はてなキーワード: 大卒とは
そこから下は7割くらい高卒。専門学校卒が3割くらい。1割にも満たない大卒。
ここ数年は派遣から正社員への登用ばかりで新卒雇用がなかった。
彼らも大卒は少ない。
まとめると、
30代は高卒、圧倒的多数。
20代中盤~後半には誰もいない。
20代前半~中盤は少数で大卒。
近い将来、世代間でギクシャクするんじゃないかと思ってる。
30代の高卒組は、同じ世代でポストを争うことになるのが自明で、下の大卒組とも出世争いをするのかもしれない。
高卒でも大卒でも、30歳で年収450万~550万くらいはかたい。
売上高も従業員数も少ないが、利益率なら大企業の比じゃなく、福利厚生もしっかりしてる。
ところが、大企業に急遽買収されちゃってさ。
これ、なんか起きるだろ絶対。
今年の誕生日で父が定年を迎えた。(ちなみに60歳定年制の会社)
定年後も再雇用でそのまま職場も変わらずだけど、慰労会を開いてもらったとかでお礼状を書くことになったり、
年金事務所に手続きに行ったり書類を書くことがあったりで家族が駆り出された。
父は世代にしても珍しい字の汚い人のためもあるけど、
子どもに甘えたいのか「お礼状のあて先を書いて欲しい(文面はPC作成で印刷のため)。数は130」と頼まれた。
自分はデジタルネイティブな世代でもなく、こつこつ文通したり、部活でOBOGに手紙を書く機会があったので
数はそれほど苦ではなかった。
年金関連の書類も本人がサインしなくてはいけない所は除いて、現住所とかちまちま書いた。
そうすると本人が今まで言わなかった仕事をする父が浮かび上がってきた。
箇条書きにすると、
いわゆる団塊の世代で学歴が重視された世代としては上手くいった方の経歴に入る。
しかし、実際には高卒であることから入社した大手石油メーカーでは夜勤のあるシフトで
朝起きて夜寝る(そして三食後毎に●する)リズムの体であった父には相当なストレスであり憂さ晴らしに賭けごとを覚えた。
そしてまだ縁故の力が強かった時代ゆえ、とある私鉄に親戚のつてで入社する。
駅員さんではなかったが駅ビルなど設備関連の仕事なので、夜勤がたまにあったが本当にたまにだった。
そしてこの頃、母とお見合いし結婚する。(当時母と共稼ぎであったが母が私を妊娠すると母は仕事を辞めざるを得なかった。時代の問題)
やはり「高卒」だと限界があり、どんなに仕事ができない人でも「大卒」というだけで昇進していく。
徐々に父は荒れることが多くなり、子どもにしつけだといいながら柔道の絞め技をかけて戻させたりしてきた。
そしてパチンコにはまり、周囲から借金をし結局総額1000万程になった。
母は家計を何とかやりくりし、借金を返済したが嘘をついてお金をパチンコに使う父に愛想を尽かし、
もし祖父(父の父)が認知症で徘徊したりしなければ実家に帰っていたと思う。
今も父と母はあまり直接話さない。
でも1時期は子どもを通信役にしてしか会話しないので本当に兄弟で迷惑した。
いまだに嘘ついてパチンコに行くし、家族が付き添わないと持病の糖尿病の治療にも行かないけど、
歳を考えればそれなりに元気だと思う。
たとえば東大とFランなら平等に扱うというのは不平等だというのがわかるだろう。
大卒という価値が減じているため、これを回復させねばならない。
また、Fランという存在自体が社会にとっての害悪なので、これは国が率先して淘汰しなければならない。
この世は勝ち組と負け組がいて当たり前。みんな仲良くしあわせなんてのは最悪の社会。
負け続けるような人には、死んでもらおう。
小学校のうちから勝ち負けをはっきりさせ、負け続けると死ぬんだぞと教え、向上心を与え競争を促進し、メンタルも強い優良な人間が幸せになれる社会にしよう。
弱者は踏み台。
弱者を多く作れば作っただけ、より高みに上り詰めることができる。
自分の力で問題を解く、ことはナンセンスで時間の無駄だということはネットの普及で証明された。
ネット上では分からない問題は分かる人に聞く。みんなで答えを考えあう。それが普通。自分一人でひたすら考えるのはアナログで、ネット時代ではなんだか妙な姿になってしまう。
ウィキペディアコピペ問題もそうだけど、アナログ時代ですら行われていたことが、ネット時代ではさらに容易になったというだけなんだよな。
宝くじと同じじゃないかと思える。運よくエリート・高収入への切符を手に入れるためのくじ。当選者=合格者。
答えが出てくるような問題を考える必要はない。答えが出てくるならそこは全てグーグルなり頭のいい人間なりに頼ればいい。
しかしそうなると、答えがないので問題文には出来ない。しかし定員は限られてるからふるいにかけないといけない。どうするのか。
そもそも大学とは?大学では一体何を学ぶのか。大学に本当に入る価値があるのか。大学が単なる就活を有利にする大卒切符を発券する場所だとしたら、金さえあれば切符をもらえるようにすればいい。切符はお金を出して買うものだ。それ以外に何もいらない。
本当に学びたいこと、学ばなくてはならないことは、今まさに問題となっていること、まだ解明されていないこと、まだ誰も知らないことだ。
これらを学ぶために必要なのは考える力、そして必要な時に必要な知識を引き出すことが出来る検索力とでも言うべきもの。
前者は1人でも出来るし、後者はちょっとしたネット教育があれば出来る。
本当に必要なのはこの二つだけなのではないか?そうすれば、たくさんの教師は必要ないし、子供たちには専用のコンピュータとネット環境を用意する資金があればいい。たぶん、今よりずっと安上がりだ。
重要なのは人間関係やコミュニケーション能力というが本当か?物理空間に囚われている頭の古い人間たちの戯言ではないのか?
そもそもコミュニケーションとは必要な時に必要なだけ行うもののはず。街を歩いている他人といちいち仲良くならなければならない理由はないし、四六時中誰かと意気投合し話し続けなければならないわけではない。
好きな時に好きなだけ、合意のもとに。それはネット上での一般的なコミュニケーションと言える。嫌いになったらアクセスを遮断すればいい。
必要なのは?今人類にとっての問題を解決する力である。どうでもいいコミュニケーションに時間をかけたい人はそもそもいない。
受験問題をネット投稿した人間は素晴らしい。彼は新しい視点を提供した。
受験問題だってそもそもはただの問題だ。なら、ネット上にいる「答えを教えたい人々」に問題を提供してもいいではないか。
そもそも答えがある問題を解くことは単なる確認作業にすぎない。そんなことを真面目くさって解いてなんになる?こんなものが解けるか解けないかだけで、年収が全く違ってしまう、人生の勝者と敗者がはっきりと分かれてしまう、そんなことは許せない。そんな気持ちかもしれない。
大学生よ、ウィキペディアはどんどんコピーしよう。受験生よ、受験問題はネットに教えてもらおう。
新しい時代はもう始まってる。
学費のためにバイトしてる人が何でかわいそうなの?
新卒でいい会社に入りたいからみんな学費払って大学行くんでしょww
それ以外の、本当に勉強したい人はあなたの言うように自分でやるし、実際俺はあまりに授業がつまらないから大学やめて自分で勉強してるよ。もともと就職するために大学入ったわけじゃないからな。
失礼だけど、学費のためにバイトしてる人って俺みたいに心の余裕なんかないだろうから、就職のためだけに大学に在学してるって言っても間違いではないと思う。貧乏な人はとりあえず大卒じゃないとどうにもならないし(今の日本じゃ少数派だろうけど
ある程度大学の授業を受けてみて自分の独学の助けとなるような知識は学べるから、そこからは自分で進むって感じで、大学にそれ以上の何かを期待するとすればそれは就職のための踏み台としてくらいしか。
一番身近だと、保健所とか。
都道府県とか中核都市以上の市で出してる求人に応募して地方公務員になると少なくない確率で保健所。
まあほとんどの県は県立病院を持ってるから県立病院勤務のほうが数としちゃ多いだろうけど。
保健所は所長は慣例的に医師免許持ちだし、地方公務員なら課長~部長クラスまでは確実。
うちの会社なら医師免許持ちが応募してきたらどんなグズだってどこかの部署では拾うと思う。
さすがによっぽど優秀でないと研究はさせてくれないと思うけど、なにかしらには使えるし。
使えなくたって泥仕事とかもあるし。
たしか食品衛生管理者、食品衛生責任者、食品衛生監視員になれるはずだから、食品工場でも外食でも重宝はされるよ。
外食はブラックだから嫌だとか、工員は嫌だとか、そういうふうに思うかしれんけど、そういう選り好みが出来るだけ幸せじゃん。
http://sier.2chblog.jp/archives/1392730.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/sier.2chblog.jp/archives/1392730.html
1、会話がなりたたない
3、考えて行動しない
4、言われたことしかしない
5、向上心がない
6、いざというときの爆発力がない
7、プライドが高すぎる
思いつく感じではそんな感じかなあ。
最近の若い子に増えているけど、他人が自分と違う意見や趣向を持ってたら「あいつダメだわ」とか「あんなん俺全然興味ねーわ」で終わらせるんですよ。
「なんでそういうことするんだろう」とか「そういう考えがあるのか」とか、そういうふうに考えが進まない人は基本的には一緒に仕事してもうまくいかないです。
というか、一緒に仕事してたら、「あとは俺がやるからもういいよ」って言ってしまいますね。
会話が成り立っているかどうかは、自分では気付きにくいので、難しいですねw
でも、みんなで話してるときに入ってきたら話がぴたってとまってしまうようなやつでも内定とってますよ。
確か製薬系です。
まあ、「日常会話のみなりたって仕事の会話がなりたたない、自分で考えることができないやつ」あたりなら、就職そのものには不利にならないんでしょうかねえ。
働き始めたらすぐ干されると思いますけど。
まあ、学部で就職するつもりなら、面白いと思うところに行った方がいいと思います。
不人気専攻でも帝大卒ならなんとかなりますし、生き生きと面接ができますから。
修士で就職するつもりなら大学名はあまり効かなくなるので、就職有利な専攻の院に行くのは確かにひとつです。
つまり、学部でもそういう院にいける専攻を選ぶべきです。
しかし、つまらないと思う仕事をしてたら面接でもつまらないことしか言えないし、覇気がなくうつりますよ。
専攻内容が似てても、理学部の就職の難しさに比べれば、農学部卒ならなんとかなるんじゃないですか。
追記
ところで、「無能学生」についてなんですが、残念なことに自分も無能なのではないかと思います。(バイトとかよくミスるし、要領良くないし・・・)
35歳の平均年収が300万代でニュースになってたのに、20代で1000万越えして、30代で500万という生活と20代で500万で35超えて1000万という生活を比べるあたりが世と隔絶してるような。
日本の場合さ、少し前までは大卒の社会人一年生になんか期待してなくて、自社で育ててたんだろ。
大学には受験時にどのくらい成績がよかったかを図るためのシグナリングの役割にしか期待してなかった。
どっかの研究でさ、政府による高等教育への投資と経済発展と相関はないっていうデータがあるんだってさ。
普通に考えると、質のいい学生をたくさん養成したら、質のいい社会人がたくさん出来るかと思いきやそうではないらしい。
社会を変えるのは、革新的なプロダクト、革新的なサービスを作るのは、官や学からじゃなく、いつだって民からだ。
アメリカ人ていったん社会人になってから大学に入り直したりする人多いじゃん。
日本はさ、そういう必要がなかった。
必要なものは会社が教えてくれた。
新卒採用、終身雇用、年功序列とセットで、社内での人材を育成もしなくなった。
学生に即戦力を望むが、即戦力を提供できるほど教育システムは変わってない。
上の世代に新人を育てる力はなく、新卒に社内を変える力もない。
かといって歩みを止めることもできず、壊れた自動車の外装を磨き続けるような、不毛さだけがある。
これが、閉塞感の正体だと思う。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある