はてなキーワード: ウサイン・ボルトとは
という話に熱を上げ、最後には怒り出すような人間にだけはなりたくないものだ。
「やってみなければ分からない」「だがやれない」「だから分からない」で終わりだろう。
もしも「いいやそれでもコッチの方が強い」と言いたい奴には言わせればいいし、せっかくだから楽しく競馬論でも語ってみようじゃないか。
たまにいるんだ……「○○は俺達世代の代表、○○をバカにされると自分までバカにされたような気分になる」とか抜かす頭のイカれた人間が。
何を言ってるのか全く分からないのだが、彼らの中ではそういう感情は当たり前のものらしい。
たとえばこれが「ウサイン・ボルトは黒人の代表だから、彼が活躍することは黒人の可能性を証明する素晴らしいものだ」という意見ならまだ分からなくもない。
だが、馬だぞ?
それも、たまたま自分が競馬にハマっていた時代に活躍していたという繋がりしかない馬だ。
さっき、「ウサイン・ボルトは黒人の代表だ」という意見なら受け入れると言ったが、これが「○○は俺達の時代の代表だから」と言うならそれも軽蔑の対象だ。
たまたま自分と同じ時代を生きた人間が結果を出したというだけで、自分まで凄い人間であることが証明されるなんて言い出すのは脳がイカれているとしか思えない。
ハッキリ言うが、「ウサイン・ボルトが活躍した。俺は黒人だ。俺は凄い」というのなら、そんな黒人は軽蔑の対象だ。
「黒人であっても白人に劣りなんてせず、人種の違いで人を差別するのは馬鹿馬鹿しい」という意味で、ウサイン・ボルトの栄光を称えるのなら理解できるだけで、他人の成果を笠に着て自分が偉いなんてふんぞり返るようならタダの気狂いに他ならぬ。
なんでその例に競馬を上げたのかだが……まあ競馬ってのにはどうにもそういう奴が多いんだよ。
理解に苦しむのだが、自分が熱を上げていた時代に活躍した競走馬が褒め称えられると自分まで立派な人間だと思いこんでしまう人種が殊更に多いのだ。
まあ、「そんな時代の競馬を楽しんだ俺は勝ち組」ぐらいならいいのだが、いつの間にかその時代のヒーローと自分を同一視して、やたらと繊細であることが人格の清らかさを証明するとさえ勘違いしている。
信じられないことだ。
彼らにとってはよっぽど自分の人生そのものが誇れるものじゃないらしい。
そうでなければ、「自分のヒーロー」のために自分自身の人生や、他人の人生を平気で投げ捨てたりはしないだろう。
ヒーローの名誉のためなら、普通の人間の価値なんてゴミに等しいと信じているのだろうか?
天皇のためなら玉砕することこそが幸福だと信じていたあの頃の帝国軍人のように。
まったくもって気が知れない。
https://news.nifty.com/article/entame/showbizw/12239-666613/photo/
キリアン・ムバッペ
https://cdn.images.express.co.uk/img/dynamic/79/590x/984437_1.jpg
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黒人ばっかじゃん。
IT業界って昔はスキルさえあれば極限まで人格破綻でもオッケーみたいな風潮があったけど、最近は人格破綻が許される基準がドンドン厳しくなってるように思う。
それは他の分野、それこそスポーツ選手とかでも一緒で、ウサイン・ボルトや藤井聡太クラスであっても、愛されるような人間性があることで始めてそこに存在意義が生まれているような節がある。
もしもボルトがネオナチ思想や差別主義を極めていたら、世界一足が早くてもどこかの代表としては走れなかっただろう。
藤井聡太だって、もしアレが世の中超舐め腐り系で好きあらば「老人は死んだほうがいいよね」「今の人類のレベルでIQ110ない人……人権剥奪したほうがいいと思いますよ」とか毎日のように口にしてたら、もしかしたら将棋連盟が彼を追放するとかもあったかも知れない。
とにかく、現代社会で求められる最低限度の人格のハードルはかなり上がっている。
昔と今のハラスメント基準の変化なんてまさにそれで、それによって業界の表側から消えていった人はどこにでもウジャウジャいるだろう。
最初、この増田は厳しい時代になったってオチでまとめようとは思った。
でも実際書いてみて、まともな人が運悪くキチガイに潰されるリスクが減ってるんだから総合的に今の方が人生の難易度は全体で見れば下がってるんだろうなと考えを改めた。
オチが消えた?
いやいやこれがオチでいいでしょ。
もう付き合って5年以上になるが、付き合い始めの頃から彼女に対して、多くの回数のトラウマを追わせている。
小さい頃から予感がしていたが、どうやら俺はどうやらとてつもない次元でアスペルガー障害に近いらしい。
「私は男性と同じ感覚だから遠慮しないで(フェミニストだった)」と言われ話の中で、好きなエロ動画を紹介したら、本当にきつかったらしい。俺からすれば「相手の好みを知ることは重要なコミュニケーションの一つ」だったが、どうやら彼女からすると「自分よりも気に入った相手を見せつける行為」だったらしい。
付き合って少ししたら理解ったことだが、精神がものすごく弱く虐待を受けていた。反対に俺の人生は、親の全てに反対し、口喧嘩を重ね、頭おかしいことばかり言うアスペ野郎だ。(俺と正反対!)
ウサイン・ボルトが地雷原をダッシュするように失言を重ねてしまった。今ではうつ病の治療中だ。
昔に比べると失言はかなり減った。
アスペ→友達ができない→コミュニケーション力を身につけることができない→頭おかしいまま人生進み続けるという悪循環があるんじゃないか?
書いたら元記事が消えていたので投稿すべきか迷ったが、届くと良いなと思いつつ参考まで。
【志望の方向性】
・法学部には強いこだわりはあるのだろうか。もし深いこだわりが無ければ、もう少し選択の幅を広げるとお得な大学を見つけやすくなる。また、もし司法試験など検討しているのであれば、メリットデメリットや進学後の段取りを詳しい人に相談したほうが良い。司法浪人は経済的にも精神的にも楽ではなさそうに思う。
・その他の要件について勘案すると、偏差値55±5くらいの大学を狙って、今年度の国公立前期試験・後期試験の計2回で確実に合格したいということだろうと思う。
増田は賢そうなので、言われずともこんな算段はしているかもしれないが念のため。
限られたチャンスを確実につかみたいならば、受験校を精選して取り組むべき受験科目を絞り込むことをお勧めしたい。そうすれば選んだ少数の科目にみっちり学習時間を注げるので、より堅固な実力で受験に臨める。例えば、6科目受験のつもりだったのを3科目受験に絞れば、1科目あたりの学習時間を倍に増やせる。結果として合格の確実性が増す。センター試験まではまだ5ヶ月半あるので、受験校を選定するのに数日を費やしたとしても補って余りある見返りがある。
【受験校をどう探すか】
①学部ごとの偏差値一覧を上から順に調べていき、少数科目で受験可能な大学学部の目星をつける。
②目星をつけた大学学部の受験科目を、念のため大学公式WEBサイト等で確認する
③候補とした大学学部の授業内容、卒業生の進路、学費や生活費の概算などを調べて最終決定する。
※トップ校は全科目課す傾向にある。たいていはその一つ下、二つ下の学校に狙い目が混ざっている。ともあれ、偏差値トップから順にしらみつぶしに探すのが良い。
https://search.keinet.ne.jp/search/option/
https://www.minkou.jp/university/ranking/deviation/dm=1/c=2/ct=1/cp=3/
同じ偏差値で似たことを学べる大学でも、都会の大学と田舎の大学とでは特徴が異なるという点は指摘しておきたい。どちらも一長一短で、学ぶ側の気質や目指す方向次第で向き不向きがある。
・都会の大学はインターンやバイトで会社生活の予行演習や企業とのコネづくりがしやすい。反面、生活費がかかり、学内での人間関係は希薄になりがち。
・田舎の大学はその逆。都会から遠いので会社生活の予行演習や企業とのコネづくりをしにくくなる。一方で生活費は安い。学生も教授も学校近辺に住んでいることが多いので学内での人間関係は濃密。
実際に国公立の法学部系でいくつかピックアップした。記載した偏差値はざっくり。
[前期]
首都大学東京|偏差値57.5/受験科目:国+英+(歴or数),二次試験は国+英
京都府立大(公共政策前期)|偏差値55/受験科目:国+英+数1+理1+社1,二次試験は国+英
[後期]
京都府立大(公共政策後期)|偏差値55/受験科目:国+英+数1+理1+社1,二次試験は小論
広島大|偏差値55/受験科目:国+英+(歴公or数),二次試験は国
金沢大(文系後期一括)|偏差値55/受験科目:国数理社から2+英,二次試験は総合問題
同じように探せば他の学部でもお買い得な学校は多々見つかる。こんなリストも。
[参考リンク]
https://www2.sundai.ac.jp/news/2018news/2018_kokukou_3kyoukaika.pdf
センター科目減らすと倍率上がるから実は難化する。後期日程は偏差値も科目もお得に見えるが定員少ないからバクチ。だと思う。みんな同じこと考えるから。
倍率が上がれば受験者にとっての難度が上がるとは限らない。志望を決める際の目安として、今回のケースでは倍率より合格最低点や合格者の平均得点率のほうが役立つ。
例えば1位だけが合格する100m走試験をウサイン・ボルトが受験するとして、他の受験者は幼稚園児99人というケースを考えてみよう。この試験の合格倍率は100倍だがウサイン・ボルトにとっては楽勝だろう。もしウサイン・ボルト以外がこの試験に合格したいなら倍率を目安に考えても意味がなく、ウサイン・ボルト同様に100mを9.6秒くらいで走れるかを気にすべきだ。そこが合格最低ラインだからだ。大学入試も同様で、どんなに合格倍率が高かろうと合格定員が少なかろうと、その入試の合格最低点を上回れば受かる。
この辺りで察しがつくかと思うが、「バクチ」になってしまうのは合格最低点付近の実力の受験生だ。合格最低点より余裕を持って得点できる実力で受験すればバクチにはならない。
なお、「今回のケースでは」とただし書きをつけるのは例外があるからだ。例えば、合格最低点が100点満点中90点の試験で、受験者の大半が90点近辺の実力なら、倍率は志望を決める目安として有益だ。すでに90点の実力がある人間がそれ以上努力しても得点は数点しか上がらないが、そのレベルに受験者がひしめき合っているという状況では、合格は半ば運で決まる。こういうケースで合格したいなら、少しでも倍率の低い入試を狙ったほうが良い。
センター試験で8割得点すれば受かるレベルの入試なら、まだまだ努力で合格の可能性を高める余地が残っている。8割5分なり9割なり得点できる実力をつけて臨めば倍率が5倍だろうと10倍だろうと間違いなく受かる。
分からない、つまらない、なのに勉強で身を立てようと思っていた私の人生には絶対に避けられないもので、だから仕方なく数学や、それに類する思考体系と付き合ってきた。私にとって数学のある人生というのは、癌を抱えて対処療法しながら延命しながら生きてるような感じだったんだよね。大げさじゃなく。勉強時間の大半を苦痛だ、苦痛だと思いながら数学、理科に当てなければならなかった。
あのGoogle医師のような、数学的思考にべらぼうに優れている人は何人も知ってる。私は、彼女が優秀だから傷ついたんじゃない。別にウサイン・ボルトに嫉妬しないし、傷つかないのと同じだ。
じゃあなんでこんなに傷ついて死にそうなのかというと、ただひたすら、Google医師が楽しそうだったから。数学、それに類するものを学んで、応用するのが楽しくてしょうがないという感じだから。私が血を吐く思いで対峙してきた数学、それに類する思考体系を、彼女は恐るべきスピードで習熟していくばかりでなく、「楽しんでいる」。
いやあね、敗北ですよ。こんな敗北感人生で味わったことない。彼女は少年漫画の主人公で、私は彼女の実力と純粋さに圧倒され人生を振り返る、敗北者のライバルキャラですよ。少年漫画によくある、「こいつ……試合を楽しんでいやがる!」というセリフが、これほどまでに重いなんて知らなかった。辛い。
人名の入力は時間がかかりがちなものだが、M・A・Oほど見た目に反して入力が面倒くさい名前も無いだろう。1文字ごとにアルファベットと日本語が混ざり合うのはかなり手間である。実際入力に何秒かかるか測ってみた。
9.44秒
英数、シフト、m、英数、シフト、る、英数、シフト、a、英数、シフト、る、英数、シフト、o、確定 と16回キーを叩いた。
13.00秒
英数、シフト、m、英数、/、英数、シフト、a、英数、/、英数、シフト、o、確定 と14回キーを叩いた。
M・A・Oこそ普段いらない子扱いされているCaps Lockをオンにして入力するべきなのだろう。
シフトを押しっぱなしにして も・ち・ら と打って変換作業で M・A・O にすると何秒かかるのだろう?
3.30秒。
ジャマイカ | 9.58 | ウサイン・ボルト |
アメリカ | 9.69 | タイソン・ゲイ |
トリニダード・トバゴ | 9.82 | リチャード・トンプソン |
カナダ | 9.84 | ドノバン・ベイリー |
カナダ | 9.84 | ブルニー・スリン |
ナイジェリア | 9.85 | オルソジ・ファスバ |
フランス | 9.86 | ジミー・ヴィコ |
イギリス | 9.87 | リンフォード・クリスティ |
南アフリカ | 9.89 | アカニ・シンビネ |
中国(公認待ち) | 9.91 | 蘇炳添 |
トルコ | 9.92 | ジャック・ハーヴェイ |
オーストラリア | 9.93 | パトリック・ジョンソン |
コートジボワール(認定待ち) | 9.94 | アーサー・シセ |
コートジボワール | 9.96 | ベン=ユスフ・メイテ |
中国(公認待ち) | 9.97 | 謝震業 |
日本 | 9.98 | 桐生祥秀 |
ガーナ | 9.98 | レオナード・マイルズ=ミルズ |
中国 | 9.99 | 蘇炳添 |
イタリア(公認待ち) | 9.99 | フィリッポ・トルトゥ |
ブラジル | 10.00 | ロブソン・ダ・シルバ |
ドイツ | 10.01 | ユリアン・ロイス |
イタリア | 10.01 | ピエトロ・メンネア |
サウジアラビア(公認待ち) | 10.03 | アブドラ・アブカル・ムハンマド |
サウジアラビア | 10.04 | アブドラ・アブカル・ムハンマド |
スペイン | 10.06 | ブルーノ・ホルテラーノ |
ロシア | 10.10 | アンドレイ・エピシン |
エジプト | 10.13 | アムル・イブラヒム・ムスタファ・サウード |
ケニア | 10.14 | マーク・オディアンボ |
カメルーン | 10.14 | イドリッサ・アダム |
ドミニカ共和国 | 10.14 | ヤンカルロス・マルティネス |
メキシコ | 10.21 | カルロス・ヴィラセニョール・ガルシア |
メキシコ | 10.21 | ホセ・カルロス・エレーラ |
アルゼンチン | 10.23 | カルロス・ガッツ |
インド | 10.26 | アミヤ・マリック |
コスタリカ | 10.32 | ボブ・コルビル |
ギニア | 10.56 | ジョセフ・ルア |
エチオピア | 10.61 | ウェテレ・ガルチャ |
ケニア | 2:01:39(認定待ち) | エリウド・キプチョゲ |
ケニア | 2:02:57 | デニス・キプルト・キメット |
エチオピア | 2:03:03 | ケネニサ・ベケレ |
イギリス(公認待ち) | 2:05:11 | モハメド・ファラー |
アメリカ | 2:05:38 | ハーリド・ハヌーシ |
日本 | 2:05:50 | 大迫傑 |
ブラジル | 2:06:05 | ロナウド・ダ・コスタ |
南アフリカ | 2:06:33 | ゲルト・タイス |
フランス | 2:06:36 | ブノワ・ズベルチェフスキー |
スペイン | 2:06:52 | フリオ・レイ |
イギリス | 2:07:13 | スティーブ・ジョーンズ |
メキシコ | 2:07:19 | アンドレス・エスピノーサ |
イタリア | 2:07:22 | ステファノ・バルディーニ |
オーストラリア | 2:07:51 | ロバート・ド・キャステラ |
中国 | 2:08:15 | 任竜雲 |
ドイツ | 2:08:33 | アルネ・ガビウス |
ロシア | 2:09:07 | アレクセイ・ソコロフ |
カナダ(公認待ち) | 2:09:25 | キャメロン・レビンス |
アルゼンチン | 2:09:57 | アントニオ・シリオ |
カナダ | 2:10:09 | ジェローム・ドレイトン |
トルコ | 2:10:25 | メフメット・テルジ |
インド | 2:12:00 | シブナス・シン |
マラソン | 2:13:03 | ロニー・ホラシー |
コスタリカ | 2:13:23 | ホセ・ルイス・モリーナ |
ナイジェリア | 2:16:06 | モハメド・アッバス |
ジャマイカ | 2:16:39 | デリック・アダムソン |
カメルーン | 2:18:35 | ポール・クエット |
ガーナ | 2:18:43 | エマニュエル・アムー |
ギニア | 2:19:05 | アラサーヌ・バングラ |
エジプト | 2:19:39 | アイサ・レザー・アブー・ディアフ |
ドミニカ | 2:20:59 | パブロ・アローヨ |
コートジボワール | 2:22:19 | バシリマ・ソロ |
月並みな理由だが、ウサイン・ボルトの走りを観たときにそのダイナミックさに惹かれた為だった。
毎年数人世界大会出場者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、
オリンピックとはいえ不可能ではないだろうと思い上がっていた。
挫折を知ったのは中3の時だった。
100mで、みんながサクサクと10秒台を出していくなか、私は出すことができなかった。
何度走り方を説明されても今ひとつ飲み込めず、体得するのに時間を要した。
高1になって100mの周りのレベルは高くなり、負けじとトレーニングの大半を100mのために占めるようになった。
高3の短距離専門の女性の先輩はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。
その先輩と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて走力は安定していたが、周りに比べると瞬発力やセンスが足りていないのは明らかだった。
そして、陸上競技場利用のためにも地元のクラブチームに通うことを選んだ。その先輩に誘われたことも大きい。
クラブチームでは、学校の「そこそこ運動神経がよい」は全く通用しなかった。
私よりも足が速い人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。
私はまさに井の中の蛙だった。
クラブに行ったことで、漸く100mを諦める決心がついたのだった。
偶然見つけた武井壮に興味を惹かれたこと、得意だった走幅跳・やり投げをのばしたいというのもあったが、競技人口が少ないことから全国にいける可能性があることが重要だった。
だからと言って県予選敗退になったとき、大学でも続ける覚悟もなかった。
先輩が大学にいったら陸上を続けないと言っていたことが主な理由だった。
短距離専門の三年生の先輩に提出した練習ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。
競技人口少ないからと言って楽な訳じゃないとか、今回の練習後もアイシングしてなかったよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。
結びに、「100m楽しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。
それを見て涙が止まらなかった。
私は100mが好きだった。
大好きだったのだ。
何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、100mが好きだった。
だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、
かなり時間をかけて取り組んだ100mが予選落ちだったのに、殆ど練習をしていない混成競技で入賞したりするのだ。
敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。
「混成っていろいろできていいな」「俺も100mから逃げたい」
と冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。
きっと後悔していないのかと聞かれると嘘になる。
でも自分の選択が間違っているとは思わない。私は100mが好きだったのじゃない。その先輩が好きだったのだ。
なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。
ここからドラマティックに先輩にプロポーズすることもできないし、
独学で100mをやることも私はしないだろう。
私は、先輩が大好きで大嫌いだった100mをようやく捨てられる。