はてなキーワード: 眼鏡とは
お互い観測範囲で話してるから、平行線になるがこっちの見える世界ではそうだ。
周りにもそう言う認識がある。
実際知り合いがある会社の役員だが社内でLGBTの割合が少ないからダイバーシティの視点が少ない事と優秀な人が少ない事懸念してたし。
(まあ実際にはLGBTでない奴が女装して会社来てたらLGBTの人がカムアウトしてきて、いる事が判明してたが)
お互いが色眼鏡で世界を見てるわけだが、ゲイの話題について、ノーマルな自分とゲイのお前のどっちの方がより歪んで世界を見てると思う?
利害のないこっちの方がまだ歪みが少ないと自分は思うけどね。
更に言うならじゃあ逆にLGBTが社会的に無能理論を聞いたことあるか?
思春期くらいまでは、今振り返ると「わかりやすい」可愛さを持つ女の子に惹かれていた。
スタイルがいいとか、美人とか、身長が小さいとか、溌剌とした感じとか、そういうやつだ。
たぶん、どの瞬間、どの角度で切り取られても綺麗なんだろうなぁと容易に想像できそうな人を好きになっていた。
僕が今惹かれているのは、見た目ははっきり言って微妙な感じの女の子だ。地味で眼鏡をかけている。
性格は暗く、人と話すとき目を合わせないし、よくどもっている。
唯一、声は高くて可愛いかもしれない。
だがそのなんともいえない感じがどこからくるのかわからないでいる。
彼女のいいところや素敵なところを挙げようと思えばできるけど、それは
適当な知り合いを掴まえて、その人のいいところを挙げてみろと言われて出てきそうな項目ばかりだ。
それなのに、
明るい太陽の下で飛蚊症の透明な糸くずみたいなものが気になるように、
夏場に常温で保存した食べ物が腐っていないか出先で思い出して気になるように、
スタイリッシュな街で明らかにおのぼりさんがキョロキョロしているのを見ていたたまれない気持ちになって気になるように、
僕は彼女のことが心のすみにずっと妙な感じで引っかかって気になっているのだ。
僕の好きな漫画に「ディスコミュニケーション」という作品がある。
この漫画のヒロイン・戸川さんは、松笛という男を好きになり、でもどうして好きなのかわからないのでそれを突き止めるために一緒にいる。
初めて読んだときはよくわからない感覚だったが、いまならなんとなくわかる気がする。
とここまで偉そうに書いてきたが、
僕自身、人と接することが苦手な暗い男なので、何も行動に起こせないままでいて、とても苦しい。
今日残業で小腹が空いたので、会社の自販機で久々に買って食べた。
前から「牛乳プリンの太陽のキャラクターってコジコジに似てるよなー」と思っていた。
思い立ってふと調べてみた。
さくらももこが生まれるはるか前、昭和27年に生まれた森永オリジナルのキャラクターらしい。
多分私以外は誰も何とも思わないだろうが、少なくとも私にとっては衝撃的なニュースだった。
しかし。さらに調べてみると、世界観や雰囲気に通じるものがあるとの理由から、数年前にコジコジとコラボしたパッケージの牛乳プリンが実際に売られていたようだ。いやちょっと関係あるんかい……。
そしてもう一つの衝撃。
あ、そういう名前だったんですね……。
いわれはホモ牛乳だそうな。まあそれは納得するけど。
別にやましいことは何もないけど、どこかのタイミングで改名とかいう話にはならなかったのか気になる。
私は無知のままでいた方がよかったのかもしれない。
最近のニュースでさすがにセンシティブになってたので、「あなたの主治医は女医が交代でやりますがいいですか?」というタイトルにぐはっとダメージ受けて、ああまた女医がまるで劣っていて男医より働かないかのような書き方されてる、しかも医師が書いただと?と思いつつも心を落ち着けて本文読んだら、女医より男の医者が望ましいと色眼鏡をもつ患者さんもいますよね?という内容だった。担当医交代はまた別の話で。
だから本文自体はよいのだけど、タイトルはやっぱ誤解をまねきそう。「女医が交代で」って混ぜてら意味変わってくるし、タイトルだけ見た人は女医だけ楽な働き方する話だと受けとるじゃん、ともやもやした。
(もし一部の患者が望むのが「男性医師がつきっきりで見ること」だと定義すると、望まない状況は「女医がつきっきり」も「男性医師が交代で」も含まれるんだよね)
で、ブコメみたら、はぁ?女医さんが不安とか全然思ったことないわ!とか、交代でも全然問題ないし複数の目で見てもらえてむしろ安心する(これはたしかに大事なんですよ。他の医師の視点で気づくこともあるし)って反応で、よかった……という気持ちになった。
キモいの?
直接的なセクハラじゃないけどさ、日常会話や世間話でパーソナルなこと聞くのやめて欲しい。
「君は色黒だね、沖縄出身なの?」は正直気持ち悪い。普段からセクハラ発言をしてくるオジサンに言われると尚更キモい。
「休みの日は何してるの?」もキモい。なぜ休みの日の行動をどうでもいいオジサンに話さねばならないのか。家に居ます、なんてはぐらかすと、「もったいないね〜じゃあ今度ゴルフ行こう!教えるから」なんて返してくる。行かない。社交辞令でも気持ち悪い。若い子にしかその発言はしないだろ。それが気持ち悪いんだよ。
「夏休みは何するの?」「旅行に行きます」「誰と?」「サークルの友達です」「どこに?何泊するの?」…
うるさい。何故休みの予定をおじさんに話さなきゃいけないのか。別に話したくない。話したとしても共有したい相手はお前じゃない。こちらから話してない内容は聞き出さないで欲しい。話したかったらこちらから話す。そうでないなら諦めて欲しい。
「コンタクトにしないの?」も話題としてキモすぎる。してないんだからしないんだよ。社会人になる過程でしなかったんだからする予定がない事くらい察しろよ。私が眼鏡かコンタクトでお前に何か関係あるのか?ないだろ?こっちはお前はなんでキモいままの?治さないの?なんて聞かないだろ、関係無いからな。
「タヌキ顔だよね」
は?キモ
「自炊するの?」は?お前に関係ある?無いよね?私が自炊しようがしまいが関係ないよね?「ずっと実家暮らしならしてないよね〜いつ覚えるの?」それお前に関係ある?もしかして実家農家で野菜とかくれんの?
お前は結婚してるけど覚えたの?なんて聞かないよどうでもいいから。私が料理覚えるタイミング興味あるの?無いよね?
「趣味は?」え?ここ婚活パーティーでしたっけ?お前とは年が数十年離れてるし性別も違うからかぶることなんてないと思うけど、話題広がらないと思うけど。若い子の趣味が知りたいならGoogleに聞けよ。
あとオジサンの趣味なんて一ミリも興味ないから、話さなくていいから。被らないから、被ってそうならこっちから聞くから。
話題センスがない自覚のあるオジサンはオススメのショートカットキーとかそういうのでいいから、パーソナルなことかは離れる内容の会話を心がけてください。もしくは話しかけないでください。
引っ越しのため、片付けをしていたら、
書いた時を思い返すと、こんな状態でよく留年とか退学とかしなかったなあと思う。
捨てるのもなんだかもったいない、だがまたいつか見返したい、
ということで、ここに書き起こしてから捨てる。
今思うと相当追い詰められてたなこいつ…
自分はなぜ生きているのか、なぜこんなに愚図なのか。
何でもできるという虚栄心に浸って、本も読まず、有りもしない形での他人の救いを求めて、
慢性的になって、でも一人になるのが怖くて、でも和まりが怖くて、超当たり障りのない付き合い方しかできなくて、
自分の能力も上げず言い訳して、引きこもって、全てまわりのせいにして、
なんなんだ、こいつ。
やらない理由なんていくらでも浮かんで、他人を否定することばかりして、
何もしていないのになにかしている人に対して、優越感を感じて、虚栄心を満たし、
決して満たされない頭の穴にそれを流す。そんなの意味がない。
言葉ではわかっている。
ああ俺何がしたいんだっけ。今の自分のような人間になりたくない。
心のどこかで感じていたけど、結局周りに流されることしかできなくて、思考を停止させる。
結局そう思っていただけ、何になりたいかなんて考えていなかったと思う。
考えてもなれないと、なれなかったとき辛いだろうと思っていた。
何に対しても自信がなくて、結局他人が良いと思いそうな有りもしない思いを伝えて、
まあ、実家のせいなのかな、父は受験期に自殺、母親は過剰に自分の自発的行動にケチをつけ、
姉は毎日誰かしらに喧嘩を売り、一人でイライラして、癇癪を起こし、おかしいといえば、号泣する。
自分が統合失調症とかかじゃなくて、今思っても冷静に考えても、
どこか機能が不全な家族であることは、実家を離れて2年以上たった今でもそう思う。
こういうことを人に話したら、思い切る勇気が無いと言われたが、
根底にあるのは異質な実家をぬけだしたい、でも進路を全力で否定するような実家という状況を直視した
という状況にならないと第三者の目で見られないと思う。
家を抜け出すためにどうすればよかったんだろうか。
その希望を掲げて行動する気は湧いてきても消されたと思う。
書いても書いても、実家の居心地が悪かったからこんな事になった。ということが出てくる。
でも周りを見るといままでにそんなことが無いように見えて、とても眩しく感じる。
実際は一人ひとり違うと思うが。
でも、きっと世の中の人間はここまで卑屈な思いを経験することがなく、生まれて死ぬんだろうな。
人間なんて、意味もなく生まれて、意味もない行動をして、意味もなく死ぬ。
結局たまたま自分という意識を持つよくわからない一つの何かでしかない。
結局の所、自分の頭に湧いてくる、気にしていること、死ぬほど辛いことなんて、
文字にすれば過ぎ去ったことでしか無いことで、もう現実にはないことで、
書いても自分の頭が整理されるだけで、なにも生産性のないことだと思う。
こういうことを書き始めてから1年ぐらいかな、もうなんだかわからない。
心の病や心理学の本を読み漁った結果、
つまるところ、この3語で、自分の気持ち悪く感じていることは説明できると思う。
これを以上として見るなら、誰にも当てはまるんじゃないか、あっても何も問題ないんじゃないかと思うが、
まあ、心が長持ちしないし、一般にはそこまで尖った人間は目立っても相手にされないだけで、世渡りが下手なんだろう。
こう書いてみて、再び思うが、哀れな一人の人間の、治しにくい、典型的な問題でしか無いということがよく分かる。
何なんだろう、これからどう生きていこう。
今まで生きてきて行動してきたエネルギーなんて、
こうして文章化されるまでもやもやしていた「わだかまり」に対してでしかなく、
何も頭に入ってなく、成長していないと思う。これもまた経験なのかなあ。
ふと思い出したが、父親が自殺したあと精神科に言ったことを思い出した。
精神科に行く前から上述のような中身の人間だったのでもっと早めに行ったほうが良かったと思う。
それはさておき、治療していた頃のことを思い出して書いてみよう。
認知行動療法らしいことをしてもらったが、
欺瞞に欺瞞を重ねてきた人間の本当のトラウマなんて、簡単には認知できないと思う。
紐解くのは本当にエネルギーを使う。
PTSDは残ったものの、根底にあるのは慢性化したもので、自殺したこと関係ないと思う。
まあ自分で欺瞞をつくって、それを重ねて、それを壊して、いまも壊し続けていると思うと、
こういう人間は外に注意が向いているようで、全く向いていない。
自分だけの度が強い色眼鏡を堂々と掛けていて、映る像は自分の思い込みが強く入っている。
欺瞞はさておき、人間みんなそうなんだろうと思うけど、度が過ぎると心が持たない。
どうしても自分の色眼鏡を変えたくないっていうのは、自分が間違っているのをどうしても認めたくないってことかな。
臆病な自尊心、尊大な羞恥心に包まれていることを自覚しなければなならない。
なぜ認めたくないかっていうのは、
自分の経験上では、それを変えようとしたところで、目指すものはない。対象があったとしてもイメージできない。
そこを指摘しても、うまく言って洋画、うまく言っていなかろうが、
「今までこれでやってきた」が与える力は測りしれない。
認知的不協和を自己欺瞞(しごく勝手で都合のいい解釈)で簡単に解決したと思い込み、
それを重ねると誇大妄想に至る。
読み返すと恥ずかしくなるけど、こういうものを書き続けてきたからこそ、
やっぱ自分の頭の中を出力するのは大事だね。タイピング早くなるよ!
時間をふんだんに使って、小説や専門書、映画や漫画を漁ったなあ。
どんな作品にしろ、人間である作者がそれに時間を掛けて制作したってことが、
少しでもわかるようになったので、少しは成長したと思う。
愚痴や不満を言ってまでしがみつくくらいならとっとと捨てて別のコンテンツに移住したほうが得策
別に移住したからと言ってデレステのアカウントは消えないし、改善されたらそっちに戻ればいい
移住先としてKONAMIからリリースされているときめきアイドル(通称ときドル)というアプリを強くお勧めする
ときめきアイドルの特長
ミリオンでもオートライブが実装されたが、音ゲーの自動プレイはときめきアイドルが初でありミリオンはパクリなのだ
ときめきアイドルのオートライブは一回実プレイすれば一週間ずっとオートライブが可能な仕様であり、音ゲーをプレイするのは週一でいいという非常に労力が少ないものである
ときドルは全カードに衣装がついており、SSRじゃなくてもRやSRで3D衣装を着せてライブで踊らせることができる
そのRやSRもブルマやジャージ、スク水といった定番衣装が中心で、鑑賞という意味ではSSRを引く必要がないほどクオリティが高い
また、アクセサリーを付け替えできる機能も備わっており、これはデレステやミリオンにはない独自機能である
アイドルに帽子を被らせたり、眼鏡をつけたり、また猫耳やしっぽなども付けることができる非常に自由度が高く楽しいシステムだ
・少数精鋭である
ときドルに登場するアイドルは15人である。デレステの183人やミリオンの53人と比べるととても少なく感じるが
逆に少ないがゆえにガチャの出番やイベント登場回数の不公平感など全くないのだ
少ないといっても中学生一年生から高校三年生で構成されており多彩なアイドルが登場し、必ず気に入って担当になれる娘が見つかるだろう
全員ビンタな
「カメラを止めるな!」というタイトル、冒頭30秒での劇中劇という概念の提示、カメラ目線での「撮影は続ける!カメラはとめない!」、「いったい、ここで何が起こってるんですか!?………いったい、ここで何が(バンバンバン)」とか、
数えたらキリないくらい丁寧に気づかせようとしてくれてんじゃん
屋上行って、不自然に長い悲鳴とか、こうちゃんお願いやめてとか、こんなところに斧がとか、どういう気持ちで見てたんだよ 笑いどころだろ
予告編みたかよ?お前らの言うところのネタバレを制作サイドがしちゃってんじゃん あのアイデア一発は知った上で見てくれていいぞってことでしょ
どんでん返し中毒のパンダどもがよーー 笹でも食ってろよクソがよーー
とにかくこの映画は「ONE CUT OF THE DEAD」が、一本の作品として面白くて、カメラを止めるな!の一部として面白い、ってところがすごいんでしょうが
ついでに書いとくと
「撮影は続ける!カメラは止めない!」で客にカメラの存在を意識させての、「あれそういやカットなくね?嘘だろバカじゃねえの最高かよ」って思う体験な!(ついでに 日暮「いやいやー、びっくりしたー。そんな無茶な企画あるわけ…」俺「あるわけ…!!」)
あとはまあなんかご存知の通りですわ
楽しかったね
パンフレット読んで「湿っぽい人間ドラマは限界まで削ぎ落とした。」そう!!!それ!!!
エンドロールの役者の笑顔からの本物の裏方は、作品のきれいさで言ったらうーーんてとこはあるけど、処女作でこんなすごいもん撮っちゃったらしょうがないよね
冒頭のシーン→ONE CUT OF THE DEAD→カメラを止めるな!ってきて、もう一つ上のレイヤーを予感しちゃうけど、それをやったらちょっと鼻につきすぎるもんね それが上田監督およびスタッフってことで
書きたいことをこれぐらいっすかね