はてなキーワード: 集合知とは
単純作業では無いし、イラストも別に単純作業とは言ってないだろ
なんか離散させると計算式である程度再現出来ました!っていうのがイラスト。
これは結局の所集合知。
AIによるコードジェネレータもあるけどこれも結局集合知だから最初の0→1がないとだめで
実際チャット出来るAIは海外の質問サイトからも学習させていたがそのサイトではAIによる回答は禁止になった。
何故なら、誤りが多いから。
単純作業だから怒ってるんじゃなくって典型的な上流工程、下流工程を偉いか偉くないかの上下関係で考えているから叩かれてるだけ
そもそもホッテントリ(=ランキング)はあんまり集合知要素じゃない。
「いろんなサイトをタグで整理して検索に役立てよう」っていうのがもともとで、そういう素朴な集合知が行き詰まったあとに、
「やっぱ集合知とか役に立たん」「少数のセンスのいい人が情報を加工すべきだよね」って言ってキュレーションが推されはじめるので。
横だが、良い悪いの問題ではない。良い悪いで言えば個人が勝手に話している分には自由。
ただ「素人でも付け焼刃の表層的な知識で専門家を批判できる(間違った知識披露)!」などと吹かしていれば、知識人たちが「素人がわけわからんのにつっこんできても話すの無理」「間違ってるよ」「んなわけないやろ」と個人的に勝手に突っ込んでくるのも当然というか予想の範囲内というか自由じゃん
というかフンワリ良い悪いや言論の自由的な雰囲気での判断を君は求めるらしいが、これは可不可とか妥当かどうかの話だから普通の人は君の主張を理解もできない。ろくに知りもしないのにどうやって口を挟むんだ、知ったかぶりするなって結論に帰結するでしょうねそりゃ
医療分野なんか議論してどうにかなる分野でもないから、じゃあ論文書いてくださいって話で、素人が専門家に「議論を吹っ掛ける」という発想の時点でお門違い
素人意見が意味のあるものになるごくわずかな可能性を君が秘めてると言いたいのかもしれないが、まあそうなると潤沢な費用を用いて毎日トップクラスの研究者たちが血眼で研究し続けている薬品会社や研究機関より自分のほうが妥当な見解を持っていると言うのと同じなので学問や専門性を軽視していると取られてもおかしくない。世の中には天文学的な確率でそういう人もいるだろうけど、非常に低い確率だと思われるので否定されるのが自然だと思う。俺が今買った宝くじが当たってると怒ってもしょうがない。当たってるなら交換所に行って論文書くしかない
なによりワクチンについてあれこれ言っているが、読む限り君の誤解や疑問点の本質は「現在採用されているワクチンの有効性や長期的な信頼性に関する見解への反証」ではない。ワクチンの有効性がないこと、利益を上回る危険を証明できる!と言ってるわけではないんだろ?「厚生労働省のワクチン政策について不知による不信感がある」というのが正確な君の状態だろう
その状態で医学書の話をしても意味がないということに気づけないのがやっぱり素人の限界じゃないかな。責任逃れではないことくらい基本的な法知識があればすぐわかる。君以外の人間はここまでわかっているので、君の支離滅裂な意見に取り合うのが無意味だと言ってるわけ、別にただ反ワクチンだからとパッケージングして偏見でバッシングしたりバカにしたりしてるわけじゃない。反ワクチンでも敬意のある主張ならみんな聞くよ。君の意見が単純な無知にすぎないから相手にされないというだけ
君のやってるのは、賢く集合知を鵜吞みにしないで疑ってるんじゃない。どの情報を選ぶべきかどの程度信頼できるか、専門的な情報の信頼性や真偽の確からしさという議論の土台となる共通認識すら持たない人間の永遠の揚げ足取りだから人が相手にしないのも当たり前
「定番」っていうだけあって、内容が古いんだよ。
多少は足してるみたいではあるけれども。
「まずいなあ」は、元増田が現状に満足してるかどうかによるんじゃないの。
もっと面白い仕事をしたいとか、給料が少な過ぎると思うとか、余暇に取れる時間が少な過ぎるとか。
コンピューターサイエンスっつっても、現場たたき上げからの集合知みたいなのから、ほぼ数学じゃないかみたいなのまでバリエーションはいろいろあるし、どれが自分にとって有用かは、その個人に寄る。
ランニングしてるのが楽しい市民ランナーに、そんなフォームで走っててもフルマラソンで4時間を切れないぞとか言われても、そりゃあ響くわけがないよなあ、という感じ。
https://note.com/hoshinomaki/n/n1c2fd844ed21
これ。毎日、(短編)物語1つ、詩を1つ、論考(essay)を1つ。
面白そうだけど、3種×1000個も探してらんないじゃん。今こそ集合知じゃん。よろしくお願いします。
将棋は崇高な文化である。棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負だけが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味と将棋が同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこから生まれる珠玉の棋譜に魅入られたもの達が価値を見出し、やがて国が誇る文化のひとつとして昇華した。
…したはずだった。
全人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活が保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである。
世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持と努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業や市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである。
棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞の集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。
昔は新聞とテレビが国民の情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマンが専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父や父親の文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞は将棋の強い親となり、国営放送は積極的であった。そういう時代があった。
人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。
あれから随分と時が経った。新聞とテレビだけで満足する時代は終わった。家長だけが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディアと父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンやタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士の存在は、意義を問われることとなる。
新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生の放映権を売った。
どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるときは道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主が地球を侵略しに来たことによって、それは加速された。
メシアはAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革を意味していた。向上しようとするもの、必死に縋り付くもの、諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。
そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である。新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。
繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。
ひとつひとつの力は小さいが、集まれば世論をも左右するファンダムをコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。
滅ぶのはファンダムをコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。
ファンダムは集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍な発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的で倫理観のある発言ではないからだ。
文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体は一般市民の人生に必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。
将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間が存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。
将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。
身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯で誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋を棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士の存在が自分の将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。
どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダムが暴走することも、形勢を有利にはしない。
匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、
会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。
この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層や区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化だからだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)
何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい。
将棋を次の100年へ。
実際、小学4年生くらいのころまでは同級生でシコってたような記憶がなくはない
でも、その後、モバイル・デバイスの登場で集合知から望ましいエロ・コンテンツを閲覧できるようになってからは、ガチで一度も同級生でシコったことない
あるんだけど、やっぱ、一度想像力の翼がもげてしまうと、もう写真とか動画とか、そういうのがないとシコれないよ
いや厳密に言うと俺は4分の1くらいはエロ小説でシコってるから、そういう意味では想像力の翼ってまだ残ってるんだけど、なんていうのかな、具体的なエロコンテンツが必要といいますか、こう、エロ小説のなかで起きていることって、その世界においては"事実"じゃん
俺はそういう事実性を強く求めているところがあって、なので、二次創作エロよりも一次創作エロの方が好きだし、一次創作エロの中でもあきらかにエロありき、1話冒頭からエロシーン!ってよりは、10話くらいの積み重ねがあってからエロシーンが来た方がうれしい
すごく嬉しい
そういう作品って少なくて実際けっこうツラいんだ
なんの話だこれ
とにかく、俺が言いたいのは、「実在の同級生に関して、実際には起きていないエッチな出来事や、実際には知らない裸体などを想像して抜こうとしても、FAKE感が先立ってしまうし、なんか申し訳ない感じがして、全然抜けない」ってことなんだ
同級生のアデ姿を想像してシコれるのは、離乳食をおいしく食べられるのとおんなじで、舌が全然肥えてねえから
少しでもREALさを伴うエロコンテンツに触れたら同級生では全然抜けなくなってしまう
これはAVなんかがそう
リアルなエッチというのが重要で、これ明らかに本心じゃねえな、完全に演技だな、というのを感じるとかなりFAKE感が出てしまうので、実を言うと俺は通常のAVではシコれません!!!!
これは、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるみたいな話で、虚の世界において虚なら、それはもう実だって話なんだ
なので、エッチな漫画は抜けるし、企画モノのAVも演技がちゃんとしてたら抜ける
わかりますかね?企画モノのAVに求められる演技と、素人モノのAVに求められる演技は、本質的に違うものだと俺は思う
虚構の世界におけるエッチに寄せる演技か、現実世界のエッチに寄せる演技か そこが違ってくるんだよ
そんで、エロ同人があんまり良くないのは、「虚構の世界」という構成要素が2回出てきてしまうことで、「虚構の世界をさらに真似た虚構の世界で、虚構のエッチを行う」ということになり、結局FAKEになってしまうということだ
ただ、ここについては、虚構の世界をさらに真似た世界を、一つの独立した世界とみなすことである程度解決することができて、それはそうじゃないですか、人間が自分の頭の中にある世界を出力したんだったら、元ネタがあろうとなかろうと、それはもうやっぱり一つの世界であり、そこでエッチは"実際に"起きているのだから、REALだとみなしていいと思うんですよね
つまり俺が言いたいのはあ、俺は、"同級生とのエッチ"が存在する世界を、頭の中に、ひとつの世界として認められるほどの強度で、生み出すことができなかった、ってことなんですよ!!!!
俺は自分を信じられなかったんだよ
俺は自分がクラスメイトとエッチしている姿を思い描いたが、それはひどく不恰好で、いわばembarrasingという感じで、世界として扱うには到底足りなかった
クラスメイトとのエッチを思い描こうとするたびに、ひどく粗雑で曖昧で儚い世界が俺の中に生み出されては、かき消えていくだけだった
実際、同級生のエッチな写真とかが手元にあったりするとだいぶ話は変わってくると思うんスけど、そんなもんないですよね
なので、やっぱ、俺が言いたいのは、
これなんですよ
本当に凄いと思う
俺は世界を信じる力を身につけたいし、逆に世界を生み出す力も身につけたい
世界を信じたりしなくてもシコれる力も欲しいよ
俺には力が足りない