はてなキーワード: ゴリラとは
集中して何かに取り組むことが苦手で、作業しながら他のこと考えて手止まって気づいたら作業してなかったり、ふと気になったこと(鯖の旬とかゴリラの体重とか)がどうしても我慢できなくてすぐスマホで調べちゃうんですよ。そして一度スマホを開くとそこから作業に戻るのがとても難しい。
これ調べると発達障害の症状として出てくるんですよね。
やっぱり生きづれえ〜〜〜〜〜〜。ほぼ確ADHD民いやや〜〜〜〜〜〜。
「やる気はやり始めたら出る」と聞いてやらなきゃいけないことが出来たらとりあえず始める、という習慣は少しずつついてきてるけど、集中を持続させられなくてずっと困っていた。
いろんな集中力を上げる方法とか調べてやってみても全部ダメ。やりたくないこと頑張らなきゃいけないことに対して集中の持続ができない。
というか集中しようとすると別のことが気になってしまいその欲望に負ける。
自分なりに考えた結果、「作業がいつ終わるかわからないから、やりたくなってしまった事をいつ出来るか分からない=じゃあ今すぐやってしまおう」という思考回路が自分の中にあるのだと気づいた。
これ気づいて対処法考えた結果、「いつまで頑張ればいいのか」を明確にすることで解決できるのでは?ってなった。
これが案外難しくて、でも理論的にはこれであってるはずだからって色々具体的な方法探した結果良いアプリがありました。
有名だし知ってる人もいるんじゃねえかな。
私はこれで「(頑張らなきゃいけないこと+好きなこと)×5」ルーティーンを作ってやったらマジで集中できるようになった。
ずっと集中続けられないって悩んでたのがアプリで解決してしまった。文明の力ありがてえ〜平安時代に生きてたら多分私は集中できないまま死んでた。
これぞれぞれ違うと思うんだけど頑張らなきゃいけないことをする時間は「それくらいだったら頑張ってもいいかな、やりたいこと我慢できるなって思える時間」、好きなことをする時間は「ある程度のことができる時間」を見極めるのが大切。
頑張らなきゃいけないことをする時間を欲張って長く設定しすぎると「はぁ〜〜〜〜んん?そんなに頑張れねえが?????」ってなってブチギレてタイマー切っちゃう(体験談)し、好きなことする時間が短すぎると「まだ調べたいこと調べ終わってないです〜〜〜〜〜〜!!!」って言って休憩延長しちゃう(同)。
まあそれは置いておいて、私の場合は「23分+6分」が今のところベストルーティーンです。
この方法始めてから少しずつ集中時間伸ばしてるから、多分今後も伸びていくとは思うんだけど今のところはこれ。
集中できなくて困ってる誰かの元に届けばいいなと思って書いてるけど、文章の下手くそさが際立つばかりなんだよな〜〜〜〜〜〜。
「本来やりたくない作業に集中する」って出来る人は簡単にできちゃうじゃないですか。
ちと特殊な環境にいて、まあ周りにそういうのができるタイプの優秀な人間ばかりが集まっているので、やっぱり私発達障害の欠陥品なんだろうなとかかなり悩んでたんですけど、私はこの方法を見つけて救われた。
集中に関わらずできないことの原因って人それぞれだとは思うけど、私と同じで「気が散って集中を続けられなくて困ってる人」に少しでも参考になればいいなと思います。
読みづらくてすまんな〜〜〜〜〜
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く
ゴリラみたいな顔してて草
アメリカの動物園 ゴリラ18頭が新型コロナ感染 飼育員からか
アメリカの動物園で、飼育しているゴリラ18頭が新型コロナウイルスに感染したことがわかりました。動物園では、ワクチンを接種済みの飼育員から感染した可能性が高いとみています。
アメリカ南部ジョージア州のアトランタにある動物園で、飼育しているニシローランドゴリラ20頭のうち、18頭が新型コロナウイルスに感染していたことがわかりました。
飼育員がせきや鼻水、食欲がないなど複数のゴリラの異変に気付き、検査機関で調べたところ、感染が判明したということです。
群れで密集して生活するゴリラは隔離が難しいため、動物園では隔離はせず、そのまま健康状態の観察を続けているということです。
ゴリラの飼育員はすでにワクチンを接種済みでしたが、その後感染が確認されたことから、動物園では、ゴリラたちはこの飼育員から感染した可能性が高いとみています。
アメリカでは、ニューヨークの動物園でもライオンなどの感染が判明し、各地の動物園でアメリカの企業が開発した動物用ワクチンの接種が始まっていますが、この動物園ではまだ接種は行っていなかったということです。
ドイツにたまたま移住して7年くらいになる。コロナの間、コロナを言い訳に友達に全く会わなかった。正直楽だった。ドイツ語は証明書の上ではC1-2(準ネイティブレベル)だけれど、さっきウェブテスト受けたら結果がB1(毛が生えた初心者レベル)くらいになってた。まあ、準ネイティブレベルだったのもテスト結果だけであって、自分の実力がそこまで良かったわけじゃないんだけど
F爺のブログ読んでたら、フランスにやってきて1年でネイティブになりました、みたいな主旨のことが書いてあって溜息が出た。自分は何やってるんだろう。今から頑張ればドイツ語上手くなれるだろうか?正直、この国に全く興味が持てないから言語の学習モチベーションがない。言い訳だけど。この国を知ろうと思って、全く専門外の歴史とか民謡とかまでドイツ語で読んだけれど、気付いたことはこの国の文化は大昔に失われ、今はもうほぼ何も文化が生まれていないということだった(どの国にもあるようなゴミを集めた変なアートとか、うるさいだけのテクノとか、まあそういうのはある)。
なんなんだこの国?というか、サンスーシー宮殿に堂々とフランス語の名前が付けられているところで察するべきだった。王様ですら自国の文化が気に入らなかったような国なんだから、時代が変わっても素晴らしい文化があるわけがない。ドイツは文化的には先進国ではない。現代ドイツ人は文化的には原始人。これに気付いて、ドイツ人がますますゴリラか無垢の巨人に見えるようになった。好きだったこともないドイツ語も、今はもはや野蛮人の言語に聞こえる。野蛮言語喋ってたせいで変な筋肉が発達して顔がごつくなってきた気すらする。どうしてフランスに行かなかったんだろう!まあ、考えたらヨーロッパ人なんてみんな野蛮人だからフランス人も野蛮人なのは変わらないだろうけど、フランス語だったらまだ勉強するモチベーションになるものがいくらでも思いつく。フランスに移住しようかな。あああ