http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110318#p1
そして、今日。
武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(47) 汚染・6日に日本全土に拡がる怖れ
http://takedanet.com/2011/04/47_afa2.html
これはどちらかというと玉寄りの記事であると思う。そしてブコメでもそういう評価も多いようだ。
今回の大震災でボロを出した人は多い。一部ではそれ以前からボロが出ていたが、これを機に人口に膾炙したような人もいるだろう。
代表例として池田信夫がいる。彼は玉石で言えばごくまれに玉のような記事を書くが、たいていは石っころの記事を書く残念な「学者」である。
ところで、
NEWSポストセブン|反発覚悟で森永卓郎氏提案「日本は原発のスイッチを入れよ」
http://www.news-postseven.com/archives/20110404_16422.html
森永卓郎は池田信夫よりマシという程度の凡な学者だというのが私の中での評価だが、経済学者はどうしてこうもリスクを度外視した提案をするのだろう。
経済学にはリスク評価や維持コストまで含めたモデルが存在しないのか?それとも経済学とはここまで残念な学問だったか。それはないと思いたい。
とにかく、今回を機に「学者」の権威も失墜したと言える。「東大www」とバカにされるように、「東大教授wwww御用学者の限界集落だろwww」と罵倒される時代が来たのだ。
政治不信にせよ、御用学者不信にせよ、根っこは共通である。彼らに求められているのは超人かつ聖人である。あるべき日本人のイデアを求められているのであり、彼らはそれを体現する圧力に晒されているのだ。そしてそれが実現不能なのは言うまでもない。彼らは失敗するし、無理解もある。
玉石混淆こそ人間の証明である。玉しか求めないのは机上論人間の押し付けでしかない。
そしてこの超人欲求こそが張りぼての神話を呼び起こす圧力になる。失敗しません、なんてのは初めから不可能である。正社員安全神話も鉄道安全神話も崩壊した。そして原発安全神話も崩壊した。それが崩壊することこそが権威失墜の動機であり(権威は失敗が許されず、失敗するということは世間に取って凡人であることを導く)、デマを信じる源泉になるのだ。信頼性に於いて学者の言い分もデマも同列になったのだ(最大限譲歩して、フラットになったといえる)
「玉しか言わない人間など存在しない」。そうであろう。しかし、玉石のそれぞれの比率を考慮するに、石の多い主張を行う人を信用するのは危ない。 「玉石で言えばごくまれに玉のよ...
http://anond.hatelabo.jp/20110404152022