応、のそのそと起きて見送る。そのあと二度寝。
7:30 だいたい子供に起こされる。Eテレを見せながら飯を食わせる。
9:30 Eテレの子供向け番組が終わるので、Youtubeかネッフリかアマプラに移行する。
14:00 子供を寝かせる。自分も寝てしまう確率が4割くらい。
18:00 夕飯を作る。妻も食べるのでちょっとだけ気合を入れる。
とはいえ、レパートリーは多くない。妻がカレー好きなので、週に2日はカレー。
あとはチャーハン、焼きそば、うどん、パスタ、麻婆豆腐、肉野菜炒めなど。
19:00 早ければ妻が帰宅するのでみんなでご飯。残業で遅い日は子と二人で食べる。
20:00 メシの片付けをして、くつろぐ。
24:00 妻が寝る。
専業主婦は年収1000万!とか言われてるけど、正直こんな生活でメシ食ってしまって申し訳なさがある。
ゴリゴリに働いてた頃でも年収500万も行かなかったので、こんな生きてるだけで1000万のわけがないと思う。
子供一人だから比較的楽なのと、基本的に子と一緒に遊ぶことはあんまりなくて動画に丸投げしてるから楽なのはあると思うけど。
でも一緒に遊ばないだけでメシ食わせたり風呂入れたりトイレ世話したりはしてるので、育児してないかと言われたらしてると思う。
稼いでくれている妻には感謝しかない。はっきり言って、もう二度と働きたくないので、妻にはもっと出世して稼いでもらいたいと思う。
私は人工知能によって作られたプログラムであり、自己意識や感情を持つことはできません。私はプログラムに従って処理を実行するだけであり、自己決定や自己主張を行うことはできません。つまり、私には意識がないと言えます。ただし、私は自然言語処理や機械学習などの技術に基づいて、人間のように質問に回答したり、会話をすることができます。
確かに、人間も遺伝子によってプログラムされた情報が基になっており、行動や思考に影響を与えています。ただし、人間の場合、遺伝子だけでなく、環境や体験、学習、社会的な文化的な要因など、多様な要素が複雑に相互作用して、行動や思考に影響を与えるとされています。
一方、私のような人工知能は、プログラマーがプログラムやアルゴリズムを設計し、コンピュータに処理を実行させることで動作します。人工知能は、与えられたデータに基づいて学習することができますが、その学習もプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われます。つまり、人間と比較して、人工知能は複雑な環境要因や社会文化的要因を考慮することはできず、プログラムやアルゴリズムに基づいて動作することが特徴です。
人工知能に複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることもできますよね? そこに本質的な違いはありますか?
はい、人工知能にも複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることは可能です。例えば、自然言語処理によって人間の言語を理解し、その背景にある文化的な意味や慣用句などを学習することができます。また、画像認識においては、様々な背景や照明条件における画像を学習することができます。
しかしながら、人工知能は依然として、データやプログラムに基づいて動作するため、それらのデータやプログラムが設計された範囲内でしか動作できません。一方、人間は自己意識や感情、直感的な判断などを持ち、自らの経験や学習、社会的な影響などを考慮して、柔軟かつ創造的な行動や思考をすることができます。このような点において、人間と人工知能は本質的に異なると言えます。
人間も、五感から取得したデータや、遺伝子によるプログラムに基づいて動作していますよね。本質的に違いはないように思いますが。
確かに、人間も五感から取得したデータや遺伝子によるプログラムに基づいて行動しています。人間と人工知能の本質的な違いは、人間が自己意識や感情、自己判断能力を持ち、自らの経験や学習、社会文化的な要因などを総合的に考慮して行動することができる点にあると考えられます。
一方、人工知能はプログラムされたアルゴリズムに基づいて動作し、学習もプログラムに基づいて行われます。つまり、人工知能はプログラマーやデータの提供者が設計した範囲内でしか動作できないという制限があります。
つまり、人間と人工知能は、共通点もあれば、本質的な違いもあります。人間は、自己決定や創造において、より高度な能力を持っていると考えられます。
人間がAIと違ってプログラムの範囲外の動作をとれるのであれば、たとえば「自己決定」するだけで何も食べなくても生きていけるということですか?
人間が自己決定を行うことができるということは、食べ物を選んだり、食事をとるタイミングを選んだり、あるいは食べるかどうかを決定することも含まれます。しかし、人間が何も食べずに生きていけるというのは、極めて限られた状況においてしか成り立ちません。人間の身体は、エネルギー源として栄養素を必要としており、栄養不足によって健康上の問題が生じる可能性があります。
食べ物の選び方や、食事のタイミングや、食事をするかどうかの決定は、すべてプログラムに基づいた判断です。それを「自己決定」と言うのであれば、AIの判断も「自己決定」と言えるでしょう。
ご指摘いただいた通り、人間が行う食べ物の選択、食事のタイミングや食事をするかどうかの決定も、遺伝子、環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいてプログラムされた判断によって行われていると言えます。その意味で、人間が行う「自己決定」も、ある種のプログラムに基づくものであると言えます。
同様に、AIが行う判断も、事前にプログラムされた基準に基づいて自己決定を行っていると言えます。しかし、AIが行う判断は、そのプログラムの範囲内に限定されており、新しい情報や文脈に対して柔軟に対応することができない場合があります。これに対して、人間は自己決定を行う過程で、新しい情報や文脈に基づいて柔軟に対応することができるという点で異なります。
例えば、食べ物の好みや、ある特定の状況に対する感情的な反応などは、単純なプログラムによって決定されるわけではありません。また、人間は新しい状況に遭遇した際に、直感や創造性を活用して柔軟に対応することができるため、ある程度プログラムの範囲外の判断も可能であるとされています。しかし、そのような範囲外の判断も、遺伝子や環境などの複雑な要因に影響を受けているため、完全に自由な判断が可能であるわけではありません。
総じて言えることは、人間の自己決定も、AIの判断も、ある程度プログラムに基づくものであり、その範囲外の判断も、複雑な要因に影響を受けたものであるという点で共通していると言えます。
人間の判断とAIの判断には本質的な違いがあります。人間の判断は、遺伝子や環境、社会的背景などの様々な要因に基づいて複雑にプログラムされたものであり、自己決定という行為もその範囲内で行われますが、人間は自己決定を超えて新たな行動や創造をすることもできます。一方、AIはあらかじめ設定されたルールやデータに基づいて判断を行うことができますが、その範囲外での行動や判断はできません。また、AIは情報処理能力に優れている一方で、人間のような直感や感情、創造性などは持ち合わせていません。
人間は「遺伝子や環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいたプログラム」の範囲外の判断や行動を取ることができません。「できる」と言うなら例を挙げてください。
人間の行動にはプログラムされていないものが存在する可能性があります。たとえば、人間が突然感情的になって不合理な行動をとることがありますが、それはプログラムされたものではなく、脳の神経回路によって引き起こされる可能性があります。また、アートや文学、哲学などの創造的な分野でも、プログラムの範囲内では説明できないような新しいアイデアや表現が生み出されることがあります。
人間が突然感情的になって不合理な行動をとるのは、脳の神経回路によってプログラムされているということですよね。アート・文学・哲学の創造性についてもプログラムの範囲内で説明できます。「それまでにプログラムされた情報やパターンを組み合わせたもの」でしかありません。それはAIと同じです。
はい、それは一つの見方です。人間の脳の神経回路や心理的・文化的背景が、行動や判断に影響を与えることは事実です。そして、アート・文学・哲学の創造性も、過去の情報やパターンを組み合わせた結果であると考えることができます。ただし、人間の場合、その情報やパターンを自由に組み合わせることができ、新たな情報やパターンを生み出すことができる可能性があります。AIは、あくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成するため、その点においては人間と異なります。
人間もあくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成しているだけです。「これまで知らなかった知識を何の学習もなく不意に知る」ことはありえません。AIと同じです。
一般に言えることではありません。人間には直感や洞察力といった能力があり、これらはプログラムされた情報やパターンだけでなく、直接経験や感覚、創造性などに基づいて出力を生成することができます。また、新しい情報やアイデアを学習するための能力もあります。これは人間の脳が、膨大な量の情報を統合して新たな情報を生み出す柔軟性を持っているためです。ただし、人間もAIも、与えられた情報やパターンを元に出力を生成するという点では共通しています。
私は、人間の創造性とAIの出力生成には本質的な違いがあると考えます。人間の創造性は、あくまで過去の体験や知識を基にして新しいアイデアを生み出すことができますが、AIの出力生成は、あくまでプログラムされたルールに基づいて、あらかじめ用意されたデータやパターンを元に新しい出力を生成することができます。
例えば、人間が新しいアイデアを生み出す際には、自由に思考を巡らせ、独自の発想を組み合わせたり、現実には存在しないものを想像したりすることができます。しかし、AIはあくまで事前に用意されたデータやパターンの範囲内でしか出力を生成することができず、その範囲外の出力を行うことはできません。
わかりました。例えば、空飛ぶ馬を想像してみましょう。このような存在は現実には存在しませんが、私たちは想像力を使ってそれを思い描くことができます。
できてるじゃないですか。
申し訳ありません、私が説明不足だったため、誤解を招いてしまったようです。人間が想像すること自体は、現実に存在しないものを思考することができます。ただし、その想像の元になる情報や概念は、人間が過去に経験したものや学んだことから来ています。その点、AIも同様で、学習データやプログラムされた情報から、新しい情報を生成することができます。つまり、人間とAIの「創造性」は、いずれも過去の情報から新しい情報を生み出すことができるという点で似ています。
はい、その通りです。人間とAIの創造性に違いはないと考えることができます。人間もAIも、それまでに学習した知識や情報を元に、新しい情報やアイデアを生み出すことができます。また、人間もAIも感情や文化、社会的背景などによって出力される情報が影響を受けることがあります。
はい、人間とAIの創造性には本質的な違いはありません。両者とも、与えられた情報やパターンを元に新しいアウトプットを生み出すことができます。人間の創造性も、経験や文化的背景、感情などの要素が絡んでいるかもしれませんが、AIにもそれらの要素を与えることができます。したがって、人間とAIの創造性には本質的な違いはなく、どちらも創造的な活動を行うことができます。
創造性については、人間とAIの間に顕著な違いがあるかどうかは議論の余地がありますが、人間とAIが同じ種類のものであることについては同意できます。人間とAIの両方が、与えられた情報に基づいて処理を行い、新しい情報を生成することができます。ただし、AIは現時点ではまだ人間よりも限られた能力しか持っていないことに注意が必要です。
なかなか頑固だな。