はてなキーワード: ずんとは
お湯沸かしソリューションのオートメーション化を目指すべく私のファイナルアンサーとしての結論は
やっぱり3リットル級のポットを準備し導入することを可及的速やかに行うことなの。
火にコンロに掛けている間の目を離せない時間がもったいないので、
ここはやっぱりポットでお湯沸かしを自動化するべく、
私はこの夏にいよいよ可及的速やかに動き出すかのように
全米が泣く湯沸かし素麺ソリューションのファクトリーオートメーション化を目指すのよ。
簡単に言えば、
ポットでお湯を沸かしてお鍋に移して素麺を湯がく!ってだけの話しなんだけど、
そのお湯沸かしソリューションの問題解決としてインスパイヤザネクストなの。
私の中の頭の中ではもう
問題はそう!
薬味をいかに良い状態の新鮮のものをキープしておくかってことに
次の焦点をあてるのよ。
予め薬味セットって売っていればありがたいんだけど
ネギはあるのよ。
素麺つゆもまたいろいろと楽しめていけば捗る率アップ間違いなしよね。
なんかぎりぎり面倒くさくないって言っている新垣結衣ちゃんのお湯を沸かすことすら、
私は面倒なのよね。
優勝出来るんだけど、
ティファールでは一気に800ミリリットルしか沸かすことが出来ないから
これ4回もその作業続けないと行けない羽目になるじゃない。
これじゃ元も子も虎の子もないので
4回湯をくべて沸かすなら
鍋で沸かすちゅーの!って言いたいところだけど
もうすでにギリギリ面倒くさくない緒湯沸かしですらお鍋でお湯を沸かすところが面倒なのよね。
だから
世の中に3リットル以上のお湯が一気に沸かせるポットの存在に気が付いたとき、
この大量の湯量で一気に素麺ソリューション解決じゃね?ってね。
でもさ、
お湯沸かしソリューション
全てこれ解決したとしても
素麺ってあっと言う間に気付いたら食べてしまって無くなってないかしら?
切ないわね。
さすがにどかどか食べているとお腹がポンポコリンになってしまうので、
一気にたくさんは湯がけないけど、
無意識で麺を食べているとあっと言う間に無くなってしまう夏のさみしさみたいなのが大黒摩季さんの曲を聴きながら夕立に打たれて食べる素麺の美味さよって
あの俳句名人の松尾芭蕉先生もきっとその美味さに種田山頭火先生との
そのぐらい
言わないわよ。
愛しさと切なさと……なんて。
そのぐらい寂しいものよね、
心強さをもったないとって
この夏は乗り越えられないわ。
またポットは買ってないけど、
きっと可及的速やかに導入に至ったあかつきには宴もたけなわでありますが、
まだパーティーは始まっていないけどね!
みんなに素麺を奢る羽目になってカウンターの上に吊されている鐘を鳴らさないように気を付けたいものよ。
カードが使えなかったら大変じゃない?
今からそれを思うと素麺バーでうっかりやらかさないことを切に祈るばかりよ。
うふふ。
ヒーコーも美味しいし、
薄暗い店内から出たときに眩しーって思うぐらいそんな感じよね。
カッツスイカ買ってきたのでカッツスイカアンド苺もこの時期加えてみて、
久しぶりにというか
夏すいか待ってました!って
季節到来よね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
絵にもテキストにも一切描いてないことを、何なら作者が否定していることを読み取る表現規制派が存在することはおそらくこの話題に興味ある人達は認知していると思うけど、表現規制派はこの超解釈能力者をどうにかしようっていう気にはならないのだろうか?
いやだって表現規制とか言論弾圧とかそういうレベルじゃなく、表現していないことを表現していると主張して規制しようとしてるわけだぞ?
あんまりこういうことを言いたくないけど、そういう心の障害を抱えているんですか?と言わざる得ないでしょ存在しないものが見えてるんだから。
百歩譲って表現規制派へ理があると仮定しても、なぜそのような存在しないものを見ている人たちと協調して動けるのか一切理解できない。
疑わしきは罰せずなんて言うけれど、疑わしいどころか表現すらしてないことで罰しようとしてるわけで、そんな連中が味方であって良いの?どう考えても表現規制運動の足引っ張ってて、表現規制派の信用を失わせることにしかならないはず。
例えば先日、増田に赤松健擁護のエントリが作成されていたけど、ココに付いてるブコメにびっくりだよ。
くりした善行氏「私が来た!」。ああ、赤松氏支持の方々って本人同様「自民党に非ずんば人に非ず」って思ってるクチ??
https://b.hatena.ne.jp/entry/4719697204022343714/comment/rosaline
元増田そんなこと一切書いて無いよね?えっマジで何処からそんなことを読み取ったの?
ほかのブコメにそういうこと言ったやつ居たのか?と思って確認しても居ないし、この人は一体どこからそんな情報を読み取ったんだ?
本人同様って何???ちょっと・・・いやちょっとじゃないな、このエントリに付けるブコメとしては明らかにおかしすぎるだろ。一体何が見えてるんだ・・・。
「これも表現の自由だろ?優しく許してやれよ。自分にもこのブコメ意味不明だが当人にしかわからない苦労が色々あるんだろ」って言われたら何も返せなくなってしまうんだけどさ、世の中広いよねぇ・・・。
なんか、すれ違う度に顔をよく見るんだけど大体こんな感じ。
・なんかキマッてる顔
→何かに目覚めてる顔。マスクなんてしないんですけど?と言いたげな堂々とした顔
・人として終わってる顔
・性格きつそうな顔
→なんかやけに日焼けに過敏なファッションしてたり、無駄にカバンにポーチついてる
・だらしなさそうな顔
→息が臭そうな顔
どれも先入観でしかないんだが、なんでそう思うのか考えてみたら
このご時世(コロナ禍もまだ続いてる)のに
マスクをつけない→自分もうつるかもしれないけど、他人にもうつすかもしれないのを気にしない→自分さえ良ければどうでもいい→やべえやつ
こういう結論になった
マスクの感染予防の効果はもういっそ置いといて考えてるんだけど
なんかもはや一種の身だしなみに思えてきて
マスクしている=一応相手にもリスクを負わせませんし、不快な気持ちにさせない人間ですよっていう気がする。
感染予防効果はさておき、そういうポーズを見せるのはとても大切だと思う
こういうとき「うちはうち!よそはよそ!!唯我独尊!!」とか思ってるのがマスクしない人間とも思う
マスクしてないのはパンツも履かないで肉棒やアワビ(しかも黒ずんでて汚そうな)を
恥ずかしげもなく見せながら歩いてるのと同じに見えてきて
「(キャラA)は無関係な人間を巻き込んで殺しても平気なことにモヤモヤする」だの「(キャラB)は偏見が強くて、本当は許されないとわかって読まなきゃ」だののコメも、それに対して「(キャラA)は本当は心を痛めてたんじゃないかな」だの「(キャラB)は過去の嫌な思い出が癒えてないから仕方ないんだと思う」だの擁護するコメも、ご立派すぎてヒェ~ってなったわ。
あの漫画の登場人物はだいたい精神が黒ずんでて現代倫理には反してて、それが格好良さなんだよ。
そこで脳内倫理チェッカーがサイレン鳴らすような奴が、なんであんな不道徳殺し合いサツバツ任侠ウエスタンアクション漫画を序盤で切ってないんだろうな。
逆に無理筋擁護する奴も倫理チェッカーがビンビン過敏なんだけど、それがウーウー言いださないよう、読み方を歪めてでも「悪い人じゃない」って思いこもうとしてる。
たまに人情を発揮することはあってもどいつもこいつも悪人だっつの。そして悪人だからいいんだっつうの。
「常識的正義感」にうんざりして物語を楽しんでる俺からすると、あの作風の中盤までついてきてる読者にも結構そういう人間らがいることにげんなりせざるをえない。
まあ気まぐれでコメ欄覗いた俺がアホだったし反省してもう見てないんだけど、二、三回覗いただけで胃もたれしちゃったわ。
否定的感想はダメ!not for meなら黙ってブラバ!みたいな話じゃねーぞ。
それもまた風紀委員だ。
(脳内倫理チェッカーがうるせえなら序盤切りしろって書いたからそう取るやつがいても仕方ないか……)
常識的な正義感がまだ世の中では支配的なんですな~、むしろコンプラ意識でガチガチにしたがる人間が増えてすらいそうですな~、超オモロ作品を書いた作者と出版社への報酬に繋がるんだから倫理系読者も好ましい存在ですが、それはそれとして人間は愚かですな~っつー、どうしようもない現実への嘆きの吐き捨てだよ。
まぁあまりに人気マンガだから仕方ないことで、他のほどほどのマンガは頷けるコメの率がもっと高いんだと思うわ、知らんけど。往年のニコ動でも、人気歌い手動画はイケボにうっとりと崇拝と年齢自己紹介とファン民度誇りと自治とでコメヤバかったけど、他の動画はおもろいコメもあったみたいなもんだろ。
この増田自体はダサい愚痴でしかねえけど、でもイキった偽悪とだけ片づけられるのは傷いたよ。
金原ひとみが「小説というのは、間違っていることを正しい言葉で語る側面があると思うんです。小説というのはある程度、誰からも共感されず、みんなから『死ね』と思われるような人たちのためにあると思っています」と言ってるのだが、漫画もそうだろうよってこと。
飲食店にあるビールのポスターが水着のギャルだった昔から大きなおっぱいにドキドキしていた。特にレズビアンではないのだが、今でもエロ漫画やAVで巨乳を眺めては、うっとりしている。漫画では織田non先生、AVでは凜音とうかさんが好きだ
自分の体にも大きなおっぱいを付けたいと思うのは自然の流れである。しかし、増田は喪女なのである。普通身長で、体重的には痩せなのだが手足の短いずんぐりむっくりで、顔は能面。全く巨乳が似合わないんである。巨乳というのは長身ですらりと長い手足に、やや濃い顔立ちにこそ映えるのである。ここの美学だけは譲りたくない。
だから豊胸手術は見送る一択なのだが、それでもやはりおっぱいへの憧れは消えない。別に上半身だけでエロい自撮りして楽しめばイージャン、横乳や下乳が自分で生産し放題と悪魔がささやく。いやいや全身鏡で見たら一生消えないトラウマになるからやめろと天使がささやく
正確な時期は覚えていないが去年の夏頃だったと思う
その日はとても暑い日だった
アレがいた
まっさきに目に入った
レジ横にアレがいた
レジ横にいた
店員は全く気にしていない
店内にいた他の客もアレを気にする様子もない
明らかに異常
異空間
新しく入ってきた客もアレに目を向ける様子はない
店に入れば嫌でも目に入るのに見る素振りさえ見せない
これはドッキリか
私がアレの毛並みを注視しても誰も気にしない
興味も持たない
私にしかアレは見えていない
次の日
私は気になってまたあのコンビニへ行った
アレがいた
同じようにレジ横に立っていた
昨日と同じ毛並みのアレ
私は考えるのをやめた
アレがいるのは当たり前なのだと
以来
アレの毛並みを見ている
いつか終わりが来るのだろうか
アレがなくなってしまう日が
私はアレに会えなくなってしまう日が怖い
相変わらずトンチキな増田ちゃんだけどひとつだけ事実と異ならないことがあって
肉肉しい未成年女性は政治的に正しくないというのは先進国では割とガチ目に共通認識であるということ
また成人であっても幅広い年齢層が想定されるシーンで肉肉しい成年女性が薄着になったりボディーラインを強調するのは政治的に正しくないです
しかし、よっぽどフォーマルなシーンではなければ、スレンダーな女性が薄着になったりボディーラインを強調するのはOKです
肉肉しい女性がNGの具体例ですが、おっぱいが大きくてウエスト細くてケツがデカくて太ももがムチムチで足が長い女性だけでなく、
育ち盛り食べ盛りの子どもにありがちなずんぐりまん丸ボディーも、おばさんのだらしねぇまん丸ボディーもNGです
しかし、何故か渡辺直美レベルまで到達すると今度は逆にOKになります。ポジティブボディーらしいです
オチはない。
最近、保護猫カフェに通うようになった。週に1回、2時間ほどそこで過ごしている。
里親募集を兼ねている店だが、私自身は誰かを迎える予定はない。仕事が忙しく帰宅が夜の9時10時になることがザラにあり、自分に何かあった時に代わりに世話をしてくれるような関係の親戚・知人がおらず、そもそも経済的な余裕がないためだ。自信もない。
正直、もっと頻繁に通って長い時間そこで過ごしたい。が、他の客や里親になりたい人の邪魔にはなりたくないので今の頻度に抑えている。これでも迷惑だったら店側が何かしらの対応をとると思うので、何もなければ今のままでいるつもりだ。
これまでに猫とはほとんど触れ合ったことがなく、たまにyoutubeで動画を見る程度だった。だから実際に生きた猫と接していると新たな気付きが色々あった。
初めて来店したときに一番驚いたのがその動物臭だった。店に入った瞬間に外界との違いを感じた。猫自身から臭うわけではない、猫との触れ合いスペースも臭くない、しかし入口は間違いなく臭かった。うんこ臭ではないのだが、これは苦手な人は苦手だろうと思う。
恐ろしいのは、すでにその臭いに慣れてしまったのか、何か対策がされたのか、それすら分からないくらい、今はもうその臭いを感じていないということだ。
今まで漠然と「犬の顔は様々だが、猫の顔は概ね同じように整っている」と思い込んでいた。しかし猫の中にも、くりくりした眼で鼻先ピンクの白い毛並みがふわふわな子もいれば、ほっそりした目でずんぐりむっくり、羽根突きでミスって落書きされたみたいに何となく整合性を感じない模様の子もいる。何の前提もない状態で前者と後者がガラスの向こうにいたら、人が寄っていくのは前者なんだろうなと予想する程度には、人の理想に沿う猫とそうでもない猫がいると思った。
猫がおもちゃで遊んでくれたりおやつを食べてくれたり足の上で寝てくれたりするときに、あっちの猫の方に来てほしい…みたいな気持ちになることがまるでない。来たい子が来て、いたいまでいてほしい。猫の方から近寄ってきてくれたときの肯定感はいったい何なんだろう?いなくなられるとさみしい。
猫が人の体に触れた状態で長時間経つと、その余韻は猫が離れてからも持続する。店を出て寒空の下をいくら歩いていても腿からあたたかさが消えない。
寝そべっているときの長さが長い。おもちゃへダッシュするとき、肩にのられてるとき、体重を直に感じる。強い。
時間帯が被る客は通勤電車でよく見る顔のごとく、覚えようとしなくても覚えてしまう。それが目立った動きをしているならなおさらだ。目立った、という印象は私が勝手に抱いているものではあるが、猫なで声が大きかったりおもちゃを持ち込みしていたりすると、こいついつもこうだな…と毎回思うものである。より気になって耐えられなくなったら時間を変えるのが良い。
元々猫同士なら仲がいいなんてことは思っていなかったけれど、それにつけても、猫になりたいとは到底思えないほど猫間関係というものが存在していた。いつもいっしょにいる猫達もいれば、何で急にキレたの?と思う状況が見受けられることもある。複数でいるとストレスを感じる子も多いらしい。ストレス耐性や他者との相性も猫それぞれのようだ。
この間は、私が見た限りでは何もしていない、そこに寝そべっているだけの猫の後頭部を、他の猫が通りすがりにどついていた。どつかれた方は何も反応しなかった。双方ニャンとも言わないやり取りだった。どっちの立場もいやだなと思うが、どっちの気持ちにもなれそうな出来事だった。
人間から猫に接触した時より猫から接触してきた方が接触時間が長いという研究結果があるという話をどこかで目にしたことがある。ので、猫から寄ってこない限り猫には近づかないようにしていた。やはり、手を近付けると身を引く猫もいるし、おやつを人の手からは決して食べない、いったん床に置かないと食べない猫もいる。
しかし必ずしも、猫から触れられなければこちらから触れてはならないというルールではないらしい。まったりした雰囲気で座ったり横たわったりしている子は、手を近づけても逃げないことを確認した後に撫でると、案外気持ちよさそうに目を細めてくれる。やはり猫にも気持ちがあって、勝手に触れられるのは嫌だなという時もあれば、向こうから触れられないならこちらからも動かないという時もあるのだろう。
そして、一度は手を近づけて逃げてった子も、再度近づけてみると慎重に臭いをかいでくることもある。猫の鼻は小さい。
靴下や服で防いでも、猫の爪は鋭く、先が当たると痛い。おもちゃやおやつでテンションの上がっている猫と触れ合う時は気をつけなければならない。サクッと刺さって血が滲むこともある。大抵の猫は意地悪で引っ掻くのではなく自分の爪に気をかけてないだけだと思うので、痛っ!と思ったら手や足を無理に引いたりはせず、そっと猫から体の部位を離してやり過ごしている。
シャンプーか整髪料のせいかもしれないが、後ろから忍び寄って頭を嗅いでいる…と思ったらガブー!と噛まれることがある。本気の噛み方ではないが怖いしうれしい。されたときはやめてと言うが、永久にやめろという意味ではなく、一度でやめてほしい。