はてなキーワード: 一言とは
(Noteに下書きとしてずっと残っていていつまでも公開する勇気無い記事)
10年ぐらい前の話。
給料が入って家のローン、クレカのリボ払いの最低これだけ払ってね支払い、カードローンの支払いをして、自分の小遣いに3万ぐらい入れたら、「あの支払いがまだだった」とか「妻様激おこぷんぷん丸級のミスをしてしまいごめんなさい」的な支出であっという間に銀行の残高が5000円ぐらいになり、あと平日20日間5000円でランチか、、、一日250円だなと考えていると通勤に必要なPASMO的なものに今月まだチャージしていないことに気づき、とりあえず3000円チャージして様子を見つつ、今月はランチ抜きか、ラッキーなら会社の先輩におごってもらえるかなとかそういう感じで生活をしていた。
給料日まであと10日、スーパーで買い物をする時に、銀行の残り残高が2000円だから一日200円、一日二食でいいや、一食100円、じゃあこの70円のパンなら大丈夫、あとこのセールの肉と野菜を買って、、、1300円!700円もあまっている!じゃあデビットカードで支払いピッ もうこれで大丈夫!
給料日2日前、仕事帰りに「あれ?PASMO的なものに残高が無くて電車に乗れない…チャージをしないと…」と気付き、チャージ用機械へ。PASMO的なカードにチャージするには、最低1000円からという設定になっており、銀行の残高が700円しかないのではいアウト。財布に残っている小銭をかき集めて、、、32円。詰んだ。
もうこんなビンボー生活は嫌だ、ホームから飛び込んでやる!と思っても、PASMO的なカードの残高が無いので、改札が抜けられずホームまでたどり着けない。ビンボーは自死の方法すら選べないのか!と怒りと悲しみで途方に暮れたあたりで、妻から何してるんだ早く帰ってこいと怒りの電話がくる。もう涙も出ないので死んだ目をして歩いて帰る。30分ぐらい歩いたところで、偶然同じ方向に帰る車通勤の同僚に会って、渡りに船で近くまで送ってもらう。神様はやっぱりいるんだなあと思って帰ったら、いつまでかかっとんじゃー遅い!と妻様に「あんたのせいで私の予定が全て狂った」とお叱りを受ける。妻もバイトをいくつか掛け持ちしているのでしょうがない。罰としてあれを買ってこいと言われ、ニヤニヤしながら「マジで金がないから無理ぽ」と言うと「使えない」とか「もっと働け」とか「それがわかってるならバイトとか探せボケ」とか色々言われるが、「バイト見つかってもバイト先まで行く交通費ないぽ」とか内心思いながら頭を下げてひたすら怒りが収まるのを待つ。
「こんなんじゃいかん!」と一念発起してがんばる人のNoteをよく散見するが、そういう人は貧困状態でもきちんと認知能力をキープできているマイノリティな人達もしくは状況にいる人である。副業やバイトするにも、最初にどうしても少しのコストは発生する。それをどう工面するか、時間をどう作るか、色々考えないといけない。
たとえ交通費・準備費用などを確保しても、「あなたは私をここまで怒らせた。あなたはいつも金がない、金がないというが、結局それは私よりもお金が大事であるという事なのだ。なので、あなたがそこまでだいーじにしているお金を犠牲にして、私があなたの犠牲にされた気持ちを理解し反省しなさい」という妻の一言ですべて吹っ飛んでしまうリスクに常に怯えていなければいけない。そして、その月末近くには必ずめちゃ金欠になり、「使えない」「バイトできないとかマジ言い訳みっともない」「言い訳考える暇があったら行動を起こすのが人間として普通、それができないあなたはダメ人間」「まともな人間ではない」「くず」「サイコパス」「悪魔」と罵詈雑言を浴びる。反省をして謝罪をしなければならない。だいたい夜12時ぐらいスタートで4時ぐらいまで。何が悪いのかよくわからないため、納得してもらえる謝罪の言葉が見つからずひたすらうつむき、眠気とのどの渇きと便意を我慢しながら、妻が疲れはてて寝ると決めるのを待つ。お前は引き続き謝罪の言葉を考えろもしくは離婚しろと言われ解放され、ほっとして少し横になる。その後、分担しているが滞っている家事を遂行し、仕事へ行ってだいたい遅刻する。息をする。水を飲む。パントリーにおいてあるビスケットを食べる。味はしないが多分甘い。自分よりももっともっと大変で辛い人はたくさんいると自分に言い聞かせる。自分はがんばらずにひたすらしのいでいるだけで、それで勘弁してもらっているのでラッキーだ。そして人前では笑顔を作る。仕事をしてランチに行くお金があるか財布を見ると、現金が200円ある。ちょうど200円で買える、食堂で一番安いメニューを買って食ってめちゃくちゃラッキーやな俺とおもう。もう財布には7円ぐらいしかないけど、今は考えない。給料出るまで家からなんか食べ物持って行かないと…とか考えて、あとXX日、家にあれとあれがあったから…なんとかなるかなとか考える。お金のこと考えると生きる事は本当に面倒くさいなと思う。午後の仕事に集中しよう、と思いながらオフィスにもどってうつらうつらする。
慢性的に貧困状態の人は、いつもお金のことばかり考えその日その日をしのぐことだけに集中しようとしてしまうため、生活や仕事をする上で総合的な認知能力が低下してしまうらしい。トンネルビジョンというそうだ。トンネルに入り込んでしまって、俯瞰的な視点から物事を見ることができない。助けを求めれば手を差し伸べてくれる人がいることに気付かない、もしくは気後れして頼めない、バイトを探したりするのに必要な時間やコストがねん出できないと最初から諦めてしまい、結局また今月やっと一部だけ返したクレカローンから借り直し自転車操業火の車をしてますます貧困になってしまう。
孤独を感じ友達がいない事に悩んでいる人は、トンネルに入ってしまったように自分が孤独な事ばかりを考え、総合的な認知能力が欠如してしまう。よって変なタイミングで変なことを言ってしまうか、考えすぎて身動きが取れずコミュニケーション自体がとれなくなってしまう。人を遠ざける・近づくことが出来なくなってしまい、ますます孤独になる。
そこまでの貧困に苦しんでいない人や孤独ではない人からすれば、何が問題なのか全くわからない。やっと返したクレカローンからまた借りるなんて、そういう馬鹿だから借金まみれになるんだ自業自得で自己責任でしょっていう感覚になる。考えすぎなんだよ、別に他人はそこまで気にしないよ、あなたが思っているほどあなたは孤独ではないよ、と本人以外は思っていても、悩む本人はトンネルビジョンに入ってしまい、周りが見えない。前にある光に向かうか、遠ざかるかの2択しか見えないので完全にフリーズしてしまうか、ドツボにはまるようにトンネルの奥へ奥へと向かってしまう。
そうやって孤独や貧困のドツボにはまった人は、他人からの助けがない限り、自傷か自死をしていくか、「無敵の人」になる。「生まれてきてごめんなさい」といって死ぬか、開き直ってもう何を言われても私のせいではない、そんな事で怒るあなたの方がおかしい、私は言われたことをやっているだけ、私は悪くない…私は悪くない…と思い込まないと正気が保てなくなる。自分の命はちっぽけでつまらない事はわかっているから、死ねばいいんだ。せめて生きてる間ムカついた奴をできるだけ多く道連れに、全く関係ない他人が巻き込まれてもしゃーない、どうせこの世は理不尽なんだから。銃を持つものは無差別射撃を計画し、車を持つものはできるだけ人込みの多い交差点へ突っ込み、一縷のやさしさを捨てきれなかったものは出来るだけすぐ見つかるが確実な方法で自死を図る。
かという私も、なんとかしてその日々を乗り越え、スーパーに行っても銀行の残り残高と次の給料日までの日数をかぞえて「一日何円なので、明日はこれ、その次はアレを食べてなんとかもつぞ」っていう計算をしなくてもよくなった。今ではスイーツ売り場にならぶケーキやまんじゅうにうっとりし、半額のシールが貼ってあればお金の心配ではなく摂取カロリーの心配をする日々である。とてつもなく楽である。
ただ生きるのは格段に楽になった。でも幸せかどうかは、もう何を基準にしていいのかわからない。人から幸せかと尋ねられればもちろん幸せだと答える。でも実は幸せかどうかなどという事はどうでもよく、ただ貧乏だった日々に恨めしかったお金持ち(に見える人達)、例えば旅行に行ったり高級なレストランやホテルに行っては写真をSNSにアップロードして「すっごく楽しかったーお得だよーみんなも行ってみて!」とかポストしている奴に、こっそり「いつか死んだら、地獄へ行ってほしいな」と思ったりするぐらいである。自分が幸せになる事よりも、幸せな奴が不幸のズンドコに落ちてほしいという思いを抱えて生きてきた時間が長すぎて、積み重ねた怒りや嫉妬や恨みの残穢が拭えない。そういう事を思ってしまう自分も地獄に落ちるんだろう。でも自分が地獄へ落ちても良いので、今幸せなやつは罰として地獄に落ちるべきだとかいうゆがんだ正義感が止まらない。
自分がもっと幸せになってよいのであると言い聞かせるが、そうすると過度に炭酸ジュースやアルフォートを浴びるように摂取してしまったりしてなんだかバランスがとれない。今SNSで幸せアピールしてる人も、きっと落ち込む日や不安な日があったりするんだろうな。ひとそれぞれ悩みや苦しみはあって、それはもうその人にしかわからない痛みやから自分で出来る事は全然ないけど、それでもみんなが天国に行くにはどうしたらいいのかな、とか一応人には言えるようにはなった。トンネルビジョンから多分抜け出た。空が見えていて、星がきれいな夜もあれば、雨や雪が中々やまないこともある。ただ、目標を立ててそこへノイローゼのように猪突猛進して努力と友情を忘れない人たちが発する明るくまぶしい光に照らされると目が開けていられない。どうしていいのかわからない。そしてトンネルを抜けたら真っ暗になったり周りが全部明るくなって、どの方向に歩けば良いのか全く分からない。トンネルに入っていた総時間と同じぐらいの日々を過ごすと、どこに行こうかとか見えるのだろうか。ゆっくりと頑張るしかなさそうだ。
参考:トンネルビジョン、貧困やコンプレックスがもたらす認知能力の低下についてのポッドキャスト Vedantam, S. (Host). (2018, April 2). Tunnel Vision [audio podcast transcript]. Hidden Brain. NPR. https://www.npr.org/transcripts/598118226
タフ増田は一言増田というよりなんJにおける猛虎弁みたいなポジションになりつつあると考えられる
仁藤氏や暇空氏の話題をTOUGH語録で語る増モブの出現にいちばん驚いてるのは俺なんだよね
すごくない?
いまだに最後は暇空が大勝利すると信じ込む信仰心に厚いブクマカもいるが、さすがにほとんどのブクマカはもうここから暇空が盤面をひっくり返せるような展開じゃないと気づいてきたよな。そして今は「左も似たようなことやってた!」とDD論で誤魔化すか、「あいつらは態度が悪いから疑われても仕方がなかった!」と正当化するか、「俺は別にどっちについてた訳でも無いし〜」と立場を偽るかで何とかしてツイフェミやはてサに謝らないで済まそうとしてる。たった一言「自分の認識が間違ってたみたいです。ごめんなさい」と謝ることすらできないみっともない奴らが、普段女の精神性とか社会正義とか偉そうに語ってるんだなと思うと滑稽を通り越して哀れだわ。
オレオレFCが痛恨の逆転負けで今季リーグ戦初の連敗。5試合未勝利となった。2-1とリードした後半39分に同点に追いつかれると、ロスタイムに勝ち越され、更に終了間際にも失点した。天皇杯決勝の前哨戦だった一戦で喫した激痛の1敗に怒り心頭の野河田彰信監督は試合後、会見を拒否。サポーターも怒りの大ブーイングを浴びせた。
◇ ◇ ◇
悪夢の大逆転負けに試合後、野河田監督の怒りは収まらなかった。今季初となる会見拒否。ベンチ裏から引き揚げる指揮官を、報道陣が追いかけたが「何言わせたいねん?(会見は)なしや言うてんねん!!」と一言残し、監督室に向かった。
試合の流れはオレオレFCに傾きつつあった。開始早々に先制点を許したが、前半20分に直後に鈴木潤のFKはGKに阻まれたが、こぼれ球を岩田が右足で押し込んだ。同点の後半21分には鈴木潤が自ら放ったシュートのこぼれ球を再び押し込み、勝ち越し点を挙げた。
だが、1点リードの後半39分に暗転した。直前にDF大村を投入し、5バックにして逃げ切り体制に入ったが、ベテランFW小林悠に一瞬の隙を突かれ、同点に追いつかれた。慌ててFWトーマス・ノレジーを投入し、パワープレーに入ったが、ロスタイムに勝ち越されると、終了間際にも追加点を献上。今季ロスタイムの失点が僅か「2」しかなかった鉄壁の守備が最後に破綻した。4失点は今季ワースト。GK望月は「追いつかれて、チームとして後手後手になった。自滅で負けたようなものです」と、言葉を絞り出した。
重苦しさだけが残った敗戦にサポーターも怒りの大ブーイングを浴びせた。鈴木潤は「申し訳ない思いしかないです。ここ最近、ずっとリーグ戦で勝ててないですし、サポーターの気持ちも理解しているからこそ、今の現状は辛い」としながらも「僕らは結果で応えるしかないので。チームとして成長するために練習はしてても、結果が出なかったら意味が無い。あと4試合しかないですけど、もう一度しっかり戦って、連動して、チャンスはあるので、決めきる作業を全員でしっかりやっていきたいです」と前を向いた。
市民ケーン観た。
ヒッチコック辺りと同じような映像技法の教科書的作品らしいけど、おれはその辺興味がないのでストーリーに目が行った。
愛を渇望して、埋め合わせようとしても事足りない空虚さ。失われて取り返しのつかないものって所では、おれも小中学生くらいの頃もっと遊んどきたかったよねってちょっと共感する所はあった。人生って絶え間ない現在の連続なんだし、喜びを捨てていい時なんて一瞬たりともないだろ。未来への投資?今だけ我慢?知らねーよボケって思ってた。
憧れのテレキャスターを弾いたところで、映画作品の背景や位置付けの知識を仕込んで体系的に観てウンウン唸ったところで、マックに集ってP2GやMGSPWの対戦をしてバカ話をしていたあの頃の喜びがあるだろうか。
一方で共感しきれない部分もあった。チャールズ・フォスター・ケーンには権力と金とモノを手にしたという経験が実際にあって、それでも満たされないという実感がある。それは彼の実感であって、おれの納得じゃない。宮殿に住んで開封すらしない美術品を買い漁れるような巨万の富ではなくとも、糸目を付けず欲しい物を買えるくらいの金は欲しい。物質的な豊かさだって大事だ。ゴータマ・シッダールタとて、金持ちではなく門の前で苦しむ側であったら果たして悟りを開けただろうか。他者とのつながりや愛が何を差し置いても大事なものだとも思えない。それが人生の決定的なピースかどうかも分からない。人生は一言で片付けられないなって思った。
まあ大人がいくら後悔した所でこうやって映画にしたりする事くらいしか出来なくて、それだって当の子供に見せた所で伝わるかどうか分からない。ままならないねえ。
イチジョウ16話で一条がバイト先の職場全体で開かれたと思われる送別会(居酒屋)に出たんだけどまだ19歳の一条が3000円払わされてて幹事がバカだったとしても他の成人参加者が誰も突っ込まなかったのかと泣いちゃったこと(辞めるの多分成人で多分一条の友人関係交流外の人)
全員が同年代だったら別に全然いい金額だけど居酒屋だから大人中心だし店長家庭持ちのおっさんだし主婦とかも多いだろうし(見送られる人が結婚で辞める女性だったし)その中で最も少数だった10代から取っても1000円というか最初の一言で未成年は払わなくていいよって出ない…?出ないの…?ってなった
俺がジョイクルーで働いてたら一条くんと小崎さんは支払いナシでいいよ&ちょっと一条くんもうすぐ終電とかになるから帰った方がいいんじゃない?美沢くんたち居させるならちゃんと送りなよ?ってなるからそういう口うるさいのは多分送別会とかに呼ばれない枠だから何もしてあげられないと悟った
元増田です。
想像以上に多くの方に読んでいただき、たくさんの反応を寄せていただいたことを嬉しく思います。ありがとうございます。
書きたいことは書いたので、今さら追記も野暮ですが「参考にしたい」とか「自分も考えるきっかけにしたい」といった反応もいただきましたので、できるだけ誤解の範囲を狭める責任があると考え、以下、三点ほど補足したいと思います。
公開して即座に「養子をとっては」「今からでも子ども作れば」というご意見が寄せられましたが、私は「子どもが欲しかった」とは一言も書いておりませんので、それらを選択する可能性はありません。欲しくとも授からなかった方にとっては良い方法だと思いますが、私は「子どもをつくらない」という判断をし、受け入れているため、ここでいきなり養子を受け入れる、婚外子をつくるなどは無責任極まりないソリューションです。子どものいない未来は私にとって死にゆく時間、というだけであって「そんな未来なんてイヤだ!無理!」とも言っていないため、何がなんでも子どもが欲しかった男として読むのは誤解であります。本当に子どもが欲しかったら養子含めて何らかの判断と行動を起こしていたでしょうし、そうではない判断を下したまでです。
ただし、ボランティアや募金など、自分にできる範疇での子ども世代への貢献という選択肢を挙げられていた方もいらっしゃいました。それは現実的に私が担える責任だと思いますので、ぜひ検討したいと思います。
こっそり書き直しましたが、メリットとデメリットに関する記述は「今の状況」におけるそれ、としています。
決して「子どもをつくることのメリットとデメリット」を書いているわけではありません。ここを誤読される方がかなり多かったのは私の未熟さ故であります。
「子どもがいない結果としての現況の善し悪し」という意味あいでメリット・デメリットと書きましたが、自分が子どもを持つか否かで悩んで妻と話しあったときには、産みたい/産みたくない、期待/不安といった感情・心情がまずは先行し、そのうえで自分たちには子どもを持つべきか、持ったとして育てる責任をきちんと果たせるか、ということを検討しました。メリットとデメリットの比較といった冷静かつ簡単な判断軸だけではなかったことは言い添えておきたいです。
とはいえ、ノリで子どもをつくるにせよ、じっくり考えるにせよ、様々な可能性をある程度は考えるのでしょうから、誰しもメリットとデメリットもそれなりに考えているのではないでしょうか。一方で、リスクやコスト、というのは必ず考えるべきだと思いますのでこれは誤読の余地はないはず。
そして、これは私には知見もなく意識も低いため、責任を持てない話題ですのであえて挙げませんでしたが、障害や難病を持って生まれる可能性についてはもちろん調べ、検討しました。それは晩婚化が進む社会において、社会全体で考えるべき課題だと思います。
加えて、自分の子が自分の思うように育たない可能性を考えないわけがないだろう、とも言っておきたいです。一方で、健常児しか想像していないじゃないか、という指摘については、私の行う妄想にはもちろん想像可能な範囲でのバリエーションがありますが、あらゆる可能性を妄想しはじめたら危険だぞ、ということでご納得いただくしかありません。
考えすぎだよ、と一笑に付されるのはまったく構わないのですが、何も考えていないであるとか、子を自分のモノのように考えているのか、という意見に対しては、そうではないと強く否定したいところです。それでもって、考えすぎるぐらいがちょうどよくない?
ウケを狙ってかなりウェットに書いてしまったことは反省しています。
最後の段落を改めて読むと、公園で遊ぶ児童たちを眺めながらベンチで涙を流すヤバいおっさんみたいに思えますが、妄想して少し寂しくなる時間など、一週間の1%にも達していません。例えば夏休みのターミナル駅の混雑に触れたとき、秋の平日昼間に歩く親子を観たとき、そうした稀なエモ瞬間、エモーメントに出会ったときに「もしも」を考えるだけなのです。
泣き言ばかり書いているように見えますが、私自身は今までの人生、そして現状についてもおおむね満足し、手ごたえを感じています。仕事も趣味もそれなりに充実していますし、夫婦も個人でも、暇な時間、余暇を楽しむ余裕はあります。
でもそれは子どもがいないからこそ、という部分は大いにあるかと思いますので、まさにif~もしも~を思い描いたうえで秒速おセンチメートルを叩き出したエントリだったのであります。後悔していない、というのはまさに本音です。
子どもは自分の人生の空虚さや人生のつまらなさを解消する道具、暇つぶしの道具じゃないぞ、いもしない自分の子に自分の人生のつまらなさの解決を求めるな、などという意見がありましたが、そりゃそうだろうからそうとは一切書いてないよ、とお伝えしたいです。飛躍が過ぎる。
ただのミドルエイジクライシスやん、というご指摘に対しては、そんなことは百も承知で書いているのだが?とスゴんでいきたいと思います。皆まで言うな。
以上、今となってはいまさらの言い訳にすぎませんが、補足として記載いたしました。
出産、子育て、子持ち、小梨といった話題は慎重にすべきだとはわかっていたのですが、本エントリに皆さんがここまで反応されるとは思っていませんでした。次回はもっとうまく書ければと思います。
また、やはり人とは他人の意見に対して、自分が見たいものを見て、聞きたいことを聞くのだなと実感いたしました。
子どもがいることの幸せ、子どもの可愛さ、子どもの未来について教えてくださったコメントにはほっこりさせていただきました。
私と同じような境遇、心境を吐露されていたコメントを心強く感じました。
寄せられた意見の一つひとつには、自問の機会と、視野を広げる契機を授けていただきました。心より感謝します。
未来を生きる世代が、少しでも健やかで豊かで、平和な社会を過ごせるよう、引き続き考え、行動していきたいです。
皆さん、どうかお達者で。